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商売繁盛チャンネル、望月まもるです。本日も、よろしくお願いします。
あなたには、名前を耳にするだけで、動機が激しくなるとか、ムカつくとか、イライラするとかね、
視界に入るだけで、神経が逆立つとか、こういう人いますかね。
どうですかね。顔を見るなりさ、無視してやるとかね、相手するもんかとかね、
心のシャッターをダーンと閉めてみたりとかね、あるいはね、その場から逃げ出したりとかね。
これらは一見ですね、自分を守るための正当な防衛本能のように思えるんですけども、
現代の神経科学の視点とかね、精神の側面からひも解くと、実は全く違うんですね。
今日は、その嫌な人こそがですね、自分の内側にある欠乏を埋めるためのお薬であったりとか、
成長のきっかけになる鏡であると、こういうお話ですので、
嫌な人を思い浮かべながら聞いてくださいということでですね。
まず、なぜ逃げたいのかなんですけどね。そいつだけさ、なんでそんな過剰な反応が起きるんだということなんだよね。
この時はね、我々の体内でいろんなことが起こっているんですよ。
これね、単なる性格の不一致だけではなくてですね、体がですね、過去の記憶から発する警報なんですね。
現代の神経科学で提唱されているのが、多迷走神経理論というのなんですけども、
それはですね、人の自律神経は階層構造が存在しているということですね。
まずですね、お腹側、腹側の迷走神経はですね、
社会的介入システム、安心管の中で他者とつながって成長を促す状態です。
2番目は交換神経ですね。これは逃走、逃走反応ですね。だから誰かと戦うか逃げるかですね。
イライラや攻撃、あるいは物理的に避ける、逃げるということを選ぶ状態ですね。
3番目は背中側ですね、の迷走神経ですね。
これシャットダウンですね。感情が麻痺するとか、無視するとか、乖離するとか、引きこもりを選んだりとか、
最も古い自分の防衛本能と言われてるんですね。この3つなんですね。多層的なんですね。
まず嫌な相手の言動がですね、自分の潜在意識に眠るかつての未解決な傷ですね。
これトラウマとか愛着の課題だとか色々とあるんですよ。出来事がまだ完結してないみたいなね。
インナーチャルとか色々とあるんですけども、こういうものを刺激されるんですね。
刺激された瞬間ですね、脳の返答体が緊急事態を宣言してアラートをペッペッペッと出しまくるわけですね。
すると理性的で論理的な自分というのは前頭前夜ですからね。
これがぷいっとすぐに脇に追いやられてですね、自立神経が瞬時にですね、
逃走、戦うか逃げるかとかね、シャットダウンするかとか切り替わっちゃうわけですよ。
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人が誰かを避けて感情的に逃げたくなるその衝動の正体っていうのは実は原始的な本能なんですね。
生き残るための本能が現在の人間関係において誤作動を起こしているだけなんですよ。
つまり原始脳の影響、脳のバグということなんですね。
お次なんですけども鏡ですね。
心理学ではですね、他者は自分の内面を映し出す鏡とされてるんですね。
これはもう何度も話しているユングさんですね。ユングは読ですね。
シャドウの概念というのは、我々が他者に対して抱く強烈な嫌悪感というのは、
かつての自分がこうしてはいけない、こうあってはならないと無意識の底に抑圧してきた、
本心、本音、理想などの投影である可能性も高いわけですね。
ここで実例としてはですね、他人に甘えてる人への強い苛立ちを持つ人っていうのは、
実はですね、自分の中にある助けてほしいとか甘えたいっていう欲求が抑圧されてるんですね。
例えばですね、親の面倒を見ていたとか、あるいは厳格に育てられたとか、
一人でいろいろとやらなきゃいけなかったとか、幼少期に早く自立せざるを得なかった場合は、
自能は自立イコール安全っていうふうに学習するんですよ。
すると、誰かに依存する人とか甘えてる人を見るとですね、自分の選択ですね、
自分は自立を選択してるわけですから、それを脅かす許されない存在っていうことで反応するわけですね。
ルールを守らない自由奔放な人への拒絶なんかは、自分の中にある創造性、クリエイティビティですね、
とか枠にとらわれない動きをする、行動するっていうことを自分で抑圧してしまった過去体験があるんですね。
これは社会的な規範や正しさっていうものを、外側の秩序を保つ、征服としてですね、ちゃんと来てきたんですよ。
なので、自由な人を秩序を乱す敵というふうにみなすわけですね。
ところが、それもですね、自分が本当は自由でいたいんだというかつての願いをですね、
あとこれまた過去にですね、何らかの理由ですね、例えば怒られるから処罰されるからとかね、怒られるとか罰を受けるとかね、
そういうことで自由でいたいのを我慢したり押し込めたり、それはなかったことにして無視してっていうことの裏返しなんですね。
本当は羨ましいんですよ。
あと感情をあらわにする人ですね、感情をちゃんと表現する人への嫌悪とかシャットダウンはですね、
自分の内側にある激しい情熱とか深い悲しみだとか、そういったものを犯される恐怖だとか安全性が欠如しちゃうということですね。
感情を出すことは危険だっていう認識をしちゃってるんですよ。
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特に相手に注意を払ってですね、その人の感情をですね、脳がですね、予測してビビっちゃったりとかしてるんですね。
相手の感情の激しさっていうのがですね、自分の中のインナーチャイルドですね、未処理の感情を刺激しちゃうんですよ。
そうすると背中側の迷走神経ですね、これ働いて無意識に無視とかフリーズだとか、あるいは交換神経が働いてですね、
無意識にですね、逃げようとしたり戦おうとしたり、それから後は固まってしまったりだとか無視しようとしたりだとか、そういうことを選んじゃうんですね。
これは決して相手が嫌いなわけじゃないんですよ。
その局面で自分がコントロールできない、自分コントロールできないじゃないですか。
いろいろとね、だからそういうことに対しての防衛としてですね、ここにあるんですね。
あと目立とうとする人とか自慢げな人へのね、この詐欺すみみたいなのも、本当は自分自身の価値を認められたいとか、輝きたいとか、こういう言動力を抑圧しちゃったんですね。
だからどこかでやっぱりその子として事故を確立する流れっていうのはですね、あるわけですよ。
そこで健全な自己主張というのは必要不可欠なんですね。
ところが目立つことは悪だとか、そういうステレオタイプをやっぱり信じ込んじゃう、そういう機会があったりなんかするとですね、自分の欲求隠したまんまそれを堂々と表現する人を詐欺すむっていうですね、
それをやることによって何とか自分の優位性を保とうとするわけですね。
あと自分をアピールする人にハロガタと言っても、これは自己価値の承認と存在の誇りを抑圧してますからね。
自分の中にある認められたいとか、自分は特別でありたいっていう純粋な欲求をですね、過度に抑圧して抑制したわけですね。
で、良くないものとして処理しちゃったわけですよ。
しちゃってるわけですよ。
これはだから幼少期に謙虚であれとかね、こういうの過剰に押し付けられて自分を出すと生意気だとかわがままだとか批判された経験も影響してるんですね。
こういうのはですね、脳が自己主張イコール集団から排除されるって学習しちゃってるんですね。
だから堂々と自分をアピールする人見ると防衛本能として強い怒りが湧いて相手を正そうとしちゃうね。
正すことでですね、自分の正当性を守ろうとするわけですよ。
あと見捨てられるのを恐れて逃げちゃう先にね。
これは相手から拒絶されるのを恐れてるようでいて、実は自分自身が自分の無力で傷つきやすい部分を自分で見捨ててるだけなんです。
嫌な気持ちをずっと心の奥底に閉じ込めてるだけなんですね。
幼少期から愛着形成の流れにおいてですね、できない、やりなさい、みたいなね。
なんか弱さを見せた時にですね、親や大人に受け入れられた経験が不足したのが原因なんですね。
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自立神経は人との深い関わりによる傷つく痛みを避けるため感情をシャットダウン、乖離させてですね、自ら関係を立つことですね。
これ以上傷つかないようにっていうですね、この偽りの安全を確保しようとするんですよというふうにですね、相手を拒絶することってのはですね、その鏡に映った見たくない自分を否定することなんですね。
私も大人になってですね、ある時期からですね、嫌な人とかね、苦手な人ムカつく人、これね、どんどんいなくなっていったんですよっていうのはですね、
これ鏡だなっていうことでですね、自分の内面に向けてですね、やっぱり自己対話したり価値観ですね、自分の価値観見直したりインナーチャルド解放したりだとか、こういうことをやっぱりやったからなんですよね。
やっぱり楽になるんですよね。
目の前の嫌な人っていうのは鏡なんですけども、その鏡をね、割ったとしても自分自身の姿っての変わらないわけじゃん。
相手を変えようとも場所を変えようともですね、自分の内面の課題が解決されない限りは、これ本当に人生っていうのはですね、ずっと同じドラマを何度も再演し続けるんですね。
再び演じるということですね。
これを心理学では強制反復っていうふうにも呼んでますね。
ここで視野を少し広げてみたいんですよね。
自愛、愛という世界から見た時にはですね、不快な経験っていうのを決してね、罰するためにでも嫌な気持ちにさせるためにいじわるっていうわけでもないんですよね。
むしろね、その逆だったりするわけですよ。
その嫌な人っていうのは本来ね、真実の自分を明らかにしようねって。
未解決の過去感情を統合しようね。
もう息苦しいなと思っている価値観を持ってたらそれを捨てようね。見直そうねっていうことをですね、促すために最高のタイミングで最適な人物がキャスティングされてるんですよね。
だからこの愛っていうのはですね、やっぱり単に優しく耳障りのいい言葉だけでもないんですね。
時には痛みを伴うほどの激しさとかで自分が目を逸らしているですね。
真実に見ろという感じで突きつけてくるわけですよ。
でもそれは苦しめるためだけではないんです。もうやめなさい。おしまいにしなさい。終えようよって。
もう繰り返すのやめようって。苦痛でしょ。そのループからもう解放してあげるからっていうことでですね、怒る。
精神的な統合に導くために怒ってるということですね。
一般的な心理学とかではね、誤診術とか有害な人から距離を置きなさいとか言われますけども、確かに物理的な安全を確保するのは最優先よ。
でもこの見分け方っていうのが大事なんですよ。それはね、物理的に離れることと感情的に逃げることは別物なんだということなんですね。
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感情的に逃げて自己正当化をしながら相手を悪いものとして切り捨てるであった場合は、これね一時的な安心はもたらしますけども、同時に自己成長の機会っていうのをですね、未来に先送りすることになっちゃうんですね。
心が育たないんです。これやってるとね。だから逆説的に言ったら、最も嫌な相手こそがね、自分の感情的な責任をクリアするための最高の教師になるわけですからね。
相手の中に自分を見出して、自分の神経系がなんでそれほどまでに波立つのかっていうのを冷静に観察したり、研究したり、分析したり、あとは感じる流れを得てですね、初めてかつての傷ついた神経系の傷は癒えていってですね、新しい自分になっていくわけですよ。
だから不快感の向こう側には必ず統合が待ってますからね。だからね、かつてを自分が押し込めた本心にさ、手を差し伸べてですね、恐れていた弱さに耳傾けてですね、抱きしめた時にですね、これまで自分を縛りつけてたサイクルは静かに終わっていくわけですよ。
だからね、目の前に現れて嫌な人だとかね、自分を傷つける敵じゃないですからね、本来の自分を取り戻すために神様が送ってくれた自分の潜在意識を映し出す鏡であり、統合のチャンスなんです。ということで本日も最後まで聞いていただき誠にありがとうございます。今日のあなたも嫌な人と遭遇しますように。ということでまた明日。バイバイ。