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CS Harmony Radioです。よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
評価の基準について
前回から相対評価と絶対評価、どっちが良いかみたいなお題で話してるんですけど、
まあどっちもどっちっていうか、まあケースバイケースでしょ、みたいな身も蓋もない話にはなったんですけど、
まあただ現実世界見てると相対評価で見られてることが多いよね、みたいな。
まあそういう現状がある中で、現実どうやって活用していくといいんですかね、みたいな話をもうちょっと話しますかっていうので後編に来てる感じですと。
ちょっと後編で活用する話で言うと、なんかもうちょっと絶対評価と相対評価のもやもやする話を少し整理したいなと思うので、
まずちょっと前提として絶対評価、相対評価、そもそもどうやったら成立するかみたいな話をもう少し丁寧に見たいなと思ってるんですけど、
やっぱり前回の定義でも絶対評価ってある種基準がしっかりしてるから機能する仕組みじゃないですか、評価として。
でなるとそもそもの問い、前半もちょっと言いましたけど、そんな公平な基準作れるんですかっていうところがそもそも疑問にはなるけれども、
一方でまあ許容範囲にうまく収めてちゃんと運用しているようなテストとか試験もあるんで、
ある程度作れてるんじゃないのみたいな話もあるかなというところですよね。
あともう1個気になるのが、基準は基準で作れて、それってちゃんと書かれるんですかみたいな話って、前半で八木さんが言った試験のバグみたいな話なんですけど、
そもそも評価って正しくできるんですってみたいな話っていうのが、評価する側が不完全だと評価システムも不完全になっちゃうんじゃないかなみたいなことが突き詰めるとちょっと気にはなったりとかするところなので、
絶対評価みたいな話、コンピューターみたいに01でパチパチパチって明確に分けていくような、そういう形の対象とか測り方のが実は相性良かったりするんじゃないかなっていうふうに前提を整理すると思ったりします。
そこで絶対評価っていうものを人がやってることに対して難しさあるんじゃないかなというふうに思ってちょっとモヤモヤします。
相対評価の複雑さ
相対評価の方なんですけど、相対評価で結構燃えつくのって、募集団によって評価変わるのは当然それでいいんですけど、募集団がそもそも適切かみたいな話がちょっとすごく燃えつくんですよ。
たとえで言うと、選手としての能力を測るときに、野球選手とサッカー選手混ざってたらどっちがいいかって分かんないじゃないですか。
分かんないですね。
サスケとかああいう別の競技やらせたりとかすると。
運動能力。
その条件で見たときに、例えばサッカー側の経験持った評価者だったら、野球の人なんて正しく見れないからそこに対して評価として納得感なくなっちゃうなとかなると、結構募集団の切り方が結構大事だけどしっかり見られてないかなみたいなことも思ったりする。
あともう一個が、さっき言った評価者のスキルですよね。野球とサッカーを見れるってなったらどういう人が見れるんですってみたいな話とかって結構難しいじゃないですか。
でなると、例えば野球は野球、サッカーはサッカーで見て、でその後さらにその上の人は例えば工業的にどっちがでかいかで決めますとか、そういう話だったらなるほどねとか思ったりするんですけど、そういうところが相対評価すごくモヤモヤするなっていうところだったりする感じなんですよ。
確かに。
もう一回整理すると、絶対評価って本当にそもそも正しく評価できるっていうのを人がやれるのかなみたいなことに対して突き詰めると、どこまで行っても疑問が残る部分があるし、相対評価で言うと、そもそも対象の募集団の設定をちゃんとできてるかって話と、それを正しく見れる人がちゃんといるのかみたいな話っていうのが、どこまで行ってもちょっと気持ち悪いなって。
どこらが残ってるっていうのが現実的な世界だとあるのではないかなみたいなことが話してて感じるところなんですけど。
適切な表現かわかんないですけど、フィギュアスケートとか芸術展が入るじゃないですか、チキーのジャンプとかもそうですけど、芸術展が入る系のやつってなんかちょっと燃え尽きますよね。
確かにわかんないですよね。
僕らじゃわかんないっていうのもあるんで。
もちろん、それもありますね。
そうですよね、確かに。
大体オリンピックとかだと疑惑の判定みたいな、なんか騒がれたりするようなやつ。
確かに。
多分絶対評価しようとして数字にしようとしてるんですけど、人だからなんかちゃんと測れないし、なんか見落としたりとか。
競技もそういう意味合いで振り切っちゃってる競技もあるじゃないですか。
人間じゃもう見れないから、フェンシングみたいに電気が通電したら立たそうとなるみたいな、もう機械に任しちゃってるやつ。
それはそれで正しいような気もする。
そうですよね。
ドーピングとかの話は置いといて、陸上競技とかでも単純にタイムだけ測るとかだったら、あんまり疑惑の話出ないじゃないですか。
絶対評価みたいな話になると、やっぱり人が入るとやっぱりちょっともやっとする感じがあるなっていうところですよね。
ちなみに相対評価の方はどうですか?
相対評価の方は、スキルによるのはその通りですし、もしかすると同じスキルの人でも日によって気分で変わったりする。
ムラもありますよね。
何だろうって感じですよね。その場の条件に基づいて決まった順位みたいな白モンだと思いますけど。
確かにそうですね。たまたまその人の機嫌が悪いとかってよくあるじゃないですか。
今日はこの人機嫌が悪いからこの話はしないでおこうとかって。
それに近いようなことが起きがちっていうのは確かにそうですよね。
基準も見えてないし、場合によりますけど、例えば会社での評価みたいな話になると、この人嫌いみたいなのから入っちゃったりすると、何を基準で決めてるみたいな感じになるので。
でも実際ありますよね。
実際にありますね。
評価されてることそのものにあんまり意味もないような気もしていて、その時の条件に基づく何かみたいなものかな。
それはまさに最後で行こうとした話にちょっと近いと思うんですけど、それはちょっと後から話すとして。
仕事の評価の悩み
ヤギさんが言ったように評価に悩む時っていうと、基本的に我々みたいな世代だと仕事の評価みたいな話がどうしてもついて回るので、ここの部分とかで悩んだりとかするっていうことが多いかなっていう感じですよね。
仕事の評価とかって基本的には相対評価になりがちじゃないですか。
もちろん業績みたいな数値みたいなものはあるにせよ。
その時に個人的に悩むのは、自分の実績とか成果のアピールみたいなことっていうのが毎回モヤモヤするのは正直ありますよね。
自分の今のポジションというか役回りが企画とかバックオフィスっぽい部分とか全体最適系の話に近いところにいるので、業績みたいな話からは遠いんで。
そういう部門になると、さっきヤギさんが言った気分みたいなので決まってる感じ多分に感じるんですけど。
これはひょっとしたら多くの人も悩むかもしれないですけど、本質的にやりたい話ってアピール材料弱いと後回しにされちゃったりするじゃないですか。
本当はちゃんと関係性作って根回しして準備整える方が大事なのだが、それやってもインパクトないからもっと派手なこういうことをバーンとやりますって打ち出した方がいいとか。
ありますね。
でもそれが本当にやるべきことなのかみたいなこと、毎回燃え暑くなみたいな感じがあるんですよね。
評価される場合の多分動きだと思うんですけど、なんとなく自分自身で自分を売り込むのも気持ち悪いし、
なんかそれって会社の業績にあんまり関係ないんだけどなんで言ってるんだろうこれみたいな。
そんなことしてるぐらいだったら客1個でも取りに行こうぜみたいな。
なんか思ってしまう部分とか。
そうですね。そういうところの燃え暑きはあって、評価する人が社内とか身近な人になりがちなんで、そういうことがどうしても起きちゃうなっていうところじゃないですか。
で、この辺で結構ある種自分の役回りっていうのは規定されているよりされてないから、
いろんなことをやる中で上司、評価する人にとって心地いいとか都合の良い動きをすると評価されやすいみたいな部分があるかなと思うんで。
というところで、完全な仕組みの中でやってるからどうしてもいろいろモヤモヤするところがあるのが現実的かなみたいな話なんですけど、
個人的にはなんかこうは何とかしたいなって思うところがちょっと僕それぞれあるんですけど、
絶対評価の世界だとやっぱりなんか人が入らない方がいいんじゃないかなとかって思っちゃうんで、
なんかそうじゃない方が納得感あるような気はするんですよね。
さっきの機械判定みたいな話もなんでしょうね。
もちろんその機械の方が人より正確早くできるって思ってるからそういう風になってるんで、
その機械自体がまたなんか誰かによって歪められたりとかする世界が来たらちょっと揺らぐかもしれないですけど、
AIと評価の仕組み
そうじゃない時点においては、ある種アルゴリズムが01みたいにしっかり区別した中で測られた方がいいのかなと思うと、
AIによって評価する仕組みみたいな方が実はフェアになっていくよねみたいなところが出てくる領域もあるかなっていう気はしますね。
ちょっと能力評価でできるかどうかまではよくわかんないですけど、
いつもなんかAIに任せてるっていう話も出てきたりとかしてるんで本当かって思ったりはしてますけど。
なんかありますね採用の一時面接。
でもなんかそれって応募する側もAIを使って、スクリーニングする側もAIを使ってる世界もあるかもしれない。
AI対AIになってるかもしれない。
だから誰だけ人が介在しない方がいいんじゃないかなとは思うんで、入るんだったら絶対評価じゃなくていい方がいいのかなっていう気は。
ちょっとアシュになるかもしれないですけど、絶対評価のアシュってもしくは人の評価ですよ。
会社の人の評価なんですよ。
その評価される人が自分で目標を決めて、それを達成したかどうかっていうのはある意味ちょっと絶対評価をさせようとしてるのかな。
基準自分で決めなみたいな。
確かにそうですね。
ちなみにそれでうまくいってるとは思わないんですけど。
正直低い目標を設定すりゃそうだねみたいな感じになるから。
そうですね。でもなんだろうな、なんかベースラインがあるとフェアになる可能性はありますよね。
これぐらいのレベル間の人はこういう目標を設定してこれを達成するのが妥当であるみたいなものっていうのは、
ある種サンプルが1の時よりも10万100万ある方のがより適切な数値とか値に近づける可能性はあると思うので、
そういうので出してくれるとかだと絶対評価的には納得感あるかもしれないですね。
資格試験みたいな話の内容とかも、実務的にこういうことしてるよねみたいなことがデータがいろいろ取れて増えていけば、
ひょっとしたらそこの動きで評価できると、この人ってこのレベル感ありますっていうのを絶対的に評価できる世界もなくはないかなって気は今の話してると感じますね。
だからシステムがむっちゃむずいですよね。結局そこがちゃんとできるようなものがむちゃむちゃ投資してやればできるんだろうなって感じですけど、
それが不完全なものを出すのは結構難しいよねみたいな。
相対評価の問題
端的には多分対応のデータと透明性、もしくは説明性みたいな道路が両方ないといけないシステムですね。
そうですね。AIの進化とか見てるとか、少なくとも人がやるよりはAIがやった方がいいよねみたいな領域とかっていうのは出てきてるし、広がる可能性もあるかなっていうところで。
まあ絶対評価の方はそんな感じなんですけど、相対評価はやっぱり個人的にはもう混ぜるな危険がすごいあるなと思うんで、
混ぜないようにしてほしいなみたいなことは思いますけどね。
会社の評価だと営業の評価と調達部門の評価は違うでしょみたいな。何を評価するか。
まあでも評価基準がそういう意味だとそこ評価者に委ねられるので、難しいところですよね。
難しいですね。
なんか部門が分かれててその分で見るのはいいと思うんですけど、
まだそうですね。
新規事業とか再生上マーケなんだけどセールスもいて、開発もちょっとしてとかってなっちゃうと、誰が何をどう評価するかみたいなのがだいぶ怪しい時あるから、
そういうのは本当は混ぜない方がいいよなって思ったりするっていうところですかね。
この辺の話って評価される人って結局大半の今の話でも相対評価にさらされていることが多いし、
実際に僕らの仕事の評価みたいな話っていうのは相対評価にならざるを得ない部分が大きいかなと思うんで、
評価とキャリアの関係
評価される人って相対評価にならざるを得ないっていうことを分かった上で、
なんかその子に対するシステムの良さも理不尽さみたいな悪さも理解して把握してる人っていうのが基本的には評価されてるかなみたいな気がするんですよね。
例えば鼻型部門に行けばそれだけでも評価されるじゃないですか。
そうですね。
人は一方で鼻型に行くと自分としての能力が劣るとなれば、そうじゃないところに行って、
募集団として自分が際立つところに行って、
僕のキャラやこうするんだとかっていう話もあると思うんで、
結局そこって自分が相対的に評価されるのかみたいなことっていうのを理解してる人っていうのが評価されやすいのかなっていう気は感じたりするんですけど。
最近本の宣伝とかで見るんですけど、
弱たり上手になるための本みたいな、評価されるようにするための本みたいなのが出てる。
そういうのもあるんですか。
上司に気に入られようとするための行動こうですよみたいな。
これはそれで何だろうなとはちょっと思いますけどね。
ビジネスハック本みたいな。
ただもちろんそうした方がいい仕事が回ってきて、実際問題実力がつくとか今あるとは思うんですけど。
ただなんか実際はお金を儲けたいわけじゃないですか。
企業できるわけだし。
そうなったらやはりお客さん一つでも捕まえてきて、いいものを提供してっていうのがやりたいことだと思うので。
上司に気に入られるにはどうしたらいいか。
そのエネルギーなんだろう。
でもそういう人評価されますよね、ある。
分かる。
でも評価されないとできないことがあるからあえてそうしてるんだっていう意見かもしれないので。
そこは難しいところはあるんですけど、分かります。
最終的にそれしかしない人もいるから、それはちょっとどうなのよと。
そうですね。だから短期目標長期目標みたいな話の時にどうしても短期の方に寄りがちなんですけど。
長期見据えて動いてるか動いてないかによって行動の浅はかさが分かるっていうのは。
ただなんか戦略的に気に入られておいた方がいろいろやりやすいからこうして。
権力を得た瞬間にいろいろガラッと変えていくんだみたいなこととかであるんだったらすごいなと思ったりもするんで。
難しいです。難しいんですけど。
なんかあるなと思うのと、そういう人が評価されて上がっていくよねっていうのも分かります。
で、私はやりませんっていうのもありますけど。
ヤギさんも絶対評価の方が好きだって言ってたし、相対評価の世界での今の世辺りみたいな話なんですよね。難しいですけど。
冒頭に話した話のようにここで来ましたけど。
そもそも評価されたいですか?みたいな話になりますよね。そうなると。
ヤギさんはどうですか?
そうですね。そういう意味で自分の中に基準があって、自分がやりたいことで評価を自分でしてますけど。
ただ、誰からも何の評価もされないことはちょっと嫌だなと思うので。
そうですよね。
ちょっとはちょっとは欲しいぐらいな感じですね。
そんな綺麗にパキッと分かれないですよね。
いろんなモードがあると思うので。
僕もすごく近い感じになっちゃうんですけど。
評価されたいですか?って言われると、評価自体が不完全だから、そこの不完全なものに対して依存したくないなと思うので。
不完全な評価軸の中にいるんだったら、あんまり評価されたくないよねって思う一方で。
でもその評価が次の道を切り開くためにある程度必要なこともわかるので。
やっぱ一定の評価は欲しいから、むちゃむちゃそこで評価されたいとは思わないけど、こいつダメだとも思われたくないなって感じですかね。
個人的には、自分がいいと思ってやっていることが結果的に評価されたらいいなぐらいの、81ぐらいのイメージで言いますけど。
感覚は近いですよね、僕も。
自分として大事にしたいとか、やりたいっていうことが見えていることに対しての評価っていうのって、別にあんまり実は求めてない。
キャリアパスとかキャリアプランみたいな話に近いかもしれないですけど、自分で目標設置して到達していくみたいなことに対して別に何か良い悪いは言われたくないよねみたいな話は。
ある一方で、なんかその到達度に対して必要になる要素っていうのは、ある種他人からの信頼とか他人からの応援とかが成立しないとなると、やっぱ評価してもらわないといけないよねっていうところは、
されないと辛いからやっぱされたよねって思うっていうので、なんか混ざってると。
そうですね。
超極的な感じで評価されたいって感じですかね。
積極的ではない、確かに。リアクティブだからね。
もちろん評価されたくないわけじゃないんですけど、評価だけを意識してっていうのもちょっと違うかな。
自分の人生とかっていうスコープで見た時に、なんか評価を気にしていきたいわけじゃないじゃないですかって。
そうなんですよね。だから、必要なんだけど、これが全てじゃないからやっぱりっていうことなんでしょうね。
さっきのそのビジネス的な与渡り的な話とかで、このゲームに割と全乗っかりしてる人もたまにいらっしゃいますけど。
いらっしゃいますね。
評価と目的の変化
そういう感じじゃないなみたいな。評価されたい人っていうのは、ひょっとしたらそこの世界に全乗っかりしてる、
そこの世界が全てに近い感覚なのかもしれないなって話してて思いましたね。
前に目的工学みたいな話を見てたときに思ったんですけど、昔ってもしかすると目的自体が会社の目的の下に自分が入ってる絵になってた。
のかもしれないですけど、我々のイメージってどちらかというと自分の人生の中に会社があるイメージで、私はいるんですけど。
確かに。
もしかするとどっかで逆転してるかも。
かなり減ったと思いますけど、会社の目的に導出化しちゃってる人って、昔結構いましたよね。
そういうのがちょっと変わってきてるのかもしれないなと思いますね。
いや、そうだと思いますよ。今このご時世、昔と比べたら流動性増してるんで、ここにずっといると思ってなかったらそんなこと思わないですよ。
思わないですね。別に評価されなくたって別にいいよってなるだけなの。
それこそ堀さんが言ってくれた通りに相対評価って集団の中での評価なの。この集団じゃなきゃ別にいいからねって。
違う評価されるところに行けばいいだけだよねっていう話ではあるので、確かにそうなんでしょうね。
だから結局そういう意味で言うと全乗っかりしてる場合は場所がないのかもしれないですね。
ないかもしれないですね。同じ集団じゃないとダメなの。
見えてないって言い方しちゃうとちょっと上からっぽくなっちゃうんですね。少なくとも認知的にはそういう認知な感じですね。
評価に悩んでる時点でそういうところに陥ってる可能性はあるかもしれないですね。
逆に言うとあんまり悩んでないってことは幸せっていうか選択肢が頭の中にあるから、執着してないっていう証拠でもあるかなっていうことですね。
意外に執着してないことが分かってちょっと良かったなって思いました。
もちろん評価良くないよって言われたらそれは悲しいですけど。
悲しいですが、じゃあそこで税加費でも上げようと思わなくてもいいって思えるっていうのはある種場の道も見えてる部分なんだろうなって。
ここで使って言えるところがいいと思います。
そうですね。ある種選択肢を持っているということなんだなということが分かったんで、
もともとの絶対評価、相対評価どっちがいいっていう話からはもう飛び越えて、そもそも評価を
されることに対して、執着してない状況っていうのが結構いい感じなのかもっていうのが分かったのが、この話の帰結ですかね。
いいと思います。
ほぼ台本がないんだよ。
ここに帰結しましたね。
こんな話に帰結するとは思ってなかったですが、だいぶ問いが今回ちょっとフォワッとしてましたけど、
収まって良かったなと思います。
ということで、単の結論というか、お互いの話からまたちょっと何かこんな感じかなって気づきが得られたんで良かったなと思います。
では、ありがとうございます。