1. グッドバイブス ミッドナイト楽座
  2. 060「現状に満足しない自分」..
2022-12-14 50:41

060「現状に満足しない自分」ではなく「足るを知る自分」ならやりたいことができる

spotify apple_podcasts

やりたいことができないのは時間がないからではなく、いまここの自分を否定するからだと思います。今日はそこを修正する魔法の言葉「足るを知る」について話しています。番組でお知らせした、ちえとぞのトークライブ「世界は愛を求めてる!」のお申し込みはこちら→ https://goodvibes20221223.peatix.com

00:00
グッドバイです。ミッドナイトラクザー、 by 倉澤圭佐
こんばんは。ただいま12月14日水曜日の午前2時20分です。
今日は、例の知恵と園子のポッドキャストを収録する日でね、これはもう何回かお話ししましたけど、9本撮りなんですよ、1回にね。
私が東京で、知恵さんが大阪でね、なかなかその、こう、直接会うこともできないし、なかなか2人の時間を揃えるのがね、そんなに簡単ではなくて、やっぱ撮れるときに一挙に撮ってしまうっていうね。
今日も何時かな、2時半、2時半ぐらいから始めて、8時ぐらいまでやってましたね。5時間、途中30分食事休憩を撮って、5時間かな。
だからまあ、1本撮るのに30分、今日かかってるっていう、そんな感じですかね。
で、まあ、知恵さんはなんていうのかな、ただただ話すだけで楽しい方なんですけどね。
だからこのポッドキャストは、5時間9本撮っても基本的には全く疲れないというかね、どちらかというとストレスのない、ストレスレス全くない、それどころかちょっと元気にしてもらえるぐらいのね、そんな感じ、私にとってはね、とてもいい機会なんですけども。
今日はね、この中でちょっと面白い話が一つ出まして、というのもあの、もう少ししたら配信されると思うんだけど、知恵さんがね、号泣する回っていうのがあるんですよね。
ちょっと今日もまだ配信するかどうか迷ってるみたいなことを言ってたんで、もしかしたら没になるかもしれないけど、とにかく喋ってる間、泣いてしまってね、号泣してしまって言葉に詰まるみたいなシーンがありまして、
私としてはね、なんかとてもいいなという感じでこう眺めていたんですけどね、ズーム越しに。
本人はちょっとこんな感じを本当に放送してもいいのかみたいなね、そういうのはあるでしょうけどね。
あの人の涙というのは、僕に言わせるとやっぱり2種類ありましてね、悲しみ、悔しさみたいなね、そういうなんていうのかな、こう泣くとどんどんどんどんこう体も心も消耗していく涙とね。
もう一つは温泉に入ったようなね、さっぱりとする涙っていうのがあるんですよね。
これが私も何度かここでお話しした、その自分の魂の中からこう湧き上がってくるようなね、そんな比喩としてそんな感じが私はするんだけど、なんていうのかな、こう閉じ込められていたね、本来の自分が。
もうそろそろ出してよっていうかね、もういいでしょみたいな、そんな感じで僕らにシグナルを送ってくれる。
その時に何故かこう涙が溢れてくるんですよね。
この涙は決して悪いものではなくて、なんていうのかな、こう洗い流してくれるっていう感じが一番いいのかな、そう。
03:06
そして温かいんですよね。
なんかその悲しみ苦しみの涙はやっぱり少し孤独を感じ、なんか体温が下がっていくような感じがするんだけど、この魂の底からね、ぐわっと溢れ出る本来の自分の叫びのような涙っていうのかな、もういいよっていう感じかな。
叫びではないね、もういいよっていうそんな感じ。
さあこの自分を出そうよ、みたいなそんな涙は本当に暖かくて温泉に入ったようなポカポカした感じがあるとともに、なんて言ったらいいのかね、なんて言えば一番いい表現なのかな。
この辺がその文章を書いているとしたらね、僕はこれ10分ぐらいは止まるところなんだけど。
まさにその通り雨にね、夏の日かな、夏の夕暮れあたりにちょっと暑くて嫌だな、なんかムシムシしてジメジメしてるなっていうときに、さーっと通り雨のようなものがやってきてね、そして同時に気温も少し下がってくれて、なんか洗われたなみたいな、こんな感じですかね。
夏だと暑すぎるのかな、春から夏にかけての。梅雨でもないしな、ちょっとその辺が難しいんだけど。
夏の終わりぐらいかね、秋の入り口ぐらいでさーっと通り雨にあって、ちょっと濡れて嫌だなと思う反面、なんかこう洗い流されたなっていうそんな感じ。
これがその心の中で起こるっていうね。
そんな涙をね、知恵さんも流したんですよね。
これは僕はもう見慣れているというのは変なんだけど、やっぱりこのワンオーワンのセッションをやってる中でね、ワントレ2とかやってる中で、もう過去に何度もこれは見たことがありましてね。
とてもいい涙だというのは私は知っているので、もうただただなんかこう黙って遠くで眺めてるみたいな感じなんですよね。
よしゃよしゃって洗われてるねみたいな感じで。
だから知恵さんの場合もそんな風にね、もう本当にこう満面の笑みを浮かべながら僕はいいよいいよ喋らなくてもいいよみたいな感じでいたんですけど。
それがね前回の収録だったんですよね。
そしてそれからまあ1ヶ月ぐらい経ってまた再開した今日ね。
なんか知恵さんの中にこの数日間の間に大きなブレイクスルーがあったらしくて、なんかまさにその今まで見ていた世界がねまるで違って見えるみたいな。
まあここは何があってどんな風に変わったかっていうのはね、今ここで私がお話しするよりも、確かこれ1月の20日過ぎぐらいにね、確かアップされる回なんだけども。
そこでぜひぜひその知恵さんのね、ご本人の口から聞いていただきたいなと思うんで、そこは詳しくお話ししないんだけど、僕はどうしてもそこで聞きたい質問があってね。
まあいろんなことがあったと思うんだけど、知恵さんその最大のポイントは何だったの?何が変わったの?っていう風なことを聞いたんですよね。
06:03
そしたらなんと、しばらく考えた後にね、樽を知るですかねっていうね、樽というのは足と書いてね、るをつけて樽を知ると書くんだけども、いや僕はびっくりしたんですね。
この言葉が出てくるかと思って、というのも多分僕は知恵さんと会ってもうそろそろ1年半ぐらいになるんだけど、一度も多分2人でこの樽を知るという話はしていないんですよね。
それに似たような話はしてるんだけど、この言葉を出したことがない。
実は私がその2019年の2月に緑のグッドバイブスごきげんな仕事という本をね、出した頃、僕は毎日日刊のブログを書いてましてね、それは今公式ホームページで300何話、今もアップされてるんだけども、
この半年後ぐらいかな、ちょうど8月とか10月とかそのあたりに、やたらと樽を知るっていう言葉を使って記事を書いてたんですよね。
だから今からそうね、19だから3年前ぐらいかな、まさに丸3年前。
で、不思議なことにそっからなんかピタッとあんまり使わなくなって、おそらくその時見つけたんでしょうね、この樽を知るという言葉をね。
で、なんかこのグッドバイブスってのは範囲が多岐にわたるんで、いろんなことを話してると僕の興味もいろんなところに映っていくんですよね。
だからそのあたりちょうど19年の秋ぐらいは僕はこの樽を知るというこの言葉がものすごい旬だったんですよね。
これじゃねえかみたいなのを見つけた感じがして、でそれ以来随分と言葉としても発していなかったし、文章としても書いていなかったんだけど。
もちろん知恵さんはそのブログを読んでいないんですね。
今日話をしたらそのあたりは全く読んでませんっていうふうに言ってたんでね。
でもこの同じ言葉がね、その知恵さんのブレイクスルーをもたらすきっかけになっていたって言うんで。
今日はこれかなテーマはね、これだなと思いまして。
で、前回のその時間の話とこれはすごくリンクしていてね。
どういうことかというと、私たちはその僕のねその前回の話は時間というのはなくならないものなんだと。
だから失われたり奪われたりしないんだと。
そしてお金とは違って時間は作る必要もない。
今ここに無限に供給されるからっていうお話をしたんだけど。
おそらくそこにね、いやそうは言ってもその1日にね、例えば仕事に追われ、
例えば残業を入れてね、9時間10時間そして往復入れると、
その通うのにね、行ったり帰ったりするその交通の時間を入れるとすると、
なんだかんだで12時間ぐらいはね、そこの自分がやりたいことではない。
やりたいことではない仕事にそこを取られ、で残りの睡眠時間が6時間寝るとしてね、18でしょ。
09:04
そうするとあと残り16時間しかない。
でここに朝の支度から夕飯とか、それから家族との時間みたいなのを入れると本当に時間がないと。
そうするとどうしても自分がやりたいことができなくなるんじゃないかと。
だとしたらやっぱり何としてもそれをやる時間を作らなければいけないっていうね。
これ時間が存在するかしないかじゃないんですよね。
また別のこれ次元とか別のレイヤーの話で時間はあるんだけども、
そこで自分がやりたいことをやれていないとしたら、
この自分のやりたいことができる時間というのは自分の手で作るしかないじゃないかっていうこういう多分発想というかね。
これはそんなに間違っちゃいないし確かにその通りだと思うんですよね。
ただこのできない理由が時間がないからっていうことになってるとしたらね。
私はこれはちょっと大きなそのいわゆる大輝さんがよく言う検討違いって言うんだけどね。
そこの問題の本質じゃないところにアプローチしているっていう意味かな。
おそらくその検討違いっていうのはね。
そんな感じがちょっとするんですね。
というのもこれはその実体験として私はまずね。
確かこの番組でも一度お話したと思うんだけど。
いわゆる月刊誌の雑誌をやりながらそこの編集長をやりながらね。
編集長っていうのはその結構な激務でね。
雑誌の編集はもちろん普通の仕事として自分の仕事として日々待ち構えていて。
これがもうこれだけでも大変なんですけどね。
もう25日か24日だったっけな。ちょっと覚えてないんだけど。
公了日というのが決まっていて。
そこに確実に印刷所に入れなくちゃいけない。
1日たりともそこから遅れられないというね。
ものすごくクリティカルな締め切りを抱えながら。
そして大体だけどその時にいるね。
編集者の人数のキャパを超えてるような記事の量を毎月毎月作るというね。
なんでそれが続いたのかよくわかんないですけどね。
どう考えても仕組み的にもサステナブルじゃないんだけど。
何かやってしまうっていうそういうね。
多分だから無茶してたんだと思うんですよね。
今もねその時の私が編集長だった頃の副編集長のFさんという方がね。
この方がいわゆるグッドバイブスご機嫌な仕事の担当をしてくれたんだけども。
彼はまだその会社にいましてね。
いろいろ話を聞くとやっぱずいぶん昔とは違うと。
もうあんなことは今許されませんよみたいなことを話してくれるんで。
特殊な時代だったんだと思うんだけども。
そんな中で例えばそのある企業がね。
なんかパーティーをやるとか新製品を発表するとか。
そういう時には必ずやっぱり顔を出さないといけないわけですね。
お付き合いというやつかな。
広告クライアントでもありますからね。
12:00
だからなんつーのかな。
広告営業もやるんですよ。
ある意味ね。
さすがにいきなり広告部とか広報部とかに行ってPR部かな。
そこに行って売り込んだりはしないんですけども。
その企業の社長さんとご飯を食べたりね。
そこにつながるようななんつーのかね。
下地を作るみたいなことはこれはもう当然一つの必ずやらなきゃいけない仕事としてあるんですよね。
その他に例えばホームページコンテストの審査員だとか。
インターネット絡みの幕張メッセとかね。
ビッグサイトでやるようなイベントのトークライブとか。
ありとあらゆる依頼が入ってくるわけですね。
そんな中で僕は後期の頃かな。
最後の2年か1年半ぐらいかな。
ブラジル音楽のガットギターでブラジル音楽を演奏し歌うというね。
また久々に6年ぶりぐらいかな。
音楽の地学をよみがえってきまして。
その下勤務の中、僕はですね。
週末に師匠の養荒台かな。
神奈川県だったと思うんだけど。
そこまでうちからその電車で1時間ぐらいかかるようなところに行って習ってね。
そして何十曲っていう曲を練習し。
プラスベルリッツに通いながらポルトガル語の勉強もしたっていう経験があるんですよね。
これは本当に何のテクニックも使ってないんですよ。
いわゆるなんとか管理とかね。
時間なんとか実とかそんなものは一切使わずに。
元々僕は編集者時代っていうのはそんなことは全くしてませんでしたから。
今と同じようにジャジンワークをやっていただけなんでね。
そこから独立してブログを書き始めて。
そこからガジェットにはまり。
そしてiPhoneをもっと使いたいなと思うその流れの中で。
トゥードゥリストタスク管理っていうのがあるんだっていうところに目覚め。
そしてGTDの本を書くまで行ったんだけど。
多分僕がそれをやっていたのはその1年ぐらいの間だけなんですよね。
それ以外この60年59年間は一度もそんなリストも管理もせずにやってきているんですね。
今もそうです。
だからなんであの劇務をタスク管理とかせずに回せたのかっていうのは本当に謎なんだけどね。
逆に言うとしてもしなくても多分同じだったっていうね。
そんな感じなんですけどね。
それで僕はその中にそのブラジル音楽を習得するっていうのを盛り込んだわけですね。
でもこれもいわゆる僕はプロの土俵でやってましたから。
僕が目指すところは趣味程度で自分がちょっと楽しく弾けるみたいなところにはなかったんですね。
だから師匠について習ったりそのポルトガル語の正式な発音をお金を払って身につけようとしたんだけども。
15:07
この時に今は覚えてないんですけどね。
どうやってやったかっていうのはね。
ただ間違いなく毎日何十分かは必ず練習してたんですよ。
であのこの帰る時間というのが本当に常期用意していまして朝の6時半とかなんですよね。
家に着くのが。
大体その皆さんが出勤してくるこの流れっていうのがありますね。
ラッシュアワー。
これと反対側に歩いていくんですよ。
だからねなんかねいつもね。
なんでこいつは下りに乗るんだみたいなそんな目を向けられているようなね。
こう心象を持っていましたね。
何してたんだこいつ今から反対側に乗るのかみたいなね。
まあでも電車はものすごい空いていたんで座って寝て帰れたからね。
まあいいんですけども。
そんな6時半に家に帰り。
もうそうですね12時過ぎぐらいにはまた出社しなくちゃいけない。
遅くともね。
さすがに9時には行かなくていいんだけども。
そんなに時間はないわけですね。
3、4時間ぐらいしか寝られないのかな。
だからもう1秒でも早く布団に入りたいんだけども。
そう思って家に帰るじゃないですか。
もう帰ったら絶対寝てやるぞとか思って。
でも必ずギターを手に取るんですよね。
なんだこれはっていう。
それから土日もね。
なかなか丸ごと休める日っていうのはなくて。
やっぱり昼間はまず会社に行って。
でちょっと部下が出してきた原稿に赤入れとかしながら。
まあその数時間ぐらいそこで働いて。
そこからそのギターを持ったまま会社に行って。
そのまま陽光台に行って師匠の家に行くみたいなこともやっていたし。
なんかやってたんですよ。
その時時間あったかって言ったら多分なかったと思うんですよね。
そんなものが入るようなもともとのスケジュールではないんだけど。
でもなんかできるんですよ。
これは何だって。根性なのかとかね。
強い意思なのかっていう。
そういう話なんだけども。
僕はそれを経験しているんでね。
時間がないからできないって話はどうにもやっぱりまゆつばなんですよね。
でよくこれは誰もが経験してると思うんだけど。
そんな忙しい日々じゃなくて。
なんとなく土日が休日になったっていうね。
その時にたまっていたこういうことをやろうとかね。
なかなかできなかったこれをやろうとか思う金曜日の夜に。
よし明日から土日だとかね。
じゃあこの2日間はこれもやってあれもやってこれもやって。
部屋も片付けてとかいろんなことを考える。
もしそこにタスクリストみたいなのを作っているんであれば書き込むでしょうね。
それが実現される可能性ってどのぐらいかって言ったら。
多分僕はものすごく低い気がするんですよ。
私もその土日を過ごしたことはもう無数にあります。
さすがにねこれだけ長く生きてればね。
18:01
思い通りに2日間もう絵に描いたように予想通りイメージ通り全部できたっていうことは一度もないですね。
生まれて一度もない。
なんかそのうちの一つや二つはなんとなく手が付けられたなっていう日はなくはないんですけどね。
全く予定とは全然違う過ごし方をしますわね。
そしてもうその何も考えなければゆっくり土日を休めたのに。
結局何もしなかったんだからそれで本当は良かったんだけど。
これをやろうと決めているものだから。
朝起きてからもうずっと罪悪感と一緒にいなくちゃいけないんですよね。
あらもう土曜日の昼が終わってしまう。
なんか日が暮れてきたぞと。
でもじゃあもう絶対この晩ご飯を食べたら必ずこれをやるんだと思いながらかけ込んでご飯を食べて。
よっしゃって言ったらお腹いっぱいだな。
ソファーで一回ちょっと一休みしてからかなっていうこの間に少しうとうと眠ってしまってね。
うって目が覚めたらもう夜の9時だみたいな。
9時っていうことはお笑いのM1グランプリがあるじゃんとか言ってこれはまず見なきゃとかつってテレビをつけてね。
で見てるうちに11時12時と時間が経ちこんな夜遅くなっちゃったな。
まあでも明日日曜日だから少しゆっくり寝られればいいかなっていうんで机かなんかにこう座ってね。
さあこっからこっからが俺の時間だと。
家族もみんな寝たしって思ったらなんかこうウェブサイトとかね。
YouTubeとか見たりして。
でなんか予定にはなかったんだけどちょっとこの本を読んでみようかなとかね。
決めたことではないことをね。
ここが面白いんですよね。
やろうと思っていたこと以外のことをやり始めて。
そして日曜日も同じ。
でまあよく言われるサザエさんが始まった頃になんだよ今日は何もできなかったらと言うんで月曜日を迎えるっていうことを。
もうなんていうのかな。
こう数数数数限りなくて数えきれないほど経験しているはずなんですよ。
もっと言うとね夏休みとか冬休みがありますよね。
キターとあとゴールデンウィークか。
うんキターとまあ家族との旅行も数日あるんだけど少なくともなんと自由になる時間が5日もあるっていうこの感じね。
特にここからクリスマス過ぎて冬休みになりお正月休み。
ここの辺は本当にその気になればね実家とかに帰らなければ本当にもう時間の方向ですよね。
ここで一体僕らは何をするかってそれをやってたらね苦労しないっていうかね。
こんな悩みは多分そのやりたいことができないみたいな悩みはそもそも発生しないですよね。
じゃあこれは何なんだってことなんですよ。
で僕はもうですねえっと僕らが何かを実行する理由は2つしかないと思ってるんですよ。
これ以外のものはどれだけやろうという気になっていてもやりたいと思っても頭の中でねこれは絶対にやるぞと決めたとしてもまず実行されない。
21:09
一つはですねえっとこれをやらないと大変なことになると自分で本当に分かっているものですね。
これだけは絶対に僕らはやるんですよ。
まあ要は生き死にに関わるようなこともっと言うと例えばお金を稼ぐことであったりね。
もしくはそれをやらないとひどい目にある。
どんな目かっていうと普通ではありえないぐらい怒られるとかねものすごい恥をかくとかものすごいめんどくさい目に合わされるとかっていうこれはね要は罰なんだよねきっとね。
だからそのこれがこれこの目にだけはあいたくない。
そしてここにはまってしまったら大変だみたいなここを僕らがそのものすごくシリアスに感じているものね。
これは確実にやりますよ。
一番多分その筆頭だと思いますね。
やることのこれがいわゆる仕事なんですよ。
毎日なんで僕らは9時5時で決められた場所にきっちり行くのかと。
こんなね土日何をやってもいいぞって言われても何もその決めたことはできないのになんで毎日行くのかっていう。
でしかもそこがそれが本当にやりたいことかとか好きなことかって言われるとね。
いやいやとてもとてもっていうようなものを週に5日きっちり行って実行するわけですね。
これは行かないと大変なことになるからですよね。
そしてまあないけどもなんか無断で休んだりね。
理由もないのにちょこちょこ休んでいたら必ず怒られますよね。
大目玉を食らう。
それからその仕事に行くというのもそうなんだけどそこでこの締め切りをその僕の雑誌と同じように越えることは絶対に許されないみたいなやつは確実にやるんですよ。
どれだけ先送りしようと着手が遅れようとやるんですよね。
他にも多分この類のものはたくさんあると思います。
でこれは人によってそこの完全にね自分がそれそこにどんな意味をつけてるかで決まるのでクリティカルだとこれは意気地の問題だと思うものは他の人が見てそんなそうっていうようなものでもひとたび自分がそうみなしたものは全部この中に入りますよね。
だからもう掃除はしなくては絶対にこうもう我慢ならないと汚い部屋にいるのほど自分はその我慢ならないものはないと苦しいものはないと感じている人にとっては掃除もここに入ってきますよね。
だから綺麗好きな人っていうのは多分その毎日の日課にこれが入ってるぐらい確実に実行される。
で方や僕のようにね少々汚れても全然気にならない人は掃除はそこに入らないんですよね。
この意気地に関係ない僕は何も困らないシリアスでもなんでもないこういうものは実行されないんですよね。
だから僕にとっての掃除は基本的には時間があろうとなかろうとほぼやらないもの。
24:05
でやるのはいつかというとこれをやらないと家族に絶対にどやされるとかねものすごく不機嫌な感じになるという例えばこの年末の大掃除みたいな時これはもうしょうがないんですよね。
それが嫌でこの罰が嫌で僕は多分やるんですよ。
30日とかにしぶしぶね仕方ねーなーっつって。
だからそこのこのなんつーのがまあ抑止力の逆かな原動力かな。
この原動力があるものは僕らは実行するこれが一つですね。
でもう一つが僕のさっきのブラジリアンギターなんですよ。
本当に心の底からやりたいと思うこと。
でこれもその今ねお話しした生き死に関わるものと同じように子供の頃からね多くの人がこの経験をしたことがあると思うんですね。
まあ私にとっては一つはねやっぱりこの恋愛というのがこれに該当するんですよ。
もうなんか大好きな僕の場合は恋愛の対象は女性ですから。
大好きな女性と一緒に遊ぶその付き合っている女性とデートするためにはどんな苦労も惜しまなかったですね。
これはもう忙しかろうが時間があろうがなかろうが何時だろうがどんだけ遠かろうが僕は駆けつけていってましたね。
これに関してはなんかこの生涯でこれを超える原動力が他にあるかなと思ったらまだない感じがしますね。
この大好きな女性に会いに行くというねこのタスクじゃないかな。
これは多分だけど実行率は99.99%ぐらいね。
ダブル9ぐらいまで行ってますね。
確実に実行される。
なんで0.01%実行されないかというとおそらく本当に動けないぐらいの風邪をひいたりとかね。
そういう時だけなんでしょうね。
でも熱があっても言ってたな。
少々の体調不良は全然無視して行ってましたね。
それで向こうもインフルエンザがうつるとかね。
そんな感じのこともあったような記憶もあります。
でもう一つはやっぱり僕にとってはかつては音楽絡みのことかな。
その劇部の編集者時代編集長時代でも練習を欠かさなかったっていうこれが2番目ですかね。
そして今はちょっとねここの感じは随分と変わってるんですけど。
今はですねこれまたちょっと詳しくは別の機会にお話ししますけど。
受け手がいるもの受け手がいるものですね。
確実に僕の何コンテンツ作るコンテンツだとか僕の仕事を待ってくれている相手がいる。
これに関してはほぼやっぱり99%ぐらいかなは言ってる感じがしますね。
27:04
さすがにその99.99まではいかないけど。
恋愛にはかなわないんですけどね。
この受け手がいるものというものは僕の中で実行する確率は99%ぐらいにはなってますね。
これも多分僕がやりたいことなんでしょうねきっとね。
この2つなんですよ。
この2つ以外のことつまり生き死に関わるようなもしくは絶対にこう無理たくない罰みたいなのが待ってるものこれが1つですね。
これはもう本当に実行率が高いと思います。
そうだなどのぐらいかな95%は行くでしょうね。
もっと行くかなやっぱ99ぐらい行ってしまうのかな確実にやりますよ。
だから僕らがやってることの中にまずこれが大きく占めてるってことね。
でもう1つがそのやりたくてたまらない心の底からやりたいこと。
この2つ以外のことはやらないんですよ。
やりたくてもできない。
ここをやっぱりねよく自分を知らないとダメだろうなという気がしますね。
ここを追いかけても追いかけても本当に実行されない。
それではちょっと嫌だと言うんでね色んな工夫をする。
まさにこれがタスク管理だったり時間管理だったりするんだけど
その自分の外にねそういうツールとか仕組みを置いたとしても
僕らはそこに何の多分だけども効力を見出すことは多分できないんですよね。
そこに僕らを動かす力はない。
つまり原動力というのは2つなんですよ。
恐れや不安か思いこの2つしかないってことですね。
こんな話をするとね夢も希望もないような感じがするかもしれないんだけど
これはですね実はこの仕組みを逆手逆手に取ると
実は僕らは動けるようになるっていうヒントでもあるんですね。
つまりこのどちらかであればやるってことは
そのどちらかにすればいいんですよ。
でもこの前者の方ねその意気心に関わるクリティカルの方は
自分の意思で作れるものではないんですね。
これは自然にそうなるものなので
よしじゃあこれをやらないと意気心に関わることにしようって言ったって
そんなのは自分を騙せるはずがないのね。
いやこんなのやらなくても大丈夫だって分かってるから。
だから恐れや不安を理由にしてこれをやっとかなきゃまずいなとかね
こういうことをやってた方が安全なんだろうみたいなことを
無理やり中に入れ込んでも実行されないんですよ。
それが本当はそんなにクリティカルじゃないと
それほど大切これがないとひどい目にあうわけじゃないっていうのは
僕らは知ってるんでね。
だからこの1項目っていうのは自然にできるものであって
意図的にここに盛り込んでそれを原動力にしようというやり方は
まずうまくいかないんですね。
なんとなくこれやらなきゃやばいぞみたいなことを
30:02
うっすらと自分に思い込ませて
なんとなくそんな感じがしてきたと思っても
その当日が近づくにつれてね
だんだんそこの
でもなんか来月でも良くねみたいな感じになっていくんですよ。
そしてさっき言ったその土日
有り余る時間がありそうなそこの土日に入った時に
そこのタスクをちょっと思い浮かべた瞬間に
別にこれ今必要じゃないよね
これやらなくても死なないし怒られないよねっていう感じが
湧いてくるともう手をつけない。
だからこの1番目は使えないと思ってた方がいいですね。
2番目なんですよ。
このなんていうのかな99%ぐらいやってしまう
ここにはまれば僕らは手を出すやるんですよ。
このために変えなきゃならない
なんていうのかなこの僕らの習慣が一つあると私は思っていてね
これがいわゆるですね
現状に満足していては決して成長は望めないという教えなんですよね。
この教えを手放さないとうまくいかないと私は思うんですよ。
なぜかというとまずこの教えによってね
僕らは今の私には何が足りないのかっていう
この視点で自分を評価する習慣がつきますよね。
常に常にね現状に満足していてはいけないわけだから
じゃあ今の俺に足りないものはなんだこれかこの能力かこの知識かみたいなことでね
いつも何か足りないかを見るというこの癖をつけます。
そしてその次に当然ですが
じゃあその不足を埋めるために何をすればいいんだっていう問いを立てますよね。
この答えがおそらくやることリストに載せられていくわけね。
まさに成長するためより良い自分になるためみたいなことなのね。
ちなみにこの今の私に何が足りないかという最初の問いに
いや足りないものはありませんと答えることは禁じられているんですね。
これはその答えだけは絶対に出してはいけないことになってるんですよ。
なぜならばそれだと現状に満足することになって
この教えの意味がなくなります。
もう機能しなくなるんでそれだけはなしねってことになってる。
とにかく何が足りないってことには何か答えなきゃいけないわけね絶対に。
なんとなくこれはどこでもありそうな話ですよね。
自分で紙に書き出したりしてるかもしれない。
そうやって僕らの中に要はこれが未来思考なんですよ。
未来思考というのがインストールされていくわけですね。
これは何を言ってるかというと
もうとてもシンプルで現状に満足していては成長が望めないということは
その満足できない今はまず否定されるんですね。
今は否定なんですよ。
この私じゃダメだ。この現実ではダメだっていうこの否定から始まるわけ。
そしてこうあってほしい未来というのを自分の中で思い描き
33:00
これがゴールだったり目標だったりするんだけども
そこを肯定するんですね。
今を否定し未来を肯定するこれが未来思考じゃないですか。
そしてその一般にこうあってほしい未来っていうのは
夢とか理想とかって呼ばれてますよね。
これを使って今のその満足できない今を否定し
こうあってほしい未来を肯定するを言い換えるとね
どうなるかというと望ましくない今は
私の大きな夢や理想によって書き換えなきゃダメだということになるわけね。
これが僕らが一般的にこのやることリストを作る時の発想だと思うんだけども
僕はこれをやるから失敗すると思ってるんですね。
2つ理由があると。
1つはこのこうあってほしい未来を作るためにいろんなことをやるわけですね。
この不足を補うには何をすればいいかの答えを実行するんだけど
その自分は常に足りない自分つまり自分が先否定した自分なんですよ。
この自分ではダメだと言った自分がそれをやらされるわけね。
これがまずとても実行されにくい理由の一つ。
だってこれじゃダメだっていう足りない自分が理想やその夢に向かって
今できないことをやるわけでしょ。
これじゃダメなの自分がそれをやろうとしたら何が起こるかって言ったら
当然恐れや不安が湧き上がるに決まってますよね。
本当にこれができるんだろうか。
万が一できたとしても不細工なものになりやしないだろうか。
自分が望んだような結果が出せなかったらがっかりするんじゃないか。
当然思いますよね。
だってその自分は否定した自分、足りない自分なんだもん。
それだけなら私も、もう一遍繰り返しますけどね。
満足できない今を否定してるんですよ。
こうやって欲しい未来を肯定してる。
そのように書き換えられなければならないと思って
この試みをやるわけだから
もし不足を埋めるための試みが実行されなければ
多くの場合実行されないんだけど
即座にその否定した今、望ましくない今に引き戻されてしまうんですよ。
ほらお前がそれをやらないから否定した望ましくない今にまた戻されただろうと
そうやっていつまでも望ましくない今は変わらないんだぞっていうことを
自分自身に言うわけね。
当然ここで罪悪感が生まれますよね。
またやってしまったと。
こんなに今は望ましくないのに
私が不足を埋める試みをサボってしまったがために
またこの望ましくない今にとどめを置かれてしまっているっていうこの感じ。
さらにここで活力、エネルギーを削がれますよね。
がっかりしますよね。
そして罪悪感を抱き弱くなりますね。
でもダメだダメだ。やらなきゃ。
不足を埋める試みをやらなきゃ
この望ましくない今から抜け出せないぞって言ってやろうとする。
36:02
でも結局は恐れや不安によって着手できない。
また望ましくない今にも引き戻され
やばいやばいどんどんどんどん
この負のループにはまっていくわけね。
これは多分無限に続く負のループなんですよ。
なんていうのかな。立てつけがものすごく悪い。
だからこの教えを信じるのはそろそろやめてね。
その代わりにさっき言った知恵さんが
まさにそのブレイクスルーを起こしてくれたと言った
足るを知るというここに変えるわけですね。
足るを知る。私は足りているんだ。
全く真逆の考え方です。
不足しているんではなくて
私は少なくとも今これを得ているよね。
持っているよね。
そして今少なくともこれができているよねっていう
ここを最大限に評価するってところから
スタートをやり直すってことですね。
だってそもそもさっき言ったように
僕らは少なくともそのくじごじで毎日仕事に行って
そこでこれをやれと言われたものを
なんとかブサイクだろうが
ちょっとギリギリだろうがやってきているわけですよ。
なんでこの自分を否定しなくちゃいけないんだってことですね。
それを満足してはいけない。そうしないと成長しない。
いい未来が手に入らないと教えられてきたから
なんかそちら側にさっき言ったようにね
何が足りないに何もありませんと答えるのは禁じてタブーだから
無理やりそのように見ていたんじゃないかなっていう
そんな感じで見直すわけですよ。
いやいやそこを見ていたらさっき言ったルークにはまるだけだよねと
私は動けてるよ。普段ね仕事してるし
この自分が何かやろうと思った時にできないはずがない。
だから今得ているもの今できていることは
まず最大限に評価しようってことですね。
そうすると何ができるかというと
今はまだそこには達していないかもしれないけど
この私は少なくともそこに向かう準備は
全て整っているって確信はできるはずなんですよ。
これによってさっきの何かを実行する自分は
足りない自分っていうところから
いや準備は整っている自分に変わりますよね。
ここの変化がでかいんですよ。
だから私はおそらく全くこんなことは
考えてもいなかったし整理もしていなかったけど
あの編集長時代にね
ブラジリアンギターを始める準備は整っていると
多分思えたんですね。そこは確信したんですね。
だから練習をしたりその師匠の家に通ったりできたわけです。
何かが足りない。当然ですよ。
できないことはたくさんあったと思いますね。
でもその私はの中にもできるものがあり
できているものがあるんだから
そこを土台にしてここから何かを始めようよと
ここから自分を高めていこうよっていう
このスタート地点を肯定しているか否定しているかの差は
ものすごくでかいわけですね。
そしてここができれば
もし実行しなかったとしても
39:01
望ましくない今に引き戻されてしまうんではなくて
準備が整っている今に戻るだけなんですよ。
だからいつでももう一回やればいいっていう
何度でもやり直せるっていうね。
それで落ち込んだりがっかりしたりする必要がなくなるっていうのは
とても重要ですよね。
だから僕らの中に足りないものは何かという問いをね
常に立てる癖がここがインストールされたことによって
とてももったいないことというかね
よくないことが実は起こっていてね
これよくあるじゃないですか
釣った魚には餌をやらない
釣った魚には餌をやらないってやつね
一旦自分の手にしたものには
次第に価値を見出せなくなるっていう
変な特性がついちゃうんですよ。
これも恋愛の中でよくありますよね
もうすんごい恋焦がれた相手と付き合った
でもその瞬間から興味が半減するみたいなやつね
これは自分が持っていないものにこそ価値があるという風に
考えてしまう習慣から生まれてるんですよ。
当然そうなりますよね。
何が足りないという問い
そしてそれをどうすれば手に入れられるという問いで
動くわけですから
持ってゲットしてもらったものは
もうそこに出てこないんですよ
足りないものは何かだからね
持っているものはそんなんどうでもいいんだ
そんなん聞いちゃいないと
ゲットしたものはそんなんどうでもいいんだと
それはもうあるんだから気にしなくていいと
そうじゃない足りないものを見つけようよっていうね
かなりこれおかしな発想なんだけども
それが僕らに身についてるわけね
だから余計に今自分が何を持っている
何ができているっていうことを評価しなくなってるんですよ
樽を知るという言葉によって
ここを取り戻すっていうことですね
そうかそうかと自分の中にね
今までは現状に満足できない自分しかいなかったんですよ
現状を否定するこれじゃダメだという自分しかいなかったんだけども
ここにちょっと待ってよ樽を知る自分というのを入れてみようと
2人置いてみるわけ
そうするとここでね比較ができるんですよ
この今持っているもの今できていること
これを最大限に評価する自分でそれでいいんだと
足りないもの今足りないものは何もない
どういう意味で今何かを始める
この準備はすべて整っているんだから
少なくとも今足りないものは何もない
何かが得たい何かができるようになりたいというのは
この私がやれば必ずそうなるよねっていう
この確信がどんと得られる
これが樽を知る自分ね
その反対がいやいや不足ばっかりで
僕は不足ばっかりなんで
これをその原動力にして成長していくんです
この現状に満足できない自分
この2人を自分の心の中にコッと置いてみると
とってもいい比較ができるんですよ
樽を知る自分にはあって
現状に満足できない自分は
42:00
絶対にないものは何かって考えてみるんですね
そうするといろんなことが浮かんできます
どっちが強いかなって
それは樽を知る自分の方が強いよな
現状に満足できない自分にはこの強さはないだろうな
なんか焦りとかね
これじゃいけないみたいな危機感はある
でもそれは強さではないよね
じゃあ実行する時に
このどちらの自分の方が
それをやる可能性確率は高いんだろう
やっぱり僕は強い方が高いだろうなと思いますね
だからどちらが自分を信頼しているか
これはもう言うまでもない一目瞭然ですね
樽を知る自分でなければ信頼はないんですよね
基本的にこの不足している自分は信頼ゼロだから
その信頼を作るために
未来にその自分を出現させるために頑張るわけだから
今の自分には信頼がない
じゃあどちらなんだよと
信頼がある自分と信頼がない自分
どちらが動けるんだよと
もう言うまでもない
そしておそらく平安な心
恐れや不安みたいな
どちらだってなった時に
樽を知る自分の方が平安でしょうね
でもこの無数にありそうな項目の中で
僕が絶対に見逃せないものが一つあって
これが最大なんだけど
感謝だと思うんですよね
樽を知る自分は多分感謝できてます
自分自身にも感謝できてると思います
この自分でいてありがとうっていうね
すると自分が今見ている現実ね
ここに対してもおそらくありがとうと言える
この感謝の気持ちっていうかね
そっかそっか僕の周りには
ここを助けてくれるサポートしてくれる
他の人がいるんだなと思う
そうだなと
そして今この環境
満足本当に満足してるかって言われたら
でももうちょっと欲しいものがあるな
っていう感じはするんだけども
でもここにありがとうって言えるぐらい
僕はこの今生かされている
生きていけているこの環境は
すでに揃ってるよねっていうね
ここに不満とかね
なんか怒りを抱くような感じよりも
まあでもこれがあってくれるおかげで
僕は何かができるなっていう
このありがとうっていう感覚
この感謝がですね
樽を知る自分にはあるんですよ
なんか今日知恵さんと話していて
僕はこの言葉はね
はっきりとは出てこなかったかもしれないんだけど
彼女はいろんなものに今感謝できているんだな
っていうそんな感覚がありましたね
現状に満足できない自分は
この真逆の感覚
怒りを持ってるんですね
自分に対しても怒っているし
そしてそんな風に自分がなってしまう
この現状環境
他の人さまざまなものに
これじゃあまずい
これではいけないんだっていう
この怒りですよね
これを抱いている
だから実行できないんですよ
前も言いましたけど
この怒りを抱く
僕らは怒りを抱くとね
その自分が使えなくなるっていうね
こういう仕組みもあいまって
まさにそのやらないやらないできないできない
45:02
という方に流れていくわけですね
まとめるとですね
とてもシンプルにまとめたいと思うんだけど
まず何にも考えずに
この私の中に今足りないものがあると
そしてこの今は
望ましくなくて否定すべきものなんだって
この感覚をまずは
完全に手放すことですね
私は完璧な自分みたいなものを
思い描いた時にね
当然だけどそんなものではないと
でもこうして生きてるし
私が今何かをしようと思えば
やろうと思えば実行できる
つまりこの私は
今必要なものは全て得られているっていう
ここに転換するわけですね
これでいいんだってことですよね
つまりね
この私が何かをする
うんそうだよね
これから何かをするんだよね
その私に不足があるはずがないよねっていう
ここその言葉のあやで
いやいやそれおかしい
矛盾してる
不足があるから何かやるんだろう
違うんですよ
何かをやる
何かをやる私
この私には不足がないってことですね
それをやるに値する自分が
ここにいるっていうこと
その先には課題とか
やらなきゃいけないことはたくさんある
それを一個ずつやっていける自分として
この自分としてどこにも不足はない
だからできるんだってことです
やればできるんだよっていうそういうことね
やれば成功するとか上手くいくとか
そんなことは一言も言っていない
そうじゃなくて
そこに向かう最初のアクション
例えば
必ず何かをやるためには
最初のアクションというのをやる必要がある
これは確実にできるよねっていうこの感覚です
ここに足りないものはないっていう
じゃあこの足りないものがないっていう
私は何がやりたいんだって今度は問いかけるわけ
今までは不足を埋めるために
何をしなきゃいけないっていう問いを立てたわけね
だからやりたくないんですよ
そんなものは
しかもその不足をしている自分で
それをやらなきゃいけないっていう
ものすごい矛盾を抱えている
そうではなくて準備万端整ってる
何をやってもいいんだよね
じゃあ何やるよっていうこの感じで
次にやることを思い浮かべるんですよ
そしたらおそらくそれをやらない理由というのが
なくなるんですね
これによって僕らは
99.99%ぐらいまでは
いけるんじゃないかと思います
そしてその感覚を呼び起こしてくれる言葉
これがタルを知るっていう風にね
だからなんていうかその実行できなかったのは
時間がなかったからではないっていうことですね
ここも重要な認識だと思います
時間があろうとなかろうとね
僕らはさっき言ったこの2点
クリティカルな意気込みに関わる
やばいやつとそれからこの思いによってね
よしこれをやってみようと思うやつは
基本的に実行するんですよね
その2番目ここにここに
ここに当てはまるものを
48:00
自分の心の中からね
まさにその今日最初にお話したね
温泉の涙を流すような
この心の叫びここからこれだよね
っていうものを見つけ出すために
タルを知るこれをやってみたら
いいんじゃないかなと思います
そしてそのね私に今日いいキーワードを
くれた知恵さんと12月23日
クリスマスイブの前日ですね
金曜日の19時から大阪の中野市までね
知恵とぞの生ライブというのをやります
このポッドキャスト番組でいつもね
2人で話している
今日の感触ですとね
ものすごくいいお話ができそうな感じがしますね
なんか今知恵さん旬だなって感じ
乗ってるなみたいな感じ
で知恵さんの肩書きがね
いつもコラムニスト言うんだけど
前は恋愛コラムニストって言ってたんで
なんとなく色があったんだけど
コラムニストっていう肩書きは
なんか人間ですって言ってるぐらい
本当に意味がないというか
何も表してないんで
もうちょっと考えようよ
みたいな話もしたんですよね
そして休憩時間の間に
僕がほっこりクリエイターっていう
これはテンポラリーというか
本当に知恵さんがいい肩書きを
思いつくまでのつなぎとしてね
コラムニストよりはマシだよ
ほっこりクリエイター
コラムニストじゃない
ほっこりクリエイターっていうのを
考えてあげましてね
最初はちょっと
シャレのように受け取っていたんだけど
番組で話していくうちに
悪くないなみたいな
そんな感じになって
このほっこりというのはね
この日のテーマの愛という
これを多分知恵さん流に表すと
ほっこりになるって
それはどういうことかみたいなね
そんな話をしたいなと思ってますんで
関西圏の皆さんね
よかったらなかなか
お目にかかる機会がないのでね
ぜひぜひこの年末23日
遊びに来てください
そんな感じで
今日はですね
もうこれしかないね
樽を知る
不足ではなくて
自分が得ているもの
できていること
ここを最大限に評価しましょう
そして何をするにも
今それをやる準備は
私は万端に整っている
だから最初のアクションは
確実に実行していいんだ
できるんだっていうね
こんな感じで
いい1日をお過ごしください
ありがとうございます
50:41

コメント

スクロール