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笑倍繁盛チャンネル、望月まもるです。本日もよろしくお願いします。
大正時代から昭和に移行するとですね、この商売っていうのはですね、どんどん変わっていくんですね。
財閥とか百貨店がですね、市場の上層、上の方を支配する中ですね、
庶民の商売っていうのは、今度ね、別の形で花を咲かせていったんですね。
これ何かと言うと、商店街の誕生なんですね。
この商店街の原型っていうのは、江戸の門前町だとかね、宿場町だとか、この辺にね、あったんですね。
しかしですね、昭和初期になると、都市部への人口集中ね、
それと共にですね、新しい形の商店街っていうのが各地に生まれていくんですよ。
八百屋さん、魚屋さん、肉屋さん、豆腐屋さん、お菓子屋さん、薬屋さん、
洋品店、床屋、あらゆるお店がさ、日本の道沿いに専門店がね、肩を寄せ合って並ぶわけですね。
これはさ、江戸の商売文化がですね、近代の都市に再現された姿っていうですね、
昭和流でですね、再現されたっていう、そういう姿でもあったわけですね。
でね、商店街にはですね、百貨店にないものがあったんですね。
これ何かと言うと、同じ地域の同居人同士だということですね。
で、専門家であったということですね。人だったということですね。
この八百屋さんの親父さんとかね、魚屋のお上さんとかね、柏のおじいさんとかね、
娘さんがさ、お店を手伝えばお客さんが増えるからね、看板娘っていう言葉も生まれましたね。
買い物や商品を手に入れる行為であると同時にですね、
あの人に会いに行くとか、あの人に聞いてみようとか、そういう目的もあったということなんです。
今日のサンマン安いよとかね、あらぼっちゃん大きくなったねとかね、
おばあちゃんの具合どうだいとかね。
この商売の言葉と生活の言葉っていうのが同じ場所でですね、
交わっていたのが商店街っていう空間の独特の特殊な価値だったんですね。
で、この時代にもですね、今だけ金だけ自分だけの商売っていうのは確実に増えてたわけですよ。
昭和初期の不況なんかね、特に1929年世界恐慌の影響っていうのはですね、日本の商売直撃したわけですね。
農村では米が売れなくてさ、都市ではね、失業者にあふれて生き残るためならばって切迫した空気の中でですね、
粗悪品の販売とか、詐欺、間買いの商売とか、弱者からの搾取っていうのがですね、横行したらしいんです。
この飢えた人間が倫理より生存を選ぶっていうのはある意味で自然なことなんですよね。
でもこの自然っていうのが商売の品格をですね、確実に下げていったわけですね。
人はピンチの時にさ、根性が出るっていうふうに言うからね。
で、おまけに1937年にはですね、ついに日中戦争が起こるわけですね。
それで商売の歴史における最大の断絶が訪れるわけですね。
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これは統制経済の始まりなんですね。
で、統制経済ってなんだって思うでしょ。
政府は国家相当委員法っていうのを発令したんですね。
物資の生産から流通までのすべてを国家の管理下に置くと、自由な商売ができなくなったんですよ。
どう思いますか。
何を売るかとか、どこに売るかだとか、価格とかも政府が決めるんよ。
で、しかも高級御服店とか宝石店とか金属商とかは贅沢が的だっつってね、こういう標語のもとですね。
金のおり物、指輪、時計とかの高級品は売ることも作ることもできなくなったんですね。
で、金とかさ、金属とかは国にね、教室ですよ、改修ですよ、没収されたんですね。
で、おもちゃ屋とか人形屋さん、人形店は金属、ゴム、木材っていった資材がすべて群集に回されたから、子供向けのおもちゃを作る材料がなくなって、街のおもちゃ屋さんはのきなみ閉店したんですね。
当然、寮邸、高級レストラン、カフェ、お酒とか食材の制限があって、さらには営業時間の短縮とか廃止っていってですね、華やかな夜の街の商売は事実上壊滅したんですね。
で、米屋とか酒屋とか屋をやって、この小売店はじゃあ大丈夫そうに見えるじゃない。
でも、それまでは近所に何軒もあった個人商店がですね、一地区に店舗って強制的に投稿されたんです。
で、政府の配給所に変えられちゃったんですよ。
店主たちは自分の意思で仕入れるとか価格決めるだとかもできなくてですね、ただ配給物資を住民に渡すだけの係員みたいな感じになっちゃったんです。
どう思いますかね。横暴すぎるでしょ。
でもこれに逆らうと、非国民って言ってさ、ショッピカレてね、拷問にあってさ、家族も酷い目に遭うみたいな、そういう、まあ、横暴なんですよ、本当に。
江戸から明治ね、大諸都何百年もかけて育んできたさ、商売人の自由さとかさ、知恵とかがさ、こうやって奪われたわけですね。
で、商店街の店主たちはね、そもそも売るものがなくなったんです。
で、配給制度の下でですね、米とか砂糖とかね、衣類だとかをね、配給切符でしか手に入らないからね。
で、八百屋に野菜が入らなくて、魚屋に魚がなくて、柏に砂糖足りないんだから、商売人でありながら商売できないですよ。
だから、野蓮を守りたくても守るものがなくなっていくっていう、この喪失感はですね、空襲で店が焼けた時とね、同じぐらいだったんじゃないか、あるいはね、ちょっと異質だからね、それ以上のものがあったんじゃないかなっていうふうにも思っちゃうわけですよね。
で、でも、ここでもですね、あの、やっぱり消えないんですね。
商売っても消えないんですよ。これどうやって残ったかというと、闇市。闇市という形でですね、残るわけですね。
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国家の統制が逃れてですね、配給では手に入らない物資がですね、闇で取引されるんですよ。こういうね、市場がですね、生まれるんですね。
これ違法ですよ。違法ですけども、人々がこの闇市なしに生きられなかったってことなんですね。
だから闇市の商人たちは決して道徳的に考えたら、倫理的に考えたら称えられる存在ではないよ。ないけども、商売人の必要なものを必要に届けるっていう目的っていうのは、これは確実に果たしてたということなんですね。
でね、あと1945年の8月15日の終戦ですね。
ここもそうだね。戦争ね。日本の商売はこれで文字通りゼロになるんですよ。都市の商店街はやけの原になって、物資は極度に不足して、お金の価値も怪しいと、全部巻き上げられると、こういうことをやられてたわけだ。
ところがそのやけの原にもさ、翌日からね、屋台が出たんですよ。
だからこれは関東大震災の時と同じ光景をね、日本の商売人の生命力というのはですね、戦争にも焼夷弾にも負けなかったんです。
やけの原に建ったボロボロのお店はですね、生きる生き抜いてやるっていうですね、象徴だったんですよ。
またね、このおっさんの中でもですね、とっても誠実な商売人いたっていうふうに言われてます。
廃墟の中でもお客さんに正直だったとか、闇市の混乱の中でも両親的な値段守った人だとか、親なくした子供の面倒を見た露店商だとか、彼らの名前は歴史には残ってないですよね。
ところがね、こういうのを語り継ぐ人たちがどんどんどんどんいなくなっちゃったんですけども、
やっぱね、各地域地域のね、おじいちゃんおばあちゃんたちの記憶の中にはですね、残ってたりなんかするんですね。
平常時に綺麗でさ、ご大層な理念を語るね、商売人って大勢いるじゃない。
でもね、私を含めてですよ。私を含めてこういう状況になった時に、彼らのように具現化体現化できる人っていうのはどのぐらいいるのかなというふうにも思うわけです。
だからどんな時代も人の心を動かし続けてですね、やっぱり次にちゃんとバトンを渡せるのはですね、自分の良心、良い心をですね、裏切らない商売人なんだなっていうふうに感じるわけです。
ということで、本日も最後まで聞いていただき誠にありがとうございました。
明日からですね、昭和の戦争以降の復興ということになってきます。
ということでまた明日お会いしましょう。それではバイバイ。