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グッドバイブス ミッドナイト楽座 by 倉園佳三
こんばんは、ただいま8月21日月曜日の午前1時40分です。 今日もですね、あの以前お話したクールリング、これを首につけて今収録しています。
これね、やっぱあの買ってみてね、わかったんですけど、結構やっぱ優れもんでですね、まあいろいろいいとこはあるんですが、なんといってもね、1回溶けた後に冷凍庫に、冷蔵庫のね、10分ぐらい入れておくだけで、もうカチンカチンに凍ってくれるんですよ。
だから、あの溶けてもね、すぐにこの復活してくれるというんで、めちゃくちゃ兆候していますね。さっきあの1本原稿を書いている間に完全に溶けてしまったんですけど、
その後ちょっとね、この収録の準備をしている間に、もうあの固まってくれて、ひやひやっとしたこの感触が首に当たりながらですね、部屋は相変わらず矢沢愛吉さんのスタジオぐらい暑いんですけどもね、なんとか収録ができています。
で、今日は週末にですね、2つのイベントがありまして、土曜日がボイストレーニング、そして日曜日が私と佐々木さんと矢部聖子さんでやっているオンラインコミュニティのね、グッドバイブスファクトリーというオンラインコミュニティの月1のグループセッションですね。
これはまあグループ相談会みたいな感じで、大体どのぐらいかな、いつも10人とか弱ぐらいかな、そのぐらいZoomに集まっていただいて、それぞれのね、お悩みとか相談したいこと、質問したいことっていうのをね、その場でこうやりとりしていくという、この2つのイベントを通してね、また面白いふとに同じキーワードというかね、同じ話が浮上してきましてね、これがとてもいい話題だなと思って。
しかも前回ね、この許すというお話を割と目一杯して、それにもちょっと関連しているお話なのでね、今日はこれをお伝えしたいなと思っています。
ボイストレーニングのワーク
まずはですね、土曜日のボイストレーニングは冒頭にですね、普段あまりやらないこのワークを1つ交えたんですね。
なんとなくその時の雰囲気というか、こういうことをやったら面白いなみたいなところを思いついて、ひらめきでやるんですけども、
要はね、この私のやっているボイストレーニングのゴールというのが、歌を歌うということはもちろん大切なんですが、それ以前にですね、この自分が自分に課している制限、これを外すというのをね、一番の目的にしているんですね。
これはもう本当歌ではとても大切なことなんですけども、これをもしなんとなくできたなという感じの実感が持てたら、要は人生全般に使えるわけです。
自分が自分に課している制限を外すというね、やっていいんだよっていうかね、もっと言っていいんだよみたいなそういう感じですね。
これを何か体得していただきたくて、僕はこのボイストレーニングをやっているというのがね、1つ目的としてはあるわけです。
で、そのためのね、自分が自分に課している制限を外すというのを実現するためのワークというのをね、思いついてやったんですね。
これが予想していたよりもうまくいきましてね。
これ初めてやった試みで、なんとなくこうやるとうまくいくんじゃないかなというのを思いついてですね、試してみたんですけども、なんか皆さんも実験台にしているみたいで申し訳ないんですがね、なんとなく確信があったので、これはやってみました。
最初にですね、今日歌う課題曲、もしくはその歌全般についてね、どちらでもいいので、自分が不安に思っていることというのかな、ここがもっとこうなってくれないかなみたいなね、簡単に言うと自分に感じている足りない部分みたいなことでもありますよね。
要は不安に思う部分、だからその自分に何か足りないなと思うから不安に思うという意味ではね。
だいたい同じ意味なんですけども、そのようなことを最初にお一人ずつ上げてもらうわけですね。
で、ある方がね、例えば私はちょっと音程に自信がないみたいなことを言ったとしますがね、要はいつもいい感じで歌えてるなぁと思うんだけども、後でこのビデオで見返してみるとね、随分とこの音を外しているところがあると、そういうことに気づいてしまうんだと。
だからやっぱりこの音程を何とかしたい、しかも今日もね、またちょっと音程を外してしまうんじゃないかみたいな不安がありますとかっていう発表をしてもらうわけです。
そしたらですね、全員で目をつぶります。
そしてその発表された方は自分の不安に対して大丈夫だよっていうふうに声をかけてあげるんですね。
大丈夫、大丈夫、そんなこと気にしなくても大丈夫だからっていうふうに声をかけるわけです。
で、他の人たちは自分も音程に自信がないな、不安だな、確かにそれ俺もあるわっていうふうに思ったら、その自分の中の不安に対して大丈夫だよっていうふうに声をかけるわけです。
で、もしね、私はそれはないなと思ったら、その発表した方に対して大丈夫ですよっていう思いを送るというね、こういうワークなんですよ。
割と僕はこれ面白いなと思っていてね、自分もあるなと思ったら自分の心に向き合う、そして大丈夫だよっていうこの声をかけてあげるね。
大丈夫ってどういうことだろうみたいな質問もあったんですけどもね、いやそのままでいいよ、歌えるよっていうね。
もっと詳しく言うと、あなたは必ず音程の問題に関してはクリアするんだと、いつかね、いつかクリアするんだと。
だからそのままの自分で今全く問題ないんだと。
もう音程が良くなることは決まっているのでね、そこを不安に思って捉えをするのではなくて、そこを足りないと思って歌を歌うのではなくて、
もう私が今はね、できてないかもしれないけども、音程よく歌えることはもう決まっているのでね、これは時間の問題みたいなもんですよね。
だから心配しなくていいっていうような意味での大丈夫なんですよ。
これを自分かもしくはね、自分の中にその不安がなければその発表した相手に向けてね、この思いを送ってあげるっていうことをやるわけですね。
これを一人ずつ回すわけです。
不安や不足への対応
次の方は例えばですね、高い声を出そうとするとちょっと喉がキュッと詰まるような感じがして、
そうするとなんかキーンという嫌な声が出る感じがして、これをあまり聞かせたくない人にとかっていうその不安というかね、不足を発表してくださるわけです。
俺もそうだと思ったら自分のそこを大丈夫だという。
いや僕はしかも今日はあまり高い声で出す部分ないしなとかっていう方はですね、その発表した方に向けて同じように大丈夫ですよっていうね、そういう思いを送るわけですね。
これをやって回していくんだけど、おそらくその音程とかその高い声で喉が詰まるとかっていうのは多分多くの方が当てはまるんで、おそらく私が予想するに大体この自分に向けて皆さん回してたと思うんですよ。
ここで最後にですね、やべセイゴさんに出てきてもらって、伴奏するにあたって今日セイゴちゃんが不安に思っていることは何っていうふうに聞くわけですね。
そうすると彼女は面白いことに、国権の重いキーっていうのがあるんですよね。
やっぱ発見よりも国権の方がやっぱりちょっと難しい感じがするじゃないですか。
キーも小さいしね、上の方にあるし、この国権が多いキーが出てくると間違ってしまうんじゃないかっていう不安が大きくなるっていうことを打ち明けてくれたわけですね。
これは面白いことにですね、この参加している方には全くない不安なんですよ。
なぜかというと皆さんピアノを弾きませんからね。
ここで初めてその参加者全員の思いがやべセイゴさんに向かうわけですね。
大丈夫ですよっていつもちゃんと弾けてるじゃないですか。
僕らの伴奏してくれてるじゃないですか。
これもね実はとてもプレッシャーのかかるその仕事でしてね。
最後に課題曲を仕上げで一回歌うってやつがあるんですよ。
この時多くの方がとても素晴らしい出来で歌い始めるので、もしここでやべセイゴさんが間違ってしまうとね止まってしまうんですね。
これビデオに撮ってますからこれ一発撮りみたいなもんなんで、特にね時々奇跡のような疑いを出し始める人がいてね。
うわこのテイクやばいぞっていう時に彼女はものすごいプレッシャーを感じながら間違えてはまずいという中で演奏してるわけですね。
だからまあちょっとしたこのレッスンの伴奏みたいなレベルではなくて、もう本当にレコーディングのこれ本当にOKテイクだよみんな間違えちゃダメだよっていうプレッシャーのかかるようなそんな場面によく出くばすんですね。
だからまあ当然だけどもこういう不安は出てくる。
やべセイゴさんのプレッシャー
これに対して参加者はこれは関係ないんですよ自分にはね。
そして初めてこの全員の思いがやべセイゴさんに向かうというねこの場面というのを体験するわけです。
そうするとここであることに気づくんですね。
これまでは自分の不安に対して大丈夫だよって声をかけていた。
でもおそらくそれはとても難しいなというふうに感じていたはずなんですね。
いや大丈夫って言うけどさ歌ってみたらまた音程外しちゃうかもしれないし声が聞いて鳴っちゃうかもしれないじゃんこれを不安に思うなって無理だよみたいな感じでね。
その大丈夫だっていう声に抵抗するというか抗うね。
これがまさに最初に言った自分に貸している制限なんですけどもね。
自分が自分自身に作っている思いというかな考えですよね。
判断解釈なのかもしれない。
これがヤベセイコさん大丈夫ですよって人に向けた時にいいとも簡単にできるっていうことに気づくわけですよ。
同じものなのにね同じ不安同じ不足なのになぜか自分と中にあるものにそれを向けるとものすごく抵抗があるんだけどもこれをその自分ではないね他の人に向けようとした時に何の抵抗もなく間違うかもしれないねセイコちゃんみたいなことは思わずに。
なんていうのかな本当にいやいや大丈夫ですよってこれ結構真剣に信頼してねこの思いを送ることができるっていうここにね気づくんですね。
これは非常に大きなことでやってることは同じはずなんですね。
自分か他の人かっていうのは違うんだけども無条件根拠もなしに大丈夫ですよっていうこの思いをね発せられるかどうかっていう点においては多分何にも自分と他の人とは変わってないんだけども他の人だといいとも簡単にできてしまう。
そして僕もやってみましたけどもねえっとすごくなんていうのかなものすごい厚い思いというかね大丈夫だよっていうこの思いをねグーッと心に抱いた時にねものすごく温かいものというのかなそれと同時になんていうか強さみたいなのも感じるこれを相手に送ってあげようっていうそういう心がね私に現れてくるっていうのがねわかるんですよ。
これを一度体験すると今その矢部聖子さんに向けたこの無条件の信頼というかね無条件のそのままで大丈夫だよというこの思いを自分に向けてくださいというふうにこう説明できるんですね。
これが最初からやってほしかったことなんですよ。
なるほどということでもう1回回すわけですね。
また違う課題を出してちょっと曲の部分でねとても難しいここが嫌だなと思っているとこがありますとよっしゃわかりましたじゃあみんなでいきましょうつってねその発表した方に向けるんでその発表した方は先ほどこの他の人に向けて矢部聖子さんに向けて心があったかくなるようなね強くなるようなこの信頼を送れたこれを自分に送ろうとしてやってみるわけですね。
そうするとえっと前からその最初にやってた時よりもちょっとうまくなるわけですよ大丈夫だのやり方がねなるほどこういう感じかこの人にやる時とのこの感じを自分に向ければいいんだなっていうねこれがわかるわけですねそして全員に回していってどうでしたかっていう感想を聞いたらですね面白いことに全員が力が抜けたっていう風におっしゃってくれたんですね。
緊張力力みみたいなものがスッと体から抜けてとても楽になっているっていうこういうことが起こったわけですね。
でこれは何をしたかっていうとですねこれがまさに自分を許すということなんですねこれが今日のテーマなんですよ自分を許す。
そしてこの同じテーマがですね今日このグループセッションをやった時にオンラインのねえっとグッドバイブスファクトリーのなぜかほとんどの相談話題がここに帰結したんですね。
なので今日はもう間違いなくこの自分を許すだなということで思いましてね。
これをもう少し具体的にそしてこのワークのやり方を使ってこの同じやり方でねこの自分を許すというこのお話をねしてみたいなと思います。
要はですね本当さっきのボイトレでもそうですけども僕らは日々自分にはこれが足りない自分はこれができない自分はここに自信が持てないというね。
要は私自身に不足を見てるんですねこれが足りないこれができないここに自信が持てないこれは不足ですよね。
だから僕はいつもこのイメージとしてね私のこの完全体みたいなどちらかと言ったら体ではなくて私というこの球体みたいなものをいつも思い浮かべるわけです。
でそれが綺麗な球の形をしているんじゃなくてねなんか虫食いがされたような欠けてる部分が多々あるというね。
場合によってはもう腰半分ぐらいなくなっている可能性もあるんだけども多くの場合はかろうじてこの球の形はキープしてるんだけどももういろんなところがねポコポコポコと欠けていると。
なんか美しくないなぁと綺麗な丸じゃないな綺麗な球じゃないなというそんな感じですね。
これが自分にはこれが足りないこれができないここに自信が持てないというこの自分に不足を見ている状態ですね。
不足を見ての全否定
でも僕らはですねこの不足している自分を見るというねこれをですねこのまさに努力の原動力とかねモチベーションかなそういうものにするように教えられてきたんですね。
ほらお前は今綺麗な球体になってないよなと足りないことがたくさんあるでしょうとだからもっと努力するんだよもっと頑張るんだよみたいなねまさにこの原動力ですねモチベーションにしなさいという風に教えてきたわけですね。
人はそのようにして完全な球体になっていくんですっていうような教えね。
これはちなみに私がいつも提案しているグッドバイブスの考えとは真っ向から反するわけですね。
私は生まれながらにして僕らは勝ちマックスつまり完全な球体を持って生まれてきている。
そしてその形は何があっても変わらないという風にお話しているのでね。
真っ向から反しているんですが僕らはそのように見るのではなくてねやっぱりこのできない足りない自信がないっていうのは欠けてんだよと。
だからそこを努力で補って丸くしていくんだよ。
それが人生なんじゃないかっていう風に教えられてきたわけですね。
これは多分現在でも大人になった今でも続いているし僕らは大いにそれを信じていますよね。
これはねよくこの話をする時には必ず私は言うんですけどそれでうまくいくんであればね全然問題ないんですよ。
私は繰り返しますが過去にも言ったことがあるんですが全くうまくいかなかった。
なんでうまくいかないんだろうっていろいろ探っていったらここに一つとんでもないものがあるんだってことがわかったわけですね。
これが罪と罰の仕組みなんですよ。
この不足を見てこれを努力の原動力にするとここはまあこれだけであればそんなに悪くないのかもしれない。
でもここに僕らは同時にですよ人生の中でね罪と罰の仕組みというのを採用して生きているという点をねこれを忘れてはいけないんじゃないかなと思うわけね。
要は意識しなくてもねこのように自分の不足を見た時僕らはもう自然と不足というのは罪だよね。
努力するのはその罰だよねっていうふうに見出してしまうんですね。
前話でねしかもこの罰とは攻撃だというふうにお話ししましたよね。
だからこの不足を罪と見た瞬間に努力するのは罰つまりこの罰はね必ず何らかの攻撃を取るということなんですね。
この攻撃という形になって自分に降りかかってくる自分自身で自分を攻撃するってことですね。
自分を攻撃せずにはいられなくなると言ってもいいでしょう。
しかもですねここでのその努力しなさいと不足を補う不足というのは罪だとだから努力するんだとそれがお前に与えられた罰なんだっていうこのやり取りというのはね目に見えないんですね。
自分の中でやってるからこれを人とやるんであればねえっと見てる人は何やってんだってこうびっくりすると思うんですよ。
何をやってるんですか倉田さんなんでそのなんとかさんに罰を与えてるんですかそれはひどくないですかみたいなことでね注意されると思うんだけどこれを自分に対して自分の中でやっているので心の中でやっているので自分にも見えないし他の人にも見えないんですよ。
これがねやっぱりものすごくね立ちが悪いと僕は思っています心の中でねこの自分に罰を与える自分を攻撃するということねんでじゃあそれをやっているのはよく言うこの2人の自分のうちどちらかもうこれは愛そのものである本来の自分であるはずがありませんねこれは前回お話したように本来の自分には罪と罰という概念はありません。
そして攻撃はしない。だからこれをやるのはもうかなり残酷な偽りの自分の方なんですよ。
愛そのものである本来の自分の真逆であるとても残酷な偽りの自分が自分に対して攻撃をするわけですね。
当然ですがねえっとそうなるともう的厳しいなんて言葉では表せないくらい酷い仕打ちをしてくるんですね。
これはもうもしかしたら最近では使われないかもしれませんが僕らの子供の頃にはスパルタ教育みたいな言葉があったんですけどもね。
おそらくそれ以上のことをやってもおかしくないですねスパルタなんて甘いよっていうぐらいのことを自分自身にやる。
これはなかなかそのそうですねこの全貌というのをね自分でこう自分に何をやってるんだっていう風なことをね見る機会がないと
えっとなんていうのかなチクチクチクチクチクチクチクチクやるのでよくわからないんですけどもね。
僕はこれをねやっぱりこうよく見てね自分がどのように自分を攻撃し何が起こってるんだみたいなことをやっぱり改めてね見る機会を自分で作りながら
ここはじっくりと観察したのでねこれは私の体験に過ぎないんですけどももしかしたら皆さんとも共通点があるかもしれないんでね。
私の場合どうだったかっていうのをちょっとお話してみると最初にですねこのまあさっきさっきまさに挙げたような自分がこれができない自分にはこれが足りない自分が自信がないというようなね不足を感じたとき
そしておそらくそれを瞬間もうその瞬間に私はこれは罪だっていうねそうみなして頑張らなきゃダメだぞっていうこの罰を与えようとしたときに何が始まるか。
最初にですね僕の体験では全否定が始まる感じがします。
過去の後悔と未来への不安
とにかくお前のやってることは何から何までダメなんだねこれをちゃんと自覚しろっていうこれをまず自分に言ってる感じがしますね。
まああの今はないのかもしれないんだけどもね昔はなんか学校とかでもこういうことを言う先生はいた気がしますね。
何から何まで今のお前はダメなんだそれをしっかり自覚しろみたいなことを言ってる感じ。
これを最初に自分でやってますね全否定でこの瞬間に僕はね世界の見え方っていうのがねパッと変わる感じがしますね。
最初はなんというかなこの彩度っていうのかな迷彩の彩というか彩りという字ねこの彩度が何段階か落ちてちょっと暗くなった感じがする。
でそのうち次第に色がなくなっていってね場合によってはもうモノクロになってしまったようなそんな見え方がしますね世界のね。
暗くて色がなくなるっていうのかなそれから同時にこの地球にある重力というのかなこれがもう何倍かぐらいに増えた感じがして体が重くなります。
そして不思議なことにねこの心のどこかにねなんかこの僕のエネルギーをこう無限に吸い取っていくような装置がこうつけられている感じっていうのかな。
もしくはそのエネルギー袋に穴が開いてどんどんこう外に逃げているどちらでもいいんですけどもね。
もうなんか黙って座っているだけでエネルギーが吸い取られていくっていうのはそんな感じがしますね。
そうするとどんどんどんどん元気がなくなってこの人生からね楽しさとか喜びが消えていくような感じがしてそうなるとなんとなく人と話したり関わったりするのが嫌になってきて。
以前お話ししたねこのドタキャンモードというのに入っていきますわね。
要は人との約束とかアポね。
それからその高いお金を出して買ったコンサートのチケットみたいなことを平気ですっぽかしてしまう。
要はやりたくなくなっちゃうんですね。
何もかもね。
何から何までダメな自分と言われたことによって僕は何もかもやりたくなくなっていくようなこの体調そして世界の見え方そして心模様に変わっていくということですね。
でそのまさに何から何までダメなんだとこの自分に言ってしまったね。
この自分を育ててきてしまったこの私というのから私がこの自分を作ってきたのでね。
この過去をものすごく食い食えるような感じがしますね。
後悔してる。
何やってたんだっていうね。
嫌な記憶は山ほど蘇ってきますね。
ふとした瞬間にね。
なんかどうでもいいようなこの失恋した場面とかね。
それから過去の仕事の現場でやらかしたこととかね。
失敗。
それからここで頑張ればよかったのに遊んだなみたいなこととかね。
そういうものが山ほど蘇ってきて。
これは夢にも出てきますわね。
まさに悪夢なんですが。
この過去を食いるということとはこのセットになっているんですが。
まさにこの過去への後悔とそれに幸をするようにね。
未来にこれっぽっちも希望が持てなくなるんですね。
これはとても深刻でね。
もうその僕ぐらいの年になるともっと前かな。
もう将来の不安とか老いる不安みたいなものが怒涛のように押し寄せてくるわけです。
そこにさらに自分がね。
時間がないから急げみたいな追い打ちをかけるわけですよ。
何とかしろって言ってるわけですね。
そんな自分に対して。
自分を攻撃する罰と解放
やっぱりこれをね。
僕は聞くたびに自分でやってるんだけど残酷だなっていう感じがする。
でも何とかしろって言って。
分かった何とかしなきゃやばいよね。
本当に一刻も早くだよねって思うんだけど。
頭は全く働かないし。
何か思いついてもね。
もうすでに何から何までダメな自分という楽に押されてますからね。
その自分が考えついたアイデアなんてうまくいく気が全くしないわけです。
もうここら辺でも相当やばいんですけどもね。
自分の中にあるものが信じられないとすれば。
外にある情報に頼るしかないですよね。
そしたら本を山ほど買い漁ったりとかね。
まさにこの勉強会に通いまくったりしたくなるわけですよ。
これはやる場合とやらない場合がありますね。
やる場合とできない場合かな。
もうとてもじゃないけどやらなきゃならないと思いながらも本も読めたくないわみたいな時もある。
だから本が読めたりするときはまだマシなんですけどもね。
でもじゃあたとえその本を読んだとしてどうなるかと。
そこには当然ですけどもね。
さっき私が食いた過去というのかな。
その過去の自分がやらなかったことばかりがそこの本には書かれてあるわけですよ。
それを読んで今からこんな風に自分を変えられるんだろうかとますます不安が募ってくるわけですね。
こんな状況に僕は落ちる。
まだまだこの先続きをしゃべろうと思えばいくらでもできるんですが。
もうこの辺でやめておきますね。
これでもちょっと言い過ぎたかなという感は否めない。
このぐらいにしておきましょう。
要はこのようなことが不足を見た自分に与える罰だということなんですね。
こんなことを続けていていいはずがないと私は思うわけです。
だからその意味でもね。
私はこの自分の心の中で行うね。
この罪と罰の衝動というのかな。
少なくともここからは完全に解放されていきたいなと思っているわけです。
だから今お話したようなね。
とても残酷な周知というのかな。
これを自分にし始めたっていう風に気づいたらですね。
どれだけその不足があろうと自信がなかろうとできないことがあるよな不安だなと思ったとしてもね。
無条件で大丈夫だよそのままでいいよっていう風に自分を許すということをね。
やっぱり私はする方がいいんだろうなという風に思うわけです。
なので今あえてね。
どんな状況に陥るかみたいなことを僕の経験からお話したのはですね。
もしかしたらそのような同じような感じを今味わっていませんかというね。
そういうなんかこのチェックポイントにしてほしかったんですね。
ああそんな感じで世界が暗くなってるとかね。
体が重力を何倍も感じて重くなってるとかね。
なんかもう人と話したくなくなっちゃってるよなとか。
何をやってもこの自分が考えたアイデアだったらうまくいく気がしないよみたいなことをね。
もし感じているとすれば。
それは僕は間違いなく自分自身を攻撃している結果だと思うわけですね。
これは罰なんですよ。
自分を責めている自分への罰なんですね。
だからこれをやめるために前回お話したようにこの罪と罰は夢を見ているのと同じなんでね。
ここから自分を脱出させてあげるというかな。
解放してあげるためにも最後のここで自分を許すという夢を見るわけですね。
でこの具体的な方法として今日ね先ほど冒頭でそのボイトレのやり方っていうのかな。
これを一つね私は発見したのでそれを早速紹介したいわけですね。
要は人がね自分以外の人がこのこれは私の罪だと思っていることを許すのは難しくないってことなんですよ。
あの前回の許すわねえっとその自分が攻撃をされているというこの感覚がある上での許す話なんで非常に難しかったんですが。
えっと今回は違うんですねえっと私を攻撃しないんです。
この罪はねえある人の例えばヤベセエコさんの国権が不安でたまらないというこのそのように国権をなんか引きこなせてない自分みたいにそこに罪を見ている。
これは私を攻撃しないのでねいやそれは罪じゃないよって許すのはとても簡単なんですよ。
ここにもねえ実はその罪と罰が夢だというね一つの根拠もあるんじゃないかと私は思うんですがね。
要は例えば誰かねえ自分以外の人が割と深刻にね私にはこれが足りないんですよみたいなことを言ったとしますよね。
その時僕らはですねえいやそれはその人の思い込みだってことにねえっとすぐに気づけるわけ。
自分の不足を許すワーク
そして俺の目から見たら全く問題ないよみたいなことを簡単に言えるわけですね。
不思議なんですよ。
だから先ほどのねこの矢部聖子さんの国権問題みたいなことにいやそのままでいいよっていう思いをね本気で送るのはものすごく簡単難しくないんですね。
でもこれを自分に向けようとするとほぼ不可能なくらい難しく感じてしまうここが不思議なところなんですよ。
これはなぜかこれは簡単ですよね。
自分がそれを罪だと信じているからなんですよ。
僕らが他の人がいや私これ足りないんですよって言ってるのを見ても多分それを罪と見なさないんですね。
ここが面白いんですよ。
でも自分がそう思ったらそれはもう間違いなく罪だというふうに信じてしまうのでこれを許すのがものすごい難しい感じがするんですね。
まあ要はあのどうやって許せばいいのみたいなところすらわからないっていう感じがする。
だから先ほどのね冒頭にお話ししたボイトレのワークを使ってみるわけですね。
だって人の足りないはそんなことないよって言えるのに簡単にね自分の足りないは許せないって思うのはおかしいですよね。
この矛盾というかねこのおかしいぞっていう感じもこのワークによってね気づけると思うのでよかったらやってみてください。
最初にですね家族パートナー友人かなこの辺り親しい人この辺りからとても大切な人を一人選びます。
まあそうですねお子さんとかいればお子さんが一番いいんでしょうね。
それからまあその熱烈な恋愛中であれば恋人でもいいでしょう。
それからまあ今回のねボイトレで僕らがやったヤベセイコさんのようなねまあちょっとこう仲間というかね大切な仲間みたいなものでもいいと思います。
一人選びます。
そして相手が決まったらねその彼とか彼女この人がおそらくいつも口にするね自分を否定する言葉みたいなのがあると思うんですね。
これを思い出してください。
もしなければね中にはこういうことを口にしないという人もいると思うんでなんとなくこういうことを感じてるんじゃないかなみたいな想像でもいいです。
とにかく大切な人を一人選んでその人がよく口にする自分を否定する言葉これを思い出すんですね。
まあおそらくさっき言ったようなことでしょう。
私にはこれが足りないのよ私はこういうことができなくてね私はこういうことが本当に苦手で私はこういうところに自信がなくてみたいなことなんですね。
何でもいいから自分を否定する言葉聞いたことあるなーってやつを思い出してください。
言わない場合は想像でも構いません。
こういうこと思ってそうだなーみたいなそんなんでも大丈夫です。
ここで目を閉じます。
そして相手の顔を思い浮かべながらねえっと結構真剣にやりましょう。
心配する必要はないよ。
あなたはそのままで大丈夫ですよっていうこの思いを送るんですね。
どのぐらいかな1分か2分ぐらいでいいかなと思います。
10秒とかだとちょっと短いんでね。
それなりに後その自分の送っている思いがどんな思いかっていうのを確かめられるぐらいの長さをとってください。
心の中にあるな心配しなくて大丈夫だよ。
あなたはそのままでいいんだよっていうこの感じね。
これがまさに許すということね。
そのままでいいということは何も変えなくていいと言っているので罰を与えてないんですね。
大切な人に許しを送る
罪はないよと言ってるわけ不足はないんだよっていう意味でもありますよね。
まあだからえっとセリフは何でもいいですよ。
要はそのままでいい。
大丈夫心配するなとそんな感じであなたは何も不足してない。
こんな感じのことをこの思いかなこういう思いを送ってください。
これで自分の心がどうなっているかっていうのを感じられるぐらいの長さ。
おそらく1分から2分だと思います。
これはねさっきも言いましたけどすっごい簡単にできるだってことがわかると思います。
しかもじゃあその心の中に何がある。
多分強くて温かいもの。
これがねグーッと心に沸き上がってきていますよ。
これこそが僕がいつもお話している愛でありね。
そしてこれが許しなんですよね。
そしておそらくこれはその思い浮かべた相手と一つというこういう確信でもある感じがします。
そして何よりもその思いを抱けているその私が本来の自分なんですね。
ここで間髪入れずにその目を閉じたままその抱いた思いそれを自分に送ってください。
心配する必要はないよ。
お前はそのままで大丈夫だよっていうね。
これがこのワークのね全貌です。
まずは相手に送る大切な人に送る。
この気持ちあったかいなあついな強いなっていう感じがわかったらそのままそれを自分に向けるということです。
これが自分を許すということね。
同じように言ってください。
あなたに不足はないですよ心配しなくて大丈夫そのままでいいんだよっていうような感じね。
でここでもねいやなんか自分になるとできないっていうことをその感じたらもう一度ね先ほどお話したこの足りないできない自信がないっていうね。
他の人が言うこのセリフに関しては僕らはいやそれはその人の思い込みだよねっていう風にね見ることができるんだっていう事実。
これを思い出しましょう。
そしてその今ね大切な人を思い浮かべたその人に対してその人が思い込んでいるね足りないできない自信がないこの判断よりも私のこの思いの方が真理に近いと信じたはずなんですよ。
大丈夫だよっていうこのねこの思いの方が多分真理に近いんじゃないかっていう風に信じられたからおそらく無条件でそのままで大丈夫っていう風に断言したはずなんですね。
これを思い出しましょう。
なるほどなるほどこれ今一人でやってから大変なんだなとまず思い込んでいる俺がいるとそしてそれを罪とみなしている自分がいると。
でもこれが他の人だったら僕はいやそれは思い込みですよと僕から見たら全然問題ないそのままで絶対大丈夫だからっていうこの自分の思いにねどれだけ自信を持てていたかこれはおそらく真理だと確信してそのように言ったはずなんですよ。
しかも無条件でねそのままで大丈夫って断言できたこれを思い出すんですね。
これを自分にできないはずがないとこの同じ見方を自分に向けられないはずがないとこのように受け入れてねできればですねさらに私は自分のすべてを肯定するっていうねこれを繰り返し繰り返し自分自身に言ってあげてください。
自分への贈り物ですね私は今このままの自分を完全に肯定する全肯定ということです。
でなんでいやそれはもう今までお話した通りです他の人が大切な人がね私はダメなのよって自分を否定しているそこに対して僕らはねいや大丈夫だからって言えるんですよ確信を持ってね。
自分を全肯定する
あ、だったらこれを自分に言っても何の問題はないよなっていうこの感じこれをやってみてください。
まあこれもねあまり理屈で解こうとせずに私が今その手順をお話した通りのことをやってみるのが一番いいと思います。
まずは人にやる。
そしてこれなんか熱いあったかい思いが俺の胸の中にあるなっていうこの感じがわかったらねこれをそのまま自分に向けてみる。
そして何が起こるかというのを試してみてください。
でここでもうねえっと言わずもがらなんですけどもいやいやそんな簡単にね自分の不足を許し許してしまった努力とかしなくなるんじゃないっていう声が聞こえるでしょう自分の中からね。
僕らはこれに随分と玄幕されてきたわけです。
まあ騙されてきたと言っても僕は過言ではないと思っているぐらいですね。
ぜひこの先ほど私がねあえてちょっと嫌な感じでいたったんだけど長々と話したねこの自分に与える罰の残酷さを思い出してください。
こんなねひどい集中を自分にすることがね自分を良くする試みであるはずがないですよね。
僕はありえないと思いますね。
でもしね修正したいこととかね上達したいことがあったとしたらまあこれはあるでしょうね。
あるから僕らはこれをね不足と見てそこを責めながらねこれを原動力モチベーションにしようとしていたんだけどもちょっと待てと修正したいこととか状態上達したいことがあるんだったらなおのことこのままでいいと肯定してから挑む方がうまくいくんじゃないかっていう風に考えてみてほしいんですね。
これはですね変な例えですけどもなんかこの道端に落っこちてる何が出てくるかよくわからない怪しい塊みたいながあったとしますよね。
それ拾ってきてこれ磨いたら何が出てくるんだろうっていうねこれをやりますかって話。
一方でこれはダイヤモンドの原石なんですよあげますよ磨いてみてくださいと言われたらそれを磨きますかどっちを真剣に磨くかっていうことなんですよ。
これ何が出てくるかわからない怪しい塊とねいやこれはダイヤモンド出てくる原石だよっていうことがわかっているこの石とねどちらを真剣に磨くか。
これはもう当然ダイヤモンドの方ですよね何が出てくるかわからない怪しい塊を真剣に磨こうとは思いませんよね。
だからおそらくそのように自分をみなしてしまった瞬間にお前は全部ダメなんだよとそれを自覚しろみたいなことを自分に言った瞬間に多分僕らはこの磨くというモチベーションは本当は失うはずなんですよ。
でなんかこれもね最近よく言うんだけどちょっと古い感じがしますよね。
この自分に不足を見てねそれをモチベーションにして原動力にして努力しろっていうこの教えはねどうもこの方やっぱり去れてしまっていい教えなんじゃないかという感じがします。
もっと優しくていいんですよ多分トレンドはそちらに行ってると思う。
そして多くの若い人がねえっとそのようなその不足を見てこれを罰と見て自分に厳しくするみたいなそういうものに強い抵抗を感じるような方向に行っているんじゃないかなというそんな感じがします。
だからもっと全然優しくていいんですよ本当に許すよ大丈夫でそのままでいいんだよって言いながら磨いていくんですよね。
こちらの方が多分この時代にも合ってるしそして多分僕らの本性にも合ってるはずです。
これは不変の本性という意味でねトレンドとかそういう意味ではなくて本当はこちらの方が良かったんですよ。
そんなふうに僕は確信していますね。
実際にこのボイトレを通してこの1回ねこの許しをみんなでやって力が抜けて取り気味が取れてねそして緊張がなくなった後面白いことにその最初に皆さんが挙げてくださったこの不安とかね自分に足りないものこれが最後の歌で随分と解消されたんですね。
不思議なんですよたったね30分とか1時間のレッスンでねそんなにうまくなるはずがないんですね実際にはねでもこの不安とかね自分に見ていたこの不足とかねそして場合によってはこれが罪の意識ですよね。
まあこれはそうなっていると思うんだけどもそして自分を責めていたこの縛りですねこの自分に貸していたものここから解放されることによって実はその問題の多くがね解決してしまうということをまあ目撃するわけですね今回も私は目撃しました。
だからきっとこれはね悪いことはないはずです。
さっきも言いましたけどもね修正とか磨きたい上達したいというのは全肯定して許した後にやる方がきっとうまくいきます。
そして多くの問題はね繰り返しますがここを手放した瞬間に許した瞬間に実は解決するんですよね不思議なことにね特に自信がないなんてやつは許した瞬間に自信が戻ってくるんじゃないかと思うぐらい速攻で解決しますよね。
なのでちょっと良かったらこれをやってみてください自分を許すワークですね一人でできますからねで私は何かあるたんびにこれをやっていますもう相手に送るみたいなことはやらなくてもなんとなくその感じはわかっているのでね自分に対して自分こそ本当に大切な存在なんだそして自分こそ本当に愛すべき存在なんだこれを強く抱いてそして大丈夫だっていう声をかけるんですね。
そうすると先ほど列挙したようなこのモノクロームの世界から僕は脱出することができるそして思いついたことを何をやってもうまくいかなそうだなというこの心象というかなこの幻想の中から抜け出すことができる。
要はフェニックスのように生まれ変わることができるわけですねそれぐらいのパワーがあるので何かうまくいってないなとかねどうもダメだなという感じがしたら苦しいなと思ったら自分を許すというトライをねここを真剣にやってみてください。
前話もねお話ししましたけども私もこの誕生日の前にねずいぶんと真剣にこの取り組みを続けました。
で面白いことにねこれをやればやるほどこの自分を責めてしまうというね自分を罰してしまうというこの習慣からねどんどんこの抜け出せる感じがしますねそういうことを次第に次第にしなくなっていくというね多分あのいいことしかないので本当にお勧めしますんでよかったらやってみてください。
そんな感じですかね。
であと20日ほどかな9月の10日から私と佐々木さんとねまた同じメンバー矢部聖子さんの3人でやっている執筆講座のね第9期書き上げ塾というのが始まります9月10日からですね。
これはまさにね今日のお話と同じくこの自分を許すということをしないと文章本というのはねなかなか一冊書き上げるのは難しいですね。
自分を表現する言葉
まあ歌もかなり大変なんですけども文章はね言葉を使って自分を表現しますからね。
この言葉の端々にですねこの不足感とか足りない感とか自信がない感とかね言いたいことが言い切れない感というのはどうしても出てきてしまうわけです。
だから私はいつもですねこの書き上げ塾というのは半年かけてですねこの自分を開放していくというのかな。
自分に貸している制限をどれだけ取っていけるかというそういうトライだと思ってるんですね。
で多くの方がですねえっとそれに成功していますし本当に書きたいことが書けるというようなことを経験しているんですね。
これは人生にとって素晴らしい喜びだと思いますのでよかったらぜひトライしてください。
文章を書くのが好きだもしくは文章を書いてみたいと思う方はですねぜひやってみてください。
じゃあ今日はですねこれはとても大きなトライになると思うんですがもうまさにこの1日かけてですね私は自分のすべてを肯定するというのをやってみてください。
このためには自分を許す必要があります。
許しながらですね何もかも完全に肯定するというのをかなり真剣にやってみてください。
無条件ですねこれは条件なんてつけていたらとてもできることではありません。
多分一生かかっても無理です。
そうではなくて何をできるか何を成したかどんな結果を残したかそういうことではなくて存在としての自分ですね。
これは全く罪のない無垢な自分なんですね。
これを思い出すためにこちらは現実です。
これを思い出すために自分を許すという最後の夢を見てね私のすべてを肯定するこれをやりながらいい1日をお過ごしください。
ありがとうございます。