絵画指導の重要性
こんにちは。言葉で人の未来を開く英語指導メンタリスト、はじめ先生です。
このチャンネルでは、思考を変えることによって、英語力と人生を劇的に好転させる秘訣についてを指しています。
今日のテーマは、目を凝らして見ない方がよく見えることがある、というお話です。
まず最初に告知です。12月6日土曜日から12月21日日曜日まで、愛知県新城市にあります美術カフェホーライカンにて、私の絵画展を開催いたします。
テーマは、Soul Excavation、魂の発掘展という、ちょっとね、スピリチュアルなテーマになります。
土日は、だいたいね、易向こうにいようと思っておりますので、もしよかったら、ぜひお越しいただければと思います。
概要欄にね、場所なんかも貼っておきますので、ぜひぜひお越しください。
さて、今日のお話、目を凝らさない方が見えることがあるって言うんですけど、これ皆さん、これで聞いて、どんなお話だと思いますかね。
これはね、実は僕が小学生の時に、なんと習った言葉なんです。
僕は小学3年生の時にですね、これ前にもちょっと言ったかもしれませんが、近所に住んでいた絵描きさんのところでね、絵を習い始めたんですよね。
理由は本当に絵が好きだからっていうところなんですけれども、最初はもう本当に好きなものを描いてたんですね。
だんだんこう、形を正しく捉えるとかですね、そういったことを始めるわけですね。
デッサンとかも習うんですけれども、そこでね、結構いろんなことを習ったんです。
例えばね、リンゴの絵を描くとするじゃないですか。
子供の流れにね、リンゴの絵を、目の前にあるリンゴをパッパッパッと描くわけですね。
そうすると先生がですね、ちょっと直しに来てくれるんですよね。
ここのリンゴって、なんか丸いと思ってない?みたいに言って。
でもよくよく見てごらん。どっちかっていうと、なんか台形みたいな形してるよね、とかね。
それからなんかつるっと丸いようなイメージでいるかもしれないけど、よく見てみるとリンゴって結構ゴツゴツしていて。
で、上から見るとまんまるじゃなくて、ちょっとなんかね、ちょっと歪んだ形をしていたりするじゃないか、みたいなところをですね、言ってくれるわけなんですよ。
で、それを聞いてですね、初めて目の前にリンゴはあるんだけど、そのリンゴを描いているのではなく、
自分の頭の中にあるリンゴを描いていたんだなってことにね、気づかされたんですよね。
で、これ、これ結構今大人になってみると、すごく奥が深いと思うんですよ。
私たちは普段対象を見ているようで、その対象そのものを正しく認識しているのではなく、私たちの頭の中にあるイメージで見ているっていうことなんですよ。
これね、すごいと思いますよ、なんか考えてみたら。
そんなことをね、小学校の時に教えてくれた先生もすごいと思うんですけど、そういうことを習ったんですよね。
なので、対象をよくよく客観的に見るというところを習ったんですが、そのために先生がね、面白いことをやったんですよ。
じゃあね、こうしてごらんって言って、例えば本の中にある写真を元に絵を描いたりもしたんですよね。
で、まあその同じようなリンゴの写真なり絵があったりするじゃないですか。
そうするとね、その写真を先生は逆さまにするんですよ。
逆さまにして、これを描けって言うんですよね。
そうすると、自分の中のイメージにある、そのリンゴってこういう向きだよね、こんな形見えるよねっていうのは一回リセットされるんですよね。
で、純粋に形を追うことができるという、そういうやり方を習ったりしたんです。
で、形が取れましたというと、今度はそれがどのような奥行き感があって、どのような表面の凸凹があってということを表現しなければいけないので、陰影をつけていくことになるわけなんですね。
視点を変える方法
で、この陰影をつけるということ自体が小学校の低学年の時に、あんまり意識がないじゃないですか。
だけど、よく見てみると、その同じリンゴであれば光が当たったところは赤なんだけど真っ赤じゃなくてちょっと白っぽいというか、場合によっては黄色っぽいという風になっている。
暗いところはちょっと黒っぽいみたいな感じになっていたりするわけですよ。
で、その陰影を描くということをやり始めるんですけど、これも最初はなかなかうまくいかないんですよね。
で、その時に先生が教えてくれたのは、まじまじ見るんじゃなくて、もう薄目で見るんだって言うんですよね。
もう目をめちゃめちゃ細めて、ぼやーっとした感じの視界にして見るんだと。
そうするとですね、細かい点が消えて、要するにピンボケの写真になるわけですね。
そうすると大まかな陰影の形というものが取れられるわけですよ。
だいたいこの辺からこの辺までがこのくらいの暗さだよね。
この辺からこの辺はだいたいこんな暗さだよね、みたいな感じになってくるんでしょうね。
これは専門的に言うと量感を捉えるみたいな感じになるんだと思うんですけど、
結局その細部が見えてしまうと、全体の陰影の配置の感覚というのが見えにくくなっちゃうということなんですよね。
なので僕、今でも絵を描くときに片目をつむって右目もほとんどつむっているような感じで描いている動画が多くてですね、
なんでそんな難しそうな顔をしているのなんてよく言われるんですけど、そんな風にしてやるんですが、
これが今にしてみると人生においても今のその先生から教わったことが生きるんじゃないかなとちょっと思ったんですよね。
いろんな問題にぶち当たったときに、いろんな仕様を抹殺する細かいことってあると思うんだけど、
問題の確信を捉えようと思ったらちょっと引いた目線で見て、
一体その全体のバランスの中で一体どこが問題になっているのかということを捉えないと、
対象両方的なことになって、根本的な部分が解決されないということがあると思うんですよ。
例えば会社なんかの組織の中で起きている問題、いろんな問題が起きると思うんだけど、
その中でも一番先に手をつけなければいけないのは何かというのって、
やっぱり俯瞰したものの見方みたいなものができるということが重要だと思うんですよね。
絵で言えばここが一番暗いところだというところが、経営的な視点で言えばここが一番ネックになっているところだというのを見極める力みたいなところですかね。
そのためにはまず全体像がどうなっているかというのが分からないといけないということで。
これは僕の英語指導なんかでもそうですよね。
やっぱり部分に目を向けるのではなく、全体に目を配って、
全体的にどうなっているのかを大体掴んでいきながらこういうことだよねというポイントを、
ちゃんと自分の中で理解していくという、そういうことの力を鍛えるということが実は重要なんだけど、
結構やっぱり細かいところばっかり見ちゃうという、そういう傾向ってあるんじゃないのかなと思います。
今日の前半部分では絶賛の時に自分の思い込みを外して、ちゃんと正しく対象を見るという話。
物事の本質を捉える
これはよくよく見るということになると思うんですけれども、
もう一方では俯瞰してみるみたいな見方があるということで、
今ちょっと話しながら思い出してみます。
剣道でも言いますよね、そういえば。
多分宮本武蔵の五輪の章だったかなと思うんですけど、剣道の世界では剣の目と勘の目ということをよく言うんですよね。
剣の目というのは、いわゆる見学の剣だよね。
勘というのは観察の勘なんだよね。
剣の目というのは最初のデッサンのようなものですよ。
物事の動きをつぶさに見ていく視点というのかな。
物事の動きとか状況を捉えるんだけど、
勘の目というのは物事の本質や全体像を心で動作するみたいなところですかね。
剣道では相手がめちゃめちゃ速く動いていたりするんですけど、
その目先の動きもちゃんと見ながら同時に相手の全体としての動きというのを見たり、
あるいは相手の気配みたいなものを感じ取ったりという。
そこで勘の目と剣の目、剣の目と勘の目を使うわけなんていうことなんですが、
今にしてみれば小学校の時に教わったデッサンというのは剣の目で、
目を薄めてみるというのは勘の目に近いところがあったのかななんて今思いました。
もう一歩それを説明してみると、
今思いついたんだと、要するに抽象度を上げるか解像度を上げるかみたいな感じなんだと思うんですよね。
物事を詳細に見るときには解像度を高めていって、より具体性の高いものにしていく。
なんだけど全体的に捉えようと思ったら抽象度を上げて、
だいたいこんな感じだよねっていうふうにやっていくっていう。
そういうことなんだろうなというふうに思いました。
なので物事の状況がよく見えない、全体像がよく見えないときには半分薄めになって、
細かいところを省いて見てみるということが大事だろうと思うし、
原因究明とかそういうことになってくると解像度をギリギリって上げて、
自分の思い込みを外して、果たしてその問題の本質は何なんだろうかというふうに、
正しく対象を見ていくとかね、そんなことが必要になってくるのではないかなと思いました。
というわけで、昔習った絵のことからいろんな話をしてみましたけど、
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今日はここまでです。ご視聴ありがとうございました。
良い一日を!