1. グッドバイブス ミッドナイト楽座
  2. 130 自分を苦しめる思考に頼る..
2023-06-09 49:37

130 自分を苦しめる思考に頼るのはやめて本来の自分に平安な答えを聞く

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今日は、3つのシンプルなワークを交えながら「考え」がもたらす負の影響を認識し、思考を使う代わりに本来の自分に最善の答えを聞く方法について話しています。番組でお知らせした執筆レッスンとJazzin' Workのお申し込みはこちら→ https://goodvibes20230610.peatix.com https://goodvibes20230601.peatix.com

情報発信とコメントの双方向性の欠如
グッドバイブス ミッドナイト楽座 by 倉園佳三
こんばんは、ただいま6月9日金曜日の午前2時27分です。 今日はですね、あの珍しくというのも変なんですけども、この番組にね、あのコメントというか感想が寄せられましてね。
これをちょっと最初に紹介したいと思うんですが、その前にですね、この私はそうですね、この情報インターネットを使った情報発信というのは、どのぐらいかな2002年ぐらいからね、やっていまして、もちろんその前はインターネット雑誌の編集をやってたんでね。
仕事自体が情報発信だったんだけども、これはあの紙のメディアだったんでね、このネットを使って、そして個人としてね、情報発信しだしたのが2002年ぐらいなんですよね。
で、それからもう多分ブログももう多分10個はやってるかなという感じがします。
最初の頃はね、なかなか続かなくて、で一つ、割とね、こう見ていただけたというかね、それなりのビュー数というのがあったそのブログでゾノスタイルっていうのがありましてね。
これはもうあの一つアクシデントで消えてしまったんですけども、もうこの世に存在しないんですけどね。
これはガジェット系とかクラウドサービスとかね、今で言うとライフハック系とかになるんだけどもね、私はあまりその自覚がなくて、自分が好きなハードウェアとかね、それからサービスみたいなものを紹介していたんですが、こういうブログをやってたし、
あとグッドバイブスのね、ブログももう300以上書いてるし、今でもその、まあこちらは有料なんでね、ノートの今日のグッドバイブスとかね、あと最近新連載で始めたザ・ギフト、そしてこのポッドキャスト番組ね、あとはYouTubeもまあそれなりにやったし、
あのバンドのライブみたいなのもね、結構な数上げてたんですが、でまあこれにソーシャルメディアの投稿とか、いろんな情報発信がありますよね。で、どれも例外なくですね、まずコメントがつかないという特徴があるんですよ。
なんていうのかな、もう一言でシンプルに言うと絡みにくいんでしょうね、きっとね。なんかこのコメントしにくい感じというのがあって、それでもね、あのフェイスブックとかは時たまね、あのポツポツとコメントをくださる方はいらっしゃるんだけども、まあそれでも月に1回あるかないかみたいな、そんな感じなんですよ。もうこれは私は自覚していましてね。
まあ多分私の何か、何かがコメントしにくい雰囲気をね、かもし出しているんでしょう。まあ時々気になってね、何を改善すればいいのかなとか、あのちょっとこう考えたくなる時もなくはないんですけどもね、まあでももう多分変わらないだろうと思っていて。
そもそもあのグッドワイフスファクトリーというね、いわゆるオンラインコミュニティにしてもですよ、私の投稿に余ずコメントがつくことはないのでね。
このコミュニティの運営をしている立場でね、コミュニティに情報発信をしておきながら、そのまるで反応がない人がですね、この一般のなんていうのかな、この平場、平場のコミュニティっていうかソーシャルメディアとかね、この情報発信でコメントがつくはずがないっていう。
まあここはもうなんか開き直ってるっていうほどのことではなくて、まあ仕方ないなと、俺というのはそういうものなんだろうなという感じでいるんですけどもね。
だからこういうふうにコメントがね、一つでも来ると、もうちょっとこう、何ていうのか、もういい気になってここで読み上げたくなるというかね、レアケース、レアケースなんですよね。
今この話をして思い出したんですけど、そのゾのスタイルにはね、まあ結構いいコメントもいくつかあったんですけどもね、ほんとポツポツで、今でも覚えてるのが2つあって、最初ね、デスマス調じゃなくてね、何とかなので何とかだよねみたいな、こういうラフな感じで書いてたんですよ。
そしたら、タメ口うぜんだよっていうコメントが一つつきましたね。
それからデスマス調に変えて、そのね、そのコメントでちょっとショックを受けてね、そうなんだ、タメ口うぜんだとか思って。
まあというのも、その情報をね、見に来てくださる読者なんですよね。
おそらくその方たちはね。
だから来てくれていて、で、この情報を読みたいのにそのこのタメ口気になって、もうなんか集中できないよみたいな、そういうのであればね、別に僕はタメ口にこだわってたわけじゃないんで。
そりゃ申し訳なかったなっていうかね、なんつーのか、このお店対そのお客さんみたいな感じでね、ちょっと椅子硬くない?みたいな。
わかりましたってクッション引くみたいな、そんな感じ。
そんな感じでタメ口やめたんですよ。
したらその後デスマスに変えた後に結構ね、この私このポッドキャスでもほとんども何とかですよね、何とかですよねってこう念をつけるね、そういう癖があって。
あのリスンとか読んでても、あのこのポッドキャストなんつーの文字起こししてくれるサービスでね、リスンというのに登録してるんですけども、文字読んでももう大体何とかですよね、何とかですよねって言ってるんですよ。
で、これをあの文章でそのように書いてた時期があるんですね。
このタメ口期、初期のタメ口期の後に第2期デスプラスネの時期があって、したらもう即座にね、あのすいませんって今度は丁寧だったんですよね、タメ口ウゼンだよみたいな感じじゃなくて。
大変申し訳ないのですが、私はこの倉園さんの園スタイルをいつも楽しみに配読させていただいております。
ただ一つだけネが気になって気になって仕方ないんです。
申し訳ありませんがこのネをもう少し減らしていただけないでしょうかっていうコメントが来たんですよね。
だからもうそっから先はもうほとんどネはもう一切封印しましたね。
封印しましたねなんですけど。
で、変な話ですけど、書き上げ塾でもネはあまり使わない方がいいですよみたいな。
これは私がそのように指摘されたのでね。
ネっていうのは文章に使うと相当ある種の印象が湧くんですよね。
ネと言ったんで喋りにもちょっと意識がいきましたけども。
そんな感じでちょっと前書き長くなりましたが、そんな私のコメントが少ないやり取り、ほとんど双方向にならない。
おそらくこれはですね、いわゆるソーシャルメディアマーケティングとかしている方にとっては相当良くないやり方。
グラソノさんそれはまずいですよ。
考えを手放すことの重要性
それからまあまあ下手くそみたいな感じかな。
あのやっぱちょっと下手くそですねみたいなそういうことになるんだろうけども。
私はですねここをもう今更あの投稿するつもりは全くないのでね。
もう慣れていますからねコメントは来ないというんで全然いいのでこのまま行こうとは思うんですが、
あの来たものに関してはねやっぱりちょっとこう読ませていただこうかなと思います。
一昨日グラゾノさんのポッドキャストをBGMに残業しました。
終わる終わらないの答えを持たないようにすると残業にすっと取り掛かりました。
レポートを書きながら時間かけてるなと思いました。
しかし視点を忘れて過ごす視点というのは始まりの点ですね。
視点を忘れて過ごすとポッドキャストから流れてきます。
耳を傾けているうちに今はどれだけかけてもいいんだったと自分を責めなくなっていました。
一つレポートが終わった時聞きながらやったから思っていた以上に時間が経ってたなとがっかりしかけました。
でもちょうどポッドキャストから終わったことを忘れて暮らすやら過去を自分の価値と見るのをやめると流れてきます。
聞いているうちにまた自分を責めることを忘れていました。
その結果初めて全く疲れを感じない残業になりました。
本日も頑張って終わったことは忘れるを実践しながら仕事に向かっております。
本当にありがとうございます。
こういうお便りだったんですね。こちらこそ本当にありがとうございますですよ。
嬉しいですよね。お役に立ててよかったなというそういう感じ。
今日はここから始めたいんですね。
これはつまり何かというと簡単に言うとこの支点を忘れて過ごすというのは支点について考えないということですよね。
時間かけてるなと思った時にあれこれいつから始めたんだっけというこれは考えの中に僕らは保存しているわけだからこの始まりの点を考えない。
そして思った以上に時間経ってたなとがっかりしかけたんだけどこの終わったことを忘れて暮らすこの過去を自分の価値と見るのをやめるつまりこれは終わったことについて考えないってことですよね。
この考えないということによってなんと全く疲れを感じない残業になったわけですね。
このお便りによると一瞬考えかけてそしておっととってたまたま僕の番組でそういうメッセージがいいタイミングで流れてきておっととってやめようって考えを手放したってことなんですよね。
だからここにはとても大きな僕がお伝えしたい大きな答えがここにあるということなんですよね。
ここにあげていただいているお話は多分この最近の5話ぐらいのねちょっとまとめてこのgood vibesの本質に迫るようなお話をしたその内容なんですけどもね。
でも面白いことになんかこの話をまあいろんなことでこう複雑にねお話をしたんだけども複雑じゃないかな。
ちょっとこうややこしい話同じかなまあいいやそれをお話したらこの考えないというね原点のところこの考えないはgood vibesの取り組みとしては本当に第一歩なんですね。
ここに戻ってくるというこれがなんか僕がいつもこのイメージしている螺旋階段のような同じとこをぐるぐる回る回りながらねもう一度その原点に戻りながらおそっかそっかつまり考えないということなんだなっていう風に。
このいろいろに複雑に絡み合った話をシンプルに戻すっていうねこれが重要なんですよね。
でもこの考えないければいいんだそっかって言ってこれを取り組んでいるといつしかそのなぜ考えない方がいいのかなっていうことを忘れてしまうんですよ。
僕らはそのまあこれが今日のテーマなんですけどもね考えるということをすごく頼りにしながら生きてきてますから。
ついついこのもともとの習慣の方にグーッと引き戻っていくんですね。
これはよく私はその利き腕を変えるのに似てるっていう風に例えるんだけどね。
原点に戻り考えをシンプルにすること
右利きでいた人がその左利きに変えようとした時にまあこれはあのよくスポーツ選手とかでねえっと左打ち右打ちみたいなんでこう変える場合があるんですよね。
こういう時にえっとやっぱりこう持ち慣れた利き腕を使わないでずっと左手を使っていないとやっぱりこう変わらないんですよ利き腕というのはね。
でもなんかものを書こうとか食べようとかっていう時についついもう急いでいるときはもういいえ今回右で行こうつってこって右に変えてしまう。
そこでグーッとかましていやここでも左を使え使わないとダメよねって言ってこの左をキープしとくって変えたい方の利き腕を使うようにするというこの取り組みが考えを手放すに結構近いんですよ。
どうしても困った時にこの考えに頼ってしまうっていう方にこう流れていくとえっといつの間にかね忘れてしまってまたついつい考えて疲れてしまうというところに戻っていくんですね。
それはそういう流れの中でだんだんだんだんこういやなぜ考えない方が良かったんだろうかっていう話を繰り返していくとこの話はどんどん深くなっていくので最近お話ししたようなねこの視点を忘れるとか過去の自分の価値を見るのをやめるとかそういう話に発展していくわけね。
でもそれはやっぱりこう複雑ちょっと入り組んだ話になっているんで日々の取り組みとしてはもう一回グッとシンプルな方に戻し考えを手放すというところに持っていく方がベターなわけですよ。
だからまさにこのねお便りによって僕はこちらに今導かれているわけですね。
素晴らしいこれがまさにコラボレーションだからやっぱりあのコメントがつくようにした方がいいということなのかなみたいなね。
まあいいでしょう。
まあとにかくですねまずはこのお便りをいただいたねこのリスナーの方本当にありがとうございます。
引き続き頑張ってねいいお話をするように心がけますのでね。
よかったらまたBGMにしてください。
で今日はねだからそんなわけで1回原点に戻るんですね。
考えというテーマ考えでどこから行くかというとその僕らはですね。
えっと発言とか行動これにはおそらくね十分すぎるほどこの慎重になっているはずなんですね。
まああのとにかく例えば人と一緒にいるときまあこれはもう本当に家族であろうと親しい友人であろうとね。
自分を傷つける考えの罠
まあ職場のようなちょっとソーシャルな場であろうとね私がどんな行動をするか私がどんな発言をするかね。
これをなんていうのかな気の向くまま気の赴くままに自由自在にしてる人ってのはまずいないと思うんですよね。
これはしっかりと見張っておいていやいやここでこういう発言はないでしょうとかいやここでこの行動しちゃダメだよねみたいなことをね。
やっぱそれなりにこう自制するというのかな自重するというかやってるはずですよね。
今特にねこの空気を読めようみたいな時代ですから多分ここには相当みんな慎重になってるはずなんですよね。
じゃあ一方でこの自分の考えはどうだっていうねこれをちょっと振り返ってみるとおそらくほとんどこの注意を払わないでね野放しにしてるはずなんですよ。
なぜならばこの発言や行動というのは即座に結果を生みますよね。
私がこの発言をしたから皆さんがこんなことを感じてこんな風に取る受け取るとかねこの行動を見た人たちがなんだかのその僕を僕の僕に対して感じたりその判断したりするわけだから結果を生むわけですね。
なんかこいつムカつくなとかこいつ嫌な奴だなとかって思われるとかね失礼じゃないかみたいな結果が生まれるわけですよ発言や行動にはね。
でも一方の考えはそのように形として外に現れませんからね悟りみたいな人でもいない限り僕が何を考えているかバレないのでまさに誰にも見られず形として外にも現れないという理由でねこの考えは僕らは野放しにしてるんですよね。
でもここがここがその最初の一歩なんですよそんなことはないと考えほど僕らの人生にね多大な影響を与えるものはないという風に認識しておくことが大切なんですね。
これはもう僕はそうだな発言とか行動以上にねこの自分の考えというのを野放しにしてはいけないなというふうに思います。
なぜならばものすごい力を持っているからなんですねこの考えというのはねもちろん誰にも見られないし形にも現れないんだけども僕らの人生に自分の人生にものすごい多大な影響を与える力を持っているんです。
例えばこれはこの番組でもねよくお話しするんだけど僕らの考えはこの目や耳というねいわゆる五感ですね感じるものこのインプット装置か外の下界を捉えてくるこの装置ここに対象をこのように捉えなさいという風な指令を与えるんですね。
これはなかなかその自覚しにくいんですけどもえっとどのように見えるかっていうね。
最もわかりやすい例で言うとすごいやっぱり職場で揉めてね。
まあもしくはすごい説教されたとかね。
もしくはすごくダンツーが激しい議論をしてね。
まあすごい気取った感じこの後に行く飲み会の風景がどう見えるかってことですよね。
反対になんかすごく活躍して表彰化なんかされて社長賞かなんかもらって賞金100万円ですみたいなその直後にちょっとそのお祝い行こうよって言ったこの飲み会と全く同じ場所で同じメンバーであったとしても僕らは違う景色を見てるはずなんですね。
これが考えが僕らの五感に影響を与えているっていうことですね。
影響を与えるって言うよりも自分の考えている今こうだよななんかこう落ち込んでるような今つまんないよなというこの考え。
考えの力
これがまさに僕らの目は耳そこに指令を与えるということね。
これこれ逆になると困るわけですよ。
すんげえ嫌な気分なんだよなっていう時に周りの景色がめちゃくちゃこの楽しそうに見える。
楽しそうっていうのはその周りの景色を楽しく感じてしまうっていうねそういう光景に見える。
楽しく見えるならまだいいんだけどそうじゃないですね。
楽しいと感じてしまうような光景を目にしてしまうとここがもうごちゃごちゃになってしまうんでね。
僕らの考えはそういう混乱を来さないように考えた通りに見てこいというふうに指令を与えるわけですね。
これが一つ。
それからこれももうずっと繰り返し言ってるように僕らの考えは心の中にその現実にもう絶対現実にしか見えないような映像を作り出しますわね。
これがイリュージョン心象。
それからそのようにしながらこれは同じことを別の言い方で言い換えているだけなんですが
僕らの考えは他の人の言動や出来事ねこれに自分を傷つける力を与えているんですね。
ここもなかなかさっきの五感と同じで自覚しにくいんですけどもね。
これはよく言うように私がある出来事に僕らは反応しているわけじゃない。
その出来事についてどう考えたかその判断解釈ねまさに考えなんだけどもそこに僕らは反応している。
つまり何かを見て傷つくということはその自分を傷つけるような考えがそこに挟まってなければならないんですね。
これがないのに傷つくということはありえないんですよね。
だからよく私が言うんですけどもね。
人の発する言葉というのは基本的には音声でしかないんですね。
だから本当はその音が自分を傷つけるということは考えられない。
でも僕らはここにある考えを一緒に載せてしまうんですね。
それはこういうことでしょうそれは私がこういうことだって言ってるわけだよねみたいな考えをねそこにふと乗っけてしまう。
だからそれによって僕らは傷つく出来事もそうですね。
これはひどいぞやばいぞというふうに考えるこれが僕らを傷つけているものすごい多大な力を持っているわけですよね。
まだありますね。
罪悪感の生成と裁判のような考え方
例えば罪悪感これも考えなければ生み出されません。
なぜかというと罪悪というのは罪でしょ。
罪というのはやっぱりなぜいけないのか。
どれだけひどいことをしたのか。
それが例えば自分や他の人にどのぐらい良くない影響をもたらしたのかということをね。
これ直感でパパパパッと出来上がるわけじゃないんですね。
これはまさに自分の心の中でまさに裁判のようなことをしてるんだよね。
この期限内に私は仕上げることができなかった。
やろうと思えばもっと前に終わらせることは確実にできたよねと。
だって昨日も一昨日もその前も余裕あったもんね。
それなのに僕は手をつけなかったよねみたいなことをいろいろ考えるわけね。
それによってこの一緒に働いている人に迷惑をかけとかね上司からは評価が下がりみたいなことを考えながら
だからこれは罪だよねというふうに罪悪感を抱くわけね。
今日のお便りはねその部分もしっかり書いていただいてましたよね。
一つレポートが終わった時聞きながらやったから思ったより時間がかかったなってがっかりしかけたとね。
これが考えですよね。思っていた以上に時間がかかったなってがっかりして自分を責めそうになった。
つまり罪悪感を抱きそうになったわけですね。
これをそのように考えることをやめるということで自分を責めるというのを忘れていましたというところに行き着くわけ。
だから結局この罪悪感というのもね相当かなり複雑な考えを要するものの一つなんですよね。
多分僕らのあらゆる負の感情怒り悲しみそういうものは相当考えを練り上げなくては出来上がらないはずなんですよ。
これを私たちは普段あまり自覚することなく膨大な時間と膨大なエネルギーを費やしながら日々やっているということですね。
当然ですけどもこれは相当エネルギーを消耗しますよね。
だから身体を動かすということに関してはね僕らはすぐにこれをやると疲れるだろうなとかねこれをやると筋肉が疲労するだろうなとかっていうことはすぐに気づくんだけども
やっぱりこの形に現れないそして目に見えないこの考えはやってもそんなに自分にダメージはないだろうというふうに捉えてしまっているんですね。
2つのダメージがあります。1つは今話したような力を持っているから様々なその良くない影響が自分にもたらされる。
そしてこの考えること自体に実はすごい労力を費やしてエネルギーを費やすということですね。
このダブルパンチでやっぱ僕らは疲れてしまう。
だからここをまず気づくワークというのがあるんですね。
要はこれはね僕らの考えには僕らが考えている以上想像する以上の力があるんだっていうことをね自分に教えるためのワークですよね。
だからこれを外に出ない現れないからといって野放しにしておいてはいけないというこれを自分に教えるためのワーク
これはですね時々考えを見張っておくんですね。
負の感情のエネルギー
いつもやらなくてもいいです。
なんとなく今自分が考えているなってことに気づいたらその瞬間にこの○○という私の考えは力を持っているっていうふうに頭の中で言うんですね。
この○○の部分はなるべく具体的な内容を入れてみてください。
例えば締め切りに間に合わないというこの私の考えは力を持っている。
もしくはこの仕事の進み具合が今遅いぞという私の考えは力を持っている。
この自分の評価が下がってしまうという私の考えは力を持っている。
この○○を埋めていくわけですね。
上司に不満があるという考えとかね家族が身勝手だという考えみたいな風にねここに具体的な内容考えている内容を入れてこの○○という私の考えは力を持っているという風に言ってみてください。
そうするとおそっかこれはそっかそっか。
野放しにしておいちゃまずいんだよなと。
多大な影響を与えるんだよなということに気づけますよね。
そしてもう一つということはおそらくその力というのはね。
この考えが持っている力というのはね。
僕らに平安か怒りかもしくは愛か恐れかこのどちらかをもたらすはずなんですよ。
それをしっかりとその認識するためにねもう一つここに加えるんですね。
さっきこの○○という私の考えは力を持っていると言いましたよね。
そこにプラスその力はね今この考えているこの考えの力は僕に平安か怒りあるいは愛か恐れのどちらをもたらすだろうかという風に尋問してみるわけですよ。
その考えがね平安か怒りかもしくは愛か恐れかどちらかですね。
そうすると何がわかるかというとこれも○○というか99%かな怒りか恐れかになるとわかりますよね。
ということはですよその私たちの考えは力を持っているのこの力はね。
多くの場合つかもうほぼ100%僕らもその恐れや不安かもしくは怒りに駆り立てるものであるということがわかるんですよね。
なぜそうなのかこれはもうこの番組を聞いていただいている方ならばまたあれかっていう風にねピンと来ていらっしゃると思うんですがこれは偽りの自分がやってるからですね。
偽りの自分と孤独なが
元々僕らの中にはねこの宇宙の真羅万象と一つである一つ意識というのをねこちらを現実と見る本来の自分というのがいた。
でもある理由でねまあそれもこの番組でよくお話しするように例えば自分だけ特別に愛してほしいみたいなそんな理由でまさにこの本来の自分をね否定していやいや違うぞとバラバラ意識こそが現実でしょうとね。
だから私は他の人やこの世界からポツンと切り離されてたった一人でここに生きていると考えることによってこの偽りの自分は生まれているんですよ。
だからもし本来の自分一つ意識の自分が現実であるとすればねその自分がなぜか知らないけどもいやいやバラバラ意識こそが現実であると考えてしまったことでこの偽りの自分が生まれているわけですね。
まあ考えによって生まれた自分と言ってもいいでしょう。
だからこれはですねまさに孤独ながなんですよねがという言葉で私を表すならば孤独ながそして孤立したが極めて小さながなんですよね。
この偽りの自分はそしてあらゆる状況においてね何を考えるかというとそれで私はどうなるのということを考えずにはいられないんですね。
なぜかというと孤独なが孤立したが極めて小さながですからね。
何か何かに遭遇する人に遭遇しようと出来事に遭遇しようとまず私なんですよ。
私というところから出ることができないんですね。
まずそれが普通だろうと思うかもしれないんですがこれはまさにそのポツンと切り離された孤独なが孤立したが極めて小さながという私の特徴なんですよ。
私からすべてを発想するというねそれで私はどうなるのというふうに考えるわけ。
考えによって生まれた偽りの自分
例えばいいなあこの人って言ってねちょっと好きな人に出会ったとしますねそうすると喜びますよね良かったこんな人に出会えてその直後にそれで私はどうなるのっていうふうに考えるわけですね。
つまりこの人と一緒にいる私と私はこれからどうなっていくんだろうということを考えたくなるわけ。
そうするとすぐにねいなくなったら寂しいよね嫌われたくないよね。
何かあって裏切られたら相当ショックだよねみたいな答えを自分で念出してしまうんですね。
そしてここにさっき言ったような怒りとか恐れみたいなことを抱き始めるということ。
だからそのように見ていくとねそもそも考えというのは考えによって生まれた偽りの自分がものすごく頼りにしていることだっていうことに気づけるんですね。
そしてそのメカニズムは基本的にはそれで私はどうなるのという発想しかできないんですよ。
でもこれは本当に大きな落とし穴なんですね。
なぜかというとこの現実である一つ意識は私がいつも言うように自分と他の人とこの環境というのかな。
この3つによって私は生きている生かされているというこれがまあ本来の姿なんですね。
だから私はどうなるということから考え始めると必ずおかしな答えに行くんですよ。
この一つであるこの私と他の人と環境がどのようになればハッピーな状況が生まれるんだろうというふうに本当は捉えるべきなんですよね。
でもできないんですよこの孤独なが孤立したが極めて小さながというのはね。
まずは俺だろうということを最初に気にしてしまうんですよね。
だからこれを考えずにはいられないのがこの偽りの自分ということですよね。
まあこれは成り立ちがバラバラ意識だよ、孤立しているのが俺だよというふうに考えてしまって生まれているのでね。
そう考えざるを得ませんよね。
でもこれはさっき言ったようにこの自分が考える考えというのはそのような力を持っているんですよ。
僕らにその恐れか怒りを抱かせるというねそういう力を持っているということ。
しかもですよここで都合が悪いことに多分都合が悪いことだと思うんですけどもね。
考えに振り回されない方法
今の世の中というのはこの頭の良さという価値にかなり偏っていますよね。
人の価値というのは頭がいいというもしくはこれともう一つね運動神経というのがあるんだけどもこれは一部のやっぱりそのパフォーマンスとかスポーツの世界だけに限られていてね。
多くの場合はやっぱりこの頭の良さなんですよ。
僕らがおそらくその人を測るね人を測る確かな基準というのをやっぱりまだ持っていないんですね。
ここがとても僕はまだまだ発展途上なんだと思います。
そんなにね例えばねその採用にしても一人一人のねパーソナリティを細かく見ていく時間はないそんなコストもかけられない。
だとしたら手っ取り早くこの人大丈夫だよねってわかるそのなんだろう判断基準ってなんだろうって言った時に頭がいいっていうところにやっぱり行ってしまうんですよね。
そうすると試験みたいなテストみたいなことでなんとなくもしくは学歴からもうすでに終わっている試験というかなその人が通り抜けてきた様々なその試験の結果みたいなことで測るっていうのは一つのね。
まあそれなりにそんなに外さない基準ではあるんだけどもねでもやっぱり僕は編集編長をしているというかね偏っているなぁとは思います。
そうするとやっぱりこの頭の良さというのは考えるということなので余計に僕らはねえっとここを自分の価値と見た瞬間に考えるというのは非常に大きな武器なんだというふうにみなしてしまいますからやっぱりこの考えということに偏っていくんだよね。
でもこの考えは今言ったようなものすごくその僕らの人生に負の影響を与える力を持っている。
じゃあどうするんだってことなんですよね。
そこで私はですねもうこの考えをどうこうするというこれをやめた方がいいなと思ってるんですね。
考えている限り多分この状態からは抜け出せないんですよ。
例えば面白いことにねこのねグッドバイブスという話私がしているこの話これもグッドバイブスという正しさを作り出すんですね考えというのはね。
例えばねまさに今日の話その考えが怒りを生み出すんだっていうね。
なるほどってこういうふうに思って。
日々生きていると怒っている人が隣に見えるわけですよね。
そうするとああこの人そうやって考えながら自分で怒りを作り出してるんだよなそれを周りのせいにしてんだよなと言って怒るみたいなことですね。
ぐるぐる回ってるわけですよ。
考えるとその考えが自分に怒りをもたらすというこの考えを持ちながらね。
それをまあある種の正しさのように持ちながらほらだからあいつはそうやって考えて怒ってるんだよくだらねえなと言って怒るというこのループにはまっていくというね不思議なものなんですよね。
だからこういう話もねやっぱりこの頭で理解して最初頭で理解するってのはもうこのプロセスだししょうがないんだけども。
そこから先はねやっぱりさっき言ったようなワークのようなねシンプルな形にしてこの考えは力を持っているあそっかって気づいてねすっと手放すみたいな風にしないとここをここを考えながら考えながら取り組もうとするとそのこの取り組みを考えることによって怒りが生み出されるとかね。
この取り組みを考えることによって罪悪感を持ってしまうみたいなえっと真逆の方向にはまっていくんですよ。
最終的な答えはわからない
だから結論とすれば基本的に僕はねもう考えるということを信じるのをやめるこれが一番いいんじゃないかと思います。
なぜならばさっき言ったようにこれをやっているのは偽りの自分だからなんですよね。
この自分のねもう最大のまあ欠点というかね問題はねえっと本当のことがわからないのに自分は本当のことを知っているという前提に立つというのがね最も問題なんですよ。
本当のことはわからないよくこの番組で言いますよね。
だからこのこの仕組みをうまいこと使ってねまずはそうかそうかこの考えを手放すどうすればいいんだっていう時にそっか本当のことはわからないんだよねってここから行くんですね。
やっぱりだからやっぱりここに戻ってくるわけです。
本当のことを知らないのにどうして考えられるんだろうというところに立ち返るわけね。
でもここでやっぱりさっき言ったようなこの頭の良さみたいな価値に変調しているこの時代はいやいや知ってないことなんてないよとずいぶん勉強してきたもんといろんなことを学んできたんだもん。
だから僕は本当のことを知ってるよと思いたいんだけどもえっとそうそんなに実は単純じゃないんですよね。
この世界で起こることはねそもそもこの自分の考えが自分にね怒りやその恐れをもたらしているということすら本当は気づかずに過ごしていたりもしますからね。
そして面白いことにねさっき言ったようなまあいろんな正しさ自分でねこう身につけたり本を読んだり学んだりしたその正しさこれが実はその怒りの原因だったりもするわけですよ。
なんで他の人たちはこの正しさに沿ってないんだろうみたいなね。
じゃあどうすればいいんだわからないんですよ。
そして多くの場合さっき言ったねで私はどうなるのっていうことを気になるんだけどもこれは基本的には未来のことですよね。
わからないんですよ。
そしていつも言うようにこの因果関係ものすごく複雑いつになったらこの結果が出るんだみたいなこともわからない。
でもこれを僕らはねやっぱりいろいろいろいろいろ考えようとするこれをやっぱりねいやいや本当のことがわからない。
僕は知らないんだから考えても意味がないよね。
考えるとさっき言ったような力を発揮して僕を苦しめるよねってところで受け入れる方がね私はいいんじゃないかなと思ってるわけですね。
そしてもしね私がそのいわゆる本当のことはわからないではなくて本当のことを知っている存在であるならばねここに一つ条件がやっぱりあると思うんですよ。
もし私が本当のことを知っているんだあれば私の考えはねさっき挙げたね平安か怒りか愛か恐れかのどちらかだろうと言ったときにこれが平安もしくは愛かねこのどちらかであれば私はおそらく本当のことをすべて知っているんだっていう風にね認識してもいいと思います。
そうでなくてこのいかにとね恐れが出てくるんであれば多分僕は本当のことを知らないんですよね。
じゃあどうするかねえっとここからが2つ目のワークになるんですけどもえっと僕らの中にねさっき言ったこの考えることで作り出した偽りの自分というのは基本的にはこれは幻の自分。
そうではなくてもう一人このねもう一人というかこのもう一人じゃなくてもともと一人なんですけども僕らの中に一つ意識の方が現実と知るね本来の自分がいるんですね。
いつも2人の自分がいると言ってるんだけどもえっと2人の自分はいないんですね本来の自分が私であるだけでもそこに考えることによって生み出した偽りの自分がまあこう幻影のように私を乗っ取っているそんな感じかな。
これはえっともう一人ではないんですよねいない自分ですからねまあでもこれが普段私たちをね支配しているというかコントロールしている自分にまあ成り変わっているここがまあ問題なんですけどもねこの本来の自分はえっとさっきのお話と全く全てがひっくり返るわけですね。
この自分はえっと考えによって生み出された自分ではない。
そもそもまさに宇宙の森羅万象の広がる想像によって生まれた実在の私なんですよ。
この私はただ私である私なのでえっとさっき言ったようなね孤立したがとかね孤独ながとみたいなことを考える必要はないんですね。
この偽りの自分というのは私というものをいつも考えていないと存在できないわけですよ。
なぜならば考えることによって生み出された自分だからね。
だからずっと考えているというこの自分を存続させる必要がある考えによってね。
そうではなくてこの本来の自分は全くそんなものをする必要がなくここにあるんですよただあるんですよ。
これをなんていうのかな一度もう一度感じ直してみることが重要なんですね。
私は何も考えなくとも私として今ここに存在しているよねっていうこの感覚ですね。
ただ私である私というのをこう一度感じ直す必要がある。
攻撃のないコミュニケーションの空間モード
これがですねえっと攻撃のないコミュニケーションという本で書いた空間モードというワークがあってね。
これはもう本当に簡単にできるんですね。
これもこの番組で一度お伝えしたと思うんだけどもとにかく外に出て歩きながらね。
立ち止まったほうがいいかな立ち止まりましょう立ち止まってパッと外を見渡すとその自分の目に飛び込んでくる映像っていうのがありますよね。
外の風景この時不思議なことに自分自身は見えていないんですね。
だからまあメガネとかがかけてるとメガネが見えてしまうかもしれないんだけどもちょっと外してねぼんやりしてもいいからこの視界に自分が入っていない状態を作るわけ。
そしてこの景色を黙って見渡すんですね。
そうすると見てる主体は私なんですけどもこの見ている世界に自分がいないんですよ。
自分がいなくてもこの世界がさっとこの存在しているこのここに自分がいなくてもちゃんと世界で存在しているよねというこの感覚を持っていることこれが私なんですよね。
このように言葉で説明するとどんどんややこしくなるんでこれはぜひやってみてください。
外に出て立ち止まってね目を開けるそうすると自分がいないんだけどこの存在世界が存在している。
でもそれは私が存在しているからこの世界があるんだっていうことがわかる。
存在することを感じる
試しに目をつぶってみるといいですよ。
パッと世界が消えますね。
でも私はいますよね。
あ、クラゾノワっていうこの意識は残ってますよね。
目を開けますよね。
世界が出てきますよね。
この世界を見ている私でも私は今見えていない。
身体が見えていないのでここにいるかどうかがわからないでもこの世界を見ている私がいるじゃないですか。
この感覚なんですよ。
そうすると私はここにいるよねということがわかる。
そして面白いことにこの見ている景色ここに手を入れなくても大丈夫だなっていう感覚もなんとなくわかるんですよ。
これはまさにねスクリーンに映った映像を見ているような感じね。
いろんな人が歩いてるね。
なんか車が走ってるね。
木がいるね。
自分を眺めて平安な答えを見つける
木が生えてるね。
花が咲いてるね。
雲が流れてるね。
今日あたりはちょっと天気が悪そうなので雨が降ってるねみたいなことになるのかな。
それを一つ一つ眺める中でこれを今どうしなきゃならないっていうことがあるかなっていう風に眺めてみるんですね。
あ、ダメだこいつ言っちゃダメだってプチッとこの映像の中で潰さなきゃいけないとかね。
多分ないはずなんですよ。
ここに自分というさっき言ったねこの孤立してるがみたいなのをドンと登場させるとそれで私はどうなるのっていうこの世界に対してねこの答えを知りたくなる。
だからそいつを少し引っ込めておいてただただこの見えているこの世界が見えているよ。
でもこの中に私は今ボンとそのね人という形で存在してはいないよね。
でも私はこれを見ているこの私はここにあるよねというこの感覚の中で世界を眺めるとねプチって潰したりこのこっからこいつを排除しなきゃいけないとかねこの景色をこう変えなきゃいけないみたいなことは全く感じずにただ眺めていることができるんですよ。
これが本来の自分。
この感覚をなんとなく一度ねまず味はそしてこの後この自分にあらゆることを聞くということをやってみるんですね。
まあ目を閉じて頭のおしゃべりを止めるんですね。
そして今自分が判断しようとしていること自分が決めようとしていることを1回白紙に戻すんです。
これは違うとこれは偽りの自分ね孤立しているがみたいなものが私はどうなるのという前提のもとに考え出した答えだとこれはこの世界でうまくいく答えではない。
それどころか自分に様々な不の影響をもたらす力を持っている。
こいつを少し1回どけてみようと。
そしてさっきね私はただあるただ私である私というのがいたよねと。
こいつはおそらく何もこのままでいいそのままでいいあらゆるものをそのように見る自分であるからこの自分はきっと本当の答えを知っているよねというふうに信頼して。
まるまるについてさっきまるまるに入れましたよね。
仕事が終わらないというこれについて答えを教えてほしいというふうにこのただ私である私に問うわけですね。
本来の自分この習慣をつけるということです。
でこの時にこれをまた難しく考えようとしてはダメです。
例えばね本当にそんなものがいるのかとかねこれはさっき感じたはずなんですよ。
私というこの主体がねえっとはっきりとこのなんつーかな体としてこの世界に存在していないような感覚で世界を見ることができるとこの意識はしっかりとあるよね。
目をつぶっても消えなかったよね。
そして目を開けるといろんな世界が映っている。
でもこれをねそこに私は登場していないただただこの意識のようなもので眺めながら。
映画の映画みたいだよねこの景色はって言って眺めているとここに何の一文もつけずに済むんだっていうような自分がいる。
これは感じることができるわけですね。
だからでもでもでもこのなんつーのかなこの話を聞くとやはり難しく考えたくなるわけですよ。
それはどこにいるんだとかね本当に答えてくれるのかとかねどのようにすればえっとその答えが聞けるんだろうかみたいなことをやっぱり質問したくなるわけですね。
ノウハウハウツーを聞きたくなるわけそれは知らない自分がえっとと問いを立てているということね。
その自分はただある私なのでえっと皆さんの中にいるんですよ。
そしているからそのように生きていられるし今日までねえっとただあり続けていたんですね。
だからこの問いこの質問どうすればいいどうやればできるみたいなこのノウハウを質問したくなるというのは。
まさにこの考えというものに絶大なね信頼を置いているこの孤立したが偽りの自分の抵抗だと思ってください。
これを考えれば考えるほどこのただ私である私に答えを聞くというのはできなくなりますね。
いくら待っても答えは降りてこないじゃんみたいなねそんな感じになる。
だからこれはですねえっと何も考えずにただ私である私はここにいますからね。
この私は考え考えによって作り出された私でもないね。
そしてこれはおそらくこの宇宙の森羅万象と一つである一つ意識を現実だと分かっている自分。
つまり本当のことを知っている自分なんですね。
これに答えを聞いてみるということです。
○○についての答えを教えてほしい。
これが考える代わりにやること考えるという習慣の代わりに。
3匹腕を右右から左に変えるように新しく習慣づけることなんじゃないかなと思います。
これが冒頭の考える力を持った考えから僕らが解き放れ解き放たれ。
そして何も知らない本当のことを知らないこの偽りの自分の答えに翻弄される代わりに最適最善。
そして必ずその平安と愛というかそちらをもたらしてくる答えになるんじゃないかなというふうに思います。
よかったらやってみてください。
イベントの告知
最近お伝えしてきていますが今週末は2つのイベントがあります。
まず明日ですね6月10日土曜日は書き上げ塾ライト版描写力を磨いて伝わる文章を書く3時間レッスン。
これはおかげさまで結構埋まりまして一部1時半からの一部はあと残席今日の時点で1名ですね。
それから2部がまだ2名あるのかな。
でもいい感じで開催できる人数お申し込みいただきましたので本当にありがとうございます。
でもお昼の部が1名そして夜の部が2名空いてますのでまだ間に合いますのでよかったら埋めてください。
そして翌日6月11日日曜日が1時からジャチンワークという6時間のジャチンワーク。
これはもう何度もこの番組でお伝えしているので詳しくお話しする必要はないと思うんですが。
まさにこれもいつもいつもこのこじつけのように結びつけますが本編とね。
考えずに動くまさにこれはもう本当にその通りなんでね。
そして何をやるかを本来の自分この私は私であるこの自分に聞いてその答えを信頼してその次の行動をするというのをまさにこの一つの流儀にしてますんで。
これを体験するそのいい機会でちょっとねこのさっきの空間モードよくわからんみたいなことがあったらこれ6時間いつでも質問OKというイベントにしてありますんでね。
そういう話もできたらなと思いますんで質問があればいつでも私はお答えしますからその場でワークやってもいいのでね。
みんなやりませんかみたいな感じでそういうなんか面白いイベントなので今回リアル怪獣はねちょっとカラス山なんですよね。
いつもマニアックな場所ですいませんでもオンラインでも参加できますのでよかったらお越しください。
じゃあ今日はですね基本的にはもうその考え考えに心を置くというかね考えを信頼するのをやめて私の中にもっと答えを知る素晴らしい存在がいるんだ。
それが本来の自分なんだ私自身なんだというねこの前提でえっとあらゆる答えをね私教えてくれと聞く考えるんではなくてその自分に聞くということをやりながらね。
いい一日をお過ごしくださいありがとうございます。
49:37

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