1. 五感でつながる 開運ラジオ
  2. vol.36 20年来の気付きとニド..
2024-12-30 23:55

vol.36 20年来の気付きとニドムの森ーあきらとここのの体験シェアー

2024年、あきらさんには大きな気付きがありました。北海道・ニドムの森、鈴木秀子さんのワークショップに参加したときのこと。夫婦で森を散策している最中に気付いた、20年間受容出来ていなかった気持ちとは?受容したことで起きた変化とは?

すべての働く人に聴いて頂きたい内容です!

年末年始にじっくりと味わってみてください。

サマリー

このエピソードでは、あきら氏とここ氏がニドムでのワークショップで得た気づきや体験を共有しています。特に、仕事に対する思いを掘り下げ、過去の経験と対話を通じて自己認識のプロセスが描かれています。20年間の自己理解や素直な表現を通じて、未熟さを受け入れることの重要性について考察されています。あきら氏とここ氏が語るこのエピソードでは、自己の力に気づき、周囲との関係がどのように変化するかが示されています。

ニドムでのワークショップ体験
五感でつながる開運ラジオ、はじまりはじまり。
このラジオは、聞くだけで運が開けていく。
今、そこにあるものに気づいていく。
人生の可能性を開くコミュニティ、Vision Quest主催のココノ。
あきら。
そして、その仲間たちが気付きや学びをシェアするラジオです。
はい。ということで、今回はですね。
今回はですね。
五感でつながるというところでですね。
先日、ココノさんが敬愛する師匠の一人の、
鈴木秀子先生というね、93歳のシスターが主催する、
何でしょうね、ワークショップ?
一応そうね、ワークショップという感じ。
北海道のニドム、ホテルニドムっていうね、
自然の中にあるホテルで、近道に3日間ですね。
そのワークショップに2人で一緒に参加しましてですね。
はい。
その時に、五感で感じながらの、いろんな体験がありまして。
今日はちょっと私がその時に、
どんな体験をして、気づき合えてっていう話をちょっと聞いてもらえると嬉しいですけど。
そうですね。
五感にまみれるというか、そのニドムっていう場所がホテルって言うけれども、
森の中にあるコテージっていうかね、
ホテルっていうよりはロッジ?
広範に立つみたいなね。
たくさんのコテージというかロッジがあって、
いいホテルですね。
なので、すごくいろんなことを受け取る、受け取りやすい場所だったし、
秀子先生の元に集まるみんなはやっぱり聞くってことを中心にしていることもあったのでね。
良い時間でしたけどね。
仕事に対する気づき
はい。
秋田さんの体験が印象に残ることが。
ありました。
とても印象に残ることがあったんだよね。
ありましたね。
仕事、人生30何年目にして。
30何年目、長っ。
34年目。
34年目にして。
すごいね。
やっと気づいたことだけですね。
赤ちゃんが生まれて成人して、家族を持っていい感じのおじさんになったぐらいな年、年月を経て初めて。
基本その仕事は好きというかね。
みんなでああだこうだ言いながら目標に向かって動いていくこと自体が好きで。
仲間でね。
アメフト会社で10年間やってたのも、そんな体験。
うまくいく、うまくいかないじゃなくて、ああだこうだ言いながらやってること自体が。
ああだこうだ言いながらね。
面白いし、学びもあるし、楽器もあるしっていう体験をしてきたんですけど。
そうそう、そのワークショップの中で、いくつかワークして対話するというかね、話をする聞くみたいな機会が何回かあったりする中で、
ペアになって森の中にあるホテルなんで、庭というかね、そのエリアを散策してきてくださいっていうようなお題があったじゃないですか。
視点の中にね。
80人ぐらいの方が参加されてて、一人で来られてる方がほとんどなんで、ペアになってということで初めましての方々なんですけど、
中には夫婦で来られたり親子でね、来られてる方も何人かいて、
そういう人たちはその人たちとペアになってくださいと。
夫婦、兄弟、家族。
で、後野さんと二人でペアになって歩きます。3、40分ぐらいかな。
その時に、特にその夫婦とか親子とかの人たちは、
普段話してないことを話してくださいね、すごい念を押されたんですよね。
夫婦なんか日常で話しているパターンっていうのがあって、
でもそうじゃない。話さないことを話してくださいって言われた時に、
何を話したらいいのかなっていうのが、わからんまま散歩に出て。
秋田さんがね。
そうそう、私がね。
大抵後野さんが話す、俺が聞く、そうじゃなくて言いながらね。
あんまり私が自分のことを話すっていうことをしてこなかった。
特に仕事のことはほぼほぼ話さないというか。
だから、まず仕事のことを思い返しながらコロコロ話しだしたんですよね。
なんと1個やったなーとかこうやったなーっていう風に話しながら、
さっき言ったように、みんなで目標に向かって動いてるっていうことを
リアルに感じながらやられてる時は、結果出ようが出ないと面白かったんですけど、
立場が上がってくると、直接メンバーとやり取りはしないと。
組織全体をどうリードしていくのか、みたいな立場になった時が20年前ぐらいで。
その時から、みんなで一緒にやってるっていうリアルな感じが掴めないまま。
でも全体の方針っていうのは、もっと自分よりも上位で決めてるっていうか考えてるってことはあるんだけど、
そこまで資座が上がりきらないまま。
資座が上がりきってないんだよね。
それは中途半端。現場のリアリティも離れるし、
かといって経営的な事業責任者っていうところまでの視点も高くなってないっていう状況の中で、
でも求められる責任というかね、営業だったんで、数字とかね、あるんですけど、
なんとなくどうやったらいいのかなってわからない中でもがきながらやってたなと。
結構難しかったし、難しいっていうのはいいんだけど、そのリアリティがないのがしんどかったんですよね。
でも掴みきれない感じだったんだよね。仲間とやってるわけでもないし。
仲間とやってんねんけど、やってるよりリアリティ。距離が離れる。現場から離れるのでリアリティはないし。
全体としてこうだって打ち出せるほど、課題を構造化するとか、戦略を打ち出すとかっていうのが得意から言えたら、そこはそんな得意じゃない。
薄々気づいてたけど、得意じゃないとは言えない立場になってくるので、何とかしなきゃいけないと言って頑張ってたから、
常に難しいとか苦しいとかっていうことを自覚してるようでしないようにしてた。
常に前向きにもうちょっとこうしよう、ああしようってもがきながらやってたから、しんどいっていうことを。
仕事のことを口に出すとたぶんしんどいみたいな話も出てくるから、どっかで恐れてたのかもしれないけど。
自分のことを話さないでよっていうのが。
話しちゃうこと自体、話しちゃったら何か自分が見ちゃいけないものを見ちゃうような気も。
いや、その時はそんなこと気づいてた。
気づいて無自覚してね。
今から想定するとそうやったのかなっていう感じだけど、
2人で歩きながら話をした時に、
そうそうそう、あの時めっちゃしんどかったよっていうのがポロッと出てきたというか、
あの時しんどくかってんっていうより、結局20年前にそういうポジションになって以来ずっと、
今もあるし、そうではない、現場でもない、その間のポジションにいるので、
今も、その20年前からずっと、俺しんどかってんって初めて自分で認めた感じ。
認めたね。
その話しながら、つらつらと話しながら、ずっと聞いてくれてたから自然の中でね、
そうか、俺しんどかったんや、ってなった体験だったんですよね。
自分を認めるプロセス
話しながら、だから自分が自分の言葉をまた聞くっていうか、
あれもしかして、もしかしてしんどかった?しんどかった?しんどかった?みたいな。
いや、もしかしてというより、その時はしんどかった?とか今もしんどい?って言葉に出して、
そう、そうなの?っていうふうに。
ドーンと来たんだね。
そのまま受け取れて、それを素直に味わっているというか、
その時はそんな体験で、
そうなった時にすごくね、なんちゅうの、穏やかな、落ち着いた、
なんかちょっと満たされた感じになったんですよ。
満たされた感じ。
なぜか。だから、
しんどい?
しんどかった?とか今もしんどい?っていうことを言った時に、
さっきも言っていたけど、
そういうところにいると、どんどん自分が例えばネガティブになるとかね、
どんどん気持ちが沈んでしまうとか、
なんかそうしたら動けなくなるとかね、
なんかそんな風になるのかなと思ったら、
本当にそのまましんどい?しんどかった?あれはしんどい?今もしんどい?っていうことを、
そうなんだって自分が認めると、
めっちゃ穏やかな、なんかめっちゃ満たれた感じが、
その時あって、それはすごい不思議だったね。
なんでこんな感じなの?って。
それが結構、
なんやろな、どっかで嬉しくて。
嬉しい。
嬉しかった。
そう、だからなんかやっと、
なんていうのかな、自分をちゃんと認められたというか、
やっとね。
やっとね。だからその、
全体戦略を描くみたいなことが苦手だっていうことも引き受ける感じもあって、
もちろんその、
一人一人とか、あるいはチームが、
中から湧いてくるエネルギーの中で色々変化していくっていうのもすごく興味あるし、
それは面白いっていうのもあるんです。
そこに関わっていくのが自分の一つの大事な使命だというのも気づいている。
そういう特徴をくるめて、
引き受けた時にそこから、
一歩一歩進んでいこうみたいな、
そんな感じが、
なんかだんだん、あれからもう1ヶ月。
ちょうど1ヶ月じゃない?
11月。
ちょうど1ヶ月。
1ヶ月くらい経った中で、
なんかね、すごい変化が出てきたような感じがしたと。
なんか一歩一歩、その引き受けた、引き受けて、
地に足がついた、
そこに着地して、
そこから始まってるっていう。
そういうとちょっと切れないけど、
でもね、戦略を描くとか構造として物事を捉えるとか、
ということがあまり得意じゃなかったんです。
ということを、どっかででも役割的にそれをやらなきゃいけないって、
なんとかやろうとして頑張ってます、みたいな。
もうちょっとこうしたらとか、
いやそこ弱いですよね、とか言われた時に、
そんなことなら俺もやってる、みたいに今まではなってたんでね、
頑張ってる、みたいな。
けど、そう。
いや俺ほんまに、
頑張っているんやけどやっぱり苦手なんだよね。
素直に言えたの、メンバーにも。
そうすると、
メンバーもそういうのが得意な人が、
じゃあ私がこうします、とか言ってきてくれたり、
なんか違う流れが起きて、
それまでは苦手なことを頑張っている、みたいな感じになっていると、
じゃあやれば、みたいに。
なんか言うても、
いやとはいえ俺もこうやってんねん、とかなると、
フォローしようがなくなるじゃないですか。
手付けられないっていうかね、
どうしたら認めてくれないとね、始まらないもんね。
素直さの大切さ
正直に素直に、
そこは苦手なんだよね。
でもこういうところは興味あるし、すごい大事だし大好きだしっていうか、
両方、
安然って素直に表現した時に、
違う関わり方が周りに生まれてくる。
結局なんか結構、
狭い視野の中で、
なんていうのか、身動き取れない状態を作ってやったら、
やっぱり自分やったんや、みたいな。
それがすごい変化してきている感じがあるからさ。
こんなにも世界が自由なんやっていうか、
素直にお互いに関わり合うと、
こんなにお互いに持っているものが流通するんだ、
っていうのを感じているんですね。
素直さっていうか、流れていく感じ。
お互いね。
そうなんだね、それじゃあこうだね、みたいな感じに。
そこに抵抗がない感じだね。
自分の中にある特徴なわけですよね。
強み弱みっていうのも自分の特徴の表れ方や、
それをまたまでは理解していたと思うんだけど、
本当にそのまま引き受けるっていうことを、
どこかで無意識に拝んでいた。
できない自分っていうのはダメだ。
仕事上、やっぱり成果を出すとか、
求められていることに期待に応えるみたいなことを、
当然すぎてずっとやってきたんやけど、
だからその期待に応えるとか、求められることに応えられないっていうのは
良くないっていうふうに自分で評価していたというか、
自分自身を無意識にしていて。
だからできないことがあるとか、
弱みを認めるっていうことはやっぱりダメだ。
だから良くないとか思ってたんだろうね。
認めることがダメっていうより。
認めるっていうか、そういう自分ができないとか。
できないっていうこと自体は良くない。
っていうことはもう認めるわけにいかないもんね。
怖いもんね、そんなこと認めたら。
怖いよね。
そういう感覚をちゃんと見ずに、
何とかしようとしてたみたいなね。
ちゃんと見たら認めるしかないっていうかね。
それはだから、ちゃんと見るって言って見たというより、
自然の中で聞いてくれる人に言葉にするっていうことをしながら、
あ、そうなんやって結果的に辿り着いたみたいなね。
自分でも驚きだね、なんか。
そうそうそう。
それはね、だからこの20年かかりましたけども、
まあでも今気づけて良かったなって。
今だからすごい落ち着いてるんでしょう。
落ち着いてね。
欠けてる部分はもちろんありながら満ちてる感じ。
だからできないことがダメなことじゃないんだよね。
そう、それをね、頭で理解してるのと、
そうなんだよねっていう風に感じているのと、
やっぱりね、そうなのよ。
頭で理解することはもちろん大事なんやけど、
それを丸ごと引き受けるっていうこの感じから、
できないことできるようにしていくとかっていう努力をね、
することはしていけばいいかもしれないので、
どこに立ってんのか、できない自分はダメだ、
だからやらなきゃいけないっていうところから
周囲との関係の変化
努力してるのと、
でけてるとこもできへん、できへんとこも全部そうなんだよなーっていう、
何やろう、ある種事故一致したってことかもしれないけど、
自分が自分でいるっていうところからで、
やりたいことをやっていくっていう努力の在り方と、
似てるよ、表向きは似てるかもしれないけど、
全然違うっていうのを感じてる。
頭ではずっとそれは分かってたんだけど、
全然違うんだっていうことを今、
体全体で感じてる。
体験して、
もう全然違うっていう。
全然違ってやっぱりそれがさっきも言ってた、
ちょっと幸せ感っていうか、できないことがたくさんあるわけじゃん。
だけど、
怖くないっていうか、ダメでもないし、
むしろ幸せ感みたいな。
素直に努力ができるし、
周りの助けを引き寄せてる形もあるし、
その助けを素直に受け取れるし、
すごく循環してる感じがするよね。
そうだよね、周りからしてみたら素直にさ、
できないんですって言ってくれてたら、
それができる人がじゃあやりましょうかって、
なんかなるよね。
それがたぐさにできないんですって言ってたじゃん。
でもね、素直に引き受けて、
そこから前に向かおうとしてるっていうのもあるから。
だから、できなさも引き受けてるっていう。
一個人になってできないって拗ねて止まってるというのと、
まだ続きがある。
引き受けながら前に進んでるっていうのが。
全部の自分で進んでる感じだね。
できない自分と。
でも、思いとしては、
みんなでやっぱりやっていきたいっていうさ。
仲間のみんなとやっていきたいっていうところに、
すごく落ち着いてる感じになるね。
結局自分が大事にしたいところはそこだったりする。
だから立場がどういうこととは関係なく、
みんなでやってるっていう感じが、
前と全然違うあり方で実現できてる。
そういう感じるところが入り口で開いていくっていうね。
大事だけども、相当開いたね。
俺の人生的に。
転機だね。
相当転機でしたね。
2ヶ月前の体験から。
この1ヶ月間、今もそうやけどね。続いてるけどね。
でもそういう風な体験をした人が、
そのあり方で目の前にいるっていうことが、
やっぱり何らか影響していくよね。きっとね。
世界を何らかね。
周りからしてみたら、そうすればいいんだとか、
そんな簡単なことじゃなく、
素直に自分のあるがままでいる人がいるって、
気持ちいいなっていう感じなわけじゃない。
自然とそのあり方っていうのが伝わっていきそうな気がするよね。
だって結局それが自然なわけじゃないのか。
そうね。
どんな結果が出るのか、
結果を出すためにこういう風に考えた方がいいというよりは、
ものづと立ち上がるものが立ち上がってくるっていう、
それ自体をすごく感謝するし、ありがたいと思うし、
なんか素晴らしいなとも思えるというかね。
ある日何が起こったとしても。
どんな花が咲くかもわからないけど、
咲いた花に対してすごいみんなでめでるというかさ、
そっと求む感じになりそうだよね。
なっていくよね、自然とね。
時間が来ました。
ちょっと長くどんどんなりそうなところ。
一旦ここですね。
ここら辺で許してやろうと。
許されてますから。
ここら辺で許しておいてやろうか、みたいな感じですけども。
でもね、自分がどんなふうに素直でいるかな、
みたいなことを聞きながら私も思ったりしましたけど。
次回は、ホテル人の問題の心さんの体験をね、
ちょっと聞かせてもらえればなと思いますので、
よろしくお願いします。
では皆さん、今回聞いていただいてありがとうございました。
ありがとうございました。
それじゃあね。
ではでは。
おうちに。
23:55

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