オートマティズムの紹介
こんにちは。言葉とアートで人の心を導く英語指導メンタリスト、そしてライトワーカーアーティストのはじめ先生です。
このチャンネルでは、心の在り方を整えることによって、英語力や人生を劇的に好転させる秘訣についてお伝えしています。
今日のテーマは、潜在意識に身を委ねる【オートマティズム】とは何か、というお話です。
まもなく古典が近づいてきたところで、タイトルコールと型書きをリニューアルしてみました。
ライトワーカーアーティストとは何だろうと思うかもしれませんが、そんな型書きを付けてみました。
スピリチュアル系のオンラインイベントに出展するので、そのうちに公開します。
その時にも、ライトワーカーアーティストという型書きを使ってみることにして、先行してスタンドFMで公開します。
古典の告知も兼ねて、僕のリタイア後の生活を見据えて、自分をライトワーカーアーティストと呼んでしまおうということです。
12月6日から21日まで、愛知県の新城市にある美術カフェ【宝来館】で古典を行うということになります。
その告知も兼ねて、しばらくアートについて語ってみようかなと思います。
今回展示予定の作品の中には、偶像的なものもあれば、抽象的な作品も多いのですが、
抽象絵画というと、一般によくわからないものというふうな考え方で感じられる方がいらっしゃると思います。
何だこれ、という感じでしょうかね。何これ、みたいなね。
なんでピカソはあんなへんてくりんな絵を描くんだろう、とかですね。
これ一体何なの、みたいな、とかね、あると思いますけれども。
そういう絵画なので、どういう経緯で出てきたのかとかね、そんなことについてお話をしてみようかなと思います。
美術史を長々と語ると、本当に壮大な話になってしまうので、
特に抽象絵画とかですね、そういったものが出てきた経緯についてなんですけれども、
その一番大きなターニングポイントになったのは、シュールレアリズムという考え方があります。
シュールレアリズムというのは、超現実主義といわれて、有名な画家だと、一番有名なのはサルバドール・ダリとかね。
知ってますかね、時計がドロッとチーズのように溶けたような絵とかね。
ちょっとなんかある種不気味な感じの絵なんですけれども、
ああいうシュールレアリズムというのが、当時最先端だった精神分析学、
特にフロイトですね、ジグモンとフロイトの精神分析学に基づいて、
要するに人間の潜在意識というものを、初めてフロイトが学術的に体系化したというところがあるわけです。
人間の様々な精神疾患というものがどういうふうにできているかといったときに、
やっぱり無意識に押し込められている、抑圧された感情であるとか、
あるいは異常の根底に人類共通の神話的なイメージが現れるということで、
夢の分析とか、あとは自由連想法とか、そういう様々な技法を用いて、
人の心の問題を解決しようとした、そんな学問が出てきたんですけれども、
それにアーティストが触発されて、人間の潜在意識の欲望であるとか、
そういったものを描こうとした、そういう自己探求をすることによって、
それを芸術表現に消化しようとしたわけですね。
さっき言ったサルバドールン・ダイなんかは、文字通り夢の中に出てきたイメージをそのまま描いて、
絵画にして、本当に不思議な感じの絵になったわけですけれども、
そういうシュールレアリズムの画家たちが取った技法の一つに、オートマチズムというのがあります。
このオートマチズムというのはオートマティックから来ているので、何となくわかるかもしれませんが、
自動書紀に近い、自動書紀も何という人もいるかもしれませんが、
思うがままにいろいろ描いていくと、自分の思ってもなかったような文言が出てくるみたいなやつですね。
いわゆるジャーナリングなんていうのもこの技法の延長線にあるんだと思うんですよ。
描きまくることによって自分の中にあった無意識のブロックであるとか、
自分の思い込みであるとか、そういったものが出てきたり、自己対話ができるというものですよね。
ところがこれ一歩進んでいくと、自分が全く思ってもないようなメッセージが降りてくる場合があるわけです。
そうなってくるとこれはもう神の言葉を下ろしているみたいなやつですよね。
これは自動書紀という風になりまして、できる人とできない人はいるだろうねと。
結局いわゆるチャネルリングの一種になりますので、自分の意識をどこに繋いでいくかということですね。
自分の個人の潜在意識にアクセスすると自分の問題というものがいろいろ出てくるんだけども、
もっと工事の意識とチャネルリングをすると神様の予言みたいなものが降りてくるような人もいるわけです。
アートの技法と自己探求
この神様の予言みたいなものを下ろすときにやっぱり必要になってくることというのは、自分の意識を完全に停止させるということですね。
自分の意識があると神様の意識が飛んで来るとしても、それがごちゃごちゃしていると、
自分がずっと喋っていると人の話が聞こえないみたいな感じでしょうかね。
なので一旦自分の自我を黙らせるということをするわけですけれども、
それで完全に自分の無意識に委ねる、そんな絵の描き方というのがあるんですよね。
それをオートマティズムと言います。
オートマティズムで有名な画家というとですね、皆さんがご存知かもしれない人だとどんな人がいるかな。
ミロという画家知ってますかね。ジョアン・ミロという人ですけど。
わかんない人はネットで調べてみてもいいと思うんですが、これ完全に抽象の作品なんですよね。
色と形みたいなもので成り立っていて、これは一体何なんだろうというふうに思うような絵になっているわけなんですけれども、
それと同じようにもうちょっとわかりやすい部類でいくと、パウル・クレイなんかもその部類ですかね。
クレイの絵というのはオートマティズムなんだけれども、なんか偶像的なイメージもあるので、
なんとなくね、わかりやすい。わかりやすいというのが可愛らしい絵になりますね。
もうちょっと後の時代になるとね、アクションペインティングなんていうのがあるわけです。
絵の具をキャンバスに叩きつけるようにして描く。
例えばジャクソン・ポロックという人なんかはもうひたすら絵の具を叩きつけながら描くという人で。
一面にガーッと絵の具が塗りたくられていて、そこに秋と書かれていて、
これが一体どこが秋だとかって多分みんな思うんだと思うんですけど、
それはその人が自分がパーッと描いていった時に、
これってなんとかなく秋かなーと思ったから秋って付けるっていうね。
抽象絵画というのはですね、非常にタイトルが重要で、タイトルも含めて完成するみたいなところがあるんですね。
僕の技法に近いのがマックス・エルンストという人なんですけれども、
マックス・エルンストという人はですね、これもまためちゃめちゃ心理学から影響を受けてるんですけど、
デカルコマニーというやり方があって、インクを適当に照らして、それを紙でペタッと貼り付けると、
いわゆるロールシャッハテストってわかりますかね。
よくわかんない抽象的な模様が出てくるんですけど、
そういう偶然にできた模様からイメージを膨らませていくというやり方になります。
僕の絵画でも、僕が一番好きなのはそれなんですよね。
キャンバスの上に適当に表面を荒らすんです。
砂とか混ぜた下地を作って、そこにめちゃめちゃ適当に薄い絵の具を垂らしていくと、何となく模様みたいなものが浮かび上がってくる。
そこにいろんな色を重ねていくうちに、だんだん自分の中に何となくこれが何々見えるな、みたいな感じで、
それをたどりながら、次第に自分の中でイメージが自然に沸き上がってくるというか、勝手に形になってくるみたいなね。
そんなようなやり方なんですよ。
偶然の出会いとシンクロニシティ
この偶然に現れたものに自分が何を投影するかという、そこからメッセージを自分なりに読み取っていく。
これはね、液もそうなんですよね。液でサイコロの数字が出ました。
その数字には何かその人に符号する意味があったりする。これがいわゆるシンクロニシティというものなんですけれども、
そこからその人の今の状態であるとか、その人がこれからどうしたらいいのかというメッセージを読み取っていくというものなんですけど、
このそもそも液に出会ったのも、このシュールレイズムで出会ったジグモント・フロイドの精神分析学を読んでいって、
そこからフロイドの弟子であるカール・グスタフ・ユングという心理学者の理論にたどり着きですね。
そしてユングの中に出てきたシンクロニシティという概念がめちゃめちゃ面白く、
そしてユングという心理学者が実際に液を立てていたというところを見て、ヘイヘイというところからなので、
これが全部繋がっているんですよね、今僕がやっていることと。
僕は単語本で単語を暗記しないという変な流儀を持っているんですけど、
これもやっぱり偶然たまたま現れて、その人の前に現れたものがその人にとって今必要なものであろうという、
いわゆるシンクロニシティ的な理論にのっとっているというところがあるんですよね。
今日の教材を何にしようか、これは僕の思維的な選択なんですけれども、
我々が意識して、意図して何かしているようなことであっても、実は大きな、もっと大きな断りの中にあって、
それがその人にとってまさに今必要だったメッセージだとかね、そんなことが起きてくるのが面白いんですよね。
なので僕は最初から予定されていることよりも、予期せぬ出来事みたいなものが大好きなんですよね。
だからそこに偶然性に任せると。
計画性のなさというのの完全な裏返しかもしれないんですけど、
僕の中では計画的に人生を生きるより、どこにどう流れるかわからないけども、
人生の計画と意外性
そこに身を委ねていくという方が面白いかなと思っているんですね。
ロバート・ゼメキスという映画監督が作ったフォレスト・ガンプという映画がありますよね。
あれはちょっと知的に障害のある男性が、その目の前に現れたことを精神整備やっていくと、
思わぬところに人生がどんどん運ばれていく。
そして人をどんどん幸せにしていくっていうね、そんな話なんですけど、
その非常に象徴的なイメージとして、鳥の羽が映画の冒頭と最後に出てくるんです。
その鳥の羽というのは風に舞って、そして地面に落ちるかと思えば車が通ってまた舞い上げられて、
みたいにいろんな状況によってフワフワとあちこちに行って、
最後には遠く空へ飛んでいくということになっているんですけど。
同じロバート・ゼメキス監督で主演も同じトム・ハンクスのもう一つ、キャスト・アウェイという映画があります。
これはある男性が飛行機事故にあって、ある島に流されてしまい、
そこでサバイバル生活をしながら最後には戻ってくるんだけど、戻ってきた時には浦島太郎みたいになってしまっていて、
全く元の世界と違っている。
それで自分がこの先どうやって生きていけばいいんだろうというふうに思った時に、
それこそ木をポーンと投げてですね、その木が示した方向を歩いていくという、そんなことがあるんですけど。
この二つの映画の伝えているメッセージというのは、人生っていろいろ計画はしますよね。
計画して目標を立ててやっていくのはもちろん重要なんだけれども、それだけじゃないんですよね。
人生って本当にいろいろあるわけですよ。
思い通りになることばっかりじゃない。
だからこそ人生って面白いなというメッセージだと思うんですけど、
僕の絵画作品というのも全く予期しない出来事、全く予想がつかない展開、
このプロセスを楽しんでいるということなんですが、
そういったものに身を委ねる、これがオートマチスムという技法であり、
そういったものに身を任せていくというね、
これをバシャールはサレンダー、完全に身を委ねて降伏する手放すという言い方をしますけど、
こんな考え方もあるんだよということですね。
気がついたら今日長くなっちゃいましたけども、
というわけで今日はアートについていろいろ語ってみましたが、
皆さんどうでしょうかね。
マニアックすぎて分からなかったかもしれませんが、聞いていただいてありがとうございました。
というわけで、来月の個展に向けて頑張っていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします。
また占いの鑑定とか英語の個人レッスンに関しましては、
ぜひぜひLINE公式アカウントの方からお問い合わせください。
OK, that's it for today. Thank you for listening, and have a great day.