できる人のイメージと実態
人生ついでにゆるっと覚醒してみちゃう?
こんにちは、こんばんは。 霊性開花の専門家、リアルスピリチュアリスト橋本ゆみです。
この番組は、ビジネスや人生を変えていきたい方に向けて、エンタメでもファンタジーでもない、リアルなスピリチュアルで人生を切り開いた、ゆるっと覚醒マインドをお届けします。
今回のテーマは、できる人が言わないこと。
このテーマでちょっとお話ししていきますが、みなさんできる人っていうのはどんなイメージなんでしょうかね。
仕事ができる人もそうだし、一つの技術ができる人、チャネリングができる人、見える人、こんなのもあるかもしれないですね。
できる人っていうと賢い人とか、なんかちょっと高印象?そういう感覚がある人もいるかもしれません。
こういう話はね、結構前にもポッドキャストとかでしたことがあるかなと思い、インスタでもね、チラッとアップしてたりするので、なんとなく覚えてる方もいるかもしれないんですけど、
まあ本当ね、何かをできるっていう人ほどできないっていうね、面白いロジックがあります。
ロジック?法則?確率的に多いんですよね。
一番わかりやすいのがね、英語、できますかって聞いてないのに私英語できますっていうような感じですね、ニュアンスとしては。
で、そうすると本人ができるっていうから、日常会話程度できるのかなというのでお話をしていくと、実際そのレベルでもないっていうね、そういうお話を割と聞くんですね。
割と聞くんです。わかりやすく言うと英語ってわかりやすいかなっていうので今例えに出しました。
あとは、ことあるごとにちょこちょこそういう場面ってあって、大したことじゃないんですよ、本当に。
このテーマのできるは、I CANのCANの方ですね。
CANには可能性も含まれているできるなんだけど。
そういう細かいことちょっと置いといてください。表面的にそれがやることができるという意味のできる人ですね。
仕事ができるとかだと結構上位概念すぎて抽象度が高くなるのですが、仕事の中の何ができるの?
エクセルができるとかワードができるとか。
こういう話になるとエクセルワードソフトの使い方が詳しい人からするとある一定基準レベルをできる人だというふうに認識するわけ。
そうすると蓋を開けるとできるのレベルが低いということがね。
結構職場というか仕事関係ではよく聞くんですよね。
趣味の時とか人との対応のない会話でそういうのが出てきたりします。
対応のない会話の時は私これできるんだみたいなことを言われても、そうなんだすごいなぁで終わるんです。
だがしかしそれが仕事実際の技術というか能力を見せてもらうというか発揮してもらおうという時になると
大概ギャップが生まれるのでこういう話が起きます。
できるって言ったやんと。できるって言ったのに。
やっぱりできるの基準がお互い違うっていうね。そこのコミュニケーションずれなわけなんですが。
できることの基準の違い
大々にしてできるという人はできないって思ってください。思った方がいいですよ。
もう結構出会ってますからね。
やっぱり本当にできる人ほど自分はできるって言わないですね。やっぱり見てると。
私もあんまり言わない。言葉上で言う時はあるけどね。
あんまり自己主張でこれでできるからできるからっていうタイプではなく
こういう場で生徒さんとかにはできないっていう言葉よりはできるって言った方がいいなと思うから
私できるよみたいに言ったりはするけどそういうことではなくて
承認要求からくる私できますみたいな
私失敗しないんでって本当に失敗しない人はかっこいいんですけど
私失敗しないんでって言ってめっちゃ失敗してるじゃんっていうのはかっこ悪いわけですよね。
人間だから完璧なことはありません。
ただその基準の話である一定の基準を超えたできる人は自分でそれをできるって言わない。
例えば英語。日常会話が本当にできる人ほど日常会話もっとできる方を見てるから
できるって言われるとできない。そんなにできません。
で喋ってみるとめっちゃ喋れるやんみたいなことがよくあるんですよね。
言い悪いの話じゃないんですね。言い悪いの話じゃない。
基準がみんな違うっていう話なんです。基準が違う。
だから自分の基準が高かったら人にそのレベルを期待してしまうので
仕事とかだとやっぱりねそこを見誤ると割と大変な時ありますね。
なんかね後ろで猫さんがすごいガタガタしてすみません。
大きい方はねトイレに行くと必ずこのガチャガチャをいっぱいやるっていうルーティンですね。
彼のね。そしたら小さい方も小さい方って言っても2人同じに生まれてるんだけど
小さい方も真似をするっていう兄弟あるあるが展開されていますよ。
まあそんな感じでねちょっと長いんでね様子を見てきます。
はい戻ってきました。どこまでお話ししたのかもう忘れた。
できる人は自分でできるって言わないよと。基準が高いからできる。
もうすでにできている人はやっぱり視野が広がっているので
自分のねそのできる基準っていうのが高くなっていくのでね
そこに到達していないという意味でできないと言ったりしますと。
でもちょっと繰り返しになりますけど
英語がねできるっていう人が喋ると全然そこまでできてなかったっていうこととかね。
あとも仕事でもそのなんだろうねソフトの使い方とか
デザインとかやってた時は結構ありましたね。
見せてねこんな感じでできますかって言ったらできますって言われてね
こんな感じのクオリティがめっちゃ低いっていう。
まああるあるですからね。
自己紹介と実際の能力
はいはい。
よく心理学とかね。
学んでますとかコーチング学びました。
あるいはやってますっていう方もたくさんいらっしゃる中で
私の基準はもちろんプロでやってるから高いんだけど
やっぱりできますっていう人とお話ししてると
これに関してデザイン心理学コーチング
カウンセリングもそう
マネジメントやマーケティングもそう
全部に言えるんですけど
資格持ってますとか
まあ意味ないですからねマジで。
資格持ってる人に対して失礼かもしれないんですが
これは私の体験と持論なので
資格がダメとかじゃないですよ
ただ資格はあまり意味がないなと
それは現場レベルの視点です。現場レベルです。
現場では臨機応変
目の前の人に合わせてカスタムしていける力
柔軟性と発想力とか
あとインサイトだね
インサイトを調べてください
カタガナが急に出てきた
そういう力
あとは俯瞰してみる力ですね
そういうのが総合的に試されるというか
必要になってきます
研究とかでも結局論文とかっていうのは
ある一定の研究だったりして
蓋を開けて見てみると
よくあるのが海外の研究とかで
対象者が大学の学生さんたちとかだったりすることがあるんですね
ことがある。全部じゃない。
そうなると結局ある程度お金がある若者対象ということなので
結構偏りが出ていて
それがでも実験として検証されているから
論文としてこうであろうというので出てくるんですけど
やっぱり現場の声とか
心理学とかお薬とか
臨床というのはすごく大事になってくるなというのを
ひしひし感じます
もうちょっと別の表現でしたら
占い師さんとか
占いこそ知識があればそこそこできるという
ジャンルだと私は考えていて
ここにねそんなことないよって思う人は
やっぱり視座が高い人なんだと思うんですね
視点が高い人、基準が高い人なんだと思います
私は占いのプロではないし
ただ普通に数千円もらって占いだけするということは
できるレベルではあるなと
セミプロレベルかなと自分では思っています
でも占いできるんでしょうって言われたら
占いでは別にそこそこぐらいだよって言いますね
もっと専門の方を知っているから
多少カード引けるよとか
そういうのは言いますけどね
なのでやっぱり何が言いたいかって
やっぱり使っている人
実際にそれをやっている人はできると思います
個人的に
というかそこが大事だと思います
どんだけやっているか
占いも自分で勉強して研究してやっている
これは知識としていいしできると言えるんだと思う
だけど例えば人に読んだときに
その人にどう伝わるかとかっていうのは
占いじゃないところの技術も必要になってくるんだけど
占いだと深めれば深めるほど
対人にやらなくても理解が深まるから
できるってなるかもしれないけど
でも人のセッションになったときに
セッションができるかって言われたら
多少微妙になる部分が出るかもしれないですよね
この話何が言いたいかって
できるっていう人はできないよ
そういう奴に気をつけろ
そういう話ではないんですよ
そういう話ではないんです
だいたい本当にある一定のレベルでできる人って
自分でできるとか言わないんですよね
どっちかっていうとやるっていう表現になります
やれるよとかやろうかみたいな
ここが違うんですよ
できるよっていうときは自己紹介的な
私こういうことやってきたからこれできるんです
みたいな感じなんですけど
本当に技術がある人って話の中で
こういうのやれるよって
何かあったら言ってとか
やり取りになるんですよね
自分を振り返ってもね
言葉上できるよっていうときもあるけど
それやるよの意味で言ってたりするんですよ
なのでできるできないの基準は
やっぱり本当人それぞれになってきて正解はないんですね
ないんです
なのでだから資格とかは
ある程度の知識を持っているような証明にはなるけど
技術として使える証明というのは
特殊な資格になってきますよね
ちょっと資格の話ぶっ込みましたけど
やっぱり皆さんにお勧めしたいのは
私これできるよじゃなくて
やるよって言ったらいいんじゃないかなって思うんです
やれるよ
じゃあどこまでって
ここまでならやれるよっていうところを発していく方がですね
ちょうどいいというかね
エネルギーが回りやすい
やっぱり自己紹介で
私これ学んでこれできますっていう人は承認要求だったり
もう人によってはマウントの意図があるかもしれないですね
何かね結局ね片肘張った感じなんですよ
片肘張った感じ
背伸びちょっとしてる
だから無理が入ってる
声にね入ってくる
そうすると違和感として聞いてる方は受け取って
この人なんか自慢してるなとか
マウント取ってねとか
うがった見方をする人もいるわけですよ
それが本当に悪いとかそういう話じゃなくって
やっぱりねできるできない思考になっちゃうんですね
できるっていう人がいるとできないと思ってる人は
自分をやっぱり私あの人みたいにできないわって
自分を責めちゃうっていう負のループに入ります
これはねこれをね
是非ね止めていただきたいなと思ってこの話をしています
できるできないっていう
白か黒かゼロ100じゃなくって
ゼロ100っていうかゼロ1じゃなくって
やれることを言ったらいいと思うんですよね
これはやれるこれはやってきた
これはやっぱね
どんなに自慢でも
すごいなってなりますやっぱりやってきたことだから
経験を話されたら
どんなことでもそういう経験をしてきた人なんだな
っていうので納得するけど
これができますって言っちゃうと
その相手の人の基準が高かった時に
なんだこの人できないじゃんって逆に思われるって
損するよね
ありていに言えば
コミュニケーションの重要性
なのでね本当にちょっとしたニュアンスで
関係性がねそれこそお友達とか
勝手知ったる人同士だったら
やるっていう意味でできるって言っても通じるんでね
この人ならやれるだろうなみたいな
そういうねあると思います
なので言葉本当に大切になってくるし
声大事になってきますね
声の話はポッドキャストで
どっかで話してますね
検索してもらうと出てくると思います
検索はね私のブログで
声とかでキーワード検索
公式ブログでキーワード検索してもらうと
今だと150何話分の
ポッドキャストの過去記事が
出てくると思うんで
ポッドキャスト以外にも書いてるかもしれないね
ブログでね
声って本当にね
時代が来ちゃったなっていうね
本当この声の時代が来るから
10年前にね声診断っていうのを
やってたことがありますけど
もうあれ機械使わなくてもね
大体わかるからもういいやって手放しちゃったんだけど
私自身はね
あれを見える化して見えることでね
やっぱり証明というか
それでねビジネスでね
ご活躍の方もいらっしゃるので
それを否定してるわけではないですよ
本当に私個人がもういらないなって
必要ないなって感じたので
手放したってだけですよね
あの体験は良くてあれをやったからこそ
どの音がどれに該当するかが
やっぱりはっきりしてきたのでね
結構ね
便利なようで不便ですよね
こここんな感じなのかなとか
こんな感じです
例えばその時わかんないけど
違和感が残るので
あれなんでこんな違和感があったのかなって
後でね自分でお茶なんか飲んで
ぼーっとしてると
ああって思うわけです
もしかしたらマウントってやつかとか
マウントってわからない
セクハラみたいなもんで受け取った側が
思ったらそうなのかな
上下っていう感覚があまり
私の中に乏しいから
うーん
そのないってことじゃないです
乏しいんですよ一般の人に比べて
そんなにね多分普段
すげー泣いてるな
普段ねそこまで比較してないんじゃないかな
ちょっともうねあんまり
今パッと出ないんですけど
比較って言ってもね
比較で認識することと
違いで認識っていうのは非常に大切なので
違いを知る比較をするって
すごく重要だと思います
ただ比較をした後に自分を下げる
自分をディスるっていうのがダメってことですね
比較検討はめっちゃ大事なのでね
こういうところに違いがあるんだなとか
こういうところがすごいなとか
そうやって見ていくわけなんですけど
うーんなんかちょっとこの間ね
違和感を感じて
なんでこの人こういう話をするんだろうとか
その会話のロジックが
なんかずれるのはどうしてかなって
なんでここずらしたんだろうなとか
そんなことをね
自己認識と成長の過程
ほにほにって考えてた時に
あれもしかしてなんだろう
一生懸命声はちょっと
肩肘張ってた声だし
わりとジャッジ的な部分も
音に入ってたし
なんかなーって思って
あこれ審判されてたってことかな
ジャッジされてたってことかなって思いつつ
ふとこれマウントじゃないって思って
喜んでるのがおかしいのかもしれない
マウントってよくわかんないから
なんかマウントっぽいって
なんか見つけたって喜び
もしかしたらこれマウントかもしれない
って思ってですね
なんかね別に
そういうの方が嫌だとかじゃなくて
なんかね面白いっていうかね
何度も捉えられないよね
そうなんだなしか思わないんですけどね
でも話がねずれていったりすると
なんかねコミュニケーション
どうやって取ったらうまくいくかなって
やっぱ考えちゃうんでね
そういうの方が嫌だとかじゃなくて
どうやって取ったらうまくいくかなって
やっぱ考えちゃうんでね
どういう話し方なら伝わるかなとか
何がね相手にとってちょうどいい
メリットになるかなとか
そういうのをねやっぱ考えていくと
まあまあやっぱりね
これがいいと思っていても
やっぱその人に合わないっていうのが
見えてきたりするわけです
見えてきたりするわけ
ここトゥーマッチでこっちが勝手に盛り上がって
これやったらめっちゃいいなって考え始めてたなとかね
そんな風に反省っていうか
こうなんだろうね
やっぱりいいところ
いいところに着地したいっていうのを
見てるからこそ考えるっていう感じですかね
なんかねそんな風に
できるできないって目の前の点で
あるかないか
ゼロか1かっていう世界になっちゃうんですね
そうじゃなくてもうちょっとその先
この先がどうなったらいいかな
どういう風にいくと
まあ自分がいいかなもそうだし
相手がいる場合は相手の人がいいかな
セッションなんかだったらね
クライアントさん
受講生もそうですけど
毎回の講座
一応骨組みはあるけれども
ほぼほぼ今年は本当に
参加者に合わせて
お悩み解消しながら
今までもそうなんだけど
もっとそこにコミットして実践で
本当に知らず知らずにできちゃう
身についちゃう
本人ができるっていう自覚はちょっと後なんだけど
まず自然にできちゃえば
後からは分かるっていう
最初に分かってできるってみんな考えるんですけど
違うんですよね
できたら分かるようになるんですよ
自分が作れるんですよね
英会話もある程度できてるからこそ
ネイティブな発音はできてないなって気づいたりとか
ネイティブな人と話すと
ここニュアンスずれるなって気づいたりするわけ
でも
そこまでできてない人からすると
そんな細かいことよりも
文法とか単語とかに意識がいくわけですよ
これもったいなくて
例えば英会話やりたい
英会話っていうか海外で話したいってなった時に
私なんかは英語できないんですよ
本当にできないんですよ
できないけど
英語圏にあんまり行ってないんだけど
できないんだけど何とかなるんですよ
やっぱり体験できないけど
できないけど
知ってる単語だけで何とかしようとすることとか
一生懸命伝えようとする姿勢とか
工夫をしたりする
それがやっぱり生きてくるわけ
英語はできないけど
海外に行って
一人で英語分かんなくても
暮らすことができるんです
どっちが現実的かって言ったら
行きたいと思って旅に行けて
よく分かんないけど何とかなるっていう方が
いいんじゃないかなって私は思うんですね
そっちの方が役に立つでしょみたいな
もちろん英語できた方がいいんだけど
周りの友達は
勉強してから行くみたいな
いつ行くんだよっていう人がいたりして
それでまだ英語できてないから行けない
いやいやいや
外と行こうよみたいな
行動へのシフト
そういう思考回路を
少し柔軟にすると
次の世界
もう入っちゃってるんですけど
次の世界が本当に
行きやすくなります
逆に今までのこれやってからこれっていうのは
自分を縛っていく
足架線にしかならないんですよね
なのでね
できるよりやれるの方に
意識を向けていくといいと思います
やれてること体験してきたこと
そっちを意識する方が
すごく自然に相手に
価値も伝わるしエネルギーも伝わって
非常にスムーズなんじゃないかなって
思います
というわけで
今日のお話があなたの人生の扉を開くヒントになりましたら
嬉しいです
ポッドキャストのラジオ番組魂に目覚める
ぜひ聴いてみてください
また10月11月
ワークショップとリトリートがありますので
ぜひおいでいただければなと思います
皆さん今日もありがとうございました
それではまた