子供の頃の思い出
こんにちは、英語指導メンタリストのはじめ先生です。
このチャンネルでは、気候を変えることによって、英語力と人生を劇的に好転させる秘訣についてお伝えしています。
今日のテーマは、自分とは何か、訳がわからなくて怖くなった子供の頃の体験、というお話です。
昨日は夜がすごく暑くて、すぐに眠れなかったんですよね。
ベッドに入っているんだけれども、眠れないので、なんとなく天井を見ていたんです。
僕の寝室の天井って板張りになっていて、そこに木目があるじゃないですか。
その木目を見ていた時に、すごく小さい時のことを思い出したんですよね。
たぶんね、学校に上がる前ぐらいの記憶だと思うんですよね。
その時にも、たぶん同じように、何らかの理由で布団の中で天井を見ていたんです。
やっぱり木目を見ていた時ですね。
小さい時に木目を見ていると、何かのいろんな形に見えてきて、ちょっと怖くなる時とかってなかったんですか?
そういうふうにちょっと怖くなってきた時に、この怖いと思っているってことってなんだろうとかって思い始めたんですよね。
ある木目が猿の顔のように見えたんですよね。
それは怖かったんだけど、この怖いと思っている自分ってなんだろうとか、急に考え始めたんですよね。
その考えている自分っていう存在が、すごく不思議なもののような気がしたんですよ。
考えているっていう、猿の顔みたいだなと思っている時の言葉で考えていたんだけど、この言葉ってなんだろうとかってことも考え始めたんですよね。
動物って言葉が頭の中にあるのかな、みたいなこともたぶん考えていたと思うんですよ。
そうこうしているうちに、今ここにいるって何?っていうことを急に思い出したんだよね。
ここに今いる自分って何?っていうことになって、その時に手を見たんですよ。
指が5本あるけど、なんで5本なんだろう?とかね。
髪の毛が生えているって何?とかね。
いろいろ考え始めると意味が分からないんですよね。
感覚的に言うと、普段平仮名を普通に使っている文字をね。
平仮名の実とかって、ずっと見ていると何だかわけが分からなくなってきますね。
いわゆるゲスタルト崩壊みたいな言葉で言いますけど、
普通に自分がこれは平仮名の実だと認識しているものをよくよく見てみると、
これ何なんだろうなっていう風に感じるのと同じように、
当たり前に自分だと思っているものが崩壊していく感じ。
そもそも何なの?自分ってみたいな。
いうことを考えて、いろんなことを思い始めたんですよ。
お母さんって何?とかね。
お父さんって何?とかね。
そもそもこの天井にある板が張ってあったり、
当時の家には大きなスピーカーが天井から映ってあるみたいな感じになっていたのかな。
そんな部屋に寝かされていたんですよね、当時小さい時も。
このスピーカーみたいな。これは一体何なんだろう?みたいな。
全て見ているものはこれ何?みたいな感じがして、
たぶんその年齢の時までにはいろんな経験を積み重ねて、
現実世界というものをごくごく当たり前に受け入れたんですけど、
全部がね、何これ?何これ?みたいな。
こう、わからなくなってきて。
そうこうした時にですね、今よくわからないけど生きているけど、
存在の疑問
自分っていつか死ぬんだなぁとかっていうことをすごい理解しちゃったんですよね。
それで天井の猿みたいな顔に見える模様が一層不気味に見えてきて、
で、たまらず布団から出てですね、僕は当時2階の部屋でいたんですね。
親はまだその時間帯におそらく起きていて、
下の階からはテレビの音なんかも聞こえていたんですけど、
2階の階段のところで大声でですね、
お母さーん、僕は死にたくないよーみたいなことを言ったのをね、めちゃめちゃ覚えてるんですよね。
でなんかその自分が当たり前だと思っていたものがポロポロと崩壊していって、
わけがわかんなくなったみたいな体験をしたんですけど、
皆さんどうですかね?こういう体験ってなんかするんですかね?皆さんね。
もちろんこの辺、共感、そんなことありましたって思った方がいるのであれば、
ぜひお話を聞いてみたいかなというふうに思うんですけど。
今になって、昨日になってそれをまた思い出したというのも変な話なんですけど、
これね、何なんだろうなと思ったときに、結局自分が自分だと思い込んでいるものによって、
自分というのは成立しているんだなというふうに、たぶん今だったら思うと思うんですよね。
自分というものが様々な外的に与えられた名前とか、あるいは価値観とか、
そういったものによって自分ってこういうものなんだっていう認識を植え付けられて、
今の自分になっているんだと思うんですよね。
例えば僕だったら、はじめという名前が付けられたわけじゃないですか。
で、自分ははじめだとそこで認識する。
あなたは男の子ですと。
自分は男の子というものなんだと。
その対立概念として女の子というのがあると。
当時は男の子はこうあるべきですとかね。
女の子はこうあるべきですみたいなのがあったり。
で、こういうことはしてはいけません、こういうことはしてはダメですとかね。
で、だんだん学校に行ったりすると、はじめ君は何なんだよね。
例えば、物知りだよねとか小さい頃から言われてたんですよね。
とか、はじめ君はお話が上手だねとかね、言われたり。
だけど、はじめ君は算数が苦手だねと親に言われたって話もね、いろいろしましたけど。
そういう諸々のものがだんだん積み重なっていって、自分というものになっているんだけど。
それがなくなったら何なんだろうっていうね。
すごい当時疑問に思ったんですよ。
これと同じようなことを思ったのは最近、
与沢翼さんが薬物中毒みたいになっているみたいな話を紙ガーツされているときに
同じようなことをふっと感じたんですよね。
与沢翼さんと言えば、ヒルズ族と言われていた時期には病で億を稼ぐ男と言われていて、
あの頃は色物みたいに扱われていながらアフィリエイトでめちゃめちゃ稼いでいた人なんですけれども、
あるときにめちゃめちゃ利益があって、税金を払う段になったときにうまくいかなかったことがあって、
それですってんてんになって海外に移住して、ドバイか何かに住んで、
そこでまた暗号通貨で儲けたり、その暗号通貨で儲けた資金をもとに、
今度は不動産に幅広く手を出して、
めちゃめちゃリッチな生活に、すってんてんからまた超絶富裕層に戻ったと。
すごい人だなと思ったら今度は薬物中毒になっていました。
そしてあんなに色んなSNSで顔出しで映っていた奥様とかお子様とも別れている、
最近の事情はちょっとよく分からないですけど、それを見たときに、
やっぱり人間の革新って何なんだろうと、色々な資産とかね、色んな経験が、
その人の周りに色んなザワザワしたものがありましたけれども、
それ全部這い出たときに、一体何なのかというふうになったら、
結局その人が何を考えてどう行動してきたかっていう、そこのストーリーしかないんですよね。
その周りにあったものは、彼にとってみれば、多分今、拒慢の富を得たけれども、
おそらく愛する妻子を失ったことの方が大きいんですよね、きっとね。
おそらく誰もがね、いずれかのタイミングで死ぬわけですよね。
そうなっていったときに、自分が息も絶え絶えで病院にいるっていうふうになったときに、
その時点でいくら資産を持っていようが、あまり関係ないんですよね、そうなったらね。
どんなに資産があったって、自分の体がこれで朽ちて、いずれ息が止まって死んでいくとなったときに、
そこってあんまり意味ないよねっていうふうに思うと思うんですよ、そのときにはね。
人生の空虚さ
じゃあ一体、そういう自分の命が尽きようとしているときに何を感じるんだろうって思ったら、
どんなにお金があっても、自分が本当に幸せだったかどうかっていうことを思うと思うんですよね。
平たく言うと、今あしたあなたが死ぬとしたら今何しますかみたいな話ってよくするじゃんね。
だけどそれはよく言われるだけに、確かにうんなるほどって思うけど、
ちょっとまあよく言い尽くされちゃった感もあるじゃないですか、新鮮味がないっていうか。
なんだけど、僕が子供のときに感じた恐ろしさっていうのが、
自分がいずれ死ぬ存在であるっていうのを見たときのものすごい空虚さみたいなものを感じたんですよね、当時ね。
真っ暗闇な宇宙空間の果てしのない空虚みたいなものを感じて、すごく怖くなったんです。
今にして思うと、やっぱりね、基本的に人生って大きなシナリオで言えば、生まれてきて死んでいくっていうだけの話なんですよね。
だからそこに自分でドラマを作っていかないと、まるっきり空虚のままで終わっちゃうっていうことの恐ろしさだったのかもしれないなって今にしてみれば思うんですよ。
その空虚っていうものには良いも悪いもない、ただの空虚なんですよ。
これが仏教でいう一切開空なんだと思うんだけど、そこに自分がそういう一切開空の世の中でどう生きるのかっていうのは完全に我々の主体性に委ねられているわけじゃないですか。
それを思った当時からすれば50何年経っての思いなんですけれども、そう考えてみるとやはり本当に自分が自分の人生を生き切ったと思えるような生き方をしていくことが幸せなんじゃないかなというふうに思ったというお話です。
ちっちゃい頃の思い出話でなんだという感じかもしれませんが、何か皆さんこのお話を聞いて何かを感じていただけるかな、わかんないんですけど、感想などをぜひいただければと思います。
というわけで今日も聞いていただいてありがとうございました。
今日のお話聞いて面白かったという方はぜひいいねやコメントそしてフォローをお願いいたします。