1. グッドバイブス ミッドナイト楽座
  2. 158 誕生日に贈る「赦す」とい..

おかげさまで、8月17日に61回めの誕生日を迎えました。なんとなくめでたい今日は、罪と攻撃の夢から目覚めるために見る最後の夢「赦す」方法について話しています。

サマリー

グッドバイブスの誕生日ランチパーティーでは、61歳の誕生日をお祝いし、罪悪感と許しの話題が取り上げられています。罪悪感は自分や他の人に対する攻撃に繋がることがありますが、許すことで平和を手に入れることができます。目覚める方法として、夢の中で許すという夢を見ることがあります。夢の中では偽りの自分が罪と罰と攻撃を感じるかもしれませんが、本来の自分には罪はなく、許す必要はありません。しかし、目覚めるためには夢の中で許すことが必要であり、許すという最後の夢だけが平和をもたらします。このエピソードでは、誕生日に贈る「許す」という最後の夢を見ることで、平和と強さを得る方法について話されています。また、このエピソードでは、誕生日に贈る「許す」という最後の夢を見て平和に目覚める方法について説明されています。

目次

グッドバイブスの誕生日ランチパーティー
グッドバイブス ミッドナイトラクザ by 倉園佳三
こんばんは、ただいま8月18日金曜日の午前2時39分です。 日付としてはですね、12時を過ぎたので今18日なんですけども、私のこの生活の感覚というかね
それではまだ寝ていないので、17日なんですよ。今8月17日を私は生きていまして、これが私のですね、誕生日なんですね。
だから今日は一応この収録はですね、誕生日に撮っているということで、61歳になりました。
昨年ね、この番組を始めてすぐだったと思うんですけどね、初めて1ヶ月ぐらいでちょうど歓歴を迎えましてね、その話も番組の中でしたと思うんですが、あれから1年経ちましてね、私も無事に61歳の誕生日を迎えることができました。
そしてなんとですね、何年かぶりかなんですけども、一応ですね、この誕生日ランチみたいなことをね、開いていただきまして、これはあのどちらかというとこのGood Vibesのね、イベントだとかそういうもので知り合った方なんですけどもね、私を含めて3人というね、こじんまりとした会だったんですけども、
この池袋のね、スペイン料理屋さんでランチ、バースデーランチという、まあ要はバースデーパーティーですかね、誕生日パーティーを開いていただきまして、これがほんと何年かぶりなんですよ。どのぐらいぶりかな、もしかしたら6、7年ぶりぐらいかもしれない。
というのも、私は昔からですね、この友達が少なくてね、なんかこのたくさんの友達といろんなこういう関係を結ぶみたいなことはほとんどなくて、いてもその時にね、2人とかそのぐらい、これがもう最大数ぐらいかな、3人ぐらいという時はあるかな。
で、今はですね、なんかその、必要としないと言うとなんかちょっと嫌な感じがするんだけど、まあ本当にこの活動を通してね、グッドバイブスファクトリーのコミュニティの皆さんとか、それからワントレを受講していただける皆さんとかね、あとボイトレとか、執筆教室かき上げ塾とかに来ていただける皆さんとその交流していることがね、私にとってはそのいわゆる友達付き合いとなんだかわりないのでね、
あえてそれ以外の友達を積極的に作ろうみたいな動きは全くしていなくて、だからどんどんどんどんこのね、そういう方々が私の誕生日パーティーを開いてくださるというわけにもいかないのでね、お互いに繋がりがないですからね、ほとんど一対一の関係みたいなことになってますんで、
でも今年ね、初めてなんかそのような繋がりで、私ではなく、私がやろうぜって言ったのではなく、あちら側からですね、ランチパーティーをやるんでどうでしょうかというお誘いを受けましてね、行ってきました。
それでこういうことをもう6、7年やっていないと、どんな感じかとかいうのも忘れていたのでね、なんかそんなに楽しいものだろうという感覚も薄れていたんで、すっかり忘れていたというかね、あ、そうですかみたいな感じで軽い気持ちで言ったんですけどもね、これが本当に嬉しくてですね、やっぱり誕生日パーティーとかする方がいいんだなみたいな、そんなことを感じましたね。
そしてこの番組も聞いてくださっている方々なので、私が以前ね、このマスエアの原稿用紙を買ったというこのちょっとはしゃいだ話をした時のエピソードも覚えていてくださいまして、今回そのマスエアのノートをね、大賞2冊セットというのをプレゼントにいただきまして、この誕生日プレゼントをもらうというのも本当に久々なんですよね。
だから今日は本当に良い1日でしたね。久しぶりに誕生パーティーはいいな。来年はどうなるかわからないんですけども、とても良い1日を過ごしました。そして今日どんな話をしようかなというのはね、さすがにちょっと意識していましてね。
罪悪感と許すこと
それでたまたま、これも不思議な巡り合わせなんですけども、この誕生日を迎える1週間ぐらいの間かな、だから8月の10日ぐらいからか、この間にまだちょっとね、私の中では割とちょっと苦しい時期というのを迎えましてね、これが何というのかな、自分の中のこの罪悪感というのがね、これを許さないと前に進めないという、
まあ主にそういう感じだったんですね。そして他の人も2割ぐらいかな、自分の中の罪悪感が8割、そして他の人に対するちょっと許せない感じっていうのが2割みたいな。
で、ここを許さないと多分私はいい感じでね、前に進めない。場合によっては今やっていることを自信を持って遂行できないというかね、そんな感じのちょっと重さをこの1週間ぐらい抱いてまして、まあそれなりに結構頑張ってね、そこを許すというか、
一生懸命その罪悪感を手放したり、他の人を許したりするような取り組みをしてきたんですね。で、どのぐらい前かちょっと忘れたんですけど、確かこの番組で2週間ぐらい結構厳しい状況にあったってお話をしたんだけど、あの時とまあまあそれなりに似ている感じなんだけどちょっと違うというかね、
まさにこう螺旋階段をこう登っていくような感じで似ているんだけどちょっと自分にとっては少し違う課題のような感じがしていて、なおかつこれは予感だったんですけどもね、ここを通り抜けるとなんかすごくいい感じになれるんじゃないかなというね、平安、私が言うとこの平安、そして幸せな感じ。
それからまさに私がいつもお話しているこの本来の自分の特性みたいなもの、こういうものがね、より実感できるんじゃないかなという予感があってですね、ちょっと厳しいという感じであったんだけど、まあ頑張って取り組みをやりまして、まあ要は許すということをね、ずっとこの1週間続けてきて。
で、まあ結果としてね、ちょうどこの誕生日前の日から16日ぐらいに、お、なんか霧がサッと晴れたぞというこの実感を得た直後に今日のパーティーだったんですよ。
で、これも刑事課の話としてはね、そんな偶然だよって感じなんですけども、刑事上の方から見るとね、やっぱりこれはちょっと私の中では意味があるような感じがしていて。
そして今日はね、私以外の他の2人がね、祝ってくれたというおめでとうございますと、まあ誕生日を祝ってくれたんですけども、なんかこの1週間のね、苦労をねぎらっていただいたようなおめでとうございますという、そういうふうにも聞こえたんで。
今日はね、えっと、まあ何度もこの番組で取り上げている話題なんですけども、改めて許すというこのテーマでお話をしてみようかなと思っています。
で、以前からね、どうやると許せるんですかって質問をよくいただいていて、ここだけはね、なんか私はこの要領を得なかったんですね。
このね、方法とかないんですよね、みたいな感じで。許せる自分が必ずそのあなたの中にね、いるのでね、その自分を信じて許すとやってみてください、みたいなことしかね、本当に曖昧な感じでしか答えられなかったんですけども、今回このね、1週間の中で私はこの話も自覚していましてね、ああ俺はどうやってこれをやってるんだろうっていうのをね、結構見張っていたんですね。
そしたら2つぐらいね、そのコツみたいなものがなんとなくこう見えたというかね、こうやってるなっていうのがね、こう自覚できたので、それも併せてね、今日お伝えできればいいかなと思っています。
最近お話ししてきたね、この平安と戦場みたいなね、戦う場所、ここにも続くようなね、流れになるので、一連のこの平安とバトルフィールド、戦場、この関係の中で、それをどのように平安に変えていくかという話の決定盤というかね、多分これが最強メソッド。
本当はここが一番ね、うまくいくんだと私は思っていますんでね、そんな流れでちょっと許すという話を今日はしてみようと思っています。
で、この話はね、やっぱり罪悪感から始まるわけです。
罪悪感というものがなければ、許すということも必要ないのでね。
僕らは、この罪悪感に対してね、どう見ているかというと、おそらく自分や他の人が罪を犯したというね、この認識、そして反省したり行動を改めたりするためのものというふうにね、割とこの軽めに捉えているんですが、この番組でも繰り返しお話ししてきたように、罪悪感というのはそんな代物ではないんですね。
まずここにはね、だから罰しなければならないという信念が必ず伴うわけです。
罪の意識だけ、罪だけを見るというかね、罪の意識だけを持つなんてことは絶対にありえなくて、これは必ず罰とセットになるということ。
そしてこれに加えてね、さらに厄介なのが、僕らはね、この自分に、自分の中にこの罪悪感を入れておく入れ物みたいなものがある感じがしていてね、ここには容量が決まっているんですよ。
コップなのかバケツなのか人によって違うんですけども大きさはね、ここから罪悪感がよく溢れ出してしまうんですね。
つまり自分で抱えきれなくなると。
こういう時僕らはですね、この罪の意識を自分から切り離したいというね、これは切実な欲求なんですけどもね、これを持つわけです。
そしてこれを他の人に投影するんですね。投げるということ。
これは私の罪ではなくて、この人たちの罪なんじゃないかという、これがまさに投影なんですよね。
自分の罪をプロジェクションマッピングのように他の人に映写して、そしてあたかもそれが自分ではなく、この周りにいる人たちの罪のように見るというね、これをやるわけです。
その目的はね、先ほどお話ししたようにキャパを超えてしまうからですね。
自分の容量の中で抱えきれなくなっているから、だからこれを外側に投影しようとするという。
要はこの罪悪感にはね、この2つが伴うということ、これが必ずついてくるわけですね。
罰しなければならないという信念、そしてこの罪を自分から切り離したいという欲求からね、自分の罪悪感を他の人、外に投影してしまうということね。
このあたりがあまり認識されていないというかな、割と軽く見られているという、私はそんな感じを持っているんだけども、この2つがやっぱり厄介なんですね。
攻撃と許しについて
じゃあこの2つから何が生まれるかというと、攻撃が生まれるということですね。
罰しなければならない、この罰を与えなければならない、これは必ず攻撃になります。
そしてそれを、この罪の意識を他の人に投影したらね、その人が持っている罪ということになるので、ここから当然、自分が罪を投影した相手への攻撃というのが始まるわけですね。
だから自分であれ、他の人であれ、罪悪感を抱いた瞬間に、僕らはね、自分か他の人、もしくはその両方を攻撃し始めているということなんですね。
これはですね、この攻撃というか、この矛先というのかな、これが先ほどの投影するかしないかみたいなことによって、大体3種類に分かれるわけですね。
まず1つ目は、これは投影した場合ね、自分の罪悪感を投影した場合は、これはその投影した相手、つまり他の人を攻撃する、これが1つ目ね。
2つ目のパターンは、それをせずに自分を攻撃するということですね。
自分に罪悪感を抱き、それを外に出さずに、この自分を攻撃するという、これが2つ目。
3つ目は、この両方をね、1つ目と2つ目を交互に繰り返すわけですね。
これもいろんなパターンはあるのかもしれないんだけど、大体まず投影をして他の人を攻撃する。
その相手がね、結構自分の好きな人だったり大切な人だったり、もしくは一緒に仕事をしている仲間だったりするわけですね。
要は後でお話ししますけどもね、僕らはこの罰を与えたい、攻撃したいというね、この熱にうなされているというのかな。
この状態の時には、本当にこの夢を見ているような感じでね、この人を攻撃したらどうなるんだとかね、
この人を攻撃するということの意味は何なんだ、みたいなことを完全に見失うわけですね。
もうそれ以前に、いやいやいや攻撃したいというこの願望というかな、これにうなされて、その辺が見えなくなっている。
でも、いつか必ずね、ほっと我に帰る時が来るわけですよ。
そうすると、やってしまったなという、こういう感じを抱く。
その瞬間に、このAがBに変わってね、自分を攻撃するという、こちらに映るわけですね。
つまり、AとBを繰り返すということ。
自分を攻撃し始めると、さっき言ったように、いつか必ず容量を超えてしまうのだね。
そうすると、またこのA、外に向かって他の人を攻撃する。
で、我に帰ったらまた自分を攻撃するという。
これを繰り返すというのが3番目、Cですね。
だから、この辺で自分はどれかな、みたいな感じで当てはめてみるとね、
どちらかというと、私は人を攻撃したりせずにね、どうしてもやっぱり自分を攻めてしまうのかな、みたいなね。
これは多分わかると思うんですね。
もしくはもう瞬間違和化式のように、何かあった瞬間に私は人を攻撃しているわっていう、このパターンもあるかもしれない。
で、私は実はですね、このCというか3番目なんですよ。
AとB、これを両方交互に繰り返すんですね。
これが私がかつて人間関係をデストロイしていたという、この時にやってたことですね。
最初に僕の場合は、自分で罪悪感を感じる前に、僕の場合多分容量がもうほんと少ないんでしょうね。
すぐに人に投影してしまう。
そしてそこを攻撃し、後で我に返ってなんてことをしてんだって落ち込んで自分を攻撃する。
自分を攻撃して落ち込むかな、順番としてはね。
で、この間はね、私は結構おとなしいんですよ。
この自制してますからね、何やってんだ俺、つってね。
いやもうちょっとなんか優しくなろうとかね、真面目にやろうとかってやってるんだけど、
ここでまた罪悪感の抱えきれない分が自分の中に入ってくるとね、またこの1番目に戻るわけね。
外を攻撃し、でまた落ち込むっていう、これを繰り返すというのが僕のパターンだったっていう、そんな感じですかね。
今でも多分これがかすかに残っていてね。
罪悪感と攻撃の問題
このようなことを多分この誕生日前の1週間に繰り返しながら、ちょっときついぞというこの中にいたんだと思いますがね。
で、要はこのタイプが3種類あるんですが、このタイプ別っていうのはちなみに話でね。
最大の問題はですね、この罪悪感からこの攻撃というね、これを繰り出すことの最大の問題は、
いつも私がお話ししているこの本来の自分が手にしている特性というのかな。
これをまとめて一気に失ってしまうということにあるわけですね。
じゃあこの本来の自分の特性とは何か。
これもう一度ね、おさらいすると、まずは宇宙の真羅万象、そして他の人、これと一つなんですね。
そしてその宇宙の真羅万象や他の人と等しく価値マックスであるというこの特性。
それから、十全十美に全てを手にしているというこの特性ね。
それから平安と愛そのものである。
これも本来の自分の大事な特性。
そして何よりも決して傷つかない強さを持っている。
このざっと挙げたこの4つですね。
これを一気に失うわけです。
なぜならばこの全てが攻撃と完全に相入れないからなんですね。
例えば攻撃する相手は敵ですよね。
本来の自分の特性の喪失
これは最近ずっとお話ししていることなんだけれども、敵とは一つではありえない。
そして攻撃できるということは相手の価値が自分より低いとみなしたからですね。
これはもう無理なんですよ。
価値の低い相手でないと僕らは攻撃できない。
そしてそのように他の人が、つまり価値マックスではなくなるということですよね。
これは僕らの価値が変動するということを意味します。
そうするとこの変動する価値の世界の中で、
とてもじゃないけど私は価値マックスなんていうことは思えないんですね。
これは生まれながらにして他の人と等しく価値マックス、全員がマックスであるという前提があるから、
私は変わらずに何があっても価値マックスでいられるわけです。
この捉え方が、この価値というのは行動とか言動によって、
もしくは結果とか実績によって変動するんだよってことになったら、
とてもじゃないけど自分を価値マックスと思うことはね、
もう本当に至難の技になるわけね。
だからこことは完全にこの攻撃は相入れないわけです。
そして十全十備に全てを手にしている。
これも全く相入れない。なぜか。
攻撃をするということは、私が何かを失われた、私から何かが奪われた、
この感じがあるから私は攻撃をするわけですね。
つまりその自分は失われ奪われているので、
もう十全十備に全てを手にしてはいないわけです。
そしてもうこの3番目の平安と愛そのものは言うまでもないですよね。
私が攻撃を繰り出している。つまりここはバトルフィールドなわけね。
そこに平安や愛があるはずがありませんよね。
そして最後の決して傷つかない強さを持っている。
これも大きく矛盾しています。
傷つけられたと感じているから私は攻撃をするわけです。
夢から目覚めるための最後の夢
だからこの攻撃を繰り出すということによって、
この本来の自分の本性これが4つまとめて失われるわけですね。
これが私が思うところの罪悪感を抱く。
そして罪悪感を抱くと必ず攻撃が伴う自分や他の人にね。
これの最大の問題だと思っているわけです。
そしてこの本来の自分の本性を失った瞬間に、
僕らは基本的には平安を失う。そして強さを失う。
つまりとても辛い状態に自分を置くことになるわけですね。
おそらく私がこの誕生日前に味わっていたのもこの辛さというかな。
この苦しさだったような気がします。
だからこれを何とかしたいわけです。
そこで改めて、この普段僕らが何気なく軽く使っている、
軽く感じてしまっているこの罪悪感、これは何だっていうね。
この正体を改めて見てみるんですね。
そうすると、これは個々それぞれね。
それぞれ個々個人個人というのかな。
個々の方転、ルールでも何でもいいんですけどもね、正しさ。
そういうものにのっとって、それぞれの価値観に基づいてね。
それからそれぞれの気分ですよね。
これにも左右されますよね。
妙に太っ腹な時もあれば、非常に繊細というか敏感に反応する時もある。
これは気分ですよね。
そしてそれぞれの独断、これによって下される裁きであるはずなんですよ。
このようなものは、いつもこの番組でお話ししている、
それぞれの心の中で作られるものですから、
間違いなく心象なんですね。
つまり罪悪感というのは、僕らの心の中で作り出されるイリュージョンであるということ。
これは先ほどちらっとお話ししましたが、夢を見ているようなものなんですよ。
この悪夢から目覚めるために、僕はこの許すという最後の夢を見るというふうに捉えています。
つまりこの偽りの自分ですね。
本来の自分を失うということは、この罪悪感を持つ、攻撃をする、これをやっているのは偽りの自分に決まっているわけです。
この自分は、罪と罰と攻撃という夢を見ているわけです。
これは本来の自分だとすれば、この3つとも無縁なんですね。
本来の自分には全く必要がないもの、罪と罰と攻撃というね。
だからこちらの自分は、罪悪感を持つこともないし、すなわち許す必要もないわけです。
だからこれは本来の自分が行うことではなくてね、残念ながらこの心象の中でやるしかないんですよ。
ちょっとややこしいかもしれませんけどね。
偽りの自分は、罪と罰と攻撃という夢を見ているわけです。
でも本来の自分はそんなものとは無縁なので、この本来の自分は許すということはしなくていい、つまりできないと言ってもいいわけですね。
罪悪感を持たない本来の自分は許すこともできないわけです。
つまり許すというのはね、罪と罰と攻撃というこの夢の中でやるしかないんですよ。
だから難しいんですね。
でもこの許すも心象の一つなんですが、この許すだけはね、僕が思うに唯一、僕らに平安をもたらす夢なんですよ。
これだけは本当に例外としてね、この許すという夢だけは、許すという心象、イリュージョンだけは、なぜか僕らに平安をもたらしてくれるんですね。
だから罪悪感というこの夢から目覚めるために許すという最後の夢を見るというふうに私は捉えているわけです。
これはね、いろんな意味があってね、なんか僕らにとってこの許すというのは非常にきつい行為に感じる。
でもこれ自体が、この許すということ自体がね、夢から目覚めるための最後の夢と捉えると、
随分とこの一つね、そういうことねっていう感じで、あまり深刻に捉えなくて済むという、そんな感じですね。
それからある方からね、とてもいい質問をいただいたことがあります。
なんかこの許すというのは、とても上から目線な感じがすると、自分より下なもの、これを許している。
まさにこれがですね、夢の世界なんですね。
罪と罰というものが存在している世界においては、そこで一般に僕らが抱いている許すというのはね、多めに見てやるってことですよ。
罪はお前は確実に犯したと、でも俺は心が広いからね、今回多めに見てやるよ、これを僕らは許すと捉えているのでね。
まさにこの夢の中でそのように捉えているので、とてもこの上からやっているようなそんな感じがするのね。
許すとか与えるとかっていう言葉にはこの印象がちょっと伴うんだけども、これはまさに罪と罰が存在するという夢の中でやっているからなんですね。
そうではなくて、罪と罰というのは偽りの自分が作り出した心象に過ぎない。
これは人が作り出した、ある目的を持って作り出した、人が作った仕組みに過ぎない。
これを僕らは心の中でね、非常に深刻なものと捉えて、そして罰という怖いものを作り出してね、そして攻撃というこれも本来の自分が絶対にやらないものを用いて、何かをその目的を成し遂げようとしていると。
まさにこれは全てこの心象、夢の中で行われていることなんですね。
この夢から覚めるために許すという夢を見るわけだから、つまり罪はないんだよ。
罪と罰というものはこの宇宙の死んだ場所、もしくはこの自然界の中に存在しないものだったんだよということに気づくためにね、これが本来の自分の見方なんですけども、この見方を取り戻すために、目を覚ますために許すという夢を見るわけです。
だから罪と罰が存在しないんであれば、許すという行為も同じく存在しないんですね。
でもこの夢を通らないと僕らは目を目を覚ますことができないと。
だから上も下もないわけです。
ここにはね、そのようなものはその夢の中にあるものなのでね、そして多めに見るのではなくて、これを多めに見るというのは罪が存在するという前提で多めに見てるんだけども、
僕が許すね、この赤辺で書く漢字、恩者の謝というこちらの許すは、言文の許すとは違って、罪はなかったんだというふうに目を覚ますということなのでね、全くこの上下みたいなことは気にしなくていいわけです。
じゃあどうやってね、この最後の夢、許すという夢を通って目を覚ますのかというね、つまりどうやって許すのか、この話をしたいんですが、
わかりやすいようにね、とてもなんていうのかな、よくある例を出しましょう。
例えばね、楽しみにしていたデートがあったとします。
例えば今日の私のようにね、まさに自分の誕生日デート、これにその恋人と待ち合わせをしていたとね、私で言うと今日は息袋の2時でしたね、息袋の2時に恋人と待ち合わせをしていたとすると。
そうするとね、2時ちょっと過ぎた頃、10分か15分くらいかな、LINEかなんかにピンとこうメッセージが入ってね、ごめん、寝坊した後、あと1時間かかるっていうメッセージが入ったとしますわね。
今日は暑かったんでね、もう炎天下の中、例えばこれが外の待ち合わせだったりしたら、もうすでにすごい疲れてるわけですよ。
まあでもね、楽しい誕生日デートなんで、ここから楽しくなるからしょうがないかみたいな感じで、ちょっと汗を拭きながら水を飲みながらね、もうすでにでも15分待ってると、結構イライラもしてると。
ここから1時間、マジかよと、どう過ごせばいいんだよって、これを考えるだけでもう僕らの心の中にね、許せんというこの怒りがこみ上げてきますわね。
そしてここで、もう本当に幼い頃から身につけてきたというかね、もうすっかりこの習慣として染み付いている罪と罰の仕組みを使いたくなるわけです。
で、ここからこの心の中にね、どんなその嵐が吹き荒れるかというと、もうここでこっぴどく怒っておかないと、自分が軽く見慣れるんじゃないかっていうね、それからまた同じことを繰り返すんじゃないかと。
だから今あなたのやってることはものすごく悪い行いなんだよと、これは人を軽く見る行為だよ。
そして人を大切にしてない行いなんだってことをしっかりと教えなくちゃダメだと。
私がどれだけ今悲しんでるか、どれだけつらい思いをしているかをしっかりと知ってもらわなきゃならないと。
そしてもう当然ですけどもね、きっちりとこの罪悪感を持って、それもおそらく今日のこのケースであれば最大級の罪の意識を持ってね、深く反省して真摯に何度でもこちらが気が済むまで謝罪してほしいっていうね、こんな感じの嵐が吹き荒れてるはずなんですね。
そしてここで思い浮かんだ、これがたぶん許さない、言弁の許さないことで得られるメリットというのかな、あえてそのように表すならば、このようなことをすべて実現したいというふうに僕らは望んでいるわけですね。
これが怒りの正体、そして相手に罪悪感を見ているっていうことなんだと思います。
これが私に言わせるとね、僕らはこの罪と罰と怒り、そして攻撃という夢を見ているということなんですね。
その証拠に今挙げたようなね、この心に浮かんだ、こうしてほしい、こうさせようみたいなこと、これはもう絶対に避けられない唯一の選択だと感じていますよね。
だから夢なんですよ。
そしてこの夢の中ではね、万が一この状況で私が許したりしたら、この1時間後から始まるね、デートの間、誕生日デートなんですよ。
ずっと晴れないこのモヤモヤした気持ちを抱えてね、相手がもうなんかニヤッとか笑ったり楽しそうにしようものなら、マジかこいつって腹渡が煮え替える思いをしてね、もうそれこそものすごい苦痛を味わうという想像しかできないんですね。
だから夢なんですよ。
でもここでね、少し考えていただきたいんですね。
そんなに苦しいだけの取り組みを、なぜ私はこの番組で繰り返しお勧めするのかと、もしかしたらこの番組のリスナーの皆さんをね、全員に、全員これを不幸に落とし入れようと画策しているのかと、そんなことはおそらくしないと思うんですよね。
だから一度でいいので、しかも軽い出来事でいいので、許すというこの最後の夢を見てみてほしいんですね。
で、これが今ね、お話ししたような晴れないモヤモヤをずっと抱えてね、相手が笑う度にムカつき、ものすごい苦痛我慢というのかな、そういうものを味わうというこの想像とね、どれだけ異なっていたかというのをぜひ体験してみてほしいんですね。
これを成功させるだけでね、本当にこの本来の自分がクッと現れてくれるんですよ。
誕生日に贈る「赦す」という最後の夢を見る方法
そして例外なくね、こちらを選んでよかったなと実感できるんですね。
それから最初に想像したようなね、これ全く同じことを繰り返すんじゃないかとかね、軽く乱れるんじゃないかとかね、こいつは人を大切にしてないと、それはずっと変わらないんじゃないかみたいなこの予想というかな、このような状況、これを僕らは想像するんだけども、これもですね、悪い方向にはいかないんですね。
なぜならばね、このおそらく大抵の人はもうこのこんな日にですよ。
しかも寝坊して、寝坊って正直に言うだけですごいと思うんだけど、多分普通はですね、ここでもっともらしい嘘をここに盛り込んでくる可能性も大いにあるわけね。
仕事が入ったとかね、突然何かが起こったとか、場合によってはもう家族が病気になったみたいな、そんな言い訳をせざるを得ないぐらい追い込まれているわけです。
この相手はね、1時間遅れてね、こちらに向かうその道のりの間、もうものすごい修羅場みたいなものを頭に描くわけですね。
これが僕らであるはずなんですよ。
そしてこれに対する攻撃というのはね、その人に恐れや不安を抱かせますよね。
それが目的なんですけどもね、恐れや不安を抱かせて反省させようと、そして真摯に謝罪させようとしてるんだけども、これはまさに恐れや不安を抱かせるわけですね。
そしてこの許しというのは、その人とこの自分にですね、同時に平安をもたらすんですよ。
これが起きた時に、自分もそうなんですけどね、自分の心が本当にきつい状態になっているのか、それと同時に相手の言動がね、そこからどうなるのかっていうのも、これもしっかりと目撃してみてほしいんですね。
だからここが難しいんですね。先ほど言いましたが、この許すというのも夢の中で行うことなので、想像すると全くいいことがありそうな感じがしない。
完全に自分だけが損をしてね、そして相手はいい気になる、つけあがるというこの想像しかできない。
でも要考えてみると、この想像一択しかできないことが実は僕らが夢を見ているという証拠なんですね。
実は僕らにはね、もっといろんな可能性選択肢があるということ、それが想像できないということがもうすでに夢を見ているということ、このように捉えてみてほしいんですね。
そして先ほども少し挟みましたが、僕がですね、この番組で繰り返し繰り返しこの話をするその目的がね、みんなで苦しもうぜと、みんなで不幸になろうぜ、みんなで我慢しようぜ、もやもやしようぜであるはずが多分ないと。
この辺はね、いやこのクラズロはね、変わったやつだからね、なんかこういうことをいいことのように勝手に感じているだけでね、まさに変わり者なんでとても信頼できないという可能性もなくはないんですけどもね、一度その軽いのでいいのでね、この許すという最後の夢を見ていただきたいんですね。
そしてもしね、どうしてもやっぱり他の人は無理だと感じるならば、まずは自分を許すということにトライしてみてほしいんです。
これならね、先ほど予想したようなね、つけあがるんじゃないかとかね、なめられるんじゃないかとか、いい気になるんじゃないかとか、そういうことは起こらないはずなんですね。
自分自身ですからね、自分に対してこれはダメだと感じていることをね、洗いざらい無条件で、今のままですよ、これをやったら許してやるとかいうそういう条件をつけるんではなくて、まずは今のまま自分に対してこれはダメだと、これは悪い、これはどうしようもない、これは罪だと感じているようなことを洗いざらい許してみてほしいんです。
それをやって、いや、なんかとても楽になったなと感じられたら、おそらく許すってすげえなみたいな感じで実感できるはずなんですね。
ああ、こういうことかと、うん、悪くないかもと、そのようにもしかしたら実感できてね、これだったら他の人にやってみてもいいかなという気になれるんじゃないかと思うんですね。
で、その時もね、こいつはもう絶対ありえねえみたいな人から始めるんじゃなくて、まさにパートナーですよね、最愛のパートナーみたいな、こいつだったら一回やってみてやってもいいかぐらいなところの親しい人、自分がいつもこの人好きだなと思っているような人からやってみて、この許すことで何が起こるかというのを実際に体験してみてほしいんですね。
で、じゃあどうやるかっていう先ほど冒頭にね、お話しした、この私がこの1週間の間に自分を観察してちょっと言葉にできるなというこのね、見つけた2つのコツ、これをちょっとお話ししたいんですが、1つ目はですね、この先ほどの例のようにね、この1時間寝坊して遅れるというこのメッセージを見た瞬間、当然ですけども、そこでマジかよって怒りがこみ上げてくる。
もうこの瞬間に僕らはその行為を罪と見て、そして罰したいと思っている。先ほどお話したようなことが心の中に湧き上がる。この時にね、普段はもうここから一択で1本しか道がないんですが、この時にグッと踏みとどまって、今私は罪や怒りという夢を見ているというふうに捉えるわけですね。ここが重要なんですよ。これができれば何とかなります。
いやいや、そんなふうに捉えたくないと言うんであればここはね、厳しいんですけども、1つはこれトライなのでね、そのさっき言った軽いところ、今私は罪や怒りという夢を見ているというふうに捉える、捉えられるような機会を見つけてやってみてください。
で、この今のね、その夢を見ているまさにこの怒り浸透の自分だけで目を覚ますのは無理だと思ったら、こういう時にはね、いつも私の中にこの呼ばれるのを待っているこの本来の自分がいるんだというふうにイメージしてください。
で、こちらの私はね、先ほどお話ししたように、この罪と罰、攻撃とは無縁でね、こちらには許すという概念はないんだけども、僕がこの目を覚ますことを手伝ってくれる、これはできるんですよ。なぜならば、こちらの本来の自分が私ですからね、本当のね、いつでも出てきたい、前面に出てきたいというふうに願っているわけ。
だけど、この偽りの自分側が別の願望を持っているとですよ、この攻撃をしたいとかね、相手を懲らしめたいみたいな願望を持っている間は出てこられないんですね。そちらの自分が前面に出ている、この偽りの自分が前面に出ている間は、こちらの本来の自分は残念ながら出てこられない。なぜならば、本来の自分は攻撃をしないからなんですよ。
もしこちらの自分が攻撃ができれば、この偽りの自分をやっつけて、自分が表に出るということができるんだけども、それは本来の自分ではないので、そうなんだ、そちらでいたいのね、つって黙って、愛そのものである自分として待っていてくれるわけですね。永遠に無限の忍耐で待っているわけですよ。それがこの本来の自分の本性なんですよね。
だから残念ながらこちらが無理やり出てきてくるっていうことはないんですよ。でもこの自分はいつでも目を探したいと思うんだったら手伝うからっていう風に待っていてくれるんですね。まさに呼ばれるのを待っているんですよ。この自分に許すのを手伝ってっていう風に助けを求めるんですね。
これはすなわち私の最後の夢を見させてくださいというそういう何だろうな依頼なんですね。これをやってみてください。まずカチンときたら今私は夢を見ているなと。そして私の中にはその夢から目覚めさせてくれる本来の自分というのがいるんだなと。
じゃあ自力で何とか許そうとするんじゃなくてこの自分に手伝ってっていう風にこの助けを求めるというこれが一つ目ね。これはとても重要なポイントです。これは助けてって言っておけばいい。なんかそのそのプロセスみたいなことを見張る必要はなくてね。
一言伝えておけば何とかこの方向としてね。僕を目覚めさせてくれる方向にこの本来の自分が働いてくれます。もうこのほっといて大丈夫ですね。これが一つ目。そして2つ目はですね。この僕の中の許せない思いはどこにあるかということなんですよ。
これはえっと一見このね夢の世界では相手と自分との関係の中にある感じがしてるんだけどもこれは錯覚なんですね。そうではない。これは僕の中だけにあるわけです。この許せない思いというのはね。これがどんな感じなんだろうっていうのをね。ちょっと探ってみるとね。
これ僕の場合ではこの1週間の間やってみたんだけどなんとなくね。この許せない人の顔がついたこのボーリングの玉みたいなね。重いやつがしこりみたいなものからこれが胸のあたりをこう陣取ってるんですね。増進という感じで。ただのボーリングの玉じゃなくてそこにその許せない奴の顔がついてるみたいなそんな感じ。この玉があるんですよ。
これをですね。なんとなくでいいんで自分の中にあるこの許しの光線みたいなのをイメージしてね。こいつをずっとこう照射するんですね。この玉に向かって。でその光線ってどんなものみたいなことあまり考えずにこの辺は漠然とさせておいた方がうまくいきます。抽象的にした方がうまくいきます。私の中にこの許すという光線みたいなものがあってこれをこの玉に当て続けるとどんどん溶けていくんだなっていう。
許すことで抱く恐れや不安を抱かせて反省させる
そんな様子をイメージしてください。でここでえっと小難しいことを考えてはダメです。えっと例えば相手を弁護しようとかね。まあそういえば随分と最近仕事が忙しかったんで疲れてたんだよな。だったら寝坊してもしょうがないよなみたいなこのロジックで許そうとしちゃダメです。
これはですね夢の中でやる弁護みたいな常常釈量なのでこれではえっと完全に取り除くことはできません。これをやるとさっき言ったようなねデートの間中ずっとモヤモヤが心に残るみたいなとてもスッキリしないこの中途半端なね許し方になってしまうのでこれをやるぐらいだったら僕はやらない方がいいと思っています。もうそのままストレートにいかってね。いつものようにやる方がいいと思います。全然そちらの方がいい。
この頭の中でね考えてこの許す理由をね自分の中で作り出すみたいなことは絶対にやらない方がいい。それはできないのでね。えっと結局はあの苦しさだけが自分の中に残る。そうではなくてそんな理屈とか全部置いといて最初のポイントが重要なんです。
これ夢なんだとここから目覚めたい。本来の自分助けてっていうこれをやっておいた上で自分の中にあるねこの僕で言うところのボーリングの球みたいな重いしこりが必ず胸のとこにあるはずなんですよ。
人によっては頭のところにそれができているかもしれない。なんか頭がパンパンな感じね。ここのまあなんでもいいんですけどもこの怒りの球みたいなものこれを癒しの光線というのでね漠然と癒しの光線みたいなものをこのここに当てながら溶かしていく。たったこれだけこれに集中するわけですね。これは結構心のフォーカスをそこに当てないとできないと思います。
だからまあねそうですね。こういうこれが一番難しいのは多分リアルタイムにね人と話をしながらこれをやるというのはかなり高度なのでえっとそのトライよりはねえっと今回の例のように来るまでに1時間あるというこういう余裕があるときね。
その余裕というのはね心の余裕ではなくてその1人でここのさっき言った2番目のこの球にね光を当てるみたいなこういうことをじっくりと目をつぶってやるみたいなこの時間の余裕があるときですね。この機会があるときここでまず試すのがオススメですね。これをゆっくり溶かす様子をイメージしてみてください。この2つですね。
でうまくいったかどうかはですね。これは面白いことにあの例えば映画とか見てて感動したりね。それからなんかうわぁ鳥肌もんだってこの良い方のね良い方の鳥肌もんだって時に僕らはこの体になんかジーンっていうこの電流みたいなのが流れる時ありますよね。これが来ます。これが本来の自分が帰ってきたよというまあこれは本当に感動なんですよね。
僕らにとってこの喜びの印というのかな。これがこのジーンという電流が来たらできたと思って間違いないですね。でこれが来れば必ずしばらくするとこのさっき言ったこのボーリングの球胸の使いみたいなのが消えていくと思います。
そんな感じでできたなという風に実感できるのかな。で繰り返しますけどもね。僕らは先ほどのデートの例で挙げたようにいつももうこの許せないというこの感覚を抱いた時は相手を攻撃したい相手に罰を与えたいこの一択しかないように感じてしまう。これは自分の場合も同じです。
自分に罪悪感を抱いた時はこの自分を責めるというねこの一択しかないという風にもうそのような習慣をつけてきてしまっているんですね。そしてこれを繰り返しているのでもう永遠にこの一択しかないというこの信念を持っている。
だからこれを一回でいいから夢と捉えて許すという最後の夢を見てね。それによってその自因というのを感じた後に何が起こるかというのをその自分の目というかな自分のその五感で確かめてみてほしいんですね。
そうするとなんだ一択じゃなかったんだということにおそらく気づけるはずです。そしてここに僕はですね私がいつもお話しているgood vibesのゴールであるね本来の自分に戻りそして平安と幸せを得るというねこの道があったんだなということにもおそらく気づけるんじゃないかなと思います。
まとめるとですね簡単にまとめると攻撃するたびに僕らはね自分と他の人の中に怖さと弱さを招き入れるんですね。これが重要なポイントです。そして反対に許すたびに僕らは自分と他の人の中に平安と強さを招き入れるわけです。
だからこの許すということこのなんというかな最後の夢を見るというこの技というのかなまああえて技と言いましょうかこれを身につけるだけで僕らはどんどん平安と強さを得られるようになるということですね。
誕生日プレゼントとしての「赦す」
そしてそれが得られれば得られるほどこの夢から目覚めることがそれほど難しくなくなっていくということでさらに言えばねこの許すことが平安を招き入れるのであればねそしてこれが自分とそして他の人にもこの招き入れるのだとすればねこの許すたびにですよ。
今自分は自分自身に平安を招き入れたなとかね今私はねこの人に平安を招き入れたなとかっていうこともなんとなくわかるようになっていくわけですよ。
そうするとこのね怒り浸透な出来事みたいなことの捉え方も大きく変わってくるはずですね。
ここで選択肢がたった一つしかなかったものが少なくとも2つには増えるんですね。
つまりこのままねこの罪と罰と攻撃と怒りこの夢の中で苦しい時間を過ごすのかそれともこの出来事この状況を平安なものに変えるのかっていうねこの2つの選択肢が現れるここがとても大きいなと私はいつも思っています。
なので良かったらですね今日の2つのポイントを使って許すという捉えまずは自分からでいいと思いますね。
そして身近な人親しい人ですね気のおけない人あたりから試してみてこの威力というかねこの効果みたいなことを実感していただければと思います。
これが今日のバースデートークというかね私から皆さんへの誕生日プレゼントっていうのも変ですけどもそのようなものとしてお届けしたいなと思います。
よかったら今日はこれを試してみてですねいい1日をお過ごしくださいありがとうございます。
48:20

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