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2025-12-03 26:43

自己紹介2 ~体を動かせることの大切さを知り「自分の限界」への挑戦へ~

今回もダラダラとしゃべっております(1.5倍くらいで聴くと丁度良い感じ)。

私が登山・トレランの現在地に至ったターニング・ポイントについて話しています。

ターニング・ポイントは、

①都県境軌跡繋ぎ

②脳梗塞の経験

③子供の「腹ダブつき」発言→自分の限界への挑戦への意欲

の3つかな、と振り返りました。

 

今回のエピソードに関連するブログ記事のリンクはコチラ☟

都県境の足跡。 - 山と写真と毎日と

長距離を走る(歩く)理由。 - 山と写真と毎日と

 

*活舌悪く音声も悪いですがご容赦を…….

サマリー

このエピソードでは、体を動かすことの重要性と個人の限界に挑戦する過程が語られています。トレイルランニングや登山を通じて、心身の成長を実感し、脳梗塞の経験を通じて健康の重要性を再認識する様子が描かれています。また、体を動かすことの重要性や山登り・トレイルランニングの楽しさを語りながら、自身の限界に挑戦する意義について考察されています。特に、年齢や健康を考慮し、今できるチャレンジを大切にしたいという気持ちが強調されています。

自己紹介と体を動かす重要性
こんばんは、GreenFielderです。
今回はですね、前回の自己紹介の1回目に続きまして、
もう少し自分のことを話させてもらおうと思っています。
今回のテーマは題して、体を動かせることの大切さを知り、自分の限界への挑戦へということで、
今に至った主なトリガーとなったイベントというのでしょうか。
それをちょっとお話しさせていただこうかなと思います。
今、私はアメリカでトレイルランニング及び登山を週末のアクティビティとして取り組んでいるんですけれども、
結構長い距離を歩く走ることがとても好きなんですよね。
どうしてそうなったのかなというのをちょっと振り返ってみました。
まず遡って、前回も少しお話ししましたが、
私はコロナ前後に高校時代にやっていた登山を再開しましたというお話は前回したんですけれども、
登山をする中ですごく長い距離を歩くのが、終わった時の充実感を含めて好きになってしまったんですよね。
私、実は当時も今もなんですけど、妻から「山の中で泊まるのはダメ」というルールが課されています。
つまり日帰りの登山しかできないという制約があって、
普通に考えると、例えば山の上にある小屋に泊まるのは別に何の危険もないと思うんですけれども、
なぜかそこに関しては妻が危ないという認識を持っていて、
なかなか説得もできず、それがルール化されてしまった。
私としては、なるべく山の中で長い距離を歩きたいという思いが強くて、
当然のことながら長い時間歩こうとすると、朝一に登山口に行き、日没近くまで歩くということになってきました。
そういうことをやっていると、結局長い距離を歩くためには行動スピードを速くしないといけないんですよね。
例えば、さすがに登りは走らないし、平地もほとんど走ったことはなかったんですけど、下りはほぼ走るように下っていました。
そういうことで、登山の総距離も最低でも15キロぐらい、最長だと30キロぐらいの距離を歩くということになってきました。
15キロから30キロを歩くということになっていくと、逆にそういう登山のルートって、何かと何かを繋ぐとか、縦走路をひたすら歩くということになるんですけども、
そういうことをしていくうちに、私は当時、YAMAPを使っていたんですけど、軌跡がどんどん繋がっていくというのは、
ある日、YAMAPの機能を見ていたときに、突然過去の履歴軌跡が全部一覧というか、一回で全部表示できるという機能があることを知り、
それを見たときに、東京都の都と県の周辺の県の県境、都県境って私は呼びましたけど、都県境をかなり歩いていることがわかったんです。
これは東京都と周辺県との間の県境を全部軌跡でつなぎたいなと思い始めて、そういう取り組みを、取り組みをというのかな、そういう狙いを含めて、
その登山の計画をその後立てるようになったというところがありますね。
ただ、そういうことをやっている中でも、当時非常に仕事が忙しくて、ちょうどコロナ明けでまだまだ海外への出張があまり許されない時期に、
アメリカでのプロジェクトの入札がありまして、それに私は営業の主担当ということで、なんとかその入札でプロジェクトを勝ち取りたいということで取り組んでたんですけれども、
なかなか出張できずに、アメリカ側のパートナー企業といろいろな調整をして、いろんな契約条件とかですね、そういうのを詰めていく協議もしながら、
日本側では会社のいわゆるコーポレートというんですかね、本社の管理部門に対していろんな説明をしなきゃいけないと、これがまた本社の管理部門というのは言いたいことを言うわけですね。
これがあかん、あれがあかんと、お客さんと条件を交渉しなさいとか、パートナーと条件を交渉しなさいとか、好きなことを言ってくるというところで、それを全部、要するに日中は日本の社内の調整、夜になるとアメリカ側の客先とかパートナーとの調整ということで、
かなり睡眠時間を削って取り組んでいる時間というのが長く続いたんですね、1ヶ月以上続いたんでしょうか。
手術後のリハビリと新たな目標
そんな中で2022年の2月にですね、自宅に帰って、自宅で今度はアメリカ側との会議をリモートですると、それで多分深夜の2時とか3時くらいだったんですかね、終わって、
それから妻が用意してくれてた食事を始めて、食べ終わったんですかね、食べ終わってお皿を台所に片付けなきゃって言って、持って台所に向かうときに急にパリーンという音がしたんですね。
何だろうと思ったら、自分が持っていたはずのお皿を落として割っていたんです。
あれ、なんで落ちたんだろうと思って、そのお皿の破片を拾おうと思ったら、手が動かないんですね。
完全に痺れたような状態で、何の感覚もない、右手が感覚がなくなってたんです。
その音を聞きつけて寝ていた妻がどうしたのって言って近づいてきたんですけども、私は普通に喋ってるつもりが、何言ってるかわからないんですね、自分でも。
なんとなく顔も右半分が動いてないなっていう感覚を持ったんです。
妻もその様子を見て察したのか、「救急車呼ぶ?」って聞いてきて、私も喋れないけど頷いて。
これは脳梗塞の症状だなと思って、とりあえず片足引きずりながらソファーに座ってとにかくじっと我慢してた。
これが5分くらい経ったんですかね。そうしたら右半身の感覚が戻ってきたんですね、幸いなことに。
一過性のおそらく脳血管の詰まりがあったんじゃないかなと思うんですけども、結果的に。
ただ救急車を呼んでいたので、そのまま救急車に乗って救急病院に運ばれるということになりました。
その後、脳梗塞の原因をいろいろ検査等をして調べたんですけれども、
病院での診断結果というのは、私がもともと生まれた時から微細な穴が、
左心房と右心房の間の膜に開いていて、そこから気泡が通って、動脈側に気泡が混じり、
その気泡が脳の血管を詰まらせたのではないかという疑いを持たれて、
そこは結局カテーテル手術で、そこに膜を張って穴を埋めるというような手術もして、
今はほぼ穴は埋まったというのが結論で、ただ一応血液サラサラ薬を飲み続けているというのが今の状況ではあります。
なぜこの話をしたかというと、その時に医者から言われたのが、「当面山に登るのはやめなさい」と言われたんですね。
それは結構自分にとってはショックで、ある意味仕事がつらいのを週末登山をすることでストレス発散できていたものも、
止められてしまう、要するに好きなことができなくなってしまうというショックがあって、
カテーテル手術を受けたと言いましたが、その時も、実は開胸手術という選択肢もあったのですが、
どちらにするかという選択を迫られた時に、やはり胸を開く手術って下手すると本当に体が動かせなくなる危険性もあるなと思って、
リスクの少ないカテーテル手術を選びました。
カテーテル手術だと「完全に治るかどうか保証はできません」とお医者さんにも言われたのですが、
それでも、やはり胸を開くリスクと比べればと思ってカテーテル手術を選びました。
そういうことで、なんとか手術がうまくいって、完全に穴は塞げていないのですが、かなりリスクが小さくなりました。
あとは血液サラサラ薬を飲んでいればほぼ大丈夫でしょうという診断を受けて、
そこから退院して、そこから「山にはまだ登れないけれども、体を動かすのはいいよ」と言われて、
「どこまでいいんですか、走ってもいいんですか」というような質問をお医者さんにして、
とりあえずジョギングならいいでしょうということだったので、
とにかく体を動かせるという思いが溢れて、
週末のみならず、時間があれば、平日でも何か走りに行っていただきます。
せっかく走るんだからということで、
東京都県境、いわゆる県境の部分をさらに埋めてやろうということで、
私は東京都の23区の西の端、多摩川沿いに住んでいたのですが、
当然そこは神奈川県と東京都の県境なわけです。
多摩川の土手をひたすら北へ南へ走り、東京都の境目の線を軌跡で塗りつぶしていくという作業をしていました。
最後に残っていたのが町田かな、町田のあたりから山の方に入っていくおよそ30キロぐらいがまだ残っていたんですね。
それはあくまで東京都の南半分で軌跡がつながっていなかったのがその部分。
北側は平野部はほとんど埋まっていなかったのですが、
少なくとも南側、雲取から多摩川河口までつなぎたいということで、
その30キロを埋めるジョギングに行ったんですね、とある日に。
ずっと町田から北西の方向、多摩川を遡っていくような形でどんどん走っていったら、
目の前に南高尾の山が見えてきて、当時お医者さんに「これから登ります」とも何も言わなかったのですが、
体を動かすことの重要性
無償に山に登りたくなり、そこで、町田市の最高峰だったかな、
南高尾山陵の一番平野側に近い山で、草戸山という数百メートルの山があったんですけど、そこまで登っていきました。
草戸山って要するに里山なんですけども、山頂まで行くと関東平野が見渡せるんですよね。
天気がいい日は関東平野の反対側にある筑波山まで見通せるという見晴らしがあって、そこでやっぱり山っていいよなってつくづく思いました。
そんなことがあって、その時に同時に東京都の南側半分の県境の線はすべて軌跡で塗りつぶすことができたということになりました。
そんな経験があって、とにかく体が動かせる尊さ、山へ登れる幸せというんですか、ちっちゃな幸せかもしれませんけど、そういうのを感じるようになりました。
山へ登れる体を持つ幸せっていうのをすごく感じ、ますます山に登るようになったっていう感じですね。
それが一つの私のターニングポイントっていうんでしょうか。一つ目のターニングポイントがそれだとすると、二つ目のターニングポイントは前回の収録でも話したんですけど、
やっぱり子供に言われた「腹ダブついてるね」発言ですね。それはそうなんですけど、それでジョギングとか筋トレを始めたっていうこともあるんですが、その中で見つけたトレランというもの。
トレランというものを知って、ネット上でのいろんな情報を見ていくと、100マイル(160キロ)のレースがあるとか、もっと長いレースがあるとかいう話になり、それを知って、「よくそんな長い距離走るよね」と他人事のように思ってたんですけど、
でも、もともと登山でも長い距離を歩きたがっていたんだから、走ったらもっと長い距離走れるじゃないかというふうに徐々に考えが変わってきて、何ならどこまで行けるのか試してみたいなという思いに変わってきました。
私もともと性格的には非常に慎重派で、自分の限界に挑戦をするっていうことは多分人生やってこなかったんじゃないかなと思い始めました。
自分は、例えば大学の受験も高校の進路指導の先生から、「お前はもっと上を目指した方がいいんじゃないのか?」と言われるぐらい、かなり安全サイドの大学を受けて問題なく合格できたんですけど、
そんな感じで、自分が届くか届かないかわからない目標に挑戦していくっていうことをいろんな意味で避けてきたような気がします。
でも、それって生きている中で何かここまでやったぞって言えるのかなって思うようになったんですね。それはおそらく年齢のこともあります。
私50歳を過ぎて、あとは例えば体を動かすとしたら、あと10年ぐらいでそれ以上になってくると、自分の限界にチャレンジといってもちょっとなかなか厳しくなるなっていう思いもあり、
もう一つは、やっぱり脳梗塞を経験して、いつ自分がまたそういう病気になったり、何なら突然交通事故に遭うかもしれませんが、そういうことでそもそもチャレンジする、挑戦するチャンスを完全に失っちゃうかもしれないよねって思うと、
今できることはやりたいなっていう思いも強くなりまして、結果として今、徐々にトレイルランニングで距離を伸ばす。
ロードを走る時も、「やっぱりフルマラソンを走りたいよね」っていう思いになり、徐々に今、1日で走る距離を伸ばしていると。
トレイルランニングについては、今の時点ではまだ目標というよりはまだ夢の世界ですけども、どういう形であれで100マイルに相当する距離を走ってみるっていうことはやってみたいなと思ってます。
今この時点で実績としては、11月にここバージニアで草大会、トレランの草大会で50キロ走ったっていうのが最長。
ランニングという意味では、これは別に大会でも何でもないですけど、自分で週末に走って、歩かずに走り切った距離としては今の時点でまだ30キロなんですね。
どちらの時も、右足首と左膝に痛みが出ていました。
これを何とかすれば、もっと走れるなという思いがあって、今はアメリカにいるので、なかなか誰か専門家に相談というのもしづらいところなんですけども、
膝と足首の痛みをどうにか、周辺の筋肉を強化するのか、走り方を矯正するのかわからないですけど、そういうことをやって克服できれば、もっと長い距離に行けるんじゃないかなと思って、
今、トレーニングなりジョギングなりトレイルランニングという形で、週末もしくは平日何日かでエクササイズをしているというのが今の私です。
ということで、また長くなってしまいましたが、自己紹介の第2回ということで、「体を動かすことの大切さを知り、自分の限界への挑戦へ」というエピソードを終わりたいと思います。
自分の限界への挑戦
ご静聴ありがとうございました。
26:43

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