渋谷の変化
はい、じゃあ始めましょうか。
はい、始めましょう。
今日はですね、しおくんがですね、アメリカから日本に帰ってきました。
おめでとうございます。
おめでとうございます。ありがとうございます。
いやー、何年ぶりですか?
1年半?1年半ぶり?
一昨年、一昨年の11月に帰ってきて。
あ、でも会ったのはもっと前だね。
会ったのはもっと前だね。3年前くらい。
どうですか?日本に帰ってきて。
いやー、日本本当に素晴らしいですね。
なんか、いい時期に帰ってきた気がして。
コロナ系だからか、春、桜の季節だからか、新学期とかだから分かんないけど、
なんかみんなすごい生き生きしてるように見えて。
あー、そうだね。
で、なんか結構いろいろ変わってる気がして、ポジティブなエネルギーを今楽しんでます。
あー、よかったですね。
なんか日本に帰ってきて、びっくりしたことというか、なんかカルチャーショックみたいな感じで思ったことなんかある?
カルチャーショックはね、やっぱり渋谷が毎年成長してるのは知ってたけど、今回初めてちゃんと迷った。
自分もついにこう、浦島太郎みたいになったなーっていうのが一つあるね。
今日ね、渋谷でね、東京の渋谷で待ち合わせして会ったんですよね。
結構でも、昔なんか渋谷よく通ってなかった?
渋谷ずっと通ってたからかもしれないけど、よく知ってる風景がなくなってきて、高いビルが建ってるせいで、
その後ろに何があるかが見えないから、完全になんか、あれ、こっちが警察署だっけとか、こっちが道玄坂だっけっていうのが聞かなくなって、
本当にね、わかんないな、これはと思って。
ところが地下から、なんかこう、それを想像しようとしても、なんかね、もうテイストが違いすぎて。
特に銀座線があったりとか、いや本当に進化してるなと思って。
今日今渋谷のとある、何だろう、貸会議室じゃないけど、結構後ろがざわざわしてるかもしれないですけど、
価格と文化
ちょっとね、リアルタイムで会って、急遽撮ってる感じなんで。
インパーソン収録というかね。
ちょっとね、聞きづらいかもしれないですが、ご了承いただければと思います。
今アメリカとかさ、すごい物価が高いとかって聞くんだけど、日本と比べて感じることとかあります?
日本と比べると、僕がいるその米エリアは特に高い方かもしれない。ニューヨークとベイエリアとかは高い方かもしれなくて、
あとは為替のおかげで、日本のものがちょっと安く見えるみたいなのは多少あるかもしれない。
でも今130円だから、150円までいった頃よりはだいぶ安い。
あとは日本の中でもね、物価ちょっと上がってるような感じはあるよね。
まあでもちょっとずつは上がってる。
それでももっと値段上げてとっていいんじゃないかなとは思うけど、
そうそう、一個思い出した。カルチャーショックっていう意味では、ニュースでさ、
どっかの市役所付属の食堂がコロナのせいで、ついに60何年続いてきた食堂を閉じますっていうニュースがあったんだけど、
その時に理由が、値段を上げられずに頑張ってきましたみたいなことを言ってたの。
なんで?
え、なんでってなっちゃって、値段を上げて存続させられたんじゃないかなと思ったんだけど、
それをやっぱりお客さんのために上げないで頑張りましたみたいなことを言っていて、
これはやっぱり日本独特なのかなと。
アメリカで本当に存続したいんだったら、たぶんお客さんのためというよりは商売だから値段上げて、
価値を提供できているんだったら売れて存続できるし、
それが売れないんだったら価値が提供できていないと見合ったから潰れるっていうシンプルな話だと思うんだけど、
それがなぜかお客さんのために上げないっていうロジックがちょっと僕には違和感があって、
でもやっぱりそれは日本なりの文化とか慣習とかを反映しているのかなって思ったね。
そうだね、値上げっていうところに相当ネガティブというか。
そこがもうちょっとでも逆に自分が出しているものに価値をもっと自信もっていいんじゃないかなと思って、
自分はこんだけのものを作っているんだから買ってください、
もしくはそういうのをいいと思う人が買ってくれればいいですっていうスタンスでいいんじゃないかなと思ってて、
それに文句を言うんだったら本当のターゲットのお客さんじゃありませんということで、
それでビジネスをちゃんとうまくする方向を考えた方が資本主義の文脈では自然なのかなと思うんだけど、
やっぱりみんながみんなそのロジックでやっているから難しいのかなとか、
なんかちょっとそこに見えない部分があるような気がして、自分には。
っていうのが一つ結構ショックだったような気がするな。
やっぱ資本主義ではない感じするな、日本は。
日本の質の高さ
そう、なんか別のロジックが一本流れているよね。
そうだね。
名前がついてないのかもしれないけど。
海外のサービスとかで日本のものを比べるとめちゃめちゃクオリティ高いんですよね、日本のもので。
そうそう、すごい高い。本当にびっくりする。
なんでこのクオリティでこの値段でやってるんだろうみたいなのがすごい。
本当にある。
いつも海外行って羽田空港に帰ってくるときに毎回牛丼食べるんだよね。
本当にね、ファーストフードも本当にいいし、コンビニもいいし、
あとは美容院とかもね、カットも3000円とかさ、
マッサージついてシャンプーついて綺麗にスタイリングとかしてもらって3000円。
3000円は安すぎるかもしれないけど、4000、5000円だったり。
でも同じようなクオリティをアメリカのベイエリアでやろうとすると少なくとも75ドルとか。
多分日本で8000円とか9000円くらいから特にアジア人の髪を切ってもらおうとしたらね、そうなるし、
女性だったら多分100ドル、200ドルっていう額を、
女性は日本でもさ、1万円に払ったりはしてると思うんだよね。
パーマとかカラーリングしたら高くなると思う。
それでもやっぱり1.5倍以上取るっていうような気がするし、
それでも納得いかないクオリティの可能性があって、
リスクのね、そこが。
でもすごい安定してさ、日本の方は質も担保されてるし、
そのラッキーの要素が全然ないんだよね。
そうだね、安定してるね。
安定してる、品質が本当に。
最近でも値段価格を上げる的なムーブメントに徐々に社会がなってきていて、
それがむしろ僕はポジティブに捉えてるんだけど、
いや僕もそう、本当に。
でも一方でね、それを良くないと思っている人がいそうだよね。
そういうところをね、やっぱり前回教育とかで話したけど、
そういうところも教えてあげないといけないんじゃないかな。
社会の仕組みというか。
っていうような感じですかね。
あとなんかあるかな、日本に戻ってきたとか、思ったこととか、感じたこととか。
日本に来て思ったことね。
ちょっと今パッとまた浮かばないけど、途中で思いつくかもしれないんで。
とりあえずそんなところかな。
渋谷QWSと問いのコミュニティ
今日我々渋谷で会って、渋谷でいろいろ話とかして、
さっきちょうどね、渋谷のスクランブルスクエアの15階だっけ?
15階。
にある渋谷キューズっていうところに行ってきたんですよね、2人で。
そこはQWSって書いてキューズって言うんですけど、
そこはどういう場所かっていうと、問いっていうものをコンセプトにして、
その問いを大事にしている人たちが集まって一緒にコラボレーションしたり、
あれは何て言うんだろうね、そういう集まって、
貸しオフィスじゃないけど、オフィスみたいにも使えるみたいな。
いろんな人が集まってコラボレーションするスペースみたいなところにできたんですよね。
で、そこでちょうど活動している人たちの今やっているプロジェクトみたいなのを紹介するイベントみたいなのがあって、
そういうのを見てきたんだけど、2人で。
で、いろいろ刺激を受けてというかね、面白かったよね。
面白かったね。まさに狙ったような効果があったような気がして、
普段考えられないような、自分たちで考えられないような問いを考えて触れてみるっていうのができたよね。
どう思った?感想。
まずそっか。
いや本当。そもそもああいうコミュニティがあるんだっていうのがね、新しい発見だったというか。
しかもあれ5年?3年かな?
3年。2019年って言ってたよね。
下にあった人は。
で、僕らもちょうど問いって大事だよね、問いってなんだっけっていうのを考え始めて、
でもそれよりもっと前に既にそれを考えて形にして、
半分ビジネス、もしくは地域貢献のためにやっている人がいて、
だってそれが広がっていて、っていうその活動自体、すごいポジティブに見れてよかったなと思ったし、
実際にそこにいる人と会ってみて、同じものを共有している感じがしてさ、すごい楽しかったね。
自分からは絶対出てこないなっていう問いを携えている人がこんなにいるんだなっていうことが嬉しかったな、僕は結構。
僕も今その会社で問いっていうものをコンセプトにしたコミュニティをやってるので、
やっぱり問いの重要性っていうのはやっぱり最近気づいているんだけど、
やっぱり世の中もそう思っているんだなっていう自信になったというか、
自分がやっていることは間違ってないのかなっていうふうにちょっと思いましたね。
結構その協賛している企業さんとかも有名な会社で、
どういうとこあったっけ、僕が記憶に残っていたのはNTTデータとか、
日立とか、ソニーとかいたよね。
富士通本体はいないんだけど、富士通ゼネラルはいましたね。
だからなんで富士通やってないんだろうって思いましたけど。
そういう企業さんの新規事業開発みたいな人たちがあそこの場で、
いろんな若い人とかとコミュニケーションとなって、新しい刺激を受けるみたいな。
一つ面白いのかなという。
問いの重要性と社会への貢献
あと地方の団体も所属していたよね。
そうだね。
あと大学ね。
そうだね、大学。
これも東京大学、東京工業大学、慶應義塾大学、早稲田大学みたいなね、
そうそうたる企業さんも協賛というかパートナーとして。
だからすごいちゃんとした施設ですよね。
本当に日本にいたら、あれを応募して参加してみたりとかね、
問いを自分たちで投げかけてチャレンジしてみたかったなと思って。
アメリカにも、でもなんかシリコンバレーとかってまさにそういうののメッカな感じがして、
そういうのを真似て日本でやってるのかなという感じがしたけどね。
元の似たようなコンセプトがあるのかもしれないね。
それを調べてみようかなと思ったけど。
中入ってみて、結構大人の人が多かったっていう感じ。
学生、若い人がわちゃわちゃやってる大学の感じみたいなのかなと思ったけど。
下の展示会見てるときに20組、10組アクティビティーアクティブなプロジェクトがあって、
ほとんど学生か高校生で3人が社会人って言ってたから、
期待値が学生かなと思って、全然違ったよ。
ほぼ社会人かなと思ったけど。
社会人のような方たちが大広間みたいなところに集まって、
それぞれの机にチームで囲んでパソコンをパチパチやったり会議したりとか、
いろいろ物作りみたいなのをやったね。
3Dプリンターとかパネルを作る機械とかあって、
プロトタイプを早く見せて反応を見ましょうみたいな。
スタートアップのインキューベーションプログラムのコミュニティにも似たようなものを感じたけど。
ああいう場にいるだけで変わってくるね。
自分の物の見方とか、もうちょっと行動しようかなとか。
そうだね、あんなにいるんだって思った。
20人くらいかなとか30人くらいかなと思ったら、100人くらいいたかな。
いたんじゃない?
いたよね、きっと。
だいたい1席3人くらいで、机がもう20個以上あったよね。
ガラスに面している。
キッチンの前とかに20名くらい、30名くらいいて。
あとここを案内してくれた女性のスタッフの方も、
すごいいい感じで丁寧にご説明いただいて。
問いに興味があるっていうだけで話があったし。
すごい面白かったね。
なんで問いに興味を持ったんですか?っていう質問をされて。
そんな会話ないよね普通。
我々2人でちょっと最近ポッドキャスト、ラジオを始めたんですよみたいな話をしたら、
私も音声配信やってますよみたいな。
えーみたいな。
問いのデザインの定義と3つの分類
本当にびっくりだった。
お互いのチャンネルというか、番組のURLというか、
交換してお互い聞きましょうみたいなね。
こういう繋がりもね。
新しかったね。
名刺交換の代わりにお互いのポッドキャストを交換して聞きますみたいな。
すげーなと思った。
名刺交換の代わりだよね。
何やってる、何者かっていうことを示すのにこういうのもいいのかもしれない。
あとはみんな結構なぜ問いに興味を持ったんですかってどこでも聞かれたよね。
受付とか下でも聞かれたし、なんでこのイベントに興味を持ったんですかって。
なんかみんなマインドセットが問いとか興味を持つ、好奇心を持つっていうマインドセットがあって、
本当に今日なんか下の展示会も上のフロアでもなんか心地よかったよね。
みんなちゃんと相手とか、なんで相手がそういうふうに考えてるのかにちゃんとアンテナ張ってる人とか、相手だけにかかわらず世の中に。
似たようなレベルでアンテナ張っていて、それを大事だと思ってるのが滲み出る。
これはこういうものだみたいな感じで決めつけて、
ただの見学者ですね、はいはいどうぞどうぞこちらですみたいな感じじゃなくて、
なんで見学に来たんだろうとか、何を期待してここにいるんだろうこの人たちはみたいな。
なんかそういうのを聞いてくれてね、そこからコミュニケーションが始まって。
下の展示会でもね、最初に話した渋谷のお土産と渋谷の、なんだっけ最初の右側の方って渋谷。
肥料。
肥料か、あの方も。
あの方自身も問いのデザインのファシリテーターなんじゃないかっていうぐらい引き出しが多かったけど、会話がねやっぱり盛り上がるというか。
面白かったすごい。
いい問いに多分アンテナ張ってるから、いい問いは次の問いを生むみたいな感じで、会話がこう自然となんか盛り上がってて、
あっという間に、何時間いたの?2時間?3時間いた?
2時間、下のイベントで2時間ぐらい。
で上の見学、実際のフロアの見学で1時間ぐらいいたかな。
いた?そんなに。
いたんじゃない?
15分の紹介みたいな。
本来15分とかの紹介なんだけど、スタッフのお姉さんといろいろお話しして、多分1時間ぐらいいたんじゃないかな。
いやーなんかこういうのがあるとは思ってなかったからね、着た時は。
ちょっと冷やかし程度に見てやろうかなみたいな感じだったんだけど、すごい面白かったですね。
その下の展示会でなんか気になった?面白かったやつって何?
面白かった、やっぱりあれかな、一番最初の渋谷の土産をやられてる方。
なんだろう、やっぱ世界の見方が豊かだなって思ったね。
自分がこう世の中を見て、ああいう感性というか、世界を見れてない気がしていて、
だからそういう風にどうとでも解釈できる可能性を秘めてる気がした、この世界を。
なんかね、今この見えてる世界一面的に我々解釈して、こういうもんだと思ってるけど、
見方によっては無限の解釈ができて、そこから無限の価値が生み出せるんだなっていうのが、
実際に体現されてる人を見て、実際話をして、やっぱり影響を受けた気がするね。
印象に残ってるのは、100個のアイディアを出して、やっと1個いいアイディアをお客さんに出せるかって話してたから、
僕らも100個のアイディアを出して、ポッドキャストに活かしたいね。
このポッドキャストで話すテーマみたいのを、とりあえずブレインストーミングみたいな感じで100個出して、
それで1個いいクリティカルな問いが出てくるかもしれないなとは思ったね。
それをやるんだろうな。
今はね、日本に来て100個やってる暇はないと思うからね。
アメリカに戻ってから、ゆっくりやりましょうか。
今日は、もともと問いっていうのを、どうやって今後我々がデザインしていくのかみたいなのも話したいねって言ってたんだけど、
なんかそれについてあるかな?
ちょっと前の話を振り返りたいなと思うんだけど、ちょっと待ってね。
遡ること2週間前、2人はラジオでどのようなテーマを扱うべきか悩んでいました。
ここから先は、問いのデザインという本から学んだ内容を2人でシェアした時の回想シーンです。
それではどうぞ。
この問いのデザインで僕が気になるところをハイライトして、
自分の思ってたことをうまく言語化しているところがいくつかあったのね。
なので、それをバーッと僕の中で共有してみて、
それはそうだねとか、それについて思うことをちょっと聞いてみたいなと思うんだけど、そんな感じでいい?
うん。
まずさ、「問い」ってカギカッコで書いてあるものをこの問いのデザインで定義しててさ、
質問、発問、問いっていう3つを用意してるのね。
はい。
で、今日の学びの回でもあったけど、質問する側と受け手っていうのがいて、
それらが知ってるかどうかのことについてを分類すると、この3つに分けられると。
質問、発問、問い。
たぶんそのエッセンスが俺の頭に残ってたから、教師は知ってて、
問いを通じた真の探究
そうなんだね、逆に。
出てきたんだと思う。
そういうこと?でもそうだと思ってて。
教師がやってるのは発問って、発話してる方は知ってて、受け手が知らないとか。
質問もあるか。生徒が質問すると、生徒は知らないけど、受け手の教師は知ってると。
発問と質問を繰り返してるのが学校教育だよねと。
でも僕らがやりたいのは問いで、どっちも知らないという状態のものを探っていきたいと。
そうだね、そうだね。
っていうのはたぶん間違いないかなと思ったのね。
で、これ僕はなんとなくは思ってたかもしれないけど、こうやって改めて表みたいな感じでするとさ、
ああ、そうかと。だから知識とかを別に聞いてるわけじゃないじゃん、そんなの。
Google検索、ChatGPTでやればいいよねって話で。
あとはどっちかがすごい知識を持っていることでもないなと思って、
僕がデータサイエンスについて何かを教えるっていうのも違う。
例えばとりわけ解説する、なんかコテンみたいな感じでさ、
一方が知ってて、一方にそれをレクチャーするみたいなのも違う。
違うね、違う。
問いの連鎖と次につながること
で、あとは問いのなんか性質みたいなことを書いてあって、
まとめると、次につながるっていうのが一つの重要なキーワードなんじゃないかなと思ってて、
なんか次に新しい問いを生むとか、新しい感情、思考を刺激するとか、
次の会話だよね、なんかこう生み出すもの。
問いの連鎖で自分たちは雑談してるわけじゃん、1時間半も。
一番最初の問いがあって、それをリードじゃない人が聞いて反応して、
ピンポンとかラリーみたいなのをさしてるわけじゃん。
だから最初の問いが次の問いをうまくポンポン、
で、次の問い、次の問いってならないのは良くない問いってこと?
Well Beingの時はなんかそれができてた気がするんだよね。
これあれかなりもう何十回も聞き直してるから。
なんかね、結構いい感じに問いが連鎖していって、議論が深まってた感じがしたのよね、あれ。
で、あとは感情ってあんまり僕考えたことなかったんだけど、
この問いを聞いて特定の感情が湧き上がったりするのもいい問いらしいんだけど、
あんまり感情っていつも考えないようにしてるから、正直あんまりよくわかんない、これは。
その質問を受けると楽しいと思う、悲しいと思う、怒る、なんかそういうことってあるのかな?
いや、あるんじゃない?
あるか。
その感情によって方向性があるかな、その問いの。
一方でさ、今の次を生むっていうことがいいのはわかったけど、
その問いを発するときに次を生むかどうかを予測するのは結構難しいのかなと思って。
難しいと思う。
で、相手がどう反応するかなんて、相手の受け取り方だし、相手の知識、経験にも依存するから、
結構良い問いを作るっていうのは難しいんだなぁと思った。
そうだね、それもやっぱり事前に設計するのはやっぱり難しいと思うんだよね。
予測できない部分はやっぱりあって、コントロールできない部分はかなりあると。
でも、もう一方面白かったのは、良くない問いのエッセンスとして、
2つおっと思ったのが、優等生すぎる問いとか、壮大すぎるっていうのは外せる。
例えば、環境問題を防ぐには、みたいな。
って言うと、環境問題ってデカすぎると、4度かかるとか、
問いの考え方と哲学的思考
それ自体良いとされていることについて言うと、もうみんな答えの部分でなんとなく合意ができちゃう。
だから、白黒つけがたいような方が、いろいろ問いは生むのかな。
あとは、これはちょっと面白いなと思ったのが、我々が、僕らが質問を考えるときの方法として、
いろいろ体系立てて紹介してくれる。しかし、ずっとハウツーっぽくなっちゃってるんだけど、
いいなと思ったのが、5つぐらい考法を考えてて。
素朴思考、天邪鬼思考、道具思考、構造化思考、哲学的思考。
これ何か覚えてる?
覚えてるよ。中身はあんま覚えてないけど。
多分、これでバランスよく使ってお互いできれば、
ポッドキャスト自体が活発になるのかなとは思った。
相手が何か言ったことに対して、どれか一個に偏っていると、ちょっとつまんない感じしてくると思うんだよね。
ワンパターンな感じで。
常に相手が何か言ったら、それ何で?とか、本当?何で?本当?って繰り返してたら、
ChatGPTじゃないけど、機械的な感じがしてくるわけよ。
なんだけど、相手が言ったことに対して、適宜こういった思考とかを切り替えながらできたりするといいのかなとか、
最初の素朴的思考は、そういうことはもういちいち考えずに、そもそも素朴に浮かんできたものを聞きましょうってやつだから、
一番自然体のやつなんだけど、そもそも興味があるところを聞いていく。
でも一方で一番面白いなと思ったのは、最後の哲学的思考で、本質を捉える営みとかって書いてあるのね。
これを実は我々は好む傾向にあるんじゃないかなと思ったの。
これ何か覚えてる?哲学的思考って。
その言葉は覚えてるんだけど、哲学的思考ってどんなんだっけな?
本質を捉える営みって書いてあるんだけど、本質って何って話じゃん。
これって別に世の中にある答えみたいなのがあるわけじゃなくて、
絶対的真理ですとか、これが公式です、公理ですじゃなくて、
お互いの納得感とか共通理解みたいなものを本質とするらしいのね。
しかもそれが経験とか自分たちの周りで感じたことに基づいたものっていう、
これも一つの哲学の分野らしくて、フッサールっていう人が、
現象学?
現象学、そうそう。そっから来てるらしい。
これができると何か納得感があって、
このポッドキャスト良かったって思う一つのポイントになるんじゃないかなと思った。
最初の素朴思考とか、天邪鬼っていうのをあえて逆に考えるとかは、
たぶん普段やるんだよね、雑談で。
え、それってどこで?とか、何で?とか、何で?とか、
あえて逆な批判的に質問するとかやったりすると思うんだけど、
その哲学的にお互い納得感のあるものを得た。
そういうとこまでいけると、いい問いを扱ったなという感じが生まれるんじゃないか。
今日のやつって、学びの本質とは何かみたいな。
そうそう、そういう質問をしないといけない。
そういう感じだと、なんかちょっと違った感じになるかもしれないなと思った。
そうそう、キーワード確かに何とかとは、○○の本質とはってやると、
たぶん一歩深まったかもしれない。
ああ、惜しかったな。
それに気になってるようになったな。
確かに、なぜ学ぶのかっていうのと、学びの本質とは何かみたいな。
ちょっと違うよね。
違うね。
違う違う。ちょっと、そうね、惜しかったな。
でも、たぶんここにキーワードは隠れてる気がする。
僕らは、やっぱりこういうのに興味があったりして、本質とかがさ。
うん。
お、起きてきた。
あ、起きてきちゃった?
かもしれない。今ちょっとトイレ行って、まだ時間はある。
うん。
本質とは何かいいな。結構いろんなところで使えそう。
はい。
このフォーマット。
今日突然なんですけど、こんなとこ。
ん?
え、あ、起きてきちゃったんで。
うんうんうん。
あ、じゃあ一旦これで。
問いのデザインとは
はい。
切っとこうか。
はーい。
じゃあまた。
太平洋を挟み16時間の時差がある中で、日本側で子供が寝静まった後と、
アメリカ側で子供が起きてくるまでの限られた時間で2人は収録しているのでした。
以上で回想シーンを終わります。
前回話したのは、問いのデザインの話をして、
そもそも問いって何?みたいな話をして、
問いってお互い話してる方と受けてる方も知らない状態で何かを聞くことを問いって言ってるよねと。
うん。
で、多分それについては合意というかそうだよねって話で、
あとは、いい問いっていうのは次を生むとか、次の新たな感触があったり、
うん。
前向きに何か解決したいと思えること?
うん。
何かネガティブなことじゃなくて。
渋谷の問いとその捉え方
うん。
で、今日その話した渋谷、何だっけ?
渋谷土産の。
あ、土産の。
あの人もさ、これ感じたんだよね。
うん。
前向き。
前向きだねー。
てか今日全般みんなそうだよね。
うん。
なんかその、一般的にはネガティブかミュートラルかもしれないけど、
うん。
まあやってみようみたいな。
うん。
で、まあポジティブだよね、どっちかっていうと。
うん。
まあポジティブでもないかもしれないけど、まあとにかく前に進んでる時点で、
まあそれを僕はポジティブと解釈してるんだけど、何かあるかもしれないっていう意味で。
うん。
なんかそういう姿勢が何か感じられて、まあそれっていい問いのヒントなのかなと。
なんか人の気分を落とすような問いはあんまり扱いたくないよねと。
そうだね。
なんかその、一般的にネガティブとかニュートラルだと思われているような価値観を。
うん。
あえて。
一旦その価値観を外すというか。
うん。
置いてちょっと別の角度から見てみると。
そうだね。
ポジティブな面があるのではないかみたいな感じで。
うん。
そこを捕まえに行くっていうのをその最初の渋谷土産の方はやってるって言ってて。
うん。
いやまさにそうだよなと思って。
うん。
でもさ、一個さちょっと注意したいなと思ったのが、僕がさ、そのネガティブをポジティブに捉えるんですかに対して、
いやいやそうじゃなくてみたいなファクトを認識して。
うん。
ネガティブな解釈もあるし、それを別から見るっていう、その一つがポジティブなだけでっていうなんか。
うん。
言い換えをさ、されてたと思うんだよね。
うん。
あの人。
うん。
僕が思ってたそのネガティブニュートラルなものを違う方から見るとかってことと、
彼、彼が思ってたことのなんか違いって若干あんのかなって思ったんだけど。
うん。
なんかそこ感じなかった別に。
いや僕はあんまり。
感じなかった。
なんかそんなに違和感は感じなかった。
なんか僕は言って、こうもしかして解釈されたかなって思ったのは、
ネガティブな解釈をなかったことにするとか、
うん。
無理やりこれをなんか逆転させようとする。
うん。
っていうなんか解釈を変えようとするんじゃなくて、
うん。
これは認めつつ、
うん。
ポジティブなものもあるよねっていう新しい発見をするっていう風に指摘されたと思ったね。
あ、そうそうだと思った。
でも僕が多分注意してないとやってしまってたかもしれないのが、
ネガティブをなかったことにするとか、
うん。
打ち消そうとする解釈をしてるっていうなんか微妙な違いがあるような気がして、
そうだね。
彼はそれを注意してたのかなと。
良問いの条件
そうだね。
ファクトはファクトで、ファクトっていうか、
そこもでも結構議論の余地があったような気がしたんだけど、
うん。
なんかある事実があって、解釈はどれも認めましょうとネガティブでも。
うん。
そうなんだけど、新たなポジティブを見つけようよっていう、
うん。
あんまり大差じゃないかもしれないんだけど、
そうだねそうだね。
なんかそこはすごい指摘されたような気がして、
そうだね。
確かに気を付けないといけないのかなとは思った。
そうそう。
だったら単純に価値軸を逆転して、
うん。
ネガティブをポジティブにするとかではないってことだよね。
そう、そういうこと。
で、多分口で一般的にネガティブを否定した、
うん。
ひっくり返した言葉を考えることは多分簡単なんだけど、
うん。
説得力がないのかだよね、多分。
そうだね、やっぱりそれだと、
なんか響かないよね。
うん、響かない。
だから、そうじゃなくてポジティブな新しい視点。
うん。
っていう、やっぱりこれ違うよね。
違う。
ただひっくり返してるのと。
違う。
これはいい指摘をなんかもらったかなとは思った。
うん。
そうだね。
で、あと前回言ったのが、
良くない問いは優等生すぎるとか壮大すぎる。
うん。
だから前回、
まあ、Well Beingとかって壮大かもしれないけど、
うん。
前回は元ネタの会社の話とかがあって、
割と自分ごとというか、
そうだね。
近くに落としてきたから良かったかもしれないけど、
あんまりこう、みんなが簡単に合意できちゃうような。
うん。
それって良くないよねと。
そうだね。
とか、そしたらそれで終わっちゃうと。
そうだね。
どうやったら世界は平和になるかと。
ああ。
それはちょっと、なんか遠すぎるというか。
うん。
難しい。
そういう意味では今日のe-lampかな、
あの人たちも面白いなと思ったのが、
彼らの問いの定義は、
うん。
問いのデザインとは
イエスかノーか分かんないようなものを問いだと言ってるみたいなこと言ってたの覚えてる?
うん。
その代表の女性の方。
うんうんうん。
それもなんか一つこれにちょっと絡むのかなと思って、
誰もが、もう一つ別の言い方すれば、
誰もが答えを知ってるような。
はい。
ものが問いと言わないというか、
解決されてるっていうことにも繋がるのかな。
ああ、そうだね。
だからそのイエスかノーかのクローズド?
うんうん。
クエスチョンじゃなくて、あれはなんだっけ、
心が可視化したら社会はどうなるかっていう、
How?
かWhat?
Whatかっていうのにしてたよね。
そうだね。
それはやっぱ意識的にやってるっていう。
うん。
そうだね。
あとは、これもちょっとなんかHow toというかTipsっぽい感じだけど、
なんかその問いを浮かぶための方法?
で、なんか5つぐらい方法があるよねって話で、
うん。
なんか素朴にそもそもとか、
5W2HのWhatとかWhyとかを投げつけてみると、
次の問いが生まれるよねって話なんだけど、
他に一番たぶん僕らが興味があるのが、
哲学的思考?
うん。
本質を捉えようとするっていう試み?
うん。
で、たぶん前回ちょっと話したのが、
学びとはとか教育とはとか愛とはとかいう風に言うと、
誰も答えを知らないような話になっていったりして、
で、いろいろ解釈がつけられるから、
いろいろ話す余地とか言語化してみること自体に
なんか意味がありそうで、
っていうなんかそのヒントがこの本にはあったかなって感じかな。
これあれ今あれだよね。
問いのデザインっていう本を読んで、
そこで書いていったことを踏まえて喋ってるってことだよね。
そうそう。
だから僕らがテーマとかを考えるとき、
いい問いを思いつこうって思ったときに、
ひとつヒントとなるのはこういう、
ちょっと哲学的に本質を捉えようとする試み、
そういった投げかけをすると、
ひとついいテーマの可能性が高まるかなとか。
うん。
でも今日さ、質問一覧いっぱいあったけど、
あんまりそういうのなかったよね。
愛とはみたいな。
うん。
もうちょっと具体的に、
そうだね。
かなり文脈とかも限定して、
例えば音大生とかさ、
キーワード女子高生がとか、
他になんだっけな、
帰省するのは故郷じゃないといけないのかとか、
なんかね、あえてあれはワークショップを通して、
自分ごとになるような具体的な何かを入れて、
イメージできるようにしてるのかなと思った。
あれはやっぱりプロダクトを作るとか、
具体的なサービスにするとか、
っていうのを多分一応想定しているから、
あそこの解像度とか、
具体性を落として、
抽象度まで具体性を落として、
そうだね。
やってるんだろうね。
うん。
最初はもうちょっと広い、
高い抽象度から考えるのかなと思ってるかな。
我々がここで話すような内容は、
あんまりそこまで具体的な話をしても、
しょうがないのかなっていうのは思ってる。
うんうんうん。
そう。
あと2つ目に、
逆思考の重要性
天邪鬼思考ってあえて逆を考えるっていうのも、
渋谷土産の人と考え方一緒かなと思って、
そうだね。
どうやってそんなクリエイティブなこと思いつくんですかって聞いたときに、
一般的にネガティブなのをあえてポジティブに捉えて、
見ようとするっていうマインドセットの問題。
建物が壊れるのをあえてお土産にして残すっていう風に言ってたもんね。
そうだね。
俺これ聞いてるときにこれかもって逆思考だなって。
あの人もフレームワークを僕らにシェアしようとしてくれてたじゃん。
一つのやり方としてこういうのやりますよみたいな。
彼もこういうのを頭に入れてるのかなと。
経験的に知ってたのかもしれないけど。
でもそれを単純に逆にすればいいってわけではないよっていうのがさっきの教えだね。
あの人が言ってたのに結構やっぱりハッとしたのが、
ありのままを見るというか、文字情報とかをまず一回取り払うと。
その現象自体を見るっていう話とか、
あと優先順位の高いものは一旦外して考えるみたいな。
その起こってる現象でこれが良いとか悪いとかってまず価値判断が起きるんだけど、
その優先順位の高い1番目とか2番目とかのものをまず外してそのものを見てみる。
そうすると多分3番目とか4番目とかにあるものが我々が気づいてない価値になるとかっていう。
全然ちょっと外れるかもしれないけど、データ分析とかするときも結構似たようなことするんだよ。
お客さんの知りたいこと、要因分析みたいなのを探すときに、
これが効いてますよって言ったときに、
1個目にお客さんの知ってる当たり前のことが出てきたりするんだけど、
じゃあそれ覗いてみましょうみたいな。
2個目3個目何で出ますかって言って、
相関のあるものを見つけると、それは知らなかったってところにたどり着くっていうことをやるんだけど、
なんかすごい似てるなって思ったんだよね。
当たり前のものは認めた上で取り除くっていう作業をここでもしてるんだって思って、
彼はそれを2個目3個目のレイヤーで見つかるものをファクトって呼んでたんだけど、
僕はそれを1個目もファクトだと思うんだけど、
1個目は当たり前だから取り除いた上で2個目をファクトって呼んでるんだなって思ったんだよね。
もうちょっと希少価値の高いもの。
そうじゃないとあんまり人に伝える価値がないというか。
そうだね、誰もが当たり前に見て分かることを言ってもしょうがない。
それは勝手に無意識に取り除いてるな、この人はって思ったんだよね。
前回ここら辺まで話せたと思うんだよね。
問いの連鎖デザイン
この問いのデザインではワークショップをデザインするみたいな話もちょっとあったんだけど、
多分このポッドキャストにも当てはめられるかなと思って、実はこれを使ってたんですよ。
どういうこと?
この問いもハイレベルな文脈で連鎖というかチェーンを作ってあげる。
最初、例えば問いの種類を過去と未来、もしくはもう1つの軸が社会と個人という軸があって、
2軸をマトリックス化するじゃん。
そうした時に個人で過去の話をすると経験なのね。
テーマが前回話した学びとか勉強の話だったじゃん。
だから俺、過去をどんな勉強だったかって聞いたと思うんだよね。
経験。
で、そっから次にその2×2のマスの、
じゃあ未来、個人の経験、個人の妄想、
だからこうなったらいいなみたいなものとか、
妄想なのか予想なのか分からないけど将来こうなるよねって話をしたと思うんだよね。
で、それを個人から社会に広げてあげるとビジョンになるみたいな。
だから社会はどうあるべきだとか教師はとか学校はっていう話にちょっと広がっていって、
っていうのをやるとワークショップも問いを深める手順としていいですよみたいなの書いてあったから、
これじゃあちょっと学びの回でやってみようと思ってやってて。
そうなの?
だからその部分はどうだったかなと思ってて、このデザイン。
学びの回のデザインを実はしてました。
全然気が付かなかった。
種明かし。
でも確かに最初自分たちの過去の経験とかを振り返って、
そっからじゃあどういうのがいいんだろうねみたいな話になったのはすごいスムーズというか上手いつなぎだなと思ったんだよね。
で最終的にじゃあ我々これからどういう力が求められてるんだみたいな話をしたのもすごい自然だったから、
なるほどね。
そういうフレームワークというかテンプレートというか。
一応グランドデザインが下に入ってて、
でも結構こういうのやってたらないよりもいいんじゃないかなとか思うんですけどね、割と。
いいと思った。
そういうの面白い、あったほうが。
何となく別に個々の話してる内容はコントロールしてないんだけど、
ざっくりこの2×2のどのマスを30分ごとに移動していくかぐらいあれば、
目的地が決まって安心感がちょっとあるのと、
最初のステップで出てたことを次に引き継ぎながらいくと、その場でしか出ない、
例えば社会と未来にかけたビジョンにたどり着くような気がして、
こういうのは考えてみるのは割とどの回にも応用できるのかなとは思った。
そうだね。
なるほどね。
じゃあ次の俺が問いを出すときはそのフォーマットを乗ってやってみようか。
参考にできればよく。
制約の効用
もう1個面白いなと思って、
これも今日のキューズで掲げられた問いにはだいぶ使われてるなと思ったのが、
自由すぎる問いからは何も生まれないけど、あえて制約をつける。
だから結構具体的だったりしたんだよね。
問題ではとか地元ではとか女性ではギャルではとかがどうしたらとかいう、
あえての制約をどこかに埋め込んでて、
そこから発信する新しい問いみたいなのを探ってたんじゃないかなと思ってて、
ワークショップで。
自由すぎると何も生まれないのは、
例えばワークショップするときに、
何でもいいんで新規事業考えてくださいって言うと難しいじゃん。
何でもいいんですよって言われると無理じゃん。
無茶振りになっちゃう。
無茶振りだね。
で、取っ掛かりがやっぱり必要で、
そこから広げるっていうのは人間できるけど、
ゼロですって言われると、
どこに点打っていこうかなんないし、平面も決まってないしみたいになっちゃうよってあって、
なるほどなと。
なんか色々説明できるよね過去の無茶振りでさ、
誰も答えられないシーンとなる質問。
会場で誰でもいいですよって言ってもさ、
誰も手を挙げられない。
自由なはずなのに自由じゃないみたいな。
ね。
だからそれが一つ面白いなって。
じゃあどうしたらいいかって言うと、
あえて制約を入れるんだけど、
一個の方法としてはなんか、
価値基準を示す形容詞をあえて入れて、
便利なとか豊かな社会とかこういう形容詞を入れてくると。
そうするとでも何がいいのとか何が悪いのって話が多分浮かぶのかな。
あとはポジティブとかネガティブなニュアンスを出すとか、
あとは具体的な時間、何年、2030年の何について考えてくるとか、
今なのか過去なのかをちょっと絞めてあげるとか、
あとは想定外の組み合わせで入れてあげる。
多分今日これが多いのかな、想定外の制約。
だから問いの一覧見た時にあんまり普段考えたことないっていう印象を受けたのかなと思ったんだよね、想定外の。
でも違うな、想定外の制約だから相反するものを組み合わせてる感じか。
危険だけど居心地がいいカフェって何みたいな。
で、最後はあんま関係ないかな、アウトプットの形に制約は、
あえて料理にしてみましょうとか、あえて○○新聞にしてくださいとか、
レゴで表現してくださいってやると制約が加わるから、
その中で何かしないといけないってなると今まで考えたことない思考方法であることを見るから、
ちょっと質問とかアイディアが生まれやすくて、っていうね。
これ最後のはもしかすると渋谷土産の人の100個アイディアを出すのとちょっと近いのかなと思って、
あえて100個を出すっていう制約を設けて、そこに到達するためには新しいものを取り入れないと出ないっていう、
最初の10個、20個は当たり前のものが出ちゃって出し尽くすと、
あの人が言ってたのは、カフェで出すメニューを考えてくださいだったんだけど、
子どもと行くとか老人と行くとか、条件を自分で加えてアウトプットがちょっとユニークになるみたいな、
なんか近いのかなと思って。
なるほど、問いを出すときは制約をつけると。
制約の設定方法
そう、あえて。
その制約のつけ方として、今言ってくれたのが5つあって、
1つが価値基準を示すと。
例えば、豊かな〇〇とはどんなものかとかみたいな。
2つ目はポジティブとネガティブを示す。
最高の〇〇とはどういうものかとか、最悪の〇〇とはどういうものかみたいな。
あえてそっちに振ってみる。
極端にしてみる。
3つ目が時間の導入で、
20何十年の〇〇とはどういうものかみたいな。
2030年の教育とは、学びとは。
ちょっと変わってくるよね。
具体性がパッて、どっかに刺さるのね、ピンが。
そこから質問を伸ばす感じになるのかな。
4つ目が想定外。
危険だけど居心地がいいみたいな。
一見矛盾するというか、
普通組み合わせで考えてみる。
最後がアウトプットの形式。
3つの条件を出してみる。
まさにそうなの。100個の条件を出してみようというのと一緒。
なるほど。
ポッドキャストのテーマや問いという意味で考えると、
時間軸や想定外の制約も一つ導入できるのかなと思った。
今まで考えていない視点で考えてみる。
そうだね。
その次、問い自体が良くない。
学びの回の後に、良い問いとは?というのを話したいというのがこれなんだね。
この問いのデザインでは、
クライアントと話していても、
クライアント同士で意見が噛み合っていない時、
そもそも何が良い商品かというのが話し合われていないから、
調べようがない、方向性がない商品のアイディアが出てきちゃう。
だけど、一回良い商品ってなんだろうねという納得感があると、
次のステップとして良い商品のアイディアがより出やすくなる。
考えてみれば当たり前なんだけど、
これをせずに良い商品のアイディアを出そうというフェーズに行っちゃう場合がある。
僕らも良い問いとは?という前に、
何か問いあるって話を始めたじゃん。
このポッドキャストのテーマをとりあえず3個出して、5個出してみたいな。
それ自体は悪くないと思うんだけど、
それで一歩下がって、
そもそもポッドキャストのテーマとして良いものってなんだろう?
この話し合いを繰り返すと、
何となくお互いの目指しているものとか、
納得感が出やすいものが見えてくるよねみたいな。
だからまさにこの回自体が重要なステップになる。
問いの良し悪し
何がWellなのかをまず話し合うみたいなのが大事って言ったのに、
何がWellなのか話し合っていないのにWell Beingを目指しても納得感ないよね。
一緒だなと思った。
そのメタの問いに対して、そもそも何のための問いだとか、
どんな問題を解決するのか。
これはちょっとビジネスっぽいから俺は関係ないかな。
誰のため、どんな学びを促すため。
ここはあんまり関係ないかな。
どんな学びを促すため。
そもそも何のための問い。
確かに我々これ、そもそも何のための問いなのか。
目的は別にないからね。
我々何のためにこれやってるんだろうね。
自分たちの一つ、
世の中をより理解するため。
それがもし聞いている人の何かヒントになればぐらいは思うかもしれないけど、
どうだろうね、目的。
目的はでもあえて問わない。
結論は問わないが、
目的はある。
何のためにやってるんだっけなって。
単純にでも楽しい。
何で楽しいんだっけなって思ったんだよね。
私、今まで世界を見てても、
解釈が変わるだけで、
ある意味人生が変わるじゃないけど、
見え方が変わるっていう現象は面白いのかな。
人生が豊かになってる感じがするんだよね。
自分が今まで見えてなかった視点とかに気づくと、
一つしか今見えてなかったのが、
別の視点が見えるようになる。
人生が豊かになってる感じがするし、
我々両方とも、2人とも多分、
人生をより良く豊かにしたいっていう思いがあって、
多分これをやってるのかな。
同じく人生をより良くしたいみたいな風に思ってる方に聞いていただけると、
もしかしたら何か価値というか。
ヒントがあるかもしれないとか、
同じことを考えてるかもね。
だから我々が言ってることに対して、
こういう見方もあるんじゃないかとか、
そこちょっとおかしいんじゃないですかとか。
もしそういうのがあったら、
聞かせていただけたりするとすごい嬉しいかな。
さらに豊かになる気がするなとか。
2人より3人、10人といろんな視点があるとね。
それはそれで面白いよね。
相手の意見を否定しない文化
結構日本人って相手の意見を否定しないとか、
相手が言ってることに疑義を唱えるみたいなのって、
あんまり歓迎されないというか、
いう気がしていて。
でも僕はどっちかっていうと、
どんどん言ってほしいというか、
これ違うんじゃないのかなみたいな。
言っていただけると、
自分が今まで気づいていなかった世界が見えるようになるから、
いいなと思ってるんだけど。
でもさ、それ教育のせいなのか、
そういう慣習なのか分かんないんだけど、
疑義を唱える方法とか、
作法を知らないんじゃないかなと思ってて。
自分も含めて。
相手に失礼のないようにリスペクトしながら、
疑義を唱えるって結構難しいと思う。
相手に素朴に何でやるんですかって聞くのでも、
捉え方によっては、
あなたのやってること無駄ですよっていう風にも聞こえるわけよ。
でも純粋に興味を持って、
あなたを理解したいっていうのも、
なぜやってるんですかっていう風になると思うんだよ。
だからその質問の仕方とかって、
結構考えないとできないと思うんだよね。
経験が必要だったりとか、
しないかなと思ってるんだけど。
それアメリカとかはどういう風にやるの?
僕のイメージだと結構、
自分の思ってることをズバズバ相手に言うイメージがあるんだけど。
でも作法はあるよ。
作法。
Whyって聞くと失礼になる場合もあって、
特にビジネスでも、
問いの重要性
ボスに向かってWhyって聞くんだけど、
もうちょっと1個の婉曲表現で、
What makes you thinkっていうと、
何があなたをそう考えさせたんですかっていうと、
受け身にする。
ちょっと違うじゃん、聞こえ方が。
それって日本語でも多分同じで、
何でそれやってるんですかじゃなくて、
日本語で直訳すると変かな。
何がそうさせたんですかっていうと変だけど、
何かきっかけあったんですかとか、
似たようなことを聞けると思うんだよね。
そうなんだ。
英語でもそういう風な言い方するんだね。
ある。
Whyって聞いちゃう人も多いと思うけど、シンプルに。
あとは、そういうのを良しとするっていう文化を作っておかないと、
それ自体は攻撃ではないとか、
今までも攻撃する意図はなかったっていう文脈がないと、
安心して多分聞けないんだよね。
それがあんまり日本の慣習とか文化の中に、
あんまりないんじゃないかなと思った。
そうだね。
与えられたものをただ従う的なマインドが結構色濃く。
ルールは守るものっていうイメージね。
でもルールって必ず目的があって、
それを何でって聞くっていうのは、
ルール意味ないよねって言ってるような聞こえるから、
要は従う気ないのかみたいな。
投げかけること自体がね。
あんまりルールができた理由を問うてるシチュエーションって日本でない。
ないね。
何でこのパーティションを今はやらなきゃいけないんですかとか。
何だろうな、他にも。
目的が達成されてたら、本来ルールは変えていいはずなんだけど、
ルールだけ残るみたいなのってあるよね、結構。
あるね、今我々の目の前に飛沫防止用のパーティションが置いてあって、
もうみんなマスクしてないんだけど、
何でこれあるんだろうみたいな感じの。
我々使ってないで横に置いてあるみたいな。
存在意義はもう目的が達成されて、
この存在意義はなくなってるんだけど、
そういうのが残り続けるのはあるかなと思うんだよね。
今まではあんまり社会がそんなに変化が少なかったからそれで良かったんだろうけど。
効率いいんだよね。
多分いちいち疑問持つ人ってちょっと邪魔なんだよね、
効率を求めてる世界から。
そうだよね。いちいち立ち止まらせようとするからね。
みんなが行進して進んでるのに、
ドンって止まる人が真ん中にいたら止まらないよって。
階列が乱れるよね。
でも別に今こっちにみんなで進まなきゃいけないってないんだったら、
自由でいいじゃんっていう、
空気中の分子のようにふわふわし始めてるから、
別に止まってもいいよねって、
どこ行けっていうのが決まってないんだからっていう風になってきたってことなのかな。
一部だけは風が吹いてて流れてるからルールが必要かもしれないけど、
風向きが変わったら、
じゃあそのルールはもういらないよねっていう風に、
多分柔軟にしないといけないと。
将来の方向性と次回のテーマ
だからそういう社会にしていきたいですね。
そういう思いもあるのかな、
キューズとかも問いが大事だって。
そうだよね。
さっきちらっと言ったけど、
キューズ自体とか、
スポンサーのスクランブルスクエアが何であれを作ろうと思ったのかとか、
それを推してる人、その背後にいる人たちっていうのが気になるよね。
あのマインドセットをそもそも持ってたの。
このキューズができたのが3年前、5年前だとしても、
多分その前に何か、その人の頭に何かあって、
それを実現してるから、どんな人があれを作ったんだろうとか。
だってあのキューズの活動って、
問いを立てることとルールの柔軟性
そんなに利益として測れたりとかするものじゃないと思うんだよね、影響力って。
もちろん会員数とかさ、
排出できた企業とかスタートアッププロダクトとかもあるかもしれないけど、見えるものでね。
かなり斬新な決断だったんじゃないかなと思う。
僕が今会社で問いっていうのをコンセプトにしたコミュニティをやってるのも、
理解してもらえないかなと思ったけど、
意外と理解してくれてるんだよね、みんな。
その会社にこういうのやりたいですって言った時も、
結構すんなりというか、なるほどって感じで言ってくれたから、
だからやっぱり感じてるんじゃないかな、みんな多く。
問いの重要性というか、
なんかこのままじゃいけないから変えなきゃいけないし、
変える時のきっかけとしてやっぱり問いっていうのがないと、そもそもね。
何も始まらないから。
そういうのを広めていければいいですかね。
その一つの一助としてこのラジオとかもね、できればいいですね。
あと何かあるか、これ。
これで終わり。
終わりか。
いやー、次のテーマどうしようかなーって思ってんだよなー。
ちょっと考えるけど。
ここはでも5分でないと。
そうだね、あと会議室の時間があと5分くらいなので、
そろそろ締めにいくんだけど、
これからどうしていきたいかな、どうしていこうか。
でもそのアイディアを100個とか決めて、
あえて制約を求めてつけて、
とりあえず出してみるのはやってみてもいいかなーと思ったし、
あとは、もうすでに話したいテーマがいくつかあったよね。
いくつか。
だからああいうのもやってみたいし、
あとはやっぱり自分が興味のある分野とか、
学んでみたい分野とか、
そういうのもあればそれに関する問いをあえて立ててみるとかね。
ちょっと目的志向になっちゃうけど、
そういうのもありなのかなーとか。
そうだね、だから今日学んだこと、
急遽って感じたこととか、
今ここで会話をして感じたこととかを踏まえて、
ちょっと僕の中でいくつか候補があった問いを
ちょっとブラッシュアップとかしてみて、
またちょっとそれを見てもらって、
それで次回の3回目のテーマを決めていこうかなと思います。
オフラインとオンラインの繋がり
そんな感じかなー。
でも今日は楽しかったね。
こんな感じになるとは思ってなかったんだけど。
好奇心が刺激されたり、
新しい人に会えたっていうか、
名前誰も聞いてない。
そう、名前わかんないんだけどね。
顔と印象はすごい、
何をやってるかは分かったけど、
その人のタイトルも知らないし、
名前も知らないし、
所属も知らないし、
本当に何も知らないけど、
何か意気投合したっていう不思議な体験だったね。
でも肩書きとか、タイトルで人を見ないっていうのも、
何か大事なのかなと。
そうだねー。
何をやってる人か、何を考えてる人かで、
何か人と話すとか、
それで何かゆるくつながるみたいなのが、
これからなのかなとか。
それもそうだし、
今日3年ぶりぐらいに直接会って、
直接顔を合わせて、
やっぱり話してみると、
やっぱりいいね。
心地よいというか。
インパーソンはね、
ズームというか、
オフラインには代え難いものがあるかもしれない。
技術とデザイン
今日やって良かった。
五感じゃないけど、何か感じるものがあるのかもしれない。
そうだねー。
でも日本とアメリカで太平洋を隔てて、
リモート通話でこういうのができるっていうのも、
すごいことだよなって思ったよ。
小学生の頃に、
20数年前に、
それができるとは思ってなかった。
パソコンが出て、
Windows 95が出て、
あの頃、
スカイプがあったかなぐらい。
その後に。
だから、
いろんなものの上に成り立っている我々が、
あるっていうのが、
非常によく分かりました。
じゃあ、
今日は、
直接会えて良かったですね。
楽しかった。
じゃあ、こんな感じでまた、
継続して、
続けていきましょう。
今日はありがとうございました。
ありがとうございました。