私はこれ何度かチャレンジしたんだけど、教本を買ったりとかしてね、いつもできない、できないって言って途中で終わりで諦めていたんですね。
4,5回はやったかな、トライしたかな、これができるようになったらいいなっていうのでね。
この時ね、私は本当はやりたいのにできないと思ってたんですよ。
こういう時に使うってことね。
結果としてこれは今日の話を辿っていってね、このプロセスをまるごと辿ってできるようになって、そして本が出たんですけどね。
何年も、5,6年はこのできない状態にいましたね。
でも本当はやりたい、すごくやりたいと思っている、こういう時に使う。
この変換を使う場面1つは、本当はやりたいのにできないと思っている時。
それからこれはね、やりたい、やりたくないに関わらず、できないと困ることっていうのもあるんですよね。
これはおそらく主に仕事とかね、あと家の中でもありますよね。
これはもう私はね、山ほどありましてね。
例えばね、部屋の掃除、これはもうできないと言い張ってますけどね。
本当にできないんですよ。
気にならないっていうのもあるんですけどね。
あとそんなになんか散らかさない、汚さないっていうのもあるんだけどね。
散らかしはするのかな。でも汚しはしないんですよ。
だからなんかこう、部屋がすごくゴミ屋敷のようになっていくってそういうことはないよね。
ゴミを捨てたりはしないのでね。
でもなんかこの掃除というものは子供の頃からですね、本当に幼少の頃から僕はできないっていうものの中に入れていましたね。
だから小学校とか中学校で僕らの時代は自分たちでね、まだ掃除をしていたんですけどね。
今はどうなんですかね。やっぱりそういう学校もあるんですかね。
とにかく僕らは放課後は掃除というのがね、日課になっていたんですけど、
もういかにしてサボるかっていうことをね、そればかりを考えていましたね、この部屋の掃除。
それからさっき言った散らかすんですよ。
汚くはしないんだけどね、整理整頓というのがダメですね。
これはできない。これは未だにできてないんでしょうね、きっとね。
なぜかというとね、僕はね、なんかこうしまうのが嫌なんですよ。
いつも使うものは机の上に出しておきたいタイプなんですよね。
だから僕はその編集者時代とかね、オフィスで働いている時も僕の机の上はすごかったですね。
もう普通の人の机とは全く違うと。
なんか知らないけど1個だけものがものすごい溢れている机があるっていうのが私のデスクなんですよ。
嫌なんですよね。しまいたくないんですよね。
なんか引き出しの中とかも入れたくない。
それからもうすぐに読みたい本とかは机の上に直接こう置いて並べておかないと日が済まないみたいなところがあってね。
だからこうしまうということね、整理整頓。
これはできない。出しっぱなしにしたい。
あとそうだな、編集者時代同じくね、僕はこのパーティーの会話っていうのができなかったですね。
できないというふうに思ってましたね。
もともと人がたくさんいるところに行くのが苦手でね、人と話すのもあんまり好きではなかったんでね。
気の受けない仲間と話すのは全然いいんですけどね。
初対面の人と話をするっていうのが本当にできなくてね。
それで一応編集長みたいな名前を背負って出席するんで、
おとなしくしてるわけにはいかなくてね、話しかけられもするしね。
だからこれはよくね、今だから言うんですけど、かといって顔出さないわけにもいかないみたいなときは、
もう本当受付に名刺をポンと置いてね、会場をひと回りして、
それでビッフェがあったら寿司かなんかを三つぐらい取って、
それをパパパッとかけ込んでね、もうそのままスッと一周して帰ってくるみたいなね。
所要時間10分みたいなこともやってましたね。
これもできないと思ってましたね。
これが二つ目ですね。
要はできないと仕事とかね、家族との生活に結構支障をきたすもの、
私も掃除しろとか整理整頓しろとか怒られてますんでね。
よくね、怒られはしないんだけどね、言われてますからね。
この二つ、これが変換の使いどころですね。
できないのではなくやりたくないんだなっていうふうに変える場面。
もう一つあって、できないけどやらなくても全く困らないやつっていうのがありましたね。
これはもうできないまま放っておいていいっていうふうにしておきましょうね。
この今日のお話はね、何か自分のできないことをなくすみたいなね、
万能になるみたいな話では全くなくて、
さっき言ったね、やっぱりこのとても大きなニーズに従ってね、
やらないと困るんだよとかね、
本当はやりたいんだよっていう時に使いましょうっていうことですね。
だからもうこのできないことは人生にあっていいっていうのは当たり前のことでね、
この辺はしっかりと許しておくことは大事だと思います。
私で言うとバンジージャンプですよね。
例えばね、できないですよ。
はっきり言ってできないと思います。
でも全く困らないんでね。
こんなものには使わなくていいというね、そんな感じ。
で、こんな風にね、できないと思っていたことを、
これ実は俺はやりたくなかったんだなっていう風に捉えるとね、
この結構大きなね、ブレイクスルーが起こるんですよね。
要はそのできないって思ってる場合はもうお手上げですからね。
できないんだよっつって。
さっきのバンジージャンプで言うと、できないんだよってこれで終わりですもんね。
でもこれを、あ、違うんだと。
これできないんじゃなくてやりたくないんだなっていう風に捉え直すと、
ここで変換しておくとね、対処法があるっていうことに気が付くんですよ。
私はバンジージャンプはやりませんけどね。
このバンジージャンプですら本当にやらないと困るっていうことの場面になった時には、
いやいややりたくないんだよっていう風に捉えておくと対処法が分かるってことね。
できないはもうお手上げっていうこの2つの違い。
ここが大きいんですよね。
これね、いくつかのステップがあるんですけど、ちょっとたどってみようかな。
1、まずはさっき言った通りね、まず自分ができないと思っていることがありますと。
これが実は本当にやりたいんだよな、もしくはできないと困るんだよなっていう時に、
これはできないのではなく、やりたくないんだなっていう風に受け入れるわけですね。
これがステップ1です。
次に、第2だとしたらやりたくない理由がありますよね。
これを明かすための質問がね、何が怖いの?っていう質問。
もう1つは何が嫌なの?っていう質問なんですよ。
だからやりたくないんだよっていうね、ここを解き明かしたいんですね。
これを問いかけるとですね、最初はちょっとこのできないからやりたくないの変換がなかなかうまくいかずにね、
いやいやいや、やりたくないんじゃなくてできないっていうふうに固くなりになっている可能性もあります。
だからちょっとここをね、なんとかいやいやいや、そうじゃなくてやりたくないんだからさ、
いやいやいや、できないんだよみたいなこの攻め合いがね、心の中で起こるかもしれない。
でもこのできないままだと、さっき言ったようにお手上げ。
でもやりたくないに変換すると対象が分かると。
ここにね、可能性を見ながらね、分かった、じゃあ分かったと、やりたくないにしておいてやろうみたいなことで整理をして、
そこまで自分でね、分かった、やりたくないでいいよって言ったら即座にね、
何が怖い?何が嫌なの?何でやりたくないの?っていうこの質問をするわけですね。
で、そうするとすぐにね、多分答えは見えてくると思います。
失敗しそうな気がするとかね、例えばね、やってやったら失敗するじゃんみたいな。
それから、いやいや、たとえできたとしてもね、きっとね、絶対ダサくなるよとかね、
いいのができるわけないじゃんとかね、うまくできないよっていうこの感じね。
で、さらに言うと、そういう自分を見たくないんだよみたいなのもあるかもしれないね。
それから、もっと、もっとすごくシンプルに、いやだってめんどくさいじゃんっていうね、
僕の、例えば掃除とかはそうなのかもしれないね。
何が怖いの?何が嫌なの?の答えは、単純にめんどくさいからみたいなのもある。
それから、過去に苦い経験をしている可能性っていうのも結構大きいかもしれないね。
体育の授業で飛び箱が飛べなかったとかありますよね。
でこれはね、なんとね、これも私はこのやり方で克服しましてね、
今実は週に1回歯医者に通っているんですよね。
そこから僕の場合は高所というのがね、高いところっていうのがあって、
これがそのバンジージャンプできないって思ってるね、
このやりたくない理由なんですけどもね、
こういうものを見つけていくわけですね。
何が怖いの?何が嫌なの?っていうふうにね、
多分僕のさっきのインデザインのアプリDTPを覚えるのはね、
なんだろうなってこう今思い出すとね、やっぱめんどくさいだったかな、
単純にね。
それから失敗しそうな気がするっていうのもありましたね。
それからこのブサイクになりそうな感じがするっていうのもあって、
すんごい時間をかけてそのアプリをマスターしたのにね、
結局なんかその売ってるもののようなレイアウトができないんじゃないかみたいなね、
この恐れや不安っていうのかな、怖さっていうのがあったかもしれない。
これがステップ2ですね。
何が怖いの?何が嫌なの?ってやりたくない理由を探ってみる。
自分を知るということですね。
そして3番目。
その信念ができない自分を作り出していると知るということです。
つまり今挙げたような理由で僕はできないんだと信じている。
この信念が間違っていようと正しかろうとね、
この信念ができない自分を作り出していたんだなっていうことを知るってことですね。
これは以前この番組でね、ちらほらと私たちにはこの想像力っていうのがありますとね。
心で思い浮かべたものがまず心の中に象として現れ、
そして心が近く僕らの目や耳にね、
このように世界をこれと同じように世界を見るんだっていう指令を出して、
あたかも自分が心に抱いたまさに信念なんですけどね、
これと同じ現実を目の前にこう作ってしまうっていうね、
まあこれ作ってしまうじゃなくてこの作れるというこの素晴らしい能力でもあるんですけどもね、
これによって僕らは前に言ったそのテーマパークを楽しんだりね、
映画を楽しんだり、もしくは小説を読んでね、
おおっと感動したりする、これに使っている力でもあるんですが、
どちらにしても僕らの信念はこの自分が見る世界を作り出す。
これは当然ですけど自分にも適用されるんですね。
こういう嫌な理由、こういう怖い理由があって私はできないんだというこの信念を作り出す現実としてできない自分が現れる。
これを解きほぐす偏観でもあるんですね。
そうじゃなくてやりたくないんだっていうね。
要はこの今これが怖いからやりたくないというこれは心の中で抱いているものなので、
基本的にはこれは心象なんですね、心の像。
この心象が消えればできる自分が現れるかもしれないっていうね、これが救いであり希望になるということです。
これがステップ3ね、この信念ができない自分を作り出しているんだって知る。
ステップ4はじゃあもしね、これありえないかもしれないけども、
僕の中からこの恐れや不安、つまり何が怖い、何が嫌だって今挙げたような理由、
これが消えたらやってみたいかって問うわけですね。
そこでここでも葛藤が来ますね。
いやいやいやいや、その恐れや不安がないっていうことがありえないから、
そんな質問には答えられませんみたいなね、
そんな想定の質問には答えられないみたいなことを言い出すかもしれない。
いやいやいやいや、待て待て、これね、心象かもしれないのよってね。
心象というのは心の中にある像だから、これは現実には存在しないわけ。
だから気持ちはわかると。
音楽の時にお前の歌はお経だと言われた、そういうもんだって今信じてるよねと。
だからその信念が歌えない自分というのを今作り出しているかもしれないじゃないと。
だから本当のことを確かめるためにね、
この恐れや不安がなかったらやってみたいかって問うわけね。
つまり僕で言うと、歌がお経のようでなかったとしたら、
もう一回歌ってみたいかって問うわけですね。
僕はイエスと言うでしょ。
実際これ僕が小学校4年の時に、別の音楽の先生ね、
この先生が私をその音楽の世界に引き入れたね、
オーケストラをやってた先生なんだけど、
音楽の授業の時になぜかクラザの一人で歌ってみって言ったんですよね。
でまぁ僕がボソボソっと歌ってたらね、
いやいや、もっと歌えっからさ、自信持って歌ってみなよって言ってくれたんですね。
これがまさにこの恐れや不安がなければやってみたいかの問いに
僕にとっては近かったんでしょうね。
でちょっとなんかこの2年ぐらいのブランクはあったんだけど、
まぁじゃあちょっと本気で歌ってみるかって歌ったら、
放課後音楽室来いって言われて、
でお前あの音楽向いてるからオーケストラに入りなさいと言って誘われたんですよね。
この私のね、小学校4年生の時の経験を誘う問い。
これがステップ4ね。
もしこの恐れや不安がなければやってみたいかって問うわけですね。
そしたらあの時の私のようにうんって言う。
次そうするとステップ5。
じゃあ本当にひどい目に遭うか一度だけやってみようよって言うんですね。
失敗そうな気がする。多策になりそうな気がする。
不甲斐ない自分が現れそうな気がする。めんどくさい。
本当にそうなるか。本当にそんな目に遭うか。
一回だけやってみないって言うわけね。
このやってみないって言ってる奴はできないと思ってたことなんでね。
言われたらすごいんですけどね。
多分ここの5番目が一番最後のハードルが高いというかね。
最も葛藤が大きくなる場面なんですよね。
だからこの1,2,3,4,5と辿ってくることが重要なんだけど。
本当にひどい目に遭うか一度だけやってみるって問いかけてみて。
亀、亀。
でも面白いことにこの歩みののろい亀はね。
まさにうさぎと亀のお話どおりにね。
ちゃくちゃくとうまくなって上達していきますからね。
それはちょっと期待していていいと思います。
やりさえすればね。できさえすればなんとかなるんですよね。
これでできないと思っていたことをできるようになるっていうのは試してみてほしいんですね。
とにかくポイントはやりたくないというこの意思によって自分は動けなくなっていたんだっていうことに気づくことですね。
そして原因をしっかりと見つけてあげるってことね。
この原因の多くはおそらく過去に理由があるはずなんでやっぱり心象なんですよね。
この心象は当然僕らはそれが現実だと思っている間は現実なんでね。
こいつが消えたらできる自分が現れるっていうね。
この救いと希望みたいなものにかけるってことですね。
これは実はですね。
まったく同じやり方でやめたいのにやめられないことっていうのにも使えるんですよ。
これをさっきのやり方に沿ってね。
なぞっていけばこれ簡単で一発目が違うだけなんですね。
やめられないんじゃなくてやめたくないんだなっていうここで意思を確認するってことです。
やめられないと思ってたんだけどこれは僕はやめたくないんだなってここから始めるんですね。
そして2番目の質問がさっきは何が怖いの何が嫌なのだったんだけどそれをやらないとどんな不都合が起こるのみたいなことね。
それをやらないと何かまずいことがあるのっていうふうに書いていくわけね。
そうするとさっき言ったようなやめたくない理由っていうのを挙げてくれますわね。
自分がね。
ここに向き合っていくわけですよ。
その不都合がなかったらやめてもいいのかみたいな感じでね。
わかったじゃあ一回やめてみるっていう。
本当に不都合なかったでしょうっていうようなことに気づけばやめられるってことですね。
だからこのどちらもねできないをやりたくないに変えるやめられないをやめたくないに変えることによって決して外的な要因によってね。
僕らはそのようにされていたのではなくてまさに自分の意思や信念が自分という現実を作り出しているっていうことに気づくってことですね。
これが僕らの世界を広げてくれる変えてくれるとても重要なメソッドになるわけです。
でここでねなるほどその本当のことはわからないってところにやっぱりたどり着くんですよ。
ここも大切なポイントなんですよね。
僕らはやっぱり自分はこれができないんだってこの信念を持つとそれがあたかも現実のように感じられるのでね。
自分とはこれができないものだっていうことを信じてしまうんですよね。
だから自分とはどんな存在で何をするのが幸せなのか本当のことはわからない。