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笑倍繁盛チャンネル、望月まもるです。本日もよろしくお願いします。
鈴木翔さんが、昨日話したね、職業即仏業を説いてからですね、約1世紀が経つんですね。江戸時代に入ってからもね。
商売は修行っていう概念もですね、江戸時代の中で静かに育っていくわけですよね。
その花をですね、さらに言葉として咲かせた人物、この方が石田倍願ですね。
梅岩と書くんですね。倍願先生ですね。この方は、1729年、京都の町人の子として生まれたんですね。
石田倍願はですね、御副将に奉公に行ったんですよ。長年働いた後ですね、心学、心の学びっていう学問を開いたんですね。
倍願が問いたことはですね、当時の常識を覆すものだったんですね。
商人の倍利は武士の6に同じと。商人が利益を得ることっていうのは、武士が主君から6をもらうのと同じく正当な行為だと。
こういうふうに言ったんですね。
ところがですね、これはですね、儲けていいよって。ただただ儲ければいいんだよみたいな、そういうことではないですね。
正直であること、謙虐であること、お客様に誠実であること、この3つを守った上での利益だけが本当の商人の6だというふうにですね、倍願は問いたんですね。
倍願が言ったことの中でですね、なかなか商売人の心に刺さったものがあってですね、実の商人は先も立ち、我も立つことを思うなりと。
本物の商人というのは相手も栄えて、自分も栄えることを考えるものだっていう、こういう意味なんですね。
これは大見商人の参法意思と結構同じ意味ですね。倍願はですね、自分だけが得をしようとね、自分に考える商売は長続きしないけど、相手の利益を先に考えた商売は信頼を積み重ねて長く続いていくよっていう哲学をね、これを信学とかでやっぱり言われてたことなんですね。
彼の中でですね、いいから集中してお客さんに徹底的に尽くせやって、尽くして尽くして尽くし切って残った利益っていうのはね、出てきた利益っていうのは、これはもう得なんだよと、素晴らしい良いことなんだよと、計算して残した利益っていうのは、それは悪だよって、こういう善悪ということで言ってたんですね。
これが面白いのはね、石田倍願さんはですね、大阪のですね、昨日お話しした、この水路が入り組んでてですね、もう天下の大どころっつってですね、いろんなものがぶわーっと集まってくる、そこのすぐ近くですよ、結構近くですよ、今で言うですね、大阪の中央区の本町ってとこなんですけども、そこでですね、この信学やってたんですね。
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だから目と鼻の先でさ、片屋町合いでね、利益ちょぼつけてさ、利益いくら出すかみたいな計算をしてた、発展してた商売人がいて、でも片屋そこの目と鼻の先でですね、そんなことやってる奴は悪なんだよって言ってたっていう、ここがなかなか面白いなというふうに思うわけなんですね。
でもね、このバエガンさんの信学っていうのはあっという間にね、庶民の間にも広まったんですね。難しい言葉を使わなかったんです。だから武士や学者のためじゃなくて、庁人とか商人のために語ったんですね。どうすれば正しく商売できるかとか、どうすれば心豊かに働けるかとかっていうですね、庁民たちの疑問に対して現場の言葉で答えたからなんですね。
で、この姿勢もまたですね、商人堂の体現だったんですね。個人的にはね、私はですね、この姿勢大好きなんですね。で、この頃になると江戸の町ではですね、別の花も咲くわけですよ。これはなんか、庁人文化というやつですね。元禄文化、家政文化、浮世絵、歌舞伎、落語、錦、着物の衣装とかね、これ文化ね、これ支えたのは誰かっていうと商人なんですよ。
この頃になってくると富を蓄えた商人たちが出てくるんですね。この人たちが文化の担い手ってなってですね、パトロンになってですね、時には自分も表現者になったんですね。
で、あと越後屋ですね。現三越、三越デパートですね。そこが五福屋だったんですよ。もともと五福祥だったんですけども、新しい販売方法としてですね、現金かけ値なしということを言うんですね。
これは今で言うお客様に小札、出てるね、価格、値段表で売るというですね、これ今では当たり前のことなんですけども、これはね、当時としては革命的なんですね。これなぜかというとですね、それまでの商売というのはお客さんごとにですね、値段交渉するかけ値っていうのが当然だったんですね。
だから人によって値段違う。平等にやってない。こいつから取れそうだなと思ったら、こいつ嫌いだなと思ったらちょっと高めに言っちゃうみたいな。そういうことをやってたんですね。ところがこの小札で売るというのは越後屋さんは誰に対しても同等の価格で売るよという宣言なんですね。
これは単なる売り方の手法じゃなくて、お客様を平等に扱う、誠実な価格で販売するよというですね、承認度の実践なんですね。ここまでも何度も話してきましたけどね、道によって商売は成立、反映してきましたね。
だから今日も山道と街道の話というのをしますけども、江戸時代の後期になるとお伊勢参りはですね、もうね、空前の規模になるんですね。このええじゃないかええじゃないかと呼ばれる熱狂の中ですね、数百万人が一斉に伊勢を目指したと。こういう記録もあるんですね。
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東海道とか伊勢海道を沿いのね、商人たちはですね、この人の波をどう迎えるんだって言ってね。だから旅人が喜ぶ梅物作ったりとか疲れて身体を癒すための宿を整えたりとか、土産として持ち帰れるような品を考えたりとか、もう大忙しだったわけですね。
なぜかと言うとね、お伊勢参りというのは一生に一度行ければラッキーっていう、そういう時代ですからね。来てくれた人に最高のものをっていうですね、この商売人の心がですね、各地の名物産業というのを生んでですね、地域の商売の文化を育てていったわけですね。神様への道がですね、地域の商売の魂、心をですね、育てたとも言えるわけですよ。
これもまたね、縄文やゆうの時代からね、ずっと続くね、日本の商売の本質だなと思うわけですね。日本の商売人はね、やっぱり利益だけのために商売してきたんじゃなくて、人の役に立つため、貢献するため、誠実であるため、社会豊かにするためとか、そういうために商売をして、その結果として利益がついてきたわけですよ。
神様は仏様のお客様からのですね、ご褒美として売り上げとか利益を頂戴できてたということなんですね。渋沢栄一さんはですね、論語と三番は一致するものであると、道徳と経済は相反するものじゃなくて本来一体のものだよというね、こういう言葉を言ったわけですね。
この言葉はやっぱり、先ほども言いましたけど、長門江戸、何千年もかけて磨かれたさ、日本の商売の本質が明治という新しい時代で表現されているのかなというふうにも思うわけですよ。
三方よしとか職業、植物業とか、実の商人は先も立ち我も立つとか、こういったものはですね、いく度往復なんですよね。商売は自分のためにするものだけじゃないんです。でも自分を大切にしない商売っていうのも続かないんです。
売り手が豊かで、買い手も豊かで、世間も豊かでっていうね、この3つが揃った時商売は道になるということですね。だいたい景気っていうのはですね、気ってあるでしょ。自分たちの気が上がってる時は景気が良いですよ。下がってると景気が悪くなるんですよ。
少なくとも商売人というのはですね、お金という血液をね、この日本国中に回す役割があるわけですね。ハブなんですね。だからこそですね、ここが景気悪い顔してダメなんですよ。景気良くしていくにはどうしたらいいんだ。やっていかないとダメなんですよ。ここがすごくこの分かれ道になってくるなっていうふうに僕は思ってるんですよね。
それにはまず自分の心とか体、体力が豊かであって、時間もちゃんと余裕があってっていう状態をまずちゃんと作らなくちゃいけないですからね。ここら辺も全部ひっくるめながらですね、やっぱ先人たちの思いというのを今の商売にバツンとぶち込んでいこうじゃないですか。ということで本日も最後まで聞いていただき誠にありがとうございます。また明日お会いしましょう。それではバイバイ。