子供のコミュニケーション障害について
毎度、ごりです。どうもー。
令和5年5月5日。
5が3つ並んでますね。なんかいいですね。
まあ、東洋医学では奇数っていうのは、陽の数字というね、プラスの数字という風になってますね。
そのプラスが3つも重なるっていうのはすごく、2つでもね、長陽として、陽が重なるとしてね、遠々ばれるんですけども、
3つも重なればね、だいぶいいなって思っちゃいますね。
まあ、そういう東洋医学系の考え方ですね、時々しちゃいますね。
まあまあ、それはいいんですけども。
子供の日ということでね。
ゴールデンウィークでして、
里帰りでね、自分の兄弟が子供を連れて、僕からすれば老いっ子ですよね。
連れて実家に帰ってきたんですけどもね。
やっぱりね、これぐらいの年齢になってくると、自分が嫁に行った、都継で行ったところの親の介護の話とかになりますよね。
こっちは専門なんでね、いろいろアドバイスしたりとかしてました。
結構ね、目からウルコウ的なものだったみたいですね。
やっぱりこっちは専門なのでね、全くそういうところに関わったことがない人にポイントポイントでアドバイスができたと思います。
そんな中ね、昨日家族でご飯食べてたんですけどね。
うちの息子さんですよね。
コミュニケーションがあまり上手ではない。
嫌いとまでもいかないらしいんですけれども。
本人としては一生懸命話すんですけれども、そこまでこっちがそこに興味がないこともものすごい熱量で話をしてくるんで。
どんどん空回りしていくんですよね。
こっちが興味があまりないよっていう空気をやっぱり感じ取れないわけですよ。
そういうところに息苦しさというかね、息づらさというかね、生活のしづらさを感じれば改善ができるんだろうと思うんですけど。
これ本人感じないので、改善しようという気があまりないわけですよね。
ここが結構難しくてですね。
本人が興味があることで、今その時に目についたものをずっと喋っていくっていうのは、
昨日改めてわかったんですけど、私の母親ですね、そっくりですよ。
相手の気持ちなんかみじんも考えずにずっと喋っちゃうっていう。
しかもだいたい興味ないですよね。
興味がないか同じことをずっと繰り返してるっていう。
一言で言えばつまらないんですよね。
本当に話をしてると余計に身内なんで、余計にイライラしちゃうんですよ。
そこがすごく自分の母親と自分の子供がよく似てるなっていうのは、昨日は強く感じた。
そんな時間を過ごしましたね。
自分の母親と子供の性格の類似
参ったねこれっていうね。
なんで参ったかなって思っちゃったかっていうのは、
僕は以前どこかで言いましたかね、母親が苦手を通り越して嫌いっていうところなんですけど。
結局それはね、自分の話をまともに聞いてもらった記憶があんまりないわけですよ。
自分の思ったことだけを一方的にブワーッと言われて、
こっちがちょっと待って、僕の話も聞いてって言うと文句言ったって言われちゃったんですよね、子供の頃ね。
それがものすごくすぐそうやって文句言うって言われたんですよね。
文句じゃなくて俺の話を聞けっていうところなんですけども、聞きゃしないですよね、全くね。
それが似たような特性をうちの子供が持っているとなると、
うちの子供がね、もし将来子供ができても、
男なんでそこまで子供とずっと喋るかなっていうのはわからんですけども、
もし同じように勝手に喋ってたら子供はやっぱり僕と同じように定期発達に近いとしたら嫌だろうなと思います。
もしくは僕も何か偏っているのかもしれませんね、逆にね。
コミュニケーションに必要な下地の重要性
そういうものをね、昨日はすごく強く感じて。
これね、SSTやってたわけですよね、過去ね。
小学校の低学年の頃からずっとSSTやってましたので、
中学校入る前までかな、結構数年間はしっかりとSSTをやってましたね。
割とね、最初の頃に比べたら本当に格段に違うコミュニケーション能力が上がったなって思ったんですけども、
喋る語彙力が上がるにつれてさらに今度は自分の興味を相手にある意味上手に伝えられるようになってしまって、
伝えられるはゆえにもっと喋っちゃうっていうね、そこですよ。
僕は話を聞いてて、ある程度のとこまで行くと、そこまでの熱量は僕たちにはないな。
ただ、ものすごい好きなんだねっていうそこを、やっぱりそこの熱量を共感したいから、
もうちょっと基本的な情報をね、共有してからじゃないとわかんないから、
また今度一緒にテレビ見てみようかとか、ゲームしてみようかとかっていう話にはなるわけですよね。
全く相手側に話の下地がないところを、例えばアニメとかゲームとか、
全くゲームをやったことがない人に、しかもゲームに興味がない人に対して、とんでもない熱量で喋るわけですよね。
しかもこういうふうな面白さがあるから見てみたらっていうお勧めをしてくるんじゃなくて、
細かな情報を、あれは実はこうなんだよねっていう言い方をしてくるんですけど、
あれは実話っていう、あれ自体もわからないのに実話の話をされてもよりわからないわけですよ。
っていうところが本人の中で全然意味がわかってないわけですよね。
意味がわかってないわけですよね。僕が指摘してね。
なかなかそこが難しいところなんですよね。
楽しく喋ってるのはすごくいいんですけどね。
本当にものすごい空返事になっちゃうんですね。こっちもね。
ああ、そう、へー、うーん、そうなんだ、すごいね、っていう感じになっちゃうんですよ。
そのあまりの空返事っぷりがちょっと嫌、自分で。
どうなんでしょうね。もうちょっと子供の興味のあるものを知りたいなって思う気持ちがこっちにあるんですけどね。
それを突き抜けてわからないところの話をしてくる。
ちょっとでもわかったよっていう話をすると、それを踏まえた上でどんどん話が進んでいってしまうので、
全くついていけなくなっちゃうんですよね、すぐにね。
参ったなあ。なかなかですよ。
本当、学校とかでそれが通じる相手がいればいいなっていうところですよね。
同じような感じのほうがいればいいなと思いますけど、いらぬ心配なのかもしれませんしね。
経調の勉強
子供の世界、子供同士の世界では通じているのかもしれませんね。難しいところです。
苦しいなあ、苦しいなあって言ってるだけで、
苦しいのは自分と息子さんの間だけ残ってたので、
僕以外の人と社会生活を送るにあたって、そこすごい障害と言うところまでトラブルが起きてしまうんですね。
そういうのかなって言うと、そうじゃないのかもしれませんね。
学校とかで面談とかあるじゃないですか、担任の先生なんかとね。
そういう指摘がないんですよね。
例えば、授業中にどんどん話が突っ走っちゃうんですっていうこともないし、
お友達とのトラブルがあるんですよとかっていうことも聞かないんですよね。
だから問題ないのかなあと思いますしね。
やっぱり、経調をやられている先生も以前おっしゃってましたけど、
自分の家族への経調っていうのはすごく難しいんだっていうことをおっしゃったんですね。
その先生は自分の息子さんが自閉症で学校に通学できないっていう状況ですね。
登校拒否のような感じで。
息子さんがそういう状況になった時に、何とか自分たちが息子に関われないだろうかということで、
経調の勉強をしてね。
今では児童のフリースクールとかフリースペースみたいな、そういう活動をやられている先生がいらっしゃるんですけども、
その先生が経調のテクニックとかそういうのをずっとお話をされている中で、
本当にこれだけ私もずっと勉強してきて、延べで言えばすごい人数の子供の経調をしてきて、
でも自分の子供だけは最初のうちは頑張ったんだそうですけども、ある時からもう自分の子供の経調はやはり他の先生に任せてます。
いうふうに言われたのがすごいやっぱり記憶にあるんですけどね。
やっぱり親子だと、親子だから理解したいって思いがすごく強くなるっていうふうにおっしゃったんですね。
今自分でもだから、それを自分で今また口にしてわかりましたね。
親子だからこそより強く理解したいし、こちらの思いも理解してほしいわけですね。自分の子供にね。
親としての苦しさ
だから苦しいわけですね。僕はね今ね。
だからこの苦しさは自分が抱えちゃダメなんだというね、自己解決しましたね。
だからこうやって自分で喋るのも大事ですね。
やっぱりどっかのタイミングで、今こういうふうに親としては感じるところがあるので、一度見てもらえませんか。話を聞いてもらえませんかっていうところに行くべすきですね。
はい、それでは今日も息子さんが帰って参りました。終わりまーす。
ただいまー。
おまえなさい。