価値とか意味があるか無いかは視点によって変わるっていう話で2人の意見は一致してて
シュウが思い出したのが、ホモサピエンスよりネアンデルタール人の方が個体としては優れていたけど
集団を形成するという点においてホモサピエンスの方が…
たいきは常にカッコつけていたい:https://creators.spotify.com/pod/show/taiki-official
収録日:2月18日
シュウの放すラジオ:https://creators.spotify.com/pod/show/sakashushu
ご意見、ご感想、ご質問等、お気軽にどうぞ
メール:goshushoradio@gmail.com
サマリー
このエピソードでは、ホモサピエンスに関する自己評価と助け合いの重要性が議論されています。特に、ネアンデルタール人との違いや助け合いがもたらす価値について、個人の意識との関係も考察されています。また、自己肯定感と自己評価の違いについて深く掘り下げ、社会が求める評価基準の影響が考察されています。無条件の自己肯定感を持つことの重要性や、社会からの圧力が自己評価に与える影響についても取り上げられています。さらに、自己肯定感と自己評価の重要性が強調され、人間の命の価値について深く考察されています。自殺に関する社会的な問題や、ウクライナの自殺率の低さに言及し、命についての多様な視点が提示されています。
ホモサピエンスとその歴史
前回からの続き
どっちでもいいというか、言葉の使い方、その文脈によっては価値があるという表現にもなるし
価値、価値ねー
文脈によっては価値がない
文脈というか、主語が何かによって
主語によって違うと思っていて
思い出したの、聞きながら思い出してたのが
今のホモサピエンスの前に
今のホモサピエンスってクロマニオン人から来てるんだっけな
なんかそんな感じですよね
ネアンデルタール人、クロマニオン人、ホモサピエンスみたいな
クロマニオン人とホモサピエンスは違うのか
その辺正確にはわかんないですけど
自分がなんか聞いたのは、クロマニオン人かネアンデルタール人かどっちか
主族、今のホモサピエンスとは直接つながっていない分岐した
主族、主、主、主、分かんない
主が滅びた
滅びたのは本当は今のホモサピエンスより
個体としての能力は
ネアンデルタール人って仮にします
間違ってたらごめんなさい
ホモがいろんな能力が高かった
脳みそなり肉体なりわかんないけど
ざっくりでちゃんとしたことはわかんないけど
そういう風に聞いた記憶があって
僕もある
ただその能力が高いがゆえにかどうかわかんないけど
集団で行動するみたいなことができなかった
お互いが助け合うみたいな
人は一人じゃ生きていけない的な
風に自分は捉えたんだけど
だから滅びた
って捉えてますと
助け合いの価値
それなんか僕、しゅうさん君に聞いたのが違うね
聞いたことありますね
そうかもしんない
ありえるんだけど
それを思い出したんですね
そのさっきのBさんが言う価値っていうのは
ネアンデルタール人じゃなくてホモサピエンスが
支え合わないと生きられない種だから
そこに価値があるないっていうことを考えるのかなと思ってて
確かにそう思う
支え合わなくても生きられる種なり動物だったら
そこに価値はないってなっちゃうんだよね
多分ないというかある必要がないというか
一人で生きられるから
価値そのものが
ないっていうか
いらないというか
だからその
ホモサピエンスになってから
なってからっていうか分かんないけど
ネアンデルタール人を分岐点だとすると
何ですか
価値というものとか
目に見えないものを信じれるようになったんですね
目に見えないものも信じられるようになった
概念的なものが理解できるようになっちゃって
それは大輝くんが
ホモサピエンスが
なるほど
だから仲間と仲間の助け合いみたいな
助け合いみたいなのって目に見えるものじゃないじゃないですか
絆的なものを信じれるようになった
それはハラリさんが巨像って言ってたんですけど
ユバルノアハラリ
ユバルノアハラリ
サピエンス前紙
読んでないんですよね
の作者が
めちゃくちゃ読んだの前なんで書き換えられてるかもしれない
そういう巨像を信じれるようになって
サピエンスは進化したみたいな
ことを言ってましたね
でもその全然違うかもしれないけど
目に見えるもの以外も嘘
いい意味で嘘を信じれるようになった
っていうのを言ってたのと
ネアンデルタール人の血も我々現代に入ってるらしいよっていうのも
マジか
その本じゃないかもしれないけど
現代の研究だと実は0.0何パーセント含まれましたみたいな
また別の話ですけど
まあまあね
助け合わないと生きていけないのも
迷惑をかけてほしくないのも
基本的には
個人としては自分が生き延びられる生き延びられない
に関わってくる話だと思ってて
話か
途中で聞いてなかったんで
助け合わないと生きていけないっていうのも
価値があるないっていうのも
迷惑をかけてほしくないっていうのも
どっちも自分の生存を脅かすかどうか
っていう観点では一緒かなと思っていて
みんなに価値があるよっていうのは存在してるだけで
そもそも助け合わないと生きていけない我々は
責任感と期待
誰一人価値のない人間はいないって言えてしまう
でも迷惑かけられるってことは
そんな助け合わないといけない我々の中で
助け合うこととは別の迷惑をかけるっていう真逆の行為だから
それはやめてほしいってそれは当然の感覚だよねって
思う
その後の話というか
そのAさんは
Aさんはすごい責任感が強い方で
結構努力タイプなんですよね
だから努力するんですよ
努力してない人に対して
努力してない人だって思うんですよ
だから例えば同じプロジェクト内で
Aさんがしてる仕事
本当はこのCさんがしないといけない仕事も
Aさんがしちゃったりするんですね
この場合CさんがAさんに迷惑かけてるって
Aさんは思っちゃうんですよ
そういう意味でCさんに
もうちょっと頑張ってほしいみたいな
風に思ってる
それ俺から見たらべき論なんだよな
そうだから
迷惑かけてほしくないっていう願望が強い
あるから
僕最初に言ったシューさんと似てるっていうよりも
べき論と迷惑かけてほしくないが
つながるっていうことを言いたかったんですよ
だからシューさんがべき論に対して
ビビってるっていうのと願望があるっていうのじゃなくて
べき論を感じて
べき論を持ってる人と願望がある人が
どこかでつながるっていうことを言いたかったんですけど
どこでつながってるのかがわかんない
だって今願望によってべき論が生まれてたから今Aさんには
そうなの?
だってAさんは迷惑かけてほしくないっていう願望があって
その願望があることによってCさんはもっと
頑張るべきだってなってるから
べきだって強く言ってはないけど
結果的にそう言ってるのと同じだよねと思ってて
自分の中ではつながったけど
そうなのかもしれない
大輝くんがええって言ってたからどうなんだろう
俺はそう思ったけど
大輝くんが最初に直感的に思ったのは
そういうことだったのかどうか
わかんない
そう言われたらそうな気がする
でもなんか似てるなって思って
願望を強く持ちすぎないことがいいんだろうなって
そうだね
願望っていうとフワッとしてるけど
自分がよく思うのは
べき論ともつながって感じるのは
人に期待するかしないかみたいな
そう思うしその人は
Aさんは人に期待してないって言うんですよ
矛盾してるような気がするな
だから人に期待してないけど
その人に期待してない
どうせできないから
Cさんにね
だからAがする
けど頑張ってほしいっていう
思いがあるから
人に期待してないって言うんですよ
えー
えーって思っちゃうけど
まあそんなもんかな
みんな思ってることって
他者は変えられない
人に期待しないって
ちょっと言う思いはある
でもAさんはすごい努力家
と僕は見えてるので
そんなに努力するなって思っちゃう
しなくていいよって思っちゃう
そういうのはちょっと
時間、口活用悪すぎたけど
勝手に努力する分にはいいんだけどね
だからその努力してる人は
努力してない人に対して
努力してないねって
努力してねっていう
思いが強くなりすぎちゃうんですよね
ねーそんな気がする
あーその
わかる
わかるけど
みんなが協力してやっていった方が
いろいろうまく回ったりするんだけど
ちょうどいいところ
そこで
なんていうのかな
Cさんに対して迷惑かけてるってまで
思う
迷惑かけられてるって思うほどまでいくと
ちょっと行き過ぎな気がして
まあなんか
言ってはないんですよAさんは
うんうんうん
思ってるじゃんって
僕が思ってるだけです
Cさんに
あなたそれ人に迷惑
Cさんに対して迷惑かけられてるって思ってるよね
って僕が思ってます
なるほどそういうことか
うんうん
そっか
そうね難しいとこだねそれはね
だからAさんの言う人に迷惑かけないっていうのは
うん
この
道端で歩いてる人に急に
ぶん殴られた
それは私迷惑かかったみたいな
そういうことを迷惑かけられたって言ってる
そうかそうか
最低限の努力は
最低限の努力はそれしてほしいですけど
うん
それが結構高い
確かにな
難しいなでもその
仕事の仲間なわけでしょCさんって
CさんとAさんそうですね
そこはなんか自分の感覚で言わせてもらうと
べき論っていうのはちょっと言い方違うのかもしれないけど
そもそもなんかルール
一緒にこのプロジェクトをやらないといけませんっていうルールで最初から
うん
縛られている状況だから
うん
それはべき論は生まれてしまうよねって思ってしまう
うんうんうん
まあそうですね仕事で言うとそうなんだけど
うん
そうだし
うんうん
そうですが
うん
僕から見ると
Aさんが求めてる水準がすぐ高すぎるというか
あーなるほどね
そんなに頑張らないでよ
頑張らなくていいよ
なるほど
自分が縛られてるんじゃないって思う
そっかそっか
そうなってくると
うん
仕事じゃないとこでも起きそうだね
うん
いやー難しいっすね
自分のことをなかなか客観的に感じられないからな
そうなんですよね
うん
いやーむずい
うん
でBさんはBさんで
あーBさんがいたね
うん
Bさんは結構まあそう社会に努力を求めてますね
Aさんより
やっぱりね
だから行きすぎるとその優先思想的な感じに
えー
誇張して言うとね
努力できてない人は
うんうんうん
その公共サービスを受けるべきでないみたいな感じも感じる
うんうん
なるほどね
えー
から
うんうん
福祉が行きすぎる
うん
行きすぎるの良くないみたいなことを言ってるんですよね
あーなるほど
うん
いやーむずい
むずい
むずいですねそれは
いやーむずいなー
それはむずいなー
あはは fluffy
僕が頑張りたくないから
うんうんうん
みんなに頑張ってほしくないんですよね
うん
いや頑張ってほしくないっていうか
ここらから頑張りたいと思ってる人は頑張ってほしいんですけど
うんうんうん
確かに
心から頑張りたいと思ってない人も頑張ってるじゃないですか
うん?もう一回もう一回
今心から頑張りたいと思ってない人も頑張ってる
あーっていう状況が多い
目標が多い まあそう
てかその頑張るっていう言葉を僕がネガティブに捉えすぎてるのかもしれないですけど
うん
自己肯定感と自己評価の違い
なんか無理してるように感じちゃうんですね
うんうん 本当はしなくていいことを無理してやってることに対して僕は頑張るって言ってるんですけど今
ああごめんもう一回もう一回
本来は別にやってもやらなくてもいいけどまあやらなくていいこと
うん
に対して無理してやることを頑張ってやるって頑張るって呼んでるんですけど
うん
そういう意味で言うと
うん やらなくていいことを頑張っている人が多いので
うん
みんな頑張ってほしくないと思います
うん なるほどね確かに
そうだねそこがなんだろうなその頑張ってる人はこれぐらいやらないと社会回んないでしょうって思ってる気がしていて
それが大輝くんと感覚のずれがあるのかなと思ったんだよね
そんなんじゃなくても回るでしょうって大輝くんは思ってて
ああ
頑張ってる人はいやいや無理だからみんながこのぐらいやらないと無理だから頑張ってない人は
社会まあそうですねなんか回らなくてもいいじゃんって思ってます
ああなるほどね
むずいねそこも
その人はいいじゃんって思えない
ってことですもんね
ってことだよねきっと
まあそうですね思えないでしょうね
うん
なんかまた話ずれそうというか
うんうんうん
自己肯定感ってあるじゃないですか
とそれと似た言葉で自己評価ってあるじゃないですか
あっ似てんだそれ
似てるというか似てるというか全然違うじゃないですか
自己評価と自己肯定感
違うねうんうん
でも自己肯定感を高めようっていう文脈で
自己評価かのように使われてるんですよ
へえ
使われてるように感じるんですよ
へえ
なんか自己肯定感を上げようって言ってるふりして
自己を肯定できるポイントを探しましょうみたいな
なるほど 文脈でそれ自己評価じゃね?
なるほど面白
って感じて
だから自己肯定感の中に自己評価が
いつの間にか逆かな分かんないけど
自己肯定感ももちろん高い方がいいんですよ
高い方がいいと僕は思ってて
でも自己肯定感ない人が自己肯定感上げなきゃな
上げなきゃなみたいな
自己評価上げなきゃなになっちゃって
自己評価を上げるために
自己評価って要は何ですか?
自己肯定感は自分だけで解決しますよね
別に他者必要ないじゃないですか
どんだけ失敗してもそれを受け入れるみたいな
でも自己評価は評価だから
他者が絶対必要で
なるほど
どういう文章にするかによる気がしちゃったんだけど
多くはそう使われてる気がする
だから自己評価をするにあたって
少なからず他者も評価しないといけない
その評価というものを
他者と自分との共通した基準としての評価っていう風に言うとしたらそう
っていうめっちゃ細かいこと言っちゃうんだけど
だとしたらそうだなと思った
自分だけで
自分の今日これができたから偉いぞ
自己評価そういう意味でそれもそうなんですけど
自分だけで解決
社会と自分とのつながりのグッドポイントを探しましょうみたいな
なるほど
そんな感じで自己肯定感を上げようみたいな
よく言ってるじゃん
それ自己肯定感じゃないって思った時に
社会から見た自分の価値を高めるために
自己評価を上げさせられてる人がいる
自己肯定感をそうやって高めようと社会がしてくる
って思ってるんですよね
だから自己肯定感高くないと思ってる人は
それ多分自己肯定感じゃなくて
自己評価に囚われて
自己肯定感が下がってるというか
保ててないから
そんな社会無視しちまえって思ってます
頑張りすぎるなって
社会の圧力と評価基準
その頑張りは自己肯定感じゃなくて
社会に対して
社会があなたに対して成果を求めてるだけだって思ったりします
ざっくり分かる気がします
ただその言葉の使い方として
自分もっと細かく分かれる気がしていて
自分の言葉で言い直してみていいですか
自分の中では自己肯定感っていうのは
条件なしで無条件に上げることもできると思っていて
何かしない根拠のない自信みたいなのを持つことによって
自己肯定感が最初から高い人もいる
親からちっちゃい頃から
褒められまくって育った人に
そういう人が多いって勝手に俺は思ってるんだけど
それは条件のない何も根拠のない自信みたいなものが
元になって自己肯定感が高い
でさっき言った
自己評価っていうのと置き換えてる人っていうのは
その評価基準
何らかの評価基準によって
それが満たされることによって
自己肯定感が上がる
っていうのは結果的にあると自分は思ってるから
自己肯定感っていうのは
単独で存在しないと思ってるんですよね
自己肯定感のために理由がいる人と
いらない人がいるみたいな
そっかいる人がいるのか
うんって僕は思ってて
ちょっと待って自己肯定感のために理由がいるのか
今んとこね理由なく上げられる人もいる
理由なく上げられるんだって
意識してそういう人になりたいな
っていうのはずっと思ってて
今もその道の途中だと
理由いらないと思ってるんですけど
いる人のパターンよくピンと来てないですか
俺はなんか小っちゃい頃から
そういうふうに育てられてきたから
というか今の社会では
そういう人が多いと思ってるんだけど
そういう意味で言うと分かる
本来はいらないと思ってます
自己肯定感の高めるために
だけど本来はいらないけど
社会が求めすぎてるから
そっちに吸い寄せられてるだけっていう風に
感じてます
わかるわかるそれが本来はっていう風に言えるなぁ
とも思うんだけど
なんだろう
自己肯定感を持つ
なんだろうな
難しいね本来はなのかな
そこはちょっとはっきり
自分が分かってないのかな
自分はさっきの無条件に
自己肯定感が高い人っていうのは
ちっちゃい頃から親から
褒められまくった人っていう感覚を持ってたから
それもそれは本来はなのかどうか
わかんないなと思ってて
直感的に何か逆というか
褒められたら次褒められるために
その行動をしちゃいそうだなって思ったんですよね
だから褒められるために何かしてる人
社会から褒められるために
親から褒められるために何かしてる人だから
逆かなって思いました
何かした時に褒められるって言うんだったらそうだろうね
なんかでも存在を肯定するような
をやっているじゃないですか
あなたは何をしても大丈夫よみたいな
褒めるじゃない
僕の言葉で言うと褒めるじゃない
あの条件何かをクリアした時にだけ褒める
かどうか自慢その褒めるって言葉に対しては
褒めるも単独で存在しない言葉と思ってて
何もしなくても褒める
存在を褒める
行動を褒めるじゃなくて存在を褒める
言葉として何かを言ってないかもしれない
親は自分が言ってるやつは
その子のことをもう無条件にあなたには価値があるって
存在を通して言い続けてる親に育てられると
自己肯定感は高くなってるのかなって勝手に思ってたんですよ
だからそういう状態に
自分を自分でそうあるように洗脳するって言うとあれだけど
そう意識し続けてるんですよ自分は
で本来は自分の自己肯定感放っといたら下がっていくタイプなんですよね
下がっていくけど何もしなくても自信満々な
例えば自分の弟とかそういうタイプなんですけど
そういう風になりたいなぁいいなぁと思っているから
そういう風になりたい
無条件に自己肯定感が高い状態になりやすい人になりたいなって自分は思ってて
それは本来自分もそうだったけどそうじゃない風になってきたのかどうか
ちょっとはっきりわかってない
でそれをさっきの自己評価によって
自己肯定感を上げる上げないを判断する人がいるっていうのもわかる
でその評価にも評価には必ず評価基準っていうのがいると思っていて
だからその評価基準がさっきタイキ君が言った他者との共通した評価基準にするのか
自分だけの評価基準にするのかにもまた分岐があると思ってて
自分だけの評価基準にする分には
そんなに社会からの押し付け云々とはまた別の話かなと思ってて
そこは自分はあんまりそれはなんか自分が好きにゲームとしてやる分にはいいかな
ただまあそれがクリアできないと自己肯定感上がんないんだったら大変そうだなとは思う
でもゲームとして楽しんでやる分にはいいんだけど
そこからさらに他者と自分と共通した評価基準が云々となってくると
それは社会圧とかの話に繋がるのかなみたいに
なんかタイキ君の話に結構階層分かれるなぁと思いながら
無条件の自己肯定感の重要性
自己評価は
えっと自己評価の高い低いだけじゃなくて
なんていうかその自己評価の性格性も含めて喋ってたので
性格はえっと
正しさ
あはいはいはい
だから自己評価が正しいってことはやっぱり
狂った自己評価をした人
なるほど
すごくいろんなすごいことやってんのに
なんか自分はダメだって思ってるみたいな意味で
とか逆も含めて
あー全然
そうかそうか
え何やってんのっていうか
俺はこんなことやったんだみたいな
なるほど
のには多分他者評価が必要だなっていう話って思ってました
あ他者評価が必要
自己評価の正しさを測るには
正しいってことはみんなそう思ってるから
そうでしょっていう
はいはい
のから他者評価も必要だって思ったんですけど
なるほど
自分だけで評価も確かにできますね
うーん
なんかそれは無条件の自分肯定感高い人に
ちょっと近いものは感じるんだけど
でもその評価を自分でして
ダメだって思った瞬間に下がるから
無条件ほど強くはない
強いというか
とかいろいろ分かれるなーと思っていて
っていうとこまで細かくいろいろ喋ってたら
なんでこの話してるのか忘れちゃいました
えーっとべき論
べき論
なんで僕が自己評価の話したんだっけな
ねーそこ忘れちゃったと思って
なんだっけ
AさんBさんの話から来たのかな
でもそうなんですよ
えっと僕はあるニュースで
はいはい
自殺者が出たみたいなニュースで
嫌なんですよ
自殺者がいることが
うん嫌っすね
なんでだろうって考えた時に
その自己評価と他者評価の違いを
考えたんで僕は
その話をAさんBさんとしてた時と同じ日に
そのさっきのあの価値があるみたいな話をしたんで
全然話題としては繋がってないんですけど
なるほど
僕の中で同じ日でした
日で繋がったの
それは話した人が同じ日に
同じ日っていうとこで繋がったのね
いやーそうね
でもまあ通じる話な気がする
自己肯定感と自己評価の考察
うまいうまい言語が繋ぎができないけど
上手な人は繋げてくれるかもしれない
えー繋げるけどねきっとね
だからその自分の命の価値を
自己評価が命の価値の有無は
いや有無じゃないね
命の価値は
自己肯定感が高い人は自分の命の価値が
無理に繋ぎようとしなくてもいいか
自己評価の評価とか
それで言うと価値とかすら
あんまり考えなくていいような気もするんですよね
最初の方で価値があるとも言えるし
価値がないとも言えるって言ったけど
価値がないって言うとすごいマイナスに感じるんだけど
価値っていうことを別に意識しないでいいぐらいに思ってるんですよね
そうですね意識しなくていい
価値がないって言いたくないんですよね
もちろん言いたくない
価値があるから生きてるだけで価値あるんだよっていうことを言いたい
そうですね
あるあるというか
あるとあるの反対がないだから
あるって言ってないとないになるからみたいな感じで思ってるかな
人間以外は誰も誰もというか
動物って考えてないけど一生懸命生きてるなと思ってて
なんか抽象で大輝くんが全部好み問題に落ち着いてしまう的な結論が
それは自分の中ではそんなに悪い悪いというか
そのことをまたここに落ち着いちゃったなみたいに
がっかりしてないというか
がっかりまでしてないのかもしれないけど
てきくんも全部好みだよなと思ってて
自分に迷惑かける人は嫌いでいいわけじゃん
価値があるないとか言わなくても
俺は好きじゃない離れますぐらいでいいと思ってて
自分が感じるのは
なんかあの15分しかないから
15分たそうと思ったら
今この後半だけで30分以上
40分ぐらい喋ってて
本当だ
なんか日本文40分たす16分ぐらいは56分ぐらいか
なんかいい感じのとこで前後編にしたら
喋って
確かにもうちょっと喋ろうとしたら
もう一本になるかもしれない
でちょっとだけ足すと自殺がない世界がいい
それはいいねというか
嫌なんです自殺者が
嫌ですね
でもってなるとどうやって死ぬんだ人は
なんて言うんですか
ウクライナってすごい自殺者が少ないらしいんですね
ここ数年なぜなら
戦死者が多いからみたいな
どういうこと
記事を見て全部読んでないんですけど
要は自殺するにすら至れないみたいな
社会に対して嫌気がさせて命を断つわけじゃなくて
それが自殺
今の現代で多い自殺の理由が
まあ何らかの理由で社会に対して生きる価値とか
行きたくないと思ってるから
自殺するわけ
自殺って言わないほうがいいですか
自死
わかんないダメなの
まあ表現としてたぶん良くないんかな
自死を選ぶ自決する人が
なるほど多い希望を持てないからね
編集は多分自殺者が多い
多いとか言いちゃうんですけど
生きたいけど生きれない人
そのちょっと前で言う
まあ今でもありますけど
ガザンイスラエルによって
ジェノサイトで命を落としてた人って
別に自殺したいわけじゃないじゃないですか
そりゃそうだからそういう意味で
ウクライナは自殺率はすごい低かったけど
それじゃない理由で死んでるとか
過去によるもっと昔になると自殺少ないけど
凝視する人が多かったり
我視する人が多かったり
なるほど自殺少ないけど
そういうシーンで死んでて
逆に自殺で良かったと言えるのかどうかみたいな
僕は絶対嫌ですけど
自殺で良かったって言いたくないし
思わないですけど
見方を変えると
自分で死を選べちゃってるじゃないですか
自殺って最終的に
僕それが嫌なんですけど
それすら選ぶ前に死んじゃってる人が多いので
それも嫌だなっていう風に思うので
それに比べるとっていうか
そこから見ると自殺で良かったと言えるのか
言えちゃうのかみたいなことを考えていて
それむずいな
なんかそこも自分の中では
戦死と病死はまただいぶ違うと思ってて
病死も少なければいい気はするんだけど
そこはすごくむずいと思っていて
自分人口問題はなんていうか
増え続けるのは
確かに問題だと思っている
地球は資源が有限だから
そのためにというとあれだけど
病死が減りすぎることによって人口が増えると
逆のどっかに歪みが出るとは思っている
思っているというか出て出まくっています
ような気がしている
社会問題としての自殺
全部僕が持っている情報が正しいとしたら
そういう保険的な意味を言っちゃうんだけど
意味というか保険的なこと言っちゃうんだけど
だからそこは難しいというか
でも病死は難しいな
飢餓も一緒ですよね
飢餓もそうか
食糧が足りてない
でもそれはそうか
なんていうかコントロール
人がコントロールできるもんじゃないと思っているから
コントロールすることは健全じゃないと思っているから
自殺はあまり良いと思ってない気がしたんですよ
今自分あまり良いと思ってない
めっちゃ良いと思ってない
その意味においてっていうことを言いたかっただけで
あまりっていうのは別に意味のない言葉なんですけど
人が人を裁いたり
自分その自分の命を断つことも
自分で自分の命に何らかの裁きをして立っているから
そこは健全じゃないと思っているから
その自死もしくは戦死
戦死もなんか自分のことじゃないけど
相手のことを殺していいっていう風にして
裁いているから違和感がある
でも病死はそういうのがないから
ある意味多い少ないは分かんないけど
どっかでやむなしって思ってるところあるかな自分は
確かにそうですね
そこも千引きが難しくて
全然長くなっちゃうなこれ
もう一個だけ言っちゃうと
自分カモリョーをやってた時に
36:50