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2025-09-07 32:05

南さんと2人で番外編2~kigi.さん毒花図鑑とバランス…

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以前に #シュウ笑 常時狂う兄やんが喋ってくれた、サッカーの時に
メタ認知しながら相手の感情を利用してサッカーに勝つ
みたいな話を南さんに伝えて…

三角の上まで:https://creators.spotify.com/pod/show/kurobuchiminami

収録日:7月7日

#シュウ笑
#樋口塾

シュウの放すラジオ:https://creators.spotify.com/pod/show/sakashushu

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サマリー

このエピソードでは、感情と戦略の関係について考察され、特にサッカー選手ニーヤンの例を通じて探求されています。教育や子育てにおける感情の重要性についても語られ、感情の管理が子供の成長に与える影響が考察されています。このエピソードは、毒花図鑑をテーマに毒とバランスについて探求し、自然界のバランスがどのように維持されているのかを論じています。また、免疫や毒と細菌の関係についても議論が展開され、様々な見解が示されています。エピソードでは、世の中のバランスと変化についての議論が展開され、教育や子育ての方法が時代によって変わる中、固定観念への疑問が提起され、ジェネレーションギャップについても触れられています。

ニーヤンと感情の戦略
スピーカー 1
前回からの続き
スピーカー 2
めちゃくちゃ冷静なんですけど、勝つために、この人にこういう言葉を投げれば、そこが落ち込んで、穴が開いていくみたいなのは、勝つためにやってると。
それで、余計に向こうが怒って、感情的になったら、それが思う都合みたいな。
ニーヤン自身はそんなのはあまり、どっちがどうとか、自分は全然感情的にならずに、本当にサッカーというゲームで勝つために作戦としてやってるみたいなことを言ってたから、
ニーヤンはそれが、さっき南さんがコマみたいに言って、自分自身も含めたサッカーのプレイヤーをコマと見立てて、楽しめるタイプ。
でも、本当にね、実際に作戦に乗って向かってきてる人は、もう感情面で動いてるって言えるんですよね。
人によるんだろうな。
ニーヤンは、自分は感情的にならないっていうことを知って、それは置いといた上で、こういうプレイでは、みんな感情的になるものってことをわかった上でやってるってことですよね。
そういうふうに、僕は受け取りました。
強さの秘訣って、そういうとこにあるかもしれないですね。
スピーカー 1
よく漫画で見るのが、相手を殺すつもりでやれとか、あれって感情ないと無理だけどなって思ったりします。
スピーカー 2
大概の人、感情があるから、成り立つんじゃないかね。
スピーカー 1
話がごめんないね、どんどんずるい。
スピーカー 2
全然全然。
スピーカー 1
何で話をしてたんだ、ときは。
終章って元々そういう番組だって。
パフォーマンスと感情の話をしてたんですね。
スピーカー 2
僕の中では、ふわっとさっきの話が、何て言うんだろう、これも上手い言葉が出てくるかな。
いろんなこととね、勝手に僕、抽象化してひも付けながらイメージだけを膨らませちゃうので、
さっきのキリさんの話から、その2人の話も絡んでかな。
僕が怒りがない、みんなが自己みたいにしてごめんごめんって言い合ってっていうのだと、
うまく回りそうっていうものの中に、
どうしても子育てとか教育みたいなもので、
当たり前にされていることにも結構絡んでくるなと思っていて、
今どんどん変わってきてるなと思って、
昔はもう大罵当たり前だったりとか、
そうじゃなくても、まだ今でも大罵はダメだけど、
怒るはダメだけど叱るはいいよねっていう話があったりとか、
それも僕正解知らないですよ。
正解知らないけど、叱るもやっぱりダメだよねっていうのももちろん今出てきていて、
のもあるんですよ。いろいろな話があって、
僕もちょっと聞きかじりだし、本読んだとしても内容ふわっとしこぶれてないんですけど、
要は怒るも叱るも、結局怒り手都合っていう、
親と親なり教育者都合みたいなところで全く一緒みたいな、
怒ることによって相手を抑えつけたいのが叱ることによって、
その叱る効果で相手をコントロールしたいとか、
ちょっと表現が違ったとしても、
要は相手をコントロールしたいという意味で一緒みたいなのを本で読んだりしてて、
そういう変遷を出てきている中で、
やっぱりちっちゃい頃に受けた負の感情だったりって、
ずっと棒を引いたりするじゃないですか。
だから今の僕の年齢とかで考えていることよりも、
かなり影響力が大きいなと思ってて、
そこが結構今後の未来というか、
人類全体で動きを考えていくときに、
やっぱりちっちゃい頃にどう接するかとかいうのが、
だいぶ大事なんだろうなっていう気はしていて、
正解はわからないけど、
可能性としてそういう後々まで残る何かが生まれる可能性が、
負の感情には多いんだとしたら、
完全に消すことは無理だけど、
なるべくそこを意識して、
僕の言葉で言うと事故とか、
事故っていうのは、
親と子だったとしてもぶつかってしまうのは、
ただの偶然的な事故的なものっていう視点を、
その瞬間に怒りが湧いたとしても、
後々冷静になったときに、
そうじゃないかってチェックする方がいいんじゃないかとか、
そんなことを思うから、
感情のバランス
スピーカー 2
いわゆる教育とか、
僕、教育って言葉自体あんまりそんな、
本当は好きじゃないんですけど、
教育とか、
とにかくちっちゃい子供に対しての接し方みたいなところにも、
めちゃくちゃ関わってきそうだなって思ってる話と、
繋がるかもなみたいな、
ふわっとしたイメージがあったっていうことを、
今なんとか幕がない中で、
ぼんやり言語化できたかなと思ってるんですけど、
伝わります?
スピーカー 1
一つのテーマとしてすごい伝わりました。
そしてさっきと一緒なんですけど、
スピーカー 2
まだ繋がりが私にできてない。
しっかり幕を表現できないからね。
あちこちに水が飛び散っちゃってるから、僕のしゃべりが。
スピーカー 1
子育ての話聞きながらすごく、
子育てを抽象的から見た、
こうしたほうがいいのかもしれないとか、
未来的にはこうしたほうがいいかもしれないっていうふうに、
昔から現在になるので、
言われていることを思い出しながら、
しゅうさんの話を聞いていたので、
事故みたいに子供と大人がぶつかり合ったときも、
突発的な事故だよねって思うようにするっていう、
スピーカー 2
そこだけがね、よくわからなくなっちゃって。
回りくどい言い方しちゃっただけで、
短く言うと単純に怒りで抑えつけるっていうことをしないというか、
瞬間的にやっちゃったとしても、後で振り返って、
スピーカー 1
それは良くなかったっていう視点を持ったほうがいいっていうだけの話なんですけど。
究極、本当にAIロボットのような感情のない、
スピーカー 2
すごい知性的な親が子供を育てたら、
スピーカー 1
完全に褒めるときに褒めて、
愛情を注ぐときに注ぎ、
叱るときに優しく諌め、
スピーカー 2
相手にわからせるように説明しってことができるはずなんですよね。
スピーカー 1
それは、じゃあAIにさせないんであれば、
他の代替案としては、
そういうことのできる、すごい人間のできた人に子供を託すか、
そういう施設に子供を託すか、
もしかしたら感情的な親が育てるよりも、
本当に良い子育てがされる、その子にとって与えられるっていうことに究極、
なるような気がするんですね。
それは、理屈で考えた場合の話ですけどね。
でも、
それは、本能的にそれはいけないって思ってる感覚があって、
スピーカー 2
なんとなくわかります。
スピーカー 1
なんだろうなって思うんですけど、
もし不完全な親とか大人の状態っていうのを見ずに、
ある一人の子供が育ってしまったら、
スピーカー 2
そこは逆にすごい不具合が生じるのかなって思ったり、
病気も一回もしたことのない保健室で育てられた肉体と同じような状況が起きるのかなって思ったり、
スピーカー 1
親が時々声をあらげて、
わーって叫んだりする姿を子供が見て、
子供もわーって泣きますっていうその状態があるのとないのとどっちがいいんだろうって思ったので、
もしかして、インフルエンザにかかったときの肉体みたいに、
たまにそういうことがないと、
スピーカー 2
なんだろう、その子の中にはこんなの嫌だ、つらい、悲しい、お母さんが怒ったっていう、
経験のないまま育つってことですよね。
スピーカー 1
それはいかんだろうって気持ちがさっきの良くない気がするっていうのなのかなと思ったり、
スピーカー 2
めちゃくちゃわかる。
スピーカー 1
どうなんでしょうね、人間、今って昔の子供って砂場で遊んでたから、
いろんな雑多な細菌を体に知らないうちに入れてて、
それが大人になっても生きてくるというか、
人間に対する耐性が強い人間になる。
今は例えば、モールとかに遊びに行っても、
親がそこにある遊具をまず除菌シートで全部バーって拭いてから、
ようやく子供を遊ばせるなんて極端な親もいるみたいに、
本当に菌に触れさせない、ウイルスに触らせない、
イコール正しいみたいな育てをしてる人もたくさんいるじゃないですか、
スピーカー 2
特にコロナ禍以降ですけど、
スピーカー 1
それ、どっちがいいとも悪いとも判定は下ってないですよね、世間的にね。
スピーカー 2
もちろん。
そういうのって、肉体ベースで考える時の話ですけど、
スピーカー 1
それって感情ベースでも感情とは言わない。
心の育ちだから、なんて言うんですかね、感情でいいのかな、人間としての感情が育っていく上でも、
これだけの細菌に触れさせた方がいい、これだけのウイルスなら持っておいた方がいい、
そこで獲得できないなら、このぐらいのワクチンは接種した方がいいとか、
なんかもしかしたら解明できるかもしれないですよね。
ということをね、今ふーっと想像しながら喋ってます。
スピーカー 2
なるほど。
ちょっとね、ふわっとつながる、またつながる、僕の中でつながりがあるんですけど、
おしっこ行ってきてるから、すいません。
終章明末、終のおしっこです。
一旦止めますか。
一旦一時停止しておきます。
それからは帰ってきてたんですけど、他の話をちょっと挟んだりしてたから、
さっきの内容をちょっと忘れてるかもしれないけど、
一言で言っちゃうと、僕の中で浮かんでるのはバランスっていうワードなんですよ。
それで言っちゃったら全部そうってなっちゃうから、
あんまりバランスだけで言っててもあれなんですけど、
僕が不の感情とかを子供に向けちゃったとしても、
自己みたいにして持つ視点を持った方がいいって言ってたのは、ある意味理想みたいなところがあって、
みなみさんが出してくれた砂遊びの話とか、
本当にその子供にとって無菌状態みたいなのがいいのかどうかっていうか、
本当にAIみたいな接し方、本当のAIなりそんな感じの人が子供にずっと接してるのは、
ちょっと危険信号みたいなのが出るみたいな話。
それこそ僕の中ではやっぱり行き過ぎなバランスとして、
バランス悪すぎる、極端すぎる話っていう風にも思う自分もいて、
だから一応その表現として、
怒りっていうのが全部消えるわけじゃないから、
毒花図鑑とバランスの探求
スピーカー 2
怒ってしまったとしてもどちどちそういう視点を思い出す時間を持ってた方がいいみたいな表現にしたら、
そういう意味なんですよね。
完璧にその場で感情を、全く負の感情を持たずにいることは、
実際無理だし、そうした方がいいっていう話では全然なくて、
バランスがいい状態になった方がいいんじゃないかなみたいなイメージで喋ってたんですよ。
この話がまた面白いなと思ったのが、
キーさんと僕収録したって言ったでしょ? 募集所ラジオで。
スピーカー 1
あの時に毒の話をしたんですよ。
スピーカー 2
キーさんが、毒花っていう展示が今、もうすぐかな?
ちょっと日付忘れてるんですけど、
スピーカー 1
グループ展みたいなの?
そうそうそうそう。
スピーカー 2
あれのつながりで、その毒の話みたいなのを2人で収録したんですね。
で、毒の話も、僕バランスの話だと思っていて、
なんか、毒の定義って難しくて、
スピーカー 1
あーはい、言いますね。
スピーカー 2
あー言います?
スピーカー 1
少量だったら、
スピーカー 2
そうそうそうそう。
スピーカー 1
ってやつですよね。
スピーカー 2
あー、よく言うんですね。
わかんない、わかんない、わかんないですけど。
いや、でもまあそういう話ですね。
スピーカー 1
アンモニアの香りもっていう、そういうやつですよね。
スピーカー 2
アンモニアの香りってそれじゃないかも。
スピーカー 1
少量なら香水だけど、大量になるとアンモニアの香り。
スピーカー 2
アンモニアの香りがするみたいな。
そう、そういう話で。
そうですね、バランス、そうですね。
スピーカー 1
で、ちょうどいいところに自然界の起きて、起きてはないかもしれない。
自然界の自然のままにしておけば、
ちょうどいい、習さんが言うバランスっていう中間点かな。
集散するようになってるのが、この宇宙のことわりみたいなものかなって気もするんですよね。
スピーカー 2
思います、思います。
たぶんほとんどすべてのことが。
スピーカー 1
そこを、どっちかの方向に無理に押し進めようとするから、すべてひずみが来るっていう。
さっきのウイルスの話もそうだし、
最近の話もそうだし、
親の前世みたいな、前世とは言わないか。
スピーカー 2
親が完璧であるべきか、そうじゃないのがいいのかっていうのも、すべてそうかもしれないですね。
スピーカー 1
子供が例えばトラウマで、人格が崩れてしまうほどの敷地を超えた状態ですよね。
親の何かしらの虐待が敷地を超えて、
子供の人格形成がもう、おしゅうけきかないところまでいってしまう状態にならなければ、
スピーカー 2
ならなければって言うと、それじゃあ、ならなければいいのかって聞こえちゃう。
ごめんなさい、どっちかわからなかった。
スピーカー 1
ならなければいいって言おうとして、
スピーカー 2
ならなければ何してもいいのかって捉えられると、それは違うから。
スピーカー 1
敷地をもちろん超えない状態で、悪いものもいいものもすべてをトータルで経験したりとか、
そういう環境に動かせるというか、それが結局大事なのかなっていう気がするっていうところは、
スピーカー 2
毒についても一緒なのかもしれないですね。
免疫力と毒の理解
スピーカー 1
毒と細菌を一緒にしちゃいけないかもしれないですけど、
ある程度の毒は、やっぱり免疫力についてもっとかなきゃいけないですよね。
スピーカー 2
免疫か、免疫力じゃなくて免疫として。
スピーカー 1
免疫力と免疫は違うんですね。
スピーカー 2
免疫力、免疫は体の中で異物が入ったときに何か包帯を持つ、その包帯自身のことを免疫って言います。
もしかして違うかな。
僕はもう雰囲気で使っちゃいます、両方。差がわかってない。
免疫力っていうのはそのトータルの力の話。
私のぼんやりした理解はそんな感じです。
でもなんとなく伝わりました。
違うかもしれない。
免疫の種類がいっぱいあるとか、それによっていろんな物が入ってきたときに耐えられる可能性が高いみたいな話だから、
スピーカー 1
力がつくと、免疫力の力がつくと。
違うかもしれないですね。
スピーカー 2
免疫力をあげるたびにこういう物を食べましょうとか、よく睡眠をとりましょうとか言いますもんね。
知識として持ってるわけじゃないけど、こういう物を食べることによって腸内細菌が増えて免疫になる種類が増えるとか、
睡眠時間が増えることによって、その細菌たちがより元気でいられる時間が増えるとか言ったら、さっきの話とも実は合う気はしますけど、そもそも知らないのにしゃべってます。
スピーカー 1
そうですね。免疫は単体のひとつひとつのことで、免疫力はなんかトータルの総合力みたいな感じですかね。分かんないよ。
まあまあまあ。
スピーカー 2
でも、ごめんなさい。止めちゃったけど、それがその毒の話と細菌の話は。
スピーカー 1
毒とか細菌とか。
スピーカー 2
蜂の毒になるとね、2回目ちょっと危ないって話もあって。
穴開き試食。
あのくらいの強い毒性になるとちょっと分かんないけど。
スピーカー 1
この間見てたネットコミックみたいなので、皇帝が、ああいう時代毒殺が多かった。
ああいう時代って具体的に。
スピーカー 2
伝わります伝わります。大丈夫です。
昔のね。
スピーカー 1
暗殺されそうな時代です。
スピーカー 2
ああいう時代はないとは知らない。
スピーカー 1
すみません。自分で頭の中に何か絵があって。
スピーカー 2
だいたい伝わります。大丈夫です。
すみません。こんな風に。
スピーカー 1
それ、医者となった時に、毒殺されないように薄い毒を少しずつ摂取するみたいな。
スピーカー 2
うんうん。面白い。
スピーカー 1
なるほど、そういうこともしてたんだと思って。
スピーカー 2
なんかね、それに近い感じですね。
自然な成り行きと人間の感性
スピーカー 2
そうだなあっていうのかな。
なんかいくつかその話から感じることがあって。
なんかその自然にそういうバランス取れるようにそもそもなってるのかもしれないですねっていう話、
南さんがしてくださった時に、その話を僕、よく人からリアクションとして、
僕がやってる活動は、だからそんな活動しても無意味だよっていう文脈で使われることがあるんですよ。
スピーカー 1
ああ、はいはいはい。
スピーカー 2
たまに、誰とは言わないんですけど、何人かそういう風に僕言われて、結構へこむんですね。
スピーカー 1
編集店作って、名前教えてもらっていいですか。
私が後でDMを送ってきます。
スピーカー 2
2人っていうワードだけ覚えておいてくれれば、後で言うんで、これ編集店めんどくさいので最後に言ってもいいですか。
スピーカー 1
分かりました。
スピーカー 2
まあまあ、それが誰であるかはあんまり文脈に関係ないんで。
要はその方たちが言いたいのは、別にその方に間違ってるって言いたいわけじゃないんで、
要は僕がその滝壺に向かう船みたいにして、今世の中が見えることで、今の極端な生き方をしているっていう表現をした時に、
世の中なんていうのは勝手にバランスが取れていくものなんだから、そういうバランスを正そうとして、
自分の人生を極端な生き方をする必要はない。
無駄だみたいな感じで言われたことがある。
そこまできつい言い方じゃないですけど、短くまとめるとそういう話なんですよ。
なんですけど、僕でもそういう風に感じる。
僕一人ってことじゃないでしょ。
そういう風に感じるっていう人間の感性も、そういうバランスを取る動きの中の一つだと思ってるから、
それを仕込めたら、バランス取れなくなってそのままだよって、
その時には2人ともに僕返事できなかったんですけど。
そうか。
スピーカー 1
その人たちは自然な感覚で今の生活を行っている。
それと同じようにしゅうさんも自然な感覚に正直に今の生活を行っているわけなので、
スピーカー 2
どっちもどっちをお互いにそうしろよっていうことはできないと私は思うんですね。
スピーカー 1
もう少しさっき言ってたメタの視点から見ると、
しゅうさんみたいな人、あとすごい突き詰めた文化的な生活をする人、
いろんな人が混じり合っているこのこと自体が自然な成り行きだと思うんですよね。
いろんなウイルスがいるかのようなものと同じで。
スピーカー 2
まさに。
スピーカー 1
だから、このままでいいっていう文脈においてだけは、
私はその人と同じなんですけど、
でもどちらかがどちらかの生き方を否定することはできないとは思ってます。
スピーカー 2
そうですね。
すごいわかりやすい提供をしてくださってありがとうございます。
スピーカー 1
そんなことないです。
スピーカー 2
めちゃくちゃわかりやすかった。
スピーカー 1
だから自然の本当に成り行きなんだろうな。
この先、たとえばしゅうさんが私に、私がしゅうさんに、
どちらかの生き方に、たとえば感化されて、
どちらかがすごく影響を受けるとしますよ。
スピーカー 2
でもそれも自然の成り行きだとは思わないよね。
そういうことだなと思います。
声高に言ってしまう人も、それはその人の自然な状態なのかもしれないですからね。
って思うとね。
だからそこを否定したいわけじゃなくて、
その、何だろうな。
それで言うと僕は、そういう意味で言ってるわけじゃなかったことを、
スピーカー 1
ちょっと違う意味で捉えられちゃったなっていう、ただそういう話ですね。
スピーカー 2
自然の成り行きに任せたらいいっていう話が、
僕が言ってる意味合いと、その僕のしゅうさんみたいな極端な生き方を、
一旦食べます。
はい、すいません。ちょっと中断してました。
どこまで喋ってたっけな。
文脈が違う的な表現を、さっき意味が違うって言ったかな。
僕が言ったというか、僕が表現したか忘れたけど、
世の中全体はバランスをとるだけじゃなくて、
最初から自然全体がバランスをとれるようにできてるみたいな話があるから、
しゅうさんはそんな無理矢理なことをやらなくていいっていうのを、
2人くらいから言われたけど、
僕の中ではその人の行動みたいなことだけにスポットを当てて、
抽象的にスポットを当てることだけに当てはめる話じゃなくて、
全体の中でこういう動きをする、僕みたいな動きをする人間も含めて、
それ以外の人も含めて、最初からバランスがとれるようになっている。
それが自然な形だっていうことを言いたいだけだから、
そもそも言いたいことが意味合いが違っていて、
世の中のバランスについての考察
スピーカー 2
ずれているんだよねっていう話をしたかったっていう感じなんですよね。
スピーカー 1
突き詰めて考えると、結局同じことを言っているっていうふうにも解釈できますね。
その人たちとしゅうさんは、
この世はバランスがちゃんととれるんだよっていうことを置いてるってわけですよね。
スピーカー 2
僕の感覚で言うと、バランスがとれるっていう話と、
バランスがとれるからほっといてもいいはちょっと違うんですよ。
バランスがとれるとれないっていう問題は、さっきの中傷の話ですよね。
中傷で見れば、この世はもうバランスがとれるんだ。
スピーカー 1
個人レベルでどうしたほうがいいかっていう話がそこにくっついてきちゃってるんで、
スピーカー 2
だから君は何もしなくていいんだよとか、そういうことって大の話ですもんね。
この予約を一緒にしてるから、んってしゅうさんとしては違和感を感じるんでしょうね。
僕は中傷の話は中傷的な感覚で使っていて、
具体の話は、具体の話として当たり前のことではないけど捉えているんですけど、
そこを混ぜこぜにされちゃった感覚。
それはよく人の会話でありがちですね。
スピーカー 1
政治の話で世の中をどうしようかって考えてしゃべっている政治家同士。
政治家同士ではあんまりないかな。
政治家と一般市民とかかな。
で、一般市民が、そんな自分の息子にも同じことが言えるのかって言ったりとかね。
スピーカー 2
あれって悩ませてる、ほんとに極端な例ですよね。
ありますね、それもよくある。
その話はまた別の組み合わせにしようと思うので。
その人が言ってるのをくっつけちゃってるから、
終算にはピンとこないというか。
そうですね。
っていうのが浮かんだのが一つと、さっきいくつか浮かんだって言ってたの。
浮かんだっていうか、全体的な話としては、
キーさんのところの話と、僕が言ってた子どもに対する接し方的な話が、
それこそバランスの話で、
今までの、こうであるべきみたいな教育論みたいな話が、
そもそもそういう方法なり方針なり、
ちょっと表現はどっちでもいいのかもしれないですけど、
何かを固定していることによる不自然さみたいなのを感じたんですよ。
世の中って常にずっと取り替わっていってるのに、
ある手法とか方針とか方向性で固定してしまったことで、
今それに対する違和感が出てきてるのかなっていう気がしていて。
世の中的にですか?
そうですね。その時代にはそういう方針でもしかしたらマッチしてたかもしれない。
あまり本当はそう思ってないんですけど、
大罰が良かったとは今も思わないんですけど、
余裕がなくてそうせざるを得なかった時代だったりとか、
そういうのはあったよねって。
その時代はそうだったからそれでまかりとったけど、
それで固定して、
それがずっと同じようなやり方でやっていっていいっていう話には全然ならないと思っていて、
どんどん移り変わっていくから、
そこらへんを柔らかく保ちたい。
その時に合わせて保っていくっていうのの一つが、
僕の中では、
ぶつかってしまったらごめんごめんっていうようなのが、
教育における固定観念の疑問
スピーカー 2
一つ大きな、
スピーカー 1
ジェネレーションギャップ同士がぶつかるってこともありますよね。
スピーカー 2
そうそう。
一つのアイディアというか、
何かの時に思い出したいこととして、
最近ちょっと意識されてきてるっていう話として、
今ちょっと意識されてきたなっていう。
スピーカー 1
そういうケースって本当に3分してるというか、
いろんな場面でありますよね。
年齢による違いもあるし、
スピーカー 2
男女による考え方の違いも。
スピーカー 1
今過渡期だよねっていう言葉は、
私時々使ってたんですけど、
昔から現在に至るまでずっと過渡期なので、
スピーカー 2
止まってる時期っていうのは一瞬たりともないじゃないですか。
ないんですよね。
スピーカー 1
ということは、ある一定の時期で、
思考だったり、思考基準みたいなものが
止まってる人が1人でもいたら、
必ずそこには衝突が起こり得るわけですもんね。
世の中でSNSでいっぱい出てるような、
こんなおじさんがいたとか、こんな若い人がいたとか、
スピーカー 2
愚痴みたいなのは、それ出て当然だろうなって思いますもんね。
スピーカー 1
そうですね。
子育てもそうなんでしょうね。
人間の親と人間の子供っていう設定は変わってはいないんだけど、
社会の方が変わってるんで、
スピーカー 2
結局は親子っていう間の中の世界も変わらざるを得ないというか、
スピーカー 1
でも基本的にこれが正しいって思いたい人っていますからね。
スピーカー 2
子育てに限らず。
そうですね。
スピーカー 1
家族とはこうあるべき、社会とはこうあるべき、
固く何か考えてる人もいるし、
自分が何だろう、真がないっていう、
自分の欠点以上に調整ができる。
32:05

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