2023-04-21 19:39

#2-3 力が欲しいか…?予測不可能な世界を生き抜くための力を考える

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学びと教育について考える(その3)です。


【今回の内容】

学ぶことも楽しめないこんな世の中はPOISON/学びはコントロールできない/疑う力はどうやって身に着ける?/ひとりでできるもん!は時代錯誤?/平時と有事を見極める力/イス取りゲーム、イス創りゲーム/子供の人生を通して親が学ぶ/学びと喜びのサイクルを回すことが〇〇


【パーソナリティ】

とよだ:富士通で働くビジネス哲学芸人。

ショーン:シリコンバレーのテック企業で働くデータの魔術師。


【番組へのお便りはコチラへどうぞ!】

https://forms.gle/zGGArQTnfGuKY6Pj9


※このラジオは、個人の見解に基づくものであり、所属組織を代表するものではございません。


#白米FM #哲学 #学び #教育 #生きる力

00:07
そういう意味で、これまでいろいろ話してきたけど、
これからどういう能力というか、どういう学びが必要になるんだろうね。
最低限、学ぶことを楽しめるというマインドは絶対いるんじゃないかなと、僕は思っている。
でも、それもさっきさ、マインドを授けることが難しいのと一緒のようにさ、どうやったらそうなるんだろうね。
学ぶことを楽しいマインドを得る。
やっぱり、本人の興味・関心を伸ばしてあげることなんじゃないかなと、僕は楽観的に考えているんだけど、何か片手落ち感があるかな。
小さな成功体験を積ませるという感じ。
興味を持ったことをちょっと調べてみたりして、楽しいというサイクルを回してあげる。
そうだね。興味を持ったことはどんどん背中を押してあげるというか、サポートしてあげる。できる限り。
あとは、本人の興味の赴くままに任せるしかないのかなと思っているんだけど。
なんか本当に無気力になっちゃったら、多分それまではまずいことをやり続けていたってことだよね。
今、子供を見ててもさ、生まれた時ってもう好奇心の塊じゃん。
あっちに行ったり、手を出したりしろうとしたり、触ってみてって。反応、もうやれって言わなくてもやるじゃん。
でもある人はもう無気力になって何に対しても好奇心を持てないという状態になるから、どういう経緯でそうなっちゃったのかわからないけど、
好奇心を持ったものに対しては応援し続けると、きっとそういう無気力にはならないかなと思っているんだけどね。わからないな。
もしくは逆に阻害するものを取ってあげるってことだよね。
例えばさっきのプレス機じゃないけど、押し付けてくるような機会とか人とか、そういう環境にはなるべくいさせないようにするっていうことかな。
多少のプレスはいるんだと思うんだけどね。ちょっと今はそれが強すぎるのかなっていう。
それをちょっと寄り戻して、その個の個性というか興味にもちょっと寄り添うよっていう感じかな。
あとなんかこういうのがいるんじゃないかみたいなのあるかな。
こういうのがね、やっぱ個別に対応するっていうのは間違いなく必要だよね、そうなると。
03:05
全員が同じに持っている興味ってないだろうし。
そうだね。
あとはその世の中で生きていく方法っていうのを多様化していくから、生きていく方法っていうのもいろいろあって、
個別に合わせるっていうのがやっぱ必要なんじゃないかなっていうのはあるね。
あとペース。ペースもやっぱあって、適切なペースじゃないと頑張りすぎて失速しちゃうみたいな。
飛行機が上向きすぎると墜落ちゃうみたいなのがあると思って、その適切なステップ、スモールステップを積み重ねていくと、
あんまり最初っから崖にトライしすぎると挫折しちゃうから、その上手い具合な階段を用意してあげるっていうのも一つの手かなと。
なるほど。親が階段って用意できるのかなってちょっと今思って。
難しいけどね。実際に今子育てをしててさ、小さい子の遊んでたり物事を習得していく過程でもこれ難しいなって思うんだよね。バランスが。
例えばレゴをやってる子供を見てさ、最初本当に一個ブロックつけるのすらできないと。
親ができないと思って助けちゃうと、次からも自分で別にトライしようとしないかもしれないし、でも最初から難しすぎてこれはつまんないというかできないって言ってやらなくなる可能性もあったりして、
いい間を見つけてあげたいなとは思うんだけど、正直数値になってるわけでもないから難しいなと思う。なんか運みたいなとこもあるかなとか思うんだよね。
そうだね。結構運なんじゃないかなっていう風にも。
運だよね。思った通りにはいかないなとは思う。
コントロールできない気がする。
できないできない、それは思うね。それも大事かもしれない。なんかコントロールできると思うとちょっと期待値がおかしいよね。
子供の興味っていうのも別に固定的じゃないだろうし、本当に子供を見てて思うのがさ、ある数日間、1週間すげえ興味あるけどパッて興味なくなったりとかさ、
でまた1ヶ月後に復活してさ、むくっとやりだしてっていうのがあるから、それはコントロールできないし、本人の感情とかその時のコンディションによっても変わるから、それに我々も適応するしかないのかな。
そうだね。やっぱりコントロールしようとしないっていうのは結構重要かも。
06:01
それ、親に求められてる力だね。
親に求められてる力ね。
子供っていうよりはね。
俺が思ったのは、疑う力ってすごい大事じゃないかなと。
おー、疑う力?
さっきのChatGPTとかもさ、AIが言ってることをそのまま従うとか信じるとか、そうじゃなくて疑うとか、世の中では一般的に言われているが本当にそうなのかとか、自分の頭で考えて疑うっていう力はすごい必要なんじゃないかな。
それは確かにね。
だってそれ、ChatGPTの言うことを鵜呑みにしてたら、それはそれで手下というか機械みたいな感じになっちゃうもんね。
AIの奴隷だよね。
だよね。それは間違いないね。
疑う力ってどうやったらつけられるのかね。
やっぱりなんかね、自分の中にいろんな視点と骨格みたいのをやっぱり持ってないとできないんじゃないかなと思ってて。
例えばいろんな本を読んで、複数の視点で総合すると、この事象はこういう風な構造をしていてこういう挙動をするだろうみたいな、なんとなくの骨格みたいなのが自分の頭の中にあって。
それと違う挙動をしているとか、違う動きがあるみたいな、違う形をしているみたいな。
そこで疑いが発生するような気がしていて、それをできるだけ多く自分の中に持つっていうことが疑いを発動するのに重要なのかなって。
違和感で気づくっていうの。自分の中である世界のモデルと実際の目の前に起きている現実とのズレみたいなのがあったときに、あれこれなんかおかしくねとか疑いが始まるのかなって僕は思ってるんだけど。
なるほどね。なんか僕のイメージしてた疑うとちょっと違うような気がして面白いなと。
でもなんかそれの方が、とよだくんの言ってる方が本質的なというか本来あるべきなような気がして。
なんか一つのね、もっと表面的な疑うってさ、もう公式を当てはめるかのようにさ、
例えばあることが書いてあって、何でもいいんだけど1+1は2である。それに対して本当かっていう問いを投げかけてみると。
ってこと自体は多分できるじゃん。
うん。
なんだけどとよだくんが言ってるのは、自分の中で仮説とか比べる対象みたいなのがあって、そことのズレを発見しようとするってことなんだよね。
09:05
あーそうだ。もう全てを疑うことはできないと思うんだよね。だから何を疑って何を疑わないのかみたいな、
その選球眼を高めるっていう意味で今僕が言ったことを言ってるんだけど、
確かにその1+1は本当に1なのかみたいなそういう哲学的な。
2なのかね。
2か。数学が苦手だから。もうその哲学的な話も大事だなって思って。
なんか今俺言おうとしたんだけど忘れちゃった今からね。今ので忘れちゃった。ちょっとまた思い出したら言うわ。
なんかでもさ、そのモデルとか選球眼を磨くためにはさ、またニワトリと卵じゃないけどある程度何かを知らないとできないっていう意味で、
実は子供に疑えっていうのは無理なんじゃないかってことかな、そうすると。
だからいきなりは多分無理だと思うんだよね。だから勉強しろってことだと思うんだ。
そのでも勉強って今のは知識を入れるってこと?
そうだね。知識を入れるってことじゃないかな。本を読むとか。
でもさ、その最初に知識を入れるやり方がさ、ChatGPTで学ぶことが前提となっている世界だとするとさ、疑えないんじゃないかなと思った。知識が全部そこから入ってきてるから。
その中で閉じちゃってない?全部の情報が。
だからChatGPT以外から何かを学ぶっていう機会も作らないといけないってことか。
そうそう。情報ソースを複数持てってことじゃない?やっぱそのChatGPT一本化じゃなくて、本からも学ぶし、AIからも学ぶし。
なんだけどさ、ChatGPTもさ、本を吸収して入れるってこともできちゃうわけよ。この本読んで要約しろとかさ、できちゃうんだけど、なんだろうね、まあChatGPTのバイアスがかかるわけじゃん。必ずどうなると。
だから自分でもやっぱりChatGPT以外の方法で学ぶってことも大事ってことかな。やっぱり。
そうじゃないかな。そうだと思うけどな。
なんか面白いね。疑う。疑うは確かに大事だと思うんだけど、どうやったら疑えるのかって。
確かにどうやって疑うんだろうね、そうなった時。
あとは僕自身さ、その疑うって力まだ弱いと思ってて、どうやったらこれを鍛えられるんだろうっていうのが興味があってね。
なんかやっぱりどっちかというと、日本の教育もそうだかもしれないけど、上から来たものをなるべく素直に吸収しようと、いかに早く効率よく吸収できるかみたいなところを自分は頑張ってきちゃったような気がしてて。
12:06
それが大学の研究になるとさ、疑ってみましょうみたいになるね、初めて。今までのこれは本当か。
意外といっぱい嘘があるよねとか、覆されたことあるよね。なんだけど、なんかその素直さとか吸収力って、スポーツとかでは大事になったりとか、人間関係においても大事だったりするじゃん。
だからそのバランスがさ、その選球眼かさっきの言う、この部分は素直に受け取ってもいいかもしれない。
でもこの部分は本当かって疑ってみる、選球眼ってどうやって鍛えるんだろうなーっていうのは思う。自分自身。
最初から疑っちゃうと、そもそも何も学べない気がするから、やっぱ最初は信じるのかもしれないね。最初は素直に受け入れるっていうことから全て始まるのかもしれない。
人間ってそうなってるかもね。最初の幼児期は一応それを正しいと思ってなるべく、環境、この世の中を適応するために。だから柔軟なのかも。
じゃあ疑うっていうのはちょっと後のフェーズで出てくる。
そうだね、もうちょっと後だね。いきなり小さい時から疑ってるとちょっとまずいね、それはそれで。大学生くらいになってからそれを鍛えればいいんじゃないかな。
なるほどね。面白いね。ここにじゃあ時間っていうトリガーがあったんだね。
そうだな。確かにね。
他には何かあるかな。そんなところかな。これから大事になること。
あとは、一人で何でも解決しようとしないっていうのが大事なんじゃないかなと。
そうね。一人でできることってかなり限界があるよね。
今の世界もそうなんだとは思うんだけど、自分の能力を高めて、自分のスキルアップして、自分の市場価値を高めてみたいな。
結構そういうのに追い立てられてるような気がするんだよね。
資本主義の文脈が色濃いね。
だから他人より良い給料をもらうために自分の市場価値を高めてみたいな。
なんかね、俺そこに違和感をちょっと感じていて、なんかもうそういう感じじゃないんじゃないかなっていう、うまく言えないんだけど。
これはでもさ、前回のWell Beingじゃないけど、下の安全性とか生理的な部分が満たされていれば、そうじゃなくなってくるのかなと思った。
もし世の中がまたさ、混乱の世の中になったり戦争が起きてきたらそんなこと言ってられないというか。
15:03
あーそうだね。
だから前提としては、このまま世の中が混乱せず安定していて、
じゃあ個人で何しようって言った時に、自己実現とかにフォーカスできるんであればそうなのかなと思う。
そうだね。
だからその椅子取りゲームで椅子が限られている場合は、やっぱり他人との競争というか。
他人よりよくできるとかが多分求められる。
だからそういう時代の流れみたいなのを察知する能力も必要なんじゃないかな。
今は平時なのか有時なのか見分ける能力とかも結構重要なんじゃないかな。
そうか。だからもし仮にこれから有時になったとしたら、我々が今日話していただいたことも一回忘れろと。
逆にでもそういう有時の時でみんなが限られた椅子を競い合ってる時にこそ新しい椅子を作る。
人間が求められているような気もするのよ。
だからそういう有時の時に、既にある椅子を奪い合う能力を高めるっていうのも一つの方法としてあるんだけど。
新しい椅子を生み出すっていう能力。それが具体的に何なのかはちょっと今言えないんだけど。
そういうのをつけてあげられるようにしたいなって思った今。
あとはその子の個性というか能力も。その子がどっち向いてるかとか。
どんな環境でも自分の居場所を作れる。
それ最強だよね。
大事だよねそれ。
そうね。それは間違いない。
それはどうやったらできるのかはちょっと分からないんだけど。
それをこれから考えていくのかな。
そうだね。子供と一緒に考えていくのかな。
伴奏者だね。我々も。
そうだよね。だから子供の人生を一緒に伴奏することによって自分も学んでいく感じあるよね。
それはあるね本当に。自分たちもだって適応していかないといけないし、まだ先もあるから。
自分たちも学びってなんだろうとか考え続けるし、それと並行して子供の学びとか、子供の適応能力ってどうやったら高められるかみたいなこと考えてるね。
だからやっぱ死ぬまで学ばないってことでしょうね。
でもそうすると楽しめなくなる。
18:01
だから学ぶこと自体を楽しめるようになればいいんじゃない。
この前のWell Beingと一緒じゃないかな。そのサイクル。
学んで楽しい。学んで楽しいっていうサイクルが回ってることがWell Beingなのではないでしょうか。
そうだね。
同じ結論。
これ我々はどっかで脱却しないといけないかも。予定調和があっていつも同じ結論に執着するみたいになってくるから。
違う装置を取り入れて、このサイクルから抜け出さないといけないかも。次回以降。
そうだね。
まあでも今日はそんなところですかね。
1時間半くらい喋ったかな。
結構喋ったね。
まあこんな感じですかね今日は。
じゃあ一緒に学びましょうってことかな。これからもね。
これからも。
お互いこれを聞いてる方も、そして周りの方も、お子さんとかも、みんなで一緒に学んでいくしかないですね。
そうですね。いい伴走者になってという感じですかね。
はい。じゃあそんな感じで。
はいどうもありがとうございます。
はいありがとうございました。
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