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どうも、毎度ごりです。今日はまた自分の大事な一面ですね、針球のことについてちょっとお話ししてみたいと思います。
前ね、一回ね、針球に関して少しお話をしたんですけども、なんとなくね、ディスったような話をしたと思うんですけども、
あれでディスっていうのは、針球師というね、属性の人たち、自分も含めて針球師ですから、自分に対してもディスって言うような感じなんですけども、
もっと針球師勉強しろよっていうところですよね。それを、自分の尻を叩くような、そういうニュアンスも多分に含まれてるんですけども、
じゃあですね、針球って効くの?効かないの?っていう話でいくと、効くんですよね。針っていうのはね、針治療っていうのはすごく効くんですよ。
いろんな状態、体の状態がありますけれども、不定周層、僕自身がね、よくやってた治療としては不定周層だったり、
あとは精神的要因から来る症状ですよね。そういうのにも非常によく効くし、子供さんだったりね、赤ちゃんから老人まで受けられるのが針球ですし、
妊婦さんですかね。妊婦さんもそうですし、不妊治療なんかもね、よくやってましたけども、とにかくよく効くなぁと思っています。
僕自身はその針、僕自身がやる針っていうのは、学校で学んだ時っていうのは、普通に体に打つ針、
そうですね、針球では針っていうものを体に刺すとは言わずに打つっていう風に言うんですけども、体に打つ針ですね。
0.2ミリかというね、だいたい髪の毛と同じくらいというね、シャーペンの芯よりも細いですかね。僕らが使ってた頃の、最近のシャーペンの芯細いの出てきますけども、
0.2ミリというすごい細い針を使って、体の中にその針を刺入していって、刺激を与えてというね、そういう治療方法、そういうのを勉強してましたけれども、
いろいろ勉強していくにつれて、刺激、体に入れる刺激の量に応じて、針を体に入れる、針を体に打つであったり、打たない、もう擦るだけとかね、赤ちゃんの場合、僕なんかだと産毛を撫でるぐらいの感じの治療をしたりもしてました。
この刺激を体に与えて、いろんな反応が出てくるっていうことですよね。前回ね、針を打って出てくるエビデンスとしてね、一酸化窒素っていうワードを出してるんですけども、そこを完全に取っ払った話を今回はしていくんですけども、
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ハーリー級心急医学、これはですね、非常にシステマチックなイメージがあるんですね。診察をするんですけれども、心急治療では、この診察するのにあたって、某文問説という指針というやり方をします。
何言ってるかわかんないと思いますけども、某というのは望む、見るですね。文というのは聞く、その人の声とかね、そういう歩く音なんかを聞く。文というのは問ですね。症状を問うということですね。体に問うというかね。説というのが切ると書くんですけれども、これは実際体に触れるというね、接触ですね。
それで、某文問説という4つの手法をとって、その人の体の状態というのを判別していくわけですね。これで判別していって、その人の状態がわかるとですね、そのまま治療に移るわけですね。
どういうふうにして、まあいろんなね、本当ここはもうロジックがあるので、こういう時にはここ、こういう時にはここ。一般的にはね、ハリキュー治療というなんかこう、壺、口血みたいなね、北都心圏みたいな感じで一個ボンって壺を押したら治るみたいなね、そういうイメージがあるのかもしれませんけども、肩こりにここの壺、腰痛にここの壺、胃のもたれにはここの壺っていうのではなくてですね、
ハリキュー治療というのは組み合わせなんですね。本当に僕はよくね、体の内部に備わっているスイッチっていう言い方をするんですけども、このスイッチをポンポンポンポンと入れていく。
どうなんでしょうね。古い電話の交換手のイメージ、こっちのプラグとこっちのコードをこっちにつなぐみたいなね、コンデンサー、古いパソコン、真空管とかね、そういう感覚でいくとこう組み合わせでプログラムを変えていく、そういうイメージですかね。本当にあのプログラミングだと思うんですね。体の中のね、そのスイッチ、コードが書かれているのが壺。
そのコードの組み合わせで治療を行う。そんな感覚なんですよね。僕の中ではね。なので非常にこう、ハリキューっていうのの治療自身に関しては理系なイメージがあるんですが、文章読解力がないとここが難しいので、文系っていうところにもなるんですけれども。
なのでね、ハリキューの学問をやっている先生方、非常に文系理系、量極端な先生もいらっしゃるので、とっても面白いんですけれども、治療をしていくにあたって、今言ったプログラミングコードを書くような治療方法によって、壺を選んで患者さんの体に刺激を入れて。
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そしてここもね、僕はよく言うんですけども、治療師が治すっていうわけではないと思ってるんですね。
プログラムを走らせる、そのプログラムを走らせるマシン、本体のスペックっていうのはもうそれぞれ違うわけですね。
人の体のスペックが違うので、スイッチは入れたけども、その塩酸処理みたいな感覚ですかね、反応する速度、刺激を入れて反応が出てくる速度であったり、その反応の量であったりっていうものが個人差がややある。
そこもね、さらに新旧の治療で補っていくっていうやり方をまた取っていくんですけれども、なので本当に人間の体がまるでロボットのようなイメージで治療をしていくのが僕の感覚ですよ。
他の新旧師の先生がどう考えてるかは知りませんけれども、僕の中ではそういうふうに非常にシステムを動かす、そのためのコードっていうね、そんなイメージで治療をしてるんですね。
それでね、プログラムコードを叩いて、その人の体の中で処理をしてもらって、結果として治療の効果が出てくるっていう感覚の治療をやるんですけども、ここまで聞いてもらってわかる通り、現代医学や現代の科学では全く解明できてない、説明できない治療なんですよね。
どうなんでしょうね。新旧治療っていうものがね、ものの文献に上がってくるっていうのは、古代中国の春秋戦国時代って言うんですから、紀元前700何十年からみたいなね、そういう古い時代にね、もうすでに登場してまして、
で、それが理論的に体系立ててきちんとこう文章として編纂されたのが多分、西暦200年ぐらいにですね、皇帝大経というね、雲家の皇帝駅で有名な黄色い見方と書いた皇帝ですね、この皇帝大経というね、こういう文章がありまして、その中でかなり論理的に新旧治療というのが書かれていますね。
まあ、あの皇帝大経っていうのは一つはね、小説みたいな感じで面白い読み物でもあるのでね、読み下し本なんか読むとすごい面白いと思うんですけども、まあそれは置いといて、
まあ、かなりの時間が経ってますよね。金元前700年から西暦200年、900年ぐらいですか、までかかってますから、どうでしょうね。これだけの時間をかけて、新旧治療というものが、東洋医学、東洋医学じゃないですね、中医学ですね、中医学というのがね、
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作られて積み重ねられてきたわけですよね。僕はこの長くかけられた時間というものがすごく大事だと思ってまして、この間に統計学的に得られた知見というものが大量にあったんじゃないかなって、勝手な想像なんですけども、
古代の中国ではですね、人間が健康で長生きをするための技術としての新旧治療というものをね、漢方薬もそうですけども、求められてきたっていうイメージなんですけども、そこにかける時間や労力、お金ってものは結構はかり知れないものがあったんではないかなと、民間がやっていたとは到底思えないので、
後手の味方の命令を受けて研究編参していったんではないかなと思うんですけども、今の現代の考えるスピードとはもう全く違う時間の流れの中で積み重ねられた知識というものをね、僕ら今つまみ食いしてるんじゃないかなと思うんですね。
ロストテクノロジーではないですけれども、古代の中国での医学というのは今の僕らの感覚とはちょっと違った部分があったのかなと、今現在自分たちは電気を使ってね、化石エネルギーを使ってね、火をつけたり電気を使ったりしてますけど、それがなかった時代。
もっと人間もセンシティブな部分、もっと感覚的に鋭敏な部分があったのかもしれないですよね。まるで目が見えない人が目が見えるように振る舞うことがあるかのようにね、足りなかった分何かこう人間も感じることがあったのかもしれませんね。
まあそんな過去にね、出来上がった治療体系が真球というものなんですけれども、ここがもう本当に解明されると面白いなと思いますね。
それにはやっぱり解明するにはね、一度完全に切れちゃってると思うんですよね、つながりが。その切れてしまったつながりを解明するにはやっぱり何百年という時間が必要なのかもしれないなーって思って。
まあ針球、非常に治療効果が高いので、体の方でね、何か困っていることがあれば近くの真球院に行ってみるのもいいのかなと思います。
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まあまたここでディスリが入りますけど、じゃあ全ての治療院で同じ治療が受けられるかといったらそうではないというのが、まあ現在の真球市の養成学校の問題であったり、真球市自体の卒業後の研修であったり、
まあそういうところが非常に不備があるんじゃないかなと思っているよ。で最後結局悪い方向で終わっちゃいましたけども、まあ今日はこれで真球市治療、いいよ、効くよ。で真球市やっぱりもっと勉強しろよっていうね、そこに行き着きました。