植物の生存戦略
グッドバイブス ミッドナイトラクザ by 倉園佳三
こんばんは、ただいま7月10日月曜日の午前1時35分ですね。
今日は、とても面白い場所に行ってきまして、小石川の植物園なんですけども、もちろん私は初めて足を踏み入れたというか、
もともとあまり植物とかには縁がない人生を歩んできましたんでね。
ここにですね、私の知り合いで植物の研究をしている研究者の方がいらっしゃいまして、
この方に今日は取材をお願いしたんですよね。植物のことについて話を聞かせてくれないかと。
そしたら、ここの植物園に招いていただきましたね。
休日だったんですけども、要は他の方がたくさんいらっしゃるんで、その研究されている方ね、
そこに取材ということで迷惑がかからないように、この休日を選んでね、他の方がいらっしゃらないこの合間を狙ってですね、
そして結構2時間ぐらいかな、時間をいただきまして、取材はもちろんですね、植物園もすごい広いのでね、
全部は見切れないんですけども、その方の解説を交えながら、だからものすごいゴージャスなツアーですよ。
この小石川の植物園にそこで研究されている方が付き添ってね、いろいろ解説をしてくれながらこの園を回れるというね、
本当になんかびっぷ大工のツアーを経験してきましたね。
要はこれは私が今ちょっと筆が止まっているザ・ギフトというこのノートで連載中のですね、いわゆる新刊として今執筆している文章があるんですけども、
これが今4話で止まっていましてね、これ全く目次も作らず、どういうふうに全体がなっていくかというその構成とかも持たずに書いているので、
まさにね、なんかこう連載中、少年ジャンプとかで連載中の漫画を書いているようなね、そんな感じですかね。
おそらくあれもまあおおよそこんなふうに終わるみたいなあらすじはできているかもしれないんですが、
翌週どんなエピソードを書いてね、何が起こるかみたいなのは何となくですよ、私が感じるに読者の反応とかを見ながらね、
やっぱり編集の方と常に方向修正とかね、軌道修正をしながらその場で作っていってるんじゃないかなっていう感じがするんですが、
まさにそれをね、まあこの毎週とかって定期的ではないんですけども、やってるような感じ。
それで第4話の終わりにね、僕らはその自分の本性を怖がってるんですっていう話をして、
それにまつわるそのエピソードっていうのかな、シナリオを書くというふうに文章の中で約束して終わってるんですよね。
そのエピソードがね、なかなか思い浮かばなくて、ふと何となくですね、その研究者の方と、そして植物の話、これがあるときね、突然ポッと浮かんできて、
どうなるかわかんないんだけど、ちょっと彼に話を聞きたいなというのがあって、それで今日お邪魔したんですね。
要は僕らの本性、いつも言ってるこの本来の自分ですよね。
他の人と等しく価値マックス、そして十全十美にすべてを手にしてね、それから愛そのもので平安で恐れや不安がなく、
おそらくやりたいと心の底から思うことは何でも実現できて、そして80億分のとても貴重な役割というか、かけがえのない役割を担っている存在。
これが本性なんですけどもね、これがまあそのままこの今のこの世の中でね、ポンとその自分がこの社会の中に立ったときに、
それで何となく都合がいい感じがあまりしないわけですね。
まあこの辺はちょっと今日あんまり詳しくお話しする感じではないんだけども、
要はその愛そのものじゃ困るじゃんとかね、そんなことしたら人に利用されっぱなしじゃないとかね、
それから恐れや不安がない、平安、そんなことしたらもう努力とかしなくなるんじゃない、
十全十美に足りている、まさに何にも努力とかしなくなってぐたらな人生歩みそうだよねと、
やっぱ危機感持って足りないぞって、もっともっと自分を磨かなきゃっていう方に振った方がね、なんか有利なんじゃないかと。
だからやっぱりそれがもし僕らの本性だとしたらね、
植物の一生の記録
今私がお話しした本来の自分の方が自分の本性だとしたら、
それはまずいんじゃないかと、そんな自分でいるのはまずいんじゃないかって言って怖がってるっていう、
そんな感じがするんですよね、あえてそちらに行かないより自分をコントロールしてる、制御してるっていうのかな。
そしてこのような私が言うところの本来の自分であれば、
おそらくそのゲットというか何かを得ようとする必要がまずない。
なぜならば十全十美に全て満ち足りてますからね。
それよりもこれを与えるというこちらの方向に動きながら、
そして与えることによって自分が所有しているものを増やしていくという、
そういうまさにこの真逆のやり方、これができるんじゃないかっていうね、
そういう話を、その話のきっかけを書きたいんですけども、
これを一つの象徴するエピソードというかな、シナリオにするっていうのがね、
自分で書いておきながらもうちょっと無謀だったなという感じがしていて、
ここに植物はどうやって生きてるのっていう話を聞いてみて、
何かヒントにならないのかなという、そんな感じで今日は取材したんですね。
そしたらとても面白い話が聞けましたね。
これがどんな感じでシナリオになっていくかっていうのはまだ謎なんですけどもね、
例えば虫に食べられれば食べられるほど花が増えていくとかっていうね、
何か不思議な現象、これは北米のなんとかってお花だったんですけども、
それとかね、ものすごい小さなが、これどんぐらいだったかな、
5ミリぐらいかな、長さが5ミリぐらい、幅はもう本当に糸1本ぐらい、
外から見てるとこれですって見せてくれたんだけど、
その葉っぱにパッと止まっているがなんだけど、がというかもうただの糸ですね、
本当にちっちゃいが、これがそのおしべとめしべを受粉させる、
普通は飛んでるうちに自然に受粉するんだけど、
そのがはコツコツコツコツ運んでくれるらしいんですよね、
そしてその受粉が終わったらそこに卵を産むっていう、
もう何か畑みたいな風に植物を使ってるんですよね、
自分で受粉させて実をつけさせて、でもその実を全部食べるんではなくて、
まさにこの半分ぐらいちょっといただくみたいな、
強制というのかな、そういう関係が成り立っていて、
でもやっぱりこの研究というのは生物学としての研究をしているので、
基本はやっぱりそれぞれの個体がどのように生き延びているかっていうね、
ここを研究するらしいんだけども、その方もですね、
例えば自然界の森とか山とか、そこで育つ植物と、
そこから1本取ってきて研究室で育てる鉢植えの植物というのは、
もう形から大きさから何もかも変わってしまうらしいんですね。
だからそのように1本1つ個体を切り出すんじゃなくて、
この自然界の全体の中で眺めた時に、
やっぱり僕らがまだまだ測り知れないような、
その仕組みみたいなものがこの中にはあるんじゃないかとか、
とても面白い話をしてくれましたね。
そして何よりもこれは予想外だなと思ったのが、
その方に植物の研究をしているその方の目的というか、
何を目指してやってるんでしょうっていう話をしたんだけども、
そしたら彼はとにかくある種の機械オタクでもあってね、
ものすごい小さなコンパクトなカメラを自分で作って、
これを2日間ぐらいかな、
ぶっ通して動画を撮れるカメラというのを自分で作って、
これを小笠原諸島とかそういうところに持って行って、
ずっと見張ってるわけですね。
何がしたいのかというと、植物の一生がどうなっているかというのを、
記録した人はいないんだと。
この標本みたいな形で撮ってきて、
その一部、一瞬みたいなのを切り取ることができるんだけども、
じゃあ雨が降った後どうなったんだとかね、
気候が春から夏に変わった後どういう風な成長したり変化をしたりしたのかとかっていう、
まさにその植物の一生というこの記録を何とか一個ずつ整理したいんだ、
みたいなことをおっしゃっててね。
まさにタイムカプセルですよね。
その植物のタイムカプセルみたいな、
生まれてから枯れてしまうまでこの一生というのを記録しておくと、
後の研究者たちに非常に役に立つだろうっていうようなことをおっしゃってたんですね。
インタビューと研究者の視点
だからその方は驚くような、まさにこの世紀の大発見とか、
ノーベル賞ものだみたいなのをやるっていうか、
そういう成果を出す興味はあんまりなくてね、
まさにこの礎になるみたいな方が面白いという風に話してくれたんですね。
だとしたらこの植物の前にね、
その方の研究の姿勢自体がもうギフトなんじゃないかっていうね、
とても面白い話でしたし、
久しぶりにね、私もどのぐらいぶりかな、
20年ぶりぐらいかな、インタビューしたのは。
だと思いますね。
もうちょっと前かな、10年ぶりぐらいかな。
そうそう。
でも10年前に1つぐらいして、その後してないので、
多分大まかにやっぱり20年ぶりぐらいですね。
かつては毎日のようにインタビューしてたんですけども、
面白かったですね。
取材というのはやっぱりいいですね。
そしてこの取材をする相手というのかな、対象。
ここが魅力的だった場合に、
まさにこの取材というこの仕事はですね、
私の中ではもう今は本当にしなくなってしまいましたけどね、
ちょっとこの本を作るにあたって、
これをもうちょっとやってみてもいいのかなっていうかな、
いろんな人のお話をね、
伺ってもいいのかなと。
面白いことに、
実は私がやってるワントレ2とか、
あるいはグッドバイブスファクトリーのコミュニティにはですね、
大学の研究者が結構いらっしゃるんですよ。
2、3人じゃないですね。
5、6人、6、7人はいらっしゃいますね。
なぜかこの大学で教授をやってらっしゃるとかね、
そういう方、あとその大学美容院の先生とかもいらっしゃるし、
そういう方が実は多いんですよ。
アカデミックな方がね。
なんか私はね、全くわからないんですけどもね、
もしかしたらなんかこのグッドバイブスと相性がいいのかな、
みたいなそんなこともね、ちょっと考えたりするんだけども、
本当にね、いろんな分野の歴史だったりね、
労働法みたいなこととか、まさにその医学とかね、
いろんな分野の研究者の方がいらっしゃるので、
そういう方にもね、ちょっとお話を伺いながら、
この本をね、書いていこうかなと。
まあでも、なんとなくですよ、
そう思いながらね、ちょっと心が折れそうになっている自分もいましてね、
これね、普通に書けばね、たぶんあっという間に書けてしまう内容なんですよ。
まさに今日この私がこのポッドキャストでね、
話すようにもう普通に書けるんですよね、
解説だけであればね、
なんかそちらにもう行きたいなという気持ちが今、
4割ぐらいこう出つつあって、
でもせっかくね、このなんとなく楽しそうなフォーマットを自分で思いついたんだからね、
この中で、このフォーマットの中で完成させたいなというね、
そういう思いもありつつね、ちょっとまだ明日のことはわからない。
でも今のところ、可能じてね、この続きを書こうという、
そういうところに引き留まっているという、そんな感じですね。
そして今日はとても暑かったんですけどもね、
楽しいツアーをさせていただきました。
本当に研究者の方ありがとうございます。
何が良かったかっていうとね、
温室っていうのがあるじゃないですか、
温室も行ったんだけど、
温室はもうほとんど外と同じぐらいの温度だったんですね、今で言うと。
その逆があるんですよ、低温室っていうのがあってね、
ここに鉱山植物が並んでて、
ここがもうほんと冷房キンキンで気持ちよかったですね。
ここがなんていうかな、小石川植物園の夏はおすすめの場所。
植物全然関係ありませんけどね。
また、そうそう、そしてその方とね、
これは落座シリーズの一つのイベントにしましょうかって話をして、
要はこの植物園を回るグッドバイブスイベントをね、
その方にガイドをしてもらいながら、
よくやる植物を相手にするワークというのがね、
私は合宿とかでよくやるんですけど、
この辺を交えながらね、
小石川植物園ツアーというプログラムを思いついて、
絶対やりましょうって言って帰ってきましたね。
7月、8月はね、ちょっと今日も暑くてね、結構大変だったんで、
もしかしたら土が咲く頃ね、秋、紅葉の頃がいいのかもしれませんね。
でも強行して早くやりたくて、夏にやってしまうかもしれません。
じゃあ次に電音室行って休憩しましょうみたいな、
そんなツアーになるのかもしれません。
これもいつかやりますんで、ぜひお楽しみにしてください。
リンゴとハートのワークの説明
今日はですね、日曜日かな、ジャジウムワークをやりまして、
この時にいつもその私がね、アドオンで一つ、
その7つの作法とは別にね、
今日のテーマということで、
このプラグインとかね、アドオンとかおまけみたいな感じで、
今日はこのここをちょっと意識しましょうとかっていうのを加えるんですけどもね、
今回はですね、ちょっとワークをやりたくなって、
しかもね、始める前に、6時間のジャジウムワークを始める前に、
ちょっと心をいい感じにしておくためのワークというのをね、
これをちょっとやりたくて、5分ぐらいですかね、皆さんにやっていただいたんですね。
これがとても評判が良くてですね、それぞれ効果のほどは、
各人皆さん違うんですけどもね、異なっているんですが、
おおむねこれは悪くないという、そういう評判だったので、
こいつを今日紹介しようかなと思っています。
リンゴのワーク、リンゴとハートのワークっていうかな、
そういう名前で呼んでたんだけども、
まずはですね、頭にリンゴをイメージするんですね。
実際にやるときは目をつぶってやるんですが、
ちょっと今最初にこのやり方だけ説明しますね。
リンゴを頭の中でイメージします。
そうするとリンゴというのはね、外側に皮がついてますよね。
赤くてツルツル、赤じゃないリンゴもあるんですけど、
一応赤のリンゴにしておきましょう。
赤くてツヤツヤのこの皮があります。
おそらくリンゴというのはですね、
この皮がついている状態っていうのが一番きれいなはずなんですね。
というのもこの皮がなくなると、中身が出てくるとですね、
多分数分ぐらいでもう変色し始めますからね。
だからもしこのスーパーとかでこのリンゴを売るとしたら、
この皮付きのリンゴの状態でやっぱり店に並べるわけですね。
要は見栄えがいいわけですよ。
これをですね、まさにこの自分の心というかな、
そういうものになぞらえてみるんですね。
そうすると、私がそうですね、
いつも言っているこの偽りの自分とかガーディアンとかね、
以前はグッドバイブス勉強会をやってた2年ぐらい前は、
コーティングのような言い方をしていましたね。
要は僕らはその自分自身にね、
まずはそのままではない、
ある種のコーティング、まさにこの皮、リンゴの皮のようなものをね、
ぐわっと被せてあるっていう、そんな感じね。
これはまさにリンゴの皮と同じように、
このお店に並べられるような、そういうものなんですよ。
だから洋服に似てますね。
リンゴは体ではなくて心なんだけども、
僕らはやっぱりこの外に出るときに洋服を着るじゃないですか。
だからやっぱりこの裸で出ていくってことはね、
やっぱり現代社会ではありえない。
これは要は見栄えを良くしているわけですよね。
そしてその中にあるものを隠しておく。
これはあまり人に見せてはいけないんだっていう、
体の場合はなんとなくわかるんだけども、
心にも実際同じようなことをやっているということですね。
ここになっているのがおそらくこの偽りの自分なんですね。
僕らはその心っていうのがまずあるんだけど、
その周りにリンゴのような皮がふわっとコーティングされている。
これをちょっとイメージするわけです。
じゃあこいつのこの皮というのはなんだっていうと、
自分に課しているものを剥がす
おそらく自分に化していることじゃないかなと思うんですね。
例えばですね、わかりやすい例で言うと、
男らしくなきゃいけないとかね、女性らしくしなくちゃいけない。
この辺は随分と今ね、このジェンダーということで
緩くなってきていいことだと思うんですけどもね、
僕なんかは子供の頃九州男児という感じで育ってられましたんで、
とにかく親だの親類だのはね、
男らしさみたいなことに非常にうるさいわけですよ。
しかもそれがね、それぞれその人ごとによって定義が違うんですけどもね、
なんとなくこの漠然とした男らしさみたいなのが美学としてあって、
子供の頃からもうそれに沿うように教えられていくんだけども、
これもやっぱり一つ自分に化していることですよね。
それからしばらくするといろんな役割を担うようになりますよね。
例えばもう小学校に入ったあたりから上級生らしくとかね、
もうそういうのは出てくるはずなんですよね。
私の知り合いの今小学校6年生のお子さんはですね、
前この番組で紹介したあのボイトレで歌ふたってくれた彼とかは、
今1年生の面倒を見るっていうのを昼休みとか給食の時間とかかな、
やってるらしいんですよね。
なんか話聞くとちょっとメンターのような役割もね、
相談とかも受けたりとかしてるらしくて、
今の小学校は進んでるなというね、
お互いのためにいいんでしょうね、これはね。
まさにギフトなんだと思うんですが、
そういうね、上級生らしさ、それから学級員らしくとかね、
もしくはもっと小さな班長らしくとか、
そういうのがどんどん増えてきて、
そして部活とかやるとやっぱりここに先輩らしくっていうのもあるし、
そうだな、えっと強い高校らしくとかね、
そういうのも出てくる。
まあそういうもろもろもろもろ、
いろんなこの自分に勝つことっていうのが増えていくわけですよね。
ここにはモラルとか正しさも入ってくるでしょう。
時間は守らなきゃいけないとかね、
自分で決めたことは必ず実行しなくてはいけないとか、
あとはこの勝負をするんだったら勝たなければいけないとかね、
人のかざしもに立ってはいけないとか、
人にバカにされてはいけないとか、
まあいろんなマスト、ハフトゥというのがね、
できてくるわけですよね。
これ何のために僕らはこれをやってるかって言ったら、
やっぱり自分を守るためなはずなんですね。
防御ですよね。
こういうものを山ほど持って大きくなっていく、
そして大人になった後もですね、
こういうものを増やしながら僕らは暮らしていくんだけども、
これは基本的に心の外側にほどかされるコーティングのようなイメージが僕はあるわけですね。
これをリンゴにたどいてみるわけ。
これが皮なんですね。
これをイメージしながらね、
一枚一枚剥がしていく感じなんですね。
リンゴの皮は一枚しかないんで、
一枚一枚っていうのは変だな。
部分部分ですね。
一気に全部なんていうのはおそらく無理なので、
どのぐらいかな。
3分の1でもなくなれば相当いいと思うので、
どこまでできるかわからないですけども、
これを少しずつね、
リンゴの皮をめくっていくんですね。
それを具体的にどうやってやるかって言ったら、
私は今自分にどんなことを課しているっていう質問をするわけです。
これを目をつぶってね。
最初にまずリンゴの皮剥きフェーズですね。
真の自分を見つける
私は今まで子供の頃から今日まで、
自分にどんなことを課してきた。
あー男らしくっていうのはあるわと思ったら、
ぺりっとこう取ってみるわけね。
あとは最近子供が生まれましたと、
親になりましたという方はね、
今までなかったこの親らしくしなきゃいけないとかっていうのも、
おそらくあるでしょう。
お母さんらしくお父さんらしくみたいなね。
あーこれも俺課してるな。
これもぺりっと剥がしてみるわけですね。
こういうのは心のワークなんで、
別にそれを心の中でイメージしてポッと取ったからって言ったって、
別にまずいことは起こらないのでね。
心の中でイメージしながら、
自分に課しているもの一つ一つ思い出しながらね、
なんかあんまり必要だと思ってないんだけど、
すんごい断捨離してるなとかね。
やっぱり物は少ない方がいいといろんな人に言われてるんで、
ほんとは捨てたくないものまで捨ててるな、
こういうこともやっぱり課してるものですよね。
これが要は自分の心にリンゴの皮のようにまとわりついてる。
これを最初に剥がしていくんですね。
これが第一フェーズです。
思いつく限りこの課してるもの見つけて、
これどうする?ってこんな疑問をするんでしょうね。
これどうするよ?男らしくすんのこれから?
もういいんじゃね?って思ったら、
ぺりっと剥がしてみるわけ。
朝のワーク
どこまで剥がせるかなっていうのをやってみるわけですね。
なんかこの日課にしてたこいつ、
もうほんと今全然やりたくないんだけど、
自分にこれをやらないと健康じゃなくなるみたいなことを課してるよなとかね。
そんなに無理して制限しなくてもいいのに、
こういう食べ物を今は自分に食べるなって止めてるよなとかそういうことね。
これをぱらっと取っていくわけですね。
そうすると実が出てきますよね、リンゴの実。
これがまだ本来の自分ではないんだけども、
皮がパッとなくなったことによって、
押さえつけられていた自分っていうのが、
僕は表に出てくると思うんですね。
これがリンゴと同じで、
リンゴというのは皮を剥くとかじることができますね。
皮ごとかじってもいいんだけど、
匂いがしますよね、まずね。
皮をめくるとリンゴの匂いがふわっと漂ってきます。
そしていいリンゴだったら、
そこから蜜がずっと見えたりとかする。
つまり要は自分が見えてくるってことですね。
自分の味とか中身とかがこの皮を剥ぐことによって、
今まで閉じ込めていたものが表に現れてくる。
ここはおそらく子供の頃からずっと押さえていた、
貸していたものによって、
男らしくであればめめしくしちゃいけない、
みたいなことになっていくわけね。
女性らしくだったらそやなことをしてはいけないとかっていう、
反対側がこの中に隠れているわけですね。
そして僕らは自分で貸したり貸されたりしたこと、
これは望むと望まざるとにかかわらず、
そのような皮をコーティングしているわけですから、
本当はそんな制限とか貸しているもの、
そんなものに押さえつけられるんじゃなくて、
そこは表に出していきたいとか、そのように生きてみたいとか、
そのようなことをしてみたいとずっと感じていた可能性があるんですね。
あるいは、この自分を出してはいけないっていう、
まさにこの味と匂い、こんなものを人にかかしてはいけない、
味わわしてはいけない。
これは良かれと思って、そんなものを味わわしたり、
匂わせたりしたら迷惑なんだ、みたいなそういう感覚なのかな。
良くないものとしてここを封じ込めているっていう可能性もあるわけですね。
これも心の中でやることなので、別に悪いことは起こらない。
まずここを自分で見てみるわけですね。
この制限、貸しているものがなくなった、この皮がなくなったところから、
どんな自分が出てくるんだろうっていうね。
おそらくここには子供の頃に経験して納得していない思い出みたいなのも
たくさん詰まっているはずなんですね。
だからまだまだちょっとここは本来の自分というよりは、
それほど整ってはいないんですね。
いろんなものがこの中に詰まっているわけです。
でもこれをこの皮でコーティングして完全に覆い隠すよりは、
ここをペリッとめくって出してあげるという方が僕はいいかなと思っている。
だからワークなんですけどもね。
そうすると、なんだろうな、ちっちゃな子が納得いかないよみたいな、
この番組でもとびどき話す、ああいうやり方はなかったんじゃないのとかね、
なんであの時こういうふうにしてくれなかったんだろうみたいな思いも
この身の中にあるわけですね。
これをまさに味わってあげるわけです。
これが第2フェーズね。
第1フェーズは化しているものを点検して、
そしてそれを手放せないかというのを吟味しながら皮を剥いていく。
そうすると、この押さえつけていた生身の自分というのが出てくる。
この中にはわだかまりもたくさんあるだろうし、
なんか理不尽で納得いかないなという晴れない思いみたいなのもあるでしょうし、
これがやりたかったのにやれてなかったなみたいなそういう思いもあるでしょう。
切実なね。
これを少しずつ放出してあげるってことね、自分の中でね。
中には苦々しい味とかね、あまりいい匂いがしないその身も詰まっているかもしれない。
あるいはですね、まさにその皮にずっと覆われていてね、
実はその身の一部が傷んでいるみたいなこともあるかもしれないね、自分で感じる。
これ傷んでないかみたいなね。
そこも優しく修復しながら、これは実際のリンゴではないんで、心の中のイメージなので、
ここを優しく、まさに大丈夫かって自分で抱きしめるような感じでね、
しばらく癒していればおそらく修復されるでしょう。
そのようなことを身に対してやりながらね、ここにも少し思いを馳せていくわけですね。
そうすると、実はもうこの皮がなくなり、そしてこの身を味わうとですね、
私がいつもお話しているこの本来の自分というのはもうあとほんの少しのところにあるんですね。
これがリンゴというと、種なのかな、芯なのかな。
リンゴだとこの芯の部分は食べられないんでね、ちょっと役に立たないんですが、
この例えとしての、どんどんどんどん中に入っていくという意味でね、
このおそらく芯とか種とかね、この辺りに僕は本来の自分というのがね、
いるようなイメージを持っているわけですね。
これを自分が目をつぶって、リンゴ、自分をリンゴに例えながらね、
なぞりながらこれをやっていきながら皮をむく、そして中身が出てきた、
この芯の部分に本来の自分がいるんだっていうようなイメージを持つんですね。
わかりやすいようにですね、ここでハートというのが出てくるんだけど、
これはもともとはね、サンスクリット語のフリダヤムっていうね、
この言葉を訳してハートというふうにね、言っているんですが、
要は中心という意味があるんですね。
ただ本来の自分にこの中心みたいなものはないんでね、
あくまでなんていうんですかね、源のような感じかな。
まさにこの宇宙の神羅万象と一つであるという意味で、
僕らの源なわけですよね。
これをですね、このインドの哲学者というのかな、
求道者というのかな、そのジャンルで表せない人たちなんですけどもね、
こういう方々がね、サンスクリット語で、
私が言うとこの本来の自分と完全に同じではないかもしれないんですけども、
このリンゴの芯の部分っていうのかな、これをフリダヤムというふうに呼ぶ。
これを訳すとハートになるわけですね。
これを今度はですね、この皮を剥いた後、実を味わった後にですね、
私のハートはどこにあるんだろうっていうふうに、
ちょっと目をつぶって探してみるんですね。
でまぁちょっと全くどこにあるかわからないって、
これ体の中にあると言うのではまた違うのでね、
なかなかその捉えどころがないんですけども、
なんとなくそのハートっていうこのイメージ、
そして中心というイメージね、源というイメージ、
そういうイメージ、何でもいいんですが、
そしておそらくこの皮を剥いたよね、そして実が出てきたよね、
そしてこの中心に私の源である、
宇宙の神羅万象と一つである本来の私がいるんだよな、
それをハートと呼ぶとしたら、
どこにいるっていうふうなこの探索をするわけですね。
これを目をつぶってじーっとこう探しという、
この3段階になっているわけですね。
最初に自分に貸しているものはなんだ?
それをその皮を剥いていく。
そして出てきたこの実をね、
ここには苦しいことも辛かったこともたくさん埋まっているでしょう。
そして今まで抑えてきたようなね、
これもやりたかったんだ、これもやりたかったんだ、
みたいなことがね、たくさんあるでしょう。
それを味わった後に、もうここからだったら直でね、
このハートに行けるよねと。
今までこの硬いコーティングに覆われて、
なかなかここにたどり着けなかった。
でも今ならこの心はね、きっとハートにたどり着けるだろうということで、
ここをじーっと探っていくわけですね。
まあこれをだいたい5分ぐらいやる。
まあどういうその、なんていうのかな、
リンゴの実を味わう
この時間がけで皮を剥くのに何分、
身を味わうのに何分、
ハートを探すのに何分とか、
まあそういうことはあまり考えずにね、
もう本当に適当にやればいいですね。
自分の中でここに時間をかけたいと思う、
それだけかければいい。
そしてジャジンワークの時もね、
5分では足りませんで、
5分で皮は剥けませんでしたって方もいらっしゃったんで、
ここにね、もっと時間がかかるようであれば、
どんどん伸ばして、
もう30分だろうが1時間だろうが、
どれだけやってもたぶん大丈夫なんですね。
これをですね、
私のおすすめとしては、
毎朝やる。
朝起きて、
そうだな、
支度とかする前にね、
この時間を設けるっていうのはなかなか難しいんでね、
そうですね、
例えば電車に乗ってどこかに行くんであれば、
その電車の中でやるとかね、
そのぐらいの時間帯ですかね、
あるいはこの思い切ってね、
15分ぐらいその出勤の前にね、
時間をとってやるとか、
仕事をする前にこの時間をとるとかね、
そんな感じで1日の最初、
できるだけ早い時間にやるっていうのが、
ハートを探す
まずおすすめ。
そして、
できれば1日の終わりのね、
寝る前ですね、
ベッドに入ってはダメで、
ベッドに入る前、
座ってやることが重要なのでね、
たぶんこれ寝てやるとですね、
そのまま眠りに入ってしまいますんでね、
座ってベッドに入る前にもう1回やる。
だから1日の始めと終わりにやるのがおすすめですね。
これをですね、
ジャジュンワークでもやったんだけども始まる前に、
これをやるとどうなるかというと、
理屈としてはですね、
このコーティングが少し剥がれた状態で動き出すことになりますよね。
自分に貸してたものこうしなきゃならない、
こうしなければならない、
これはやりなさいみたいなことを剥がしてますから、
普段とは違うことがたぶんやりたくなるんですよ。
そしてたぶんそれはですね、
こんなことやってて大丈夫なのっていうようなことも
多く含まれると思います。
なぜならばね、今までそのリンゴの皮でね、
そういうことやっちゃダメだってずっと抑えてつけてきてましたからね、
これがペリッと剥けたらいいんだやってっていうのがね、
ふわっと出てくるはずです。
リンゴの皮を剥く
で、できるだけね、
これをちょっとしばらくほっといてあげるっていうのがいいんですよね。
で、今回のジャジュンワークでもそれをね、
こう、なんていうのかな、
解き放ったっていう方が結構いらっしゃいましたね。
特に寝るっていうのがね、
何人かいらっしゃいましたね。
寝るということをやりましたっていうね。
面白いんですよね。
僕らはね、眠るっていう時も、
いやいやいや、土曜の昼間から寝てはいけないっていうことを自分に課してるわけね。
そんなことしたら何もできずに休日が終わってしまうみたいなことを課してしまっているので、
これをね、しばらくの間、
もう自由にさしておいてあげるという感じですね。
まさにさっき言ったこの味とか匂いとかね、
これをこの外に放出するような感じ。
いや、これが俺なんだよみたいなね。
こういうことをやるのが俺なんだよみたいな感じでね。
いいんだよっていうんで、
こう、ほっといてあげる。
で、これはジャジュンワークでね、
あんまりいい例えじゃありませんがっていうんで、
よくね、あの、なんていうのかな、
この極童物の映画とかでね、
兵の中から出てきたその出所祝いみたいなのがあるじゃないですか。
で、しばらくはもうシャワーのね、
空気に慣れるために、
のんびり好きなことでもやってろよみたいな、
こういうことを言ってくれるわけね。
この上の人たちが、ありがとうございますみたいな。
こういう感じ。
今までできなかったこと、
もう思いつを思うぞ、もうやっとけよ、
みたいなこんな感じでね。
まさにこのリンゴのね、
皮のコーティングの中に囲われていたわけだからね、
そこからパッとこうシャワーに出て、
ちょっと好きなことさせてもらうよ、
ゲームとかするよとかね、
なんかおいしいもの食べるよみたいな、
こんな感じでいいと思います。
で、これをやらせてあげないと、
というかこれをやらせてあげればあげるほど、
さっき言ったね、このハートというのに、
容易にたどり着きやすくなるんじゃないかっていう、
そんな感じがしていますね。
だからちょっとこれはね、
しばらくほっといてあげるという感じ。
で、いつか必ずね、
こちらのその本来の自分っていうのが、
この身とね、なんとなくこの一体になるようなね、
そういう状態におそらくなっていくんだと思うんですよ。
今のところね、この身があって、
そしてその中心にハートがあるみたいな風に、
最初は分けているんですが、
これがだんだんブワーッと溶けていってね、
全体がもうこの芯になっていくっていうかな、
全体がハートになっていくって、
これが一つのゴールというかね、
目指したいところなんですよね。
そうなると、もうこのつまらないこととかね、
自分でなんだこれ無駄だなと思うようなこととか、
そういうのあんまりやらなくなるんですよ、
逆に言うとね。
なぜかというと、最初に言ったように、
本来の自分はですね、
全てを手にしているというのが分かっている。
そして望めば何でもできるということも知っているし、
そのできることは、
自分の80億分の1のね、
とてもかけがえのない役割であることも分かっているので、
それをできれば多くやりたいという風にね、
もう自然に望むようになるんですね。
実はね、この自分を僕らはね、
ほとんど信頼していなくて、
そんなものいるはずないやという風に暮らしているのでね、
それに変わるものとして、
この川にあたるコーティング、
なんていうのかな、防御、
自分に課すもの、
こういうものでね、
コントロールしなくてはいけないと思っているわけですよね。
ところがそれは、
この自分のさっき言った身の部分かな、
ここが完全にアグリーしているものではないので、
必ずここに反発だとかね、
ちょっといじけた感じとか、
グレた感じというのを持ってしまう。
これが完全に抑え切れるものではないんですよ。
全部自分の心ですからね。
これが溢れ出してしまう。
こういう時に僕らは思うように動けなくなったり、
なぜかその自分がしたくないことに
ハマってしまったりするわけですね。
だからまずここを開放した後に、
この本来の自分、
このハート探しをしながら、
そしてこれがね、
身の部分とずっと一体になってくれると、
なんでコーティングなんかしたんだろうなと思うぐらい、
自分が望むようなことを、
自然にやってくれるようになっていくわけですね。
これがまさにグッドバイブスで、
私が目指しているところなんですね。
ここに僕は圧倒的な信頼を寄せているわけ。
本当にここはすごいなという感じ。
ここがまさにギフトモードというのを持っていて、
与えながら得ていくということもできる自分でもあるわけですね。
これは何にも実は犠牲にしていないし、
失っていないし、
お金だろうとね、
物だろうと、
心の底から欲しいと思うものはね、
このやり方で十分に手に入るんですね。
だからこれをですね、
ハートを探す
朝晩やるということは、
そのような自分にだんだん近づいていくためのね、
とてもいいプロセスになるんじゃないかなと思います。
実際ジャジュンワークでこれをやったところですね、
もうすでに効果的面で、
いろんなことができましたっていう方もいらっしゃったし、
これまで手が出せなかったものに手が出せましたという方も、
まさにこの日にね、
リアルタイムに現れてくれましたね。
だからよかったら試してみてください。
ちょっと手順だけ整理すると、
まず目をつぶります。
リンゴをイメージします。
まずはこの皮を剥くんだと。
そのためには、
自分は今どんなことをね、
私自身に課しているんだろうっていうことを問いかけながらね、
こういうことをやれって言っているな、
こういうことを強いているな、みたいなことをね、
一つ一つ多分すぐに思いつくでしょう。
それが見つかったらね、
これやめてみる?もしくは手放してみる?しばらくね、
みたいな感じで自分と相談して、
いいんじゃねって言ったら皮が剥けたと思ってください。
これを思いつくままね、
これは無理だなっていうのはちょっと残しておいて、
全部剥く必要はないのでね、
あるいはその1回目のトライではね、
1枚も剥きたくないみたいなことも起こるでしょう。
その場合はジャッジマークで言ったんですが、
いや、ありえないというふうに言う人もいたんですけどね、
リンゴだと絶対ありえないっていう方がいたんだけど、
湯せんするみたいなね、
しばらくお湯につけておいて、
皮を柔らかくしておいてね、
ツルッと滑らせれば剥けるみたいな、
そういう剥き方もあるんで、
一度に無理矢理取ろうとせずに、
ゆっくりゆっくりやるのがいいでしょうね。
そうして何となく自分の心の中から皮がポッと取れてね、
中身が出てきたなと思ったら、
それがどんな味なのか、どんな匂いなのか、
それを味わってみるということですね、
自分自身でね。
ここにかつての自分の中にあるわだかまりとか、
納得いっていない感覚みたいなことが出てくる可能性もあります。
だから甘いだけじゃなくてね、
苦い味がするものもあるでしょう。
それを全部味わい尽くす。
ああなるほど、これが俺の中身かってわかったら、
今度はですね、よっしゃハートを探そうと言って、
ハートを探してみてください。
これは本当に漠然としたイメージなのでね、
具体的にしようとしようとすればするほど、
多分わかんないってことになるんで、
ぼんやりとハートね、あるのかな、
みたいな感じで探索するのがいいと思います。
これが一セットですね。
ハートとの対話
最低5分はかかると思います。
長ければ10分、15分、30分、いくらでも延長して構いません。
これができたらですね、
今度はここまで多分ジャジュン・ワークでお伝えしたんだけども、
このハートに向かってね、
なんとなくあったかなって思ったら、
こいつといつも対話をするようにするんですね。
ここはまさに本来の自分、すべてを知る自分ですのでね、
万能な自分なので、
一つは次何やるっていうね、
次にやることを決めるときにここに尋ねる。
これはジャジュン・ワークでも必ずやることなんだけども、
これに使います。
それから、おそれや不安、罪悪感、怒り、
いろんな負の感情みたいなものを抱いたときは、
これをありのまま報告するという、
この話し相手としても使えます。
話し相手というよりも報告する相手かな。
聞いて聞いてというこの感じね。
相談云々じゃなくてね、
とにかくこの話聞いてほしいという。
不思議なことにうまくいくとですね、
これも目をつぶってやるんですね。
今こんなことが気になってて心配なんだよねとか、
もうあいつが本当に嫌で嫌でたまらない、
憎くて憎くてたまらんみたいなことを、
正直に罪隠さず全部このハートに報告するんですよ。
そうすると何か答えが、解決策が返ってくるとか、
アドバイスが来るってことはないんですが、
心がすっと平和になっていくんですね。
これが不思議なんですよ。
要はこれは幻想を現実のところに運んだということになりますね。
僕らが頭の中で作り出した幻を、
この唯一リアルな存在である本来の自分のところに運ぶ。
そうすると闇が光のところに運ばれるのと同じように、
すっと消えていくんですね。
消えればいいんですよ。
どっちにしてもこの心象に対してね、
理屈でこれを解決しようとしたって、
ほぼほぼ役に立たないのでね、
その考え自体がもうイリュージョンなわけだから、
これは消えてくれればいいわけですね。
このように使うことができます。
だからこのハートの部分っていうのかな、
ここは本当に重要なんですね。
何もかもこの自分で考えを止めようとかね、
リンゴとハートのワーク
罪悪感を手放そうとかっていう、
この偽りの自分側の自分でこの努力をしようとしてもね、
あんまりうまくいかない。
だからこのハートがうまく使えるようになると、
この平安に自分を平安に戻すとかね、
そういう嫌な思いから解放されるとかっていうことが、
もう楽にできるようになりますんで、
この5分のワークをやりながら、
そして日々ね、
この自分で探したなんとなくここかなというところの、
このハートに向かって聞いたり質問したり、
そして報告したりするという、
こんな感じで使えるんで、
よかったらやってみてください。
今日はこんな感じですかね。
3日後の13日かな、木曜日ですね。
16時から以前からお伝えしている、
私のワントレのリアルの会場での体験会というのをやります。
大体そのお一人30分くらいですかね。
30分強かな。
40分ごとに枠を切ってあって、
10分で入れ替えみたいな感じをイメージしてるんですけどもね、
16時から20時までで6枠を設けました。
大体私と佐々木さんとで毎月やってるこの、
オンラインコミュニティグッドバイブスファクトリーのね、
オンラインセッション、
オンライングループセッションというのがあって、
これがZoomに何人か集まっていただいて、
お一人ずついろんな相談をするというね、
そういうイベントがあるんですが、
これが大体お一人30分くらいなんですよ。
だから一つぐらいの相談だと、
この30分でもいけるかなというふうに思っています。
まあでも別に悩みも相談もないんだよねっていう方はですね、
気軽にただ私とね、
そのくだらない話を30分するでもいいと思いますんで、
なんとなくこの人どんな感じなんだろうか、
喋ってみたいなっていうそんな動機でもね、
全く構いません。
なんかそのこう、
すんげえ強力にね、
ワントレホンサービス申し込んでくださいよみたいなことを
やろうと思って企画したのではなくてね、
なんとなくこの私がどんな感じで
ワンオンワンのセッションをやっているのかっていう、
この雰囲気を味わっていただきたいという、
そういう目的ですんで、
本当に気軽にお越しください。
よかったらね。
場所は池袋駅から東部町東上線で、
ほんとほんとすぐですね、
数駅行ったところの大山というね、
ここのギャラリー6さんというとてもいいレンタルルームですかね、
なんかあの個展とかね、
そういうのもギャラリーとして使っているような場所なので、
雰囲気も悪くないので、
ぜひぜひお越しください。
じゃあ今日はですね、
リンゴのワークやってみてください。
心の中にリンゴをイメージしてね、
皮を剥いて中身を味わい、
そして最後にハートはどこだと探してみる。
これをできるだけね、
早い時間に10分ぐらい5分ぐらいかな、
やっていい1日をお過ごしください。
ありがとうございます。