絵を振り返る
こんにちは、英語指導メンタリストのはじめ先生です。 このチャンネルでは、気候を変えることによって英語力と人生を劇的に好転させる秘訣についてお伝えしています。
今日のテーマは、自分の描いた絵を久々に見返してみた、 というお話です。
まず最初に告知です。 今、易を活用して自分の迷いを立ったり、経営判断に役立てたり、日常的に易を使っていって正しい判断ができたり、
然るべきチャンスをつかんだり、そういうことができるような、 私、定応学という講座を今、説明会をやっています。
何人かの方に今来ていただいて、今日もいろいろお話をしたんですけど、こちらまだ今月中募集してますので、興味のある方は概要欄のURLからお申し込みいただければと思います。
本当にね、経営されている方でもそうです。いろいろお仕事でも悩まれることとかあると思いますけれども、
そんな時にちょっと易に相談すると、本当に深遠なメッセージをくれたりします。 ただその読み方には結構コツもいたりしますので、そういったことをお伝えする講座で、
しかもね、それを通じてどうやったら願望がうまく実現するんだろうか、みたいなことをお伝えする講座ですので、
何か人生をもっとうまく生かしたいなと思う人は、ぜひちょっと説明だけでも来てみてください。
はい、今日の話題なんですけれども、今日その講座の説明会という時に、たまたま自分の描いた絵の話になって、
こんな絵ですよって言って、ちょっと機会があってね、Zoom越しに見せたんですけど、それが終わった後で、
まじまじと絵を見返してみた時にですね、やっぱり、自分で言うのもあれだけど、いい作品だなぁとかね、思ったんですよね。
絵を描く手法
まさに自画自賛じゃないかっていうところなんですけれども、
本当に最近はね忙しくて、ほんと絵を描いてないんですよね。もう十何年描いてる?十四、五年描いてないですかね、そのぐらいになるかな、十四年、三年ぐらいかな。
僕の絵はいろんな種類があるんだけど、結構好きなのは抽象画なんですよね。
結構自由に描けるというところがすごく面白くて、何が出てくるかわからないという面白さがあるんですよ。
でね、これ、僕が普段やってるのは実は占いに結構近いんですよね。
って言ったらもう、絵と絵とどう繋がるの?っていう感じで、何を言ってるんだろう、この人はってちょっと思うかもしれないんですけど。
絵器というのはね、偶然出てきた、例えばサイコロを使えばサイコロの数字とかね、サイコロの文字が書いてあったり、八卦の文字が書いてあったりとかするし、
あとは税蓄を使えばその時の税蓄の残った数とかで占ったりするんですよね。
これは偶然出てきたものから占うという手法です。
時々お客さんに占いをされる側の人に勝手に数字を言ってもらって、そこから占うなんていうね、ちょっと飛び道具みたいなやり方もあったり、
突然目の前にある、近くにある本を開いてもらってそのページで占うとかですね、そんなこともいろいろやるんですけど、とにかく偶然の出来事から導き出すっていうのが絵器のやり方なんですよね。
でね、僕、絵を描く時にもね、本当に似たようなやり方をするんです。何をやるかというとですね、
基本的にあれを描こうとかね、これを描こうとかっていうことをあまり頭の中に描かないで始めるんですよね。
あらかじめ下絵みたいのを作ってやるっていうことも特に対策を作るときにやるんですけど、
それをやった時にね、結構つまらなくなる場合があるんだよね。
自分の頭の中で思ったものを図式化しましたみたいな感じで、感情というよりも言葉が聞こえてくるような絵というより図解みたいになっちゃうんで、
そういうふうにしないで、まず画面を荒らすんですよ。
僕は油彩画、油絵をやっていたので、最初に下地塗りをするんですよね。その下地に砂を混ぜてですね。
それで砂と絵の具を混ぜて、結構乱雑にですね、適当な感じでザクザクザクザクと表面を作るわけです。
まあそれをやっているときにもちょっと絵を描くような気分もあるんだけど、でも何かの形を作るのではなく、
なんとなく自分の心地のいいザラザラというか、それが意味がわからないかもしれないけど、自分の気持ちがいいだと思うザラザラ具合を作り、
それを乾かした後に、ちょっと薄く溶いたブラウンみたいなので、超適当に塗るとですね、
なんとなくそこにね、こうなんかシミみたいなものができてくるんですよね。
そのシミからですね、またなんとなく引きたい線をね、引くんですよ。
これもね、理由がないんだけど、なんとなくここに線が欲しいなとか、
ここに線ができたら、今度こっちに線がこういう角度で欲しいなとかね、そういう感じなんです。
これがね、なんて言うんでしょうかね、僕がいつも言うのは、地面に、例えば溝が掘ってあって、
だけどその溝は砂で隠されている。その隠されている溝を指先で砂をどかしながら、
あ、ここにある、ここに溝があったと言って探すみたいな、この言い方が全然意味がわからないかもしれないんだけど、
何か本当はそこにあるものなんだけど、何があるかわからなく、どこにあるかわからないものを手探りでやっていくような作業で、
それがね、遺跡で何かを発掘するような作業なので、僕は一連の自分の作品を発掘されたイメージ、英語だとExcavated Imagesって言うんだけど、
Excavatedというのが発掘するというね、そういうタイトルで一連の作品を作っていて、
個展をやったりとかね、あとは全国公募展に出展したりとかして、時々賞もいただいたりとかしてた時期もあったんですけど、
この絵の描き方がすごく面白いのは、やっぱり偶然をもとに自分の心の中にあるものを投影して出していくっていうやり方が非常に心理学的なところがあるんじゃないかなと思うんです。
アートの心理的効果
皆さん、心理学を習った人はロール釈波テストっていうのを知ってますかね。
インクのシミみたいなものからその人が何を見るかによって、その人の心の奥底にあるコンプレックスであるとか、悩みであるとか、そういったものを呼び出すようなものだったりとかするんですよね。
僕が本当に信奉している心理学者といえば、スイスのカール・グスタフ・ユングという人がいるんですけど、
あの人は患者さんにマンダラを、東洋の仏教図のようなマンダラのような絵を描かせることによって、患者さんの心の状態を読んだり、あるいは患者さんの心の状態を統合させるのに手助けしたりとかね。
そういうアート療法みたいなのをやってたんですけど、それに近いというのが、絵を描く行為って自己ヒーリングというかセラピー的なところがあると思うんですよね。
それをやっている間って結構無心になるわけですよね、絵を描いている間って。
だから気がつくと仕事のストレスとかも忘れちゃってたりするんで、今はやっぱりやったほうがいいのかなとか、ちょっと今日改めて思ったんですよね。
ちょっと前に、昔の学生の時のエピソードを引っ張り出して、直感的な理解は言語化できない場合があるっていうふうに言ってたことがあるんですけど、
絵を描いている時ってまさにそうなんですよね。
自分の中にあるぼんやりとした感覚、感情、好ましい、好ましくないみたいな、非常に生物的に根源的な力を使っていると思うんですよね。
人間が言語を獲得するのって結構大脳神秘室的な活動だと思うんだけど、
絵を描く時のこの線がいいとかこの色がいいっていうのは、あんまり理屈じゃない生物としての根源的なところ、
脳の中では結構真ん中辺にあるトカゲの脳とか言われる、あの辺に起因するのかなと思うんですよね。
僕らが普段生活している中で、だんだん自分と乖離していってしまう、
例えば仕事に追われているってね、自分とだんだん乖離しているような感じになって、
自分このままでいいのかなみたいに感じる時って、やっぱり理性的に作能的にいろんなことを考えて、
今これやらなきゃいけないからやるとかっていうふうなことで追われているから、
やっぱり自分の根源的な下位・不下位で動くような、もっと生物的な言語にもならないような、
そういう感情の動きとか情動っていうのかな、それに基づく活動っていうのをできないでいると、
多分そういうふうになっちゃうと思うんですよね。
そういう意味で考えてみたら、アート的なものにクリエイティブなことに、
自分が本当に好きなことに没頭するっていうのは、自分を取り戻す上ですごい大事なんじゃないかなと改めて思ってですね、
絵も描きたいなーってちょっと思ったわけです。
ということでね、今日も身のある話なんだかない話なんだか雑談をしてしまいましたが、聞いていただいてありがとうございました。
今日のお話が良かったよという方はまたいいねやコメントなどよろしくお願いいたします。
はい、聞いてくれてありがとう、良い一日を!