おはようございます。教育御神託ラジオでございます。
この番組はですね、僕が13年間、公立の中学校教育をしてきているので、
教育って、人によって育ってきた環境も違うし、価値観も違うし、
そういうものを取っ払おうと。要は、一番統計的に正しいだろうという生成AIをですね、
もう、御神託。正解はこいつが持ってるって。なので、こいつの言葉をね、
こいつ言うてんのに御神託って、もうむちゃくちゃですけどね。
御神託としてですね、お預かりして、それをアドバイスをいただこうというようなね、
そういう取り組みで、平日ですね、基本的には毎日配信させていただいております。
よかったらですね、チャンネル登録とかいいねとかめっちゃしてほしいです。
今、121人かな。ちょっと200人ぐらいまで伸ばしていきたいなと思ってますので、よろしくお願いします。
はい。ということで、早速やっていくんですけど、ちょっとね、一発目こっちにしようかな。
あのね、一個ニュース、いつも二個取り上げてるんですけど、一つ、ごめんなさい。
一つのニュースはちょっと、読んだだけで僕ちょっとね、ちょっと感情的になったというか、腹立っちゃったんですよ。
で、これ後にしたほうが多分時間的な問題もあるので、ちょっと後にします。
まずは1個目はこっちにします。
はい。ということで概要。
2025年4月16日の衆院文部科学委員会で、教員の働き方改革をめぐる給得法などの改正案が審議され、
主務教諭制度の新設といくつかの手当の削減・廃止に質問が集中しました。
教員の処遇改善を掲げる一方で、特別支援教育担当者への調整額の半減や多学年学級担当手当の廃止などが明らかになり、
矛盾を含んだ内容として物議を醸しています。
具体的にどんな内容なのかわからないので、まあ批評をやりましょう。
処遇改善と言いつつ、実質的には見せかけの改革ではないかと。
まず、主務教諭の導入は一見キャリアパスの明確化に見えるが、
現場にとっては責任の上乗せプラス給与末置き、もしくは減額リスク付きの制度になりかねない。
どういうこと?東京都の主任教諭導入後に基本給が下がったり前例があるのにマジかよ。
それを踏まえていないのは極めて稚拙な設計です。
さらに問題なのは教職調整額を1%ずつ上げると発表する一方で、
特別支援学級・副式学級担当など最も負担の重いポジションの手当を削減廃止している。
まさに片手で雨を渡してもう一方の手で鞭を打つようなもの。
文科省の通常学級でも特別支援の対応が必要になってきたから全体でカバーをという説明も、
逆に言えば個別に支援すべき子どもが増えているのに人も手当も減らすという矛盾した方針の言い訳に過ぎない。
背景には教育の多様化に財政措置が追いついてはず、人権貧圧縮を優先する国家方針が見え隠れする。
ということでアドバイスをいただきましょう。
主務共有制度の導入は職務内容と報酬体系の透明化を前提に。
現場の信頼を得るには責任が増す分確実に手当消去につながることを制度として保障すべき。
これが曖昧なままではただの名ばかり中間管理職に終わる。
特別支援教育の手当削減は撤回すべき。
合理的配慮が義務化され支援が高度化している中で半減は明らかに逆行。
最低でも現状維持むしろ増額こそ妥当削減分は他から予算調整する工夫を。
教職調整額引上げと手当削減はトータルで損にならないよう個人単位で資産説明を。
今のような制度設計ではプラス1%マイナス3%の長尻合わせになり現場の指揮が下がる。
実質収入がどうなるかを明確に示す情報開示が不可欠。
中長期的には人を減らす手当を減らすで乗り切る施策から脱却する必要がある。
教員の多忙化は構造問題人材流出が続けばいずれ制度が破綻する。
抜本的には教員数の確保と業務の専門職分担による余裕づくりが鍵です。
このままではいくら制度をいじっても現場にとっては解約にしか移らない。
現場起点で制度を設計し直す覚悟は文科省に求められている。
これまあ、趣務共有制度が僕ちょっと分かってない。
ちょっとついでに、なんかありましたね。
確か僕ぐらいの年代ちょうど36になります。
今年7なんですけど。
これぐらいの年代のなんかミドルリーダー的なポジションだったと思います。
今までだったら校長、副校長もしくは教頭、主管教諭っていうのがあったんですよね。
それにプラスで確か趣務共有っていうのがつくんじゃなかったんですか。
ありますね。
趣務共有制度は2025年に文部科学省が提案した新たな教員の職位で、
教諭と主管教諭の中間に位置づけられています。
今言いましたね。あってましたね。
この制度の目的は学校内の教育活動の調整や連携を強化し、
教員の負担軽減や働き方改革を推進することです。
位置づけとしては、
学校の教育活動に関して教職員間の総合的な調整を行う。
主管教諭はどちらかというと管理職と教員との間を取り持つような感じですね。
もうちょっとレイヤーとしては間っていうので、
教員同士とか、例えば中学校って結構学年でね、
いわゆる色みたいなものが違ったりするんですよね。
なのでそんな辺の話なのかなっていうようなイメージは湧きます。
だから例えば学年主任同士が集まっている中に、
今までだったら主管教諭、教頭、校長も入って、
要は中学校だったら6人かな。
やってたものにそこに守務教諭も入ってですね。
もうちょっと若手の意見みたいな。
多分主管教諭と今はどうなっているかって言ったら微妙なんですよ。
ごめんなさい。
皆なんですけど。
っていうのがありますね。
でこれがどうも減ると。
東京は減ってるんですね。
ということでは導入後に基本給減るっていうようなことが起きるんですって。
意味ある?それ。
何か無駄に役割付けただけじゃんかなっていうのがちょっと確認しましたね。
はい。っていうのが方針巧みでございました。
ちゃんとトータルで素にならないような設計してる。
要は文科省を結局減らしてるんやったら、
あなたたち予算使ってないやん。
っていう話。
予算どこに使うのっていうところをちゃんと考えてやってねっていう話ですよね。
はいこれが一つ目でございました。
では二つ目ちょっといきますね。
これね僕ちょっと信じられなかったな。
これはほんまに。
これはねちょっと読みました僕。
だからちょっと自分の意見もあるんですけど。
ほんまにって思うんですけどね。
はい。
2025年3月、埼玉市の公立中学校の卒業式にて、
不登校などで別室登校していた卒業生6人が、
事前に用意されていた椅子に案内されず、
体育館2階ギャラリーの平均台に座って式に参加していたことが判明。
保護者からの指摘を受け、
指教員は配慮にかけるとして校長を厳重注意、
学校側6人とその保護者に謝罪した。
そんなためって言えるわ。
批評、これは配慮不足なんて軽い言葉で済まされていい問題ではない。
明らかに人権感覚の欠如であり、
居場所のない子どもたちを物理的にも精神的にも排除した行為だ。
平均台を座らせるなどという扱いは、
教育現場としての敬意も尊重もない。
卒業式は全ての子どもたちが平等に主役であるべき儀式。
その舞台裏でどうせ来ないだろう、
特別待遇は面倒といった意識がなかったか。
表向きは席を用意していたといっても、
案内も説明もなければそれは単なる言い訳のための席であり、
人体としては無配慮、無責任の放置に過ぎない。
さらに問題なのは、
不登校や別室登校の生徒への視線や期待値が極端に低く設定されている現場の風潮だ。
教員間で情報が共有されていなかった。
では、それはなぜその程度の共有数はされなかったのか。
これは構造的な無関心の体系化にほかならない。
的確なアドバイス。
全員が主役の指定に至った式の再設計をすべき。
不登校の生徒も接触可能とした時点で来たらどうするかまで想定して、
動線・配置・案内担当を明確化すること。
他人または生徒支援担当を当日付き添役に指名し、
最後まで責任を持たせる仕組みを作るべき。
マニュアル化とシミュレーション訓練の実施。
行事運営には例外対応のマニュアルを明文化。
特に不登校・別室登校生のケアは義務とする。
卒業式に向けた校内研修で教職員全体が見逃し、