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笑倍繁盛チャンネルの望月まもるです。本日もよろしくお願いいたします。
今日は、アドラー心理学のお話、どどどんとやろうかなと思うんですけども、
まず、このアドラー心理学的な判断軸なんですけども、
物事を良い悪いとか、正しい間違いとかいう二言論ですね、
こんな人によって違う、当てにならないもので裁くのではなくてですね、
この行動、この言動、この思考がですね、
自分及び自分の周りの人たちとか共同体にとってどういう未来を作り出すかっていうですね、
建設的かつ未来思考というですね、ここに注目して、それを判断軸にしようと問いたわけですね。
結局だから、建設的未来思考であるのか、それとも刹那的で何か破壊的なのか、
これだけで判断すればいいじゃん、簡単じゃん、シンプルじゃん、
っていうのをアドラーさんはおっしゃってたわけですよ。
アドラー心理学では結局最終的ゴールは共同体感覚っていうのにあるわけですね。
これは自分を世界の中心として考えるのではなくて、
より大きな組織、社会、宇宙、自然の仕組みとか、このつながりの中に自分がもういるなと。
だから海の波であったり、海の波が作る泡であったりとか、
それが自分でしかないっていうことだね。
これはだから仏教の考え方とも深くリンクするわけですよ。
あらゆるものは単独で存在するんじゃなくて、無数のつながりの中で生かされてるという認識をね。
建設的な選択っていうのは、自分という小さい殻を破って、
広大なつながりのネットワークですね、一体において良い循環を生み出す一つになることを意味するわけですね。
この選択は自分という個人の利益を超えて、所属するコミュニティの調和に寄与するかだとか、
社会にとって建設的か未来志向かっていうね、この問いかけをするということが、
アドラーが最も大切にした指標の一つなんですよ。
お次にですね、この建設的であるための不可欠な前提条件としてですね、
アドラーはそれは誰の課題なのっていうことをですね、ちゃんと見極めることを問いたわけですね。
見極めようと問いたんですね。
どれほど良かれと思ってした選択でもですね、それが相手の領域に土足で踏み込むものであった場合ですね、
結果として関係は破壊的になっちゃうわけですね。
だから、他者の自由の尊重ということなんですね。
これ、カントが問いたようにですね、人間を手段としてではなく目的として扱う。
つまり、相手をですね、自分の思い通りに動かす道具として見ないということが重要なんですね。
建設的な選択っていうのは単なる優しさではありません。
お互いの自立を促し合う関係性を土台にしていく必要性があるんですね。
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だから、相手の課題を肩代わりするなんていうのは、
これね、一見すると誰かの苦しみを減らすように見える優しさみたいに見えるんですけども、
これね、長期的には相手の成長の機会を奪っちゃって依存じゃんわけでね。
だから、本当の意味で建設的な道っていうのは、
相手を信頼して、その人が自分の力で立ち上がるのを見守る勇気を持つ愛の中に見出されるわけですよ。
だから、愛とは感情ではなくてですね、相手の最善を願う意思なんですね。
で、時には甘やかすことなどがない厳しさも含む建設的な態度なんですね。
で、アドラハ心理学において、だから勇気、嫌われる勇気って本がね、ベストセラーになりましたけども、
それは何かというと、困難を克服する活力のことなんですよ。
例えばですね、自分の言葉がけ一つがですね、目の前の人の心に響くかっていうことなんですけども、
自分には能力があるとか、人々は仲間であるという感覚をね、強める言葉であればさ、相手にとっても勇気が湧いてきますよね。
だから人間はね、肉体的な存在である以上に精神的な進化を遂げる存在なんですね。
だから人との関わりにおいて、相手の精神ですね、魂ですね、本質的なその人ですね、本来のその方を認めて励ますことはですね、
その方の魂に栄養を与えることでもあるわけですよ。
建設的な関わりとか勇気づけっていうのはですね、相手の中にある否定的な自己イメージですね、
だいたい偽りの世界で生きてますから、だいたい偽って生きてますからね、そういったものをですね、塗り替えて本来のあなたというね、
そこを信頼してですね、それを塗り替えて前を向く力をですね、本人がそういう力を持ってますから、
そもそも持ってますから、その持っている力を引き出すというのが勇気づけなんですね。
だからこの自分の選択が周囲の人の可能性を開く光になっているかということなんですよ。
これはね、単なるマナーとかスキルの問題じゃないですね。
この自分の存在あり方がですね、他者にどういう影響を及ぼしているかというですね、
実はこれとっても深い倫理性を含んだ判断基準でもあるわけですね。
で、お次がね、アドラーさんの目的論というですね、ここね、もう大切にしてますけども、
我々はついですね、過去にこうされたからとか、親がこうだったからとか、こういう理由ですね、原因論で今の行動を選びがちですけども、
アドラーさんはですね、どこに向かいたいかって目的論を重視してたんですね。
過去の出来事は変えられないけども、その出来事にどういう意味を与えるか、どんな解釈をするかは今の自分次第じゃないですか。
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精神科医のですね、ヴィクトル・フランクルはですね、自分自身の著書ね、夜ときりってですね、
どんな過酷な状況にあっても、自分の心の持ち方、態度を選ぶ自由だけは誰にも奪えませんって説いてるわけですね。
だから今の選択が単なる過去の復讐ね、誰かにね、復讐してやるっていう復讐ね、それとか生産とかではなくてですね、
なりたい自分とか、築きたい未来から逆算されてればいいわけですよ。
だからそれを考えればいいわけですよ。原因を掘り下げて犯人探しをするんではなくてですね、
未来に向けて何ができるかっていうのを見据えて進もうとする、今をそこに集中させる姿勢こそがですね、
建設的な人生への道になるわけですね。
だから過去のね、カルマにとらわれるのではなくてですね、今この瞬間の行いによってですね、未来を作り変えていくと、
そうすればですね、もうカルマもですね、どんどんどんどんですね、生産されていくでしょう、勝手に。
だからそういうのが実存主義的な生き方ということにもなるわけですね。
ところが常に建設的で未来志向であろうとする姿勢は危険だったりもするんですよ。
例えば怒りや恐れとかに押されてはいけないとですね、強く意識しすぎると人間は本来持っている自然な感情を、
なのにね、悪とか未熟とかね、こういうふうに思い込んじゃうこともありますよね。
怒りはですね、出てくるうちはしょうがないでしょう。
自分の価値観が侵害されたというね、そういう警告だったりとか、
恐れは大切なものを守りたいという防衛本能だったりもしますからね。
だからあんまりこれらに無理に蓋をしてですね、建設的な自分、建設的な自分と言ってね、
前向き、前向きなんていうのを演じ続けちゃうと、自分の本音と行動がですね、乖離しちゃって、
乖離するのは自己疎外って言うんですけどね、自分無視しちゃうからね、いつか心が折れちゃうわけですよ。
だから時にはですね、今は建設的になれない自分っていうのをですね、そのまま受け入れること、
もうだめだわって、なんか前向きになれんわって、こういうこともちゃんと認めていく。
これは自己需要ですからね。これが本当の意味での建設的な生き方っていうふうになっていくわけですね。
次は偏っちゃうとだめなんですね。未来志向も行き過ぎるとですね、今この瞬間にある無駄に見える豊かさとか、
成果が出ないですね、ただ存在する価値みたいなね、こういうことを見失っちゃったりするんですよ。
切り捨てちゃうんですよね。だから全ての行動にね、意味ある未来への投資を求めすぎちゃうと、
人生がただ目的のための手段とか、そういう味気ないものになり下がっちゃうわけですよ。
哲学者のハイデガーもね、人間を資源としてのみ捉える思考に陥ると、
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心のゆとりとか大切なものは何かっていう心は失われるよというふうに言ってるので、
全くその通りだと思いますね。
3番目は暴力性ですね。
自分にとっての建設的っていうものが相手にとっては価値観の押し付けとかコントロールになることもあるわけですね。
例えば落ち込んでる人に対して前向きになろうって励ますのは、
一見建設的に見えるかもしれないですけども、
そのときの相手にとっては今の自分否定されたって感じるかもしれないですよね。
だからこれは寛容さという視点で見たときには何もしないとか、
解決急がないでただそばにいて沈黙を共有してるとか、
そういうことこそがとても慈悲深くて建設的な選択になることもあるんですよ。
だからこれもケースバイケースで何をどう選択していくか選んでいくかってことによりますね。
以上の多角的な考察を踏まえると、
アドラーガと建設的な選択ってのは決して固定された正解を求めることじゃないんですね。
だからケースバイケース、そのときどきでより良い方向を模索し続けるしなやかなものなんですよ。
だからもう失敗してもいいんです。
ちゃんと修正していけばいいわけですからね。
そうやって更新していけばいいと思います。
まとめると、だから共同体感覚は私を主語にしつつも私たちという大きなつながりに
自分自身が貢献しようとしているのかというところであったりとか、
課題の分離で、相手の自立を奪わないでお互いの心の境界線を尊重しているかどうか、
それから自己需要ですね、不完全な自分とか不完全な相手ですね、
そのままちゃんと許容して、ちゃんと受け入れる勇気を持っているか、
受け入れて認める勇気を持っているかということですね。
目的論としては過去の生産だとか復習だとかではなくて、
未来の創造のために、未来のために、建設的な未来のために、
今の行動をちゃんと選択しているかというような感じですね。
だからアドラーシー理学は知識として知ってるっていうだけでは何か意味がねえなって思うわけですよ。
だから僕は幸せに生きるためのアドラーシー理学っていうのは、
幸せに生きるための手引書っていうふうに思ってるんですね。
だから日々実践でしかこれは感じられないですね。
要は境地の話ですね。
この境地に立ったときに分かりますよって話をアドラーさんしてますからね。
だから使うことでその絵がよく理解ができる、
心のそこから理解ができる心理学であって、
あとは先ほども言った幸せに生きるための手引きだというふうにも感じてるわけですね。
過去とか環境なんていうのは与えられた材料でしかないですから、周りの人とかね。
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だからそれを自分がどう解釈していくか、どういうふうに活用していくかというのは常に今の自分次第なんですよ。
だからその上で常時建設的である必要もなくて、
時と場合に合わせながらしなやかに進めればいいかなと思うわけですよね。
大切なのはですね、正しさにこだわるとか、正解を探すだとか、
社会的なこれが正しいんだみたいなね、こういう戦いから降りることなんですね。
どうすればこの状況をほんの少しだけよくできるかなって、たったこれだけですよ。
この平穏な問いを自分に投げかけ続けて自主的に行っていけばですね、
結果としてこのアドラーさんの言ってることなんかはできるのかななんていうふうにも感じるわけです。
ということで本日はアドラー心理学についてバババッとまとめて見ました。
参考になればいいかなと思います。
ということで本日も最後まで聞いていただきありがとうございます。
また明日お会いしましょう。それでは。