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笑倍繁盛チャンネル、望月まもるです。本日もよろしくお願いいたします。
ゆとり教育なんていう言葉がありましたけどもね、ゆとり、どんだけわかってんだろうな、なんていうふうにも思うわけですよね。
自分なりにですけどね、今日はこの心のゆとりっていうことについてお話ししたいかなと思うんですけども、
これ単なるリラクゼーションとか、遊びの言葉じゃないと思うんですよね。
これ、心のゆとりっていうのは、自分が世界をどう定義付けするか、自分自身をどう位置付けるかっていう、
自分自身の存在の根底を整える、自分のための時間であり、問題だと思うんですね、課題だと思うわけですね。
この外部外的な状況がいくら騒がしくても、自分の内側に安全地帯ですね、心のゆとり、生意気ですね、これを作るためにはどうすればいいのかっていう、
今日はそんなお話しします。
まず、心のゆとりを奪う最大の要因っていうのは、自分の力ではどうにもできない他人の評価とか、過去の出来事だとか、そういうことに執着することにあるんですね。
執着してるから、心のゆとりがなくなっちゃうわけですよ。
紀元前の哲学者で、エピクテトスっていう方がいらっしゃったんですけども、
この方が、制御の二分法っていう心の整理法について説いてるんですね。
彼は世の中の事柄を自分がコントロールできること、これは自分の考えとか価値観とか行動ですね、とコントロールできないこと、
例えば天気とか天候、他人の心、過去とか死とか、こういったものを明確に分けるべきだよと説いたんですね。
我々が苦しみを感じてゆとりを失うのは、コントロールできない領域に対して自分のエネルギーを浪費してるときなんですよ。
だから雨が降ってるっていう、これ変えられないでしょ。
だけど雨のおかげで読書がはかどるわとか、こういう自分の解釈をっていうのは自分で自由に変えられますよね。
こんな感じで、自分の関心の焦点ですね、これを自分の内側にちゃんと絞り込むということで、
外側の荒波に左右されない楽な空間が心の中に生まれるわけですね。
これは心理学でも内的ローカスオブコントロール、これ自己制御感って言うんですけどね、
これの強化にもつながる教えだなというふうに思うわけですね。
お次が、ジャン・ポールサルトルっていう実存主義哲学者は、
人間は何者かになる前にまず存在するものであるっていうふうに説いたんですね。
人は皆日常の中で親とか社員とか配偶者とか、あるいは立派な大人といった多くの役割を演じてるわけですね。
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この心のゆとりがなくなるのは、これらの役割、外面ですね。
外面が自分の本質、内面をやっぱり完全に覆い尽くしちゃって、
自分らしく荒れる時間、隙間がなくなった状態なんですね。
だから心のゆとりなくなっちゃうんですよ。
だからこのサルトルが指摘してる自己欺瞞、誠実さの欠如、自分に対する誠実さの欠如ですよ。
これは特定の役割に自分を同一化しすぎて、
親、社員、配偶者、良い上司とか優しい母親とか立派な大人だとか、
こういう意外の何者でもないって、この辺思い込みすぎちゃう不自由さのことなんですね。
だから誠実じゃなくなっちゃうんですよ。
自分に対して誠実じゃなくなっちゃうの、その役割、仮面に覆い尽くされすぎちゃうとね。
だから心のゆとりを育むためには、1日のうちに数分でもいいから、
何者でもない自分に戻る時間が必要なんですね。
いかなる肩書きも持たない、誰の期待にも応えない、ただ存在している自分を肯定する、
こういう、私はここにいるという空白ですよ。
これこそが心が深く呼吸できるスペースになっていくわけですね。
これは所有とか行動に依存しない、存在そのもの、自分の存在そのものの豊かさを確認する、
そして享受するっていう、こういうことでもあります。
西洋的な意思による克服は、物事を力づくでコントロールしようとする、そういう思考に基づいているわけですね。
ところが最新のシステム思考とか、レジリエンス学っていう、回復ですね、自己回復力ってことですけどね、
この学問では、世界を複雑な相互作用のネットワークだというふうに捉えて、
無理に制御するのではなくて、このシステムが本来持っている自己回復力を最大限に引き出すことを重視しているわけですね。
生物学者の福岡さんが提唱した動的平衡っていう、こういう概念があるんですけども、
生命が絶えず分解と合成を繰り返しながら、全体としての調和を保っている状態っていうのを指しているわけですね、この概念は。
だから人の心も同様で、常に変化し続けることが自然な状態なんですね。
だからゆとりを失っちゃうのは、この変化を制御しようとしちゃうってことだね、支配しようとするってことだね。
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だから止めようとしたりとか、特定の状態に固定しようとしたりとか、不自然な力みが生じるからゆとりを失っちゃうんだと。
なのでシステム思考の観点から見ると、困難なストレスとかはシステムを破壊する敵ではなくて、新しいバランスに移行するための情報にしか過ぎないというのがあるわけですよ。
だから川の流れを強引にせき止めるのではなくて、その水流ですね、水の流れの勢いを利用して、例えば水車回すとかさ、
こんな感じで、起きてることから事象をあるがままに受け入れて、そのエネルギーをどう自らの成長に転換するかというところが大事なわけですね。
だからこの柔らかい対応、これこそが精神的なスペースを確保する知恵でもあり、技術になるのかなというふうにも感じるわけですね。
お次ですね、臨床心理学で、ACT、Acceptance and Commitment Therapyというのがあるんですけれども、
不快な感情や思考を排除しようと、戦わないようと、戦うのではなくて、それをただそこにあるものとして受け入れる。
この受け入れるというのがアクセプタンスなんですけれども、これを推奨しているんですね。
人は不安とか怒りを感じたときに、これ感じちゃダメだとか、こう思っちゃダメだとか、抑圧しちゃうんですね。
この抑圧しようとして、さらに大きいエネルギーを消耗しているんですよ。
これが心のゆとりを自分で削っちゃうんですよ。
これを心理的な柔軟性の欠如と呼んでいるんですね。
だから受け入れる、アクセプタンスというのは、いわば心に門番を置いて、
いろいろとジャッジメントして抑圧したりだとか、そういうことをやめるということですね。
入ってくる感情を無理に、湧き出してくる感情ですよ。
無理に追い出そうとしないで、ただ通り過ぎるのを待つと。
メタ認知だとか、ああこう感じてるねみたいな、そういうのも戦わない姿勢ですよね。
戦わない姿勢っていうのは一見すると消極的に見えるんですけども、
実は自分のエネルギーを建設的な行動に集中させるための選択なんですね。
選択ですよ、これは。
意志があるということですね。
自分の内側に湧き起こる波をコントロール、支配しようとするんではなくて、
ただ観察の対象に変える。
そうすると心にゆとりも生まれるよねということですね。
ところが、全てをあるがままに受け入れて、流れに身を委ねるという姿勢が、
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時に現状維持バイアスとか、無責任な傍観っていうことにもなっちゃうんですね。
例えば社会的な不正とか、自分を粗末に扱う不誠実な他者とか悪意とか、
こんなものに対してまで、これが自然な流れだなんて、受け流したらいけないでしょ。
それは自分を崩壊させる原因にもなりますからね。
だから真の心のゆとりっていうのは、何でも無批判に、
むやめに全部受け入れることでもないんですね。
何に抗って何を受け流すべきかっていうことを、ちゃんと冷静に見極めるっていうことなんですね。
この高いメタ認知能力に基づいた判断力、これを伴う必要性があるということなんですね。
だから何でもじゃないということですね。
だからシステム思考とか、心理学的な需要っていうものが教えてくれるのは、
ポッキッと折れちゃう固い大木ではなくて、
嵐の中でしなりながらも折れない竹とか柳のような、
精神の在り方イコールゆとりみたいな感じなんですね。
変化を恐れないで、プロセス全体信頼しきるとか、
それから内なる感情との無益な争いを終結させるだとか、
とは言っても自分を粗末に扱う不誠実な他者とか、
悪意に対してまではちゃんと無批判に受け入れずに、
何に抗って何を受け流すべきかをちゃんと冷静に見極めて判断するだとか、
これらを日常的に実践すれば心は戦う場所ではなくなるんですね。
あらゆる事象を包み込んで、
変化を楽しみながら自己更新し続ける豊かな大地っていうものに変わっていったりするわけですよ。
だからゆとりというのは自律的に整う命の力を信じて、
余計な介入ですね、そういったものを減らしていくということから
始まっていくのかななんていうふうに感じるわけです。
ということで、本日も最後まで聞いていただき誠にありがとうございました。
今日もゆとり、そして高尚な判断をしながら、選択をしながら参りましょう。
ということで、また明日。バイバイ。