シンクロニシティの走り
こんにちは。言葉で人の未来を開く英語指導メンタリスト、はじめ先生です。
このチャンネルでは、思考を変えることによって、英語力と人生を劇的に好転させる秘訣についてお伝えしています。
今日のテーマは、シンクロニシティが開いてくれた道、20数年ぶりの個展開催、というお話です。
このチャンネルでちょいちょいお伝えしていますが、僕は小さい頃から絵を描くのが好きな子供だったんですよね。
広告の裏とかによくイタズラ描きをしたりとかですね。そんなことをよくやっていたんですけれども。
絵が大好きだった僕がですね、小学3年生ぐらいの時だったかな。
カスメイトのね、ケンイチ君という男の子が、絵を習いに行ってるという話を聞いて、僕も絵が好きだったのでね、そこへ習いに行くようにしたんですよね。
最初は、なんか水彩画とかね、やっててですね、何でも好きなものを描いていいよって言われてたんで、
戦艦ヤマトとかですね、何でも描いてたんですけど、だんだん手ほどきをしてもらってですね、
1年後ぐらい、4年生の終わりぐらいだったかな、そのくらいにですね、油絵ですね、それを始めたわけです。
今にしてみればね、小学生で油彩画をやるっていうのは、なかなかね、なんかハイソーな趣味というかなんだろうと思うんですけど、
親にですね、絵の具の箱、木箱をですね、木に入った絵の具の箱、そこの中にはですね、木製のパレットが入っていて、油壺とかね、そういった基本的な道具が収まるようなものがあって、
それから絵をね、描くときに、キャンバスを置くイーゼルですね、それの伸縮式の、屋外にスケッチに行くときに使うようなイーゼルを買ってもらってですね、
それで絵を描くようになったんですよね。
で、その先生がなんか、ちょっと変わった趣味があるっていうのかな、これ描いてごらんっていうモチーフがですね、
埴輪とかね、道具とかね、縄文式土器とかですね、そういうちょっと変わったものをね、テーマにくれたんですよね。
で、だからね、家にはね、埴輪とか道具の絵がいっぱい飾られようになっていったわけなんですけど、
小学生にしてはですね、自分で言うのもなんですが、かなり絵は上手に描けるようになってきたと思います。
で、そんな絵が大好きな僕がですね、中学校に入って、じゃあ何部活に入るかって言ったときに、
美術部に入りたい気持ちもあったんだけれども、なんかね、中学生の男子が美術部っていうのも格好つかないなと思ってですね、
それはもう一つやっていた、剣道部にですね、入っちゃったんでしょうね。
入っちゃったとか言うなって感じですけど。
なんかね、やりたく、そんなにやりたくなかったんだけど、また入っちゃったという感じで、剣道をまた引き続いてやって、
これがですね、後々学校の先生になったときに、長年ね、剣道部の部門をやることになるのにつながったわけなんです。
で、中学校では美術の時間にしか絵を描かなかったんですけど、その美術の時間に描いた絵がですね、
どっかに勝手に出品されて賞を取ってくるみたいなこともあって、
まあまあ絵が上手な生徒みたいな認識をされていて、美術の先生にもですね、非常によく知ってもらって、
お前はこっちの方へ行ったらどうだみたいなね、勧められたこともあったんですよね。
で、高校に入ってからどうしたかというと、またこれまた美術部に入らないでですね、
当時は生徒会の活動でね、文化祭の実行委員とか、まあそんなことをやったりとかですね、
あとは友達と前にもちょっとお話ししましたが、自主制作映画をですね、撮って、
まあそんなことやってとかね、して、まあなんやかんや絵とはちょっと遠ざかった生活をしていたんですけど、
また3年生になってようやくね、洗濯美術っていうのが撮れるようになって、
それで洗濯美術の中で描いた絵がまた先生が勝手に出品したらまた賞を取ってきたということで、
まあまあ自慢になっちゃうんですけど、本当に絵は上手だったんですよね。
さて、じゃあ大学どうするかといった時に、その頃ですね、同時に僕はスターウォーズにハマっていて、中学ぐらいからですね、
それを通じて英語学習を勝手にやってたわけなんですけど、学校の勉強はほとんどしないんだけど、
スターウォーズを見て、英語は聞き取れるようになって、気がついたら喋れるようになったみたいな感じで、
どうしようかなと思ったんですが、まあ親にね、なんとなく美大に行きたいとも言えず、
それでもなんかおそろおそで言ったらですね、なかなか絵では食っていけないよという非常に常識的な親の一言で、
結局それもやめてしまってですね、じゃあまあなんとなく英語は得意だからということで大学の英文科に行くんです。
アートの再発見
ところが大学の英文科に行ったらですね、そこは英文学をやっているところなので、
まあ本当に来る日も来る日もですね、セイクスピアを読んだり文学史を学んだりとかね、やるんだけど、
まあまあ面白くないんですよね。英語学は結構面白かったんだけど、文学はね、本当に興味がないんだなということが分かって、
で、そこであまり大学の授業もそんなに真面目にやるわけでもなく、とある美術サークルに入るんですね。
で、そこの美術サークルはもう本当に変人ぞろいでですね、すごく面白い人たちがいっぱいいたんですけど、
まあそこで僕は結構腕に自信があったので、ふんふんふんと絵を描いていて、まあどうだみたいな感じで描いてたんですけど、
そこで先輩がですね、お前はその絵を描いて面白いのか、それがお前の本当に描きたい絵なのか、お前一体何を表現したいんだみたいなことを言われてですね、
で、そこで自分にとってのアートと言うのは何かということを真剣に考え始めたわけですね。
美大に行ってたわけではないんだけども、そこの空間だけ美大にいるような不思議な空間でございました。
まあまあそんな風に結構4年間アートに没入していたんですけれども、また就職活動の時期が来てですね、さあどうするか、自分の人生どうするかという時に、
やっぱり絵の思いが捨てられずですね、父にですね、やっぱり俺はアーティストになるって言ったら、ふざけんなお前、いくら金出したと思ってんだみたいに言われましてですね、
それはそうだよという感じで、でまあ親父とそういう風にね、ちょっとまあ喧嘩文化になった時にですね、母親が半分泣きそうな顔して、
頼むから教員採用試験だけは受けなさいみたいに言われて、でまあそれよりもちょっと前にね、教育実習に行ったんですけど、これがね意外と面白くてですね、
人にものを教えるっていうのはなんかね、すごく楽しかったんですよね。で、まあそっか確かにまあ学校の先生もいいかもしれないなあなんて思って、
で、まあ母の娘もあって教員採用試験を受けて、それでですね補欠合格みたいになり、そうやって繰り上げになって学校の先生になったわけです。
で、学校の先生になってまあ日々日々忙しくね暮らしていく中でも、ある時ですね、うちのクラスの、当時のクラスの担任をしていた生徒さんが、
あるギャラリーでね、夜絵を描く習い事をやっていると言われてですね、そこで生徒さんに、それどこ俺も行きたいとか言ってですね、
その生徒さんと僕と、あとこの絵の教室をやっている先生と出会ったんですが、その先生がですね、
某私立高校の美術の先生で、そこで描いてですね、はじめ先生も結構絵上手だから、うちの私が所属している会に出品しませんかみたいな話になってですね、
そうなんですか、なんて言って、生まれた初めて80号という当時としては僕の中では一番大きい絵を描いたんですよね。
新たな道の選択
そしたらね、その会でですね、一発目でですね、会友推挙というのをいただきまして、東京都美術館の近くにある西洋圏というね、上野の西洋圏という古くからあるレストランでですね、
受賞式に参加するという、なんか今までない経験をしたんですね。
その翌年ですね、今度はもうちょっと大きい100号、高さが160センチぐらいあるのかな、結構でかいですが、
それを描いて出品したらですね、もう2年目に会員推挙というね、正式メンバーみたいなものに選ばれまして、また受賞式に出ることになったんですよね。
それから出品を毎年続けて、毎年東京都美術館で出品しながらですね、2回ぐらい賞をね、いただいたりして、
その後ですね、今から20年ぐらい前に初のね、古典をやるまでになったんですけれども、
それからほどなくして、いろいろあってですね、学部宣誓を辞めちゃってですね、起業をしてしまったんですね。
それが今の英会話スクールの経営なんですけど。
それをやり始めてからですね、まあまあ時間がなくてですね、絵を描くということがなくなってしまって、
まあはやもう十何年とかいう感じになっているわけですよね。
だけど僕の中ではずっとフツフツとね、なんか絵をやりたいという気持ちがあり、
なんか人にはですね、僕は晩年は描きとして死ぬんだってずっと言っててですね、
ギリシャで絵を描いて死ぬとかね、言ってたんですけど、
ただね、最近ですね、ひょんなことで、まああるカフェのですね、2階のギャラリーを貸してくれてですね、
そこで古典をやっていいよという話が急遽舞い込んでですね、
でこれちょっとひよったんですよね、いやちょっとどうしよう、新しい作品もないし、
もう本当に古い作品ばっかりだし、古い作品もなんか倉庫に入れてあって、
もうかびてるようなのもあるし、どうしようかなと思ったんだけど、
これはまあ乗るしかないだろうということで、急遽ですね、古典をやることに決めまして、
つい先日ですね、半期ができてですね、それを夏別の時に持って行って、
みんなに配りまくったというような経緯があるんですけれども、
そんなこんなでですね、まあ本当に不思議なシンクロニシティによってですね、
20年ぶりぐらいの古典というものをやる運びとなりました。
展示会の詳細
でまああと1ヶ月ぐらいしかないんですけれども、いやこれ大丈夫かなってめっちゃ思ってます。
ですけどね、あのオルゴールさんもラスフェスというのを見事にやり遂げたので、
まあ僕もね、かなりそれに勇気をもらいました。よしちょっとやるかという感じになっています。
といってもね、たくさん新作が描けるわけではないので、
旧作を描き集めてですね、僕のこれまでの画業を振り返るみたいな、
ちょっと開古典的な感じでほぼほぼ旧作を並べてですね、
とはいえほとんどみんな見てもらっていない作品なわけなんですよね。
なんでそれをね並べてみようと思います。
もう本当に100号の大作も持っていける限り持っていきたいなと思っていて、
そこに商品も並べ、そこにちょっと新作も入れたり、
なんかしたいなというふうには思っているんですけど、
まああと1ヶ月しかないのでね、こんなに決まってなくていいのかという感じでね、
しかも毎日通常業務をやりながら、リアル店舗のお仕事とオンラインの仕事と、
いろいろいろいろやってる中でどうなるんだろうというふうに不安もめちゃめちゃあるんですけど、
まあまあやると決めたからにはやる方向に行って、
もうここで喋っちゃえばもう二度と引き下がることができないと思うので、
まあまあここで進めていきたいと思います。
というわけでですね、
こその個展の開催日程なんですけれども、
始まりがですね、ちょうどほぼ1ヶ月後、12月6日の土曜日から、
そして12月21日の日曜日までと、
まあちょっと長めに期間を取らせていただきました。
土日が3回くらい入るような感じになっています。
場所がですね、これは愛知県の新城市というところにありまして、
結構山の中なんですよね。
宝来館というね、ちょっと大正ロマンっぽい感じの、
本当に昔の建物の中で営業されているカフェでですね、
非常に多分オーナーさんの趣味なんでしょうかね、
竹下ゆめじさんの絵があったりとかですね、
本当に素敵なところなんですけれども、
そこの2階のギャラリーをお借りして開講展を開催いたします。
まあなかなかね、場所も変皮だし、
見に来るのは難しいという方もいらっしゃるかもしれませんが、
もしね、お時間等を許せばぜひぜひご覧いただけたらなというふうに思います。
まあそのためにはですね、
ちょっと頑張っていろいろ準備しなきゃなというところなんですけれども、
皆さんに少しでも何かお見せできるように頑張りたいと思います。
というわけでね、今日は急遽個展をやるよというようなお話をさせていただきました。
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では今日はここまでです。
ご視聴ありがとうございました。