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2023-07-19 48:36

146 平安な心とそうでない心のどちらが私にふさわしいだろう?

今日は「頭ではわかっているが平安なほうを選べない」という問題の対処法について話しています。日々の選択の場面で「価値マックスな自分にどちらがふさわしいか?」と自問します。番組でお知らせした「ありのままを見るデッサン教室」のお申し込みはこちら→ https://goodvibes20230723.peatix.com

サマリー

過去のイベントについて報告し、心の平和と幸せの関係について語られます。適切な心の状態を選ぶことが重要であり、平安な心とそうでない心の違いを理解することが必要です。内なる判断や解釈によって心の状態を選び、自分自身がカプセルホテルのような部屋を選んでいる可能性があることを考慮する必要があります。カチマックスと財悪感の関係について考えながら、自分にふさわしい心の状態について話されます。自分が純粋であり、価値がある存在であることを自覚し、平安な心を選ぶことが重要です。問題があると感じ、成功した人と自分を比べて罪悪感を抱いてしまい、自分には平安な心がふさわしくないと感じているかもしれませんが、他の人を見る基準が間違っている可能性があり、自分も幸せや平安がふさわしい存在であるという見方を修正していく必要があります。デッサン教室で絵を描くことで、文章を作成する力が向上し、平和な心を持つかどうかを選び直す問いを考えられます。

ボイストレーニングと小学生のボイスレッスン
グッドバイブス ミッドナイト楽座 by 倉園佳三
こんばんは、ただいま7月19日水曜日の午前1時12分ですね。
今週末は、以前からお伝えしていたように、同日月と3連チャンのイベントをやってきましてね。なかなかこの怒涛の週末でしたね。
15日がまず、今ここのボイストレーニング。これが過去最多の参加人数でして、定員を2名もオーバーしたんですけども、ありがたいことに沢山の方にお申し込みいただきましたので。
1時間、時間を延長して4時間半にわたって、結構な長丁場のボイストレーニングをやってきました。
ここにまたですね、前回確かこの番組でも報告した小学生の方がね、また約束通りに来てくれまして。
今回もアドの歌をね、歌ってくれまして。前回は少し緊張してたのか、ちょっと照れてたのかね、全体的にファルセットのような声で抑え気味に歌ってたんですけどもね。
私も無理やり、いやもうちょっと地声でみたいなことは言わずにね、もう好きに歌ってくださいという感じでやったんだけども、今回はですね、ちょっとなんていうのかな、少し心を入れ替えたっていうのが変だけど、入れ替える必要はないんですけどもね。
ちょっと気合を入れて、最初は少しまだ戸惑っていたんですけども、最後のね、ラストのこの本ちゃん歌うときはね、全部地声で、えっとなんつったらいいんですかね、まさにこの清水の舞台から飛び降りるような感じ、勇気をね、振り絞って、とてもいい感じで歌ってくれましてね。
まあこの日は皆さん本当に素晴らしかったですね。とてもいいボイトレ。で終わりはですね、ニコタマでとんかつを食べてみんなで帰りました。割と高級なとんかつをね、みんなでいただきました。
そして翌16日、これがあの執筆レッスンですね。でこれは今回ちょっと前回とは違う長めのワークを取り入れましてね、2時間ぐらいはずっとライティングワークをやってたんですけども、えっと一つはですね、おいしい料理の作り方っていうのをね、それぞれのこだわりを前面に出しながら、料理全般に通用するそのおいしい料理の作り方っていうのをね、箇条書きで書くんですね。
いろいろその縛りはあるんですが、書いてもらって。でこれをやるとね、何がわかるかっていうとね、一つはですね、このそれぞれのこだわりなので、なぜその方がいいのかとかっていうね、この理由をしっかり書くっていうルールがあるんですね。
この辺でちょっと自分の心と向き合わなきゃいけないわけですよ。
要は素材を買うときはこのようにして選ぶみたいなふうに書くんだけども、それはその人のこだわりなのでね、なぜかっていうところをね、しっかり表現するのが意外と難しいんですよね。
でこれを文章にしていく。そしてもう一つこれ面白いことがね、わかるんですけども、このおいしい料理の作り方というこの自分のこだわりを箇条書きにしてみるとね、なぜこの文章がね、うまく書けないかっていうかな、文章を書くのが難しいと感じるかの理由がね、そこにずっと連ねられてたりするわけですね。
執筆レッスンとおいしい料理の作り方
ある方はですね、もう最初からその料理をする前段階でね、使う調味料等を全部きれいにその並べておかないと気が済まないという方がいらっしゃった。
まあだからこの今回のフォーマットでいうと、調味料は使う調味料はあらかじめ全部出して並べておくというのをね、2番とか3番とかなんかにこう書くわけですけども、これは何を意味しているかっていうと準備万端整ってないと何か動きにくいというそういう自分のね、心が現れているわけですね。
これによって、例えば何か小説を書こうとかエッセイを書こうとかするときに、全てのこのね、素材とかあらすじとかね、そういうものが揃っていないと何となく書きにくいぞっていうこういう感じだったりね。
あとはまあその料理の作り方の中にとても完璧主義なその要素が入っていたりすると、これが私を邪魔してるんだなみたいなことがわかるんですね。
だからこれも一つの二重の意味でね、自分の心を表現するというのと、そしてその表現された心、項目を見ているとね、なぜ筆が止まってしまうのかの理由もわかるというこのダブルのね、意味のあるワークなんですけども、これをやって。
そしてもう一つは、私がね、ある設定を一つずつお話をしていく。これについて書いてください、こういう状況を書いてくださいとかっていうのをつなげていくとね、自然と一本の物語ができるという、まあそういうワークなんですよね。
これはちょっとネタバレになってしまうと、次回以降ね、聞き目がなくなるんで詳しくはお話できないんですが、ストーリーとか展開とかそういうものを全くね、頭の中に持っていなくても、ある描写をつらねていくだけで、描写を描写、描写というふうにつらねていくと自然に物語が出来上がっていくってね、この体験をしていただきたくてやったワークなんですけどもね、これもなかなかうまくいきましてね。
参加してくださった方、人数分の短編小説が出来上がったっていうそんな感じでしたね。
そして翌17日、佐々木翔吾さんと1年半ぶりかな、2年ぶりくらいのリアルでやったグッドマイブスのぶっちゃけ相談。
これもですね、エフタさんとトモさんというお菓子職人、この2人が星空キッチンというレンタルカフェを借りてらっしゃって、普段はここが平日トモさんのお菓子工房になってるんですけどもね。
各週の金曜日かな、ここでアフタヌーティーを予約制で開催している。これが時々カフェというんですけども、この時々カフェさんとのコラボでね、今回はまさにそのトモさんのアフタヌーティー付きということで、お茶も飲み放題、美味しかったですね。
本当に美味しいお茶と、そしてものすごくゴージャスなプレート。これは値段からするとかなりサービスしていただいた感じがしますね。
タルトだ、クッキーだ、いろんなものが詰め合わされていて、また今回ほとんど参加いただいた方が女性だったのでね、とても喜んでいただいたという感じでしたね。
またお二人の雰囲気もいいし、ここの星空キッチンという場所の雰囲気も良くて、最高の舞台を用意していただき、そこで私と須崎さんで会場の皆さんから相談をその場で受けながら、あの番組のようにお話をしたという、とても楽しい会でしたね。
その後は同じくトモさんの手料理が出てくる懇親会という、これもなかなか素晴らしい料理ばかりでね、とにかく満喫しましたね。
それから参加いただいた方が皆さんね、本当に素晴らしい方ばかりで、人と、場所と、素晴らしい料理と、素晴らしいお茶と、いい空間、いい時間を過ごしたという感じがしましたね。
これはぜひまたやりたいので、来月以降ね、ちょっと須崎さんと相談しながら進めていこうと思っています。また機会があったらぜひ参加してください。
そんな感じで3日間過ぎたんですけども、今日はですね、この最後のぶっちゃけ相談の中で相談いただいた、この一つがですね、とても私にとってはいい質問だなという、そういうものがありましたんで、これをお話ししたいなと思っています。
要はですね、幸せがふさわしい自分というテーマなんですよね。もうちょっと前段階からいくとですね、私がこの番組で話しているのも、要は一つの幸せになる方法なんですけども、おそらくそれだけじゃどうもちょっと人生幸せとは言えないよねっていう感覚がね、やっぱり皆さんあると思っていて。
要はこのね、私たちが生きるこの世界、ここにはね、多分大きく分けて2つの種類の幸せがあるというふうに捉えておくのが最初はいいのかなという感じがするんですね。
一つは人が作ったゲームでこの良い結果を残すことってことですね。あえて人が作ったゲームとか言わなくてもいいんだけど、仕事とかね、様々な活動ですかね、そういうものの中で良い結果を残すこと、良い評価を得ることでもいいかもしれませんね。
ここでは何を手に入れるか、もしくは何を成し遂げるかみたいなね、ここが大きく幸せに貢献するっていう感じですかね。おそらくここを完全に無視して生きることは僕らはできないでしょうね。
これが一つ目。でももう一つ、これだけでは多分僕らはね、幸せというのは完成しなくて、もう一つ大切な幸せというのがあるわけですね。これが私がいつもこの番組でお話している心の平安ですね。
これは前からお話しているように、心の平安というのは幸せの土台じゃないかなとね、私は思っています。幸せのOSみたいなものかな。だから2つあるというよりは下から積み上がっている感じがしますね。
一番下にまず心の平安というのがあって、その上に日々それぞれの人たちが果たしている役割、この結果を出すことみたいな感じかな。僕は最終的にはここはそういう2層とか2つとかではなく、完全に一つに融合すると思っているんですけどもね。
融合すると感じているんですが、最初はわかりやすいようにここは2つに分けておいてもいいかもしれませんね。で、もちろんこのグッドバイブスはその幸せの土台であるね。もしくはもうこれはだから融合した場合はですね、この2つがね幸せそのものなんですね。
この平安な心を保つ方法に他ならないということですね。まさにこれがグッドバイブス。具体的にはですね、これはもうこの番組で過去に140の話でお話ししてきたように、まずは自分の判断や解釈がこの世界の見え方を決めていると、これをしっかり自覚することですね。
自分の判断解釈、これは意思でもあるんですが、これと関係なく世界が存在しているわけではなくてね、僕らはこの判断解釈意思、これを通して世界を見ているということね。ここをしっかり自覚しておくということ。
そうすると本当が本当のことがわからないのにね、こうに決まっているとかね、こうに違いないなどのね、この答えを持ってしまうと、僕らは現実の世界よりも悪い世界を見ることになる。だからこのような答えはできるだけ保留しておくということね。
そして現実を見に行く、これが一つ目ですよね。それから自分に恐れや不安を抱かせるような考えを手放すということですね。未来のことについて考える、終わったことについて考える、さまざまな考えですね。
もっと言うとですね、これは17日のぶっちゃけ相談の会場でもお話したんだけど、僕らはやっぱり考えを信頼しすぎっていうかね、考えれば答えが出るだろうと思っている。これは最初の項目とも関係することなんだけども、でも本当のことがわからないんですね。
わからないのにこのいろんなことを考えてしまう。そしてその考えは恐らく僕らにね、恐れや不安を抱かせるような考えであらわす。これを手放しましょうというのが二つ目ですよね。
三つ目はこれもすごくこの番組で繰り返している罪悪感を持たないということですね。自分や他の人の言動に罪を見ないということです。そして四つ目が自分と他の人を完全に対等とみなす習慣をつけるということ。要は自分が上だ、自分が下だみたいなものの見方をやめるということですね。
そして最後、これは五つ目かな。攻撃、もしくは攻撃的な考え、これを手放す。こういうことをやっていくんですけどもね、これをきめ細やかに実践していくというのがグッドバイブスなんですが、これを生活の場で実践するというのはどういうことかというと、まさに日々の暮らしの中で毎秒毎分、いろんな選択肢が僕らの中に現れてくるということ。
この時に考えるのか、そうではない、手放すのか、罪悪感を持つのか、持たないのかという、この毎秒毎分、様々な出来事、もしくは人と話す時、こういう時に平安な方を常に選択するという、これが実践になっていくわけですね。
これをやっていくと、結果として心がかなり鍛えられることにはなるんですが、この鍛えるという言葉から連想されるのは、やっぱり練習とか訓練とかトレーニングなんだけど、実際にはそういうイメージではなくて、現場から離れて練習したり訓練したりすることっていうのはほぼほぼなくて、ゼロではないんですけどもね、そういうトレーニングというよりは、まさにこの日々の暮らしの中で、
心の状態を選ぶ重要性
平安な方を選べた時ね、この結果をじっくりと味わいながら、いやいやもうこっちを選んだ方が本当にいいよねっていうね、逆に言うとこちらを選ばないメリットってもうなくないっていうね、どこにもないよねっていう風に思えるようになることなんですね。
ここがゴールというかね、目指したいところ。だから特訓訓練、練習というよりは体験ですかね、経験ですよね、成功体験を積んでいくという風に考えてもいいかもしれない。
こんな風に説明していくとですね、なんとなく、それは幸せな方を選ぶわけだから簡単じゃないかなって思うはずなんですよね。
そうだよね、それはどう考えたって平安の方を選ぶ方がいいに決まってるよねっていう風になると思うんだけども、でも実際にやってみるとなぜかできないんですね。
やっぱりこの本当のことがわからないのに、いやもうこうに決まってるよっていう風に判断してしまうし、もうそれを考えると不安になるとわかっているのに考えてしまうし、人の言動もしくは自分のやったことを罪と見てしまうしね。
そしてやっぱり誰かと対峙するとこの人の上に立ちたいと思ってしまうし、やたらとついつい攻撃したいなという風に感じてしまう。
なんでそうなのかっていうね、ここが最大のポイントなんですね、この話のね。
時々なんでそうなのかっていうところで、いやだって周りは悪人だらけじゃないですかっていう、こういう理由が上がることもあるんだけど、これは多分正しくはないなと思っています。
だとしたら今あげたことは全部自分の心の中で選択することなので、外に何があろうと関係ないわけですね。
そして最初のこの自分の判断や解釈が世界の見え方を決めているとするならばね、この周りに悪人ばかりがいるというこの見え方も実は自分の判断や解釈から生まれているとすると、やっぱりこれぐるぐる回っているわけですね。
これをやめるとそのように見えないという話でもあるわけだからね。
そしてもし本当に現実としてね、周りには悪人しかいなければ、僕の言ったもう一つの幸せ、この平安な心でいること、これは不可能ってことになりますよね。
だからまあ多分僕らはね、仕方なくこのもう一つの幸せ、さっき言った人が作ったゲームでいい結果を残すこと、つまり何を手に入れるか何を成し遂げるか、ここに千年せざるを得なくなるわけですね。
いやもう心平安なの無理みたいなね。だからまあその結果残して、そこでね何か喜びを味わえれば幸せじゃないかなっていうね、こちらにもう千年せざるを得なくなっちゃうわけですね。
でもさっき言ったようにやっぱり心の平安は幸せの土台なんですね。
この土台がない状態で、このいい人が作ったゲームでいい結果を残したとしても、おそらくその幸せというのはね、まあ幸せというかその喜びは一瞬の刺激で終わるんですね。
だからまたすぐになんかフラフラっと心がね平安でなくなってしまう。すぐにまた未来のことを考えて不安になってしまう。
だからまた結果を出さなきゃ、また結果を出さなきゃっていう、この無限ループのようなところにはまっていくんじゃないかなと思うわけですね。
だから私はさっきこの冒頭に2つに分けるとね、あえて言ったのは、その結果がどうであれ手に入ったら嬉しいし、入らないこともある。
何かを成し遂げられればそれはもう喜びだけども、成し遂げられないこともある。
それとは関係なくなんですよ。
それがどうであってもこのベースの一番下の層にある心の平安というのは保つことができるんですよというこの提案をグッドバイブスを通してしているわけですね。
まあでもこれが今お話ししたように、なぜかうまくいかない。
理屈はわかってると。さっき挙げた5項目。
それはやらない方がいいよねと。
でもこの毎秒毎分、こちらは選べないんですよっていうね。
これが今回の相談の、このどん妻の相談ではなかったんですが、このような相談だったんですね。
そこで私はなぜうまくいかないのかの話をお答えとしてお話ししたんだけども、
カプセルホテルとゴージャスな部屋の選択
要はですね、例えばこの平安な心の状態っていうのが僕らにとって最もゴージャスな部屋っていうふうに一応想定しておくわけですね。
まあこれはそのゴージャスな部屋っていうとね、なんかお金がかかってそうなんだけども、
ちょっとこの金銭的なことは置いといて、
要は僕の大好きなインテリアとか雑貨、それから設備ですね。
こういうものが完璧に揃っているんですね、このゴージャスな部屋にはね。
そして僕が望む通りの清潔さとかね、快適さ。
今で言うとこの暑いからエアコンがどのくらい効いてるかとかね、
そのエアコンの性能が昔の冷房みたいにめちゃくちゃ寒いっていうだけではなくて、
今のなんかちょっとAIとか入ったような賢いエアコンがついていて、
なんかもう全くこの温度を気にせずに過ごせるみたいな快適さとか、
それから広さも重要ですよね。
やっぱりこの畳2畳ぐらいではどれだけゴージャスな、
家具も置けませんからゴージャスな設備にはならないんだけども、
やっぱりどのくらいの広さが自分に合っているかっていうのはありますよね。
100畳だと広すぎますから。
やっぱり僕の場合やっぱり18畳とか20畳ぐらいのリビングっていうのが、
なんか僕の中ではね、ぴったりくる広さなんですね。
割と広めを好むタイプだと思っています。
だから仕事部屋はそうではなくて、
そうだな、6畳ぐらいあればいいかな。
6畳から8畳ぐらいかね。
10畳だとちょっと広いなという感じですね。
10畳だとちょっと広いなという感じがしてしまうんで、
僕は仕事部屋はね、割と心地よいなと思うのは少し狭めだったりする。
こういう面積も全部揃っている、こういうゴージャスな部屋が平安な心の状態。
一方のまさにこの平安でない心の状態、
つまり罪悪感抱いていたり怒っていたりね、
それから不安を持っているようなこちらの心ね、平安でない心を、
これは例えが難しいんですけどね、
僕の経験で言うとカプセルホテルかな。
なんかカプセルホテルのような居心地の悪い空間。
安部聖子さんがかつてね、この富士山の頂上に登るというトライをしたらしいんだけど、
今はわからないんだけどね、結構何十年も前なんだけど、
その時の頂上の付近の山小屋がね、やっぱり彼女にとってはきつかったって言ってましたね。
なんか布団が本当に湿ってるを通り越して濡れているぐらいの感じだったらしくて、
そしてトイレの近くでね、多分その水泉じゃないのかな、わからないけど、
ものすごい悪臭の中ね、全く一睡もできなかったみたいな話をしてくれたことがあるんだけども、
まあそういう場所ですね。
まあ空気は淀んでいて照明も暗くて、このまさに布団や枕からはね、
前のお客さんじゃねえかと思うような、このちょっと嫌な感じの匂いがするみたいなね、
こちらがまあその罪悪感や怒りや不安を抱く心みたいな風に想像されています。
不安を抱く心みたいな風に想定しておくわけですね。
自分自身が選び続ける心の状態
そうするとさっき言ったようなこの日々の暮らしの中でね、毎秒毎分、
今私はこの判断や解釈を勝手にしてしまうのか、
それともいやこれは本当のことがわからない、僕の意味付けに過ぎないって言って、
それを保留するのかっていうね、この選択の場面、
もしくは未来について不安なことをこのまま考え続けるのか、
いやそれともこれを考えていても心が弱るだけでね、
気力、体力がなくなってエネルギーを失うだけで何のメリットもないっていう風に
ちゃんと受け入れてね、これをやめるのか、まさにこの選択の場面ですね。
これはおそらくさっき言ったようなね、このゴージャスな部屋、
もしくはカプセルホテルのような部屋、このどちらをね、
このどちらの部屋に今自分が住もうとしているかの選択であるという風に
捉えることが重要なんですね。
で、この2つの違いが分かっていながらね、いやいやもういい、
もう俺はこの意味付け手放すつもりはないと、自分の判断正しい、
これで真っ直ぐ行くんだとかね、いやいやもうそうは言ってもやっぱ不安な考えは
手放せないですよって言って行くんだとすると、
僕は、これは要はカプセルホテルを選ぶということなんだけども、
これはですね、もう他でもない。
僕にはこちらが似合ってるっていう風に感じてしまっているんじゃないかと思うんですね。
つまり、私にどちらがふさわしいかの選択をしているのに、
ゴージャスな部屋ではなくて、あえてこの暮らしづらいね、
空気のよどんでいる部屋を選ぶとしたらね、
いやー俺にはこちらが合ってますよっていう、
こういう選択をしてるんじゃないかっていう、
この可能性をね、検討してみる必要があるということですね。
そうすると、なんでこの頭で理屈はわかってるのに、
この平安な方を選べないのかっていう理由もはっきりしてくるんですね。
これは難しいとかできないではないんですよ、実はね。
自分自身でそのカプセルホテルの方、つまり怒りを抱く方、
不安を抱く方、罪悪感を抱く方を選んでしまっているということね。
不思議なことに僕らはこういうことをやるんですね。
これは以前もお話したかもしれないんだけども、
僕は以前ですね、肩こり、もう肩こりだけじゃない、
もう全身のこりがひどくて、高校生ぐらいの時からですかね、
もうほぼほぼ、週に2,3回はマッサージとか整体とかね、
神経費、それから東京出てきてからはですね、
太鼓式マッサージとか、もうとにかくありとあらゆるマッサージに通っていたんですね。
中国式の足裏マッサージとかね、そういうのもやりましたね。
もう本当に全てやりました。ありとあらゆることをやった。
これが多い時でやっぱり週に3回とか行くんですね。
そうすると当然毎回ですね、安くて1回5000円、
高いとやっぱり1万4,5000円するので、費用もバカにならないわけですよ。
ものすごい額を僕は使ってたんですね。
6,7万は毎月使ってたんじゃないかなと思います。
だからこの施術が終わってね、お金を払いながら、
もう一流行の楽になってましたね。
僕は割とそのゴッドハントと呼ばれるような腕のいい人をね、
一生懸命見つけてそこにしか行ってなかったんで、
行けばもうかなり楽になるんですよ。
そうするとそれなりに高いお金を払いながら、
この楽な状態がずっと続けばいいのになっていう風に、
心の浅いところでは思っているんですね。
ところが僕はですね、そこから2,3日経って、
ちょっと肩が凝り始めたりすると、心の奥底でですね、
それを喜んでいる自分がいたんですね。
これはまさにこのグッドバイブスみたいなことをやり始めて、
気づいたんですけども、当時の私はね、
間違いなく早く我慢できないくらい、
来ればいいのにと願っている、そういうもう一人の自分が
いたんですね。どういうことかというと、
そっちのもう一人の自分はね、健康でいるよりも、
いろんな都合をグイグイゴッドハンドに押してもらう、
この快感の方を楽しみにしていたってことなんですね。
だから私はこの来るか来らないか、
これは今日はあまり深く話しませんけども、
これも実は僕の意思なんですね。
身体というのはね、映画のスクリーンのようなもので、
心を反映して、その心の状態というのかな、
カチマックスと財悪感
これをまさに見事に反映してくれる一つの装置というかな、
そういうものでもあったりするので、
僕が早く我慢できないくらい来ればいいのにと
心が願っていれば、この肩こりというね、
本当は僕にとって何のメリットにもならないものを、
この身体が表現してくれる。
そして僕はしめしめと思いながらマッサージに行く。
でもお金払う時に、
ああ、もう行きたくないなと思ったりするというね、
やっぱりおかしな選択にハマってしまうわけですね。
そして恐らく僕は肩が来る自分が、
この私にふさわしいと思っていたんですよね。
このね、もう早く来ればいいのにとかね、
グイグイ押される快感の方が肩こりがないような、
よりもいいというこのおかしな選択をしなくなったんですね、私は。
幸いこのグッドバイブすごきげな仕事という本を書きながらね。
そうしたら不思議なことに、
もう今ではですね、本当に年に1回も行かなくなりましたね。
それから凝らなくなった。
肩は凝るんですけども、僕がそれを望んでいないのでね、
一晩寝ればなんとなくすっきり治ってしまうんですね。
こういう不思議なことが起こるんですよね。
で、今は私はもう心の底から、
この肩こりがない自分の方が私にふさわしいという風に、
完全にその意思を持ったからなんですよね。
さっきの例でいうとゴージャスな部屋に住むようになったんですよ。
そちらを選ぶようになったんですね。
ちょっとでもなんか懲りがきたなと思ったら、
いやいやこれはカプセルホテルじゃんと、
こっち行かないよ俺はと、
ゴージャスな方行くよっていうね、この選択。
これは完全に心の選択なんですね。
これは以前この番組でお話したと思うんですけども、
これは私にとって何の役にも立たないっていうのを
その時言うようにしてるんですね。
少し肩が凝って、昔だったら、
あ、そろそろマッサージ行ける。
嬉しいなってこの心があったんだけども、
これを完全に手放して、
ちょっとでも凝った時に、
この肩こりは私にとって何の役にも立たないっていう風に、
言い放つんですね。
そうすると心がゴージャスな部屋、
つまり肩が凝らない方を選んでくれるので、
私はそちらにずっと居られる。
そしてそれがふさわしいというね、
この意思が大事なんですよね。
だから先ほどね、お話ししたように、
今私はどちらの部屋に住むかの選択をしてるんだ、
ここを自覚して、
そして間違ってもそのカプセルホテルに住むかの選択をして、
ここを自覚して、
そして間違ってもそのカプセルホテルが似合ってるってね、
そちらを選ばないってことなんですよ。
もしね、仮に万が一、
いやいや今選択の場面なんですよね、
どちらの部屋に住むか、
いや私にはゴージャスな部屋はなんか不似合いな感じがしますと、
そうじゃなくてやっぱりこのちょっと空気淀んでるんですけど、
幸せにふさわしい心の選択
カプセルホテルの方が合ってるんですよねって感じだとしたら、
その判断は絶対に間違ってるよって聞かせて欲しいんですね。
ここがとっても大事なところなんですよ。
なぜならば、
私もね、今この番組を聞いてくださっている皆さんも例外なく、
一人の例外もなく、
価値マックスで、そして完璧に美しく、
それからどれだけ大切にされてもね、
十分ではないほど素晴らしい存在だからなんですよ。
そんな風には思えないと思うかもしれないんだけども、
これはこちらの方が多分現実なんですね。
なぜならば、
いつもいつもこの番組でお話ししているように、
宇宙の死んだ場所から生まれ、
そしてこの宇宙の死んだ場所と一つである、
私、そして皆さんですね、
このように自覚することは決して傲慢ではないんですね。
一つですから。
この宇宙の死んだ場所から生まれ、
この宇宙の死んだ場所と同じ価値を持っていなくておかしいんですね。
だから、これ反対に言うとね、
そんな自分の価値を、
その時々の気分ですよね。
おそらくですね、
その時自分をどう見ているか、
みたいなそういう気持ちなんですけども、
これで自由に変更できると考える方が、
僕ははるかに傲慢だと思うんですね。
だから、すべての人が、
この平安である方、
この平安な部屋、これがふさわしいというね、
ここに自分の心を修正していくということが、
とても重要だと思います。
そうしないと、
いやいや、私コアプセルホテルの方がふさわしいからと思ったら、
さっき挙げた5項目を選べるはずがないんですよね。
いや、不安な方が俺だもんとかね、
怒っている方が俺だもん、
いや、罪悪感にまみれている方が私ですからっていう風な、
こちらが似合っているって考えたら、
平安を選ぶ理由がなくなってしまうんですね。
自己価値と自覚すること
無理なんですよね。
もう無理ゲーの世界ですよね。
ここに行く理由がない。
これが最も僕はですね、
この試みを邪魔しているというかな、
そこに大きなハードルとして、
立ちはだかっている要因だと思っています。
要は、結論から言えばですね、
自分に幸せがふさわしいと思っていないから、
っていう風に受け止める必要があるんじゃないかなと。
変な話なんですけどもね。
そして、じゃあなぜ僕らはね、
もともとさっき言ったように、
カチマックスで完璧に美しい、
そしてどれだけ大切にされても十分じゃないほど
素晴らしい存在と思えなくなってしまったのかっていう、
この理由ですね。
これがまさに、
罪悪感だと僕は思っています。
この話をね、ちょうど会場でした時に、
お子さんがいらっしゃる、
しかも1歳とね、
1歳半くらいから、
お二人いたんですよね、
そういうお母さんが。
で、そのお一人にですね、
そのお子さんが生まれて、
初めてね、
その腕に抱いた時に、
この子の価値はマックスだと思いましたよね、
という質問をしました。
いやもう言葉で表せないくらい、
その価値が低いとか高いとか、
そういうね、概念を超えた、
もう本当にかけがえのない存在に感じました、
という風にお答えいただきました。
そのお子さんに、
今お話ししたね、
このゴージャスな部屋とカプセルホテルの
どちらがふさわしいと思いますか?
当然ゴージャスな部屋ですよね。
まあそのね、
さっき言ったように、
お金をかけるみたいな話とはちょっとね、
別の心の話なんでね、
どのくらいこの子のために、
素晴らしい環境を用意したいか、
という風に考えた時に、
もうできるだけのことはしたいな、
と思うはずなんですね。
そのような、
そういう存在として、
お子さんは生まれてきたというのを、
そのお母さんは知っているわけね。
でも、おそらくそのお母さん自体は、
じゃああなたはどちらですか?
って聞かれたら、
うーん、私はーって、
多分ここで悩んでしまうのね。
で、下手すると、その状況によっては、
いや今はもうカプセルホテルが
お似合いだと思います、
って言ってしまう可能性もあるような、
これが僕らなんですよ。
じゃあその、生まれたばかりのお子さんからね、
まあ私で言うと60年経ってる、
財悪感が増えてしまったんですよ。
えーと、カチマックスの反対は、
財悪感なんですね。
これ、この関係をよーくその、
覚えておいていただけると、
なぜ自分がその幸せとか平安に
ふさわしいと思えないのか、
この理由もはっきりします。
まあ要は、カチマックスという、
まあキラキラっとしたダイヤモンドのようなね、
まあダイヤモンドの原石の方がいいのかな、
そういうものの上に、
まさにこの財悪感というね、
名前の泥なのかな、
そういう汚れみたいなもの、
これがね、こう塗りたくられている。
それを年をとるごとにですね、
僕らがこう、
ジャッジャッジャッジャッとこうね、
塗ってきてしまったってことですよね。
だから、その何も塗っていない、
その生まれたばかりのお子さんは、
ゴージャスな部屋が似合うというふうにね、
もうこれ、深く考えつつとも、
そう感じざるを得ないぐらい、
僕らは分かっているんですよ。
これが、私たちの価値なんですね。
だから、
でも、この60年も経つとですね、
私ごときがそんな部屋なんて、
とんでもないですよと、
平安?いや、平安じゃないほうが、
似合っている感じがしますと、
僕はプンプン怒ってていいんですよと、
自分や他の人を攻撃している、
この感じのほうが、
私に合ってますよっていうふうになってしまう。
これが、財悪感がそのように、
僕らをね、
間違わせているってことですね。
誤解させているっていうこと。
で、幸いにも、
この価値MAXである原石というのは、
絶対に変わらない。
これは普遍なんですね。
まさに僕らのアイデンティティーです。
アイデンティティーというのは、
普遍という意味もありますからね。
だから、少々泥がつこうがね、
少々じゃないくてもいいですよ。
もうどれだけついていようと、
塗りたくろうと、
もうこれをさらっと一吹きするだけで、
全く変わらない、
その先ほどお話しした、
その生まれたばかりのね、
お子さんとお姉さんと、
同じその価値が、
すぐによみがえってくるわけですよ。
うん。
だから、この取り組みをする上でね、
重要なのは、
その自分にふさわしいのはどちらだ、
っていうこの問いを、
いつもいつも立てておくということですね。
平安と、そうでない心の、
どちらが私にふさわしいんだろう、
っていうこの問いです。
そして、いや平安じゃない方がふさわしい、
というふうに自分がね、
答えを出したとしたら、
それはおそらく、
そういうふうにね、
本当は堅こりのない、
健やかな状態を望んでいるはずなのに、
何かのきっかけでね、
おかしなメリットを持とうとしているというね、
ここに気づいてほしいという、
そういうことですね。
で、おそらくこの罪悪感というのはね、
大まかに言うと、
自分がまだ何も成し遂げていない、
というこういう感覚なのかもしれませんね。
そして、その原因を僕らは過去に見る。
そうすると、
平安な心と罪悪感
私の過去は地堕落な生活を送ってきた、
ここに問題があると、
他の人を見るとね、
成功している、
まさにさっき言った人が作ったゲームの中で、
いろんなものを成し遂げて、
いろんなものを得ている人は、
もっときっと頑張ってきたんだよと、
私は何をやっていたんだろうという罪悪感。
だからこの私はゴージャスな部屋は
ふさわしくないというふうに、
見てしまうわけですね。
で、この裏にはですね、
さらに言うと、
まさにこの成功した人は大切にされるとかね、
善行をたくさん積んだ人は大切にされる、
こういう感覚もあるんでしょうね。
だから私なんて、
このどちらにも当てはまらない、
成功もしていないし、
善行も積んでこなかった。
だから平安でないほうの心が
お似合いなんだなというふうに、
ここを見間違ってしまうということですね。
だとしたら、
ここにね、
とても大きな中性点が一つあることに
気づけるんですね。
要は、この成功した人は大切にされるとかね、
何かいいことをたくさんやってきた人が、
大切にされる。
そういう人はゴージャスな部屋にふさわしいんだ。
平安、幸せがふさわしいんだと。
このように誤解しないための修正点というのは、
そのように人を見ないようにしておくということです。
これは鏡の法則ですね。
おそらく、
そのように感じてしまう、
そのような罪悪感を持ってしまう、
その最大の原因はですね、
自分以外の人を
そのような状態で
自分自身が
自分以外の人を
そのような価値基準で
いつも見ているという
そういう可能性があるということですね。
あ、この人は
いろんなことを成し遂げている。
だから大切にされていい人なんだ。
もしくは、私もこの人を大切にしたいと思う。
でも、この人は何にもできていないじゃんと。
いつも人に迷惑ばかりかけていて、
好き勝手なこと、
わがままなことばかり言ってるよねと。
もうこういうやつはね、
ゴージャスな部屋とんでもないと。
カプセルホテルがおかしい。
ゴージャスな部屋とんでもないと。
カプセルホテルがお似合いだよと。
いや、もうカプセルホテルすら贅沢かもしれない。
みたいな。
こんな感覚を他の人に
抱いていないかということをね、
やっぱり日々しっかりとチェックしておくわけですね。
これがまあ、いつも言う
鏡の法則なんですよ。
そのようなね、基準で
人を見ていれば
必ずそれは自分を見る時にも
この同じような視点が
自分に向けられるということですね。
これがまさに鏡の法則。
まあ簡単に言うと
僕らは自分を見るように他の人を見て
そして他の人を見るように自分を見るという
この法則からは
絶対に逃れられないんですね。
なぜならば
僕らは一つだからなんですよ。
ここが一つであることの
証明にもなるわけね。
ここを分けることができないんですね。
だからなんとなく
自分に幸せがあんまりふさわしくないなとかね
先ほどお話ししたような
この選択の場面でね
なぜか平安な方を選べない。
平安が自分にふさわしいと思わないから
ですよね。
そのように自分を見ているとしたら
ここに修正点があるということ
これは普段
このように他の人を見ているのかもしれないなと
こいつは幸せふさわしくないぞとかね
こいつは平安ふさわしくないぞ
というふうに
人を見ているのかもしれないと
これにね
気がついて修正していくというのが
一つこの
価値マックスを曇らせるね
この罪悪感を持って
持たない
一つの方法なんだろうなと思います
全ての人が
幸せがふさわしいのであると
どんな言動をしているか
どんな行動をしているか
どんな結果をもたらしているのか
いいことをしているのか
悪いことをしているのか
関係ないんですね
誰もが例外なく
幸せ平安
こちらがふさわしいというように
自分と他の人を見ておくということね
そうすれば自然と
長い間
カプセルホテルが似合っていると
思っていたんだけども
これは大きな誤解でね
そのような罪悪感
もしくはそのように人を見る
この鏡の法則というのかな
この見方
これをやめればね
私は素直に
他人を見る基準の修正
先ほど私が言ったように
価値マックスで完璧に美しくてね
どれだけ大切にされても
十分ではない
素晴らしい存在というふうに
思いますね
おそらくこれはね
もう本当にある種の習慣なんですね
だから私には
幸せがふさわしい
平安がふさわしいと
いつも確信する習慣をつけておく
これが重要ですね
この反対もまさしく
この習慣になるということね
私には肩こりがふさわしい
私には怒っている方がふさわしい
私は不安でいる方が
ふさわしいんだという
こちらも完全に習慣になる
毎週2,3回
何十年もの間
マッサージに通い続けたわけですね
そしてこの習慣を変えた
その瞬間に僕はですね
いかないという習慣を
つけることができるわけです
マッサージ屋にはいかない
全然我慢してないですからね
これはもう我慢できるような話では
なかったので昔はね
同じこのクラゾノという人間が
そして年を取るごとにですよ
マッサージにいかなくなるという
不思議な現象が起こる
これはどちらが自分に
ふさわしいのかという意思なんですね
意思と選択なんです
そして心はですね
その意思
私にふさわしいのはこちらだという
この意思に従って
しっかりと平安である方を
選んでくれるようになるわけね
これが先ほど言った
心を鍛えるということの
一つの実態というか正体なんですね
だから練習特訓で鍛えるのではなくて
まさに意思なんですよ
自分はどちらを望むんだ
ということを
自分自身がね
しっかりと幸せ平安
これが私にふさわしいという
この意思を持った瞬間に
心はそれにふっと従って
そちらを選ぶようになってくれる
そして体というのは
心を反映する映画の
スクリーンのようなものなのでね
この心が健康が私にふさわしい
というふうに意思した瞬間に
おそらくそのような結果を
体はしっかりとね
割と早く反映してくれるんじゃないかな
と思います
だからどちらがふさわしいか
これは非常に重要なんですね
これはそうは思えないよという議論はね
多分尽きないと思います
だからそのように
どうしても自分はね
価値マックスで完璧に美しくて
素晴らしい存在と思えない
というのであればね
やっぱりじゃあ他の人を
どのように見ているのかという
修正するというね
これをお勧めしますね
だからその意味で冒頭にお話ししたね
この幸せを2つの種類に当面分けて
最初はね
人が作ったゲームでどんな結果を出しているか
どんな成果を上げているか
何を達成しているのか
こういうものあるんだけども
今日私がお話ししたね
どちらがふさわしいかというのは
それとは全く関係ない
私たちが生まれながらに持っている価値マックス
以前は天然の価値と言ってましたけどもね
まさにそのお子さんが生まれた時に
どっちだったんだよというこの話なんですよ
これはその人が何かをしたとかね
どんな結果を残したとかね
何を成し遂げたとかで変わるものではない
そういう普遍の価値だっていう
この自覚というのから
ここを受け入れておくことが
すごく重要だと思いますね
だからここに根拠はいらないんです
もともとそうだったわけだからね
宇宙の神話ばかりで
万象と一つである私たちに
その価値を証明する必要はないということ
これはもうそうでないと思ったら
いろんな今日お話したような理由で誤解してるんだ
というふうに修正していく
これだけでいいんだと思います
そして幸せがふさわしい
平安がふさわしいというふうに
思えば思えるほどね
このさっき言った日々の暮らしの中で
毎秒毎分平安な方を選択する
判断解釈を保留する
不安を抱かせるような考えを手放す
罪悪感を持たない
自分と他の人を完全に対等と見る
自分自身に対する意思の修正
そして攻撃や攻撃的な考えを手放すというね
この選択の場面で平安な方を選べる
なぜかそれが私にふさわしいからですよ
好き好んでね
ゴーチャスな部屋が用意されてるのに
あえてその隣に
いや俺こっちでいいですよ
ってカプセルホテルに入る人が
まずいないと思うのでね
これを習慣にするという
私にふさわしいのはこちらであるという
これを習慣にするというね
これをぜひぜひやってみてください
これがですね17日にお話しして
私が今日ここでもお伝えしたいなと
思ったテーマですね
とても大切なテーマだと思います
で今週末はですね
7月23日の日曜日13時半
午後1時半ですね
加藤さすきとやっている
ありのままを見るデッサン教室
というのをやります
これもですね
ボイトレと並んで
とてもおすすめのプログラムなんですね
今日お話しした中でいうと
一番目のやつですね
勝手に判断解釈せずに
現実をもう一度ね
判断解釈を保留して
意味づけを保留して
何が起こってるんだろう
これは何なんだってことをね
どれほど行詞形調する
リス&ステアですね
そして感じる
フィールですね
現実を感じる
これをトレーニングに
持ってこいのプログラムなんですね
私も相当できているつもりだったんですけども
この絵を描くということを通してね
どれだけモチーフを
行詞形調できているか
現実をありのままに
この紙に描写できているのか
というのをね
実際にやってみると
これを一回体験するとですね
なるほど
僕らは全然ものを見てないんだなと
人や
それから出来事
環境
あらゆるものを勝手にね
自分の想像の中で判断して
デッサン教室での絵の描き方
ほとんど見ずに
この過ごしているんだな
ということに気づけるわけですね
そしてもう一つね
これは最近私が
漆筆レッスンで
オススメしている
絵みたいなことを
意識の中で描いておいて
それを文章で
作文をせずに描写するというね
このやり方にも
完全に応用できるんですね
私はこのデッサン教室で
絵を描くようになってから
さらにこの文章をね
その世に捉えることが
できるようになりましたね
だからこれはですね
なんとなくちょっと自分に関係なさそうだな
って感じもするし
絵は得意じゃないしなっていうんで
中学2年くらいから
絵は一個も描いてなかったんだけど
驚くほど描けるということにね
気づかされました
その描けている自分がね
嬉しいなという感覚も
得ることができましたね
ですんでよかったら
ぜひご参加ください
じゃあ今日はですね
選択肢を考える
一日の中で
いろんな選択の場面があるでしょう
そしてこの番組をね
いつも聞いてくださっている皆さんであれば
こちらでもう一つの選択肢
考えないとかね
罪悪感を手放すみたいなことは
きっと一通りね
心の中に刻まれていると思うんですね
その時に
どうしてもそちらを選べない
ってなったら
どちらが私にふさわしい
平安であること
幸せであることが私にふさわしいのか
それともそうでない心がふさわしいのか
っていうこの問いをね
投げかけてみて
もう一度選び直しながらね
いい一日をお過ごしください
ありがとうございました
48:36

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