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#1618 三位一体
2026-06-07 06:18

#1618 三位一体

#1618 三位一体

我々には各々、「世界像」「世界観」「人生観」という三つの概念が存在します。

これらは自分の存在を支える基盤でありながら、その境界線は曖昧でもあり、でも全てがリンクして響き合っています。

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笑倍繁盛チャンネル、望月まもるです。本日もよろしくお願いします。
我々は各自、世界像と世界観、人生観、この3つの概念が存在しているのです。
これらは自分の存在を支える基盤です。
境界線が曖昧ですが、全てがリンクし合いながら、自分の中で存在しているのです。
まず、世界像というのは、物理学や自然科学などに基づきながら、
この世界をあるがままに描こう、確認しよう、受け入れようという姿勢のことです。
宇宙がいかにして誕生したのか、時間という概念がどのように流れているのか、
人類がいかになる段階を経て進化したのか、
自らの問いかけに対して検証可能な事実です。
こういったものを積み重ねながら、これまた自分の中に構築されるのが世界像です。
これは科学的な自然に基づいた客観的な姿とも言えましょう。
これは善悪の判断や意味の付与は含まれないです。
そこには事実と言われる姿が提示されているだけという感じです。
一方で世界観は、色がない世界像に対して認識や倫理など、
そういった色をつけたものです。
認識論は、我々が世界に関する知識をどのように獲得して、
いかにしてその正当性を根拠付けるかということです。
倫理は善悪や政府性の基準を提示して、
世界はどうあるべきかとか、人生の意味は何かとか、
この根源的な問いに導いてくれたりもします。
だから世界観は、特定の文化や政治的背景によって形作られやすいとも言えるわけです。
人が世界を解釈して批判して判断するための不可欠なツールとして機能するわけです。
哲学や心理学や社会学やフェミニズムなど、
これらの学問は個別に存在するのではなく、
それぞれが独自の世界観を構成していると捉えることで、
この辺も鮮明になってくるのかなと思います。
人生観というのは、広大で深遠な世界観を、
自分自身の内側に取り込んで個人化したものなんです。
常に自分の色を帯びているので、
自分という存在を通じて世界をどう見ているか、捉えているかという認知に直接するのです。
その認知もまた、どう生きていくか、どう生きるか、どう生きるべきか、
ここの指針につながってくるわけです。
中には独自の人生観というのを構築しないで、
社会的な一般論とか、みんなが言っているからとか、
そんなのをそのまま自分のものとするあり方を知っている人たちもいますが、
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本来人生観というのは個人の魂が世界と結ばれる最前線に位置すると感じるわけです。
脳科学的では人が捉える世界像は純粋に客観的な外の世界そのものではなくて、
おのおの脳というフィルターを通したシミュレーションの結果でしかないと言われているわけです。
我々が考えている以上に曖昧で見えづらくて、
実はとても流動的な感じなのかなというふうにも思うわけです。
確定しているものじゃないんだよね。
古来からはこの世の万物は孤立して存在する互いに共鳴し合っているというふうに考えられてきたわけですね。
遠い昔から目に見える物理的現象ですね、世界像ですね。
遠い目に見えない精神的価値、世界観ですね。
個人の性ですね、命ですね、人生観はお互いに共鳴し合っていたというふうにも思うわけですね。
実論主義では世界はもともと像も観点も意味も存在しない、ただあるだけだというふうに解かれるわけですね。
なので世界像、世界観、人生観などのこれらは枠組み自体が人間が不安を解消するために作り出した折りであるというふうな見方もあるんです。
自我だという見方もあるんですね。
しかしこの意味はないという認識もまた世界観になっちゃっちゃうんでね。
我々はどこからどう見てどのように捉えてもこの3つの繋がりから逃れられないのかなというふうに思うわけですよ。
この世界像、世界観、人生観という自然科学的なもの、認識論的なもの、個人的なものというこの3つの構造はですね、
お互いに緩やかに重複し合いながら我々の中で各々の一つの全体を形作っていると、
だからこそこの関連付け自体もまた一つの普遍的な真理、世界観というふうにも言えるのかなと思うわけですね。
だからこの3者の関係はね、僕はね上下階層とかっていうよりはむしろ3に1体に近いものかなと思ってるわけですね。
人の存在がやっぱり肉体とか心、肉体心魂、世界像としての物質、世界観としての認識、人生観としての本質っていうこの調和によって成り立つようにさ、
この世の法則もまたこの3つの要素がですね、響き合うことでですね、調和を保ってるんじゃないかなというふうに思うわけですよ。
今日のお話はね、こういうのを理解すること自体がもう目的じゃないです。
僕の目的ね。
これらの枠組みを何かどこかに置いとくと、今までの今日という景色がですね、自分に何かを問いかけてくるような哲学的な日々になりませんかと、
いつもの風景、見え方が変わるんじゃないですかというところでですね、朝っ端からこんなお話をさせていただきましたということで、
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難しかった?分かりづらかった?まあいいや。
また明日もお会いしましょうね。
最後まで聞いていただきありがとうございます。
それではバイバイ。
06:18

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