変化に気づく
はーい、おはようございまーす。
市中生命ライフコーチの最強のパートナーはなです。
今日も頭に浮かんできたことをお伝えする、降臨ラジオを始めていきたいと思います。
よろしくお願いします。
今日も化粧水パックをつけながら、ストレッチしながら、ラジオを撮ろうかなと思って、収録ボタンを押しました。
何から話そうかな。
ここ最近、目まぐるしくいろんな変化が起きてまして、自分の中で。
いつも、私のマイコーチに提出している修法というものがあるんですけど、そこに内精が追いつかないぐらいになってきてて。
書きたいことは山ほどあって、どんどん浮かぶんですけど、日に日にどんどん浮かぶのが、日に日に日に日にアップデートされすぎてて。
毎日毎日修法を書く時間も取れなくなってきているというか。
まとめて時間をまとめて修法書こうと思っているのに、まとまった時間が確保できていなかったりとか。
まとまった時間で別のことをしている。それこそストレッチしてたりとか、部屋の掃除してたりとか、そういうふうになってしまっていて。
日に日にアップデートされていっているんだけれど、それを書き記す時間が持てていないみたいな。
今までだったら絶対持ててたんですけどね。
何よりも優先して、結構内政を優先していたというか、修法を書くということは私にとってジャーナリングみたいな感じなので、すごい大事なことではあったんですけど。
なんだろうな、体が動いてほしいんでしょうね、きっと。
私が内政するときって結構同じ体勢でじーっとしながら、それこそ週末の寝起きのベッドの中で3、4時間ずっと内政しながら修法書くっていうのが結構当たり前のルーティーンだったんですけど。
この前の週末とかは寝起きで3、4時間かけてノートを書いてたりとか。
アウトプットしようとしているのかな。ちょっとわかんないんですけど、今までと違う感じの流れがあるなと思ってまして。
そんな中、席が戻ってないな。
そんな中ですが、ちょっとストレッチしながら、何がそうなったんだろうっていうのを振り返りながらちょっと喋ってみようかなと思うんですけど。
息子のダンス発表会
一番大きかったのは、たぶん息子のダンスの発表会だった気がしますね。
この前、10月の初めぐらいに息子の大きなダンスの発表会があったんですよね。
それこそ大きなホールで120人ぐらいいるのかな、生徒さん。
それぐらいいらっしゃるダンスの発表会。本当その経営されているスタジオさんの生徒さんだけが発表するっていうところなんですけど、県外の方から
ゲストのアーティストの方、プロのダンサーの方がいらっしゃったりとか。
司会の方ですね、司会業をされている方、プロで全国で司会業されているような方をお呼びして、
このMCですかね、それをされてたりとか、もうむちゃくちゃでかいイベントだったんですよね。
まさかそんな大きなイベントとは思わずにもともとダンスのところに入ったんですけど。
その中で、いつもわりと旦那さんと行動するんですけど、息子のダンスの場合リハーサルがあったりとか、
当日も発表会自体は午後からだけれど、午前中は最終リハがあってとか、その他照明打ち合わせとか、
そういうのがいろいろあって、旦那さんと動くというより、私が単独で動いて息子を会場に連れて行ってとか、
そういう感じが多かったんですよね。その流れで当日も指定席じゃなく自由席だったので、
私の方が早く着いてたこともあって、ダンスの発表会自体も、
私と旦那が別々の時間に集合して、別々の場所で見て、それぞれ別々に帰るっていう、
同じ発表会を見てるんですけど、その場を共感する感じじゃなかったっていう状態だったんですよね。
なので、私は最初から最後まで、ダンスのイベントをたった一人で楽しみ、
終わった後、連絡したりとかして、そしたらもう帰ってるよって言うから、じゃあ帰るね、みたいな感じになったんですけど。
そんな中で、その発表会見てる時に、
何だろうな、今すぐ隣にいるわけじゃない旦那のことを考えていたというか、
違うな、旦那のことを考えていたのではなく、今目の前に見ていて自分が感じた感想に対して、
私はこう思ったけど旦那だったらこう思うだろうから、こう思った方がいいのか、みたいな発想になったんですよね。
パッと見て、わーすごいと思って、でも私はわーすごいと思ったけど、旦那だったらこう思っただろうなとか、
旦那がこう思ったってことは世間一般の人はこういうふうに思うんだろうなとか、そういうのが無意識レベルで出てきたんですよね。
出てきたことに自分でも驚いて、今いないのに、今すぐ隣に旦那がいて、すぐ話を共感するとかであればまだわかるんですけど、
今隣にいないし、しかも来てるか来てないかもわからないような状況で、
今目の前のその状況を自分一人だけで楽しめばよかったものっていう、私だけの空間に旦那の思想がだいぶ入ってたんだなっていうことに気づいたんですよね。
自己の意思を尊重する
そこに気づけたのが私の中ではすごい大きくて、
それこそ18ぐらいからずっと一緒にいるので、
何をするにも、自分の意思で決めて自分で行動してきましたというより、
自分の意思で考えたことを旦那に相談して、旦那の意見を聞いて、
世間一般の意見も聞いて、なるほど、なるほど、そっかと思って判断してきたみたいなことが結構多かったんですよね、今まで。
多かったというか、多かったと思い込んでたんですよね。
実際はさらにアップデートして、
そういう面もあるけれど、結局自分で考えて自分で決めて自分でやっちゃってるなみたいなところもあったりするので、
一概にそうじゃないなっていう解像度も上がってはきたんですけど、
何て言うんですかね、良くも悪くも一緒に価値観を作ってきた夫婦ではあるので、
それがあったからこそ共存してこれたっていうのはあるんですけど、
一体化しすぎていたみたいな感じで、
全然ストレッチしてなかった。
ストレッチしながら喋るって言いながら喋るのにもちろんなってストレッチしてなかった。
そうなんですよね。
なので、なんか私がいいって思ったなら、それでいいじゃんって思えるようになったんですよね。
何事に対しても、その息子のダンスの発表会をきっかけに。
その発表会の中で、たまたま同じクラスのお母さんがいらっしゃって、
その方と話せたのも結構大きくて、今まで見たこともなくて、会ったこともないし話したこともない人だったんですけど、
むっちゃ道迷われてて、楽屋まですごいややこしいんですよね、舞台裏って。
むっちゃ道迷ってて、むっちゃパニックになってたんで、
私分かりますよって言って、一緒について行って、そこから仲良くなって、話すればするほどすごい状況が似てて、環境が。
家庭環境とか、住んでる場所とか、いつからダンス始めたとか、結構共通点が多くて、むっちゃ面白かったんですよね。
ずっと喋ってて、お互い人見知りっていう話から、私もそうなんですみたいなところから、
人見知りの人って人見知り同士だと、むっちゃ盛り上がる説ありますよね。
ずっと、空気に入れなくてわかるみたいな話をね、ずっと喋ってましたね。
前日のリハーサルの時もそんな感じだったし、当日も一緒に過ごして、
結局お互い家族は後から来るっていう感じだったので、
じゃあもう昼ご飯も一緒に食べましょうかみたいな空気になって、
初めて会った人と一緒にご飯を食べて、いろんな話をして、
もともとママ友みたいな存在ってすごい苦手な方なんですけど、
相手の方も同じような感じだったので、そこもまた共通点で、
すごい楽しかったんですよね。
その時に、何て言うんですかね、
昔からコミュニケーション能力がそんなに高くないと思っていて、私自身は。
旦那さんはすごいコミュニケーション能力が高いし、
七夕睡眠の持ってる発志的にも、どんな風に動いたら誰が困ってとか、
どんな風に動いたら誰が喜んでとか、そういうのが見えちゃうタイプの方なんですよね。
なので、与渡り上手というか、それでいて、
自分の感情によりも、今どういう言葉を伝えたらどういうふうに巡って、
結果的に自分のプラスになるというか、
自分も嬉しいし、みんなも嬉しいし、みたいなことを結構簡単にできちゃう方なので、
私はどちらかというと目の前しか見えていない。
それこそ半径2、3メートルですよね。
それぐらいしか見えてなくて、それぐらいのことしか考えてなくて、
今っていうところにすごい集中しちゃうから、
今楽しいかどうかとか、今つらいかどうかとか、
今のつらいのを乗り越えた先にいいことがあるかもしれなくても、
今のつらさに耐えれないと体が壊れちゃうとか、そういうタイプなんですよね。
なので、自分の判断力に自信がないというか、
私がいいと思ってやったことって、
結果的に旦那さんの視点で見るとプラスじゃなかったみたいな、
というか旦那さんの言う通りにしてた方が結果的にプラスだったな、みたいな経験が
感情と判断の重要性
すごい多かったせいもあって、
自分だけで決めて生きるのが難しいと思っていたような感じな気がしていて、
そんな中で出会ったママ友さん、ママ友さんというか、
ダンスの仲間ですよね、ほんと。
同じダンスの子供を送り迎えする母という立場であり、
輪の中に入るのが怖い仲間みたいな感じだったんですけど、
その方と話せて、その方ずっと喋ってて、
私も人の話聞くのすごい好きなので、
めっちゃおもろいなこのお母さんと思いながら、
めっちゃおもろいっすねみたいな話をずっと二人でしてたんですよね。
その時に自分の判断力というか、
自分一人で動いてたとしてもこういうふうな出会いはあるんだなとか、
旦那の意見を聞かずに自分で判断してもいいんじゃないかというか、
それはそれでいい結果が待っているというか、
そんな感じがして、
自分のやりたいことは自分で決めていこうみたいな、
まだ抜け切ってないんですけど、
旦那さんの影響力というのは。
もちろん旦那さんが言うことの方が正しいというか、
めぐりめぐってみんなが幸せになる方向になったりするので、
一概に旦那の意見は無視して、
私は自分の意見だけで生きていくんだとも言えない部分があるんですけど、
家族でチームで生きているわけなので、
単独行動しちゃうとみんなで生きるのは難しかったりするというか、
そういう発想もあるので、
まだ100%私は自分でやりたいことを全部やっていくぞって
言い切れない部分はあるんですよね。
あるんだけれど、
でも自分の感動することとか、
ワクワクすることとか、
これめっちゃ楽しいとか、
これ絶対したいとか、
これやらせてあげたいとか、
そういう感情は大事にしてあげたいなと、
思ったんですよね。
芸術と表現の楽しさ
それこそ息子のダンスとか、
ダンスってやっぱすごくって、
私もフラメンコとかするようになって、
初めて思うようになったんですけど、
ダンスがすごいというか、
あれですよね、ダンスに限らずですけど、
発表会とかイベントとか、
人前で何かを披露するというか、
ステージに立つとか、
それってその人だけの努力じゃなくて、
その人を照らす照明さんとか音響さんとか、
舞台袖の皆様の努力だったりとか、
めちゃくちゃタイミングよくバチバチに合わせて、
ライトの照明とかにも携わったんですけど、
照明合わせとかにも、
携わったじゃないな、照明合わせをただ見てただけなので、
照明合わせの打ち合わせを見てただけなんですけど、
なんかその時も、
照明のスポットライトの大きさっていうのを
もっと狭めれますかとか、
もうちょっと右側にやれますかとか、
同じ白なんだけど、
同じ白なんだけど、
もうちょっと明るい白できますかとか、
同じ白じゃんと思いながら見てたんですけど、
白も200色あるっていうからね、
そんな感じだったので、
いや、すげえなと思って、
その、なんていうんですかね、
芸術の世界というか、
芸術の世界っていうとすごい、
こう、なんだろうな、
すごくちっぽけな感じ、
なんかすごい浅はかな感じがするけれど、
本当なんかダンスとか音楽とか、
何かイベントを作るとか、
それで人を感動させるとか、
どういう風な話に持っていったら
人が感動するかなとか、
MCの方もやっぱすごくて、
どういう声のトーンで喋ったら
人が感動するかとか、
どこでBGMを流すかとか、
その時にどういう声のトーンで話すかとか、
そういうの多分すごい考えてらっしゃって
パフォーマンスされてるんですよね。
いや、すげえなと思って、
超楽しいと思って、これ。
もうなんかもっと本物を見ていきたいなとか、
思ったし、もっといろんなイベントとか、
パフォーマンスされる方、
パフォーマーの方ですよね、
のことをもっと味わいたいなとか、
もっと感じたいなとか、
そういうものにお金と時間をどんどんかけていきたいし、
子どもたちにもそういうのを伝えていきたいというか、
それこそ実際にやることを楽しむとか、
息子の場合はダンスで、
娘は昔ピアノの発表会、
ピアノしてて、
今は人前に出るっていうのは恥ずかしいっていうような感じでもあるんですけど、
この前聞いたら、
なんかそういうイベントは結構好きなんよねって言ってて、
昔の発表会とかも結構好きだったみたいなこと言ってて、
確かに肝が育ってたんですよね、娘。
発表会、ピアノの発表会、
私時間間違えてギリギリに行ったことがあって、
もう着いた瞬間、
もう次出番ですみたいな時があったんですけど、
3歳ぐらいの時だったかな、
全然堂々と弾いてて、
先生もびっくりしてて、
全然緊張せずにすごい弾けてたねみたいなことを、
しかも練習の中でも失敗してたようなところも、
全然本番では弾けてて、
本番強いんだねみたいなことを先生言ってくれてたんですけど、
後でピアノの先生にはむっちゃ怒られたんですけど、
お母さんもっと早く来てくださいって、
すごい怒られて、
私はトランプなんですけどね、その先生。
娘の中では、
そういう経験があったせいか、
この舞台に立つっていうのは、
今も好きみたいなことを言ってて、
また将来ね、
恥ずかしいよっていう時期を越えたら、
人前で何かするとか、
舞台に立つ、触るようなことをしてくれたら
面白いだろうなと思ったりはしてるんですけど、
表現ですよね、ほんと。
私の持っている市中水明の星に、
表現の星が2つあるんですけど、
そういうのを今まで
結構封印してたなと思って、
そういうのって趣味の一環だみたいなイメージが
どうしても強いので、
そういうのを今まで
結構封印してたなと思って、
そういうのって趣味の一環だみたいなイメージが
どうしても強いので、
それよりもお仕事しなきゃなとか、
太もものストレッチばっかりしてたから。
仕事のためにならないからとか、
趣味だからとか、
遊んでばっかりいけないとか、
そういうふうに思って、
自分の大事にしたいものを
無限にしてたなと思って、
そういうのを大事にしていいんだよっていうのを
自分に言い聞かせられるようになってきたというか。
家庭内の調和
そうなってきてから、
良くも悪くも
いろんなことを手放せるようになってきたんですよね。
それは旦那の意見だなとか、
これは私が大事にしたいものだなとか、
これはかっこいいものだなとか、
これは家族にとって大事だよなとか、
そこの境界線が、
前まで本当に白黒両極端みたいな感じだったのが、
旦那がいいって言うからOKで、
旦那がダメって言うからNGで、
みたいな感じの判断だったのが、
もっとグレーゾーンがたくさん増えてきたというか、
そんな感じがしています。
長いですからね、
一緒にいた時期がね、
なかなか抜け切れないとは思うし、
大事なものもたくさんあるので、
何が大事で、
何が大事じゃなくてとか、
そういうのもあるし、
しかもそういう時ってやっぱりぶつかるので、
ぶつかった時に、
めんどくさいんですよね。
旦那とぶつかるのはめんどくさい。
めんどくさい。
大事なことなんですよ。
大事なことではって、
今までずっとぶつかってきて、
いろいろやってきたので、
すごい大事だし、
理解されたいという気持ちを持っていて、
すごい大事だし、
理解されたいという気持ちも強いし、
理解してあげたいという気持ちも強いんですけど、
何せ向こうがエネルギーが強すぎるので、
絶対負けるんですよね。
私負けず嫌いだから、
くそーと思って。
その感情の処理に時間がかかったりするから、
どんなふうに伝えたら、
こいつに勝てるんだみたいな感じの発想になっちゃうので、
全然いい例ではないんですけど、
お礼は正しいみたいな感じの、
なんていうんですか、
持っている星が全部強すぎるので仕方ないんですけど、
そんな人を、
自分の気持ちを大事にする
なんていうんですかね、
言いくるめたいんですよね。
何の目標だって感じですけど、
言いくるめたいような気持ちはあって、
でも結局なんだかんだで向こうの方が賢いから、
うまく言いくるめられる感じがあって、
言いくるめられるか、
私がもうちょっと面倒くさくなって、
どうでもよくなって、
話を変えるみたいな感じになりがちなんですけど、
何の話だったっけ、
何の話からこんな話になったんだっけ、
とりあえず、
今まで以上に、
自分の気持ちとか、
自分の感情とか、
そういうのを大事にできるようになってきました。
でも旦那さんのすごいところって、
すごいこっちでは、
きついこと言ったり、
悪いこと言ったり、
それこそ人をバカにして防げ犬吐いたりみたいなことあるんですけど、
口は悪いんですけど、
一番家族のこと考えてるんですよね。
やってることと言ってることが全然違うというか、
逆の意味で、
口だけ言うだけ言って動いてない人とかもいるじゃないですか、
その逆なんですよね。
口ではボロクソ言って、
むっちゃろくでもないような旦那のような、
発言をするくせに、
ちゃんと動いてるんですよね。
それこそ、
言ってもわかんないだろうみたいなレベルで、
でも旦那さんが見えてる世界の中では絶対に必要だっていうものを
ちゃんと守ってたりとか、
それこそ私は半径2、3メートル以内のところで物事を考えてるけど、
旦那さんの場合はそれよりさらに向こうを見据えた状態で、
今嫌だったとしても将来的には絶対こういう風な未来があるから、
今目先の嫌だよっていう感情にとらわれないというか、
そういうところは本当にすごいなと思うんですよね。
できないけどね、私は。
真似しないけど。
真似できないけど。
なのでそういうところ、そういう意味でもすごいなと思うんですよね。
尊敬はしてるけれど、
でも負けず嫌いなんで悔しいですよね。
悔しいという感情はあるから、
もっと私は自分のことを大事にしながら、
もうちょっと上手いこと、パートナーシップを。
今までは本当我慢するっていう形でパートナーシップを築いてきたけれど、
我慢してるふりして実はしてないよみたいなことをしたいな、
なんて思ってます。
上手いことやっていけたらなと思います。
26分も喋ってしまった。
というわけで、
いい意味で、
いろんなことを手放し始めている時期だなって思っています。
何がっていうのは、
またノートにでも書こうかなと思いますが。
なんか手放すのってすごい怖いんですけど、
一回手放し始めると、
これもいらないわ、あれもいらないわっていう風になってくるので、
まだまだ私はその序盤というか、
まだまだ全然手放しが足りない人ではあるので、
もっといろんなことを手放すことで見えていく世界があるだろうな、
なんて思ってるんですけど。
まずは旦那さんと、
何て言うんですか、
あれ、ガッチャンコすること。
一喜一憂じゃなくて、
合体じゃなくて、
分かんないや、分かんないけど、
一体化みたいなことからはちょっと離れてみようかなって思います。
それでも全然共存はできると思っているので、
あなたはあなたでそれでいいし、
私は私でこれでいいし、
それでいて共存する方法。
譲れない部分は家族として経営していく上で、
譲れない部分っていうのはどうしても出てくると思うので、
でも子どもの成長とか、
感情を大事にするとか、
そういうところで譲れない部分っていうのもあると思うので、
そう思うと、
お互いの譲れない部分がいい感じに融合したら、
きっと子どもたちにはいい影響を与えるんだろうなとか、
そういうふうに思ったりもするので、
もっと怖がらない、
もっと我慢しない、
もっと自分のことを大事にしていく、
なんかそういったことを、
ここ最近のテーマにしようかななんて思います。
最後まで聞いていただけた方いらっしゃいましたら、
いいねボタンすごく励みになりますので、
ぜひよろしくお願いいたします。
ではまた明日もお届けいたします。
夫との共存
バイバイ。