1. はぴゆるの森のお喋りな聴き耳さん
  2. 太陽とお喋りしてたら…
2025-12-26 24:27

太陽とお喋りしてたら…

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耳タコだけど…

外側に求めてる時は、じぶんの中が枯渇しているからだよね〜

色んな意味で独りぼっちになってみて

初めてじぶんが満たされて行くヒントが見つかるよね。

わたしは何年も前に、漸く自立出来た〜って想ってたけど

実はその頃だってまだまだエネルギーヴァンパイアやってたよ。笑

人間って楽しいし面白いね(享楽的な愉しいじゃないよ)🤣

外側を楽しむのを感謝と共に卒業するタイミングの人へ❣️

 

に喋り終えてから、録音切り損ねてストーリーズを打ち込んでる音や風の音だけが入ってる💦お喋りは全くしていないので安心して切ってくれて大丈夫😆

 

サマリー

このエピソードでは、太陽とお喋りしながら自然とのつながりや教育の必要性を探求しています。また、もう一つの地球におけるユニークな習慣や儀式について話し、自己受容や人間関係の重要性にも触れています。さらに、自己認識や内面的な探求について語られ、完璧な存在である自分自身の理解が深まります。太陽や地球との対話を通じて得た気づきが共有され、自由な遊び心の重要性が強調されています。

太陽との対話
こんにちは、はぴゆるの森のお喋りな聴き耳さん。
ちょっと不思議なよもやも話。
ようこそ、はぴゆるの森へ。
お喋りな聴き耳さん、きょんです。
はぴゆるの森は、ハッピーでゆるゆるな森。
比べることも競うこともない。
のんびり、ゆったり、ほっこり、まったり。
今日も森の木漏れ日みたいに、心にふんわり浮かんだお喋りをしていきますね。
お茶でも飲みながら聞くみたいに、ゆるりと聞いてもらえたら嬉しいです。
さっきね、太陽とお喋りしてたらさ、
今年の冬初めての雪がチラチラしてきて、めっちゃきれいだったんだよね。
あれは風花っていうのかな。
風で雪が飛んでくる感じで、太陽もキラキラしててさ。
そんな中でね、太陽とね、ちょっと今日もお喋りをしてたのね。
そしたらさ、なんか最近清水さんっていう、浦安さんって読むのかな。
なんかその人が、もう一つの地球に行ってきた話っていうのをyoutubeで見て、
これって昔からミナミAアシュタールが言ってた、そういう地球だったり、
さくやさんがさ、地球のことをよく知ってるけど、
彼女が言ってた江戸時代とか縄文時代はこうだったのよっていう話の地球版、
もうまるまる地球が“そうだ!”みたいな感じの話だったので、
本当にそういうとこに行った人がいるんやっていうのがすごく励みになったよね。
そこでとてもこれは本当に素晴らしいヒントだなと思ったのは、
私はこっちの地球では教育っていうのがすごく抵抗があって疑問に思ってたんだよね。
教育は必要ないんじゃないだろうかって。
大人が楽しんでたら、その楽しんでる大人たちから学び取るというか、
自然に何か体得するもの、例えば大工さんが好きだったら大工さん、
大工さんって言うか、大工仕事が好きな大人が大工仕事を楽しんでやっていたら、
その仕事を見ながらどういうふうに木を削るとか、森行ってどんな木を選ぶとか、
そういうものとかを学んでいったりとか、そういう自然な形で、
まず大人たちが楽しみながら自分たちの提供できるものっていうのを提供していくっていうことがすごく大切だと思ったんだけど、
教育っていうのってそういう方向だよなって思ってたんだけど、
それをそっちのもう一つの地球では小学校で、
まるで“たい・じろう”さんがいつも「根源エネルギーとつながって」とか、
教育と成長
それとつながるようなトレーニングっていうのを小学校でずっとやってるっていう感じがしたんだよね。
それは「念い(思い)の種」っていうのがあって、それをみんなが一人一つずつ持っていて、
清水さんももらったらしいんだけど、それを両手で挟んで、
そこで「どんな実を成らせたいか?」みたいな、「どんな実がなってほしいか?」みたいなものを考えるというか、想像するらしいんだよね。
最初は「どんな色の花」とか「どんな花が咲くか?」っていうところから始めるかなんかって言ってたんだけど、
それがやっぱり何学年か高学年になってくるうちなのかな、
それがどんな実をつけるのかみたいなところまでを想像すると。
そしてそれが大人になってなんだかよくわかんないんだけど、
だからそこの地球ではカニ、タラバガニとか、カニが鳴る木、クラブツリーって言ってたんだけど、
カニが鳴る木もあれば、鮭、海で泳いでる鮭が鳴る木だったり、お肉が鳴る木だったりとか、
いろいろ木がそういう食べ物を鳴らしてくれるらしいんだよね。
だから海に行って泳いでる鮭と木になっている鮭っていうのは違うんだって。
だから食べないんだって、海とか。
あとは例えば牛肉だったり牛とか馬とかね、そういう肉も食べないみたいなんだよね。
それは木がそれを実をつけてくれて、その実のお肉を食べるらしいんだよね。
だから大豆ミートなんて言ってるけど、そんなのおかしくてさなんて清水さんは言われてたんだけど、
まさに本当に木ってすごいなっていうのは昔から思ってたんだけど、
そういうこともできるんだっていう可能性をそこでまた一つ勉強になったんだよね。
あともう一個は成人式みたいなのがあって、ちょうど太陽と海と空が、
そのタイミングで全くの映し鏡みたいになるその場所があるらしいんだよね。
そこのもう100メーターとかの断崖絶壁のところからさ、
一人一人人間みたいな人が飛んでいくんだって。
それってその地球に住んでる人たち、人間って言ってるらしいんだけど、
その人たちはみんなとても大きな翼を持っていて、
それをその時に翼を広げて、
何百メートルという断崖絶壁のところから、数百メートルなんだかなんだか、
そっちのもう片方の岩場の方に翼を使って飛んでいくんだって。
その時にもう飛んでるうちに、どっちが空でどっちが海かわからないような、
本当にどこがどうなのかって。
だから行ってる方向がそうなのか、それとも違うのかとかいうのが、
全くわからなくなるような状態の中に入るんだって。
その中でも自分の感覚だけに集中して、
その自分の感覚というものを信じ切れたものだけが行って帰ってこれるんだって。
そういうテストというかチェックというか、
それで行って帰ってこれたら一人前みたいな、そんな儀式なのかな、
イベントがあるらしいんだよね。
そこも生きていく中で、そういう時ってやっぱあるじゃん。
こっちの地球でも、もうちょっと違う形なんだろうけど、
ここで自分自身がどう捉えて、どう自分はこう感じてるのか、
自己受容と人間関係
どっちなのか、こっちかあっちかみたいなさ、
それを自分のそのかすかな自分の中のさ、
この灯火というかひらめきというかね、
それによって暗中模索しながら進んでいった先にこそ自分の真実があるみたいな。
そんなのの集大成みたいな気がして、
それを多分若い時代にそこに行くトレーニングね。
小学校からそうやって自分自身の信念を練り上げるっていうのかな。
なんか根源エネルギーとつながって、
自分の我欲とかさ、そんなんじゃないところ、
自分が例えばね、足りないとか不足不満とかから求めるものっていうのは、
そこって違うわけよね。
そうじゃなくて、“宇宙である自分”として何が大切なのかとか、
そういうところにこそフォーカスをして、
それを自分自身の声として聞くっていうことができた時に、
初めてその宇宙と一つながりになれるんだなっていうのをね、
またちょっと改めて、そんなこと太陽とね、おしゃべりしてる中でなんか感じたんだよね。
風が強くなってきたな。
だから…よく捉え間違いをしがちだなと思うのが、
自分が足りない。このままの自分じゃダメだ。こんな自分じゃダメだ。
もっと何者かにならなければいけない。
自分は本当にちっぽけな存在で取るに足りない存在だ。
だから誰かに助けてもらわなきゃいけない。
誰かと一緒になってこそ自分というのは完結するんだみたいな、
自分が足りない、足りてないとかいうような感覚がどこかにある。
普段はそういう感覚って潜んでるんだよね。あんまり出てきてないのよね。
だけど何かいざっていう時に、それが出てきたりすることがある。
その時がチャンスだよね。
自分はまだこんなに足りてないと思ってたんや。
自分はこんなに取るに足りない不安とか恐怖とかが、
自分一人で立ってることがこんなに怖かったんや、
という思いに気がついた時がチャンスだよね。
その思いが出てきた時に、そうなんやなあって、
そんな自分で大丈夫なんだよねっていうことを、
自分に大丈夫、大丈夫、それが自分なんやけんっていうことを、
そこまで受け入れてあげるというか、
そこを受け入れられるようになった時に、
私こんなに不安ってやったんや、
そこまで受け入れられるようになった時に、
分かってあげるっていうことができた時に、
ちょっとずつ自分の不足とかがなくなっていくのかな、
っていうのを思ったんだよね。
外側に求めて、誰かで埋め合わせるっていうことをするっていうことも
一つ大切だよね、補助輪的にさ。
だけど外側に求めて、
誰かで埋め合わせるっていうことをするっていうことも一つ大切だよね、補助輪的にさ。
だけどそれによって何か完結したとかさ、
そうやって私は立派になれたとかって思うっていうのも、
そういう時期も楽しいけどさ、
そこを経て、あれそれはちょっと違うなっていう体験を経て、
一人ぼっちになった時に、
一人になった時に出てくる感覚っていうのをね、
それがすごい大切やなって思うよね。
大切っていうのは、自分が一人でも、
しっかりと地球とか太陽とかと意識を合わせて、
そして木とか自然界のみんなが、
こんなに自分自身とつながってくれていたんだなっていうことを、
そして自然界のみんなっていうのは、
一人ぼっちでいても、いつも自分も外側もみんなを祝福して喜んで、
自分はもう完璧だよねっていう喜び、物質化してね、
完璧だよねっていう喜びを知ってるんだよね。
それは根源のエネルギーでそのものの喜びでもあるからさ、
そこにつながっている鳥とか獣とかもそうだと思うんだけど、
そういう存在たちと、実はとても深くつながり合ってるんだっていうことに、
気がつけた時に、今度人間ともそういうふうなつながりができるというか、
だから一旦切り離さなきゃいけないんだよね。(境界線が曖昧なままだと完結出来ない)
人間同士ってつながっちゃうととっても濃くつながれるから、
そこを勘違いしがちなんだよね。
(人間同士の)一体感の中で完璧っていうかさ、
(人間同士の)一体感の中で欠けるものがないって思ってしまうんだけど、
でもそれは偽物なんだよね。
だってその外側の世界っていうか、外側の宇宙、
自己認識の探求
外側の人間と一体になるなんていうのはさ、
仮初めだからさ、自由を束縛してまで一体である必要はなくて、
そもそも一人で一体だからね、完璧なのでね。
それで完璧だって分かった後で、
その完璧だという存在と、
必要な時に必要なだけ、必要なことを提供し合えるっていうことができるわけで、
(じぶんが1人で充分)完璧だと思えてないうちに、
その外側の誰か(人間)とつながるっていうことをすると、
完璧ではないっていう、
どこかに潜んでたそれが埋めてもらおうとすることで出てくるからね。
そうなると厄介だよね。
エネルギーバンパイアの誕生だからね。
なので、まず一回本当自分自身が一人ぼっちになって、
自分自身の中からどんな感情が出てくるのか、
不安とかね、恐怖とかね、恨みとかね、ジェラシー、嫉妬とかね、
すごくたくさんいろんなものが出てきたりするよ。
だけどそれを全部ね、ああそうなんやなって、
それは、たとえばそのちっちゃい頃にさ、
私なんかは兄弟とね、なんか自分の中で兄弟と比較してさ、
勝手にいじけてね。
それでコンプレックスを持って、
私はもっと兄弟を超えなければいけないとかね、
そういうことでバーッと外側に何か(承認)を求めて、
もうほんとクタクタになってもね、緊張と頑張りとね、
どこまでも許可できないっていうようなね、
あのところをずっとやってきたりしたんだけどさ、
そういうものとかも年齢を減ることによって、
というか体験を重ねることによって、
ああ外側だったんだっていうことと、
あとその内側に、
どこにそういうきっかけがあったのかとかいうことを見ていくと、
本当にね、そんなことで私は自分はダメだと思ってたんだとかね、
そういうような、
どんどんちょっとずつ自分自身を許していくことができるようになるんだよね。
すると、ああそうか、
みんなは、みんなっていうのは自然界のみんななんだけどさ、
とか物質界のみんなね、
ここに物質として来てくれてるみんなはさ、
みんなが本当それぞれが愛そのもののエネルギーで物質化してるから、
この人たちもみんな愛そのものなんだよね。
だからそのものとか、
自然界とか、
だから極端に言うと本当に人間以外の“物”たちと、
人間エネルギー濃いからさ、
すごくね、分かんなくなっちゃうんだよね。
人間同士でいるとね。
だけどものとか、
本当静かなんだけど深い愛を持って、
そこにいてくれる存在たちとの対話、
そこから聞こえてくるというか、
感じる何か、
そういうものと対話をしてるとね、
あ、私はこのままでよかったんだっていうことがだんだん分かってくるよね。
で、そのちっぽけだった原因とかね、
あ、そうかって、
それすらも結局自分が一遍、
完璧じゃないんだっていうことを体験するから、
あ、完璧だったんやっていうことを思い出すときに嬉しいからさ。
そういうことをやりたくて地球にやってきたんだなっていうような、
自分の計画までね、
ちゃんと分かってくるじゃない。
だからそういうことを経て、
自分がもう満ちたりてるんだな、
満たされてるんだなっていうことを、
私は一人ぼっちになったときに、
それって捉えることができるチャンスじゃないかなと思ったんだよね。
外側にさ求めて苦しむっていう時代もあるしね。
やっと外側に理想のパートナーができたって思っても、
やっぱりそこって長年一緒にいると、
それはさ、一緒の方向にずっと行くっていう場合もあるんだろうけど、
私なんかはもう本当にエネルギーバンパイアの状態で
パートナー見つかったと思って、
一生懸命エネルギーを提供することによってさ、
バンパイアするっていうことを楽しんでたんだけど、
そこに矛盾を感じて、
本当は自分自身に力があるんだとか、
自分自身っていうのは完璧なんだっていうような情報を得たときに、
だんだん変わっていったっていう中で、
一緒にいることができなくなった。
一緒にいることが、
お互いの足枷、手枷になるっていうようなね、
そういうことに気づいたときに、
私はそこは一旦一人になろうと思って、
一人になったんだよね。
一人になったことで、とても苦しいんだけれど、
その中から見つかった宝物というか、
そういうのっていうのはすごい大きかったなあ、
っていうのを思うよね。
外側に探す、求めるっていうことを、
やっぱりしてないようでいて、
外側に探しているようにしているけども、
実は内側に探しているようにしている。
外側に探すということをしながら、
内側のことをずっと探していくので、
それっていうのは表裏一体なんだけれども、
感情が強く揺さべられるような存在を
登場させることで、
自然との対話
その外側の存在を取り込もうとするっていうかね、
そういうことをよくやってたよね。
(大切なのは)自分自身(じぶん軸)であると思いながらも、
自分自身であると思いながらも、
外側の存在にそれを埋めてもらおうとしているっていうことは、
そうとは思わずにやってたなあ、
っていうことをね、思うね。
すごくそこらへんっていうのは面白いね。
そんなことをやりながら地球で楽しんでるんだな、
っていう感じだよね。
また私が何か気づいたことがあれば、
またそれはそれで大切なことだし、
肉体を持っている間しかこんなこともできないので、
そういうことをやっていこうと思うよね。
今は太陽や地球や空や雲とか、
木々とかとおしゃべりをする中で、
いろんなことを気づかせてもらったりすることが
すごく嬉しいなあと思っていることでござるよ。
今日もはぴゆるの森に来てくれて、
最後までおしゃべりを聞いてくれてありがとう。
この森はいつでもここにあるし、
気が向いた時に自由に遊びに来てね。
私も自由にやってるよね。
それじゃあまたのんびりおしゃべりしようね。
はぴゆるの森のきょんでした。
24:27

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