2024-06-14 15:24

「かぎ針編み」のお話。

だいぶ時間が空いてしまいましたが、また投稿していきます!

お話は色々と脱線いたしますが、今回はかぎ針編みのお話です。
 

サマリー

彼女は途切れることもあるが、かぎ針編みやたまごっち以外にも興味がある。日々の出来事を語りながら自分を見つめる新しいリッスンが始まる。かぎ針編みの楽しさと継続の重要性について話している。ヤシの葉やかぎ針編みを通じて、自然に触れたいが現実の制約に悩む女性の日常が描かれたエピソード。

00:01
はい、くじもぐらのひとみです。つばさ通信教育という、小学校受験の会社を経営したり、くじもぐらというユニットで音楽をしたりしております。
なんと、めちゃくちゃ開いちゃいましてね。なんか、受験のお仕事の方がむちゃくちゃ忙しかったというのもあるんですけど、ちょっと東京行っておりまして、
東京の講習会に子どもたちに会えて、すごい嬉しかったなぁと思っています。
本当に仕事から元気もらうなぁとか、成長させてもらうなぁとか思っているわけですけども、
ちょっとね、いろいろその間に、リッスンどうしようかなぁと思いながら考えてたんですけど、
やっぱり日々のウダウダしたことを話していって、自分を改めて見つめるみたいなこともね、またしていこうかなぁとか思っています。
そういうことで、新しいリッスンのスタート。またね、なんだかんだ言って途切れたりとかしますけれどもね。
かぎ針編みにハマる
今日はね、かぎ針編みの話をしようかなぁと思うんですけど、最近ハマっちゃってね、かぎ針編み。
これめっちゃ楽しいんですよね。2つなんかハマっちゃってるんだけど、それはかぎ針とたまごっちなんですよ。
たまごっちって、ちょっと今更だと思いません。私あの多分ね、あれいつだろう、高校生ぐらいの時に流行ったわけですよ。
そうなんだけど、また流行ってるんですよ。それでね、ちょっとたまごっちの話はまたちょっと別の時にしますよ。
もうこれ言うとね、なんか暇かよって思われますよね。もうね、私ね、やりたいことがね、むちゃくちゃあるんですよ。
絵描くこともしたい、音楽作りたい、でももちろんボーカルのレッスンして、ボーカルのライブしてるでしょ。そこにかぎ針編みとたまごっちが入ってきたわけですよ。
もうね、ちょっとリッスンの原稿を書く時間がだんだん取れなくなってきて、こういうのはね、もう本当に騒がしいわけですわ、私本当にね。
もうちょっと落ち着きたいなと思うんですけれども、でもね、講習会ね、東京の講習会終わって先生たちと打ち上げをしたんですけど、
ゴルフにハマってるとか言う方もいらっしゃって。で、そんな中ね、かぎ針編みですって言ったらね、ちょっとね、めっちゃ笑われるんですよね。
なんで笑われるかっていうと、先生また座ってやるやつですか?みたいな。そうなんですよ。全部そうなの。
だって弾き語りって言っても座ってるでしょ。たまごっちに立ってやるわけないじゃないですか。ね。
で、かぎ針編みまさかそんな走ってやるわけないでしょ。で、絵描くにも座るし、何やっても座ってるわけ。そりゃね、腰痛めるわっていう。
本読むのも好き。座ってるでしょ。何だったらね、転がってるじゃないですか。もうちょっとダメだよねって思う。全然運動にはまらないんだけど、一回水泳にちょっとはまったけど、ちょっとね、引っ越しちゃって。
まあそうなんですけどね。でね、あの、ちょっとかぎ針編みの話で気づいたことがある。
で、それは何かっていうと、何でもね、やっているとね、まあやっているとっていうか、かぎ針編みも本当にね、何回かの挫折を経てまたやってきたんですよ。
あ、いろいろあるよ。あのなんかね、カリンバとかも置いたままにしてるし、あの、顕微鏡とかも置いてるんですよ。結構いいやつ、顕微鏡あるんですよ。
いつやるのって話なんだけど。あの、そうなんですよ。で、かぎ針編みもそうだし、リスもこうやってね、なんか復活したり死んだり復活したりしながら結局やってるんだけど、あの、やってるとね、見えてくることってないです。
でね、私思うんですよ。そのね、見えてくるまでが大変なんですよね。これわかります?この見えてくるっていうの。
でな、なんかね、例えばね、かぎ針編みでね、あの、こう、鎖編みとかやるでしょ。で、その鎖編みは最終どこに入れるかっていうと、裏山っていうとこに入れるの。
ちょっと、最初聞いたときさ、いや裏山ってあのドラえもんの世界でしょ、あの裏山に行こうぜみたいな。
あれしかわからなくて。で、え、そのね、裏山ってめっちゃ難しいのよ、初心者には、超初心者には。
なんか編んで裏ひっくり返して山みたいにボコってなってるところなんだけど、そもそも毛糸ってなんか繊維の束だから、何言ってんだ、どこだってなるんですよ。
で、今すごいですよね、やっぱり。昔はかぎ針編みやった、えー、第一回目は中学生です。
あのときは本しかなかった。で、家庭科でやったんですよね。で、やっぱりわかりにくいわけですよ。
で、二回目は、そうだな、あれ、いつだろう。30歳に入ったぐらいのときかな。
見えてくること
あのときは友達が教えてくれた。うん。だけどね、あのとき裏山の言葉なかった。でもその友達はすごくありがたいんだけど、なんかちょっとざっくりしてて、その辺に入れたらとか言うんですよ。
あれ、決まってんじゃないのとか言って、わかんないよみたいな感じだったの。
まあ、そのときはあんまり見えなかったけど、今回なんか見えてきたのよ、裏山が。
あ、待って、これ裏山じゃないの。って。すごいな、これ。って。なんかね、その世界が見えてくることがあるんですよ。
で、なんかイラストレーターっていうソフトがあって、私これ、もちろん仕事上使うから使えますけど、
あの、実は最初、あのね、イラストレーターとしてね、日経新聞でね、あのイラストを描いてたときにね、日経新聞の広告欄あるじゃないですか、あそこの記事の横に絵を描くんですよ。イラストレーターで描くんですけど、
これね、私これどういうふざけ方をしてたのか、あのイラストレーター使えますかって言われたときに、はいって言ったんですよね。全く聞いたこともなく、触ったことなくて。
その必死感でやったんですけど、見えないのよ。全然わかんないのよ。何にもわかんなくて、一つのイラスト朝まで描いて、あの、できてるような顔して、これがずっと続いて、仕事だからやらなきゃいけないみたいな。
だけど、やってりゃ見えてくるんですよ。やってりゃね。そういうことが起きるんだって。ね。いうことがちょっと一つ収穫なわけ。
だから、なんか物事って一回挫折しても、またやったほうがいいのよ。で、またなんかちょっと、その、やってなかった期間あるんだけど、やっぱり見えてくるんですよね。
継続するのがいいよ。やっぱり。でもさ、なんか私ちょっとこういう性格だから、あの、あっち行ったりこっち行ったりして、また戻ってくる、たりするんですよ。
で、そうした時に、人はもうダメだって思うんだけど、なんか変な理論なんだけど、できない人用向けなんですけど、私も継続できない人系なんだけど、あの、やっぱりね、それでね、それでもね継続してるって思い込むことが大事なんだなっていう。
うちの子供すごくって、あの、ピアノをね、教えてたん、幼稚園の時に。で、全然やんないわけ。習いには行かせてないんですよ、私が弾けるから。で、あの、そのなんていうの、テキスト置いてるから勝手に練習しなさいよって言って、ちょこちょことやってたんだけど、だんだん感覚が空いてきて、もうね、何年もやってないんですよ。
やらないの。やってるよって言うの。え、あなたの継続ってスパン長っと思って。そうなんだって。継続って、別に間空いててもいいんだって。人の間空いてるって自由なんだって。変な勇気。そんなこと思ったんですけれども、まあそのね、とりあえず今ね、かぎ針編みね、そんなんでまだ超初心者なんですよ。四角を編んだ。
ポリネシアン文化とのつながり
で、なんかね、私これちょっと傾向としては、あ、すごいナチュラルなものにハマるんだって思って。ナチュラルなものっていうのはすごく原始的なやつ。絵描くとかちょっと原始的じゃないですか。野菜育てるとかね。
なんか本当はね、本心言うとね、系統じゃなくて、なんか落ちてる葉とかでやりたいわけ。これどういうことかというと、なんか自分は時々ね、ポリネシアン系だったんじゃないかって思う時があって。海とか見るとめっちゃドキドキするしね。ヤシの葉とかなんか編んでたりするとちょっとやりたくなるんですよ。
でも、あれね、沖縄の方行った時にそういう博物館があって、ポリネシアの文化みたいなの。もう私、もうここ原点だったんじゃないか私のって言うほど楽しくって。ヤシの葉でなんか編んでる人の模型があったりとか、あとめっちゃ大きな石とか、お金の。これこれみたいな。何がこれかわからないんだけど、これだよってわかりにくいんだよ今の。
石の交換だよみたいな。何言ってるのかわかんないけど、そういう風に思ったわけ。だし、こういう世の中幸せなんじゃないのって思って。で、なんかほら、幸せだと思いません?私はヤシの葉で色々編むからさ、得意な人はさ、狩りにちょっと行ってよみたいな。
で、そうなると、なんか私はほら、石に何か絵描く担当とか、歌を歌う担当もやりたいしね。で、そうなった時に私、そうなった時にさ、上も下もなくなるんじゃないの?個性。それぞれが強みを持ったことをやりゃいいみたいな。
で、助け合うってめっちゃ楽しそうに思うんですけど、なんかもっと物事って単純じゃないかなって思うわけよ。本当はね、社会の仕組み。まぁ、社会の仕組みは知り尽くしてない人が言うのもなんなんだけども、なんか個性を生かして生活するって、なんか本来そういうものなんじゃないかなって。そうするとさ、寝てばかりいる人もきっと出るでしょ。
それどうなんだっていう話なんだけど。で、まぁいいかってなるかもしれない。なんでかって言うとちょっとさ、なんかちょっと手伝ってもらいたい人要因になれるじゃないですか。なんかね。だし、じゃああなたも寝たらいいじゃないってなった時に、やっぱり寝てばかりいたくないからやるんですよ。
だから寝てばかりの人がずるいって思うのは、もうそのヤシの葉で何か編んでることは仕事だと思ってるからでしょ。いやいや、私やりたいからやってるだけで、明日は石井に絵描いてる担当かもしれないし、みたいなことを。なんか幸せだなって。なんか縄文とかそうだったのかなと思ったりするけど、なんか寝てばかりいる人も雑用とかやってくれるかもしれないじゃない。ちょっとしたお願い。
で、私ヤシの葉編んでるから、ちょっと例えばさ、なんか発酵食品みたいなの混ぜてとか言われても、なんか知らないけど。いやいや、できないできない。今ちょっとヤシの葉ちょっと忙しいし、これ何名目か分かんなくなるしさ、とか断られるけど、じゃあ寝てる人のあの人に頼んだら、みたいな。その発酵食品早く混ぜないといけないからさ、みたいな。なって、都度係みたいな人になったりとかしてね。
で、なんかね、ポリネシアの世界見たときに、その博物館に行ったときに、これこれって思ったことがあって、家あるんだけど壁ないんですよ。あのなんか海の家みたいな。これもういいなあ、これ。なんか家建てちゃったんだけど。
あ、これでもいつか、でももうちょっとプライベートがあってもいいよね。さすがにちょっとね。って思うけれども、なんかもう吹き抜けてていいなとか思っちゃって。でもさ、なんかそんなとこでさ、子育てしたらどうなんだろうってちょっと思うわけ。なんですよ、私ほら、小学校受験っていう、本当に大都会のこの社会の仕組みにはまっているというか、そういう仕事をしているわけなんですけど。
こんなところで子育てしたらどうかなあ。不安かなあとか思うんですけど、どうなのかなあ。でもさ、じゃあ今行けばいいじゃないって。別にね、沖縄とかでやればいい。でも行けない理由っていうのはやっぱり存在するんですよね。
それは何かっていうと、子供たちが例えば専門学校に行きたい。これ言ってるわけですよ。そしたら専門学校行きたいと。お金がいるわけですよ、ここで。ここの社会に生きてるから。じゃあそのお母さん仕事何してるの?って言ったときに、まさかさ、ヤシの葉でさ。
かぎ針編みと自然への憧れ
何か編んでる?とか。いやいやいや、ヤシの葉じゃ専門学校行けないかなあみたいな。でも価値が過平だからさ。明日石に絵描いてるとか、まさかさ無理でしょ。やっぱ働かなければならない。もちろんこれは働くことが好きだから今この仕事。いいんだけれども。
でもほら、なんか専門学校行きたいとか言ったときに、やっぱ都会にいないとこれできないじゃないですか。ですよね。その山奥にいたり海のところにいたらまあ一人こっちに来ることになるかなあっていうその機会みたいなこともちょっとやっぱ思うわけで。
ただね、自然にいるほうが厳しい環境なのかなって思ったりもする。もうなんかほら一匹虫入ってきたら私倒れますから。もうダメじゃんね。なんかこう、ヤシの葉になんかついてたら裏ついてたらどうしようって一回ついてて次の葉触れないみたいな。だからなんか、でもまあ理想なんですけどね。何でも自分でやっちゃうとか自然の中で。
でも全然でね、腰痛いから。ほら好きなこと全部座ってることだから。まあでもさ、なんかきっとねちょっとでもね原始のものに触れたいと思ってね。いるんだろうと思います。なんかさ、かぎ針編みってなんかね無心になれるんですよね。めちゃくちゃ無心になれるんですよ。手を動かせていいですよね。
はい、ということで、まあ私は今かぎ針を、かぎ針編み。ちょっとねうまくなってね、いろいろとこう、ほらすぐ思うんですよこういうこと。いろいろとこう売れるかなっていうね。これダメだよね。全然自然の中にいないよねって話なんだけどね。
ということで1回目は本当、こういう日常のことを自分なりに整理していこうと思いました。今日1回目はかぎ針編みの話。2回目卵落ちしようかなとこう思ってます。はい。まあ本当にお気楽な話ですけれども、また遊びに来てください。
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