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こんにちは。 気づくと人生が変わってしまう
易者の英語指導師のはじめ先生です。 このチャンネルでは英語教師の易者
さらに画家と経営者という多面的な視点を通じて 固まった常識や思考の枠をゆるっと外し
あなたの人生をもっと面白くするヒントをお伝えします。 今日のテーマは
〇〇できる人と〇〇する人のギャップについてさらに深掘りしてみた
告知と本題の導入
というお話です。 まず最初に告知です
7月28日 間違えました
7月26日日曜日夜8時から オンチビジネスマルシェというオンラインイベントに出展いたします
その中で僕は10分話すだけでブログ、SNS、動画も音声配信かけるAI発信仕組み加術というお話をします
特にビジネスをやっていらっしゃる方にとって なかなか日々の発信って大変なんですけれども
AIを活用することによって文字媒体にしている方は多いと思いますが
もうアプリを使って動画とかにもできますよ、というその方法についてお話をしていきます
興味のある方は概要欄のURLからこのイベントにご参加ください
「話せる」と「話す」のマインドセットの違い
さて今日の本題なんですけれども先日ですね 英語を「話せる人」になるのか?「話す人」になるのか?
こんなお話をしました。その中で大切なのは英語を「話せるようになること」ではなく
「英語を話す」というふうに意識をシフトするんだということでしたよね つまり
英語を「話せるようになる」っていうのは「今の自分はダメである」 「今の自分は話せない」という前提があるわけですし
世の中に英語を「話せる人」と「話せない人」という格差をみたいなものですかね
それを自分の中で作り上げているということになります
だけど英語を話す話さないという「選択の問題」に切り替える、というふうな話をしましたけども
それであればどんなに拙い英語であっても話していれば「英語を話す人」になるということ なんですよね
なんか言葉遊びのように思うかもしれませんがここに大きなマインドのあり方の違いがあるよ、というお話をしたんですけど
実はですね、英語学習をしている時に 「あなたは英語を話せますか」という日本語を訳した時に、普通に皆さん
Can you speak English? って言うと思うんですよね
なんですけどこれ一般的にはあんまり普通の感じに聞こえない英語表現なんですね
「あなたは英語を話せますか」に相当する英語は
Do you speak English? なんですよね
「あなたは英語を話しますか?」という言い方
これが Can you? だとどういうふうに響くかというと
「お前英語話せんの? 」みたいなちょっといぶかしげに聞くみたいなイメージがあるわけです
なんかなんだろうねこいつは英語が喋れないだろうと思ってその前提で
「え?お前が喋れんの? 」みたいに聞こえなくもないってことなんですよね
でその今のニュアンスの背後には英語を「話せる人」と「話せない人」っていうのの格差みたいなものを感じませんかね?
「できる」と「する」のジャッジメント
「英語も話せないのか?」みたいなこうなんか意識がありますね
さて皆さんその「英語が話せる」っていうふうに言った時に
どういう状態になったら話せるっていうことになるんでしょうね?
多分多くの人の中にあるのはいわゆる「ペラペラ」な状態 今時ペラペラってあまり言わないかもしれないけど
ペラペラ喋ってると「話せてる」っていう認識になるんじゃないでしょうかね
で、これ一方でですね 外国人が日本語を話している時に
そうですね例えば
ワタシ エイゴ オシエマス
ワタシ ハジメ(名前) ぐらいで言ったとすると
これは話せているんでしょうか? 話しているんでしょうか?
多分皆さんこれ話せてるって判断しますよね ?
それに話していると判断しますよね?
ここではその外国人に対して その日本語が話せているのか話しているのかっていう
ジャッジはあんまりしてないと思いません?
まあ話が上手であるか下手であるかというジャッジはあるかもしれないけど
「話せている」のか「話している」のかで、どっちかって言ったらどっちでも言えると思うんですよね
だけど自分のことになると「私は英語が話せません」って言ったりしますよね
しかもそれを英語で言ったりしますw
I can't speak English とかって 「いや君話してるよね?」っていう
このツッコミは外国人からめちゃめちゃよくあるわけです
なんで「英語が話せない」って英語で言ってるの?
日本人は意味がわからない!!ということになるわけですね
で。例えば外国人なんかまあいろんな国の人いますけど もうなんか
「こんにちは」とか言えたらもう「私日本語話せる」って言いかねないですからね
なのに日本人は I can't speak English って、場合によっては流暢に言ったりしますからね
でこれ一体何なのかと
その外国人が拙い日本語を喋っていても「 この人は日本語が話せている」と思うし「話している」と両方でいいと思うのに
自分に対してはその英語が I can't speak English って言ってるにも関わらず話せないという
これ結局ジャッジの問題ですよね
自分で「自分の英語は話せるレベルに達していない」というふうにジャッジしているということなんですね
で外国人に対してはそのジャッジが緩いのに 自分に対してはめちゃめちゃハードル上げてる、っていうところがあるんですよね
行動への障壁と自己受容
で、まぁ例えばね なんか「私、英語が話せるようになったら海外旅行に行きたいんです」
なんていうお客さんもね、うちの英会話教室にいらっしゃるわけなんですけど
「いやいやいやいや、行けばいいじゃん!!」と僕は思うんですよね
「なんで英語を習得してから行きたいの?」っていう
先に行けばもっとその英語を使えることの楽しさって実感できると思うし
もっとやろうっていう気になると思うんだけど、なんかね、練習してから行きたがるんですよね
まあそれもまぁわからないではないですよ
それが悪だとは言わないし、別にそれはダメだとも言わないけど
「〇〇ができたら△△します」なんて言っていると、これね、永遠にその時来なかったりしますからね
「お金ができたら〇〇しよう」と、これも待ってるとね
目の前のお金なんかどんどん左から右へ逃げていくわけですよ
逃げていくっていうかね、流れていっちゃうでしょ?
「海外旅行に行けません」とか「行けます」とかって言いますけど、
どうしても行きたきゃね、お金借りていきゃ行けるわけですよ
そのお金だってね、まあ働いて返してきゃできるわけじゃないですか?
結局こういうことの違いって、その自分の今の自己認識にあると思うんですよね
自分は今その不十分な状態でだから勉強しなくてはならないみたいな
だからそのまあこれ昨日の話にまたちょっと戻ると
AIでアプリを作りましょうって言った時に 「じゃあアプリの作り方を学びましょう!」になるわけですね
AIの活用方法もそうね 「AIを使えるようになりたいから学びましょう」になるんだけど
「いや、まず 触ってみればいいじゃん!」と
手探りでも何でもいいからやってみればいいと思うんですよね
スキルってねそうやって身につけるもんだと基本的に思うんです
赤ちゃんって その気がつけば四つん這いからだんだんつかまり立ちを始めてそのうちに歩くようになってきますけれども
「歩けるようになってから歩く」ってしませんよね?
人が歩いているのを見て、自分もやってみようと思って、「どうやってやるのかな」と思いながら
とりあえず立とうとするわけじゃないですか?
で、まぁよちよちよちよちとね、最初はつかまり立ちから始まって
徐々に二足歩行を持ち始めるわけなんですけれども
その時の赤ちゃんの心の中に「よし歩き方を学ぶぞ!」っていう意識があったって言うと
多分ないと思うんですよ
ただただ歩こうとしたんだと思うんですよね
もちろんうまく歩くことはできないかもしれない 転ぶかもしれないけれども、
その今の状態をもうなんかあまりジャッジしてないですよね
「うまくやれるようになりたい」とは思っているかもしれないけど
「これができないから ダメなんだ」と別落ち込むことはないと思うんですよね
この落ち込むのはいったい何なのかといった時に
これは大人になってから 「できている自分」と「できていない自分」っていうジャッジをするからなんですよね
「できるの壁」を越えて
「あの人はできているけど自分はできない」みたいな「相対評価」の中に自分を置くから、そこで不幸が始まるわけですよ
だからこの英語が話せる人になりたいって思っている人というのはその「相対評価」の世界観で生きている
英語が話せる人というボーダーラインがあって、自分がそれ以上であるか以下であるかみたいな
英語を話す人、とりあえず何でもいいからから話すという人にとっては、
その外部の評価基準みたいなものはあまり気にしてないんですよね
で、この違いが何を生むかというと、話せる人になりたいと思う人はずっと話せるようになろうと思って準備をし続ける
いつまで経っても自分が「足らない」と思っているみたいな感じですかね
一方で自分を許容している人ですね 外的な相対評価の世界に生きていない人というのは、非常に自由ですよね
そして「今の自分」で十分にこの世の中を楽しむ
下手くそな英語であっても楽しむ 下手くそのゴルフであっても楽しむ
さあ人生の質=「Quality of Life」 を考えたら、どっちが幸せかということですよね?
自分が人生を終えた時にですね、
どれだけいろんなことを「してきたか」 あるいはどれだけいろんなことを「しようとしてきたか」
どっちが満足感がありますかね?
高齢者の多くが自分の人生を振り返った時に「もっと挑戦すればよかった 」
「人の目なんか気にしなければよかった」と言葉を残していること
これってやっぱりすごく 大きいことなんじゃないのかなぁと思うんですよね
さて。そうした時に皆さん自分が握りしめている「できるの壁」「相対基準」の壁ってなんだと思いますか?
意外といろんなところにめちゃめちゃたくさんあると思いますが
それを捨ててみて「とりあえずやってみる」っていうことをしてみると案外面白いと思いますし、
そっちの方が物事が早く動いていくと思います! ぜひぜひ試してみてください♪
エンディング
というわけで今日も聞いていただいてありがとうございました
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OK, that's it for today. Thank you for listeningand have a great day!