1. グッドバイブス ミッドナイト楽座
  2. 160 考えを手放せば平安に戻れ..

今日は、グッドバイブスの基本の型「自分を痛めつける考えを手放す」ができなくても、そこに出口があることを忘れなければ、苦しみや辛さは和らぐという話をしています。番組でお知らせしたJazzin' Workのお申し込みはこちら→ https://goodvibes20230827.peatix.com

サマリー

これは心の平安を取り戻すための基本の型です。自分を痛めつけるような考えを手放すことが必要です。考えを手放す出口だけを見失わずに、自分を痛めつけるような考えを手放すと平安に戻れます。考えを手放すことで平安に戻れるという出口を見失わずに、考えるという行為には光があることを感じていただければと思います。ただし、やめれば平安に戻れる可能性を常に頭の片隅に置きながら考えてみることです。

目次

基本の型
グッドバイブス ミッドナイト楽座 by 倉園佳三
こんばんは、ただいま8月23日水曜日の午前2時23分ですね。
今日はあの久々にというのも変なんですけども、私がねこの番組でお話ししている、まあ私の提案というか、このグッドバイブスというね、
そういう名前がついている考え方のその総称なんですけども、これのですね、なんとなく私はこの基本の型というのがね、あると思っていまして、
これをですね、ちょっと改めて取り上げてみたいなと思うんですね。
というのも、最近ですね、その前回お伝えしたそのオンラインコミュニティのグッドバイブスファクトリーとかね、それから私が日々やっているワントレですね、ワンオンワンのセッション。
ここでまたまたね、偶然というか、この基本の型の話がね、何度か登場したんですね。
だからなんとなく私はこの番組はですね、独自に今日どんなお話をするかというテーマをこのひねり出すのではなく、なんか私が日々いろんな人と関わっている中でね、
たまたま出てくる品質する話題みたいなのを取り上げるのがね、タイミングとしていいかなと思っているわけですね。
なんかそうですね、身近なところで例えば3、4人の方と同じ話題をね、交わしたとすると、もしかしたらこの番組を聞いてくださっている皆さんの中にもその話がね、割とタイミングとしてピタッと合う方が多いんじゃないかというそういう読みなんですけどもね。
そんな前提で今日は改めてこの基本の型というのを振り返ってみようと思っています。
こいつはですね、まず前提としてね、一つの仕組みというかこれを認識しておく必要があるんですね。
これはどういうことかというと、あらゆる不安や怒り、それから罪の意識。
これはですね、外側にある要因が勝手に僕らの心に植え付けるのではなくて、自分が考えることによって生まれるということですね。
あらゆる不安や怒り、そして罪の意識、これは自分が考えることによって生まれるということ。
要はこの職場でね、上司とものすごい何か口論をしたと。
それから未来にすごく気がかりなことが心配なことがあると。
考えることの難しさ
それから何かをね、やらかしてその相手にね、お前は失礼じゃないかみたいなことで注意されたとする。
だとしてもこの家に帰ってまでね、そのことについて考えなければ一人で悩んだり落ち込んだりね、あるいは行き通ったりしなくて済むんですね。
これがまずはその認識しておきたい仕組みなんですね。
でもちろん、このような解釈というのは一般にはとても受け入れがたいと思います。
僕らはね、やっぱりこの僕らの心かな、これは悪というのは自分の外側にあってね、その悪行によって僕は悩まされていると。
このようにやっぱり見ることを望んでいるからなんですね。
そうじゃなかったら、このいつも傷ついている側が悪いじゃないかっていうおかしな話になってしまうわけですね。
だからこのようにとってしまうと、自分が考えることが不安や怒り、罪の意識を生んでいるんだっていうふうに捉えてしまうとね。
じゃあいつもこの傷ついている側が悪いってこと?みたいなこういうことになってしまう。
だからこれはとてもじゃないけどね、なかなかそのメディアとか公の場ではね、こういう仕組みについてはその口にしにくいわけですね。
でもこのね、今日お話しするこの基本の型というのは、悪いものを探すためにあるわけではないんですね。
問題というのは確かに僕らの外側に存在しています。
でももしね、問題があるたびに僕らは必ず必然として悩まされる、苦悩に追い込まれるね、怒り、そして罪の意識を抱かされるとしたら、
これはその私が目指すそのグッドバイブス、幸せになる、しかも完全無欠の幸せを得るというこの試みは不可能ということになりますから、
もし問題があったとしてもね、僕らは自分の意思で平安な心でいることができるというね、
これは私が思うにまさに誰も教えてくれなかった可能性なんじゃないかと思うんだけども、
この可能性を手にするためのお話なんですよ。
だからこれはあくまで個人の心の取り組みの話であって、
その社会の仕組みとか常識とかそういうものを変えるためのものではないということ。
で、もちろんこの問題とかね、そういうものを修正したり改めたりしなくてほっといていいという話ではとんでもないわけですね。
そんなわけではないわけです。
そういうものがあったとしても、この平安を取り戻した自分で淡々とこの解決に向かえばいいわけですね。
だから繰り返しますけども、これはね、悪者探しのためにあるのではなく、
まさに自分の意思で平安な心でいるというね、この可能性、これを手にするためのものというね、ここを一応整理しておきたいなと思います。
要は基本の型に戻るとですね、まず仕組みとしてはあらゆる不安や怒り、罪の意識、
これはですね、外側にある要因が僕らの心に勝手にこの上つけてくるのではなく、
私が考えたことによって生まれるということ、これがね、重要なポイントですね。
ここをその認識すると、まさにこの先ほど言ったようにこの僕らの意思で苦しみから抜け出すための基本の型というのが見えてくるわけですね。
これが心の平安を取り戻したいなら、自分を痛めつけるような考えを手放せばいいと、これが基本の型になるわけです。
考える理由と悩みの解消法
心の平安を取り戻したいなら、この悩み苦悩、そういうものから抜け出して心を平安にしたいんだったら、自分を痛めつけるような考えを手放すということね。
これがもうまさに基本の型なんですよ。
これはですね、たぶん私が今でも割とこのGood Vibesの取り組みというのかな、これを続けてくださっている方に対しても、この基本の型のお話をする機会が少なくないということはですね、やっぱり繰り返し繰り返し見直さないとすぐに忘れてしまうというかね、
そこそかそういうそれ基本だったよねっていうところを見失ってしまうという、そういうものでもあるんでしょうね。
だから今日はこの話を取り上げたんですけどもね。
この心の平安を取り戻したいなら、自分を痛めつけるような考えを手放すというね、この方はですね、残念ながらとは言いたくないんですが、何度か成功して自身でね、自分でこの結果を実感するまでは、いろんな理由からそんなことはできないよとかね、いやそれは難しいでしょうっていうふうに感じてしまうんですね。
これは仕方がない。
で、この様々な理由からと今言ったんだけども、それがね、どんな理由かをね、ちょっと挙げてみたいと思うんですね。
で、これはなぜかというと、これがこの自分がね、考えたくなってしまう理由なのかと、考えるのをやめるのは難しいよと思う理由なのかっていうふうにね、この気づくことができれば、少しはこの考えを手放すというね、これがやりやすくなるんですね。
だからちょっとね、今日のテーマは、この考えるのをやめましょうっていう話をするつもりはないんですよ。
そうではなくてね、後でそのお話ししますが、そうではないんですが、これ良かったらですね、なぜ私たちはその考えたくなるのか、考えるのをやめるのが難しいと思うのかの理由のね、参考にしていただければなと思います。
これがわかるだけでもね、ずいぶんとなんていうのかな、なるほどね、これだから考えちゃうんだねっていうここに気づけるんでね、一つ役に立つポイントかなと思います。
どんな理由で僕らはね、この考えを手放す、そんな無理だよと思うか。
一つ目はですね、もう少し悩んでも問題ないと思っているから、これだと思うんですよ。
要は自分でね、これ考えてるから苦しいんだなとかね、考えてるから不安になるんだなとわかったとしても、もう少しこれを続けても大丈夫なんじゃないかなっていうね、そんな感覚を抱いてるんじゃないかなと思うんですね。
でも僕はこれはとても大きな誤解だと思います。
そもそもね、この自分を苦しめることを考えている時というのは、僕らはね、間違いなく自分か他の人かこの世界を攻撃しているはずなんですね。
例えば未来の不安だとしますわね、そのことについて考えている。その不安をもたらした誰か、もしくはその状況、環境みたいなもの、ここを攻撃していますよね、おそらくね。
なんでこんな風になるんだよみたいな感じでね、しかもそこの不安の中に自分に要因があるなと思ったら自分を攻撃しますよね。
これはまあこの最近のこの番組でお話しがまさにこの罪と罰の仕組みみたいなところと関係しているんですが、自分を苦しめることを考えているということはこの自分他の人世界このいずれかを攻撃しているはずです。
僕はですね、やっぱりこの朝からこの番組でね、あまりこの怖い話はしたくないなと思って、ちょっとこの話はね、意図的に控えていたんですけども、ちょっと今日はね、せっかくなんでこれを出すとすると、この僕らが考える、頭の中で考える攻撃というのはね、これは破壊したいという衝動に他ならないんですよ。
その対象を破壊したいというね、ここにつながっているんですね。
なんとなくここまで行くとそんなところまで考えてないなっていう感じがするんだけど、僕らのこの考えというのはね、なんていうのかな、一本の矢のようなものなんですね。
だから途中で止めるっていうことがなかなか難しい。
そしてどこまで行くかわからないんだけども、多分最終的にはその相手を破壊したいという衝動をここにつながっているはずなんですよ。
だからこの自分がそのように攻撃的な考えを抱いているときにどんな発言をするかっていうと、例えばこれが人だとすると、あんなやついなくなればいいっていうふうに思いますよね。
これはまさに破壊したいという衝動の現れなんですよ。
それから会社とか組織だったら、わりとあっさりと潰れてしまえばいいじゃんみたいなふうに言いますよね。
そしてSNSにはこの手の言葉がワンサが飛び交っていますよね。
これが僕らの攻撃的な考えの正体なんですね。
もしこれが自分に向けられたらどうなるかっていうことを想像してみると、とんでもないことだと僕は思うんですよ。
これは前話かな、確か前話だと思うんですが、前話でこれのちょっとした自分に何をしていたかみたいなことでね、私のケースをお話ししたんですが、
とても残酷なことをやってきたと、そういうふうに前話でお話ししたんだけども、
だからこれはやっぱりもう少し悩んでいても大丈夫だろうっていうのはね、たぶんそんなことはないんですね。
できればやらないほうがいいということ。これが一つ目の理由ですね。
それから二つ目はね、そもそもこの考えが苦悩を生んでいるっていうね、考えが不安とか苦悩とか怒り、
これを生んでいることを認めたくないっていう感覚もあるかもしれないね。
これは先ほどお話ししたその一般にはこの解釈は受け入れがたいという、ここに関連しているかもしれませんね。
俺が悪いのかよ、この考えている自分が悪いのかよ、みたいな感じかな。
これが二番目。三番目はもう単純に悔しいからですよ。
悔しいっていう気持ちはやっぱりなかなか僕らの中で解消するのが難しい。
この考えるのをやめると悔しさもなくなるんですけどもね、考えないでいることが悔しいというループしちゃうんですね。
悔しいから考えるんですよっていうこういう感じかな。
これもですね、よくよくこの心の中を覗いてみると、これは最近よくお話ししていたようにね、
これは自分の罪悪感を誰かに投影したいと思っているんですね。
要は相手に罪悪感を抱かせたいということ。
でも多くの場合、この期待は裏切られるわけです。
相手は自分が思うように罪悪感を抱いているか抱いていないかもわからないし、
そのような素振りが見えないと僕らは悔しいわけですよね。
これが悔しさの正体なんですよ。
だから実はこれもですね、悔しいという気持ちは消し難いよと言いながらですね、
じゃあ一体何をしているのかというところに気づいてみると、
なんかこの悔しさというのは不毛だなという感じ。
ここに何というかな、たどり着けるとね、そう難しくなくなるんですけどもね。
これが3番目。
4番目はですね、困った時は考えるというね、
これが当たり前でしょうっていう習慣がついているってことですね。
それから5番目。
5番目は考えることで問題が解決すると信じているから。
4番目と5番目は似ていますよね。
これはおそらくどっかでそれを習ったんじゃないかなっていうそんな感じがしますね。
で、この次のね、6番目もなんかこの教えられた系な感じがするんですけども、
考えの手放し
この自分の人生にね、悩ましいことがある時に楽しんだりくつろいだりしてはいけないというね、
こういう教えかな、これはありますよね。
これをやるとね、のんきだと怒られるんですよね。
だから、この状況の色と同じ心で過ごさなければならないという感じかな。
これは割と人の目を気にしている感じもありますね。
要は会社がうまくいってない時は笑ってはいけないとかね。
なんか私も経験したことがありますね。
ちょっともうその売り上げ落ちてるのによくそんな笑っていられるねみたいなね。
だとするとこの状況の色、つまりうまくいっていないとかね、
この状況の色と同じ心でいるためにはそのことについて考え続けなければならないわけですよ。
そのことから考えが外れるとね、ついなんかギャグを言ったり笑ったりしてしまうんで、
いっつもそっか、今会社傾きかけてんだとかね、売り上げ落ちてんだよなとか、
このままじゃボーナス出ないんだよなとかっていうことをずっと考えてなくちゃいけないわけですね。
だからこの悩ましいことがあるときは楽しんだりくつろいだりしてはいけないという教えによって、
自然と考え続けなければならないというね、これも一つの大きな理由かな。
そして最後のね、これが7番目になるのかな、極めつきだと思うんですが、
これはですね、さっきの悔しいにちょっと関連してるんですけども、
真っ暗な鉛の球体
このうまくいかなかった出来事、それを受けてね、家に帰って一人で考えるんだけども、
これがこの中身がですね、もう世界を思い通りにしたくてたまらないというね、
だからついついそのシミュレーションにふけてしまうってやつですね。
これが一番でかいんじゃないかなと僕は思います。
自分のね、やってきたことを振り返ってもね、要は想像の中でこの相手を攻撃してるわけですね。
一番目に言ったようにこのパターンが多いわけですね。
その中身は多分世界を思い通りにコントロールしたい。
それから世界をね、自分が思っている理想のような形に変えたい。
もっと言うとこの世界をギャフンと言わせたい。
ね、よく言うこのギャフン、よくわからないギャフンなんですが、
これ以前はね、お話ししたと思うんですが、この偽りの自分は世界征服を望んでるわけですね。
世界征服と言っても小さな世界なんですがね、今はね。
もうあの今時この本当の世界を征服しようなんて人はね、おそらく現れないでしょう。
だからもっともっと身近な世界。
コミュニティとかね、会社で言うと部署とか、もしくは家族ですね。
こういうものを征服したいと望んでるわけですね。
で、それができなかった。
で、これを考えの中でね、えっとガクガンシミュレーションしながら、
あの時こう言ってこういう反論をしておけばギャフンと言ったんじゃねえかみたいなことをね、
本当に延々とシミュレーションしてるわけですね。
これが多分この7番目が一番大きいと思うんですけどもね。
まあこのような理由で僕らは頭でわかっていても考えを止めるのが難しいと感じてしまうわけですね。
もう一度このね理由を簡単にまとめるとですね。
一つ目はもう少し悩んでも問題ないと思っているということね。
2番目、そもそもこの考えが苦悩を生んでいるということを認めたくないというね。
そして3番目が悔しいですね。
4番目が困った時は考えるというこの習慣が染み付いているから。
5番目が考えることで問題が解決すると信じている。
そして6番目がね、これはちょっと笑ってしまうんですけども、
悩ましいことがある時は楽しんだりくつろいだりしてはいけないよと教えられてきたからね。
無理にその悩ましいことについて考えてしまうということですね。
これもまあ一つの癖、習慣なのかな。
そして最後7番目が世界を思い通りにもうコントロールしたいというね。
この願望がもう抑えきれずに、実際にはそれができないんだけども、
頭の中でね、自由自在にこのシミュレーションをしているという、
これも一つのリベンジなのかな。
このあたりがその頭では分かっていても考えを止めるのは難しい要因になっているということですね。
これは僕は仕方ないと思います。
今挙げたような理由がね、まあ一つ二つじゃなくて、
三つ四つ五つこれがもう絡まってね、同時に出てきたりしたら、
脱出口からの平安
こんなものを一個ずつクリアしていくのはやっぱりなかなか難しいですよね。
だから先ほどお話したように一度でも成功するとね、
その効果の絶大さというのが実感できて、
それに比べれば今挙げたような理由なんてどうでもいいなっていうふうに思えて、
考えるのを止めることがなんとなくできるようになってくるんですけどもね、
先ほどお話したように今日はその話をしたいんじゃないんですね。
この基本の型のもっと別の使い方というのを紹介したいんですね。
だからもしどうしても無理だと考えるの止められないと手放せるはずないじゃんって思ったら、
もう無理にそうしなくてもいいというのが今日お伝えしたいことなんですよ。
その代わりにね、つまりこの基本の型ですね、心の平安を取り戻したいなら、
自分を痛めつけるような考えを手放せばいいというね、
この基本の型がうまくいかなかったとしても、
この出口だけは見失わないようにするということなんですね。
この出口というのはまさに考えるのを止めるというこの出口ね、
うまくいかなかったとしても、
この考えるのを止めるという出口だけは見失わないようにしておくという、
これをやってみてほしいんですね。
やっぱりその考えるの手放すみたいなことをね、
トライしてみようとしてうまくいかなかったとしたら、
もうそれはできないんだっていうふうにね、
自分の頭の中から消してしまうことが多い。
これを止めるんですね。
できるかできないかはどうでもいいので、
この考えを止めるっていうところに出口があるんだなという、
ここだけは捨てないようにしておくということです。
頭の片隅に置いておくということ。
もしこれを持たずに、まさにこの考えを手放すという選択肢を持たずにね、
ひたすら考えに没頭するとしたら、
おそらくそれは私の感覚ではね、
この真っ暗な鉛のドームに閉じ込められているような感じだと思うんですね。
まず結構小さなドームなんですよ。
ドームというよりもカプセルかな。
自分のどのぐらいかな、体がすっぽり一つ入って、
それが直径のどのぐらいかな、8割ぐらいかな、
そのぐらいのドームです。
球体です。
鉛の球体の中に真っ暗ですよ。
全くどこにもその出口がない。
窓もなければね、扉もない。
本当に密閉されたこの鉛の球体の中に閉じ込められているような、
そんな感じが私はするんですね。
これがその手放すという選択肢を持たずに、
ひたすら感慨に没頭している状態。
こんな感じがします。
これはまさに発砲塞がりでね、
どこにも出口が見当たりませんよね。
ちなみにこの真っ暗なこのカプセルというかな、
球体の中で考えていると、
ここに僕らの想像した通りの世界が作られてしまうんですね。
これが真相、イリュージョンなんですよ。
これはなぜかというと、
この番組でもよくお話しするように、
僕らにはこの想像力があるからですね。
そしてこの想像力というのはね、
僕らの思い、もしくは考えから始まることになっているんですね。
これが現実の世界のように見えてくるという、
この想像力を僕らは持っているわけです。
例えばね、先ほどお話したちょっと嫌な話だったんですが、
この破壊の衝動みたいなものを持って、
いろいろ考え尽くしていくとですね、
まさにこの消えていい存在とかね、
潰れていいよみたいな組織が、
自分の周りに山ほど現れてくるわけです。
そんな願望を持っている自分がね、
恐れや不安を感じないはずがありませんよね。
恐ろしいことを考えているわけですよ。
消えていいよ、潰れていいよみたいなことを、
そんな願望を持ちながらね、この世界を想像していく。
そうすると翌日ね、
まさにそのような世界を連れて職場に行くことになるわけです。
そしてそのような衝動を持った自分を連れて、
職場に行くことになるわけですね。
そうするとどうなるかっていうのをね、
想像するだけでやっぱりゾッとしますよね。
おそらくあらゆるものが自分から何かを奪っていくような、
そういう危険なものに見えるでしょうね。
で、またその後一人になったら、
またそのことについて考えるという、
この風論ループに陥るわけですね。
まさに出口のない真っ暗な鉛のカプセルじゃないですかね。
球体っていうかな。
だから何としてもこの状態だけは避けたいわけですよ。
ここに陥ってしまうとね、本当に抜け出せない。
そしてこれがね、最終的には必ず自分への攻撃という形に向かっていくのでね、
僕らは非常にこのダメージを受けていくわけですね。
これだけはね、本当に何としても避けたいわけです。
だからこんな時にね、頭の片隅にでもいいので、
考えるのをやめるというものを極めて具体的な手段、平安になるためのね、
これを持っているだけで、先ほどのこの鉛のね、小さな球体に脱出口が開くんですよ。
パカッとね。
で、そこにたどり着けるかどうかはわからない。
これは考えるのをやめるという脱出口なんでね、
そこから抜け出すっていうことは考えるのをやめたってことですから、
考えるのを手放したってことですから、
抜け出せるかどうかはわからないんですよ。
でもこの脱出口が開いているっていうのがでかいんですね。
考えを止められなくてもいいんです。
でもここからこの脱出口ということはね、その向こう側には平安が待っているわけです。
つまりこの真っ黒な球体の中に、その平安の光がそこから差し込んでくれてるんですよ。
だからなんつーのかな、暗い部屋の中に一人でいるんだけど、
ちょっと遠くにこの月明かりが見えてるみたいなね、そんな感じ。
真っ暗ではないんですね。
そしてそのこの出口ってなんだって、この出口の正体もしっかり認識しているわけです。
これは今考えていることをやめるっていうね、この具体的な手段、
それがこのパカッと開いた出口の正体ですよね。
そしてそこからその先にある平安という光がふわっとこう差し込んでいる。
これを見ながら考えてくださいということなんですよ。
だから考えなくて、考えを止めなくてもいいというのはそういう意味なんですね。
このパカッと開いた、えっと脱出口から差す光を見ずに先ほど言ったようなね、
考えに没頭しているこの状態だけは避けたい。
こうなると本当に抜け出せない。
そして恐ろしい心象を作り出してね、それを抱えたまままた翌日の現実にそいつを連れて行ってしまう。
そこで見えているものは前の日にね、この小さな真っ暗なね、
鉛の球体の中で自分が作り出した恐ろしい世界なわけですね。
恐ろしい自分なわけです。
こんなものをループさせないように、この球体の中で考えてもいいんだけども、
必ずそこには出口が開いてて、そして繰り返しますけども平安の光がそこから差していると。
これを見ながら考えるんだったら僕は大丈夫だと思います。
なぜかというとね、この脱出口から差す光を見ているだけで、
僕らはこの自分の思考というのかな、考えていること、これが紛れもない現実だっていうふうに信じ込むね、
この力が随分と弱くなってくれるからなんですね。
つまり結論から言うとこの基本の型ですね、平安を取り戻したいなら、
自分を痛めつけるような考えを手放せばいいというこの基本の型は、できるかどうかはどうでもいいんです。
実際にやった方がいいに決まってるんですけどもね。
考えを手放し、平安に戻る出口を見失わないように
でもまずはこれができるかどうかではなく、それを知っている自分として過ごすということね。
これだけでも本当に十分すぎるほど効果があるんですよ。
だからこれをぜひですね、試してみてほしいんですね。
考えても構いません。いくらでも考えたければ考えていいと思います。
ただし絶対にこの出口がない状態、真っ暗な鉛の球体の中で、発泡塞がりの中で考えるのではなくて、
私がその気になって考えるのをやめれば、あの出口から出て平安なとこに戻れるんだなという、
この光だけは見失わないようにして考えるという、
この2つの違いをちょっと実感してみていただければなと思います。
だから考えを止めようなんてことを無理やりする必要はない。
ただしやめたら平安に戻れるんだよねっていうこの可能性をいつもいつも頭の片隅に置いておきながら考えてみるというね。
こんなふうにちょっと捉え直して、この基本の型を使ってみてください。
今日はこれをお伝えしたいなと思っていました。
今週末は確かジャジンワークウィークですね。
週末にやります。
8月27日、また13時からね。
今回のリアル会場も私の地元の南大沢です。
最近ですね、この南大沢が大人気でしたね。
皆さん交絡も兼ねて、結構たくさんの方がいらしてくれるようになりました。
築地とかね、それから千歳カラス山とか、今度八丁堀でもやるんですけどもね。
あと新宿でもやりましたね。
そこの参加者よりも最近ではこの南大沢の方が多いというね。
しかも今回ももう既に親子でいらしてくださる方が2名エントリーしてくださってましてね。
また盛り上がると思います。
そして南大沢のリアル会場の後にはね、楽しい懇親会も待っていますんで。
最近はね、アウトレットの中にある自然食品。
自然食品って言っちゃいけないのかな。
オーガニック料理のバイキングみたいなやつかな。
ここに行くというのがね、定番になってまして。
で、あと最近またいいパステ屋を見つけたのでね。
今週はそこにしようかなと思ってるんですけども。
まあちょっと皆さんいらしてね、相談して決めるんですが。
このジャジーンワークはですね、最近始める前に7つの作法の説明と、
それから5分か10分くらいのこういうワークをね、いつも盛り込むようにしてまして。
確か前回は許せないこととか不安なこととかね、自分に課していること。
これを何か心の鎖に見立ててね、それを一つ一つ解いていくというね、そういうワークをやりました。
まあ皆さんね、とても楽になりましたとか。
あとある方はですね、ちょっと自分の体調に関することで気になっていたことがね、
ちょっとそこから解き放たれた感じがするみたいなことをおっしゃっていましたね。
なのでちょうどね、今日はこの話をしたので、
次回のジャジーンワークはまさにこの考えを手放すワークというのをね、やってみようかなと思っています。
そんなことも盛り込まれていますのでね。
あとはもう6時間、本当に好きに過ごすと。
光を見失わずに考え続ける
やりたいことをやったりね、普段できないと思ってたことをトライしてみるとか、
それから思いっきり休んでみるとかね、思いっきりダラダラしてみるとか、
本当に皆さん思いに過ごされていて、
まあ見ているだけで、Zoomで見ているだけでもね、
随分となんというかな心が和む、そんなイベントになっていますので、
よかったら8月17日ジャジーンワークご参加ください。
これはね、スタンプカードというのがありましてね。
矢部聖子さんが手動でいつも更新してるんですけども、
画像があってですね、一人一人そのウェブサイト1枚ね、
マイページが配られていてね、そこに自分のスタンプカードがあって、
私がやっている様々なイベントに参加していただくと、
1つ押すんですね、ポンと。
ポイントでとかデッサン教室とかね。
なんと5個貯まるとですね、無料参加クーポンが1枚もらえるというね、
しかもリアル会場の参加は2個ですんで、
リアル会場に2回、そしてオンラインで1回参加すると、
もう1枚無料クーポンがゲットできるというね、
かなり太っ腹なスタンプカードも付いてますので、
よかったら今週末27日ご参加ください。
じゃあ今日はですね、まずグッドバイブスの基本の方、
これをおさらいしましょう。
心の平安を取り戻したいなら、
自分を痛めつけるような考えを手放せばいいというね、
この方をしっかりとこの頭の片隅に置いていただいて、
そして実際に考えを手放せなくてもね、
うまくいかなくても、ここが今日のポイントなんですが、
この考えをやめるという出口だけは見失わないようにするというね、
先ほどお話ししたような鉛の球体にぽっこり小さな穴が開いていて、
そこが脱出口、そこから平安の光が差し込んでいる。
これを見失わないようにして、
この光を見ながらなら考えてもいいと、
そんな感じでいい1日をお過ごしください。
ありがとうございます。
32:10

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