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笑倍繁盛チャンネル、望月まもるです。本日もよろしくお願いします。
1945年の終戦まで行きましたね。昨日はね、笑倍の歴史がですね、縄文時代からですね、昭和のね、終戦というところまで来たわけですけども、この時にはですね、
東京の下町も大阪の船場もですね、名古屋の商業地もですね、焼夷弾によって灰になったわけですよ。で、それまでずっと守り続けてた野蓮とかね、長房とかね、先祖代々の商売道具とかね、全部灰になったわけですよ。
でも、商売人たちはですね、その瓦礫の上に立ってですね、すぐに動き始めたんですね。
さて、何を売ろうかと。で、終戦の翌日からは当然、闇市がね、昨日も話しました闇市がですね、生まれたわけですね。
で、東京だと上野とか新宿とか池袋とかの駅周辺にですね、バラックの露店が並び始めるわけですね。
で、売ってるものは軍の横流し品だとか、新中軍のタバコ缶詰、それから農村から運び込まれた米野菜とかね、商品のすべてが、まあいわゆる規制外、統制外の違法取引というところだったんですね。
ところがですね、人々は闇市なしに生きられなかったんですよ。配給だけでカロリーが足りるわけないでしょって、そういう話だったんですね。
だから、闇市の食べ物を買えない人がですね、栄養失調で亡くなった時代のね、もうなんですよ、この時代ってのは。
だからこの闇市にはですね、大勢の人たちが集まって、その中にはですね、戦地から帰った福祉兵とかね、家を失った市民とか、職を失ったソラリーマンとか、大陸から引き上げた人とか、で、大勢の孤児ですよね。
その真ん中にはですね、じゃあこういうところに誰がいたかっていうと、結局ここで商売をやっていこうっていうね、そういう人たちがいたわけですね。
でね、闇市の商売っていうのは、やっぱり江戸の棒手振りに似てたんです。どこまでも泥臭く、どこまでも生々しくっていう感じですね。
資本とか店舗とか看板なくてもですね、あるのは商品。で、自分の体と声と勘だけですよ。さあさあさあさあ寄ってらっしゃいって。
こういう言葉がですね、焼き野原の日本にですね、再び響きを当たったわけですね。
ところがですね、この闇市には江戸の商売になかったものもあったんですね。それ何かと言うと、暴力なのよ。
この闇市の縄張り巡ってですね、不良集団とかチンピラとか暴力団が構想をね、すごかったですね。
商売代を払わなければね、商売できねえぞと払えなければ殴れるぞと。この商売と暴力が隣り合わせの時代でもあったんですね。
で、でもこういったね、混沌の中からですね、昭和を代表する本物の商売人が生まれたのも事実なんですね。
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後にソニーを創業する森田昭雄さん、井深茂さん、それからとホンダを起こすホンダ総一郎さん、パナソニックを再建する松下幸之助さんですね。
彼らは戦後の混乱期にですね、物を作って届けるっていう商売の本質を体現してたんですね。
松下幸之助さんはですね、商売とは感動を提供することであるっていうですね、こういう一言を残してますね。
私もですね、やっぱりこの時代を生きたですね、社長さんのですね、昔のですよ、企画書っていうのを見せてもらったことがあるんですね。
で、その方もお亡くなりになっているんですけども、その方が手元に残してたものはですね、どんな内容だったかというとですね、もうどこどこの軍なんですよ全部。
結局オメオメと生き残って、もう何とも情けないとこの生き残った我々がね、戦争の代わりにこの国を復興することしかできないじゃないかというところで、
そのどこの軍とどの軍と、もともと海軍だったあそこと陸軍だった我々と組んでこういうことをやろうみたいな、企画書にそういうことがバッチリ書いてあるんですよね。
で、その上でですね、実際にそれを実行してたという感じなんですね。
だから、森田さんと井深さんもそうですよね。海軍かなんかでつながりだったはずなんですね。
なのでそういったですね、やっぱ当時のその戦争っていうものが当然暗い影は落とすんです。
その中からですね、がっちり手を組みながら、これからの我が国よっていうですね、ここの部分が当時の日本の商売にはですね、根深くつながりながらね、やっていくっていう、こういう意思になってたなっていう感じなんですね。
1950年代になるとですね、朝鮮戦争特殊っていうのがですね、日本経済刺激して復興が加速してくるんですね。
だんだん景気が良くなっていくんですよ。だから商店街っていうのも急速に蘇ってですね、闇市がマーケットに整備されて、バラックが商店に変わって、再び商店街として形を整えてたんですね。
すごいのよ。やけの原から5年も経たないうちにね、人々は再びにぎわいを取り戻していったというふうにも言われてるんですね。
この時代の商店街にはですね、こういう空気感があったんですね。それはね、お互い様っていう精神性なんですね。戦争ですからみんなが同じように失っているわけだ。
だからお互いに助け合おうとするっていうですね、こういう姿勢なんですね。で、隣の店が困ってたらね、お客さん回したりだとか、自分の店が忙しい時は隣に手伝い頼んだりとか、なんかすべてお互い様なんですね。
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だからこうやって商店街全体がですね、一つの村のようになってたわけですね。で、このさ、お互い様なんですけどね、これ何かっつったら江戸のさ、長屋文化のね、再現でしょう?
長屋の中でさ、お互い様だよっつってね、酔い腰の金は持たない。
なんでっていうと、不安がないからよ。何かあった時にはお互い様に、だから年いってもさ、面倒を見てくれる人がそばにいてね、近所の人たちがみんなでさ、世話してくれるみたいな、そういう感じだったからですね。
だから日本人の商売の底にあるものってのはですね、奥底にあるものは共同体としての商売感っていうことですね。
これが戦後のやけの原の上で再び花を咲かせていったっていう感じなんですね。
まあでもそうは言ってもね、闇市の時代に根付いたのはですね、こんな感覚だけじゃないのよ。
大資本がドカーンと出てさ、全部根こそぎかされていくぞみたいな、そういう感覚だから今だけ金だけ自分だけの感覚ですね。
これは消えたわけではなくて、あとはですね、もともと詐欺っぽいとか、インチキやるみたいな、こういうのもですね、当然ゴタゴタの中で出てくるんですね。
だからこの復興の混乱に生じたものはですね、粗悪品が結構出てくるんですね。
その当時の粗悪品ね、戦後品って呼ばれてたんですって。質の低い商品がそんだけ溢れてた時代だったということですね。
売れれば何でもいいっていうですね、戦時中の統制された経済が生んだですね、ここの中で歪んだ商売感覚を持つ人も多くいた時代とも言えるわけですね。
でもですね、こういう人たちもいなくなるわけですぐね。
生き抜いた商売人、次の時代にちゃんとバトンを渡している商売人たちに共通点があるんですね。
これ何かと言うと、諦めなかったってやつですね。
だってそうでしょ、のれんが焼けてもさ、のれんの精神は焼けてないんですよ。
店が灰になってもさ、帳簿が灰になってもさ、自分がここで商売やってくっていう魂ね、着替えは灰にならないのよ。
だからまた始めればいいと、また始めるぞって。
仕事っていうのは始めることと書いて仕事とも読むよね、ここですよ。
こういう言葉をですね、どれだけ多くの商売人が口にして実行したかっていう、そういう時代でもあったわけですね。
だからこの戦争は積み上げてきたものを全て奪ったんですね。
でも削ぎ落とされて、奪われて、ちゃんと残ったものが商売の道の本質なんです。
本質っていうのは本当にシンプルなんですね。
建物や道具とか、消費や資本とか、全て失った後に残ったものは何なんだろうって。
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生きていくって、生きていかなければって。
それにはこの道、私にはこの商売しかないっていうですね、この商売人としての強い強い動機なんですね。
この動機を持って焼き野原に立った商売人たちが、この後でですね、日本の行動性経済成長の主役になってくるんですっていうことですね。
ということで今日のお話はですね、やっぱ戦後のゴタゴタですね、この辺のお話になりました。
嫌だよね、こんなのが起こるのはね。
本当に人間は僕は本当に愚かだなって、いつまで経っても愚かな生き物だなっていうふうに思います。
自分の正義っていうものと、自分が何が大切かっていうことは、正しいっていうことと大切ってことは違いますからね。
それすらもやっぱり考えられないとか、あとはあれだね、今だけ自分だけみたいな、自分さえ良ければっていう、その増長してしまったエゴですね。
ここらへんというのは、個人レベルでもですね、これを持ってる人っていうのは、どちらかというと、なんか変わらねえなお前、人間としてっていう、そちら側にやっぱなってちゃうのかなとも思うわけです。
ということでまた明日お会いしましょう。それではバイバイ。