自分を見つめる機会
はい、おはようございます。ハルの一言話してみようのコーナーです。ということで、今日もね、誰もいない自宅のリビングからお届けしていこうと思います。
サナのハルです。よろしくお願いします。
何もしていない時間っていうのがなかったな。
その話をちょっとしたいんですけど、どうでもいい雑談なんですけどね。
うちの家族が入院してしまっていて、丸一日ですね、ちょっと家に引きこもっていたというか、閉じこもっていたというか、家事をね、やってました。
本当にこれをね、ずっとやってくれてたんだなと思うと、本当感謝感謝、本当に感謝でしかないな、なんていうふうに思っています。
その代わり、やっぱり外でお仕事してね、精一杯お給料もらってきてっていうのかな、そういったものに勤めるしかないな、なんていうふうに思っています。
やっぱり体は大事ですよね。本当に体壊すっていうのはやっぱりね、やっぱり心配になるし、自分もね、散々壊したりすぐね、痛めたり、弱弱な人間なもんですから、気をつけなきゃいけないな、なんていうふうに思いました。
そうですね、いろいろ家事の合間ももちろん仕事も、休みとはいえ仕事もしなきゃいけない環境がどうしても生まれてきてしまって、
時間があると、ちょっと机に座ってね、パソコン開くっていう時間が、ちょこちょこ時間を重ねても一日の中でも半分ぐらいはわかんないって机に向かっていたような気がします。
特段なんか、なんかね、詰め込んでやった仕事っていうのはなかったんですけど、なんか日々のね、処理しなきゃいけないことをやったりとか、
なんかメール見返してみたりとか、ちょっとした、そうですね、ちょっと時間がかかりそうなものになるであろうタスクをね、少しこなしてみたいな、なんかそんな感じでしたね。
なんかとってもその、なんていうのかな、実務から離れてテレワークみたいな格好で仕事しても十分成り立つんだなと思ったし、
とてもなんか自分をね、考えるっていうか、自分を見つめる、なんかすごい良い時間になったなというふうに思います。
正直なんか一日だけだと、仕事と家事と自分のこととみたいので、なんかうまく三つのことを両立できなかったなっていう反省点もあって、
どれかにちょっと絞りつつ、ちょっとな時間だけはこのことを考えようみたいなね、なんかそんな時間が持ってたのは、自分にとってはプラスだったかなというふうに思いました。
あとそう家事ね、ほんと全然やってこなかった家事にやっぱこう触れてみて、日頃からなんだろうな、なんか教えてもらったり言われたりとか、こういうことをやっぱやらなきゃいけないんだろうなとか、
なんかなんとなくもう染み付いてはいるものの、いざ一人でやってみると、こうだっけあだっけみたいなね、ことっていうのはたくさん生まれてくるわけで、
やっぱり大変だなって思いながらいろいろやったりしてました。
やっぱりこう自分時間ってやっぱり大事ですね。
一人暮らしからかけ離れて40年経って、なんか自分が何に向かってるのかとか、何をやるべきなのかっていうのをあんまり考えずにずるずると、
こんなおじさんになったなーなんていうふうに思ってるので、なんかやっぱり周期的に振り返るというか定期的に考え直さなきゃいけないことっていうのは非常に多いなというふうに思いました。
それはマイナスなことではなくて、どちらかというとプラス面に働くようなことを考えることが多かった気がします。
こうするべきかとか、あれをやっといたほうがいいなみたいな。
それは逆算ではなくて、逆算というのは完成形が見えてそこに向かっていくものだと思うんですけど、
未完成だけどそういうふうにやってみようかなとか、そういったことに対する調査だったりとか、そういったものに時間を使えたのはちょっと良かったかなというふうに思います。
例えば週末のいた時間とかにそんなのやればいいじゃんとか、
あとは通勤の時、そういった空き時間、移動時間とかを利用してそういう考え事とかすればいいじゃんとか思うんですけど、
これ何だろう、この雑音っていうのかな。
やっぱりそれっていうのがそういう考えること、思考をものすごく阻害するんだなっていうのが分かりましたね。
普段からテレビってあんまつけないんですけど、めちゃくちゃこう死因としている中で何か作業したりとかすると、
はかどったりはかどらなかったり、もちろんそれはあるんですけど、テレビっていうのは一番阻害されるような気がしていて、
あんまりニュースとかも見なくなったんですけど、ちょっと見るとすぐ嫌で回しちゃったりしてましたね、ザッピングっていうんですか。
気が付けば全然見てないというか、つけてる意味ないなみたいな感じになっていくんですよね。
どっちかというと作業BGMみたいな感じで音楽とか流れてた方が全然心地よくて、なんか快適だなっていうのを感じました。
別にテレビを批判するとか、ニュース報道がダメとかそういうのを一切言うつもりはなくて、
自分を考えるためだけの時間っていうときは、ものすごく集中したいときは無音または聞き直せる音楽以外はいらないなってやっぱり思っちゃいましたね。
うち猫がいて、猫がよく泣いて話しかけてくるんですけど、やっぱりそうなっちゃうと集中途切れますもんね、どうしても。
もちろんかわいいしなんか訴えてるから対話してあげるんですけどね。
細切れで考えながらっていうのがあるか。ずっと継続してテレビから発せられるメディアっていうんですか、そういったものにはどうしても集中力を欠いてしまうところが非常に大きいなと思いました。
なかなかこういった機会、自分を見つめる機会なんていうのはないので、いろんなものを削ぎ落としたからこそ、
削ぎ落としてって言い方がよくないな。今までと違った環境にポンと自分が置けたからこそ、
こんなことあんなことみたいに思った、そんな瞬間だったな、そんないい意味の時間の使い方だったな、なんていうふうに気がしました。
ちょっとまとまりのない話かもしれないんですけど、本当は家族が入院して大変なんですけど、自分を見つめ直すのにとっても一人の時間というのは有効だなというふうに思った。
思考の環境
そんなお話でした。7分ぐらいで喋っちゃったんですけど、誰かの役に立てばいいんじゃないかなというふうに思いました。またこちらの放送でお会いしましょう。
そんな春でした。それではまた。