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2023-01-23 46:43

074「鏡の法則」と呪術廻戦の「領域展開」でほしいものを手に入れる

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今日は自分の行動や考えがそのまま返ってくる「鏡の法則」と、アニメ『呪術廻戦』の「領域展開」を使って、本当にほしいものを手に入れる方法について話しています。番組でお知らせしたF太さんとの執筆教室とトークライブのお申し込みはこちら→ https://ftazono20220201.peatix.com https://ftazono20230129.peatix.com

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GOOD BYE IS NIGHT NIGHT LAXA BY KURAZAMA KEIZO
こんばんは。ただいま1月23日月曜日の3時3分ですね。
今日はこの番組でも何度か告知をさせていただきました。
佐々木とやっている、ありのままのデッサン教室というのをご告示でやってきまして。
常連の方でね、親子でいつも参加してくださる方がいらっしゃいまして。
もう、息子さんの方かな。
こちらが私と古くからもう3、4年ぐらいのお付き合いになるんですけどね。
このグッドバイブスを通して、確か最初このワントレを受けていただいた方だと思うんですけどね。
結構最初の初期の頃ですね。まだ値段とかも全然決まっていなくてね。
今では考えられないぐらいのお安い価格でやってた頃。お試しというかね。
多分1番目か2番目ぐらいだったと思いますね。ワントレを受けた方の中でね。
いろいろ、確か書き上げ塾とかも結構長い間いてくださって、もうすぐその方も本が書き上がるんですけどね。
あと3話ぐらいで終わるんだけど、そこにちょっと1年ぐらいがかかっているっていうね。
前回お話したように、私もグッドバイブスとご機嫌な仕事は途中で1年ブランクがありましたからね。
必要な時期なんだろうという、その方が。
というわけでね。私とそんな変わらないと思うんですね。10ぐらい違うのかな。10以下ですね。多分年齢の差はね。
だからそのお父さんということで、それなりに高齢の方なんですけどね。
もうとてもいい親子でね。ちょっと私から見ると、学者風の感じ。
そのお父さんがね、文化人というかね、そういう感じの佇まいで。
そして親子揃ってね、デッサンをしているっていうこの風景を見るのが、ちょっとこのデッサン教室の楽しみの一つでもあるんですけどね。
それと、いつもサツキのファミリーが奥さんと息子さんとね、3人でお手伝いにやってきてくれて。
もうお手伝いというか、その3人がいないと成り立たないみたいな、そんな感じになってますね。
レギュラーというかね、もう無くてはならない存在っていう感じかな。
奥さんがもともとね、サツキと同じ美大卒で木炭を削ったりとかね。
今日は鉛筆を使ったんですけどもね、その鉛筆を絵を描くように削ってくれたりとか。
本当に奥さんいなくては成り立たないような、いつしかそんなイベントになってしまったんですけどね。
そこが3人のご家族でしょ。
今日はなんと矢部聖子さんのね、スタッフの矢部聖子さんのご家族もいらしてくれまして。
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だからその親子2人と3人家族と2人家族、そして私みたいなね。
私だけこの孤独な血の繋がりがないっていうイベントでしたね。
今日はなんとちょっと基本に戻ろうということでね、球体を描いたんですよね。
綺麗な石膏の球体ですね。
この球というのは捉えどころがないですよね。
絵で描いてみろって多分言われたら丸描いて終わりみたいな。
まあでも立体ですんでね、そこにライティングをして光と影を描きながらその球をね、2次元のところで再現していくんだけど。
なんかとてもこう、なんていうのかな、この入り方と言うんですかね。
集中の仕方がこれまでラボルトとかブルータスという石膏像とね、あと自画像も描いたんですけどもね。
今日で5回目なのかな。
だから私の部屋には自分の作品が5枚今あるんですけどね。
その中で初めてこののっぺりとした球体というのは最初描けるのかなと思ったんですけど、ものすごく深いというかね。
もともとおそらくこの世界にはその球という形がもともと存在していまして、地球をはじめとする星々ね。
完全な球体ではないんでしょうけども、基本的には遠くから見たら完全に球に見えるっていう世界ですよね。
それからたぶん体の中にも赤血球みたいなね、白血球とか球がつく、なんかなんていうのかな、もの。
そういうのが多いですよね。
だから僕らの体の中にもたぶん球が欠かせないものになっている。
人が作ったものの中にもね、そのサッカーボール、野球ボール、球技のボールですよね。
あれがなぜか丸なんですよ。
四角でも三角でもなくて丸なんですよね。
それからベアリングとかね、あれも完全に球ですよね。
だからなんかその球が果たす役割っていうのがたぶんこの世界にはあってね。
何かの真理というかね、そういうものを感じるような不思議な形なんですよ。
ある種の完成された形なんでしょうね。
万能ではないのかもしれないけどね。
それを描いているとですね、なんとなくこの球ってなんだろうみたいなね。
ちょっと深いところにはまっていきながらね、どうすれば球になるんだろうみたいなね。
形としてもそうだし、光と影もそうだし。
まあいろんなその、サツキはですね、その球の周りの空間を描くみたいな言い方をしてましたけどね。
なんか私の攻撃のないコミュニケーションで描いた最後にね、空間モードって話とかにちょっと似ていて。
ほんと捉えどころがないなみたいな、そんな世界だったんですけどね。
あとあのね、今回はその奥さんの描くね、サツキの奥さんの描く球がもう素晴らしくてね。
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本当に球なんですよね。もう形も綺麗だし、しっかりとこの球体が描かれていてね。
途中でちょっとみんなで作品並べてレビューしながらね、サツキがアドバイスを送ってくれるっていうコーナーがあるんですけど。
そこでチラッとね、どうやればこうなるんですかって質問をしたら、回るくなれと思いながら描くんだって言ってましたね、奥さんがね。
これからこの後は固くなれって書くんだって言ってましたね。
そう、だから僕も途中の作品を見ると自分のその球がね、なんかみかんのような柔らかい感じがするんですよ。
これをどうすればあの石膏のカチカチの感じにね、できるんだろうと思ったらね、固くなれと。
ねんじるということで。
で私も一生懸命固くなれ固くなれって思いながらやってたんだけど、なんとなくわかってきましたね、この固くなれの感じがね。
ある種の均一さというかね、みかんはやっぱりザラついてるんですよ。
あれはつるっとしてるんで、この紙の上に均一なものを表現していくっていうそんな感じかなと僕はね、受け取ったんだけどね。
そうするとね、すごく根気のいる作業がね、そこに発生するんですよ。
あーなるほどなと。
まあもちろん今日の絵はね、僕はそのまさにこの誰に渡すとかっていうわけでもなくて、自分のために描いてるんだけども。
この固くなれのこの根気さっていうのはね、いつも私がお話してるそのギフトモードっていうのとね、実はとても似ていてね。
あーこういうところになんかヒントがあるんだなっていうかね。
なんか一つのものをこのぐらいでいいかなって終わらせることもできるんだけど、いやもっと固くなれって言ってこうやってね、やってしまうっていう。
これがなんか僕らのクリエーションのね、なんか一つのこう秘訣というかね、魔法みたいなものはね、そこにあるんじゃないかっていう。
まあ本当に深い体験を今日はしてきましたね。
それでそんなことをやりながらね、ちょっと今日は私も一応ほんの15分ぐらいなんですけどね、ここはあんまり僕が長く話してもしょうがないんで。
このデッサン教室ではほんと触りのね、なんでありのままを見るんだって話をするんだけど、そこでですね、呪術回戦ってご存知の方いらっしゃると思うんですけどね。
もともとは確かジャンプの連載、漫画なんですよね。
そこからアニメが出て、テレビの。
僕はそのあたりでハマって見始めてね、ネットフリックスとかアマゾンプライムで見たんですけどね、放送してるそのリアルタイムではなくて。
そして昨年、呪術回戦0っていう映画が出たっていうね、そのちょっとアニメの時代の前の時代を描いた映画なんですけどね。
ここにね、呪術師っていうのが出てきて。
これがその領域展開というね、これは一応最高校の技とされていて。
確か私もあんま詳しくなくて漫画は読んでないんでね、その第一期のアニメしか知らないんだけど。
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五条悟っていう一番すごい人ですよね。
この人と、あとそのなんだっけな、呪術後戦っていう学校に通ってる生徒のね、確か石黒くんだっけな。
ちょっと名前もうろ覚えなんだけど。
式紙とかを出すね、技を使うその呪術師の学生がいるんだけど。
その2人ぐらいしか使えなくてね。
要はこの心の中、僕がよく言う心象っていうのかな。
これをね、外側にブワッと出現させて。
呪術師の心象なので、その術式というね、この技、魔術みたいなもんなんだけど。
これを、なんていうのかな、技として放つんじゃなくて、それを世界そのものにして作り出してね。
その中に敵を入れたらもうアウトっていうね。
もうほぼほぼ価値が決まるみたいな、そういうすごい技なんだけども。
この話をしたんですよね。
これがなんか、グッドバイブスの私がね、この番組でもお話ししているような内容とね、ちょっと被るというかね。
近いな、みたいなヒントになるな、みたいなところがあって。
最近この領域展開の話をね、書き上げ塾とか執筆教室でもやるんですよね。
これをちょっとね、踏まえて。
以前ちょっと私もこの番組でちらっと鏡の法則という言葉をね、出したと思うんだけど。
この2つ、鏡の法則という話とこの領域展開。
要はですね、この鏡の法則というのが僕らの心を反映した世界を作り出すっていうね、そういう話をちょっとしてみたいなと思うんですね。
まずはこの領域展開ちょっと置いておいて、鏡の法則からいきましょうかね。
そうそう、だからこのこの番組を聞いてくださっている方で呪術回戦を見てない人はいっぱいいると思うんですよ。
おそらく見ている人の方が多いのか少ないのか、その辺はちょっとね、この私の番組のリスナー層を分析していないのでよくわからないんですけど。
割と年はね、そんなに若くないんでね、平均年齢にすると若くないんで、ご覧になってない方もいらっしゃると思うんですが。
この番組をですね、聞かれたら是非Netflixかプライムビデオで第一期のアニメをね、見てみてください。
とても面白いんでね。
それは置いておいて、鏡の法則からいくとね。
これはとても単純な法則で、一番わかりやすい例がですね、人に嫌われるのが怖いってありますよね、この気持ち。
これを持ってない人は多分いないと思うんだけど、僕もやっぱりここは人一倍持つ方でね。
なんか気を使ってしまうとか空気を読むとかっていうのがね、ここから出てくるんだけど、今自分は嫌われていないかなっていうことをね、つい考えてしまうんですよね。
で、これをもしね、これはありえないんだけど、もし生まれて一度も人を嫌ったことがないっていうね、そういうすごい人物がいたとしたら、この恐怖を持つだろうかっていう問いなんですよ。
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で、おそらく僕はこの人は人から嫌われるっていうことを怖がらないだろうなと思うのね。
なぜならば、僕らがまずね、自分が誰かを嫌うっていう、ここから始まるんですね。
僕が、つまりクラゾノがあいつ大っ嫌いだなと思った時に、ある種の不快な心っていうのが湧き上がってきますよね。
で、これを知ってるっていうのが重要なんですよ。
これを知っているから、その様子を想像しながら、あ、もしかして僕の目の前にいるね、この人は自分に対してあの嫌な感覚を僕に対して持っているかもしれない。
そしたら嫌だなって不安になるんですよ。
だからこの人を嫌ったことがない人はこの不快な感覚を知らないので、だからそれを怖がることができないっていうね、そういう仕組みなんですよ。
だから私が多分人に嫌われるのが怖いと一一倍もし思っているとしたら、おそらく一一倍人を嫌ったんでしょうね。
それはね、ちょっと心当たりがあるんですよ。
気質というかね、多分私の気質の中に、今は全然そうではないんだけどね、批評か批判かみたいなね、そういう気質があるんですよね。
だから何か見るとすぐ批判したくなる。すぐ文句を言いケチをつけたくなる。
もうテレビとか見ていてもね、出てくるタレントだとか歌手だとかね、もうやたらとケチつけてましたね。
あとドラマとかね、つまんねえなとかね、当然リアルに会う人もそうだし、だからその人間関係デストロイヤーだったんですけどね、すぐ嫌いになっちゃうっていうね。
まあまあ僕は多分何というかある種臆病だったんですよね、きっとね。
人を嫌いにならざるを得ないようなちょっと弱さがあってね。
だから嫌いまくっていたので、その心がよくわかるんですよ。
嫌な心がね。この人あれを僕に対して持ってるのかもしれないと思うと怖くなる。
だから僕は嫌われてないかってことを気にしてしまうっていうね。
これが鏡の法則なんですよ。
自分の心がまずある。そしてそれが相手の心の中にあるんじゃないかと予想して、そこを見てちょっと嫌な感じになるっていうね。
これはとてもわかりやすい例なんだけど、もっともっといろんな形でね。
これはこう私たちの生活の中でね、うまいこと働いてくれるんだけど、
例えばこう遅刻する人をね、いつも猛烈にこう批判している。
ね、なんだあいつはつって。
まあ本人に言うのはまだいいんだけど、そのどこかね、その別のその人がいないとこでね、あいつほんと遅刻だよねっていうね。
これをずっとやっているとする。
当然だけどそうすると自分が遅刻することへのね、恐れや不安がやっぱ強まっていきますよね。
なんかこう私もね、いまだにこの年になっても年に1回か2回ぐらいやらかすんだけど、この目覚ましをかけずに眠ってしまってね。
ふって起きたら大変な時間になっていると。
やべえっていうこの時、この時にもし僕がそのね、それまでの人生でその遅刻している人たちを猛烈に批判していたら、
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えらい恐怖がやってきますよね。
やばい俺があれになるみたいな感じでね。
で反対に一方、全然そこに寛容でね、全く俺気にならないし、いや文句言う気にもならないよっていう人だったら、
ここでなんかおおやっぱ遅れちゃったぐらいな感じで済むんでしょうね。
それからその自分がね、いつもいつもその他の人にね、こう怒りをぶつけてるっていうね、これをやってるとしたら、
これも私だったんだけどね、すぐにキレて怒る。
そうすると他の人もそれをやってくるような生き物に見えるんですよね。
そうすると何をしなくちゃいけないかっていうと、やたら人から自分を守らないといけないってこの感覚がやっぱりすごく強くなってくるのね。
なぜか守りたくなるのは自分がいつも攻撃しているからなんですね。
私が攻撃すれば彼らも自分の周りにいる人たちも当然だけど、同じように攻撃してくるだろうねっていうね。
要はこれはまさに一つ意識なんですよね。
この自分の心が相手もそれと同じようなものを持っているんじゃないかってこう思うということは、実は私たちは一つだってことを知ってるんですよね。
だから自分の心の動きは他の人もそのようにするに違いないっていうね。
ここは完全に予想の中で想像の中でやってるんでね。
決して当たってはいないんですけど、そう思わざるを得ないということはそのような現実がやっぱり立ち現れてくるってこと。
だから私の心が他の人たちの心を作っているみたいなね。
そういう感じでもあるんですよね。
あとよくあるのが、ああはなりたくないよねってこう言うじゃないですか。
ああはなりたくねえよなみたいなね。
これをやると鏡の法則が一瞬で働いてどうなるかって言ったら自分はああはできなくなるんですね。
すごいですよねこの法則はね。
言ってる時はもしこの話を聞いても全然構わない。
だって俺はああはやらないからって言うんですよ。
想像もできない。
そのああはなりたくないよねって言ったああを自分がやってる姿なんかその時は全く想像しないから全然できなくていいからってなるんだけど。
まず時間が経てば自分の感性っていうのは変わっていくんですね。
これはもうほっと僕はもう60年生きてきて若い頃のその価値観とか考え方とかね。
こんなのやんなくてもいいよみたいなのは年を取れば取るほどやりたいと思ったりやらざるを得なくなったりするんですね。
それからもっと言うと時代とかトレンドが変わっていくんですよ。
だいたいああはなりたくないよねっていうのはかっこ悪かったりなんかダサかったりするものに言ったりもするんだけどね。
あとなんつーのかなちょっとこうなんかこうせこいとかねそういうことかな。
そういうところにああはなりたくないよねみたいな感じになるんだけど。
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この時代やトレンドが変わるとこのかっこよさとかダサさみたいなのがひっくり返ったりするんですよね。
そうするといつかああはなりたくなったりするんですよ。
でもああはなりたくないよねって言ったこの心は根深く残ってるんで僕はずーっとそのああはできなくなっちゃうんだよね。
これはもうあのクリエイターとかはねもうこれすごくよくわかると思いますよ。
例えばこういう表現は絶対したくないよねとかね。
あともっと言うとそのPR告知の仕方とかねこういう売り方はほんとなんかせこくてやだよねみたいな。
僕もそうでしたからねこれね。
これが前言ってたその告知をするのが苦手だったっていうああはなりたくないよねってきっとずっと言ってたからなんですよね。
確か私もねソーシャルメディアが出た頃にツイッターが出た頃かな2008、9年の頃ね。
ソーシャルメディアコンサルタントっていうのをやっててね。
すごいなと思ったからなんですよこのツールはね。
これはきっと当時はまだそんなにビジネス用途ってのはなかったんだけど今は当たり前ですけどね。
13年経って当時はまだまだなかなかやっぱりITの技術っていうのはね。
ネットのショッピングもそうでしたけども企業がその正式に取り入れるまでにはちょっとブランクがいるんですよね。
本当にこれが信頼のおける仕組みなのかみたいなことを見る必要があるからね。
剣に回るっていう先駆けで早い企業はバンバン手出しますけど。
多くの組織とか会社はちょっと様子を見てこれ使えるのかなみたいな。
それから実際会社の中でそれを使いこなせる人がいないという物理的な理由も相まって間が空くんですよね。
その頃に僕はこれを企業に取り入れましょうみたいなコンサルをよくやってたんですけどもね。
そこでよく言ってましたねPRばっかりしちゃダメなんだと。
自分のタイムラインをタイムラインデザインみたいな言葉を使ってここをいかにパッと見た時にこの人フォローしたいなと思うような形に作り上げるかっていうのが大事なんだみたいなことを言って。
そしてあーはなっちゃダメですよみたいなことを言ってたから自分がそれをする番になった時に告知とかPRをする番になった時に余計慎重になっちゃうんですよね。
これがまさに鏡の法則。
なのでクリエイターはこれをやってはダメなんですね絶対にね。
要はこの批判とか否定他の人の作品をそれをすればするほど自分から自由を奪うというこの行為になるんだってね。
ここをやっぱりしっかりと自覚しておいた方がいいと思いますね。
これを仕事にされてる方はいいと思うんですよ。
批評家とかレビューアーとかそういう人は仕事がそれなのでそれでいいんだと思うんだけども自分が批評家ではなくて作る側の人は僕はなるべくこれはやらない方がいいと思いますね。
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こんなことを言わなくても淡々とそれをしなきゃいいんでね。
心にしまっておいて口に出さない方が僕はいいと思いますね。
出すとこの鏡の法則が働きますからね。
心で思っても働くんだけども口にするよりはマシだと思う。
言ってないしねみたいな。
あんまりなりたくないねと思ってたけど言ってないしみたいなところでちょっと自分に甘くできるんじゃないかと思う。
表現の文章の形だとかね。
それから例えばそのグラフィックのその雰囲気だとかね。
ビデオの撮り方だとかメロディの作り方。
リズムの乗せ方。
そういう諸々のものづくりの中でやっぱりあれはダサい。
ああいうのはやりたくないみたいな感じを表に出した瞬間に鏡の法則となって私もそれができなくなるっていうね。
面白い本当に面白い法則なんですよこれは。
でもこれをねちょっと分かっておくだけでね。
なんで自分がそれをねなかなかできないのかとかね。
ここをやろうとするとちょっと嫌な感じがするとかね。
それから人に気を遣う。
なぜこんなに僕は人に気を遣うんだろうとかね。
なぜこんなに防御を固めてしまうんだろうとかっていう時に鏡の法則かもしれないって分かるとですね。
その法則の元になっていた原因ですね。
私から発するいろんなものね。
人を嫌ったりとかね。
それから遅刻を猛烈に批判するとかね。
そういうことああなりたくないというとかね。
そういうものがこれを作っていたんだなって分かるとね。
ここをやめていくだけで次第に次第にほんとなくなっていくんですよね。
これは僕はグッドバイブスのここの鏡の法則というのは一つの用語でもあって。
私がトライしてきたことでもあるんでね。
こういうことを言うとそういうことをしなくなる自分がちょっと嫌だみたいな感じもしなくはない。
よく分かりますよ。
私にしてもね。
やっぱりこの惰性とかね。
なんだこれとかああなりたくねえなって言ってる自分のがちょっとかっこいい感じがしますからね。
なんつーのかな。
割とこう繊細なセンサーみたいなものを持っていてね。
自分の感覚の中でね。
やっぱりそれはちょっと無理なんだよみたいな方がなんかいいじゃないですか。
なんでもかんでもいいよって受け入れるよりもそういうなんつーのかな。
細かなこうやっぱり目を持っていてこれはダメこれはダメって言ってる自分のがね。
なんかそれこそかっこいい感じがするんだけど。
それとこれとはねあまり関係ないっていうかね。
その感性みたいなものは失われないんですよ。
ただそれを否定するのではなくてね。
なんていうのかな。
まさにその自分が持っている感性として使えばいいだけでね。
そこを余計にその鏡の法則で不自由にする必要はないということですね。
だからこれによってそのいわゆるアイデンティティが失われたりとかそういうことは一切ないんでね。
ただこの鏡の法則が返ってくるっていう。
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そこはいろんな弊害があるんで僕はやめてみたんですよね。
そして悪いことはなかったですね。
特にこのものづくりをやる上で本当に自由になったなって気がします。
これはなんかそのいい意味でのね自由ね。
何をやってもいいんだみたいなそんな感じではなくて。
僕には制限がないと。
ある種のそうかなこういう表現をしたいと思えば自由自在にできるし。
今までとはまるで違うこの真逆のね。
もっと全然違う表現にトライしたいなと思う時も何の躊躇もなくできるっていうね。
このなんていうのかなこの自由さっていうのを取り戻した感じがしますね。
でここからこのね無数の鏡の反射みたいなのが僕らはその生きながらね暮らしながら生活しながら。
自分の周りに作っていくわけですよ。
例えばね今あげた例を全部やったとして。
まあ私は全部やってたからこういう例をあげられるんだけどね。
人に嫌われるのが怖いとかね。
それから自分が遅刻できなくなるとかね。
それから怒りをいつもぶつけてるから自分をいつも守らなきゃいけないとかね。
ああはなりたくないよねと言った分だけ自分の自由が奪われていくとかっていう。
こういう反射を周りにいっぱい作っていくわけね。
そうすると当然ですがこれが領域展開のようなね。
この私の心を反映した世界に変わっていくんですね。
変わっていくっていうか立ち上がっていくって感じね。
そういう世界。
遅刻をするのが許されない世界。
ああはしてはいけない世界っていうのが組み合わさっていってね。
これがまさに僕が住む世界の領域展開になっていくんですよ。
これがそっくりなんですよね。
その反映している。
だから私のこの術式というのが人を嫌うとかね。
やたらと人に怒りをぶつけるとかね。
遅刻に厳しいみたいな。
遅刻には厳しくなかったんですけどね。
これは例なんだけどもこういうたまたまそういうことが全部積み重なったら
この私がいつも心で描いている世界がそのままブワッと自分の周りにまさに出来上がりますよね。
すごくやっぱりこの術解線の領域展開に似てるなと思うんですよね。
だからこの自分の周りに何かギスギスした世界があるなっていうね。
こんな感じが例えばしたら鏡の法則とそれによって出来上がったこの領域展開を疑ってみるっていうことなんですよね。
チェックするのにとても便利なんですよ。
ああそっかこれやってからこの世界が今自分の周りに出来上がってるんだなとかね。
そんな感じでこれを使ってみるんですよ。
そしてこの鏡の法則をね。
自分の欲しいものを手に入れるために使うっていう。
だから鏡の法則っていうのは決して悪いものではなくてね。
さっき言ったようにこれ一つ意識のなせる技なんですよ。
だからこのうまく使えば本当にこの返ってくるものがね。
自分の欲しいものであればいいわけ。
27:00
ああはなりたくないなっていうと何が返ってくるかっていうと
お前もああはするなよっていう厳しい制限が返ってくるんだけど。
ここを自分の欲しいものにしてしまえばどんどん欲しいものが手に入るっていうね。
ものすごく便利で素晴らしいこの法則なんですよね。
そして私たちは何を欲しがっているか。
これは個別にそれぞれ違うんだけど。
この番組でお話ししたように僕は共通のものが一つだけある気がするんですよね。
それがやっぱり誰かに愛されること。
まあもちろんいやそんなのいらねえよっていう人もいなくはないと思います。
僕も若い頃これを聞いたら別に俺誰からも愛されなくていいからさって思ってました。
言ってました。そういう歌詞の歌も作ってました。
なんか気にしないって歌なんですけどね。
誰が何に伝って自分のことをどう思ったって俺は気にしないんだみたいな歌をね。
これ結構ラストにやってた私の一つのクライマックスの曲だったんだけどね。
その通りに返してましたね。
全然いらねえよって。
でもこの先に何が待ってるかっていうと私の場合はですよ。
すいません間違ってましたっていうここにやっぱり行き着くんですよね。
いやもう本当あのね口ではそんなことないよ歌も作りましたけどやっぱり私は愛されることを欲していますっていうね。
まあ要は僕が例えば音楽をやってる時に一番求めていたのは有名になることでした。
そしてお金を稼ぐことね。
これは実は前にねこの番組でお話したように愛されることの象徴なんですよね。
これを一対一でストレートにこう言いたくないんでね。
僕らはその結果として俺にファンがいっぱいできてる愛されてるってことじゃん。
だからそいつらが俺に金を持ってきて俺は金持ちになったんだよねみたいな。
こんな風にね受け取りたいんですよね。
まあだから今でも今では正直にねすいませんでした。
私はこの愛されることを望んでますと素直に言えるんですけどもね。
しかもこの愛というのは言葉がちょっとあんまりふさわしくはないんだけど
僕の中でサブセットみたいな概念かな。
愛にはサブセットのようなものがあってね。
そこにはねまたこの愛されることと並んでね無数の僕らが求めるものが含まれている感じがするのね。
要は愛から派生するものは何みたいなことを想像するとその言葉が浮かぶんですよ。
例えば平安安心ね。
愛から派生するものって何?どんなことをイメージする?平安安心。
またここがねひねくれてると愛、裏切りとかね憎しみとかになるんだけど。
まあそういうね僕の若い頃のようなそのなんつうかなちょっとその穿った見方はちょっと置いといて
まあ素直にこの愛という言葉から派生するものは何?ってね。
まあこういうことがまたねあの若い頃は歌のネタになってたりもするんだけどそこは置いときましょう。
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そうじゃなくてもう素直にまっすぐね。
愛から派生するものは何?平安安心。
あと信頼。
それから僕は興味もね愛のサブセット。
これは攻撃のないコミュニケーションでも書きましたね。
愛がなければ興味は湧かない。
ただ関心。
それから優しさ寛容みたいなものがここに含まれますよね。
それから癒し。
それから助け。
それから僕がよく言うギフトね。
与えるというやつかな。
この辺りが全部この愛というところに含まれてるんですよね。
だからこの愛されることっていう欲しいものが手に入ったっていうことはこの今言ったようなそこのサブセットもセットで全部サブセットですからね。
福袋のようにその中に入ってるんですよね。
で僕らはそれを得ようとしてこの反対のものを放っていたっていうことに気づく。
これが重要なんですよ。
愛の反対は何かって言ったらこれは恐れや不安だと僕は思ってるのね。
これは攻撃のないんじゃないや。
グッドバイブスご機嫌の仕事。
緑の本で書きましたね。
後書きに書いた。
愛の反対は恐れや不安。
じゃあ恐れや不安にはどんなサブセットが含まれてるか。
まさに恐れや不安が入っていて。
疑念不信興味なし関心なし厳しい痛み犠牲略奪みたいなねこの辺が入ってるんですよ。
でこれを僕らは実はですねその鏡の法則を知らずにねこの愛されるっていうことをこれを得るために実は使っているんですよね。
まあ要は例えばこの愛されるために僕らがやることの一つが評価されたいって願うことなんですよね。
評価されるということを通して今私は上司から認められている。
つまり上司から愛されているっていうこういう感じでこの時に評価されないとすぐ起こるじゃないですか。
攻撃攻撃もここに入ってますね。
恐れや不安の中にねこの攻撃というサブセットを繰り出すわけね。
そうしといてなんで評価されないんだとかねなんでちゃんと認めてくれないんだ。
まあこれ上司だけじゃないですよね。
特に家族とかでもありますよね。
だからでもそのなぜそこをね攻撃したくなるのかなぜそこで起こりたくなるのかって言ったらやっぱり愛されたいからなんですよね。
だからここを間違ってしまういつもね。
欲しいものと反対のサブセットを放ってしまう。
そうすると鏡さっきの鏡の法則が働いて得られるものがその欲しいものと反対側のつまり自分が放ったものが返ってくるんですよね。
まあでもこの話をするといやいやちょっと待てとそうじゃないんじゃないかと。
私がそのそういうねその愛の反対側を放つというかそれ以前にその相手とか周りの世界がそうなんだから。
それにそれに僕はこうしてそっちを放たないわけにはいかないんじゃないかってねこういうふうに思うかもしれないよね。
33:01
ここここでまさに鏡の法則と領域展開の話を思い出してほしいんですね。
いやいやいや向こうがそうだからこっちはそれこっちをこれを返すしかないじゃんって僕ら思ってるんだけど。
いやこれもしかして順番逆だったのかもしれないなって可能性があるってことですよね。
だからきっかけは確かに外にあったかもしれない。
僕がその恐れや不安のサブセットを放ってしまうねきっかけ。
でもそれに反応してこれに反応してそれを放っていては望まない望まない世界ができてしまうんですよ。
だからなるほどとこういう時は反対側を放てばいいのかっていうね反転させるんですよ。
これも領域展開でありますよね。
相手が作って反転させていくみたいなね。
なるほどなるほど。
向こうが攻撃してきたから私も当然攻撃を返さなきゃいけないと思っていたんだけども。
そうするとその心を反映した攻撃という望まない世界ができてしまうんだと。
これは逆を放つんだなっていうね。
そうするともう結論は一つですよね。
愛されることを欲しているんだったら愛せばいいってことになるわけね。
これも当然だけどこれね私の若い頃と会話してると思うと面白いですよね。
そんなことできるわけねえじゃんって僕は多分言うと思いますね。
ここで前回の話を思い出していただきたいんですよね。
これ多分僕はこの不責として前回この話をしたんじゃないかって今ね。
全くあの時はそう思ってなかったんだけど今思うとそうかな。
これはそうではなくてやりたくないんだってことですよね。
そんなことできるわけないじゃんって言ったらいやそんなことやりたくねえよって言ってるんですよね。
つまりここは今日はあまり詳しく話しませんけど前回の通りなんでね。
なんでやりたくないんだって理由を見つければいいんですよね。
つまりやっぱりこの愛のサブセットであるこの与えるってやつね。
これでこれを使って愛を与えれば本当に欲しかったものが与えられるってことです。
これは北風と太陽の話が本当にこれをうまく表現してくれてるんですよね。
あの時の目的は旅人のコートを脱がせるっていうことね。
これが今回で言うと愛されることですね。
誰かに愛されること。
誰かというよりも実は僕らはあらゆる人に愛されることを望んでいるんだけどもこれがコートを脱がせる。
これに対して北風がやってることがそれと反対側のことを放ってるんですよね。
そうすると僕らはコートをグッと渡すものか。
僕が攻撃をしていれば相手は渡すものかってなるじゃないですか当然。
愛など渡すものかっていうね。
でもそれが欲しい欲しいってどんどん怒ったり攻撃したりするわけね。
そうじゃなくて太陽戦略なんですよ。
36:03
まさにポカポカとした領域を作るってことなんですよ心の中からね。
心がポカポカとしていればポカポカとした領域展開がバッとこの僕の前に立ち現れてくるのね。
そうすると旅人はコートを脱いでくれる。
私がこの愛してますと言ってね。
どんな時でも愛せばいいと。
そっか愛を与えればいいんだって言って心の中にね。
愛という領域をブワンと作るとそれが世界にふわっと広がっていって
相手をその私の愛という世界の中に包み込むんですよね。
そうすると当然だけどもこの領域展開は最終の技なのでね。
向こうはもう愛せずにはいられないっていうね。
こんな単純ではないんですけどね。
ここにはもっともっとその過去のしがらみをどうするのかとかね。
それまでのやり取りの中でその人と私がどんな人間関係を結んでたかとかっていうことによって
一瞬でこの領域の展開の中に巻き込んだらすべてが解決するっていうことはない。
すごく時間がかかったりします。
下手すると5年ぐらいかかることがあります。
でもその間作り続けていればね。
その人といる間僕がその愛の領域展開をずっと作り続けているとすれば
これも私はいろんな人にいろんな場面で何度も何度も試したんですけどね。
ほぼほぼ失敗なく時間さえそこで焦らなければね。
1年2年3年かかってもいいよと思ってやっていれば
必ずこれはうまくいく。
鏡の法則が働いているからなんですね。
そのぐらいやっぱりこの鏡の法則とそしてこの愛という領域展開がものすごい強烈だってことです。
そしてこれは攻撃のないコミュニケーションにも書いたんだけど
必ずしもその人との人間関係が急に良好になることはないんだけど
少なくともこの会話において僕が攻撃を放ってその鏡の法則が発生する。
そして当然向こうも攻撃を返してくる。
そして僕は向こうが攻撃しようとしないと自分が攻撃をするから攻撃されるだろうなという不安を抱き
防御をガチガチに固めるっていうね。
こういうことをしなくて済む。
これは一瞬にしてその場で多分得られますね。
そして多くの場合根本的には変わらなくてもその会話の間だけ僕がその領域展開で相手を包み込んだら
それを包み込まないよりはかなりいい感じでお話はできると思いますね。
少なくともそこで攻撃の応種になることはないからね。
だからこうして考えるとこれもこの番組でお話しましたけど
目的と手段が文脈が同じでないとうまくいかないってことなんですよね。
つまり愛してほしいな、俺を愛されたいなっていうこれがゴールね。
その手段はこのゴールと同じ文脈でなきゃダメだってことですね。
39:00
平和でいたいなと平安でいたいなって思ってるんだとしたらその手段も平安なものでないといけないわけです。
実現できないんですね。
ここがずれてるっていうのが多分僕らがやってきたことなんだろうなと思う。
平安を栄養として攻撃するのはナンセンスですよね。
でも僕らはこの自分の身を守るつまり平安っていうねこれを栄養として攻撃を使うんですよね。
そしてさっき言ったように愛されるっていうことを栄養としてなぜか怒りをぶつけてしまうんですよね。
これはナンセンスだってことです。
ここに引き付けるのがその鏡の法則と領域展開。
そんな感じです。
今日はやっぱ超えたな。
ちょっと前向きが長かったなと思ったんですよね。
今時計見たんですけど40分か。
でもこのぐらいならいいかな。
早速3回目にしてやっぱ超えましたね。
超えるってか別に制限してないんだけど。
Qの話はちょっととてもしたかったってね。
そんなものを抑えてまで35分に収めるっていうのも本末転倒なんでね。
ここも鏡の法則領域展開ですよね。
私がやっぱりこの40分50分が長いと思って話してるとこの番組に長いなっていう領域が展開されるんでね。
ここは安心してたまには長くなっても大丈夫だよねっていうこの感じでいったほうがいいのかもしれないですね。
こんな風に気付けるわけですよ。
今自分がねそっか40分ギチギチそして50分とか超えると聞いてもらえないんじゃないかという領域を作り出してる中で喋っている。
だからこんな風に考えてしまうっていうね。
やめたやめたと文脈が一緒じゃなきゃダメだと。
安心して聞ける番組は安心して喋んなきゃダメなんだなっていうこんな感じですね。
そして今週はねエフタさんとのイベントが2つありましてね。
これ両方とも実はお勧めなんですけどね。
28日が2人でやって今回第5期になるのかな。
もう続いてますね。
おかげさまでとても好評でね。
あの満足度も恐らく高いんじゃないかなと。
そしてあの懇親会と相談会っていうのがね計合わせて3回か4回ぐらいあるんですよ。
今回緊急でも1回やりましたからね。
ズームで相談会みたいにやるんだけどこれがねすごくいい感じになってきて。
創作全般だけじゃなくてね。
なんか結構こう人生にも及ぶというものづくりっていうのはね生きるということとね等しいのでね。
普段どういう風に生きているかっていうのがそのままやっぱり作品に反映されますからここは切り離せないんですよね。
これも全くさっきのねあの文脈の話と一緒でね。
普段の生活と作品というこの文脈はねどうしてもやっぱり一致してしまう。
だから安心して物を書きたいんであればね安心して暮らすっていうこれがとても重要なんですよ。
まさにさっきのこのポッドキャストの話と同じでね。
42:02
そういう話があのこの相談会の中でねすごくこう深く話せるようなねそんな環境になってきまして。
だから当然だけども赤入れ私ビシビシと赤入れをします。
それとともにねこのものづくりをするためのマインドセットみたいなねここに貢献できるようなそんなプログラムに育っていますんで。
これが28日から始まります。
ぜひお申し込みくださいね。
特になんかブログとかその2センチぐらいの文章を書いている方ねとてもおすすめです。
そしてえっと29日翌ですね29日これは渋谷でですね年末に特番でやった座談会なんですけどねトークライブ。
これ今ビデオをねその年末のやつは販売してるんですが2時間ちょっとねやったんだけど質疑応答も40分ぐらいあったかな。
それを全部収録してありまして私はそのやり終わった後はなんかいまいちだったかなっていう感じの手応えだったんですね。
多分すごくこうもっとすごいものを期待してたっていうかねちょっとなんか期待の持ち方が高すぎたっていうかね。
でえっとちょっとこのビデオを売るっていうのが決まってたんだけど編集するのがねちょっとなかなか腰が重くてね。
まあでもそろそろって聞いてみたらですね自分で言うのもなんなんすけどね。
まあこれはエフタさんのおかげもあるんだけど2人のやり取りというかここで交わされた話の内容もまあ去ることながらこの流れも素晴らしいしとてもいいね。
まあこれを自分で神回とか言っちゃいけないんだけどねまだ1回目だからねえっとそのぐらいのクオリティにはなったかなって感じがしますね。
なんか偶然なんだけど僕もエフタさんも話す内容を決めずにその場でこう話していった。
そしてえっと質問はねこちらでコントロールできないえっと偶然の質問が4つ5つ続くんだけどその流れがね本当に素晴らしくてねとてもいいビデオに仕上がってるんでこちらもぜひお求めください。
でこのビデオをお求めいただくとこの29日のえっとトークライブがねえっと確か1100円ぐらい割引になるんですよ。
だから2回目聞くんだったら1回目も聞いとこうかなみたいなねえっとそんな感じで使っていただけるといいかなと思います。
でだからこの2回目ね第2回目これちょっとレギュラーでやろうと思ってまして月1でねこれを29日にやるんですよ。
これはクリエーションそして自分を発信するというねまさにこのいろんなことがえっとプロアマ問わずね世界に出せるようになったこのプラットフォームをねもっと改めてもう一度見直してね。
2023年の今僕らはもう2009年ぐらいからねこのプラットフォームあったんだけどこの14年ぐらい経った今何をやこれをどういうふうに使って何をすればいいんだっていうねこういう話になると思います。
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で当然だけどもさっき言ったものづくりのマインドセットの話も出てくるしなんかこのこれをね柱にね前からお話しているクリエイターズコミュニティを作りたいと思ってましてそれのまあ主たるイベントになっていくと思いますんでねこの29日良かったら青山学院のすぐ近くなんですよとてもいいカフェでね本当にまさにあとクリエイティブな場所だと思います。
この2つ良かったらぜひご検討ください。
では今日はですね鏡の法則をまずちょっと思い出して私が投げるとこれが帰ってくるっていうねこれは心の作用として帰ってくるってことです。
なんかよくそのバチが当たるみたいな捉え方がねあるんだけどそうではないんですよねこれ心の作用だから厄介なんですよ実際に何かが怒られなかったとしても僕は嫌われるんじゃないかなとかね攻撃されるんじゃないかなっていうそういう不安を抱くんでねだからこれをよくですねちょっと思い出して
あれなんか周りにギスギスした世界なんか俺はあんまり望んでいないなんか嫌な世界が自分の周りに見えるなぁと思ったら俺のこの鏡の法則が自分のクラゾノっていう領域展開を作り出してないからみたいな感じでねチェックしながら修正しながらいい1日をお過ごしくださいありがとうございます
46:43

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