GreenFielderの自己紹介
初めまして、GreenFielderと申します。
ひょんなことから、LISTENに登録し、なぜか今、音声を録音中です。よろしくお願いします。
私のコードネーム、GreenFielderというのは、私が好きな新緑の山から来ています。
そもそも、GreenFielderというのは、YAMAPで使い始めたコードネームで、その後、ブログにも展開して使っている共通コードネームになっています。
まず今日は、簡単に自己紹介をさせてください。
年齢は51歳、1974年の3月生まれです。
出身は、いつも聞かれると困っちゃうんですけど、生まれたのは石川県、両親の実家がある石川県です。
実質の育った場所としては、小学校、低学年までは栃木県、その以降は埼玉県、現在も両親の家は埼玉県にあります。
今はどこにいるかというと、埼玉県ではなく、アメリカのバージニア州という東海岸のワシントンDCの近くですね。
そこに住んでおります。
仕事で3年間という期限付きで、昨年の2月にこちらに赴任してきて、一応来年末任期でこちらに滞在しているということになります。
私のこれまでの経歴といいますか、ちょっと振り返りで簡単に、主に趣味の話をさせていただくと、まず中学校から始めましょうか。
もともとですね、私、両親がテニスを趣味でちょちょっとやってまして、それもあって私もテニスがしたいなと。
ただ中学校には何式のテニス部しかなくて、何式のテニス部に入りました。
高校に入ってからだとは、公式のテニスをやりたいなと思ってましたけども、私が進学した先の高校にですね、なんと公式テニス部がないということが分かりまして、どうしようかなと。
その時点で、サッカーとか野球とかラグビーっていうのもあったんですけど、そういう部活はちょっと、そもそも万年補欠だし、さほど運動神経がいいわけではないので、
あまりその、ガチの体育会のノリの部活はいいのだなと。ただ一方で、生物部、天文部、ちょっと違うかなと。要するに文化系も嫌だったんですね。文化系の部活も嫌ということで、
結果的に選んだのが産学部だったということになります。そこで何も知らず、山の知識も一切なく産学部に入った結果、
当時はですね、高校も結局は年功序列の世界で、1年の時は産学年の中で最も重い荷物を背負わされると。2年になったら少し軽くなる。3年になるとほぼ自分の装備以外は数がないというような形になっていて、
1年の時は本当に大変でした。ただ、この3年間の産学部での経験というのが結局今にもつながっているのかなと思っています。
その後、高校卒業し大学に入ると、ここで初めてですね、年間だった公式テニス部に入ります。ただこの公式テニス部というのはサークルでもなく、同好会でもない、いわゆる公式のテニス部です。
ですので、はっきり言って日々テニス付け。とはいいながら、初心者で入部しているのと、先ほど言った通り、さほど運動神経がいいとも思えず、
そんな中で結果として、4年の春までが活動期間にあるんですけれども、一度として公式戦でレギュラーで出たことはないという結果に終わりました。
後悔はしていませんけれどもね、いろいろサポートする面で経験を積めたのかなと思います。
テニスで言うと、部活は4年の春で終わったんですけれども、その後、このまま社会人になるのはちょっとなということで、
まず1年間、大学を休学することにしました。1年間休学をして、社会人になるまでのモラトリアム期間にしたいなということで、
アメリカにまず拠点を持ち、拠点を持ちと言っても親のすねをかじってですね、大学の寮に入り、そこで過ごしながら、会話の学校に通って勉強するということをやっていました。
そうは言いながら、その中で暇を見つけてはいろんなところに旅して回った。一番大きかったのはヨーロッパへのホグロウ旅ですけど、そんなことをしながらだらだらと時間を消費し、日本に帰ってくることになったわけです。
日本に帰ってきて、改めて4年生を始め、ゼミへ通い、この時点ではですね、当然同居はみんな社会人になっておりますので、私は1学年下のゼミに行き、
そこで1、2学年上、出会った私を温かく迎えてくれたゼミの仲間と一緒に過ごし、そして翌年春から晴れて社会人となったわけです。
趣味の変化と新たな挑戦
社会人になってからはいろいろありまして、ここでは特に触れる気はないんですけども、かなり見横にして働いたと自分では思っています。
その社会人経験を通じて、結果的にアメリカのマーケットを任されるようなことになり、
そして実はすでにこれまでの社会人生活の中で計4年間子供はアメリカで駐在した経験があるんですけども、今回3度目の駐在と、
しかも過去2回は家族で全員で駐在先に住んでたんですけど、今回は子供も大きいと。
ちなみに私、妻と大学生の息子と中学生の娘がおります。
その家族は日本に残し、私一人で単身で今このバージニアに住んでいるということになります。
社会人生活の中で趣味はなかったのかということになるんですけど、実は大学でやっていたテニスを社会人でも続けておりまして、
会社のテニス部に入って、いわゆる実業団の試合などに出させてもらっていました。
これがまた面白いことに、社会人になってからの方が大学で主力自重テニスをやっていた頃よりもテニスが上達したんですね、面白いことに。
東京の本社に移ってきて、東京本社のテニス部に所属してたんですけど、その時にいわゆる一軍というんですかね、のレギュラーメンバーにさせていただくことも一時期はありました。
もちろんその実業団の一部リーグ、二部リーグとかいうような強いチームではなかったんですけども、それでもですね、私レベルでレギュラーになれるなんて全く思ってなかったので、それはそれで非常にテニスやってて面白いなと思った時期ではありました。
社会人の最初の10年、20年ぐらいはやっぱりテニスが面白くてずっとやってたんですけど、そのうち仕事があまりに忙しくなり、アメリカに駐在していったりもして、テニスからはですね、徐々に遠ざかってしまったという状況で、
そんな困難をしているうちに40代になり、再び日本に帰ってきて少ししてからもうすぐにですね、コロナになりまして、コロナになったら当然なことながらテニスもできないし、何もできないということもあって、
何か人と接することなくできる何かエキササイズがないのかなと思ったところで、まず始めたのがジョギング。
ジョギングをしているうちに、何かこれだけではつまらないなと思って、そうかと。久しぶりに山行ってみるかなとなって、高校時代にやっていた登山を再び再開するということになったんです。
ですので、登山を始めたのはコロナ前後くらいということになります。
登山をしたらですね、やっぱり山って素敵なんですよね。山登ると、やっぱり雄大な景色、自然の美しさ、音。
やっぱりこの年になったからかもしれませんけど、そういうものがすごく心に響くようになったんですね。
山の上で絶景を見ながらコーヒーを飲む。コーヒーもその場に入れたりするような手間はかけずにですけどね。
保温ボトルにコーヒーを入れて山頂で飲むだけなんですけど、それでもやっぱりとっても気持ちが晴れやかになるんですね。
仕事、結構一時期ストレスが溜まるような時期もあったんですけど、山に登ることで一旦頭をきれいにさっぱりさせることができるということが快感になってきたというんでしょうか。
癖になりまして、そこからひたすら山に向かうようになりました。
その後、山に登っていたらこの風景を写し止めたいとなり、よくあるパターンですが、やっぱりiPhoneではつまらないということでカメラに手を出します。
カメラに手を出して、カメラのレンズに興味がいきまして、カメラのレンズを買ったら今度は望遠レンズで鳥を撮りたいということになり、
鳥にはまり、その後夜景にはまり、星空も楽しいなと。
なんとなくカメラの方にどんどんじくわしが写っていきつつあったところで、今回のアメリカ婦人が決まりました。
それがですので2024年の頭ですね。
ただそれまでに散々山を登っておりまして、私の登山スタイルというのはあるんですけれども、
これはおいおい話すとして、その登山をこちらアメリカでもやり、写真趣味も継続しとやってきていたんですけれども、
ここである天気が訪れました。
今年の年末年始、私の会社は一時帰国制度が1年に1回ありまして、年末年始日本に帰っていたんですけれども、
そこで息子に言われたんですね。
お父さんと、お腹の肉ダブ付いてないと、かっちょ悪いみたいなことを言われ、
実はうすうすわかってはいたものの、実際子供に言われるのは結構厳しくてですね、
これはいかんと思い、帰国後少し経ってからですね、ちょっと体を動かすエキササイズをしようと。
それからジョギングとか筋トレとかを少しずつ始めたんですけれども、
その後ですね、なんか筋トレとかジョギングとかでもコツはないのかなとネットで調べている中で、
ピョコッとトレイルランニングっていうものが出てきたんですね。
トレイルランニング、聞いたことはあったのと、会社の同期入社の人間でトレイルランニングにハマっているという男がいまして、
頭には言葉はあったんですけれども、改めてトレイルランニングってどんなものかといってネットの中に入っていったら、
すっかりハマってしまい、ついつい深掘りし、特定のアスリートのいろいろなストーリーを見たり読んだりしていくうちに、
自分もやってみたいなと思ってしまい、なぜかトレイルランニングに今ハマりつつあると。そんな状況です。
ということで、意外に時間が経ってますね。
自己紹介、最初は以上で終わりにします。もし聞いてくださった方がいらっしゃいましたら、ご静聴ありがとうございました。