2024-08-25 33:24

#25-3 面白き こともなき世を おもしろく そして輝く ウルトラソウル! (ハイ!)

面白さとは何かについて考える(その3)です。 面白さとは自らの魂を磨く研磨剤である。


【今回の内容】

つまらないは無くせる?/面白さとはリズムである/最後だけ面白い構造/生き辛さは無くせる?/世界と自分のゲームルールを合わせる/何に喜びを感じるか/面白い人になるには?/独自解釈が出せる人間/予測可能性高すぎ晋作は面白くない/死ぬ前にやりたい面白いことは?/自分の作品を出す/死の瞬間に人生の総決算をする/面白く生きる上で一番大切なことは?/自分の感性を信じる/認知が改竄されている可能性/他人の基準を取り込む/全てをひっくり返す/自分なんてない/面白さのストライクゾーンを広げる/森博嗣と村上春樹/いま面白い


◆面白いとは何か? 面白く生きるには?

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◆職業としての小説家

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【パーソナリティ】

とよだ:富士通で働くビジネス哲学芸人。

ショーン:シリコンバレーのテック企業で働くデータの魔術師。


【番組へのお便りはコチラへどうぞ!】

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※このラジオは、個人の見解に基づくものであり、所属組織を代表するものではございません。


#白米FM #哲学 #面白さ #死 #魂

サマリー

このエピソードでは、つまらなさとおもしろさの関係について深く掘り下げ、その必要性やバランスを探求しています。特に、ゲームルールや環境が生きづらさにどのように関連しているか、また独自解釈が面白さを生む鍵であることが語られています。さらには、自分の作品を残す重要性や、面白く生きるための感性の大切さについても触れられています。他人との基準の関わりや、自分の基準を広げていくことの意義についても考察が行われています。ポッドキャストでは、面白さを探求するための課題図書として森博嗣の「面白いとは何か」と村上春樹の「職業としての小説家」が紹介されています。リスナーが自分自身の面白さについて考えを深めるきっかけになることが期待されています。

つまらなさの必要性
じゃあちょっとさ、ギアを変えるとすると、逆にさ、今おもしろい話してたと思うんだけど、
それを逆転して、つまらないについて、ちょっと触れてみたいんだけど、
つまらないをなくすにはどうした…あ、そもそもつまらないってなくなると思う?
つまらないはなくならない。
ははは、言い切った。
なくならないと思う。
そっか。
なんでなくならないの?
うーん、たぶん、何かおもしろいことがあって、
それがずーっと続いてると、それはつまらなくなってくると思うんだよな。
つまらないって僕の中では変化がないとか、刺激がないとか、そういうイメージなのよ。
で、おもしろいことがずーっと続くっていうのは、そのおもしろいっていう状態の変化がない状態がずっと続くってことだと思ってて、
それはつまらないと思うんだよね。
そうだよね。
だから、えっと、おもしろいなと思った状態があり、つまらないなと思った状態が次に来ないと、その次がおもしろいと思えないっていう気がするから、
そのつまらないはたぶん必要悪というか、必要なんじゃないかなと。
そうだね。定義的にもうそれが発生するのが決まってる感じだよね。
でこぼこがないとダメなのに、それを、ってことでね、リズムの回とかと同じな気がして、
パターンになってないとダメだと。で、そのでことぼこがおもしろさとつまらなさみたいな。
そう。
なるほどね。じゃあなくならないと。
生きづらさとゲームルール
なくならないと思うね。
じゃなくそうとしないほうがいいってことか。
まあ、なくそうとはしない方がいいと思うんだよね。
でもそのバランス、おもしろさとつまらなさのバランスの一番、何、利得が最大化する均衡点というか、
に、なんか持ってくるようにするのが一番いいのかなと。
つまらなさ、平坦さ、変化がね。
なんかその、進撃の巨人みたいに一つのアニメとか考えてさ、10章終わるうちに9章までずっと変化がなくて、最後の10章だけ変化があるっていうのは、
なんかおもしろくならないような気もするんだけど。
へへへ、うん。
なんなんだろうね。それはでも、自分の想像力が足りなだけなのかな。
いや、その最後の最後で、超どんでん返しで超おもしろくなるっていうのであれば、
たぶんその最初の1から9までがつまらなかったとしても、それをなんか回収できるというか、
回収できるからそういう形態は、まあありといえばありなのかもしれない。
ああ、なるほどね。じゃあ一つの構造としてあり得ると。
そうね。
スーパー、なんか伏線回収会みたいな。
そうそうそうそうそう。
なんかあの、プログレとかっていう音楽を結構俺好きだったりするんだけど、
ああいうのってこう長いんだよね。一つの曲が20分とか30分とかあったりしたりするんだけど、
途中まですごいなんかよくわかんない展開みたいなのがずっと続いて、
で最後の最後にこう、なんかこうウワッてくる展開になって終わるみたいなのが、
昔あったような気がして、そんな感じの曲が。
でその最後の最後に到達するまでのそのためっていうのかな。
そのためも、その最後に行くためのこう、最後に行くために必要な試練というか、
その試練があるからこそ最後がこう美しくなるみたいなのがあった気がしていて、
そんなイメージをちょっとね浮かんだんだよね。
確かになぁ。
音楽ってそうかもね。なんかいろんなサビとかイントロとかでこう盛り上がるとこと、
まぁちょっと緩やかなところって必ずあるしよね。
それで面白さを作ってるんだね、濃淡。
まぁでも大体最後に行くまでに聞くのやめちゃうけどね、そういうのは。
プログレ?
プログレというかそういう、最後の最後だけめっちゃ面白いんだが、それまでずっとつまんないみたいな構造をもし取ったとして、
その最後まで到達する人は多分あんまりいないんだと思うけど、
まぁ到達してくれる少数の人にだけ理解してもらえばいいよっていうことであればまぁそれでもいいのかなと。
あーなるほどね。
じゃあそのつまらなさに関連して、
まぁ似てるのかわかんないんだけど、なんか生きづらさとか、
つまらないがすごいもう重なってると生きづらいになるのかなぁと思ったんだけど、
生きづらさはなくすことができるのかな。
まぁね、それはできる気がするな。
おー、そっか。
多分その自分のゲームルールと世界のゲームルールが揃ってないところにいると、そうなるんじゃないかなと思っていて、
自分のゲームルールとフィットする、そのサーバーっていうのに行けば多分、
ゲームメタファー?
そうそうそうそう。その複数サーバーがあって、それぞれのサーバーでそれぞれのワールドみたいのがあって、
まぁいろいろその中で例えばバトルロイヤルみたいなのをやってるとすると、やっぱそのサーバーの環境によって自分に合う合わないみたいのがあるんじゃないかなと。
あーそうだね。
いや確かにとあるオンラインゲームをやろうとして、そのあるサーバーに入った瞬間に殺されるのが続くと、もう萎えたもんね。このゲームやりたくないと。
そうそうそう。例えば自分はマインクラフトみたいなゲームをやりたいと思ってそのサーバーに入ったのに、
実はそのサーバーがそのFPSみたいな感じでバンバン銃で撃ちまくってすぐ殺されるみたいな、いうのとそもそもゲームルールが違うというか。
あーそうそうそうそう。本当そうだよね。僕はただやり方を学びたかったのにさ、いきなり狩られるっていうかそのプレイヤーキルされまくって、もうなんだこれって。
そもそもゲームが違うっていう可能性もあり得るかなと。環境によって。
じゃあそのまずは違うことに気づかないといけないんだよね。ゲームルールが自分のルールと違うと。
独自解釈と面白さ
そうだねそうだね。
そのためにはゲームのルールをわかんないといけないし、自分のルールもわかってないといけない。
おー。そうね。
自分のルールっていうのはどんなものなんだろう。
あー。やっぱ自分が何に喜びを感じるかなのかなーと思ったけどねー。
この喜びってまた新しいワードだな気がするんだけど、面白いとはまた別のもの?
あー面白い。面白いとはちょっと違う気がするね。
あー面白い。だからさっきの例で言うとマインクラフトみたいなので、何か物を作るっていうことに喜びを感じてそのマインクラフトのゲームをやろうとしてるのか、
FPSみたいなやつで相手をバンバンと撃っていかに多くの敵を殺すことを目的としてやるっていうのか、そこに喜びを感じるのかとか、
がそもそも何だろう、何のパラメーターを増やそうとしてそのゲームをやろうとしてるのかってことかな。
何に喜びを感じるのかっていうのは。
やっぱそこは面白いとは違うのかな。なんか面白さも。
面白さ。面白さ。
マインクラフトで例えば物を作って面白いと感じる。
うん。
FPSで敵を倒すことを面白いと感じるっていうのと、やっぱ喜びを感じるではなんか違う。
なんかちょっと違う気がするんだよなー。
なるほど。
喜び。
面白さ。
面白さ。
喜び。
ふふふ。
なんか違う気がするんだけど、何が違うのかはちょっとあんまりうまく説明できないな。
じゃあ、結構その話は変わるかもしれないんだけど、
周りの人から面白い人だなーと思われるためにはどうしたらいいと思う?
面白い人だなーと思われるにはどうしたらいいか。
僕が思うにやっぱり独自解釈なんじゃないかなと思ってる。
そっかそっかそっか。
わかんない。他の人がその基準で面白さを判定してるのかはちょっと全くわかんないんだけど。
なるほどね。確かに。
僕が思うに独自解釈を出せる人間は僕は面白い人間だなと思う。
じゃあその人がなんか言ってます。この意見が誰かからの借り物じゃないなーと思ったら、
とよだくんはこの人面白いと思うわけ?
思う思う思う。思うね。
じゃあその人が借りてることがわかんないだけでめっちゃ借りてきてたらそれはどうなの?
でもそれは僕の中ではその借り物の元がわからないので、それでもめっちゃ面白い感じがするんじゃないかな。
そっかそっか。
初めてそれに触れるのであればね。
それが例えばAさんもそれを言っていてBさんも同じことを言っていたらあれ?みたいな。
Cさんも同じことを言っているなみたいなのが続くとあれもしかしてこれはみたいな感じにはなるね。
あーそういうことね。
最初じゃあそのAさんが借り物で面白いなーと思ったらするじゃん。この人めっちゃ面白いなーと。
で、でも実は時間がたった後、BさんとCさんと会って、あれ実はAさん借り物だったんじゃねって思ったら、
Aさんは面白い人から面白くない人に変わる?
変わる変わる。
あ、変わるんだ。
変わる。うん。
なるほどね。
なーんだってなる。
なんだってなるね。
じゃあ仮に未来から来た人とか、過去の江戸時代から来た人がポンって言ったとしたら、
その人は多分独自解釈をバンバン出せるからめっちゃ面白い人って感じ?
そうだと思うよ。
じゃあ逆にさ、面白くない人、面白く生きられてない人っていうのは、それをなんかひっくり返したような感じなのかな。独自解釈がない人。
うーん、そうだと思うね。
なんか相手の言わんとしてることが、最後まで聞かずともなんか予測できてしまうみたいな。
あそこに予測可能性が。
それは面白くないね。
なるほど。
相手が言わんとすることが分かってしまう。
これも前提としては相手が何かを言いたいっていうふうにしてるような気がしたんだけど。
言いたいとか、喋ってて、独自解釈的なものを披露してるとしよう。
その披露してる途中で、もう着地点が見えるというか、
あそこに終着していく話なんだね、これは。っていうのが予測できるとしらけるかな。
そうなんだ。
作品と自己表現
そこでなんか、ここにどうせ着地するんでしょって思ってたのが、いきなり途中から全然違う方向に展開すると、それはおおーってなるんだけど。
ああ、なるほど。
そうもならずに、やっぱり予測した通りのところに着地するんだねって、もしなるのであれば、その人は面白くない人になるね。
なるほど、なるほど。
じゃあそのさ、そもそもでも何も発信したくない人はどうなの?
それはいいんじゃない?別に発信したくない人は、別に面白いとも面白くないとも評価されないから、いいんじゃないか。
うん。
じゃあとよだくんが死ぬ前にやっておきたい面白いことはある?
ぐるる。
なんだ、その声は。
やっぱり、なんか自分の作品みたいなのを出したいよね。
おおー。
1個ね。
それは、どういう?
これが俺の作品だっていうやつ。
それは別に何でもいいですよ、何でもいい。
フォーマットは何でもいいの?
フォーマットは何でもいい。例えば本かもしれないし、こういう音声コンテンツかもしれないし、もしかしたら音楽とか絵とかかもしれないし、もしかしたら自分の子供が俺の作品だってなるかもしれないし、なんかそこはわからないね。
なるほどね。
これはなんか、まあ残したなって思えるやつがあればいいんじゃないかなって気がする。
これはでも、いつのタイミングでさ、これが作品だってわかるのかね。
あ、っていうのは、確かに本だったらさ、出版っていうふうにわかりやすいんだけど、
まあこうかもしれないって言って、後からの解釈によって作品と呼べるものも出る可能性がある気がしたんだよね、今の聞いて。
うんうんうんうん。
最後の死ぬ時にそういう作品と思えるものがあればいいっていうことなのかな。
そうそうそうそう。最後の死ぬ瞬間に時が止まり、自分の過去のやってきたことみたいなのが全て横並びに並べられ、
あ、これだねと。俺の作品はこれだねっていうのが見出せればそれでいいんじゃないか。
なるほどね。これはじゃあ、あえてこの作品、この分野で、このフォーマットでいくっていうふうに決めずにいくっていう感じ?
いろんな作品と呼べそうなものを作り続けて、どれか満足できるものができたらいいなみたいな感じ?
そうだね。どれが一番、あ、これいいなって思うやつになるかは分からないからね、事前に。
ちょっと前まで言えば、俺なんかそんな音声コンテンツでやるなんて全く想像してなかったから。
たぶんそういうのが今後も出てくるんだろうなっていう気がするよね、人生。
一個小説書いてみたら実はいけんじゃね?ってこう、より思って執筆に傾くとか、なんかあり得るわけだよね、いろいろと。
ね、そう。
面白く生きるための感性
とかこの前、プレゼン意外といけるじゃんって言ったから、急にこう、講演者として話を残すとかね、スピーチを。
はいはいはい、そうね、そういうのもあるよね。
なるほどね。絵も描くの?今。
いや、絵は描かない。
絵は描かない。
じゃあ、そろそろ最後の質問になるかなと思うんだけど。
はい。
じゃあ結局、面白く生きる上で一番大切なことは何かな。
面白く生きる上で一番大切なことは、自分の感性を信じることじゃないか。
自分の感性。
自分結局、面白いか面白くないかを判断するのは自分のわけであって、
その自分が面白いと思うか面白いと思わないかが全てだと思っており、
面白い面白くないの基準が他人の基準になってしまうと多分、
面白い人生は生きられないんじゃないかなっていう気がする。
そうだよね。最終的に人生の最後で判断するのも自分で、
過去を振り返って、他人の基準だったな、他人の基準だったなって思うと、
面白くなさそうだよね、確か。
過去を自分で振り返って、これは他人の基準だったなって思うことはある。
どうでしょうね。どうだろうね。どうだろうね。
わかんないね、それ。
特にない、むしろ、正直は。
今はあんまり思いつかないから、ないのかなと思うんだけど、
もしかしたら認知が差し替わってる可能性があって、
その当時、昔の当時は他人の基準で生きていたんだが、
いつの間にかその基準が自分の中に取り込まれたのか、
後から都合のいいように改ざんされたのか、ちょっとよくわかんなくって。
今の視点から見ると、あんまりない感じがするんだよね。
なるほどね。
でもそんなことないんじゃないかなっていう気はしている。
はいはいはい。面白いな。
自分の認知が改ざんされてる可能性を今俺は感じている。
でも改ざんって言うとさ、悪いことじゃん大抵、ニュアンスとしては。
そういう悪い感じなのかな。
悪いことではない気がするね。
他人の基準が自分の中に自分のものになったってことはどうだろう。
悪いことじゃないかもしれないね。
他人の基準、最初は他人の基準だったかもしれないが、
それがいつの間にか自分の基準として一体化し、幅が広がってる可能性があるなと思ったね。
他人の基準の分だけ自分の基準の幅が広がって、
同一化できてるってことなのかもしれない。
なんかでもここでさ、注意というかなんか、
多分とよだくんのニュアンスとしては、
自分っていう基準がすごい幅の広い川のように流れていて、
他人の基準っていうのが一本ちょろっとあって、それが一体化して合流したみたいなニュアンスな気がするんだけど、
言葉だけ取ってさ、他人の基準が自分のものになったっていうとさ、
独自路線の考えを持ってない人もさ、
自分の小川がすごい細くあって、それが完全に隣の川に塗り替わってて、
他人の基準を全くそのまま取り入れてる人とも、
他人の基準が自分のものになったっていう気がして。
そうね。
まあでも今思ったけど、自分の基準なんかねえのかもしれないなって思ったな。
全部もうひっくり返すけど。
うん。
なんなんだろうね。
まあでもそこはそうかもしれないよね。
なんかそれは一つの刺激を受け続けて、
自分っぽいものを自分のものだと認知してるけど、実はそうじゃないと。
あの欲望の回を今思い出させられたんだけど、自分の欲望は他人から来てるみたいな。
はいはいはいはい。
だからそういう意味で、振り返れば自分の基準もまあ元々は他人の基準の集まりみたいな。
他人の基準、仮に社会の大多数がこれがいいでしょって思ってる基準があり、
それが自分が素直にいいなって思えるんだったら、
なんかそれは自分の基準としていいんじゃないかなって気はしており、
それと照らし合わせていいなと思えるんだったら、それはいいんじゃないか?
そうだよね。ゲームルールと自分のルールが合ってる状態だよね。
基準と自己の関係性
うんうんうんうん。
じゃあなんか今聞いて思ったのがさ、
分かりやすさと分かりにくさのバランスとか、合う合わないのバランスなのかなって思って、
ゲームルールと自分のルールがあんまりにもかけ離れてるとめっちゃ辛くて受け入れられないんだけど、
ちょっと違うぐらいだと、面白いなと思ってそれを取り入れて、
で、自分とゲームルールが一緒の状態になる、そういう状態に到達できるのかな。
そうだね。多少はやっぱりアジャストできるんじゃないかなって気がするな、自分の方が。
うん。
ね。
結局これも仏教の話でしたけど、自分なんてものはないわけであって、
周りとの関係性によってでしか自分というのは存在できないわけなので、
だからやっぱり自分の基準っていう固定化された何かがあるわけではなく、
それやっぱり周りとの関係性によってたまたま形成されたおぼろげな何かであり、
それは常に変化しているし、漂っているんだが、
それを最終的に死ぬ時にOKと言えれば、なんかそれでいいのかなと。
で、そこのOKと言える幅があまりにも狭いと多分ぴったり合わないというか、
最後にOKって言えないんじゃないかなっていう気がしていて、
その自分がOKと言える幅を広げていくっていうことが生きるということなのかもしれないなと思ったね。
なるほどね。
うん。
OKと言える。
うん。
そうだね、俺昔だから音楽家というかミュージシャンになりたかったけど、
今はもうミュージシャンになれる可能性というか、ほとんどあんまり考えてないんだが、
でも逆にそれでも今はいいなと思えてるんだよね。
だからもう絶対俺ミュージシャンじゃなきゃ嫌だと。
ミュージシャンになれない人生なんて生きる意味ないわっていう人生だとなかなか厳しい。
そうだね。
最後に死んだときに、俺ミュージシャンになれなかったからもうこれ全然価値のない人生だったわってなるのか、
いやそうじゃなくて、俺ミュージシャンになれなかったけど、
いやそれはそれですごいいい人生だったじゃないかって思えるかはやっぱりそこの幅っていうのかな、
オッケーと言える幅を広げてる感じがするんだよな。
それは大事なんじゃないかな。
ごめんねなんか最後に。
いやでもね、それが面白いと思える人生だったと思う一つの考え方だよね。
そうだねそうだね。ストライクゾーンをやっぱ広げるっていうのかな自分の。面白さのストライクゾーン。
結構大事なことかもしれないなと思った。
で、一通り今日第一週目の部分はカバーしてきて、
で、まずちょっと感想を聞きたいんだけどどうだった?結構みっちりいろいろ聞いたんだけど。
なんか本当に俺ずっと目をつぶってさ、
自分の奥底から出てくる言葉みたいのを拾い上げて喋っていたので、結構無意識で喋ってたと思うんだよね。
面白さの探求
だからどうだろう聞いてみてどう聞こえるかはちょっと楽しみなんだけど、
聞いてる人が面白いかはちょっと全然わからないよね。
で、これをもとにね、実はその宿題じゃないんだけど、こういう本を読んでみてほしいっていうのがあって、
で、今今日やったものって、実はそのとある本、「面白いとは何か、面白く生きるには」っていう本があって、森博嗣さんの本。
森博嗣来た。森博嗣来たか。
どういう意味?それは。
なんかね、俺が言った思考のガーデニングの元のネタのアイディア多分森博嗣から来てるんじゃないかなと思って。
あーそうなんだ。そうかそうかそうか。
じゃあ結構近い考え方をしてるかもしれない。
近いと思うよ。そうそう。俺とこの人かなりなんか考え方近いなと思って。
いや、なんかね、そうかもなと思っていて。
で、これをね、読んでもらったら、結構まんま今日聞いた質問が書いてるわけよ。
で、ある編集者と森博嗣さんとのやりとりを、我々はトレースしてるわけよね。
で、その中での差分とか、あとはここからどんなことをとよだくんが思うかみたいなところを、ちょっと次、もう一回話してみるっていうのが元々考えてたこと。
で、それだけだとちょっとなんかあんまり今週と変わんないとか、あんま話すことないっていう可能性もあるかなと思っていて。
なんで、もしこれでも一冊読んでもらって、あんまりそんなに話せることがなさそうだったら、
村上春樹の小説家としての一日を書いてるような本みたいなのがあって、
なんかその本を読んでもらって、その小説家について一緒になんかこう、面白いを考えてみるっていうのも、第2週目のバックアップとしてちょっと考えてる。
はいはいはいはい。これは「職業としての小説家」ってやつですかね。
あ、そうそうそう。それ読んだことあったりする?
いや、ないないない。
そう。
ほんと村上春樹の文章はね、全く読んだことないんだよね。
あ、そうなんだね。
うん。ちょっと読んでみるわ。
そう。だから、どっちかというと小説家とはみたいなところをちょっとトレースしながら、
まあでもとよだくん自身の小説を作るヒントにもなったらいいかなとか、そんなところをちょっと考えてる感じ。
いやーありがとうございます。やっぱこういうなんかきっかけというか、
うん。
を出してくれないとなんか自分の人生が動かないような気がしていて。
ありがとうございます。
もしリスナーの方もこの回を聞いて、じゃあそれぞれなんかこの今質問を頭の中でなんとなく考えていただいた人がいたら、
まあこの面白いとは何か森博嗣さんの本を読んで、自分とどう違うかっていうのをなんか比べてもらうのも面白いかなと思ったんだよね。
編集者と著者ってこういうやりとりしてるのかっていうのが自分にとっては結構新鮮でまず。
うーん。
まずはそこをちょっと楽しんでもらえるのかなと思ったんだよね。
うん。
とよだくんも。
これは非常に面白そう。
うん。
はい。
こんな感じです。
これだから課題図書としては森博嗣の「面白いとは何かを面白く生きるには」をまず読む。
小説家としての考察
そう。はい。
でそれともう一個村上春樹の「職業としての小説家」を読む。
うん。
それがオプショナルで一個目で何かこうあまり面白くないかったら是非そっちも読もうみたいな感じかな。
OKOKOK。
うん。
まあ一週間っていう中でやるからそこはあまり無理をしない方がいいかなと思って。
OKです。
うん。
了解。
はい。そんなところです。
はい。
じゃあ是非楽しんでこの一週間を面白さを探求してもらってまた来週と。
うん。面白さね。
はい。
了解。今面白いよ。
うん。面白いんか。
でやっぱこれ新規性っていうのがね大事というか意外性が大事みたいなこと言ってたじゃん。
面白いと思うには。
とよだくんにとっては僕がこうやって完全に企画するっていうのはある意味新規性とか意外性だったかなと思ったから。
そうですよね。
だからとよだくんにとってはこうやることが面白いかなって思ってたのね。
じゃあしおくんにとっての面白さもちょっと探求してみるの面白いじゃない。
まあね。
また俺とは違う面白さの切り口があるかもしれないし。
そうだね。そういうのもこの本読みながら次回僕に対する質問があったらメモっといてほしいんだよねそういうのも。
はいはいはい。
今回は僕が一方的に結構聞く感じだったから。
うん。OKです。
はい。じゃあそんなところでまた次回。
はい。
はい。ありがとうございました。
はい。ありがとうございました。
33:24

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