コミュニケーションの癖
たかはしさん、よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
今日はざっくりあれですね、恋愛とかコミュニケーションについての話をできたらなぁと思ってます。
はい、恋愛とコミュニケーションです。
はい、前回一緒に読書会、恋愛・結婚の終焉というテーマでさせていただきましたけれども。
はい、はい、そうです。
その辺の分野で活動している中で、他の参加者さんからも、たかはしさんすごい面白そうな聞きたいことがいっぱいある感じがするんですけど、どういう方なんですか?っていただいたりして。
私も実は、この辺で活動されている方だから、きっと多いことあるんだと思うんですけど、まだ何も聞いてないんですよ。
そうですね、結構いろんなコミュニティに行ったり来たりしてるから、確かに何してる人っていうのはあんまりわかんないかもですね。
あんまり、自己紹介をちゃんとしないので、自分も。
こういうのがあるならばどっちかやってます、みたいなことを言うだけなので。
そうですよね、多分2人とも主催していてあんまり自分のこと話してないほう。
そう、自分のことあんまり話してないですよね。
なんで、ちょっとせっかくならお話したいなと思って。
そうですね。
そうですね。
いやー、コミュニケーション難しいなと私はすごく最近思っていて。
そうですね。
なんか、今その20人くらいのシェアハウスで暮らしてますけど、
なんか、なんだろうな、自分のコミュニケーションの癖ってあるじゃないですか。
自分自身のコミュニケーション。
自分自身のコミュニケーション。
その癖が多分私は、SNS、ツイッター上の言語化する人たちと、
あと対話系の人たち、みんな本当に話したり聞いたりがうまい人たち
あと仕事でやっているお客さんの話を聞くみたいなコミュニケーションをずっと回してきちゃってたんですよ。
だから、改めていろんな人がいる中で入ったときに、
すんごい、センシティブな、質問の仕方がどう思うんですかみたいな、
心の動きをひたすら聞くみたいなパターンがついていて、
やっと、人って普段そんなに言語化しないんだとか、
日常生活でどう思ったとか、言わない雑談とかノリとか、そういう場も大事だし、
自分がいかにどういうことを人にしていたのかっていうのがすごい感じられて、
そうですね。
そういうので、私が知らずして、
例えばプライベートで友達と会うときに繰り出しているコミュニケーションにやっと視点が入ったというか、
何が起きていたのかがちょっと分かってきた。
そこそこ、20人の中に入って、改めて自分のコミュニケーション性が、
やっと深いことを聞きたがっちゃう。質問をしちゃうみたいな。
そうですね。
気づいたんですね。
気づきましたね。
プライベートっていうところに今まで自分も普通と思ってやってたけど、
やっぱり結婚相談所ってところでも、みんな自分が普通だと思ってるけど、
例えば家族みたいに前提が説明しなくても理解してもらえるようにしたりとか、
職場で細かくこういうことを話すとか、理論的に話すとか、
そのスタイルだけで初対面の異性と会うみたいなところに行くと、
大変普通じゃないとか、全然盛り上がらないとか、理解できないとか、いろいろ起こるんですけど、
そういう時に、やっぱり自分では気づかないんですよね。自分では普通だけど。
そうですね。たぶん気づかないし、染み付いたものだから、
なおせるものでもないのかなと。
コミュニケーションスタイルみたいな。
そうですね。ただ、住んでる中で他のスタイル、他の人も真似したりとか、
その場でこう動くと他の人からこう見えるんだとか、
新しい手札とか、自分今これ手癖でやってたと気づいて、他のを選べるようになるとか、
そういうのは増えた気がしています。
確かに、それはその場だけの話法というか、自分のコミュニケーション方法みたいなのを作るみたいなのは、
確かに一つかもしれないですね。
そうですね。変えようと思えば変えられる、選べるかなって気がしています。
なんかこう、演じるじゃないですけど、例えば、職場の飲み会での話し方、自分はこうするとか、
友達、あの子の友達と、仲良い友達とはこう話すみたいなのとか、
やっぱり自分なりのコミュニケーションスタイルっていろいろあると思うんですけど、
これはすごい自分にとっては、心地いいコミュニケーションスタイルっていうのは多分あると思うんですよね。
自分の中では聞きすぎちゃうと結構その場は楽しいんですけど、
後々めちゃめちゃ疲れちゃうっていうのもあるし、
あとは結構喋りすぎちゃうと、それはそれで疲れちゃうんですよね。
自分が話しすぎちゃうようなコミュニケーションスタイルだったりとかすると、結構自分は疲れちゃいます。
だから調整をしていたりします。
境界線の問題
あ、そうなんだ。
たかはしさんの心地いいってどんな感じなんですか?
自分は普段一番心地よさって、人の話ずっと聞いてる方が楽っていうか、
聞きながらちょっと好奇心が満たせるぐらいの感覚が一番いいです。
それでもそこの塩梅が難しいんですけど、聞きすぎちゃって、
あの人の聞きたくないとか、向こうも話したくないなって思ってるようなことまで、
結構ずっと聞いちゃったなっていう時とかは結構疲れちゃうときもあります。
うーん。
私、たかはしさんに初めの方に会った時に、なんだっけ、
コーチングなんだっけ、傾聴だ。
何かを学んだ方の聴き方だなみたいな気が。
えー、思いました。
うん、して、なんかこう、変歴?
今までのコミュニケーションスタイルって変わってきたりしたんですか?
コミュニケーション、そうですね。
あ、でも元々すごく聞き上手ではあったのかもしれないです。
なんか中学校ぐらいから女子から恋愛相談とかめっちゃ受けてたんで。
えー、すご。はい。
聞き上手ではあったのかもしれないですね。
だし、なんか自分もその頃から、なんかほら、
メンズってなんか変なアドバイスしちゃうじゃない?
そういう時はこうするんだよみたいなことをすぐなんか言っちゃうじゃないですか。
はいはい。
それは女性にはもう通用しないんだなっていうのは中学校時点でわかってました。
早熟ですね。
だからその辺りから割とこう聞くだけの話、聞くだけのコミュニケーションスタイルは割と楽しいなって。
だからそれは多いです。
で、そういうのってカウンセリングっていうのがあるんだっていうのを知って、
高校ぐらいに心理学の本とか読んでましたよ。
へー。
聞くことが楽しかった、もともと悩みを聞くのが楽しかった。
そうそうそう。
もともとなんかそういう人の話聞いて、なんかこう、なんか気づくじゃないですか。
なんか話してるうちに相手が、あ、あれってこうだったのかもしれない、
あー自分の悩みって実はこれなのかもしれないみたいなことをたまに言うじゃないですか。
うんうん。
ただただ話聞いてるだけ。
うんうん。
そういうのがね、結構面白かった。
あ、もともとそんな、10代からそんな感じなんですね。
もともとそんな感じでした。
すごい。
で、福祉系の大学に行って社会福祉とかの勉強して、
はい。
まあ、だからもろその辺のその聴くスキルというか聴く経験っていうのが生きてきました。
うーん、え、あれですか、福祉系の方ってたまにいらっしゃるのが、
こう、無限にケアをしてしまうところがあったりするんですか。
結構あの、領域侵害の人がすごい多くて、
まあもちろん自分自身に対しての領域侵害もあるんですけど、
なんか、この、ある程度なんかあるじゃないですか、パウンダリーっていうか、
まあ境界線があると。
はい。
それを越えちゃう人もいるし、
うん。
なんかどんどんその、自分の境界線の中にどんどん入れちゃう人とか。
うん。
だから、だから職場、だから仕事は離れてって、
家でもやっぱりこの人のことをすごい気になっちゃったりとか。
うん。
あの、疲れちゃう、結局なんか精神的に病んじゃうっていう人とかは、
確かに福祉系の方が多いんです。
うんうんうん。
そこはちゃんとこう、切り分けられるというか。
あ、だから昔は、ほんと実習中自分は1回経験として、
その境界越えちゃった時があったので。
共依存と親密な関係
あ、はい。
なんかどっちか、精神科の実習行ってたんですけど、
はい。
その時に、そのなんだろう、ちょっと1人の患者さんにちょっと、
そのことをかわいそうだと思っちゃって。
うん。
結構入れ込んじゃったんですよね、実習期間中に。
うん。
それで結構すごい疲弊しちゃって、
まあ学校の先生にこう話聞いてもらったりとかして、
まあそれはパターナリズムって言うんだよみたいなことを教えてもらったりとかして。
何について言ってたの?
パター、パターナリズムっていう。
へえ、はいはい。
まあ結構カウンセラーの方とかなりやすいんですけど。
うん。
なんかその自分の身内みたいな感じになっちゃう。
身内を助けるみたいな感じになっちゃって。
その専門家としてではなく、
はい。
身近ななんかこう親しい人として、
なんかその人と関わってなんかこうケアしてあげようとか思っちゃうんですけどね。
ってなるとその専門家的な判断ができなくなっちゃうんですよね。
だからかわいそうだから、
実はその人にとっては、
ちょっと頑張って訓練とかしてもらいたいんですけど、
身内的な気持ちとしてはその人が辛いって言ってるから、
ちょっとやめてあげようかなって気持ちになっちゃう。
なるほど、そっかそっか。
全然その人の手にいかないんです。
そうですね、いや難しいなそれは。
だからこれパートナーとか恋愛の関係に入れちゃうと、
いわゆる共依存みたいな感じになっちゃう。
なるほど、はいはい。
そっか、この境界線を越えてる感じが共依存?
そうですね。
不眠休止と言うとそうですね、
だからそういうような経験があるから、
なんかその人との距離感とかはすごく考えるというか、
まあ見るようになったなって思います。
へー、共依存とか人間関係で言うと、
距離感と親密な関係って全然違う面が出たりするじゃないですか。
そうですね。
特に親密な関係ってその親との関係の再演とか言われたりもするじゃないですか。
そうですね。
だからそれで言うとケアしすぎな傾向があったりするんですか?
ケアしてるつもりで全然、むしろその人の足を引っ張ってるみたいな時もあります。
え、どういうこと?
共依存っていわゆるアルコール依存症の方とかの、
アルコール依存症で奥さんがケアしてるけど、
なんか私がいなきゃダメだからみたいなこと言って、
どんどんアルコール飲ませちゃうとか。
で、その人のことをかばってるようで、
自分がそれで認められてるような暮らしで、
安心したりとかするんですけど、
実際その外から見ると全然ダメになってるよ、みたいな時がありますよね。
結構アルコール依存症に限らず、
どのカップルでもそういうカップルとか、
裁判夫婦関係とかでもそれはよくあるんじゃないかなとは思ってます。
相手がダメな人間だというレッテルを張って、
自分が優位に立とうとするっていうのは、
これ弾力限らずあると思うんですよね。
なんか割とそれって共依存なんじゃないかなと思ってます。
すごい、私はきっと細かく進んでらっしゃる話だ、きっと。すごい。
自分はもともと結婚してたので、
結婚してた元奥さんとかは、
そんな傾向がありました。
自分が優位に立いたいから、
相手は自分のことをダメな人だっていうことをずっと言ってて、
実際自分のことをダメな人だって思っちゃってて、
依存関係とメサイアコンプレックス
いろんなことができない人間なんだ、みたいなのを思ってくると、
自分にとっては優位に立っている状態じゃないですか。
だから何しても褒められもしないし、
感謝もされないし、みたいな状態でしたね。
相手ができない人間だってこと?
相手は優位にいたいんですよ。
相手の人が優位にいたい。
相手の人が優位にいたいから、
自分を貶めることで、
自分が常に優位にいられるような関係を築いちゃうんですよね。
相手に優位側を譲っていたってことですか?
自分が優位を譲ってた感覚ってないわけですよ。
実際そういう親密な関係の中で。
外の人から何か言われれば良かったのかもしれないけど、
自分は全然そんな優位を譲っているという感覚は一切なかったです。
難しい。私もこの辺よくわかってないんです。
全然難しい。
だから多少それで上手くいってる夫婦とかもあると思うんですよね。
そうですよね。
だからその辺って共依存、
いわゆる共依存とかって言われてるけど、
ある程度のそういう依存関係みたいなのって、
で成り立ってる関係ってあると思うんですよね。
そうですよね。
そもそも日本の夫婦って家族ってユニットになるから
依存し合っているのが割とデフォルトみたいな。
経済的な依存とかって役割で依存構造になってたりするじゃないですか。
経済?心?体?
なんかもう一個くらいあった気がするんですけど。
依存のジャンル?
そうですね。
なんか関係がダメになっても離れられないみたいな。
辞めたいけど辞められないが依存症になるって聞いたことがあるんですけど。
安定型の人の特徴
依存くらいは普通にあり得るけど、
形によっては非常に危ないみたい。
そうですね。だから自分は男性としてよく恋愛相談に乗るのは、
やっぱり暴力振る彼氏と別れられないとか、
別れたんだけどまた結局暴力振る彼氏と付き合っちゃうみたいな
女性が結構多くて。
あれってなんでだろうなっていうのがすごい疑問に思ったんですけど、
結局なんかいろいろ勉強していくと、
不正の問題があったりとか、
自分のお父さんに甘えられなかったから
お父さんみたいな人を選んじゃうっていう人とかもいるし、
やっぱりそれはそれなりに、
好きになっちゃう女性自身が結構歪んでいるというか、
いろんな自分では気づかないトラウマを抱えているんだな
ということもあるんだなって気づきました。
癖っていうのは間違いなく形成されているなと思うんですよね。
それって本当に気づかないので自分自身で。
だからそういう時に本当に自分でまずいなと思って、
診療内科とかカウンセラーの方に相談するとかっていう
手段はなかなか取れないですよね。
私はそこを自分で切り込みたいなと思って、
いろいろやっているところなんですけど、
うまくまとまっていない話ではあるんですけど、
依存してくれることに依存するみたいなのってあるじゃないですか。
そうですね、あると思いますよ。
依存してくれることで、やっぱり優越感もあるし。
嬉しさ。
自分に依存してくれる人に依存するっていうパターン。
依存してくれることに依存するっていうのと、
甘えたかったを安全な状態で接種するみたいな動きを
やっているんだと思うんですよ、私は。
ただ、人間関係って人にやっぱり、
これは本当に性別関係問わず、
甘えさせてもらうことがすごく多いなというか、
人に助けてもらう形になりがち。
それが健全に回っている時もあるじゃないですか。
パターンとしてやっちゃう動きってあるじゃないですか。
依存されることに依存するっていうのも、
私は人の相談をやりすぎるとそういうことになるなって思っていて。
そうですね。
健全なラインとダメなラインって、
結構気をつけないといけないというか、
どこからなんだろうっていう思いと、
私の中で自信のなさとか不安とか、
見捨てられたくなさとか特別になりたさみたいなのが
強かった。今もゼロじゃないけどあったなと。
さっきカウンセリングの話されてましたけど、
自分の根っこに行って、
セラピーが進むと、
ちょっと偏りすぎない、歪んだ壁みたいなのが薄まる感じはしてます。
人間の好みが変わってきた気がします。
考える人が変わってきた。
そうですね。
だから、依存のところで言えば、
確かに自分も20代の頃とかに、
ちょっとメンタル弱めの女性とかすごい好きだった。
実際、メンタル弱めの女性って、
統計的に割と可愛い子が多いって言われてるんですけど、
見栄しが綺麗な方が多いんですけど、
だから、割とそういうちょっとメンタル、
急に夜、深夜に電話かかってきちゃうとか、
急に手首切っちゃうとか、
そういうのと割と結構仲良かった時期があるんですけど、
自分も結構そういうの好きだった時期があるんですけど、
結構そういう子に依存をされつつ、
自分も多分その子たちをケアすることとか、
そういう子たちを依存させることに依存してたなっていうのは、
今の話を聞いています。
だから、心理学で言うとメサイアコンプレックスって言うんですけど、
誰かの救世主でいたいっていうか、
誰かの救い主でありたいみたいな、
っていう気持ち。
だから、それって自分自身の劣等感とかを隠そうとする、
一種のコンプレックスなんですよね。
そうですね。
この話、あんまり人に理解されなそうだなって話が出てくる時に、
ワクワクする自分を否めないですよね。
だから、今でも自分は告白はしてないです。
だから、そういうちょっとメンタル弱めの、
ちょっとかわいい女の子とか見るとちょっとうずくけど、
絶対にまたいい結果は生まないなと思っているから、
そこから先には絶対行かないようにしています。
そうですよね。
壁ができちゃっている人って、
どんどん真ん中を行っちゃいけないんだなって、
自覚するの大事じゃないですか。
そうですね。
行くなら行く、確保が必要。
そうですよね。
こういう時、こうなる可能性がとても高いなっていうのも分かるじゃないですか。
そうですね。
だから、そういう経験が必要だなと思いつつ、
ただ、それをなんで自分が気づけたかって、
第三者の印象の影響
それをやってたらもうまずいな、
自分このまま人生まずいなって思ったから、
多分転換できたと思うんですよね。
メサイアコンプレックスをずっと持ち続けているっていうこととか、
ちょっとメンタル弱い子と親密になることっていうのが、
体というかメンタル的に持たないなって、
どこかで限界感じたからできたと思うんですけど、
そうじゃない人ってどことん行くじゃないですか。
それこそ本当に、
金銭的にも見過ぎちゃって大変なことになっちゃうじゃないですか。
だから、そこがどうやって気づけたかっていうのは、
自分の中では今疑問というか、
心ごとではあります。
なるほどな、そうか。
私の場合で言うと、
楽しく生きたいな、楽しく生きようって腹が座った。
もういいわと思って。
よくない、よくないみたいな。
楽しく生きてる人たちの、あれ大きいです。
最近愛着スタイルが安定してる人たちが周りに増えて、
それいいですね。
すごい素敵な夫婦とか見て、
思ってることをスパッと言えて、
何かあったら二人でどうしていいか話し合えてみたいな、
気持ちの交流をちゃんとしている夫婦を見て、
マジで本当すみません、私って思って、
目の前の人を幸せにしたいって思うんだったら、
こっちの方向にリードできる人間じゃなきゃいけないなっていうのを、
すごい反省したんですよ。
そこの好みの変化というか、
いいものを見て感動したというか、
それは大きい気がします。
愛着スタイルの面白いところって、
親密型っていうか、一番安定型か安定型って言われてる、
いわゆる人間関係で感情的にうまくならず、
話し合いがちゃんとできる人だって、
結局そういう人とお付き合いとかすると、
不安定型の人とか回避型の人が、
安定型になってくるんですよね。
影響を与えられて、なってくるんですよね。
っていうのが面白いなと。
安定型の人が最強だと思う。
本当ですよ、やっぱりね、
素晴らしいなって思いましたもん。
すいませんって思いました。
一個ね、そうなんですよ。
安定型の人を見分ける方法というか、
車体面でもこの人安定型かな、
見分ける方法として、
いつも自分試しちゃうんだとか、
第三者の良い人の印象を聞くっていうのがね、
結構いいんですって。
例えば芸能人の不倫とかの話が出てるじゃないですか。
ニュースとかがあって、不倫した当事者の方。
で、本当はどういう人なんでしょうね、
みたいな話とかをたまに振ると、
その人がどういう話をするかで、
その人の印象が、
その人に対してどういう目で見てるかって、
分かるんですって。
どうだとどうなんですか?
それでも不倫した人とかもっていう話、
不倫した当事者の方がいて、
芸能人って実際、
芸能人って分かんないじゃないですか。
テレビのこととか。
どういう投影を持ってるかみたいな。
ニュースで言われてることは本当かどうか分かんない。
あくまで本当に自分の考えとか印象でしか話せないらしい。
話せないんですよ。
結局自分の知ってる言葉で話そうと、
その印象とかを話そうとか、
日常的に見てる世界観っていうのはモロに出ちゃうんですって。
なので、
あの人って不倫してるけど、
実際どうなんだろうねって言った時に、
不倫した人にも不倫した人の事情もあるし、
相当なことがない限り芸能ってできないから、
できないと思うから、
彼も彼なりに大変だったんじゃないの?
みたいなことを言ってくる人って多分安定型なんです。
はいはいはい。
けど、人によっては感情的な不倫なんて絶対ダメ。
はいはい。
不倫したんだから、
ちゃんと記者会見して謝罪すべきだと。
べきとかっていう人結構ね、
危ないと思ってる。
べきっていう考え方が伝わってる方が多いので、
べきの方、不安定型の方が多いです。
はいはい。
だから第三者の印象を話させると、
安定型なのか不安定型なのか。
はい。
恐ろしいことしてますね。
こんなところで言っていい話なんですか?
べきは別に、一つの方法です。
別にいろんな方法もあるうちの一個なんです。
すごーい。さあ作詞だ。
そうですよね。
世界がどう見えてるかっていうのが、
自分はメヘラボヨーイなんだよとか、
いつもこういう人ばっかりとか言うけど、
その人が安定してる人からはもうやばい匂いが出てるんでしょうね。
と思うんですよ。
バレちゃうじゃない?
バレちゃいます。
怖いですよね。
そういう子を
視界に入っちゃうと、
やっぱり気になっちゃうんですよね。
何かしら声かけちゃったりとか、
気になってれば連絡先聞いちゃったりとか、
アクションに結びついちゃうんですよね。
そんな感じなんですね。
今はもう全然ないですけど、
昔は本当そうでした。
それってどう変わったりどう変わる?
一番最初、
一番なんか自分自身、
自己肯定感と人間関係の重要性
それこそ自分自身とのコミュニケーションだなと思ってて、
本当にこの子たちと付き合い続けられるのかっていうのを、
自分自身にちゃんと聞いたわけです。
20代の頃はやっぱりそれなりに時間もあったし、
他ではそんなにもちろんなかったけど、
時間もあったから付き合い続けられるんですけど、
社会人になって、
僕たちにどんどんお金も取られる、
取られるわけじゃないって自分から進んで払ったけど、
やっぱり経済的にも持たないし、
だからそういう感じで、
ちゃんと自族関係をちゃんと持続できるのかっていうのを、
ちゃんと自分自身に聞いてみたら、
もう無理だと思ったんですよね。
私自分の傾向として、
人に無限にケアさせちゃうんですよ。
それが相手としては、
別れた後でも、あれは全然良かったよ、
みたいなことを言ってくれるんですよ。
でも、本当に良くないなというか、
まさしく時間とお金の無駄なんですよ。
自分も疲弊しちゃうし、相手も疲弊させちゃうし、
ケツつかないですよね。
そうなのよ、お互いの時間を止めるような、
余計なロビーが始まるから、
ごめんなさいって感じで、
私の中では、
時間とお金をそういうことに使う人生でいいのか、
目の前の人間にそういう目で合わせる人生でいいのか、
本当に安定ですね。
それは本当に、いろんな人と知り合っていて、
いろんな世界があるんだというのを知ったからですよ。
逃げ関係が広がらなければ、
そういうことは考えられなかった。
そうですね。
自分の家族とか、周りとか、
それくらいしか知らないと、
自分が何をしているかとか、
他の人と比べてどんなことになっちゃっているのかに、
自覚できないなって。
他のファミリーとかも見られて、
それは本当に大きいと思います。
ファミリーとか住民さんの原家族の話とかを聞くと、
みんな結構いい感じだな、みたいな。
家族ってそういう感じ?みたいな。
驚くことがすごく。
最近こういうテーマで人と話し始めて、
どういう愛着タイプですかって診断を受けたんですよ。
そうしたら私は愛着回避、
安定不安定回避が大体同じくらいの数値で出ました。
同じくらいあるんですね。
だからそんなに今、
やばい方よりはなさそうかな?
前はやらなかったけど、
良くなってきているんじゃないかな?みたいな。
それはやっぱり環境で安定型の方が多い?
そうですね。
私も耐震関係、
安定センスがある人とちゃんと作りたいし、
私もそういう状態であろうって思っています。
そうなんですよ。
人間って環境の生き物なので、
他人も環境の一つなので、
ものすごく影響を受けるんですよね。
本当ですよね。
性格って人ととかの間とか場でできたりもするじゃないですか。
そこに自分も場を作る一員としているから、
自分が暗黒すぎるとそこにいられないんですけど、
最近あれですよ、
ちゃんと安定型の人と差しで楽しく話せるくらいに、
いい感じになっているんだときっと思います。
そうですね。
初めはもしかしたら、
自分が不安定型だったりすると、
安定型の人が結構話をする。
きついと思うんですよ。
そうなんですよね。
今のコミュニケーションスタイルが違いすぎるので。
そこはちょっと頑張って、筋トレみたいなもので、
ちょっと頑張って安定型的なコミュニケーションをしていくと、
多分安定型に近づいていって、
結局自分にとってもすごく健やかに過ごせる時間が手に入るんじゃないかなと思っています。
本当ですね。
どこかで腹から安定型に近づいて、
安定したいってポイントだと思います。
心が病むのもあるけど、
結婚についての思考
結局体調的に現れてくるので、
本当に体の体調が悪くなってくるので、
体の中でどこか痛いとか、
常に不定周波数というか、
常にどこか体調の悪さというか、
調子の悪さを抱えているみたいな感じになっています。
そんな時期があるんですね。
カウンセラーさんから聞いた話ですけど、
本当に職場の隣の人が嫌だなと思っていると、
顔面のその人側、席のその人側だけが麻痺になったりとか、
普通にそうなりますよね。
あるある。
自分も前にいた上司がどうしても苦手で、
その人の顔だけが麻痺になったりとか、
普通にそうなりますよね。
自分も前にいた上司がどうしても苦手で、
自分も前にいた上司がどうしても苦手で、
やっぱり癖でここの耳をめっちゃかいていたんですよね。
だから耳だれが全然止まらなくなってきて。
やっぱりね、
体に出てくるんですよ。
そうですね。
多分私がうまく抜け出せなかった時って、
結局自分がすごい嫌いだったんだと思うんですよ。
結局自分がすごい嫌いだったんだと思うんですよ。
セルフケアがすごい下手というか、
セルフケアしたい気持ちにならないんですよ。
嫌な上司じゃないですけど、
自分がボロボロになるのがむしろどこかで望んだりになっていると、
自分がボロボロになるのがむしろどこかで望んだりになっていると、
回復しようがないじゃないですか。
心地よいとか、
そういうものをちゃんと意識づけできてなかったから、
なんだろうなぁと思うので、
どっちの方向に進みたいかで変わりますよね。
どっちの方向に進みたいかで変わりますよね。
結局ねって思います。
パートナーとか結婚もそうですけど、
自分自身とのコミュニケーションというか、
ちゃんと自分と話をしているのかみたいなのは、
いつも気にはなっています。
いろんな人の相談を聞くと。
それはもちろん自分自身に対してですけど、
自分といると心地がいいのかとか、
自分は結婚をしたいとは言うけど、
どういう結婚を望んでいるのかとか。
結婚ってあくまで状態だし、
経緯上のことだから、
その先どうするの?みたいな。
どういう関係になりたいの?みたいな。
ですよね。
よくおばあちゃんになっても手をつなぐに行きたくて。
いろいろあるじゃん。
まず現実の生活を考えよう。
理想ばっか言ってないで。
結局自分自身。
まずその中で相手とどうこうじゃなくて、
まず自分自身がどういう関係とか、
自分自身がどういう人生を送りたいか。
がすごい大事なんじゃないの?
そうですよね。
どういう方向に向かいたいとか、何が心地いいとか、
自分はこういうのは苦手とか、
頑張らなくてもできるとか、
これ結構頑張らないと無理とか、
そういう視点が、
私はやっぱり人と暮らしたことがないのに、
暮らす相手を探すの難しいだろうと思っていて、
他の人と暮らすと、
自分って意外と細かいとか、
分かりますね。
例えば、婚活の話とかも絡めると、
例えば、
結構気が利くタイプの女性で、
相手の人に自分より気が利かない人なんてちょっと無理です、
みたいな感じになっていた方がいて、
でもその人を聞いてみると、
職場では気が利かないってよく言われてたんですよ。
職場では気が利かないってよく言われてたんですよ。
職場では気が利かないってよく言われてた時があるんですって。
でも、
そこって気が利くのを求められる職種なんですよ。
そうなんですね。
そういったこと言われてたし、
その人自分は気が利かないと思ったけど、
世間平均で言ったら全然気が利くんですよ。
そこで自己否定が入っていて、
さらに自分なんかよりもっていう視点があると、
ダメな奴に見えちゃうみたいな。
でもそういうのを内在化しているだけで、
それは結婚にどう関係がありますかねって言うと、
その人に気が利く人じゃないと結婚がうまくいかないってことではないんだと思うんですけど。
その人に気が利く人じゃないと結婚がうまくいかないってことではないんだと思うんですけど。
そうですね。
だからそういうパターンだと、
気が利かないっていう理由で何かと向き合うことを、
当事者自身が避けてるっていうところがあるんじゃないかなって。
自己との向き合い方
そもそものね。
そもそものねっていうのがあるんかなと。
なんか表出してる言葉と、
本音の部分が全然違うんじゃないかと。
結婚、そもそもしたくないとかそういう話ですね。
実は他人と暮らしたくないとかって思ってるかもしれないし、
他は過去に、
例えば女性だったら、
男性からなんかすごい嫌なこと言われたことが、
また男性と一緒になることで、
トラウマが吹き出しちゃうっていうのが、
怖いと思ってるのかもしれないし、
もちろんそれはいろんなケース考えられるんですけど、
表出する言葉の裏側には、
いろんな思いとか、
本人も気づいてないようなものがあると思うんですけど、
そういうのも結局、
自分自身とちゃんと話をして、
ある程度スッキリさせるというか、
自分の中には、
そういうまがまがしいものがあるというか、
ちょっとやっぱり暗い部分があるということの、
自覚をしておいたほうがいいんじゃないかと。
そうですね。
だから自分がメンヘラちゃんが、
いまだにちょっとオーって思っちゃうのとかは、
自分なりの、
自分なりの暗い部分だなと思っているし、
まがまがしい部分だなと思っている。
そうですね。
向き合うってタイミングとか、
動機づけとかも必要じゃないですか。
そこまでしたいのかどうなのか問題というか。
そうですね。
だから自分こういう、
恋愛結婚の主演とかの本、
こういう本を使って出会いとかを始めたのとかって、
結構それがきっかけで、
女性とデートして結構女性が結婚したいって言うの。
私将来結婚したいんですって話をしてて、
なんで結婚したいのって聞くと、
大体その友達が結婚してるからか、
俺が結婚しろって言うから。
だから自分が聞いてるのは、あなたがなんで結婚したいのかって言ってるの。
その問答なんか捨てて。
だからそれで全然、
自分がなんで結婚したいかをちゃんと説明してくれる人がほぼほぼいなかった。
特にメン・ケラ系の人は、
うまく話せない気がしますね。
結婚したいって言ってる人が言ってるにも関わらず、
自分でなんで結婚したいかは言えない人がめちゃめちゃ多くて、
これってなんでなんだろうなと思った時に、
やっぱりそういうのはちゃんと話す場とかがないからだなと思って。
そうですね、そう思います。
ちゃんと向き合う時間とか、
それか結婚相談所とかに入れば、
そういうのって強制的に考えさせられる時間とかあるのかもしれないけど、
日常の中ではほとんどないよ。
そうですね。
入っても考えたくないって人もいるな。
人との人の関係って、
自分に向けて考えたくない。
自分に向き合うにはタイミングがあるよねっていうところと、
もう一個、
相性とかによってはいけちゃう時もあったりするじゃん。
そうですね、そういうの別にしなくてもバンといけちゃう。
その中で経験をしていく中で気づくとか、
それもそれであったりするなっていう。
最近、自分の中で安定型の人の影響を受けているのかわからないですけど、
人々の交流の場
昔は結構深刻に悩んでいる人と話す機会が多かったんですけど、
最近はもっと元気な人と話すことが増えてきたんですよ。
前よりも深刻じゃない人が来てくれることが増えたなって思っていて、
やっぱり私、ツイッターで人が来てくれているので、
私の状態で、
いいねを押してくれる人のアカウントの雰囲気とかが変わるんですよ。
本当に的面に、
こういう感じの人かとか、
最近元気そうな人が増えたなとか、
すごい変わるんですよ。
内省をするのも一つだけど、
楽しく話していて、
そこそこ安定している人とかいろいろあったけど、
今こんな感じっていう人のことをインストールすると、
深掘りしなくても、
そっちのルートもあるんだというか、
それでいけちゃうこともあるんだろうなって気もしてます。
楽しく話せることって偉大だなって思いました。
そうですね。
楽しく話せることは偉大ですね。
同棲した後の相談も乗ることがあったりするんですけど、
一人で深刻になっちゃっている時に、
人と話してもしょうがないですよね、そんなもんですよね、
みたいに笑い飛ばして、
いつの間にか仲良くなっていたとか、
うちの妹夫婦とかもそうですけど、
近所に友達とか親戚とかがいて、
揉めた時に他の人と話せて、
そんなもんだよねって言っているうちに、
状況が変わったり、気分が変わったりして、
いい感じに進んでいくことっていうのが、
人間の日常生活ってあるんだなって感じがする。
そうですね。
悩みって結局、時間でしか解決しないっていう話があって、
言葉が動くっていうよりは、
時間の経過ごともに自分たちの感情の部分が変わるじゃないですか、
人間の。
時間が経てば変わる。
悩みとか課題とかいったものって、
やっぱり感情も変わるので、
結局時間でしか解決しないよっていう話があって、
それはそうだなと個人的にはすごい思っています。
本当そうですよね。
環境が時間で変わったりして、
人間の日常生活
平均になったりしますよね。
どうなんでしょうね。
私は自分がセラピーをしたのは、
明らかに必要だったなとやって本当によかったな。
それだけじゃないんだっていうのが、
最近、何かあった時に笑い飛ばしておくとか、
何も解決しなくても、
みんなそんなもんだよって先輩に言われるだけで、
平均になったりとか、
どっちもあるんだなと。
そうですね。
環境の一部として、
そういう人がいるっていう、
自分の周りにそういう人たちを置いておくっていうのは、
すごく大事なことかなと思います。
人生をある程度楽に生きるというか、
すごく大事かなと。
それによりはコミュニケーションというところですと、
そういういろんな人たちと知り合う中で、
いわゆる健全な関係を築ける方とのコミュニケーションを、
どうやっていくのかみたいなのって、
ある程度、今本で出てる内容、
いわゆるコミュニケーション術とかでも、
全然できることはあるから、
誰でも学べるような、
学ばれるし、実践もできるような気もしてます。
本当ですね。
恋愛関係で煮詰まっちゃう人の、
ご相談いただく時もあるんですけど、
相談できる先を持てるとか、
話せる場所があるだけで全然違うじゃないですか。
全然違いますよ。
それが人に言ったら、
最近スナックとか流行ってますけど、
バーとか小売屋さんとか、個人の喫茶店とか、
ちょっと顔見知りのところがあって、
そのテーマそのものを話さなくたって、
それでもすごい効果があったりするじゃないですか。
だからそうですね、
そういう顔見知りになって、
なんとなく優しさを交換できる場所があるだけで、
持ち越えられることが増えるようなって思いますね。
そうですね。
いろいろ話しておきましたけど。
そうですね。
まだまだいけちゃうけど、1時間くらいだから、
今日はこれくらいですかね。
ありがとうございました。
またぜひ違うのでもお話したいです。
ぜひぜひ、また何でも大丈夫です。
結婚でも何でも。
ありがとうございます。
じゃあ一回ここで止めますね。
ありがとうございます。