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グッドバイブス ミッドナイト楽座 by 倉園佳三
こんばんは、ただいま10月12日水曜日の3時19分ですね。 月曜日はスポーツの日ということで、これ昔は体育の日だったと思うんですけどね。
確か運動会をやる日だっていう記憶があるんだけど、今はスポーツの日でお休みしました。
これも以前この番組で、平日の祝祭日は番組を公開するべきかどうかみたいな葛藤をちょっとお話ししたんですけどね。
あの頃はポッドキャストランキングというとんでもないものを見つけてしまいまして、ハマりましたね。久しぶりに数字というか順位にハマったっていうね。
もう5分おきに今俺の番組何だ?みたいな感じで見てしまうんですよね。
しかもさらに悪いことに時々そのベスト10に入ったりとかいうね、甘い蜜の味みたいなのも知ってしまい、
なんかそういうのがあると本当に気になってしまってね。でそれがもうなんか自分の生活の中に入り込むのがとても嫌でね、私はもう今一切見ないようにして
で、きっぱりと祝祭日はお休みにするというね。そんな感じに決めたんですけどね。やっぱりでも日曜日ですかその前の日ね。
明日どうするかなってやっぱ今回も考えましたね。というのもあの本当にありがたいことにですね。徐々に徐々にリスナーの方が増えていましてね。
だんだん順位は見てないんですけど、アンカーというサービスに分析というグラフがあるんですよ。これも見ないようにしたいんですけどね。このグラフがこういい感じでこう上がっていくんですね。右肩にね。
右肩上がりなんですよ。ホッと僕は弱いですね。右肩上がりっていうのがね。逆に右肩下がりになったら落ち込みますがね。
V字回復させなきゃみたいな感じになってしまうんですけどね。その線を見てるとこういい感じで増えていってね。先週先々週あたりはね。たくさんの方に特に聞いていただきまして。
この波を止めたくねーなーみたいなね。また欲というか出てきまして。なんか撮りたいなって気持ちがすごく強かったんですけどね。いかんいかんいかんいかん。祝日は休もうと。
祝日は休もうと決めたじゃないかっていうね。ずいぶんとブレーキをかけるって言うんですか。ブレーキじゃないな。変なところに行かないようにだな。止めるが合ってるんでね。やらないが合ってるんで。やるっていう方が多分おかしな行動。それは不安に基づくおかしな行動だと多分思います。
それでお休みさせていただきました。でまた再会今してるんですけどね。まあ再会じゃないかな。普通に水曜日またお話ししてるんだけど。なんか楽しいですね。やっぱね。やりたいなって気持ちがあるんで。ああやんなきゃみたいなよりも喋りたいなみたいなね。喋る内容はあんまりないんだけど頭に浮かばないんだけども番組撮りたいなという感じはやっぱり強くあるんでね。良かったなと。
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それもやっぱりですね。右肩に挙げていただいている皆さんのおかげです。本当にありがとうございます。
日曜日は私と佐々木昌吾さんと矢部聖子さんの3人で運営しているグッドバイブスファクトリーというオンラインのコミュニティですね。これのオンライングループセッションという相談会ですか。毎月1回開催しているズームで相談会がありまして。
日曜日がそれ。その翌日の月曜日がえふたさんとやっている執筆教室の相談会。この3連休は相談会三昧でしたね。私はこれが結構好きでね。何が楽しいのかよくわかんないんですけどね。とてもワクワクするんですね。今日オンラインセッションだとか今日相談会だとか思うとね。
一つは皆さんがどんなことを考えているのかそれを知るのが一つはね。楽しみ。それが悩みの場合が多いんでね。みんなの悩みを聞くのが楽しみっていうのは変な趣味なんですが。悩みというよりもどういうところにつまずいているのかなとかね。特にグッドバイブスファクトリーの場合は一応このグッドバイブスを実践されている方の集まりなのでね。
私が提案しているいろんなお話を実践していただく中で何に引っかかっているかみたいなのはとても勉強になるんでね。ここは聞きたいところが一つなんですよね。それに対してまた私が的確な言葉を返せるかっていうね。的確な話ができるかみたいなことをちょっと自分への捉えとしてね。
これは怖くはないんですけどね。でもやっぱり試されている感じはしていて、この感じはちょっと気持ちいいですね。心地いいというかね。
たぶんだけども今までもう3年ぐらいやってるんだけど3年以上かな。何か答えに急したというかね。これはちょっと私には無理ですよみたいなのは多分一つもなかったと思うので。何かそれをクリアしていくゲーム感覚なのかなこれも。そこが快感なのかもしれないですよね。
それからエフタさんとやっている執筆教室の相談会はこれは実際に例えば書けないという悩みを持たれた方にね。こういうふうに考えてみてほしいというお話をした後に書けましたみたいなフィードバックが来たりとかね。何か文章を書く気持ちがとても軽くなりましたみたいなフィードバックを得ること。これもやっぱり僕の喜びの一つですね。
これは何というのかな。役にお役に立てたというね。このお役に立てたというのはね実はあんまりこう僕らの人生の中であまり重要なものとしてカウントされてない感じもするんですけどね。私はですねこのgood vibesっていうのはもともと幸せのためのメソッドどうすれば幸せになれるかっていうのね。
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僕が一生懸命一生懸命考えながら自分で実験しながら作り上げてきたものなんだけどもその大きな幸せのね幸せを得るための大きな一つの要因というのかな。大事な要素かなここにやっぱり役に立てているかどうかっていうこの感じはとても重要なんですよね。
まあ反対を考えるとわかります。僕も経験したことがありますが人生で一番辛いってどういうシチュエーションかっていう考えた時にね。私を必要としている人が一人もいないっていうこの状況こそが僕にとっては一番辛かったんですよね。
まあそのそういうものを自分で作ってしまったんだけどね。僕の場合はね。これは嫌だなって感じがしましたね。何をやっていても楽しくない。まあその代わりに例えばギャンブルにはまったりね。女の子とデートしたりまあそういう世の中で言われている楽しそうなことはやってみるんだけどもそれじゃあどうにも埋まらないぽっかりと空いた穴っていうのがあるんですよね。これがおそらく役に立てているっていう感覚なんですよね。
これをその日曜日と月曜日に味わいながらファクトリーのそのオンラインセッションの中でもずいぶんとその3年ぐらいかな。このコミュニティに参加してくださっている方でね。
その方はありがたいことに質問が途切れたときにね。他にないですかね。聞く方が多いんですよ。リードオンリーの方が多くてね。質問が途切れるときがありまだ時間ありますけどって言うと大体その方がね。じゃあ私がちょっとつなぎでみたいな。特に困っていることはないんですが。一応話題の提供ということでみたいなね。
テーマを投げてくれる方がいらっしゃるんだけど。その方がやっぱり未来の不安が大きいんですよね。まだみたいなことをお話ししてくださって。これはね。やっぱりいろんな場面で私も耳にするテーマなんですよね。
特にあのワンオンのセッションとかで4回終わってなんかいい感じになりました。いけそうですみたいな感じでね。帰っていかれる。そうすると数ヶ月ぐらい半年ぐらいかな。した頃にすいませんもう一度お願いできないでしょうかっていうね。リピートの問い合わせが来るんですよね。お話を伺ってみるとやっぱり他のことはなんとかなるんですけど未来の不安がどうしてもみたいなね。こういう感じが多いんですよ。
私はどうかというと同じなんですよ。まったく。結構いろんなことはいけるな。大丈夫だな。いいな。いい感じだ。平安だな。みたいな感じになっても何かのきっかけでやっぱり未来の不安ってぶわーっと押し寄せてくるんですよね。
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特に私はね2ヶ月前に官暦を迎えましてね。もう初老というかね老人の方に足を踏み入れてるような年代ですのでね。やっぱり老後はどうするんだみたいなことをニュースでパッと見た瞬間に俺はどうするんだみたいな。
なんか保険も大して入ってない。保険多分入ってないんで0なんでね。保険も入ってないしとかね。なんか何の保証もないしなみたいなね。会社勤めしてたほどの多分年金ももらえなそうだなみたいなね。そんな感じのこう不安というかね。未来の像を描いた瞬間に押し寄せてくる。
これはやっぱりねまあそこまで行かなくてもやっぱりフリーランスですからね。2年先3年先本当に食べられているんだろうかみたいなことはね。おそらく自営業フリーの方は例外なく感じることなんだと思うんですよね。
だから今日はちょっとその時間の話をしてみようかな。未来というのは時間ですからね。と思います。
最初の入り口はですね。やっぱり時間とは何かっていうここのところをね。しっかりと認識し直すというかね。捉え直すということが大事なんですよね。
なんか僕らはこう当たり前に時間があるというこの感じで生きてるんだけどそもそもこの時間って何よっていうね。これ一言で言うと人が作った道具だと僕は思ってるんですね。多分間違いないと思うんですよ。
この世界にはね。天然のものと人工のものがね。2つありますよね。海はって言ったら海は多分天然のもの。港になるとやっぱりこれは人工になってくるわけですよね。
あと建物。これも人工。それから山。山。おそらく山は天然なんでしょうね。でもそこに山道みたいなのができてるとすると人工になるんでね。だから天然と人工がクロスオーバーっていうかね。クロスオーバーしながら混ざり合っている世界の中で僕らは今生きてるわけです。
でもよく見上げてみるとね。例えば空は天然だよね。雲も天然だよね。植物も天然のものもあれば人工のもの。植物は育った後は天然なんですよね。それをどのように人間が育つようにするかっていう畑とか田んぼとかね。そういうものはプランターみたいなものは人工なんだけど。
でも出てきて目が出るとこれはやっぱり天然なんですね。クロスオーバーしてますよね。ここを一つ一つ見分けていくっていうのは面白いんですよ。そうすると時間ってどっちよって話になるわけね。何かでも僕らは生きてて天然のものだと捉えてるんだけど。
いわゆる物理学とかで言う時間の概念みたいなのとは別にね。この生活の中で僕らが実感として持っているこの時間というのはね。おそらくだけどこれは人工のものですよ。しかもこれは道具だと思うんですね。
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たぶんかつてはみんな一人で仕事をしてたんですよ。きっとね。一人で何か刀を作ったり壺を作ったり襖を作ったり傘を作ったりして。あと茶屋とか食べ物屋さんとかをやって。
水子で商売をしてたんだけどある時これ一人ずつやってると効率悪くない?みたいな。何か稼げなくない?みたいな感じになって。みんなでまとまって何か一つの大きな会社のようなものを作ってそこで大人数でやった方がいいんじゃないの?っていうことになった時に。
じゃあどうやって集まる?9時に集まるっていうのが必要になるんですね。9時っていうこの時間をたぶん作ったんだろうね。きっとね。そこからどんどんどんどん集団で何かをする時にはいついつまでにこれを仕上げなきゃいけないみたいな期限も必要だから。
ザックリと牛密読みたいなんじゃたぶん困るんじゃないかなっていうね。もうちょいもう分単位秒単位でね何か決めるという。それで例えば電車の運行とかねそういうのもやっぱりもっと細かく本当に分単位で作るだけだめだよねみたいな感じになっていって。
とてもこれは実は便利な道具ではあるんですよね。だってもし時間がなければ明日の朝誰かと会うとかそういうこともできないわけですよね。なんか偶然その人と出会うまで会えないってことになると一生会えない可能性ありますよね。
なんか街でおおなんとかみたいなこう出会いがないと会えないみたいに困りますからその人と何待ち合わせをする約束をするっていうのにも役立つし例えばそのエンターテイメントを見るってね6時から夕方の6時から開園ですみたいなことがないといつ行っていつ行ったらいつ始まっていつやってるんだってのがないと困りますよね。
なんか何度言ってもやってないんだよねみたいな感じになっちゃダメなんで便利なことはたくさんあるわけです。この番組のもう月水金に配信ということでねなんか皆さんがいつそのポッドキャストをチェックすればいいかっていうのもわかるわけ。
これこういうものって時間の他にもありますよね。僕は今2つ思い浮かんだ1つやっぱお金ですよねお金もやっぱり僕らはもう今時間と同じようにこの当たり前にあって昔からあってあるのが当たり前だっていう風な認識で生きてるんだけどもこれも間違いなく人が作った道具ですよね。
目的は今はもうたくさんありますからね。ちょっと今ここで話せないぐらいきっといっぱいあるんだお金の目的っていうのはね。それから以前この番組でもお話した罪と罰ってやつですね。これも同じようにあるのが当たり前って生きてるんだけど違いますよね。
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これは以前もお話ししたように僕らの望ましくない行動を修正するために罪と悪いことをしたら罪なんだっていうラベルを貼りそこに罰が与えられ罰は嫌だよね怖いよねっていうんで行動を改めるっていう多分こういう働きを持つ道具なんですよね。
今言った時間お金それから罪と罰うまく使えば僕らはそれによっていろんな恩恵を得られるんですよ。ところがこれを道具だと考えたときに自分で自分の人生のどこにそれを採用するかを決めていいはずなんですよね。
これが多分ね今ねなんつーのかな道具と一体化してるっていうのかな。もしくはこう道具の方が主になってるっていう感じもなくはないよね。うん、罪悪感お金時間なんとなく僕は僕らはそちらの方がでかくてねその中でこう飲み込まれてるような感覚を多分持つこれをちょっと取り戻すためにね時間とは何かっていうことを考え直してみるわけです。
そうするとこれは間違いなく道具だということがわかる。ということは便利なところは使わせてもらえばいいんですよね。さっきの約束アポイントメント期限とかね多数でプロジェクトで仕事をするときにこの日までにみんなこれをやっておこうねみたいなところには利用すればいい。
だけどこれを人生全般に当てはめる必要は僕はないと思ってるんですね。どういうことかというと実在する時間は今ここしかないんですよ。でそれ以外の過去と未来というのは僕らの頭の中にある一つのなんていうのかな。やっぱ心象なんですよね。心象というか概念なのかな。
未来っていうのを思い浮かべようと思えば思い浮かべられますよね。明日どうしようかなーって言って明日のことを想像することができる。つまり未来というのは想像したときに生まれる時間なんですよね。それから過去は過去はあったんですよ。あったけども今ここにはないんですね。だからその意味では未来と実は何も変わらない。
じゃあ過去はどうなんだって言ったら多分これはもう僕らの記憶ですよね。僕らの記憶の中にあるのが過去。でこの2つを持っておいた方が今ここだけじゃないくてね。この未来と過去も持っておいた方がいいよねっていうこれも多分何らかの目的を持った道具としての位置づけにあるんだと思うんですよ。過去と未来っていうのはね。
でその未来を思い描くと僕らは不安になるということはねこれ単純に結論だけ言えばね。今ここしか実在する時間はないんだから未来というものを考えなければいいだけなんですよ。
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でもそれはできないんですね。だから私も今ちょっとしたニュースとか見ただけで老後やべえじゃん2年後金稼げてるのみたいな不安が出てくるわけね。それだけじゃないかもしれないですね。もっと近い将来というか近い未来。
明日明後日の例えばねなんかセミナーうまくいくかなみたいなねそういう集客大丈夫かなみたいなこういう不安もかすかにだけどスッスッスッとこう僕の体を反応させますわねやっぱりね。
でもそこ使わないんでやれればいいじゃんっていうこの発想はなくはないんですよ。今未来いらないよねっていうね。
でもどうしてどうしてもそれができない。何でできないかっていうここですよね。
だとしたら次はね未来ってなんだっけって未来って僕らはどんなものとして使えというふうに教わってきたんだっけっていうこの問いが大事になってくるかなと思うんですね。
でこれもさっきの一人で商売してる状態では実はあんまり気にしなくてよかったんだと思うんですよね。
でもそこに100人200人と人が集まった時にみんながバラバラな方向を向いていては何もできなくいいわけですよ。
やっぱり200人で一人でやってるかのように一つのことにエネルギーとか労力とかが向かわないと何も出来上がらない。
そこで多分考え出されたのが未来に目標を持つってやつだと思うんですよね。
例えばこの200人でこのぐらいの売り上げを達成しようよとかねこのぐらいの製品を売りさばこうよみたいな。
そうしておくとみんながそこに向かうというねこれはまあ多分人が持っている習性の一つなのかな。
でも面白いですよねその後から作った道具によってもともと人が持っていた習性を操るみたいなね。
なかなかこれを鶏か卵かみたいな話にも思えるんだけど多分そういう目標目的があったんでしょうね未来というのはね。
2年後1年後にこういう数字を達成するとかこういうことを実現するみたいなことをその200人で合意すればですよね。
軽くでもいいのかなそんなに本気にならなくてもそういうことなんですねそっちの方を行けばいいんですねっていうこう道しるべのようなものとして僕らは使い始めたんだろうなと思うんですね。
これがおそらく僕らの幼い頃小学校中学校高校とかにもしっかりと用意されていてねなぜかというとその一つのクラスというのは40人とか30人とかねやっぱ少ないところでもやっぱ数人はいますからね。
その子たちが例えば文化祭とか学祭とかねそういうものをやろうとかねいう時にどんなものを作りたいかみたいなまず未来のそのゴールを決めてそれに従ってみんなで同じように動いていくというこのやり方を多分随分と教わってきましたよね。
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それからそれに近いものとして日々をどう生きるのかという指針これを持たないといけないよねっていうね多分こういう考え方がきっとまず先にあってなぜかというとおそらくだけども僕らはその寿命がありますよね。
どんなに長くても200年は生きられないっていう最高が125歳って今聞いてますけどね人間の体の限界というのかなどんなに頑張ってもそこまでだってこのこの時間をね短いというふうに捉えたんでしょうね。
僕は前も言いましたけどその長い短いっていうのは相対的な判断なので何と比べて長いかって何と比べると短いかって本当はその基準がなきゃいけないんですよだから僕らの例えば80年が短いというのは何に比べてなんだろうってここはちょっと疑問ですよね不思議ですよね。
鶴とか亀なのかな鶴は万年だ亀は万年鶴は千年か忘れたけどそういうのありますよねそれから薬島に生えているその杉とかね何百年も生きてますみたいなのと比べて短いのかなみたいなよくわからないんですがまあとにかく短いということになったわけですよそうすると1日も無駄にしてはいけないっていうのが次に出てきますわね。
でこれでじゃあ無駄にしない生き方っていうのは何なんだっていう次の問いが出てきた時の答えが何か一つ心を決めてゴールを決めてそこに向かって動いてるっていうのはなんか有意義なんじゃないかなっていうこういう流れでね一つの答えが出てきたんじゃないかなと思うわけです。
そうすると受験勉強志望校に合格するっていうゴールを決めて今ここを受験勉強に使うとこれは何か理にかなってるよねっていうねゴールを決めて今ここを何かを成し遂げるための時間として使うって確かになんとなくこう有意義な感じがしますわね。
でもねここにはね僕はね大きな嘘が1個だけあるんじゃないかといつも思うんですよこれはなんかねもう子供の頃から実は感じてたことなんだけどこのね未来にゴールを決めて今をその実現のために使うというこの発想ではね幸せはどこにあるんだって言った時に間違いなく未来にあるんですよ。
でさっき言ったように未来というのは実在しない時間ですよねでもそこにあるんですよ志望校に合格した時望みの会社に就職した時それから会社で言えば目標の数字を足したその時っていうね必ず必ず今ではなくて少し先少し先に僕らは幸せがあると思ってるわけね。
でだからこれ例えばその受験勉強してる人にねあなたはあなたの幸せはどこにありますかって聞いたら確実に志望校に合格した発表を見たその時ですっていうに決まってるんですよね。
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でも未来という時間は存在しないだからたとえそれが達成したとしてもその瞬間を感じるのは今ここなんですよその時の今ここなんですね。
だって感じるという動詞フィールという動詞はですね今ここだけで起こり得る動詞ですよね。
過去に感じるとか未来に感じるなんてことはありえないわけでこの感じるのは体じゃないですか心じゃないですかこれが何かを見たり聞いたりしてふっと何かを感じるこれ今ここしかないんですよだから幸せというのも実は幸せを感じる時間っていうのは今ここしか実はないんですね。
でもこれを僕らは未来にあるというふうに捉えてしまった。
じゃあその今ここはなんだっていうとそのゴールを実現するための努力をする時間なのでこれは手段なんですよ。
今ここを手段に変えて未来の幸せを得ようとしてしまったっていうねここに何か僕は大きな落とし穴があるんじゃないかって思うわけね。
だってその手段にしたものって僕らはどう考えても愛せないですよね。
これは何かをするための手段ってやつは早く終わらせた方がいいに決まってるじゃないですか。
それを終わらせればその先に幸せが待ってるわけでしょ。
そうすればこのだとするとねこのその幸せを得るためにやっているこの手段は幸せの手段なので幸せではないんですよ。
幸せを得るためにやることだからここが苦行でもね辛くても仕方ないんだと。
逆に言うと今ここがつらければつらいほどきっとあなたは未来に大きな幸せを得られるんだって多分そんな風に教わってきたはずなんですよ。
部活でもそうですよね。苦しいだろう今お前たち苦しいだろうとそれでいいんだと。
それでこそ優勝できるんだからっていうね。
確かにその優勝する瞬間はうわーってなるんですよ。
僕もそのそういうなんつーのかな何かこう自分の夢がね実現した時の喜びみたいなのは
例えば音楽やってる時だとオーディションで合格した時とかね。
なんか天にも上がるような刺激というのを味わったことがあります。
でもね残念なことにそれって長くは持たないんですよね。
僕がそうだなーなんかこれすげーもの俺達成したなーやったぜーと思って
それがどのぐらい持ったかなって今思い出してみるとね最長で1ヶ月かな1ヶ月いかないかな3週間ぐらい。
そうするとまたふっと元に戻るんですよ。
なぜか幸せっていうのは今ここでしか感じられないからなんですよ。
だから合格とか成功とか達成みたいなその瞬間にうわーってくるのは当然今ここでね。
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でもその今ここは終わるんですよ。
そういえばなんかこう何か表彰されたりね賛美されたりしてパーティーを開いてもらえたみたいなこともあるんだけど
そのパーティーもその中にいる時はもう頂点ですよ。
みんなが僕のとこに寄ってきて倉澤さんやりましたねすごいっすねみたいなね。
ありがとうございますと言いながらちょっとこういや謙遜しながらももう心の中ではしめしめすげーだろ俺みたいな感じになってる。
これもうそろそろお開きになりますみたいなことが時間が来るとねみんな一人二人去っていき私はちょっと心の中でね。
もう帰っちゃうの?もう帰っちゃうの?みたいな。
2時間行きません?みたいな寂しさを抱きながらね。
残った数人でもう一軒行くんだけどもその人たちも帰っていき僕は一人で家路に着くわけです。
もうその時点でずいぶんとテンションは下がってますよね。
でもまあしばらくはまたメールかなんかでやりましたねとかねおめでとうとかそういうのが来て見るたんびにおーやったおーやったってちょっと幸せをかみしめられる今ここでね。
それも3週間ぐらいするともう誰もその話はしなくなり自分でもなんかその刺激も薄れていきねまた元に戻るわけ。
そうするとあれなんか俺が求めていた幸せが今薄くなってるじゃないかって。
そっかそっか次のゴールだって言ってまた今ここを手段にしてそれを目指してやっていくんだけど多分だけどこのやり方はねえっと幸せの捉え方を僕は間違っているんじゃないかなと思うんですね。
幸せというのは今ここでしか味わえないとするならばこの僕らが手段にしてしまったねこのプロセスすべてが幸せを本当は味わえる時間であるはずなんですよ。
でこの未来思考の幸せ未来に幸せがあるというねこの発想っていうのはすごくイベンタブルなんですよね。
一つの大きな刺激とかイベントが待っていてそれを僕らは幸せと感じるんだっていうふうに捉えてるんだけど私はね全然違うと思いますねそうではないと思う。
例えばその土曜日と日曜日日曜日と月曜日か私が2日間やったこの相談会全然イベンタブルじゃないですよ。
なんか僕がそのなんかこう天に舞い上がるような賛美を受けることもないし賞賛を受けることもないしなんだったらあの何が起こっているのかわからずに1日が終わるみたいなねそんなことだってあるわけです。
だけど私はほとんどの時間をそういう意味でねなんか幸せだなと思いながら過ごせるんですよ。
相談者の顔がちょっと緩んだこの瞬間それから私がなんか思いも知らない言葉を思いついてそれを伝えられた瞬間なんかその場全体がねとてもいいなんかこう和やかな雰囲気に包まれた時とかね。
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瞬間瞬間にもうおそらくこれはそのイベント系の幸せに比べれば小さいと思います。
おそらくね何が小さいかった刺激が小さいだけなんですよ刺激が小さいアドレナリンが出る量が少ないとかそういうことかなもしかしたらねそういうことかもしれないんだけどその小さい幸せというのがこちらがその気になりさえすればね毎秒毎秒見つかるんですよ。
僕はこれこそがえっと本当は僕らがね求めているものなんじゃないかなって気がするんですよね。
家族と一緒に暮らしていますと何も起こりません。
だから年に1回海外旅行に行く家族でねこれが幸せなんだイベンタブルですよねすごくイベントですよね。
でも帰ってきて家が一番とか言って寝たら翌日はもう終わってるんですよ。
ほぼほぼその刺激はなくなってる。
多分これじゃないんですよ。
そうではなくて日常の何気ないただただ普通の生活の中で僕が何か発した言葉にその家族パートナーがミヤッと笑ってくれると。
それからなんか僕がやったことにありがとうと言ってとても安心してくれるみたいなねそういう中にもうキラキラキラキラと輝いているような宝物のようなね幸せがねたくさんあるわけね。
これを僕らは見失ってしまったんじゃないかなと思うんですね。
なぜならば未来に幸せがあると思ってしまったからね。
ちょっとこれは言葉は悪いですけどやっぱり馬の前に人参をぶら下げて走らせるっていうのと結構近いですよね。
だからなんかそのやっぱりこうたくさんの人で仕事をし始めるという仕組みの中にねこれが盛り込まれるっていうのはわからなくもないですよね。
だからこそ僕らはそれをね自分の人生に採用するかしないのかっていうのを自分自身で決めていいはずなんですよ。
多分だけど大きな勘違いがあるんですね。
今の子供は読むのかどうかわかんないんですけどあのイソップ動画かなアリとキリギリスって話があったじゃないですか。
あれだと思うんですよね。
なんかねあれは要は浮遊自宅をするためにねアリは一生懸命働くわけですよ。
集団でねしかもね。
でその働いている様子をキリギリスがこう眺めながらねなんか真面目にやったらこいつみたいな感じちょっと小馬鹿にしたような感じでずっとバイオリンを弾いて遊んでるんですよ。
そもそもそのバイオリンを弾いてるのが遊びっていうこの捉え方もちょっとなんか問題ある感じがするんですけどね。
でどうなるかというと冬が来てねアリたちはその未来のためにまさにそうですよ未来のゴールのためにコツコツ働いていた食料を食べてね幸せに暮らすんだけど遊びほうけていたキリギリスは凍えじんでしまうというこういう話。
これがねやっぱ僕らの中に染み付いてる感じがするんですよ。
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でここに今ここを表示するというのは遊ぶことだっていうね変な変な概念が入っちゃってるんですよね。
確かにねこれね子供に合わせるっていう意味ではわかります。
だって子供の本文とかね仕事はその勉強することということになってますからね。
勉強するというのはありでいうとしっかり荷物を運ぶみたいなことね。
で子供は勉強しなければ何をするかさ遊ぶわけじゃないですか。
そうとは限らないと思うんですけどね。
まあとにかく遊ぶわけですよゲームをしたりね今で言うと。
でこれがキリギリスのバイオリンなんですよ。
だから僕らにとって今ここを楽しむというのは遊びだっていうふうにこう頭の中にインプットされてるわけね心にインプットされてるんだけど大人になって何をしてもいいよってずっと遊ぶしかないんですよ。
そういう人は僕はあんまりいないと思うんですね。
まあ中にはいなくはないけどじゃあ遊んでみろと。
僕はやったことがあるんで分かるんですけど。
仕事を一切やめて遊ぶとどうなるか。
めっちゃくちゃ仕事したくなりますよ。
間違いない。
仕事という名前をつける必要はないんだけど遊び以外のなんかもっと手応えのあることっていうのかな。
さっき言った役に立つことをしたくなりますよ。
だからこの話はおそらくだけど子供に勉強させるっていう意味では役に立つかもしれないけどこれを僕らが人生で一生その今ここってもうただただその今に生きるって言うとねなんかこう遊びほうけるとかね欲望のままに今を過ごしろくなことをしないみたいな考え方は全くリアリティがないと私は思うんですね。
だからこういう話がねやっぱりこう頭に教えというかな頭にインプットされているとこの今ここで幸せを味わってはいけないんじゃないかっていうむしろねそんなことしたらあの霧技術のようになってしまうんじゃないかっていうここにまさに変な恐れや不安が発生しますよね。
だから僕らはねそれをやめて未来にやっぱり幸せを見て今ここはそれを達成するための手段にする。
でも手段にするとつまらなくなる。
手段にするとだいたいは空業になってしまう。
これがなんか幸せを感じられないなっていう時のね僕らのやっていることなんじゃないかなと思うわけです。
そして実はねこの未来の不安をどうしても拭いされないっていうのも多分僕は原因はここにあるんじゃないかと見ているんですね。
例えばね私が今完全に順風満帆な状態を生きていたとしてねしかもその状態はもうほぼほぼ揺るぎがないと。
どこにもこのほころぶ要因を見つけられないみたいなねそんな状態だとしたらおそらくだけど未来に不安を感じることはできないと思うんですよ。
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つまりね僕らが未来を未来を不安だなと思うっていうのは何かのきっかけが必ず必要なんですよ。
私もさっきあのふとした時に不安になると言ったんですけどそれが例えばねニュースを見た時とかなんかやっぱり必ずきっかけがあるんですね。
1日中それを頭に留めてずっと未来が不安だなと思っているわけじゃないんですよ。
多くの人は例えば仕事をしながら普通に仕事をしていると思うんですよ。
でもなんかがあると急にですね僕らの頭がパッと未来に飛んでいってそこの映像を思い描きねそして怖くなるっていう。
じゃあそのきっかけはなんだってここが実はですね今ここで不都合なことが起きた時だと僕は思うんですね。
私が今生きていますと順風満帆じゃねえぞってなった時に僕らはここで一つ前ほら期待の話をした時にお話ししたんだけどそのがっかりするんですよ。
なんでこんなことが起こるのっていうねこのなんでこんなことが起こるのっていうこの感じが多分きっかけなんですよね。
この時僕らは今ここで自分が望ましくないとか不都合だなという出来事に遭遇しているはずです。
その瞬間に何をするかというあの時もお話ししましたけど現実を攻撃し始めるんですね。
目の前で起きていることは気に入らないということで自分と他の人と環境というねこの現実というのはこの3要素でできてますからこのいずれかもしくは全てを攻撃し始めるわけです。
これは何をしているかというと今ここにあるその目の前にあることを攻撃しながら否定しているわけですよね。
これは嫌だって言ってるわけです。これは受け入れられないぞって言ってるわけです。
そうすると僕らは今ここを否定することになるので居場所が必要ですよね。
今ここは嫌だって言ってるわけだからここで長年培ってきた未来に幸せがあるんだってことを思い出すわけです。
一瞬にして今ここを攻撃した後僕らはパッと未来にもっといい現実というのを理想みたいな形で思い描くわけですね。
こうなればいいのにっていう風にね。
ところがこの攻撃した現実に対して僕らが思い描く未来というのはかなりいいものであるはずなんですよ。
こんなの嫌だっていうのじゃないこれがいいってやつですからね。
そこにその映像を見た瞬間に今の自分がいるっていうのも知ってますからものすごい隔たりを感じるわけです。
例えばニュースでロゴに2000万の貯金が必要だって聞いたとしますがね。
やべえって俺は今持ってないぞ。
でもここでなんか自分を攻撃したくなりますよね。
なんでお前に貯金してこなかったんだって言ってね。
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ゼロ円じゃんみたいな。
じゃあどんなのがいいのって言ってパッと未来に行くと2000万円の貯金がもう楽勝でできてる。
2000万どころじゃないですよね。
僕らが思い描くのはその倍かね。
2.5倍ぐらいを思い描くわけ。
2000つってもギリギリ乗せるだろ。
45000円でも1億ぐらいあったらいいかもねみたいなことを思い描くと。
今の私がそのぐらい稼いでる自分を想像したときにものすごいギャップがあるわけですよ。
とてもじゃないけどさっき言った僕らは慣れてますからね。
未来に目標を持ちそこに今ここを手段にしてそこまでたどり着くというこのパスをスカンッと思い描いたときに。
もう遠すぎたりその高すぎたりとてもじゃないけどたどり着けない感じのギャップがそこに発生するわけですよね。
何かミスした時もそうですよ。
自分がねちょっと技術が足りないとか知識が足りない経験がないということでミスした時に。
どうなればいいんだ俺はパッと思い描きますよね。
そうすると何か英語もペラペラ喋れて何かこう健康でとかっていう理想の自分がスパーンと出てくるわけですよ。
何か本も何百冊ぐらい読んでてね知識もバリバリに持っててどんな人と話しても論破されないみたいなね。
専門用語バリバリ出してちょっと黙らせるみたいなこうマウントも取れるみたいなそんな感じの自分がパッと思い浮かんで。
こうなればこんなとこで悩まなくて済むんだって思いますよね。
さてその自分になるにはあって今度その道のりを描くと遠すぎるよ高すぎるよってここで僕らが不安になるわけです。
何か最近わかってきた私はその未来の不安の正体なんじゃないかなって気がするんですよ。
原因はどこにあるかこの現実を攻撃している今ここにあるんですね。
そしてそこからこれワンツーで今来ましたよね。
現実が気に入らない現実が望ましくないそこを攻撃するその次に自分の未来を自分の理想の未来を描く。
そしてそこへの隔たりにギャップに恐れをなす不安になるっていうねこの辺のステップワンツースリー来てますよね。
この後もまだあるんですよどこに行くか何やってたんだ俺はって今度過去に行くんですよ。
そして自分を攻め始めるっていうねなんかお決まりのパスがありますよねこれ多分やってると思うんですよね誰もがね。
過去の話はねまたちょっと別の回でするにして未来に自分の今が気に入らないことによって理想の未来というのを思い描き現在の自分とその未来の自分とのギャップに恐れをなすというこれが未来の不安の正体だとしたらね。
もちろんそういうことを考えるのをやめるっていうのも一つの手なんですよ軽いやつだとこれで止まるんですよね。
このギャップとかその理想とね理想のその大きさによりますはねそこが小さければまあまあ考えなくてもいいから明日のプレゼンとかだとねまあなんとかそれでこう沈めることができるんだけどこれがやっぱり10年後20年後例えば老後みたいなことになっていくとねどうしてもそのなかなかそのギャップが埋まらないっていうこれを考えるのをやめようとするとだいたい失敗するわけですよね。
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これがね多分あのやっぱり何かいろいろやってるんだけど最後にこの不安が残りますよねっていう話の正体かなと思うわけです。
じゃあどうすればいいかここでそもそも時間とは何か実在する時間は今ここしかないそしてこれは道具であり自分たちが便利だと思う部分だけを使えばいいんだと。
そして幸せを感じられるのは本当は今ここしかなかったんだけども僕らはなぜかそれを手段に変え幸せは未来にあると思ってしまったっていうこのあたりの話をバコーンと整理してですね。
そもそもじゃあこの不安の起点はなんだって言ったら現実に望ましくないことが起きそれを攻撃したからですよね。
今ここをないものにしてしまったからです。
でなぜこう簡単に今ここをないものにできるかというと僕らは未来に幸せがあると信じていて今ここはその手段にしすぎないというふうに軽く見てたからですよね。
ここで発想を転換させるわけです。
まず幸せは今ここにしかありません。
これはどんな時でもそうです。
そして幸せを感じられる瞬間も今ここ以外にはありません。
だからもし今目の前で起こっていることが望ましくない不都合だこれは嫌だと思ったとしてもそれが起きているね。
今ここを攻撃したり否定したりしないということですね。
これがまず第一です。
どんなに気に食わないと思ってもこれが起きるのも今ここだし幸せを感じられるのも今ここなんだから。
ここを否定してしまったら私は多分だけど未来にワープしてしまうよねと。
ありもしない未来にワープしてしまうと。
そのワープした未来の像を描きながら現実、今の自分とのギャップに多分怖くなるだろうなと。
違う違う違うと。そんなことそっちに行っちゃダメなんだと。
今ここが嫌だからと言って未来に逃げちゃダメなんだと。
そうじゃなくてこの目の前にあることをどうにかすればその今ここという時間は幸せを感じられる時間でもあるのでそちらに近づけていけるんじゃないかという風に発想を変えるわけですね。
なんというかその今ここで私が動けるというのは事実です。
そして今ここで何かを修正したり訂正したりできるというのも事実ですよね。
だとすればそれをやることによって今ここの現実を少しずつ少しずつその自分の望ましいものに近づけていくことができるという風に捉えるわけです。
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一足飛びに未来の理想にワープしないってことですよね。
どちらにしても目標を決めたとしてもじわじわやっていくしかないんですよ。
だから同じなんですね。ボトムアップであるかトップダウンであるかの違いだけなんですよ。
そして僕らはトップダウンでやろうとすると未来の理想を描いてそこのギャップに苦しむんだとすればボトムアップでやればいいんですよ。
わかりやすく言うとどんな不満が私を未来にワープさせているんだろうかという問いを立てるわけですね。
何が気に入らなくて私はこの現実をこの今ここを否定したくなっているんだろうって。
例えば明日プレゼンなのに準備ができていない自分みたいなことがそこに出てくるわけですよ。
怖いな明日っていうね。
でもこの未来の不安は準備ができていないっていうこの望ましくない状態を攻撃しながらそこにワープしているわけですね。
だからそうかなるほどじゃあ準備ができている状態に少し近づけることは今ここでできるよねっていう風に捉えるんですよ。
あるいはさっき言ったねその自分が何かミスをしましたと失敗をしましたとその自分が気に入らないその自分を攻撃しながらこんな自分じゃダメだつって未来にワープするんじゃなくてもう一度ね今ここには俺しかいないよね私しかいないよねっていうこの事実に向き合うんですね。
この自分を否定したらねどんな理想を立てたとしてもおそらくうまくいかないよねと。
分かったとそうだね俺は一回ミスしたとまあでもこの自分しかいないんだからこのままでいいよっていう風にね反論するわけですよ。
こんなんじゃダメだよってもっといい自分にならなきゃダメだこんな自分にならなきゃダメだっていう声が聞こえたらいやいや違ってそいつは未来にしかいないその未来はないからさ。
今地に足つけてみなよとこの私しかいないじゃんってこの私がどれだけブサイクであろうと不十分であろうとこの私でやっていくしかないよねっていうことをしっかりともう一回認識し直すんですね。
そしてもし足りないという部分があるんであればそれが事実なんであればそこを補うというトライを今ここで始めるわけですよ。
それから例えば未来の収入が不安だなと思ったらねどんな手応えがあればこれでいいと思えるかなってそこの未来にワープしないで思えるかなっていう問いを立てるわけですよ。
どんな手応えがあればいいって。
そしたらね顧客の数とかね仕事の本数とか集客とかアクセス数とかねもしくはその自分の能力とかいろんなものが思い浮かぶかもしれない。
そしたらじゃあ今それに向けて何ができるっていう問いを立てるわけですよ。
そこをボトムアップで一個ずつ始めるんですよね。
このように今ここを使うっていうこれによって僕らは未来の不安から随分と解放されるんじゃないかなと思いますね。
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そしてその思い浮かんだね今できることこの中にも幸せがあるんだっていう風にしっかりと認識しておくんですね。
これをやると未来に幸せが待っているではないんですよ。
このプロセスの中に幸せがあるんですよね。
この取り組みの中にある。
それはおそらく紡いでいくと幸せ幸せ幸せ幸せという体験がね重なって重なって重なっていきながらね。
おそらくだけど僕らがその今ここを否定した時にねこんな風になればいいんじゃないかなと思ってたところにね。
もしくはそれに近いところにね無理なくっていうのかな。
しかも途中で挫折することなく連れて行ってくれるんじゃないかなとそんな風に僕は思ってますね。
だから未来が不安になった時は今ここにどんな不満を持っているのかっていうことをまず見極めるわけです。
そしてそのね不満をね攻撃したり否定したりするのではなくて今ここというのはこいつに向き合う時間なんだなっていう風に捉えるわけですね。
そしてそこからできることを一つ一つやっていくと。
この動いている間に多分僕は未来への不安っていうのは消えていくんじゃないかなと思いますね。
これもだからその未来の不安を消すために動くということではなくてそもそもこの未来の理想ってのは一回置いとこうとこのトップダウンのトップはいらないと。
そうじゃなくて現在今ここそして起きていることこれを攻撃してはいけないんだなと。
ここから全てが始まるしここをここに今向き合っている私というのがいるんだと。
そしておそらくそれをやるプロセスこれをね望ましくないものを少しずつ書いていくという。
まあなんですかね頭でイメージするとあまりこう楽しくなさそうなことなんですけどね。
この中に必ず1秒1秒1秒というねこの今ここの中に何かいいかも何かいいかもみたいなね小さな幸せがいっぱいいっぱいあるというふうに考えるといいんじゃないかなと思います。
そんな感じですかね。
そして今日もですねうまくつながったんですけどね。
告知にねちょっと東地方で喋っていましたけども今週末の土曜日に15日かな3時から午後3時から双子新地のね双子音楽館というところで今ここのボイストレーニングというのをやります。
これはですね私が25歳ぐらいの時にボイストレーナー天野さんという方についてですねその方が私に初めてこの今ここの大切さっていうのを教えてくれた。
これを皆さんにお伝えしたいというプログラムなんですが要はねこの今ここっていうのはさっき言ったように幸せを感じる唯一の時間でもあるとともに僕らはここに全エネルギーを注ぎ込むと多分だけど100%の能力を発揮できるんですね。
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未来に考えが入ってる過去に考えが入ってるっていうのはこれはエネルギーが分散してるってことですね集中力も分散しています。
だから歌というのは先のことを考えず後のことを振り返らず今ここで歌うというね何も考えずに今ここで歌う。
おそらく今日の話今ここの歌を自分が歌っているこの歌を攻撃せず否定せずねもっとこう歌えればいいのにとかっていうことをこれ未来ですわねそういうことを考えずに今ここに全エネルギーを注ぎ込むとね本当にディーバのように歌える。
ディーバディーボ男の人はディーボって言うんですけどねこのように歌えるというそれをね体験していただきたいという実際もう3回やったんですけど全員ですね講義前と講義後ではねさすがにディーバディーボまでは行かないかもしれないけども見違えるほどの歌の違いというのを体験していただいています。
これは歌を歌うというよりはねこの今ここって何なんだっていうねこの今ここという時間そしてそこがなぜ幸せを感じられる時間なのかっていうこれをね実感していただくていただきたくて私は始めたんですけどもこれをやりますんでねまだ空き席が2つぐらいあるのかな。
よかったら都内の方じゃないと難しいかもしれないんですけどね東京近郊かな。よかったらぜひ参加してみてください。そんな感じで今日はですねもちろん今ここでいい1日をお過ごしください。ありがとうございます。