ジャジュンワークイベントの盛り上がり
グッドバイブス ミッドナイト楽座 by 倉座のけいぞう
こんばんは、ただいま7月31日月曜日の午前3時9分ですね。 昨日はジャジュンワークをやってきましたね。
南大沢というリアル会場がね、遠い場所だったにも関わらず、なんと過去最多のリアルの参加いただきまして、結構盛り上がりましたね。
盛り上がりはしないんだけど、いい感じでやりましたね。私の隣に座られた女性がですね、雑誌なのかな?
校閲の仕事をね、やられていて、それでゲラを出してですね、4色のゲラ、多分あれはもう色紅だと思うんですけど、そこに赤入れをされていまして、
その方の風貌というのがね、私が編集長をやってた頃にいた女性スタッフっていうのかな?女性の編集者にちょっと似てましてね、
それでその私の左横に座ってらっしゃったんですけども、そのスタッフも私の左横にね、座っていて、でなおかつ私はその時ですね、この昨日はほぼ1日中、その書き上げ塾の塾生で2年かけてね、ようやく1冊書き上げてくださった方の最後の書行というかな、原稿を1冊書き上げたその原稿に赤を入れていたんですね。
だから私も構成をしていて、その方も講演をされていてね、しかも机の上にゲラがあるというこの光景がですね、なんかこうデジャブのように懐かしいなと思ってね、この南王座の部屋がまさにこの編集部になったような感じで、他の参加されている方もですね、みんなこう雑誌か何か作っている仲間のような感じで楽しめたんですけどもね。
今回はほんとはかどったっていうね、そういうご意見が多かったですね。その方もいつもは家でね、お家で仕事をされているらしいんですが、ここに来て、なんとね、最後まで終わらせてですね、納品用の封筒というか大きな茶葡萄に入れてね、あのコンビニからその場で南王座のコンビニからもう送付してましたね。
そういうなんかこうフィニッシュしている瞬間みたいなところを見るのもね、ちょっと嬉しい一コマでもあったりします。
それから初めて参加された方がですね、そのブログを書きますという感じで、最初に宣言されて、あの何をやるかというのをね、ズームのチャットにこう投げていくんですけども、
お、ブログ書くんだこの人っていう感じで見ていたら、1時間弱ぐらいかな、その時に書き終わりましたっていうね、宣言がやってきまして、
で、後で伺ったら、どうももうずいぶん長いことね、その執筆というかブログの執筆から遠ざかっていて、これを再開したいという思いで今回参加してくださったらしいんですね。
それで見事ね、久々のブログの記事が一つ書けましたという、そんなご意見もありましたね。
まあとにかくなかなか楽しい、いつも楽しいんですけどね、ジャージュワークは。
私もめちゃくちゃ仕事はかどりましてね、どのぐらいかな、2、3章ぐらい進んだかな、その本能ですね。
その方もちょっとお待たせしていてすいません、急いでやりますんで、早く出したいですね。
そして終わった後はですね、南大沢にアウトレットパークというのがあるんですが、三井アウトレットパークね、その中にある自然食品のバイキングかな、これに行きましてね、みんなで。
最初目当てのもう一つね、定食とかお寿司の美味しい居酒屋っていうのがあるんですが、そこはちょっと貸し切りでね、仕方なく第二候補というところでそこのバイキングに行って、90分という制限があったんですけどもね、美味しくそこで自然食をいただいて、みんなで楽しく談笑して帰ったという、そんな感じですね。
イライラとは
で、今日はですね、ワントレとかグッドバイブスファクトリーとかね、そういうところでちらほらとこのイライラという言葉が私の目に入りましてね、これも何か偶然なんですけども、複数の方がね、たまたまイライラするというこれを何とかしたいみたいなことをお話しいただいたり、投稿いただいたりしたんでね、ちょっと今日はこの非常にシンプルなテーマなんですけど、
イライラこれをね、どうやって手放すかっていうね、まあイライラが手放せるのかっていう話もあるんだけど、これはね、いけますね、割とそんなにこのグッドバイブスの取り組みの中では難しい方ではないから、まあでも人にもよるのかもしれないんですけどもね、イライラは何とかなるなという感じがするので、ちょっと今日はこれをまとめてね、イライラを取り去る方法というのでお話ししたいと思います。
要はこのイライラというのは、まあちょっとその立ちが悪いというかね、この怒りまでいかない、何というかモヤモヤした感じで、割とこのグッドバイブスのね、私の提案する様々なメソッドをね、実践していただくと、割と日々平安に暮らせるようにはなるんですが、そうなるとですね、余計にこの平安でないちょっとしたイライラみたいなのがね、こう目立ってくるんですね。
だから普段こう、いつも怒ってばかりいるようにそういう風に暮らしていたらね、こんな小さなイライラぐらい多分気にならないんでしょうけども、いかんせんね、この良いことであるはずなんだけども、平安であるが故にね、この小さなイライラが気になるというのはね、これはなんか私もよくわかるんですよ。
非常にこういうものがね、クッと刺さるようになるというかね、刺さるというか気づけるようになるっていう意味で、悪くはないんですけどもね、じゃあこのちょっとしたノイズのようなイライラ、これをどうするかっていうのはね、ある種その平安の取り組みをやればやるほど、実はここがね、新たななんていうのかな、ハードルとして立ちはだかるみたいな、そんな感覚でもありますね。
で、これをまあちょっと踏み戻っていくことが大切で、そもそもイライラするってどんな感覚だろうということなんですね。ここにまあちょっと切り込んでいく。
なんか漠然としてますからね、何回イライラする、何回イライラする、この正体がわからないと、やっぱりこの心のね、中のことっていうのはこの手の付けようがないので、そもそもイライラってなんだってところから始まるわけですね。
で、おそらく私もいろんな言葉をね、この探してみたんですけどもね、この数年間、最近はもうこれ一つでいいかなと思ってるんだけど、要は最もシンプルに表すなら、何かが気に入らないという感覚ですよね。こういう心であるはずなんですよ。
だからまずイライラしてると思ったら、何かが気に入らないんだなっていうふうにね、この言葉に変えるだけでも随分とわかりやすくなります。
で、さらに行きます。じゃあ気に入らないってなんだってことなんですよね。
こういう時はですね、直近で気に入らないって感じた出来事を一つ思い出してみるんですね。
これはリアルに、漠然とこの気に入らないっていうね、これをもう少し具体的にするために、どんな最近気に入らない出来事があったかなというふうに思い出してみるわけです。
まあ今まさにね、イライラしてるんであれば、何か一つぐらいあるはずなんですよ。
これをですね、ちょっと変わった実験なんですが、その登場人物を差し替えてみるっていうね、こういうちょっと実験をやってみるわけです。
例えば最近私でいうとですね、コンビニで最近はですね、フォーク並びしますよね。
要は一列に並んでおいて、先頭の人から空いてるレジに行くってやつですね。
昔はそのレジごとに列ができていたんだけど、最近はどうもね、そこがかなり整備されてフォーク並びをするところが多くなっていますよね。
そうすると、このそういうフォーク並びの列が棚に隠れて見えないっていうケースがあるんですよ。
そういう時にその外からね、パパワッと走って、何か商品パーンと取ってね、レジに駆けつけるみたいな人がそこを見落としてしまうっていう。
これは並んでる人からすると、列が長かったりすると完全な割り込みになるので、そういう人を遠目に見てイラッとしたりするわけですよね。
イライラの取り去り方法
これ気に入らないわけですよ。
この割り込んだ人、これをですね、目撃した割り込んだ人物を別の人に変えてみるわけです。
僕の場合はどのぐらいだったかな、50代ぐらいの、私よりちょい下ぐらいのね、おじさんでしたね。
つまり私もおじさんってことなんですけど、おじさんだったんで、ちょっとイラッとした。
これがね、例えば5歳の子供だったらどうかとかね、それからこれも人によっていろいろ違うでしょうけども、かなりご高齢のね、老人の方だったらどうかとかね、おじいちゃんおばあちゃんですね。
あるいはもう知ってる人、親友とか恋人だったらどうかとかね、それからこれも人によっていろいろあるでしょうけど、
めちゃくちゃ美人とかめちゃくちゃイケメンだったらどうかっていうね、もちろん自分の好みのですよ。
それからまさに自分の好みで言うと、大好きな芸能人だったらどうかっていうね。
僕で言うならですね、もうちょっとなくなってしまったんですけどね、それがそのプロレスラーのね、アントニオ猪木さんとかだったらどうかなっていう、そういう感じ。
そうするとですね、例えば僕だったら猪木さんだったら絶対にイラッとしませんね。
おー猪木だって言ってこう見るだけ。
猪木さんちょっとフォーク並びしてるんですけどとか、多分一瞬も思わないはずですよね。
あとまあ5歳の子供、これもイラつかないかな。
このご高齢の老人というのはちょっとその人のタイプによるかもしれないんですけど、これもそんなにああっていう感じでね、まあだ、そっかそっかっていうね。
ちょっとこういうルールにあまりお慣れではないのかなという、そんな余裕はありそうな感じがするね。
そして親友とか恋人だったらおいおいって言うかもしれないんだけど、気に入らないとは思わない。
こっち並んでよみたいなことで呼んであげるのかな。
美人イケメンどうでしょうね。まあ僕の場合は美人になるんだけど、すっげーなって思う人だったらそちらの方に気を取られてね。
芸能人とかも同じかもしれません。まあ芸能人もね、人によっては芸能人だから逆にもっとムカつくみたいなあるかもしれませんけどね。
要はこれ何をしているかというと、えっとこれバラつきがあっていいわけですよ。この人OKとかね、この人さらに気づいとかね。
この人だと全く大丈夫みたいなのが、このバラつきがあるということが大事なんですね。
そうすると一つわかるのは、このフォーク並びを無視して、空いてるレジに直行したというこの行動自体に僕らはイラついているんではないってことがわかりますね。
これが気に入らないんじゃないんだという、そういうことがわかる。
一見このマナー違反をね、見逃してはいけないみたいなこの正義のように感じることもあるかもしれないんだけども、
人によってそのね、感覚が異なるとしたら、この正義が由来でしまうとしたらね、多分そういうことではないんですよね。
このように、こんな実験を通してですね、自分の心を観察してみると、気に入らないと思うためにはね、3つの条件が必須だというふうにわかるんですよ。
要はこれは行動自体にイラついてるんではなくてね、これからお話しするこの3つの条件が揃った時に、僕らは気に入らない、そしてイライラするというね、ここに入っていくと。
最初からいくとですね、3つの条件というか3ステップですね。3つのステップ。
最初はこの人の言動が私を攻撃しているという感覚を抱くということね。
攻撃と感じる感覚の起こり方
これが一番目のステップです。
つまり、さっきのフォーク並びの列を無視して、空いてるレジに直行したそのお客さんを見て、僕はこいつに攻撃されているという感覚を抱いてるんですね。
これもこんなふうに紐解いていかないとね、いやそれが攻撃みたいな感じでね、ちょっと戸惑うかもしれないんだけど、これは確実に攻撃なんですよね。
もうちょっとこの攻撃をわかりやすく言うと、要はこの人によって何かが失われる、私のね、それから私が何かの犠牲になるという、こういう感覚なんですね。つまり攻撃なんですよ。
だからレジで言うとですね、待ち時間が数秒長くなる、時間を失われる、そして立っている時間も長くなる、体力、そこが犠牲になるみたいな感じね。
もしくは正義を重んじている人は、この私の正義が失われるみたいに感じるのかもしれません。
要はこれが最初のステップね。この人の言動が私を攻撃しているという感覚。
そうすると2番目が発動されます。これは罪だという最低ですね。
裁きです。そうですね、私を攻撃して、そして私から何かを奪っているわけですから、これは完全に罪なんですね。ここに裁きが入るわけです。
僕はもう裁いてるんだよね。こいつは悪者だ。これを相手に分からせたいという欲求ね、この2つが2番ですね。
これは罪だという最低と、それを相手に分からせたいという欲求。
これは以前この番組でもお話ししましたが、要はもっとストレートに言うと、相手に罪悪感を持たせたいという欲求ですね。
言い換えるならば、罰として相手の行動を変えたいという欲求かもしれません。
この辺も人によってそのグラデーションはあるでしょうけども、要は2番が発動するんですよ。
という感覚を持つと、これは罪だ、こいつに罪悪感を持たせたい、できれば罰としてその行動を変えさせたいという、こういうのが2番目に起こる。
そして最後の3ステップ、3番目は、その期待に反して相手は罪悪感を持たなかったという経験をすることですね。
要は言動だけは変えたかもしれないけどもね、なんか僕が言ったかなんかして、全く反省しているようには見えない。
もしくは言動も変えてくれない。
もしくは僕が何も言えずに黙っているので、相手に罪悪感を持たせることもできなかったという、この3番目、これが気に入らないんですね、おそらくね。
1、2ときてこの3番目なんですよ、多分。
もちろんその1番目の行動が、この人の言動が私を攻撃しているという感覚自体でも、ちょっと不快な感覚はあると思うんですけども、それだけじゃないんですね。
それだけだと多分気に入らない、イライラするというところまでいかないんですよ。
そうじゃなくて、2、3ときて、こいつ罪悪感持たなかったじゃんとか、全く言動も変えなかったじゃんっていうのが、おそらく僕らの気に入らない、そしてイライラするというところの、最後のこの3番目が大きい原因、要因になっているんじゃないかなと思います。
これをこういったたどっていくと、なんで先ほどのその実験で登場人物が変わるとイライラとも同じように変わってしまうかのこの謎も解けますね。
要はポイントは1番目にあるんですよ。
これは要は人によって、なぜか攻撃されているという感じに濃淡があるということなんですね。
だから5歳の子供だと私は攻撃されている感じがしないんですね。
もしくはそういうマナーにまだ慣れていない、その高齢の老人の方とかもイライラしないわけです。
で、アントニオヒノキさんだったら僕は大好きなので、もうその人が何をしようと僕は攻撃されている感じはしないわけね。
だからよくヒノキが行くぞってビンタするやつあったじゃないですか。
攻撃と感じる理由に関する考察
あれを喜んでやられるということは、ビンタは攻撃じゃないですか普通はね。
それでもアントニオヒノキさんにされるビンタは僕は攻撃と捉えないということなんですよ。
されたことはないんですけどもね。
やって欲しいなと思っていたことはもうずっと長い間ありました。
これが僕らの感覚なんですね。
つまりこれはですね、僕らの中にその同じことをしてもこの人から攻撃されているという感覚を持つ人とそうでない人がいるということでもありますね。
ここまで来るとちょっと受け入れがたいと思いますが、その攻撃されているという一番の感覚、これは自分で作り出しているということがわかりますわね。
ここが最大のポイントなんですね。
そして早めに言っておきますけども、ここで2つの選択肢が現れます。
今ちょっとうんって思ったとしたらね、特にこの2つの選択肢はとても大事なポイントなので抑えておきましょう。
ここからの話はですね、前提として選択肢A、このイライラを手放したい、これから先もできればイライラのない人生を送りたいと望む方向けの話なんですね。
B、いやとてもじゃないけど、この攻撃されている感覚を自分で作っているという話は受け入れられないよと。
だって僕は間違いなくね、この人から攻撃されてますから。
そんな捉え方をするくらいなら、もう私はイライラする方がマシだと思いますとね。
このように感じているんであればね、これからお話しする話は多分、おそらくやってもうまくいかないし、このAとBはですね、どちらも僕は悪くないと思っています。
あくまでこれはAを前提にしている。
だからこのBのね、いやいやいや攻撃されている感覚は自分で作っている、これはダメですよっていう、これは認められないという状態であれば、この捉えをするのはやめとく方がいいと思いますね。
これは全然その嫌味とか意地悪じゃなくて、そうじゃないとうまくいかないからなんですね。
なぜこの話をするか。
イライラ手放したいからっていうね、これに対するそのお答えなのでね。
いやいやいやいや、もうそれだったらイライラする方がマシですっていうんであれば、僕はそれで全然構わないと思います。
なのでですね、ちょっと全部聞いていただきたいんですけどもね、みなさんAを選んだという前提でいきましょう。
イライラするのは嫌ですからね。
で、Aを選んだという前提で、じゃあどうすればいいかに捉えしていくんですが、つまりこのね、1番の、そうか、攻撃されているという感覚から全部始まるんだなとね。
でもこのね、2番、3番に進んでいくと、ここでね、攻撃されているというこの感覚を持ったまま、この2番のね、こいつは罪だっていうこの見方を変えるとかね、
こいつに罪悪感を持たせたいというこの感覚をね、変えるとかね、この欲求をこの手放すとかっていうのは難しいわけですね。
そして3番のその人がどうなった、相手がどうなったかは、もう僕らの期待通りには絶対にならないのでね、3番は結果を見るだけなんで、手を当てるその余地がないわけですね。
そうすると、僕らが手を当てられる余地は1番か2番ということになるわけ。
これは攻撃されているというこの感覚か、もしくはそれを罪だとさばいてね、そして罪悪感を持たせたい、行動を変えるという罰を与えたいというね、この1番か2番しかそのないわけですね。
そして2番はかなり難しい、ハードルが高い。だから1番目が1番、その手をつけるにはね、いいポイントなんですね。
だからイラッとするたびにですね、これは攻撃なのかっていうことを呪文する習慣をつけてみてください。
で、攻撃という言葉がピンとこなければね、もっと具体的に先ほど言ったように、これによって私は何を失っているっていう呪文でもいいですね。これを必ず問うようにする。
で、これをやるとですね、まず僕の地雷というのがわかるんですね。
これはさっき言ったように、この攻撃されている感覚は自分で作り出していて、攻撃されている感覚を持つ人とそうでない人がいるということは、ある人がこういうことをすると攻撃されているみたいなね、壺があるはずなんですよ。
人もあるだろうし、そしてその人の言動ね、どういう言動だと自分は攻撃されている感じを強く持つのか、これを僕は地雷っていうふうに呼んでいるわけね。
僕が作り出しているんだから、僕の中にあるわけです。そしてこれは万人に共通していないはずだから、だから私の地雷なんですね。
これを探ることができるんですね。これは攻撃なのか、これによって私は何を失っているっていうね、その答えがおそらく私の地雷だったり壺だったりするわけですね。
だから要は、僕は何を損失と捉えがちなのか、損失と捉えがちなのか、これを知るということ、これを知るための質問が、これは攻撃なのか、これによって私は何を失っているっていうね、この2つの問いなんですね。どちらでもいいと思います。
先によくある地雷というかな、壺をお話ししておくと、僕はたぶん3つあるだろうなと思います。これは同じ人間なので、そして同じこの日本で生きているとですね、大体この損失というかな、壺、地雷みたいなのはある程度共通していくんですけどもね、3つあると思います。
1つは時間と労力ですね。時間と労力を失うというね、これが自分に対して攻撃に移るという感じ。まさにさっきのレジの割り込みのパターンですね。これがこれに1番のこの時間と労力に当たると思いますね。そして2番目がですね、期待している効果が薄れること。
これは例えば映画を見に行ったときに携帯の音が鳴るとかっていうね、映画での雑音ですね。これはせっかく映画を楽しもうと思ってたのに、それで気が散るんじゃないかっていうこの感覚。そしてそれから例えばセミナーでスライドが見にくいとかね、前の人の頭が邪魔してホワイトボードが見えないとかね、これも期待している効果が薄れることですよね。
それから例えばサウナに行ったんだけど、なんか大声で騒いでる人がいると。せっかくここで落ち着いて、くつろごうと思ってたのにね、リラックスしようと思ってたのに、まさにそういう効果が薄れる。これが2番目ですね。そして3番目、正しさが壊されることですね。これはもうちょっと具体的に言うと、自分の周りの秩序が崩壊することなのかもしれないね。安全が失われると言ってもいいかもしれません。
この3つがおそらくね、僕らがこれは攻撃なのか、これは何を失っているのかっていうこの自問したときに出てくる答えだと思いますね。これが時代損失なんですね。1番が時間と労力。2番が期待している効果が薄れること。もしくは期待している効果が得られないことまでいくこともありますね。あるいは3番目、正しさが壊されること。
イライラを手放すための対策
ポイントはですね、僕らはこういうものに遭遇すると、もう一瞬で攻撃と感じる習慣をつけているということ。これに気づくのが大切なんですね。これも無条件で攻撃だよっていうインストールがされてるんですね。反応インストール、反応センサーみたいなものがもうインストールされてて、時間と労力、うわ、攻撃。期待していることが薄れる。あ、攻撃。正しさが壊された。あ、攻撃みたいな感じで。
もう考える暇もなく一瞬で攻撃と受け取るというね。だからここで一度冷静になって、これは本当に私に対する攻撃なのかっていうふうに見直してみるわけですね。ここはですね、この問いは3段階ありまして、だんだん何というのかな、難度が高くなっていくというか受け入れがたくなっていくんだけども、後ろの方に行けば行くほど僕はね、効果絶大だと思っています。
最初の1段階目が何かあった時ね、時間と労力とか効果薄れるじゃんとか、正しさ壊れるぞと思った時に、これは私に対する本当に攻撃なのかっていうこの問いが一つ目ね。全く同じなんだけども、もっと突っ込んで。これは攻撃と見る以外に他の見方はないのかっていうね、この検討。これはちょっと進んでるんですね、一歩ね。
さらにもう一歩進んで、さらに突っ込んで、私はこれによって被害を受けるような存在なのかっていうね、この問いまで行けたら、もう多分ですね、ほとんどのことは攻撃と見なくて済むようになるんですけどもね。
まあでも、ここがそのように見られるか見られないかがこの取り組みのポイントなのでね、いきなりやっぱり、いやこれは私に対する攻撃なのかってこの問いだけでね、攻撃じゃないなって思えるかって言うとなかなか難しい。
最初のうちはですね、いやもう攻撃に違いないっていう答えしか返ってこないかもしれないんですが、ここでこの3段階にトライしてみてください。他の見方はないのかっていうことですね。
これはさっき言ったように、僕らはこれをね、もう瞬間、瞬時に攻撃と判断するという、もう習慣というか反応を身につけてしまっているのでね、反射神経のような感じ。だからこの問いを立てたことが多分ないと思うんですね。これを攻撃と見る以外に他の見方はないのかっていうね。だから結構インパクトがあるんです。
そしてさらにね、もう一個進んで、この番組でよく本来の自分は傷つかないとかね、一つ、世界と一つである私は、その宇宙の死んだ万象と同じ強さを持っているっていう、このようなお話をしてるんだけども、ここを思い出すという意味でこれが一番ハードルが高いんですが、でもここが多分ですね、おそらく最も真理というかな現実に近い回答だと思うんですね。
回答というか問いかな。さらに突っ込んで、私はこれによって被害を受けるような存在なのかっていうね、面白いことに、その攻撃と見なしたいという欲求が僕らの中にある。これがまあ習慣の正体なんですけどもね。要は自分の身を守るために、見たもの聞いたものの中で少しでもそのさっきのツボとか地雷に引っかかるやつは攻撃と見なしておきたいというね、またこれもちょっと厄介な願望があるんですね。
で、このような願望を持っているとしたら、さっきの問い、これによって被害を受けるような存在なのかはもう即答でイエスですよ。だからそのね、できるだけ多くのことを攻撃と見なしておきたいというこのね、まあ願望とさっきの問いのね、これによって被害を受けるような私はそういう存在なのかの答えは多分一致するんですよ。
もし攻撃と見なしたいという願望が強ければ強いほど、はい、私は攻撃を受けるような存在です。当然ですっていうふうに答え、ここがセットになるんですね。でも今日のトライはイライラを手放す、イライラしない人生を送る。なのでね、最初にこれは本当に攻撃なのかに対してこの可能性を問いかけてみるのはとても重要なんですね。そもそもこれで被害を受けるような存在なのか僕はっていうね。
で、さらにもやもやここでもやっぱりもやもやする。どうしても攻撃としか思えないっていうんであれば、この番組でもね、よくお話しする本当のことはわからないを思い出してください。一番の時間と労力ね、その時間と労力をここに費やすことが本当に無駄なのかね。これは本当のことはわからないと思いますね。さっきの0時の話もそうですよ。
そこで数秒待つ、数分待つ、それが本当に無駄なのかここはわからないんですね。
例えばそれによってね、僕が本来左から2番目のレジに行くはずだったものが、左から3番目のレジにずれてしまったと。そしたらその3番目のレジのね、スタッフの方はとても愛想が良くて、とても私が気持ちよくなるような笑顔を私にね、最後送ってくれましたと。
ここでなんかね、おー気持ちいいなーと思ったと。そしてなんかね、どんぐらい待ったのかなーとこう見直してみるとね、30秒ぐらいだったと。おー30秒とこの笑顔、どっちが良いの?とかってね、本当のことはわからない。それからもっと言うと、これによって僕はね、コンビニの外に出る時間というのが数十秒ずれてるわけですね。それが私にね、その日の人生にどんな影響をもたらすか、これも本当のことはわからないわけです。
こういうことがね、多々あるので、その場その場でもう10秒何か無駄になったからね、ちょっとこの1歩2歩3歩歩く労力が無駄になったみたいなことをね、その場で即決で攻撃と見出していいのかどうかもわからないというね、この辺りを思い出すことですね。
それから例えば2番ね、効果が薄れる。映画、サウナ、セミナーね。これはね、そもそもこれを攻撃と見てイライラすることこそ、この期待した効果を失うことにならないかっていうね、これも本当のことはわからないの仲間なんですけどね、因果関係ですよね。
やばい、これだと何か満喫できない、これだとちゃんと学べないって、この判断が私をね、それを攻撃にこう見させて、そしてイライラしながらやきむきしながらね、その場を過ごす、このことがどんな結果をもたらすんだろうってことですね。
だとしたら、こんなものは攻撃と見ずに集中しようという選択もできなくはないわけですね。
まあ、映画の場合だったらですよ、その席からものすごく遠く離れたとこで携帯の音がピロピロピロって鳴っているのをね、これを攻撃と見るという、これこそがこの映画を楽しもうという効果をね、失うことにならないかみたいなことを考えてみるわけですね。
それから3番目のその正しさに反する、正しさが壊れる、これなんかですね、多分だけども相当な、僕らは頭の中でね、攻撃の絵図を作り出しているというか、被害損失みたいなものをね、頭で作り出している感じがするんですね。
その自分の正しさに反する人がね、そこにいることが本当に私の被害なのかって、これはとても大切な問いだと思いますね。
例えばよくあるんですけども、SNSとかでね、自分と異なる意見を言う人がいるとね、イライラしますよね。気に入らないと思いますよね。
よくそこでね、振り返ってみる。本当にこれが攻撃か、これによって僕は何が困るっていうね、ここを突き詰めていくと、多分本当は困ることは何もないはずなんですよね。
他の見方の探求
それを気に入らないと思わないと、どんな被害があるのかってことですよね。
こんなようにして、本当のことはわからないとかね、これが本当に攻撃なのか、私はこれによって被害を受けるような存在なのか、他の見方はないのかみたいなことをね、この時にこの一番に対してぶつけてみるわけですよね。
そしてここでもし明らかに実害とか問題があるっていう、そういうケースもあるでしょう。
この場合、さっきのレジの場合は微妙だと思うんですけどもね、僕は実害ないなと思うんだけど、いやいや、この1分待たされることが僕にとっては本当に実害なんだと思うんだったら、これを攻撃と見ないで修正が必要な出来事と捉えるということね。
これ攻撃と見てしまったら、必ず2、3といってイライラ、気に入らないの世界に入っていきますから、でもこれが実害とか問題であれば解決可能な場合が結構多いわけですね。
だとしたらこれは修正が必要な出来事なんですよ、攻撃ではなくてね、淡々とリクエストしたりお願いしたりすればいいわけです。
すいません、こちらに並んでますよーって一言声をかければいいわけですね。
相手が気づいて、ああって元に戻ったら、これで問題は解決された、修正ができたなと捉えて、もうここで終わりですね。
何の攻撃でもない、実際攻撃を受けてませんからね。
私がその一言、こちらですよっていう風に声をかけてますが、この声を発することが何かの損失とか被害であるはずがないのでね、こんなものは失ったとか攻撃されたとか思わずに修正できて良かったなと言って、良かったなもいらないですよね。
修正できました、はい終わりですよ。
このようにね、本当に実害や問題があると思うんだったら攻撃と見ずに修正するということですね。
淡々とリクエストしたりお願いしたりすることになるんでしょう。
もう一つですね、どうにもならないことってのもありますよね。
その修正もできないようなこと、この場合もそれを攻撃と見るのをやめてね、淡々とその対処に切り替えるってことですね。
これはもうよくあるパターンで言えば電車が遅れたってやつですね。
でも僕らはね、この電車が遅れたとかね、それからあと野外ライブが雨で中止になるみたいなやつね、これは実害っちゃ実害。
でもこの電車に遅れたわね、この時間ですから、本当にそれが無駄なこと、それが何かの被害なのか本当のことは分からないんだけども、要はこれどうにもならないことなんですよ。
でもこういうものも僕らは攻撃と見てしまうんですね。
そしてさっきの2つ目のステップ、誰かに罪悪感を持たせようとしてしまうんですよ。電車が遅れたってやつでもね。
攻撃の修正と終了
だからこの何もできない駅員さんにね、よく食ってかかってるっていうそういう場面を目撃しますよね。
これは攻撃と見て電車が遅れたということをね、攻撃と見て、そして私はかなりのものを失ったと感じ、そして誰かにこの罪悪感を抱かせたいというこの願望を持ったわけですね。
この欲求を持ったわけです。2番に入ったってことね。
そして何もできない駅員さんに食ってかかると。
でもその3番のね、その状況を変えるということ、電車が時間通りに来るということは実現できないし、この駅員さんにしてもね、僕らが期待するような罪悪感を持つかどうかも分からない。
そしてイライラする、気に入らないという感覚に入っていくわけですね。
だからどうにもならないことだと分かったら、もうその瞬間に攻撃と見るのをやめるということです。
これはですね、グッドバイブスのメソッドで放出を起きたかっていうのがあるんでね、これを使ってみてください。
要は放出を起きたかっていうのは、これは私に何か被害とか損失をもたらすとは限らないということをここで宣言しているわけですね。
だから放出を起きたかと言えるわけです。
もしそこが確定していたら間近になるんですね。
だからもうどうにもならないことは放出を起きたかで受けて、とにかく攻撃と見るのをやめればいいということですね。
これは実際に攻撃でないと私は思います。
だから最初の問いがね、とても大切なんですね。
イラッとしたり気に入らないと思った瞬間に、これは攻撃なのかっていう呪文をする、この習慣をつけておくっていうことですね。
僕らはその反対の習慣がついてますから、これは攻撃だって反射的にもう感じてしまうこの習慣がついてるんで、
イラッとしたらその即座にこれは攻撃なのかっていう呪文をするということ。
攻撃とは思いたい願望
もっと具体的にこれによって私は何を失っているっていうふうに問いかけてもいいですね。
そうすると先ほど話したように、大抵は何も失っていないし、おそらく攻撃ではないということに気づけます。
そういう意味では最初の実験も役に立ちますよね。
登場人物変えると攻撃に見えないということは、そもそもその言動自体は多分攻撃ではないんですね。
僕らがそれを攻撃と判断してる、見なしている、そのように思いたいという一つの願望みたいなこと、ここも起用してるでしょうね、大きくね。
だからこれを冷静に見ると、実は攻撃ではないということがわかるケースの方が多いということですね。
そしてもし実害があるのであれば、これを攻撃と見ずに修正が必要な出来事と捉えて、淡々とリクエストする、お願いをするということですね。
そしてどうにもならないことは、もうそれすらやることも何もないので、
もう一瞬で攻撃と見るのをやめて淡々と対処に切り替えるということ。
電車が遅れた、そうなんだ、オース起きたか、どう対処するというね、こういうふうに気持ちを持っていくということですね。
こうやってじっくり見ていくとですね、このイライラとか気に入らないみたいなものをね、実はもっと簡単な方法があるというかな、このイライラを手放す方法があるということがわかります。
一応ですね、慣れるまではやっぱりこの攻撃か、みたいなことを問う方がいいと思うんですけども、もっともっと単純にすることもできるんです。
要は今見てきたようにですね、イライラの原因というのは、攻撃された、私は攻撃されたという感覚とね、それに対して、だから攻撃で一死報いたいという、この欲求から生まれているんだということがわかりますよね。
そして多くの場合、この攻撃で一死報いたいという、この欲求が果たされないことによって、なんか気持ち悪いわけです。
つまり、イライラしたくなければね、もうこの攻撃っていうのと、それから攻撃的な考えっていうのかな、攻撃されたとか攻撃したいというね、こういう考えを手放せばいいだけなんですよ。
だから私は、その攻撃と攻撃的な考えを自分の人生から一切手放すことをいつもお勧めしているわけですね。
これがイライラをなくす最も簡単な方法だと思います。
これによってイライラがなくなるとしたらね、もう十分な報酬なんじゃないかなと、メリットなんじゃないかなと思います。
最後にね、そうは言っても、これがさっきの二つの選択のうち、どうしてもそのイライラを手放すというのが選べないというかね、
自分が攻撃されたという感覚を作り出しているというのは納得できないという、ここにもつながっているんだけども、
要はですね、僕らがこちらが攻撃を手放してしまうと、その世の中の不正義とかね、この悪、こういうものを野放しにするんじゃないかっていうね、そういう意見がありますよね。
意見というかそういう感じがするんじゃないかなと思うんだけども、僕はこれは大きな誤解だと思っています。
なぜならば、さっきの3つのステップを見ればわかるんですよね。
要は、イライラしている時に僕らが望んでいるのは問題の解決じゃないってことなんですよ。
決してこの不正義とかね、悪を正そうというね、そういう問題を解決しようとしてるんじゃないんですよ。
例えばですね、さっきの最初のコンビニのフォーク並びの例に戻ると、ここで、すいません、こちらに並んでるんですけどって私が言った時に、
え、そうなの?つって、すんごい不機嫌な顔してね、なんかこう、ダヤーみたいな感じで後ろについたらどうなるかってこれを考えてみればいい。
これは割り込みされるという問題は、もう彼が後ろに並んだんだから完璧に解決してるんですよ。
でもおそらく僕の心は晴れないんですね。
えー、なんだよその態度は?っていう、こういう風になるわけ。
これはまあ、よくあることなんですけども、よくあることなんだけど、よく考えてみるとおかしいわけね。
問題は解決してるんですよ。割り込みは回避されたわけだからね。
でもなんで、じゃあそれで、え、そうなの?って言われたら僕の心は晴れないか。
これが要は2番なんですね。
もっと僕は罪悪感を持って欲しいという欲求をここで持つんですよ。
だからこのステップ2に行った時ね、えっと相手の言動を罪と見て、罪の罪だとさばいて、
そしてこいつに罪悪感を持たせたいと、そしてこの行動を変えるというね、言動を変えるという罰を与えたいというね、
これここまで、2番まで行ってしまうとですね、たとえその言動を変えたとしても、
いやいや、もっと罪悪感を持てよっていうこの欲求が消えないんですよ。
だから僕の気は晴れないということね。
つまり僕はここで問題解決をしたいんじゃないんですよ。
そうではなくて、この割り込んだ相手にもっと罪悪感を持たせたいというね、
これが多分このイライラ、そして私が攻撃で一死報いたいという欲求の正体なんですね。
だからこの攻撃を手放すと、世の中の不正義や悪を野放しにするという、
ここには多分いかないんですよね。
これは逆なんじゃないかと思いますね。
問題解決への集中
そのイライラするから、気に入らないと思うから、そして罪悪感を持たせたいと思うから、
余計に問題は解決されないまま残り続けるということの方が多いんじゃないかと思います。
そういうケースの方が多いんじゃないかなと思います。
多分僕らはこういうときいつもギャフンと言わせる空想を描くんですよ、頭にね。
その通りになることはほぼ100%ないということね。
そしてそもそもギャフンってどうなれば実現するのかみたいなことを考えてみるとわかりますね。
頭の中ではギャフンと言わせたいと思うんだけど、ギャフンって何が起こればギャフンなんだっていうね。
とてもじゃないけども相当な力の差がない限り、他の人をギャフンと言わせることは無理だし、
そもそもさっきも言いましたけど、ギャフンって何だ?どうなるとギャフンなんだ?
これは本当空想なんですよね。
だから多分この話は世直しとかね、あるいはその悪を正すとかね、そういうこととは関係ないんじゃないかなと思います。
だからまあ安心してっていうのも変ですけどもね、安心して攻撃を手放していいんじゃないかなと思います。
その方がですね、攻撃と見ない方が多分僕らは淡々と、そしてその場に応じて最善の形で問題の修正というかな、そういうものに当たれるんじゃないかなと思います。
そしてそれをやっている時は多分僕らはイライラもしないし、その結果がどうなったとしても多分それほど気に入らないなとは思わないはずです。
なぜならば僕は淡々とその修正に向けて動いたのでね、その結果何かね、その結果が変わらなかったとしても、
僕はそこで罪悪感を持たせたいとかね、いやもっと罰を与えたかったのにみたいな悔しさは多分抱かずに済みますからね。
おそらくそのように思っている時よりはさらっとね、ああ、まあしゃあないなって思えるんじゃないかなと、そんな風に思います。
まあぜひやってみてください。
一番ポイントはイラッとした、そして気に入らないと思った時に、これは本当に私に対する攻撃なのかっていうことをね、冷静に見直してみるというこの習慣をつけることですね。
私は今何を失っている?何か失っているかな?何かの犠牲になっているのかな?本当にそうかっていうことを問い直してみるということ。
これだけでずいぶんと、まあ100%ではないにしても、そうですね、私の感覚から言うと8割ぐらいは減らせるんじゃないかなという、そんな手応えはありますね。
よかったらやってみてください。
で、今週末はですね、以前もお伝えしましたが、今ここのボイストレーニングというイベントをやります。
これもね、毎回満席ですぐに埋まってしまうので、矢部聖子さんの提案でね、2回いけるよっていうね、月に2回やればいいじゃんみたいなことをですね、
彼女は前向きにね、提案してくれて、私もその口車に乗ってですね、じゃあやってみようかって言ってこの2回解散にしたんですけどもね、
これが埋まらないと、なんで2回にしたんだよみたいなことになりますんでね。
で、場合によってはですね、今日こんな話を淡々と冷静にしたにも関わらずね、
集まりが悪かったら、あの矢部聖子さんの2回にしようというあの提案が俺を攻撃した。
それによって俺は何か多大なものを失ったみたいなことを僕が思ってですね、
矢部聖子さんに罪悪感を抱かせようみたいなことでイライラする可能性もなくはないので、
この数ヶ月かな、参加しようと思っていたんだけどすぐ満席になってたみたいな感じでね、
あのPTXをご覧になっていた方はですね、
まだ今週も空いてますんでね、今週末空いてますんで、
よかったらご参加ください。
あの好きな曲をですね、エントリーしていただくと、
申し込みの時にね、あのアンケートみたいな感じでやりたい曲を入れられますんで、
そうすると矢部聖子さんがですね、そのご本人とキーをね、
相談した上でピアノの伴奏をつけてくれてですね、
好きな曲でこのボイストレーニングの課題に取り組めますのでね、
まあ単純にまあいろいろあるんですけどね、
良いことは単純にちょっと歌ってみたいという方は1曲選んでいただいて、
この来週、今週か、今週末のボイストレーニングぜひお越しください。
よろしくお願いします。
じゃあ今日はですね、なんかイラッとしたり、
それから気に入らないなっていう出来事に遭遇したらですね、
もう何度も言いましたけども、
これは本当に私に対する攻撃なのかっていうね、この問いを立ててみて、
そしてそうではない見方があるんじゃないかみたいな可能性も考えてね、
そしてできれば私はこれで攻撃される被害を受けるような存在なのか、
というぐらいの問いまで立ててみて、
イライラせずに良い一日をお過ごしください。
ありがとうございます。