退路を断つ重要性
こんにちは。言葉とアートで人の心を導く英語指導メンタリスト、そしてライトワーカーアーティストのはじめ先生です。
このチャンネルでは、心の在り方を整えることによって、英語力や人生を劇的に好転させる秘訣についてお伝えしています。
今日のテーマは、退路を断つことの大切さと難しさについて、というお話です。
まず最初に告知です。 2月11日水曜日の夜20時からリボン再生の祝祭というオンラインイベントが行われます。
このオンラインイベントは、スピリチュアルな人も集まるし、健康系の人も集まるみたいな形で、いろんな専門家の人が集まって、
3つのルームに分かれて、そのルームの中で15分くらいの持ち時間があって、そこで一人一人喋っていくみたいな形のサミット形式みたいな感じなんですけれども、
その3つある部屋がアルファ、ベータ、シータとあるんですが、その中のアルファの部屋の最後ですね、7番目に私登壇いたしますので、
ぜひぜひですね、ちょっと遊びに来ていただければなと思いますので、興味のある方は概要欄のURLからぜひぜひ参加をお申し込みいただければと思います。
たくさんの方にお会いできるのを楽しみにしています。
さて、今日の話題なんですけれども、帯路を立つことの大切さという話ですね。
皆さんの方なんかもね、帯路を立って何かをやったとかいうことってありますか?帯路を立つまで言うとなると、もしするとすれば、
あれかしこう人生の一大事みたいな大事な決断の時に、そういうふうにした人もいるかもしれないですね。
僕なんかの場合は帯路を立つと言えば、この15年ぐらいまで起業した時ですかね、
英会話スクールを立ち上げるぞってなった時は、それまでの雇われの生活から帯路を立って、自分でお金を稼いで生きていくと。
そう決めたっていうのが、ある種帯路を立ったっていう経験になるんじゃないのかなと思います。
他にあるかなと思うと、そんなにないかもしれないんですけど、皆さんどうですか?
こんな話をしようと思ったのはなぜかというと、実はね、ちょっとある相談を受けたんですよね。
その相談をしてきたのは、今大学受験中の高校3年生なんですけれども、
まあ共通テストも終わり、私学の出願もだいたい終わったんだけど、
いよいよ国立大学の出願を数日後にしなきゃいけないということになってきたんだけども、
まあだいたい心は決まっているし、もう散々考えてここにするっていうふうにしたんだけど、
なんかちょっと待つと、志願状況っていうのは少しわかるデータが得られるんだそうです。
なので、それをギリギリまで待っていれば、どのくらいの志願者が出てきているかっていうのがわかるので、
それを待ってから出願しようかなっていうふうにその生徒さんは言ってたんですよね。
そんなことを言ってたので、僕はその生徒さんに、え、じゃあギリギリまで待って、
その出願状況を見て、え、やばいと思ったら出願する先変えるの?って聞いたんです。
そしたら、いや、それから変えるんじゃもう間に合わないんで変えないですって言うんですよね。
え、だったらもう持ち込んじゃってよくない?って僕は言ったんです。
そしたらその時になって初めて気がついたみたいで、
ああ、そう言われてみればそうですね、みたいな反応だったんですよね。
まあまあ気持ちはわかりますよね。
自分が行きたい学部がどんな出願状況になっているのか、ライバルが多いのか少ないのかとかね。
知りたくはなるけど、でもそこに行きたいっていう風に自分が決断して、
もう出願の書類まで用意してあるのに、なんかそれを待ってから出願する意味って確かにないですよね。
なんでそうしたくなるのかっていうと、なんかやっぱりまだ自分に踏ん切りがついてないんだと思うんですよね。
何か確かなものが外側に欲しいと思っているんだと思うんですよね。
だけどその出てきたデータが正しいかどうかもわからないし、
そのデータを見たことによってまた翌日、
こっちの方がいいやって動いてくる人がいるかもしれないし、逆に抜けていく人もいるかもしれない。
それはもうわからないんですよね。
つまりその生徒さんは、どこかより確実な未来というのを自分の外側に求めていてしまったんだと思うんです。
要するに自分を信じるのではなく、何か他のデータを見て、
それが良ければ安心するし、そうでなければ不安になるみたいな、
そんな精神状態なんだろうなと思ったんですよね。
なので僕はその生徒さんに言ったんですよね。
バンジージャンプするって決めたんでしょ?
これ待てば待つほど怖くなるから、飛んじゃえばいいんだよって言ったんですよね。
ちなみに僕は高所恐怖症なんで、バンジージャンプとかとてもできないので、
最初からやるという選択をしないんですけど、たまたまの話のたとえです。
でもね、これを生徒さんに言いながら、自分はどうなのかなとぶっちゃけ思ったんですよね。
自分がそんなに態度を立って何かをしようとしているのかなと。
15年前に起業した時はさすがにバンジージャンプだったかもしれないけれども、
今バンジーやれますかって言ったら、いやいやいや、どうなんだろうと思っちゃいますよね。
でも振り返ってみれば、起業した当初ですね、
それまでの安定した生活を捨てて、そして自分で稼いでいくと、
決めた時には緊張感もありましたし、脇目も振らずにやるという感じだったと思うんですよね。
まさに自分の態度を立って、自分の新たな可能性とかですね、夢とか目標とか、
そういったものに向けて飛び立ったわけなんですけれど、
それから時間がたって、ふと生徒さんに言った言葉で、自分もちょっと立ち返っちゃったっていうね。
そこから話していることが、全部自分に言っているように思えてきたんですよね、途中から。
これ自分でそう思いながら話したんですけど。
その生徒さんに言ったのは、何で待ちたいのか。
待っても自分の決断は変わらないけど、何でそれを待ちたいのか。
結局自分を信じることがいまいちできていない状態なんだと思ったんですよね。
自己信頼の促進
普通には自信がないんだけど、自信がないというのは要するに本当に自分ならできると信じていない。
そういう物々の迷いを捨てて、迷っているエネルギーや時間があれば、
そっちの目標へ進むことに意識を向ける。
ということの方が大事なんじゃない?という話をしたんですけど、
その時に話していながら、
いやいや、この子にこう言っているけれど、自分はそこまで振り切っていないかもなぁと思ったんですよね。
事業をしてから、もちろん最初はカラースクールの経営だけやっていたんですが、
占いのほうも事業化していったり、
占いの館としてもウェブページを出したり、
アーティストとしての活動も始めたりということで、
自分はいろんな活動の場を広げて多角化しているというような認識だったんですけれども、
考えによってはこれは態度を立つの逆ですよね。
まあ言ってみればリスクの分散みたいなところもあるんだけれども、
経営判断としてそんなにおかしいとは思わないんだけれども、
でもやっぱり逆にこれだけです、みたいな人のほうが伸びるんだろうなぁと思ったんですよね。
迷いながらやっているのではなく、自分の中に軸があって、
その軸から自然発生的に増えていったものなので、
単純に自分に自信がなくてウロウロしているというのとは、
僕の場合は自分では違うかなと思いながらも、
もう一方で、やっぱり人生の終盤、これに賭けよう、みたいなところも必要なのかなというふうにちょっと思ったんですよね。
まあ本当に人生に時間は限られているし、体は一つだし、やれることには限りがある。
そうなってくると、やっぱりどっかの段階で何か態度を立って、
徹底的な引き算の下に、これというものを自分の人生の中心に置いて過ごせたら、
そのほうがシンプルで、なおかつやりがいに満ちた生活が送れるのかな、なんてことを思いました。
まあ大人としてはですね、長半ばくちみたいなね、
白か黒かだけみたいなことを別にする必要はないとは思いますけれども、
ただメンタルの在り方として、あるいはそのエネルギー的なところから考えても、
態度を立って一位先進している人というのは、やっぱり強いんだろうなということを思ったということです。
もしよければね、皆さんも自分に照らし合わせて考えてみていただくと、何かちょっとね、きっかけになるかもしれませんね。
はい、というわけで、今日のお話いかがだったでしょうかね。
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OK, that's it for today. Thank you for listening, and have a great day.