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#1592 日常を洞察せよ
2026-05-12 12:30

#1592 日常を洞察せよ

#1592 日常を洞察せよ

「模倣は精神を腐敗させる」
ジッドゥ・クリシュナムルティ

人は他人と自分を比較し、模倣する事で安心を求めますが、それは逆に「独自性」を失い、心を腐らせます。

ステレオタイプの幸せを模倣したり、成功者像を追いかける風潮は、そのまま比較文化となり、個人の創造性を殺すのです。

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00:05
模倣は精神を腐敗させるジドゥ・クリシュナムリティ。
模倣ってのは真似だね、真似真似ね。人は他人と自分を比較してですね、真似すること、模倣することで安心求めますけども、それは逆にですね、独自性を失うわけですよ。
で、心を腐らせると。で、ステロタイプの幸せを模倣したりとかね、成功者像を追いかけてみたりとかね、こういう風潮はですね、そのまんま比較文化になってですね、個人の創造性を殺すわけですよ。
クリシュナムリティはですね、比較を捨てて自分自身として生きることを言ってるわけですね。なぜならば内面的な純粋さ、本来の自分の純粋さ、ピュアさがですね、保たれるからなんですよ。
っていうですね、ジッドゥクリシュナムリティはですね、20世紀を代表するですね、思想家の一人で伝統的な宗教や権威をですね、否定して真の自由と洞察を通じた人間の変革っていうものをですね、提唱してた方なんですね。
彼の教えはですね、抽象的な信念とか観念ではなくてですね、今この瞬間の直接的な洞察を通じてメタ認知だね、メタ認知をしながら洞察をするんだね。で、日常の生活から深い哲学を定義しながら内面的探求を要求するわけですね。
今日は彼の格言をご紹介します。これらはね、全てね、心の自由と変革をですね、促していきますね。まずね、信念と現実のね、乖離についてですね、人々は日常生活に関わらない観念や信念とともに暮らしています。
あなたが善を体現しなければならないのは、あなたが未来だからです。善性は恐れが存在する場所では開花できません。多くの人が日常とは無関係なね、抽象的な理想とか世間の常識とか定説とかこういうものに縛られて生きているわけですよ。
ところがまことの善というものはですね、未来の自分が体現するものじゃなくて、今ここで自分自身が恐れが、恐れなくですね、生きることから生まれると説いているわけですね。恐れがある限り善は花開かないよと。
つまり、原子能の安全欲求のバグ、これでですね、動いている以上は反応と反射だけだからね。だから花なんか開かないし善なんかできないんだということなんですね。この言葉はですね、観念的な善ではなくてですね、生きた善ですね。生きながらにしての善をちゃんと求めようねと、やってこうねということを言ってるわけですね。
次はですね、利己心ですね。自分のね、利己的な利己ね。利己心は私たちの人生における本質的な問題です。問題だって。自己へのとらわれから自由になると豊かなエネルギーがもたらされます。大切なのはあなた自身の物語が詰まった書物から学ぶことです。
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エゴイズムですね。これね、自己中心性がすべての苦しみの根源なんだよと。だから自分への執着ってものを手放すと無限のエネルギーが解放されるようになるんだよと。で、学びの源ってのは外部の権威とかね、そんなもんじゃないよと。違うよと。自分自身の人生っていうね、これが書物そのものなんだよと。
過去の記憶とか他社の教えとかじゃなくて、自分を観察し続けるっていうですね、この裏側に何があるんだ、この先には何があるんだと。これが真の学びだということなんですね。で、お次ですね。教育とは私のごく限られたエネルギーから精神を解放することなんだと。全面的な責任を引き受ける姿勢のことなんだと。
学校は生徒にとって我が家なんです。私たちの学校の目的とは人間の全体性を培うことです。この場所は人類が光明を得るために存在しているのですというふうに解いたんですね。教育はですね、狭い私のエネルギーを超えて心を自由にすること。
いろいろな個性が集まることによって自分というものですね。それを認識して、その中で自分というものを解放していくということなんですね。だから遠慮して誰かに会わせるとかそういうのは全く逆ですね。
学校は単なる知識のですね、教育は単なる知識の伝達じゃないと。教え子たちが自分の人生に対して全面的な責任感、自分が生きること、自分の体、自分の運命、自分の命に対して全面的な責任感を養う姿勢ですね。これ育むことなんだと。
だから学校は競争の場ではなくて安全で温かい家であって、安全領域ってことですね。そこから人類全体が目覚める可能性があるんだと。だから今のさ、日本教育でこの視点があるのかなというふうに思うわけですよね。なんか自由だとかさ、いろいろと言いながらもさ、本当にそう、個性なんか全然殺してるじゃんみたいなふうにも思ったりしますわね。
お次はですね、能力は欲望によって限定を受けます。欲望の影響を受けずに感覚が最高の機能を発揮することは可能でしょうか。精神はくつろいだ時にだけ学ぶことができます。生きるというね、生の過程は全てが学びの機会なんだよというふうに言ってますね。欲望が能力を歪めたりとか制限したりとかしちゃうんだということですね。
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純粋な感覚、感受性が最高に働くには欲望がですね、あると邪魔なんだと。で、学びは努力や緊張じゃなくて、くつろいだ静かな精神の中でしか起こらないんだと。だから欲望邪魔なの。リラックスした心がさ、まことの知性を開花させるんだということなんですね。人生はまたね、学校のようなもんじゃないわけですね。
だからあなたの毎日が学びの場なんだよと失敗喜び苦痛さえも知識の蓄積とかじゃなくてね、深い洞察を生むチャンスなんだと。従来の教育は知識編集ですね。知識を積み込むだけですけども、クリシュナムルティはですね、学校やってたんですよね。だからね、生きることを通じて学ぼうというふうにちゃんと説いてたんですね。
心体精神の統合というものを目指した教育をやってたんですね。だから彼のね、学校はね、固定観念から開放されて柔軟な精神を養うための教育をしてたんですね。なので競争ではなくてですね、協力とかあと探求ですね。
好奇心旺盛ですから子供はね、探求を重視するということで、これで成熟した人間が育つんだというふうに説いてますね。お次はですね、思考ですね。考えることはですね、搾取と破壊をもたらしますと。
英知の本質は感受性にあると。それはすなわち愛だと。知識をかき集めても英知には到達できないよ。物事を計る物差しを持たないとき、全体性の本質が現れるよと。思考は分断を生んで搾取や破壊を引き起こすと。一方英知は頭の知識ではなくて感受性そのもの、つまり愛だと。
知識の蓄積は英知には結びつくことがなくて、むしろ妨げになるということですね。比較だとか測定だとかっていうね、何かそういう物差しを持ちながら何か頭に何か詰め込んでいるところで何にもならないということなんですね。
それよりも愛なわけですから、感受性なわけですから、何かを感じ取ってですね、例えばですね、あの困っている人たちのために何かができないだろうかっていうふうになったときに、そこに英知っていうものがですね、愛というものが現れて英知というものがですね、降りてきたりとかっていうことなわけですよということですね。
次です。深刻に病んだ社会にうまく適応することは健康の尺度ではない。本物の欲求や思考を偽物から区別することはできるのでしょうかと、こういう問いかけをするんですね。これはあの現在社会が狂ってるってことを象徴してるわけですよ。我々は競争とか消費主義に満ちた世界に順応ね、適応することをさ、成功って皆してるけども、それは本当の健康とはほど遠い。
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ものなんだよということ言ってるんですね。むしろ社会の病んだ部分に疑問を投げかけてね、自分を内面から変革ね、ちゃんと覚醒してね、成長させていくということがまことの適応なんですよということですね。
これはだからね、外的基準ですね。要は外側ですね。多軸的な生き方は物差しではなくて、内的なもの、自分の内側にある明晰さをちゃんと求めろということなわけですよ。
この病んだ社会のさ、影響で人は本音とか本心に背いて偽りの仮面被ってね、その仮面を自分だっていうふうに認識しちゃってるわけですよ。仮面を通してさ、世界見てますから認知も歪められてるわけですよ。
だから誠実さっていうのは自分を欺かないで真実を見抜くことなんですね。自分に対して正直に、そして誠実になったときに仮面が外れて本来の自分の素顔が現れるわけですね。
で、洞察っていうのは表面的な知識や反射とか反応とかではないですね。瞬時の理解と判断力なんですね。これはやっぱりね、真実の領域、真実の自分ですね。本来の自分に戻らないとなかなか難しいと思いますね。
なぜかというとやっぱり原子能のバイパスが反射反応ですからね。反射反応の延長線上でダイナモを使うようなね、こういうバイパスになってしまいますので、結局瞬時の理解とか判断力っていうここに至るまでの、まずその前の階段みたいなのもあるかなというふうにも思うわけです。
こういったですね、教えはですね、現代混沌とした世界にね、疑問と光っていうのをですね、両方とも投げかけてくれるわけですよ。クリシュナブルティーの言葉っていうのは単なる哲学じゃなくてですね、ある意味生きる指針だなっていうふうにも感じるんですね。
だからね、内面的な自由、こういったものは本当に賢者の人たちはみんなこういうこと言うでしょ。僕もね、でもそう思いますよ、本当に。不幸中の幸いで僕はやからだったんですけどね。そんな中でもですね、自分はもう自分は自分として生きるんだ、みたいなことをですね、本当にクソがけの頃からですね、そんなことは一応思ってましたからね。
だから、結果としてあんまりその人のことを人に振り回されたりとか、人の顔色を伺って生きるとか、そういうことをしないで済んだ分ですね、まだマシだったかななんていうふうにも思ってたりするわけですよ。
何かあんまり合わせすぎることによって自分じゃなくなっちゃうななんていう経験もね、僕ももちろんありますからね。それをやっていくと絶対病むなっていうのもわかりましたしね。そういったもの尻目にですね、自分で自分を健康にしていくみたいなことを考えたとき、今日のですね、このクリシュナムルティーのですね、言葉なんか役に立つんじゃないかななんていうふうに思います。
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ということで本日も最後まで聞いていただき誠にありがとうございます。また明日お会いしましょう。それではバイバイ。
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