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2023-07-26 46:04

149 集中力を高めて心を静かに穏やかにする6つの5分間ワーク

前回に続いて、今日は静かに目を閉じて行う6つの「5分間ワーク」を朗読しながら解説しています。心のフォーカスを定める練習をすることで、平安を得られるだけでなく集中力も高まります!

サマリー

ワークをやる前に、心の中にワークを置いておくことで、集中力を高めることができます。また、5分間の瞑想のワークを行うことで、心をひとつのテーマに集中させることができます。目を閉じて、自分に何を貸しているのか、過去の考えがどのような影響を与えているのかを探し、自分の本質である光を信じて過去の苦悩を消していくワークがあります。本来の自分とは、さまざまな特性を持っています。例えば愛そのものであるとか、平安であるとか、この世界と一つであるとか、十全十美に足りているとか、いろんな特性があるのです。自分を思考の作品と受け入れることが最も謙虚な姿勢であり、宇宙の創造の秀逸さに感謝しながら、一切の不足はないと思うことが最も謙虚な姿勢だと言えます。今日は6つのワークを紹介しました。ワークを通じて集中力を高めて心を静かに落ち着かせることが重要です。

ワークの準備と集中力の高め方
グッドバイブス、ミッドナイトラクザ、 by 倉園佳三
こんばんは、ただいま7月26日水曜日の午前1時51分ですね。
今日は前回予告した通りですね、やっぱりワークをやろうかなと思います。
別の話もね、ちょっと頭の片隅には置いてあったんですけど、いつも私はですね、日曜日と火曜日と木曜日、これがその番組を収録する夜になるんですけどもね、
もう実際には翌朝になってるんで、つまり月水金のこの時間ということになるんだけど、
その前ですね、その日中はですね、一応やっぱり今日の夜はこの番組を収録するぞというのを、本当に頭の片隅みたいなね、心の片隅みたいなところにちょっと置いておくんですね。
でもこれをずっと考えていると多分何もできないし、ろくなことがないのでね、ちょっとドキドキしてきたりとか、もう話すことないんじゃないかとかをね、日中ずっと考えながら過ごさなくてはいけないので、
そういうふうにはしないんだけど、やっぱこう忘れてはいないわけですね。ぼんやりと持っているんですよ。
今日はポッドキャストの収録の日というモードみたいな感じかな。
そうするとワントレをやったりね、誰かと話したり文章を書いたりしているときに、アンテナが立っているような状態でね、これいけるかもとかって言って、このネタにつながるようなことっていうのかな、話題につながるようなこのキーワードだったりね、話の方向性みたいなものを、
集めている感じ。縄に引っかかってくるみたいなね、そんな感じなんですけども、今回のようにね、今回はネタが思い浮かばなくてもこのワークがあるなというこの安心というかね、安心じゃないんだよな、この保険みたいなやつね、これがあるとやっぱりそのアンテナの精度が鈍ってね、なかなか決まらないというか、これを超えるようなネタは思いつかないわけですね。
だからやっぱりこう準備してたわけですね。つまり私はね、2日前から翌々日はこの話がとりあえずできるぞというこの準備を持っておくとね、やっぱりそれを超えるその精度の高いひらめきというかな、アイディアっていうのは出てこないという、やっぱりそういうことになるわけですね。そうなるだろうなと思っていたんですけど、やっぱりここに落ち着きましたね。
あと、これをやりたいなという思いも少しありましたからね。前回やってみて、自分で話した番組を聞いてみて、いつものような感じではないんですけどもね、どんずばで役に立つとか響くとかっていう、そういう感じはもしかしたら薄かったかもしれないんだけど、なんか雰囲気というかね、コンテキスト、文脈としては悪くないなという感じがしました。
で、もう一つのね、その知恵と園という知恵園、人間関係知恵園という浜田知恵さんってやってるポッドキャストでも、前回もお話ししたようにこの本の朗読っていうのをね、今5回連続ぐらいで続けてるんですけども、確か今4話まで上がってるのかな、もう1回ありますね。
で、おそらくもしかしたら次の収録も同じことをやる可能性が高いので、これもね、聞いててなかなか僕は楽しめてるんですけどもね、ちょっと後で知恵さんにどのぐらいアクセスの推移が変わったかと、この路線になってね、聞いてみて、あまりに減っているようであればね、ちょっと考えたいなと思ってるんですけども、この番組のね、その編集をやってくださっているのがSさんという、実はこのFMキャラクターの方なんですけども、
Sさんという、実はこのFM局とかでね、ラジオのディレクターをやってくださっているプロの方なんですね。だから見事なジングル、見事なBGM、そしてエンディングまでね、本当にプロ仕様のつなぎをしてくれているんですが、この方がですね、なんと、この朗読をするときにBGMを落とすというね、テクニックを使ってたんですね。
で、私は流しっぱなしで、この前回は読んだんですけど、ちょっとこれ真似してみようと今日は思いましてね、撮った後にBGMの音量を調整して、ワークの朗読のとこはBGMなしというのをちょっとやってみようと思います。でも、もしね、僕のこの朗読というか、このワークがこのBGMなしに合わないなと判断したら、そのように感じたらね、BGM流しっぱなしになってるんで、
これはもう出来上がった番組を聞いていただければね、私がどちらを選んだかはすぐにわかりますね。
で、今日は前回は1日を通して心がけておくワークっていうね、日中ずっとそれを心に留めておいて、何かあると思い出す機会があるごとにちょっと頭でつぶやいてみるっていう、そういうワークだったんですけど、
今日は前回お伝えしたように5分間の時間をとって、目をつぶって椅子に座ってね、瞑想とか座禅のような形で、このあるテーマに心をとどめるというか、心をそこにフォーカスさせるという、そういうワークになります。
これはまあ、僕は本当毎日ね、必ずやってるんですけども、何ていうのかな、最も大きいのはね、いくつかのその効果があるんですけど、最も大きいなと思うのは、やっぱりその心をあるテーマ一つのところにね、とどめるという、それなりの長い時間ね。
まあ、5分というと短く感じると思うんですが、えっとですね、この目をつぶってやるこのワークの中では、5分というのはね、慣れないともしかしたら30分ぐらいに感じるぐらい実は長いんですね。
まあ、長い短いは本当相対な感覚なんですけども、最初のうちは5分って長いなっていうね、タイマーかけておいて、あのキリリンとなると目を開けるんだけども、そのタイマーを押し忘れたんじゃないかと思うぐらい、永遠にならないんですよね、まだならない、まだならないっていうね。
で、この間その一つのテーマにずっとこうね、フォーカスを心のフォーカスをとどめて、そこからずれないように外れないようにするわけですね。
で、これは外れるというのは具体的にどういうことかっていうと、えっと、ほっておくと別の考えがどんどんどんどん頭の中にね、浮かんでくる。
だからフラフラフラフラするわけですね。
この一点のとこ、一点に心をとどめておけない。
で、気がつくともう全然違うことを考えていたりとかね、まあ場合によっては寝てしまったりすることもあるんだけど、これはですね、まあ例えるならば、その自転車に乗り慣れないときのね、このフラフラする感じとか。
あと、その小さな赤ん坊がね、よちよち歩きってありますよね、まっすぐ歩けなかったりとかする。
実は僕はこの状態に心がね、近いんじゃないかなと思ってるんですね。
フラフラフラフラしてるわけ。
で、これはその年齢と関係ないわけですよ。
この心をね、ある種のトレーニングをしないと、やっぱりこの一点にすっととどめるというのはね、なかなかできない。
で、このワークをやるとそれがどんどん鍛えられていくんですね。
だから別にこの私のワークではなくて、このもうここの東西、ありとあらゆるところにね、ある、それこそ瞑想座禅、いろんなものね。
とにかく目をつぶって一つのことに心をフォーカスしておくというこのトレーニングはね、非常に役立つんですね。
で、これはそのままね、僕らの体、そして行動に反映されるので、要は集中力みたいな形で表に出てくるわけですね。
で、心の方がやっぱ密度が高いんですよ。
密な世界、そして体の動きというのはね、そこの密度がずいぶんと荒くなるんで、心の中で5分間とどめておければ、その密な状態で5分間クッとこうね、一つのとこにフォーカスできると、
これが体の行動として現れた場合は、おそらく1時間とか2時間とかね、そのぐらいの時間集中できるという、そんな風に表現されるのかなって感じがしますね。
だから目をつぶっても30秒ぐらいで他のことが頭に現れてしまうというとするとね、おそらくそれを行動に表すと10分とか15分ぐらいで気が散っているというね、そんな感じ。
ここにね、ゾンズバで現れてくるんですね。
5分間の瞑想ワーク
だからちょっとなんか自分は集中力がないなとかね、落ち着きがないなとかね、すぐ気が散ってしまうなっていう方はですね、
この心、目をつぶって心の中に一つのテーマを描いて、そこにフォーカスをするというトレーニングをするだけでね、おそらくずいぶんと落ち着いて、いろんなことに集中できるようになると思いますね。
で、その他のメリットは、このワークによって違う、そのワークのテーマ、それが心に染み入るというかね、というのもあれば、いわゆる私がよく言っているこの本来の自分、そして形のない自分というのかな、
それをずいぶんと自覚できるようになるというかね。
要はこれは考えている自分が偽りの自分、そしてその考えを止めて、まさにこの心のフォーカスをね、すっとこう持てているとき、これが本来の自分ってね。
大きく分けるとっていうかな、厳密には多分そこまでそのはっきりと分かれてないんですけどもね、そこがまあずいぶんずいぶんアバウトで。
そして完全に本来の自分ってところをね、見つけたときは、それはもうきっと悟りの境地ぐらいのところには行っているので。
まあそれほどね、単純な話ではないんですけども、やらなければ、これをやらなければほぼ僕らはね、24時間この偽りの自分のままに留まってしまうっていうのかな。
で、これを少しでもほんの数秒でも数分でもね、この本来の自分側にくっとこう持っていけるだけでね、本当に心身ともに調子が良くなるだけでなく、まさにこの番組でよくお話ししてるね、恐れや不安、罪悪感みたいなものからね、ずいぶんとこの解放されるんじゃないかなと思います。
今日もいくつか持ってきましたんでね、早速やってみましょうか。
考えずに本来の自分に聞く。
昨日の課題に次の問いがありました。
この〇〇という私の考えは力を持っている。
その力は私に平安と怒り、愛と恐れのどちらをもたらすだろう。
実際にやってみると答えはほぼ間違いなく、怒りか恐れになるとわかります。
なぜならば、どんな時でも考えるのは、偽りの自分に他ならないからです。
そもそもこの自分は、バラバラ意識こそが現実である。
だから私は他の人やこの世界からポツンと切り離されて、たった一人でここに生きていると考えることで生まれました。
こちらの孤独なが、孤立したが、極めて小さながは、あらゆる状況において、それで私はどうなるの?について考えずにはいられません。
例えば好意を持てる人に出会って喜んだ直後に、この人と一緒にいると私はどうなる?と考えます。
そうして、いなくなったら寂しい、嫌われたくない、裏切られたら嫌だ、などの答えを自分で念出しながら、怒りや恐れを抱いているのです。
でも私たちの中には、一つ意識が現実と知る本来の自分がいます。
今日はこうであると孤立したがで考える代わりに、ただ私である私に答えを聞いてみましょう。
難しく考える必要はありません。
そんなものがいるのか?いても答えてくれるのか?どうすれば聞けるのかなどと質問したくなるのは、考えに絶大な心を置く小さながの抵抗だと思ってください。
目を閉じて、頭のおしゃべりを止め、あなたが判断しようとしていること、決断しようとしていることを白紙に戻して、〇〇についての答えを教えてほしいと、ただ私である私に問えばいいだけです。
こんな感じですね。
これは前回の番組で一番最初にお伝えしたファークね。
私の考えは力を持っているっていうこれの続編なんですね。
これはその続編であるとともに、じゃあどうすればいいのかという答えにもなっていますね。
以前は考え止めましょうみたいなところを随分とお勧めしていたんですが、なかなか自分の意思で考えないというのは非常に難しいので、最近は私はこちらの方をお勧めしています。
要は考える代わりに本来の自分に聞くということですね。
だからこれがワークになるんですね。
この文章だとワークの形になっていないんですが、要は何か自分が知りたいこと、それから問題だなと感じていること、それから未来の不安とか、それからある人との人間関係とか、様々な僕らは困ったこと、問題を抱えますから、その解決策を考えてしまうと、ここの文章に書いてあるようにですね。
怒りや恐れ、ここにとらわれながら、なかなか自分を幸せにする答えというのが出てこない。
もうこの時点で偽りの自分がバラバラ意識を前提に考えてしまうので、どうにもうまくないわけです。
そこであらゆる問題、どんな問題であっても、どんな困ったことであっても、この世界と他の人と一つであるということを知っているこの本来の自分に答えを聞いてみるんですね。
これはもう万能です。もうこれはもうそうですね、私は1日に10回はやってると思いますね。
というよりも、もうこのやり方以外で何かを考えることは今はしていません。
もうほんと小さなね、それこそイベントの告知文を考えるときでも、そしてまさにこういうワークを書くときでもね。
そしてこの番組を話すときまさに今ですね、できるだけこの考えないようにして何かあったらとにかく本来の自分に聞いて答えが降りてくるのを待つというね。
本来の自分との信頼
そしてこれはちなみに書き上げ塾の書き方としてね、お勧めしているそのひらめきで書く本来の自分から何が降りてくるかっていうのを待ってね。
そのメッセージというか言葉ではないんですけどもね、そのイメージをその続いていくみたいなひらめきで書くというもあらゆることにこれは使っていてですね。
だから私はこの本来の自分というのをある種信頼する。
それが自分の中にいてくれるんだというこの信頼が最も重要だと思っているので、この番組でもですね、この偽りの自分と本来の自分というこの話は頻繁にするわけですね。
で、要はそれをどうするかという答えがここのワークにあるわけです。
それを一番信頼し頼りにし、そして聞くわけですね。
まあそういうわけです。
だから5分間目をつぶってね、一つ一つその自分が知りたいことこれを本来の自分に聞いていく。
そしてここに書いてあるようにそれがどこにいるのかとかね、どうやって聞くのかとかっていう細かいことは考えずとも大丈夫です。
それは私たちの中にいるのでね。聞きたいと思えば多分答えてくれる。そんな感じです。
普段は聞きたいと思わずに考えてしまうのでね。
こいつがなかなか出てきてくれないというそんな感じ。
これをもっと有効活用しましょうっていうね。
ちょっとこの現代的に言うならばそういう感じになるでしょうね。
これが一つ目でした。
じゃあ次行きます。
そうそう、今気がついたんですけど、耳の良い方だったら聞こえてると思うんだけど、何かスズムシなのかセミなのかね。
私のこの部屋の外にいて、ディーンって鳴いてますね。
もうこれを待っていては多分この虫は鳴き止まないでしょうから。
夜だからセミなのかな。何かスズムシ。でもスズムシは秋だしな。
何かが鳴いてますね。リリリリリリって感じで日暮らしかな。
まあいいや、これはBGMとしてちょっと楽しんでください。
二つ目行きます。
私は自分に何を貸しているんだろう。
自分に何を貸しているかの探求
私たちは日々、家族や友人、職場の同僚、趣味の集まりなど、様々な人と関わりながら暮らしています。
おそらくあなたの中には、それぞれのコミュニティの特徴や暗黙のルール、気をつけておくこと、自分の立ち位置などが細かく刻まれているはずです。
それはすなわち、自分の住む世界を自分で定義しているということです。
次に、そのような場で不都合が起こらないように、自分の立ち振る舞いを世界に合わせて調節するという対策を講じます。
例えば、同僚にわからないことを質問したとき、あまりいい顔をされなかったとします。
私たちはその苦い経験をもとに、ここは慣れ合いを好まない厳しい世界だ、のように職場を定義します。
続いて、そういう場所で暮らすことを想定して、できるだけ人に頼らずに、自力でできるようにしよう、といった調整を自分に施すわけです。
このプロセスの最大の問題は、世界に合わせて自分を調整し始めた時点で、世界をそのように定義したのが自分という事実を忘れている、という点にあります。
今日は私たちを窮屈な状況に追い込む、おかしな習慣から抜け出すたびに、機会があるたびに、私は自分に何を貸しているんだろう、と自問してください。
ちゃんとするために、他の人に○○されないために、負けないために、危険な目に合わないために、といった理由でやっていることがこれに当たるはずです。
貸しているものが浮かんだら次の問いについて考えてみます。
これをやらなければならないと思うのは、私がどんな世界を定義したからだろう。
すぐにさっきの例のような苦い経験がフラッシュバックするでしょう。
できればその世界を許してみてください。
一つ許すたびに、あなたは自分に貸していたことから自由になれるはずです。
というやつですね。
これも5分ワークの形になっていないんですが、目をつぶって、私は自分に何を貸しているんだろう、というふうに心に向き合って探してみるわけですね。
自分に貸していること。
そうするとさっき言ったような、ちゃんとするためにこれをやらなきゃいけないとか、他の人にバカと思われないようにこういう勉強をしなくちゃいけないとかっていう、自分に貸していることが浮かんでくるというか、そこを心の中から探すワークということになりますね。
これも5分ぐらいやるといいと思います。
そしてそれをやりながら、それが見つかったら、どんな世界を私が定義したから、これをやらなきゃいけないと思ってしまうんだろうってところも探すわけですね。
だから2つやるわけです。
自分に貸していること、そして次にその貸していることを始めた理由というかな、それを貸した理由か、そこには私たちが自分で見た世界をこのような世界だと定義しているという事実が浮かび上がってくる。
この2つが分かったらですね、そもそもそのように世界を定義しなければ、このようなことも貸さなくていいんじゃないかっていう、この2つが分かってくるわけですね。
そしてさらに言うならばですね、このさっき挙げたような例かな、同様に質問したら嫌な顔されたみたいなね。
だいたい僕らがするとその世界の定義というのは、ここに必ずね、やっぱり怒りとかね、悔しさみたいなのがこう混ざっているわけですね。
だからそのように世界を良くないものに定義したくなるわけね。
そうやって定義しておいて、でもそれをやるから自分にいろんなことを貸さなくてはいけなくなると。
だとしたらこの嫌な顔をされたとかね、質問したら嫌な顔をされたとか、そういうこと、これを許す、世界を許すということですね。
別にその嫌な顔をした人を許すでなくていいと思います。
そのように自分が定義してしまった世界、そこには罪がないなっていう感じで許してみてください。
そうすると自分に貸すことが一つ二つと減っていくと。
かなりこれは自由になるはずですね。
これも5分やるといろんな発見があると思いますね。
ぜひ目を閉じてね、私は自分に何を貸してるんだろう。
それはどんなふうに世界を定義したからなんだろうっていうことをね。
こういうことはですね、この目をつぶって5分間座ってね、じっと心に向き合わないと、ほとんどこの見ないふりというかね、この意識の下にずっと閉じ込めたまま僕らは暮らしてしまうんで。
何かあった時にね、何が問題なのってこういうところにだいたい原因があるんだけども、そこに気づけないっていうかね、あるいはそこを見たくないというこの意志が発揮される。
過去の考えと本来の自分
そういうことを防ぐためにもね、日々こういうことをやっておけばいいんじゃないかなと思いますね。
次行きましょうか。
私の過去についての考えが、この実態のない世界を私に見せている。
もし他の人やこの世界が私たちの見ている通りの姿をしていて、それに反応して恐れや不安や罪悪感を抱くとしたら、もう心を平安に保つ術はありません。
けれども、私たちは決して現実をありのままに見ているのではなく、あらゆる対象に過去の軽減から生まれた判断や怒り、罪の意識を重ね合わせた幻影を見ているのです。
もちろん、実在しない過去の断片を使って、思考という実態のない方法で作り出した映像に全く意味はありません。
ましてや、それが私たちを傷つけたり苦しめたりする力を持っているはずがないのです。
今日はこのことをしっかりと自分に教えるワークを実践しましょう。
最初に目を閉じて、次の言葉を何度か頭で繰り返してください。
私の過去についての考えが、この実態のない世界を私に見せている。
次に目を開けて、身の回りの人や物などをくまなく見渡しながら、ゆっくりと同じ言葉を自分に言い聞かせてください。
私の過去についての考えが、この実態のない世界を私に見せている。
1分ほどたったら再び目を閉じて、同じ言葉を何度か繰り返します。
私の過去についての考えが、この実態のない世界を私に見せている。
以上で完了です。
これは平安を得るためのワークであることを忘れないでください。
決して深刻にならず、自分を責めることもせず、楽な気持ちでリラックスしてやってください。
というやつですね。
これはあれですね、5分もいらないかな。
最初に目を閉じて、私の過去についての考えが、この実態のない世界を私に見せていると何回か言うわけですね。
そしてパッと目を開けて、辺りを見渡しながらこのことを確認する。
そしてまた目をつぶって、もう一度この言葉を心の中で何度か繰り返す。
私の過去についての考えが、この実態のない世界を私に見せている。
こういうやつはですね、頭で理解しようとしなくても大丈夫なんですね。
不思議なんですよ。
やっぱり心のワークというかね、目を閉じて心の中で何度も同じ言葉を唱えるというやつの効果でね、わかるんですよね。
私たちの奥深くにいるやつが、このことをしっかりと認識してくれるというかな。
もう一つは、この言葉は偽りの自分にとっては本当に言ってほしくないことなんですよ。
これを気づいてほしくないと僕らに思ってるわけですね。
これ言っちゃダメだよって、それを言っちゃおしまいよみたいなやつね。
だからこれを言って心がそれに同調するというかね、ここにそうかとアグリすると、このまさに偽りの自分の居場所がなくなるという、そういう効果もあるんですね。
これは私は電車の中とかでよくやりますね。
なんか自分の見てる光景がなんか嫌だなとかね、なんかその例えば満員電車でちょっと苦しいなとかね、なんか不快だなとかって思ったときに、目を閉じて釣りカーかなんか持ちながらね、私の過去についての考えがこの実態のない世界を私に見せている。
うん、そっか。僕はもうすでにこの電車がここ居心地の悪いことだっていうね、そういう考えを頭の中に持ったままこの世界をそのように見ようとしているんだなぁみたいなことに気づくわけですね。
そしてパッと目を開けて、そうかそうかというふうに見直してみるとね、不思議なことに実はさっきまでと全然違う光景、全然と言ったら言い過ぎですけどもね、若干以上かな、少し以上は違う感覚を僕に持たせてくれますね。
これはいろんなとこで使えると思います。ちょっと何か会議が嫌だなぁとかね、ちょっと会議所に目をつぶるのはどうかと思うんだけど、考えているふりかなんかしてね、うん、それとかそうだな、何かのその場ある場にいるときね、待ちきれないなぁとかね、この銀行で待っているときとか、最近あんまりもう銀行で待つこともないのかもしれないんだけど、長い列に並んでいるときとかね、そういうときにちょっとやってみるには良いワークだと思います。
うん、じゃあ次行きましょうかね、これも平安ワークですね。
一つも隠さずに、私の光の前に置く。恐れや不安、罪悪感、怒り、焦り、自信の喪失など、私たちが抱える苦悩はすべて偽りの自分、すなわち我から生まれます。けれども本来の私だけが現実で、我はその原影のようなものに過ぎません。
二人の自分のうち、片方は間違いなく真相、もしくはイリュージョンなのです。このことを踏まえて今日は、私たちの本性は光であると信頼してみてください。
もし冒頭に挙げた苦悩のすべてが影だとすれば、光である私の元にそれを運べば、一瞬できれいに消え去るはずです。ただしあなたが、でもこれだけはまだ消したくないという意志を発揮して、心の奥底に隠してしまったら、その思いや感情は残り続けることになります。
まずは、私は一かけらの曇りもない平安を得たいと決意してください。次に目を閉じて静かに座り、今気になっていること、不安に思っていること、許せないこと、後悔していることなどを洗いざらい私に報告しましょう。
中には、見たくない記憶や、罪悪感が強くて目を背けたくなるような自分の考えや言動もあるでしょう。それでも、光である私の前に置けば、必ず消えると信じて打ち明けてください。
この間、メッセージやアドバイスが届くことはありません。なぜならば、本来の私はそれがないものだと知っているからです。報告しているうちに心が軽くなったと感じたら、光によって影が消えたと思って間違いありません。
今日はたっぷりと時間をかけて、あなたの中にこの癒しの力があることを実感してみてください。
これはまさに、5分の癒しワークですね。
さっきの、本来の自分に報告するというのと似ているのですが、ここに光という感覚を取り入れてみるという感じ。
本来の自分とイリュージョン
本来の自分というのは、私がいつもこの番組でお話ししているように、さまざまな特性というか、愛そのものであるとか、平安であるとか、この世界と一つであるとか、十全十美に足りているとか、いろんな特性があるので、その中の一つをピックアップしてきて、これは光とみなしてみるという感じですよね。
そこに、僕らが作り出したこのイリュージョン、心象ですね。これを持っていくわけですよ。運ぶということね。この偽りの自分が作り出したイリュージョンを、この本来の自分のところに持っていくわけですね。
これはちょっと何かに似ていますね。例えばこの子供の頃、学校で悪口を言われたとしますよね。例えば僕だったらなんだろうな、僕はちょっと鼻が大きいのでね、デカバナーみたいなことを言われたと。そして何か苦しくなってね、家に帰って、親に、学校でこのデカバナーって言われたんだけどって言い付けると。
私の親が本当にそういうことを言うかどうかはちょっと別としてね。そこで、いやいや私はそうは思わんよ、ケイ君と。私の母親がなんかね、そのスッとこうね、鼻筋の通った顔はいい顔やないみたいなことを言ってくれてね。おーっつってこの光によって影が消えるみたいな、こういうことに似ているのかもしれませんね。
だからなんか僕の感覚ではね、この本来の自分というのはね、なんか僕らがその子供の頃に頼りにしていた存在、まあこれはまあ保護者というかね、まあ様々な関係のその保護者になると思うんだけども、そういう役割をですね、やっぱり大人になった時に果たしてくれるものなんじゃないかなっていうね。だからまあ時々これをホームと呼んだりするんですけどもね。平安な自分。
平安な自分、本来の自分、それをホームというようなね、そういうふうに呼ぶんですけども、まあここにまあいろんなね、様々なその苦悩、苦しみ、辛いこと、これを報告することによってね、まさにそのかつてその保護者に慰められたような、そんな効果もあるという、そういう感じですかね。これをまあ光と影、光と闇というふうに、まあ表しているということかな。
これはグッドバイブスご機嫌な仕事、緑の本でもこのような表現を使ったと思いますね。闇は光のところに持っていけばね、すっとなくなっていく。でも反対はできないんですね。光を闇で消すことはできない。だからここに素晴らしい法則があるということ。
そして本来の僕らはね、まさにこの光のようなものであると。こんな感じのワークですね。そのようにして影、闇、そういうものを消していくという感じです。で、次はこれも本来の自分に関することかな。これは十全十美の話をしているのだと思いますね。たぶんね。いきましょう。
自分を思考の作品と受け入れることが最も謙虚な姿勢である。私は私を自分で作っていません。親から生まれたと見ることもできますが、その親の親は、その親のそのまた親は、と遡っていくと、すべての人が宇宙の始まりにたどり着きます。
つまり私たちはこの宇宙の広がりが作った作品に他ならないのです。今日はそんな自分に不足を感じるのは謙虚なのか、それとも傲慢なのかを考えてみましょう。部分であれ全体であれ、自分を否定したり拒絶したりするなら、「おい宇宙よ、もう少しマシな仕事してくれよ。」とクレームを唱えていることにならないでしょうか。
さらに、その気に入らない部分を自力で変えようとするなら、「はいはい、もうやらなくていいからちょっと貸して。私がもっといいものに作り直すから。」と言って、このプロセスに割って入ることにならないでしょうか。もしそうだとすれば、「あんたより私の方が腕がいいのだから。」と自負しているに違いません。
そういえば、私も自分の努力や才覚で、いろいろな価値が積み上がってきたと感じるとき、それが他の人よりも優れて見えるときに、最も尊大で傲慢な態度をとっていました。
やはり、宇宙の創造の秀逸さに感謝しながら、「私は最初から価値マックスで、一切の罪がなく、安全かつ平安で、愛そのもので、人生に必要なものを全て手にしている。」と受け入れることこそ、この世界における最も謙虚な姿勢だと思います。
これは、「あんたより私の方が腕がいいのだから、俺にやらせろ。」と言っているあんたは、まさにこの宇宙なんですね。もう少しマシな仕事をしてくれよと、この宇宙にクレームを唱えている。これが自分を否定したり、拒絶したりすることということですね。
だからそうではなくて、私は宇宙が作った至高の作品と受け入れるという、このためのワークなんですね。これは5分間目をつぶって、このようなことをずっとイメージするわけですね。私はどのようにして生まれたんだろう、みたいなことを、この心の奥底に、これはダイビングと同じかな、潜っていくんですね。
まさに100mとか海をずっと潜る、潜水という競技がありますよね。あれと同じようなことを心の中にずっと潜っていくような感じね。そして奥に、奥に、奥に、奥にずっと潜っていくと、このような自分がいてくれるという、そういう感じですかね。
これはたぶん1度や2度やっても、その5分のワークをすぐに、これか、みたいなことは感じられないかもしれませんね。
でもこれを10日とか2週間とか、あるいは1ヶ月とか続けていくと、なんとなくこれかもしれない、みたいな感覚は得られると思いますね。
まさにこの価値マックス、そして一切の罪がない、安全かつ平安で、愛そのもので、従前従備にあらゆるものを手にしているっていうね。
もちろんこのあらゆるものを手にしているというのは、お金とかね、そのものではないんですよ。
それから技術とかスキルでもない。人が作ったその競技とかね、仕事とかそういうものに使うようなスキルを、僕らが最初から持って生まれているわけではないんだけどもね。
それをそういうものを手に入れるための土台みたいなものかな。ここに一切の不足はないというこの感覚、これは得られるんじゃないかなと思いますね。
それともう一つ、このワークの一つのポイントは、自分で作る必要はないっていうことですよね。
そしてその自分で作るっていうこと、もしくはこれを変えようとするとかね、だとするとまさにその、この僕らを作った宇宙よりも、俺の方が腕がいいんだよと。
俺を作れる、もっといい俺を作れるんだよって言ってるのと同じなのでね。
だから実は僕らはね、気づかないうちに逆のことをやってるってことですね。
要はこの世界では、私なんてまだまだですからっていう方がこの謙虚、謙遜ってことになるんだけども。
それはすなわち、宇宙の創造に対してはものすごく傲慢な態度であるということね。
その仕事をダメ出ししてるわけだからね。
ここに気づくとね、気づくとっていうのかな、このように認識を変えると随分と、そうかそうか、自分に不足がないと思うことはね、決して傲慢ではないんだなっていうことに納得できるというかな、そんな感じがすると思いますね。
そういう意味でも使えるワークかもしれませんね。
じゃあ今日はですね、これでラストにしましょうかね、次のやつでね。
これはなんと最新なんですよ。さっき書いたばかりのやつね。
なんか相乗効果ですね。
この番組で話そうと思っていてっていうか、番組で話すということを想定しながら書くというね、初めての試みだったので、いい相乗効果が出てるんじゃないかなと思うんですが、これはさっき書いたばかりのやつですね。
世界とのつながりとサポート
これにはどんな意味があるんだろう。
私たちと一つであるこの世界は、どんな時でも直接のサポートや幸せに生きるための間接のヒントを送ってくれます。
ただし、私たちの意思に反することは絶対に行えません。
なぜならば、一つであるとは完全に対等ということだからです。
あなたが自分を苦しめる選択をした時に、それは間違っている、反対を選びなさいと口を出すとしたら、世界は何も分かっていないやつとしてあなたを下に見ることになります。
これでは一つの法則に反してしまいます。
そこで、たとえあなたが出来事や他の人に対して攻撃や分離の選択をしても、世界は黙ってその判断を見守るのです。
反対に、私たちがその采配を信頼し、率先してアドバイスに耳を傾けようとするなら、世界は即座にいくらでも力を貸してくれます。
つまり、この大きな後ろ盾は、私たちが自力に頼るのを諦め、助けてもらう意思を発揮するまで、無限の忍耐を持って待ち続けているということです。
今日はこのすごい事実を確かめるために、一日の終わりに静かに目を閉じて、今日遭遇した出来事を全て思い出しながら、これにはどんな意味があるんだろうと世界に尋ねてください。
答えは、平安か喜びか、もしくは穏やかな学びのいずれかに決まっています。
そうでなければ、世界に任せる意味は無くなってしまうからです。
というやつですね。
この一日の終わりワークというのもいくつかありまして、そのうちの一つとしてこれは書いたんだと思うんだけど。
これは要は、僕らは普段意識していないと思うんですけども、私たちとこの世界が一つであるとしたら、この世界というのは様々な意味が含まれているんですけども、
もちろんここに私以外の他の人々も入っているし、それから様々な環境も入っている。
それから流れとか、それから僕らが運とか月とか呼んでいるようなもの。
これよく正体は分からないんですけど、そういう様々な僕を生かしてくれている要因全てですね。
これが世界と、このように僕は呼んでいるんだけども、ここが実は僕らにものすごいサポートをしてくれているんだという、
そういう話なんですね。
そしてこれはどれだけ話をしても、言葉で説明しても絶対に納得することはないと思うんですね。
要は説明だけで、そうか、世界は僕にサポートをしてくれているんだという、こういう理解というか頭で理解することは方法不可能な話なんですよね。
これこそまさに感じるしかない。
こういうことをまさに心を探索しながら、僕らの心の奥底ではこれを知っている自分がいるということなんですよね。
でもそれはいくら考えても分かりっこないし、納得もできないから。
だからこのように5分のワークの中で、まさにこれも自分の心の中を探りながら、深く深く潜って探索しながら、そんな自分に会いに行くということなんだと思うんですよ。
それを知っている自分が、この世界のサポートを生まれた時から散々受けてきて、だから僕らはこうやって生きていられるんだという、この感覚を分かっている自分に会いに行くということ。
これが何となくそうだよねっていうふうに降り落ちると、まさにこのジャッジンワークとかで私がお話ししているこの自力ではなくて、全て力を使うという、これができるようになるということですね。
世界にほとんどのことは任せておいて大丈夫だっていう、こういう感覚です。
これはもう責任放棄でも何でもなくて、僕らが当たり前に使える力を活用しようという、そういうふうな話だと僕は思っているのね。
これを一日の終わりに、今日自分がこの経験した様々なことを思い出しながら、これにはどんな意味があるんだろうっていうふうに、自分が任せている世界に聞いてみるということね。
これは今日本来の自分に尋ねるとか、本来の自分に報告するというのがありましたが、この本来の自分と世界は一つなので、どちらに聞いても基本的には同じということになるんですね。
でもこのワークはね、それがもう少しこの世界というところに広がっていて、なおかつそれが困った時、僕らを助けてくれる、サポートしてくれる、あるいはいろんなヒントを送ってくれるというね、ここに広がっているということですね。
そしてもう一つ、この話の中に入っていたように、だからといって、僕らが望んでもいないのに、その世界の側からね、このお世界にも、いやいやそれ違うからこっちだから、みたいなふうに手を出すことはないということ。
これはつまり一つであるというのは、この世界と僕らは対等なわけですからね。
これをもし指図をするということになったら、僕らは下に見られているということになる。世界はそのように僕らを扱わない。完全に対等だと、この法則に従っているので、僕らが助けてほしいと、あなたに頼りますよと、教えてほしいと、だからこれにはどんな意味があるんだろうと聞くんですけどもね。
その意志を発揮したときに初めてそのサポートは受けられるという、そういう感じね。ここはとても重要なポイントなんですね。だから自力に頼るんじゃなくて、全て力、この世界の力も全部使わせてよっていう、こういう感じ、この意志を発揮するためのワークですね。
それとともに、それはあるなということを実感する頭ではなくてね、そのためのワークという感じですかね。
ワークの紹介
今日は6個ぐらいかな。ちょっと数えてなくてわかんないんですけど。で、さっき言ったようにですね。知恵相撲のSディレクターと同じように、ちょっとBGMを下げる編集をね、これからやってみようと思います。
こんな感じで、そうですね。前回もお話ししたけども、今ワーク集をこの冊子というかな本にまとめようと思っています。今どのぐらいですかね。えっと200ぐらいは言ったかな。この分類というかな。整理はここからこのセレクトしてリライトしてまとめてみたいなことになるんでね。もうちょっと時間はかかるかもしれないんですけど。
なんとかこれはまとめて、そして前回お話ししたね、マインドフィットネスみたいなイベントというかな定期的なその機会を毎週水曜日とかにね、設けながら、そしてこの冊子を一つの教科書というかハンドブックにしながらね、こういうワークを日々の生活の中に取り入れていくというね、そういうことをやりたいと思っています。
今日はそんな感じですかね。まあ今日もですね、どれか一つ今日の紹介させていただいたワークから一つ選んでいただいてね、5分間目をつぶって、えっとまあもう普段からそういうのやってるよっていう人もね少なくないと思うんですけどもね。
いやどうもそんなことはやったことがないという方はこれ本当におすすめなんでね、僕はですね、もうこのあらゆるね体を動かす健康法とかありますよね。ジュギングとかウォーキングとかえっとそれに勝るとも劣らないと思っています。
で、僕はどちらかをどちらを選ぶかと言われたらえっとこちらを選びますね。5分目をつぶるという方を選びます。
まあ実際そうやって今生活してますけどもね。こちらの方が僕らにとってはとても大切だと思います。
だからえっとこれをまあ1日5分目をつぶるという習慣をねつけるだけでもえっとすごく体も心も調子が良くなると思いますんでね。
そのための一つの題材として今日紹介したそのどれかのワークを選んでそれを使って5分間静かにね、目をつぶって心の中に深く深くダイブしながらいい1日をお過ごしください。ありがとうございます。
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