2025-05-23 12:18

第221回 自分に気づくことの難しさについて

🌈いよいよ今夜21時から!
  易者対談から生まれた
⭐️自己理解ワークセッション!⭐️
日時:5/23(金)
場所:Zoom
参加費:無料

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このチャンネルでは、英語指導歴・易者歴ともに30年以上の経験を元に、考え方を変えることによって英語力を劇的に向上させたり、人生を大きく好転させる秘訣をお伝えしています♪

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・英語指導歴30年
・教育学・心理学・易学・占いの研究30年
・英語指導者向け講座主宰
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サマリー

自己理解の重要性と難しさについて考え、他者の視点を取り入れる必要性が語られています。自己理解を深めるためには、自分自身を客観的に見つめ直すことが欠かせないと述べられています。このエピソードでは、自分を客観的に見ることの難しさと、それに伴う自己理解のプロセスが語られています。また、無我夢中の状態から成長することによって、自分の本当の気持ちが分からなくなる様子が説明されています。

自己理解の重要性
こんにちは、英語指導メンタリストのはじめ先生です。このチャンネルでは、思考を変えることによって、英語力と人生を劇的に好転させる秘訣についてお伝えしています。
今日のテーマは、 自分に気づくことの難しさ
というお話です。 はい、では最初にね、告知をさせていただきます。いよいよ今夜、5月23日の夜9時からですね
イヤスケ藝術場占い師リッピーさんとのコラボによる 自己理解ワークセッションを行います。これはね、リッピーさんとずっとやっている
記者対談ですね。気がつくと14回ぐらいやってるらしいんですけれども、そこで出てきた
いやー、自己理解って大事だねっていうところから出てきた ワークセッションなんですよね。でもなんかね、自己理解って言葉だけ聞くと、それが一体何
それって食べれるの?みたいな感じもするわけですけれど そうなんです。自己理解というのはその必要性が分かりにくいというところも非常に大きな
ね、落とし穴があるんですよね。まあそもそもその自己理解をしなくてはならないという シチュエーションになるのってどんな時だと思いますか?
それってやっぱり自分が自分らしく生きているとか 自分が自分であることに疑問を持っていない時には自分を理解しようっていうふうには多分
思わないですよね。やっぱりなんか 自分ってこのままでいいのかなぁとか
そういう自分自身に対する疑問であるとかそういったものが浮かんでくるから 自分って何だろうっていう問いが始まる。そこからこう
自分を理解しようというよりも 私って何なの?みたいな問いだと思うんですよね。自分に対する問いかけみたいなものが
始まることっていうのはよくあるんですけど じゃあだから
自分が理解できるかというとそれはね非常に難しいんです なんていうのかな
自分が着ぐるみを着ていてその中にいるような状態だから わかりにくいかなぁ
自分が着ぐるみを着ていることにも気づかないけど ある状態の中にいるわけですよ
だからそれが自分がどんな着ぐるみを着ているかわからないみたいな感じ なんだと思うんですよね。自分の
ことが見えてない。自分着ぐるみ着てても 自分じゃ見えないじゃないですか。手とか足なら見えるかもしれないけどね
だけどそれが自分だと思っていればそれに対して疑問も持たない。で、何かおかしいなと思っても何がおかしいのかよくわからないというのはありますよね
それをわかるためにはやっぱりまずは鏡に映してみるとこんな着ぐるみ着てたんか みたいなことはわかるかもしれない
あるいは人に言われてねあの人熊のぬいぐるみ着てるよって言ったら俺今熊なんだとね 言うようになるわけですよね
なのでやっぱり自分を鏡に映すように客観的に見るとか あるいは人に指摘してもらわないとやっぱり気づかないことってめちゃめちゃたくさんあるわけですよ
自分はそれを当たり前だと思ってるから全然気づかないっていうね 例えば自分のことで言うと
僕の言葉遣いって何かねちょっとねおかしいらしいんですよ 普通の人が使わないような言葉を使うよねとか言われたりして
他者からの指摘
何だろうな漢文ぽい言葉を使うのかな いわゆるとかいわゆる僕好きなんだけどいわゆるとか言わないよねとかね
あとあのしばしばとかね これずっと前に話したけどしばしばは通じないんでしょうね今ね
英語の授業でしか見たことがないとか言われたり だけど僕の中では自然に使っていたりとか
あと例えばですねなんか僕が会話をしているとめちゃめちゃ話題が飛ぶんだそうです なんかさっきまでなんかAという会話をしてたら突然Bの会話になっていて
いつ話題変わったのみたいになっているらしいんだけど 多分その時には僕は気づかずに何か考えていた時にポッと別の情報が入ってくるから
そのことについていきなり語り始めるっていう ただそれだけのことで別に他人にそれをちゃんと
今ちょっと急にこういう情報が入ってきたんで違う話をするんですけどとかっていう プロセスを全く入れてないだけみたいなんだけど
そこに多分気遣いがないんだろうね ということにいい歳になってから気がつくとかさあるわけじゃないですかやっぱり
だからねやっぱね自己理解ってねやっぱ難しいんですよねだからね それはやっぱり人に言われて初めてわかるってこともあると思うので
こういうのっていうのはねやっぱりあの複数の人がいてでその中でやるとかね そういう形にした方がまあ多分うまくいくと思うんですよ
ビジネスとかやってても 自分は正しいこれが正しいと思ってやっているんだけど
別の人から見るといやそんなやり方しなくたってもっとこうやったらいいじゃんみたいなね あのことを言われたりするんですよね
でなんだけどそのぬいぐるまの中にいる自分は いやでもこれでいいと思うんだけどなぁと思って外部の意見とか全然こう
こうだ簡単にね受け入れにくいっていうところがあったりするわけです ところがこう自分が第三者にそのアドバイスすると
あの普通にそうでしょこうした方がいいよねっていうのはすごくわかりなんか当たり前のように 言えたりするんですけど
それはやっぱりその外部から見ているからですよね 自分の中にいると見えてこないというところはね色々あるんじゃないかなと思います
客観的な視点の必要性
なかなか難しいんだけどその自己理解をしようと思ったら自分の着ぐるみの中にいるん じゃなくて着ぐるみの外に出ないといけないっていうのかな
まあちょっと第三者の視点に立つっていう あのメタ認知とかねよく言ったりしますけどそういう視点を持つのが必要なんだけどこれ
やっぱ難しいんですよねその第三者の視点でいるって 難しくてまぁ例えば
我々っていうのも なかなか言わないらしい
我々は国家権力に大事だってそういう人たちが学生の時にいっぱいいたからか知らんけど 我々っていう人も少ないらしいよ
こういうことも気がつかないんだけど何の話だったっけみたいなっていう風にこういった話が飛ぶのも
僕の特性らしいということに最近気がついたわけですけれども もう一回話戻るね
結局着ぐるみの中から出て自分を第三者的に見るような視点を持つと言われてもですね 何かやっぱり気がつくとね
ヒューンと自分の中に戻っていっちゃうんですよ例えば いや今日はもう絶対この仕事やらなきゃとか思ってるのに気がついたら
TikTokとか見始めてやべえ1時間半ぐらい見てたみたいなね それはさすがにやばいだろって感じなんだけど1時間半までは行かない人も
気がついたら20分経てたとかってあるじゃないですか その20分経っちゃってた時のそのひたすらこう
TikTok見てる時っていうのは完全に自分のぬいぐるみの中にいるわけですよ ねそれって
やばい気がつくかとかやばいこんなことやってるっていうのがこれがぬいぐるみの外に出た状態
ですよね 自分を客観視して自分気がついたら無駄なことやってるって気がつくって結構これ
意外と難しかったり 何か人間関係で揉め事とかあってめちゃめちゃ怒っちゃってもうなんか
自分の感情を外にぶちまけまくっちゃったみたいな時っていうのもやっぱり自分が 見えなくなっていて自分のぬいぐるみの中に
きぐるみの中にいてバーって言っちゃってる だけどその時にちょっと一歩引いた形で
きぐるみの外に出てみるとこれめっちゃ怒ってるけど
自己理解の重要性
これってこんなに怒らなきゃいけないのかなとか
だいぶボルテージ高いから周り引いてるよなとかっていうのが 見えるようになってくるとちょっと距離感が出てくるとそこに
これじゃいけないとかっていうふうに思えるっていう そんなのもありますよね
なので別の資座を持つっていうのかな 自分なんだけどももう一人違う自分を持つみたいな
これは自分を客観的に見るっていうことは結構個人差があると思います そういう第三者的な視点っていうのは
だいたい基本的に思春期以降ぐらい 14歳過ぎぐらいにより顕著に現れてきて
青年心理学とかでもやるんだけど その他者と自分の違いって何だろうっていうね
第二次成長期とかに合わせてそんな風な意識っていうのは芽生えてきやすい わけですよ
多くの場合それが何で芽生えてくるかというと やっぱり自分ってこのままでいいのかなっていう疑問に発
発端があるわけですよね なので自分をあんまり客観的に見るってことが
必要のない人っていうのもいるんだよね それはどんな人かというと無我夢中できてる人
無我夢中って
夢の中にいて自分がない状態っていう これはじゃあどうなんっていう話ですよね
いい悪いだけで捉えるのは難しいんですけど 本来例えば子供って基本的に無我夢中
だから
もう客観的に見るとかってできなくて もう自分の中にだけ生きてるわけだよね
本来それはめちゃめちゃ幸せなあり方なんだけれども だけどそこで成長していくに従って
いやあんたそのままじゃダメだよって言って 強制されるからこのままじゃダメなんだっていうふうになっていくと
そうすると自分というものをだんだん認識していって 俺はこういうことでしちゃいけない こういうふうにしなきゃいけないんだみたいなものが分かってくるという
ことじゃないですか そこでまず第一段階の自分を認識する自分を理解するというプロセスができてくるんだけど
無我夢中と成長
やっぱり大人になってからの自己理解というのはまたちょっと違うんだよね 結局その
無我夢中であった自分が無我夢中でなくて やっぱり大人としてきれいに形を整えられていった時に自分が何だかわからなくなっている
ということなんですよ 最初の子供の時のような無我夢中の状態に慣れていないとかね
なったりするわけじゃないですか 自分が何なのかというのはいろんなものがいろんな経験が自分にねもう
まとわりついてまとわりついているのが染み付いてきているから余計にこう その自分の本当の気持ちって何なんだろうというふうに分からなくなってきていたりする
わけです それを
まあ一個一個自分の心と
対話をするようにしていきながら余分なものを剥ぎ取っていってその奥深くにある まあ本来の自分の魂と一致して生きていくということをまた
やり直すようなことがあるわけなんですよね なのでまあ非常に自己理解というのはねあの奥が深いものもあるわけですが
やっぱり事故との対話をすることによってまああの人ってねより 自分が本当に何を望んでるかというのがわかってその自分のスピリットの声に生きていった
方が間違いなく幸せになると思うので なのでねそういう意味で自己理解っていうのを大事なんですよって話なんですよね
まあそれで今夜のね21時からの 自己理解ワークセッションですけれどもまぁあの本当に90分というね限られた時間なのでそういう深い
とこまでは全然いかないかもしれないですけどまぁその こんなふうにあったら自己理解ってできるのかなというヒントぐらいにはね
なると思いますのでぜひぜひですねお気合いに参加していただければと思います というわけでね今日も聞いていただいてありがとうございました今日の話が良かったよという方はいいね
やコメントそしてフォローをお願いいたします ok タンキーフォールスネーランハブグレーデー
12:18

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