サマリー
このエピソードでは、南さんとの会話を通じてエネルギー注入に関する考察が展開され、膜という概念を用いてその違いが深く探求されます。木木さんの独特なバイタリティと発信へのアプローチについても語られています。また、才能や自己認識についての洞察が深まり、他人を見て感じる疑問や日常的な行動が自分の才能に繋がる可能性について考察されます。さらに、環境問題に対する考え方や、個々の特質の違いがどのように影響するかについても議論されます。加えて、エネルギー注入や感情の影響について話し合い、特に緊張とパフォーマンスの関係が探求されます。さまざまなスポーツでの感情の役割についても考察されています。
ビリビリの気質について
なんで僕は、ビリビリなのかな?
HSPって、生きてる間ってどんな気質なんだって
それは偶然、他のことも全部、たぶん全部、偶然
だったら、みんなが自分らしく、最後は笑えたらいいな
あ、撮れてますね。
よろしくお願いします。
南さんのオタクで、2人で撮ってます。
南陽子です。よろしくお願いします。
さっき、シュウホウ用の短い音源は撮ったんですけど
シュウ笑ラジオ用ってことで、時間気にせず喋ろうかなみたいな感じで
そうですね。
喋り始めましたけど、テーマはまだ決めてないですね。
コーヒーいただきます。
さっきも何話したか、もうすでに忘れてますもん。
忘れてますね。
でもね、回ってない時は、面白い話をしましたよね。
生物学的な人間のあるべき姿。
まあまあ、そうですね。
あの話、身振り手振りを使えないとなかなか難しいんですよね。
視点が。
確かに。
上空からの、みたいな表現をしないといけないですよね。
そうですね。三角で言うと、上の頂上のところからっていう感じで。
まさにそれが三角の上までのタイトルそのままですね。
もともとはそのつもりでつけたタイトルでした。
もともとは。間違えてきたっていう。
でもね、そんなこともないかもしれない。
相方が結局は、いつも抽象思考する人なので、話は自然にそっちに行くんですよ。
私が気をつけて、抽象なの具体なの言わなくても、彼がそうしてくれてたって感じですね。
すごいですね。
もっとね、収録したいんですけどね。難しいですね。
難しい。
基本リアルでの収録のみ?
遊びに来たときは、リアルで収録することも何回かはあったかな。
でも、それまでは本当にズームです。
ズームだったんですね。
遊びに来てるときも、こうやって一対一でした。
一対一でした。ここでこうやって、本当にこの位置でこうやって喋ってたんですよね。
撮らなかったらもったいないなって思うのがよくあったんで、
最近は撮っちゃうよって撮って、使ったり使わなかったり。
使わないのもあるんですね。
そうですね。
聞きたいな。
面白いですね、話してると。
それこそ本当に独特で偏っている部分はすごくあるとは思うんですけど、
私にとっては面白いです。
このズームの機会がなくなったのは、黒渕さんが忙しくなったっていう感じですかね。
同棲を始めたきっかけですね。
それから撮りにくくなって、
でも今はもう結婚しましたんで、
結婚してからは撮ってないですね、たぶんズームで。
別にね、全然そんなやろうよって言えば、分かったって時間取ってくれると思うんですけど、
こっちが遠慮してます。
分かります。
それは遠慮しますよね。
奥さんに嫌われたくない。
分かりますよね。
いやいや、またなんか機会があったなっていうのを心待ちにしてますけど、
今は木木さんとたぶそんがガンガン回り始めてるから。
そうですね。
木木さんはほんとすごい人だった。
すごいですよね。
ほんとすごい。
最初のイメージからもだいぶ変わってきてますね。
思っていたよりも3倍ぐらいバイタリティーのある人だって分かったし、
もともとすごい行動力のある人だと思ってたんですけど、
頭の中に出来上がってる彼女の世界っていうのもすごい大きいんですよね。
大きい。
大きいというか広がりがすごいなと思います。
全然私まだ入口にしか立ってないから、
全然知らないんですけどね、木木さんの。
自己紹介で話してくれたような内容とかはもちろん分かりますけど、
なんかもっと奥深そうだぞっていう気がします。
全部ほってたらおもしろいでしょうけどね。
私が木木役でインタビュアーになって、
木木さんについて話してもらうっていう番組にしちゃってもいいぐらいですね。
木木さんのことも聞きたいです。
私あっさいですからね。
いやいやいや。
あっさいわけがない。
何にもないです。
いやいやいや。
でもさっき修法の収録をしながらしゃべったのかその前後か忘れましたけど、
僕はその木木さんのちょっと臆病というか、
自分のことをちょっと下げる的なところとか、
僕にもあるからすごくわかるんですよ。
でも木木さんもそんな強いっていう感じじゃないけど、
しっかり進める。
しっかり2回言っちゃったけど今。
みたいなのが見えてきて、
そこは明確に違うとこだなって憧れるんですね。
そうなんですよね。
そう。何だろうな。
木木さんもでもおっしゃってましたもんね。
否定されていたから、
え?否定されていた?
あんまりここの部分はあれですけど。
あ、やっぱカットするような感じ?
じゃあカット前提でしゃべると、
カットか。
めちゃめちゃ言ったけど。
大丈夫です。
はい、じゃあカットの編集点ここまでで。
すいませんってわかります。
わかりやすくて助かります。
私はそんなことはあんまり記憶にはないんですけど、
でも無言でそういうメッセージを受けてたかもしれないなと思いますね。
だから褒められたのは、
本当は私のことを全部知らないから、
一部分だけ見て褒めてくれているだろうなって。
この瞬間だけのことなんだなって思ったり。
もしかして今ふと思ったけど、
逆にそういう人って何かを否定されたときに、
そこの部分を否定されたんじゃなくて、
自分を否定されたって思っちゃうっていう。
そっちに行きやすいのかもしれないですね。
落ち込みやすいというか。
わかんないですけど。
いや、でもわかる気がする。
何かをメッセージ、
SNSとかでメッセージ書こうとか、
何かを発信しようと思ったときも、
いや、でもこんなこと書いてもなって思っちゃいます。
いつもいつも。
だから本当にさっきの撮影さんじゃないですけど、
日々のことを思ったことを、
ぽんぽんぽんぽん出せる人って憧れますね。
そんなかろうやくに。
エネルギー注入の考察
それを読んだ人がどう思うかとか、
どんな反応が返ってくるかってことは、
二の次なのかもしれないですね。
そう、そんな気がしますね。
情報とか、
つぶやき的な、SNSのつぶやきが息を吸って吐くように、
いっぱいいっぱい出せるタイプの人に対しては、
僕はそれを思いますね。
あまりそのリアクションをどうこうとか全然心配せずに、
単純にシンプルにそのときに思った、
その瞬間の気持ちをそのまんま出すみたいな。
それに対する憧れはあるけど、なかなか僕はできない。
やってみようかなって思ったこともありましたけど、
ちょっとやっぱり無理でした。
できないんですよね。
軽やかさみたいな、それも証言違うのかな。
さっきのキギさんの話の中でからも思うんですけど、
一個一個にちゃんと区切りがついて、
出せていく。
一個一個しっかり出せていくみたいなの、
羨ましいなって思いますね。
どうぞどうぞ。
なんかね、うまくさっき、
二宮さんの話聞きながら浮かんでたこととどう繋がってたのか、
分かんなくなっちゃって、
今言語化できるか自信ない状態で、
でもなんかを言おうとしたから譲ってもらっちゃって、
どうしようって思ってるんですけど。
よくありますよね。
なんて言おうとしたんだっけな。
やっぱちょっとうまく出てこないんで、
後でまた出てくるの待っていいですか。
ごめんなさい。
私何言おうとしたか忘れました。
早いですよ。
早いな。
そっか。
でもきぎさんのことだった気がする。
きぎさんが何かを発信って言っても、
ポッドキャストだけじゃなくて、
いろんなことを発信するときに、
すごく元気に明瞭に積極的に行動してるって感じしますよね。
楽しそうにそれは。
その姿が私にはまぶしい、うらやましい、すてきいって思うっていうことを、
ただ言いたかっただけです。
わかります。
パーンっていうのがめっちゃわかります。
パーンって感じですよね。
ひとつひとつへの好きがすごく強いし、
そしてそれが少なくないんですよね。
たくさんあるんですよね。
ありますね。
あれがすごいって。
だから、私ひとつひとつにそんな強いたくさんのエネルギーを投入してたら、
たぶん他が何もできなくなっちゃう。
1個にしか集中できない。
きぎさんの話をガンガンとしました。
断片で気になっちゃうな、話が。
僕も振り方がそうなっちゃったなって思ったんですけど、
今でもいのぎさんの話聞いて、
これもイメージの話ですけど、
好きなことがいっぱいあって、
それが1個1個、きぎさんの場合は、
膜みたいなしっかりしたものがあって、
そこにエネルギーをピューって注入して、
他に漏れ出ていかないから、
いっぱいの膜の中に注入するエネルギーが他にもいっぱい出せる。
でも、いのぎさん混ぜちゃったらあれかもしれないけど、
僕の場合は、そこの膜がぼんやりしすぎてて、
満タンというか、それがいっぱいになるまでの注入には、
いっぱい、それの本来必要な容量以上のエネルギーを出さないといけないから、
1個とか2個とかしかできないみたいなイメージを持っちゃったんですけど。
私も植木鉢がたくさん並んでて、
そこに蒸炉で水を注いでるイメージです。
周りにもいっぱい飛び散るし、
振りかけたつもりでもすぐ乾いちゃうし、
巻きがないんですよ、確かに。
あんなにかけたのになーって、あと泥汚感を感じるみたいな。
また垂れちゃったよって感じ。
輝いて見えるんですよね。
才能の認識
趣味とか好きなことが、ちゃんと自分のギリ拳にあってキラキラしてる人たちって、
ギチカンに多いですよね、得意分野を明確に持ってる人たち。
それが仕事になってる方たちもいっぱいいるし、
特殊スキルと呼んでいいのかどうかわかんないけど、
それがね、明確に強く持ってるからみんな、
こぼれますね。
自分が仕事中に、たとえばこういうことをしていて、
ちょっとは自信あるなって思う部員があったとしても、
さっきしゃべった、別番組入れちゃうから、
今度のおふかいのクルーの人たちのようなスペシャリスト軍団の話を聞くと、
ダメよ、私はやっぱりできないわって、
そこでヒューと自信が小さくなってしまう。
できる具合の方程差で見なくても、
自分の中でこれが得意って思ってればいいじゃんっていうふうには、
思ってるはずなんですけどね、
やっぱり上を見てしまうと、上の存在を感じてしまうと、
口に出さなくてよかったみたいなふうに思っちゃうんですよね。
ちょうどね、ここにあるたかちんの出した本。
なんかね、アマゾンの1位になったとかいうふうに連激引き出してくれた人さんが言ってた気がします。
さのたかしさん、才能の取説。
これすごい読みやすそうで、買ってまだここまでしか読んでないんですけど。
あと何分の1ぐらいだろう?
ポッドキャストだから、一応6分の1ぐらい。
でもね、しょっぱなから大事なことが書いてありますね。
周りの人を見ていて、もっとこうすればいいのになって思うことは何かありますか?って質問が入るんですよね。
で、それがあなたの才能です。
なるほど。
すっごいわかりやすい。
自分自身で何かなって羅列してもわかんなかったんですけど、
普段からみんなどうしてこうしないのかなって思ってることぐらいだったら誰でも思ってるじゃないですか。
それがあなたの才能か。
今、しゅうさん何か浮かびました?
行動の疑問
え?今ので浮かぶ余地ありましたっけ?何にも才能はないのかな?
違う違う違う。
みんななんでこれしないんだろうって。
やればいいのになって思うことですかね。
やればとか考えればとか、目に見えることじゃなくてもいいかもしれないけど。
思ったらいいのになぁ。
なんかいい例が出ないなぁ。
悪い例が出ちゃったんですけど、悪いというか、もうやめちゃったこと?
だから今のただの文章の表現がそれに近いっていうだけで、
あかちんが言いたいことと真逆な気がするんですけど、
以前は僕、環境問題とかに対する危機感に対する答えとして、
みんながもっと質素な暮らしとかを全員がすべきみたいに思っていたから、
みんななんでこうしないのかなーみたいに思っていたのが、
さっきの文章とワードが似てて、それが浮かんじゃったっていう、
これは悪い例だなって今思ってます。
その文章に当てはめれば、みんなどうしてもっと質素な生活をしないのかなってことですよね。
でも、文章一緒なのに、なんか才能と違う気がするんですよね。
それ、僕やっぱ当時は義務感というか、義務感だし、正義感だったり、
自分の中の正しさを社会に当てはめてたって思うから辞めたんですよ。
だから、それは才能の話じゃないんだよなと思って、
悪い例だしちゃったって今思いながら喋ってるんですよ。
自分が常にやってしまうけど、みんながどうしてやらないのかなっていうふうに、
もう少しカジュアルにした方がいいのかもしれないですね。
言ってますもんね。高知でも常にやってしまうことが才能。
今の状態で、油断してみてるぐらいの勢いで人見てて、
なんでこうやらないのかなって浮かぶようなことってことですよね。
それはパッと出ないですね。
見ないと出ないのかな?今浮かばない。
そうですよね。
自分の中でついついやってしまうこと何かなって探そうと思うと、
すごい難しかったんですよ。
特にないけどって思ってたけど、
人になんでやらないのかなって思うことだったらあるわって思って、
そこで初めてこの本を読んで発見したってところがあったんで。
じゃあ、思い出せたのがあるんですか?
些細なことですけどね。
それは?
私の場合は。
出せますか?
なんでもっとみんな調べないんだよってよく思ってました。
なるほど。
すごくよく聞かれるんで、友達とかにも。
調べればわかるのになって。
私は本当に検索馬なんですけど、
何でも検索するし、JPTも聞くんですけど、
すぐ聞けばすぐわかるよって思うけど、
なんでみんな知らないんだよって思うんですけど、
この本に当てはめると、私は検索才能とは思わないけど、
検索特化型人間。
才能でいいんじゃないですか?
そうなんですかね。
仕事してたときも会社で、
Excel好きでよくいろんなの作ってたんですけど、
みんな聞いてくれるんだからうれしいんですけど、
私もわからないとネットで調べて、
作ってみんなにあげてたんですね。
調べればわかるのになんで調べないんだよって、
そのときもすごい思ってて。
でもそれは会社でもあったし、
聞いてもらうこともうれしかったんで、
あえて口にはしませんでしたけど、
それは仕事辞めた今でもよく思いますね。
でもその後読み進むと、
ここに例として出てくる人たちっていうのは、
もっとどうしてみんな他人に親切にしないんだろうって、
私は思ってましたって人が出てくるんですね。
困ってる人がいたら、
私はつい手助けをしてしまう、声をかけてしまう、
どうしてみんな人に対して手を差し伸べないんだろうって、
いつも思ってたんですよって人が出てきて、
人の特質
それはあなたの才能ですっていう。
そうだったんだ、こんなの普通だと思ってました、
みたいなやり取りが出てくるんですね。
私とは全然。
いやいやいや、一緒です一緒。
なんか人権力が全然違ったって。
でも多分ね、そうやって掘っていけばあるんだなってことを、
読んでたった6分の1ですけど、
面白いなと思って。
多分最初のほうにね、大事なことギュッて書いてる気もするし、
違うかもしれないけど。
最近トカチの話あんまり、
自分は聞きに行ってないだけかもしれないけど、
あんまり情報が入ってきてないなと。
そうですね、僕も追いかけてなかったから、
全然気づいてなかったけど、
あ、もう本出したんだって。
すごいですね。
でもさっきちょっと僕が言語化できなかったやつ、
一部をちょっと思い出して、
今の話から全然つながらないかもしれないんですけど、
木々さんが持ってた才能を、
出してダメだと思ってたみたいな感じの話から浮かんだことがあって、
僕はビビリっていう気質、
HSPでビビリっていうのが、
人の怒りに反応するんですよ。
いろんなタイプが多分いて、
音がすごく苦手とか言って、
おっきい音だったらすごくびっくりしちゃうから、
音に反応しやすい、敏感みたいな人もいれば、
視覚、光に敏感っていう人もいるし、
僕の場合は人の怒りなんですよ。
だから僕も、ちょっと具体例は出てこないけど、
そういう怒りを向けられたことで、
これはやっちゃいけないんじゃないか、みたいなことが多分いっぱいあって、
なんか旅しながら浮かんだんですよね。
人と人がぶつかってしまうときに、
怒りって現れがちじゃないですか。
でもそれって、本当はもしかしたら事故みたいなものかもしれないなと思ってて、
ぶつかってしまうっていうこと自体が、
お互いの価値観が違うのは、
そもそも生まれ持った特質が、
尖がった部分と尖がった部分が当たっちゃった、
そういう事故みたいなもんだったとしたら、
起こる必要があんまり本当はないのかもしれないと思って、
もしですけど、具体例あんまり出てこないけど、
そうやってぶつかるようなときがあって、
リアルにぶつかったっていうのを、
例え話として出すと、
廊下の角で、
お互いの頭がぶつかっちゃったっていうときに、
どこ見てんだって起こるパターンもあれば、
お互いにごめんごめんごめんって言うこともあるじゃないですか。
僕たぶん人とぶつかるときに、
全部がごめんごめんっていうパターンだったら、
僕何一つひけ目に感じずに、
たぶん自分のつっこんでいく気質を、
ずっと出し続けられるなって思ったんですよ。
そういうイメージが湧いて、
それがいろんな話につなげ、
転がりそうって勝手にさっきイメージして、
言おうとしてたんだけど、
途中でわからなくなって、
全然出られなくなったっていう話だったんですよね。
確かに。
なんで、もっとみんな謙虚にすぐごめんなさいって、
他人に対してですけどね、
そういうハプニングが起きたときに、
なんでまずごめんって言わないのって思うっていうところに、
さっきの口語を当てはめたら、
しゅうさんは、
謙虚さにおいての才能がある。
ごめんって言うかどうかわからないけど、
怒りが湧かないパターンだったらっていうのを、
イメージしただけなんですよ。
さすがに、なんでみんな怒り起こるのとは思わないので、
それはさすがに、
もともとある人間は、
何かしらの怒りみたいなのを、
一生で一回も怒らずに生まれて死ぬ人はいないだろうから、
もともと存在する機質って思っているから、
ずっとそういう、
ぶつかってごめんごめんみたいになるのは、
本当に架空の話で、
エネルギー注入の視点
例え話でしかないとは思っているんですけど、
でも、
それこそみのみさんが途中でおっしゃってくださったみたいな、
上空からの視点というか、
三角の、三角錐の頂点みたいな、
三角錐?四角錐でしたっけ?
どっちでもいいかな。
三角の頂点ですね。
みたいな視点で考えると、
ぶつかってもごめんごめんって言って、
次にどんどんどんどん進んでいく方が、
楽しいっていう感覚を持てるんですよ。
それこそ木々さんがいっぱいいろんなところに、
エネルギーを注いでいってるみたいな、
その全部にすごく楽しそうに楽しそうに動いているように見えるから、
たぶんその木々さんの話からそのイメージと、
僕が旅の途中で湧いた、
怒ることがあまりなくて、
ぶつかっても自己的にお互いにごめんって言って進んでいく、
みたいなのを今後イメージしていくきっかけになれたらな、
みたいに思ってるっていう話なんですけど。
感情とスポーツの関係
二つの今お話が一つずつすごく理解したけど、
その繋がりまで私の頭では理解できなかった。
僕が勝手にフワーっと。
私の想像力が足らないんですよ。
それは単純にイメージかもしれないですね。
木々さんが何をやるにも前向きで楽しい、
自分が好きなことをどんどんどんどんやっていく。
で、そこに例えばストップ何かかけられる。
だからそれが木々さんの過去の話かなと思ったんですけど、
ストップかけられる何かがなければ、
人ってみんな木々さんみたいに楽しいことどんどんどんどん一個一個、
他のことあんまり考えずにきっちりマップ作って余計な心配せずに、
たくさんのことが本当はできるポテンシャルを持ってるんじゃないかっていうので繋げたかったのかな。
なるほど。
ちょっとはさっきより繋がりました。
結局なんかポテンシャルの発動を邪魔するものが、
過去のトラウマだったり現在のストレスみたいな、
そういう感情的な部分っていうものが大きいのかもしれないですよね。
大きい気がしてて。
僕がビビリだからそう思うのかもしれないけど、
ビビリっていうかビビリもその怒りに対して特に反応するビビリだから、
思うのかもしれないですけど。
ポテンシャルを本当にね、備えするものが感情って絶対ありますよね。
感情してる時はパフォーマンスが10分の1になってしまうっていうのが私なんですけど。
僕もだし、多いと思います。
人に見られていたら、
私昔卓球部で中高、試合になるとみんな応援してくれるじゃないですか。
同じ部活動だったり、コモンだったりが。
あれがもう絶対に無理で。
応援されると必ず負けてたんですよ。
誰も見てないところで試合がしたかったって感じですね。
見られているという、
そっちに頭のリソースがちょっと持ってかれてるんですかね。
余計緊張してるっていうのもあったかもしれないけど、
とにかくそういう、私もだからビビリですね。
一言で言っちゃえば。
ある面は分かりすくながらやるとは思うんですけど。
で、うまく喋れなかったなとか、
せっかく会いたかった人に会えたのに何にも喋れなかったっていうときはもう、
すべて緊張していたっていうのが後で思い返すと共通してるし、
緊張さえ私から排除すれば、
本当に自由で羽伸ばせるのになっていつも思うんですよね。
緊張っていうのは、緊張は感情とはイコールではないけど、
そうなんですか。
でも感情から来てますよね。
そっか。緊張は状態のことを言うのか。
そうですね。でも緊張を乱しているって感情ですよね。
そうですよね。
テンションの邪魔をするものは感情ですね。
確率が素の感情というか。
そうですね。
性の感情はね、あればあれだけ逆に進んでっていうか、
行動を加速させてくれそうだけど。
怒りが、例えば試合とかで怒りがその人を強くするとか、
そういうパターンもありますかね。
殴り合いのボクシングとか見てると、
あのスポーツ、あれはスポーツなのかな。
裏に怒りとかがあるんだろうか。
いやー。
ちょっとそこはやった経験がないからあんまり言えないけど、
まあ確かに殴り合ってる瞬間は相手のことを憎いに近い感情は湧くでしょうけど、
そうなんでしょうね。
サッカーとかね、チームのプレーでも相手チームが憎いとまではいかなくても、
敵認定というか、自分たちチームメイトと全く違う存在だっていう感覚でやっているのか、
それとも本当にスポーツマンシップで同じように平立に、
ただのコマ、こっちのコマ、相手のコマっていう風に理性的に考えてやれるのかっていうと、
わかんないですけどね、私には。
でも感情がすごい入ってるかもしれないですよね。
なんか人に、そこも人に寄る気がしてて、
ニーヤンが首相でたぶん話してくれたと思うんですけど、
サッカーしてる時にいろいろ加減を測りながらやってるみたいなことも聞いたし、
ラフプレーをあえてやってみて審判が笛鳴らす鳴らさないの基準、
これはアウトなんやとか測ってやってみたり、
あとは言い方悪いけどみたいな表現されてましたけど、
相手の精神的なダメージがより大きいように、
ニーヤン自身はめちゃくちゃ冷静なんですけど、
勝つためにこの人にこういう言葉を投げれば、そこが落ち込んで穴が開いていくみたいなのは、
勝つためにやってると。
それで余計向こうが怒って感情的になったら、それが思うツボみたいな。
でもニーヤン自身はそんなのはあまりどっちがどうとか、
自分は全然感情的にならずに、
本当にサッカーというゲームで勝つために作戦として。
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