1. グッドバイブス ミッドナイト楽座
  2. 153 心を戦場に変えないように..

今日は、あらためて「平安」とは何か、どうすればそれを保てるのかについて話しています。最大のポイントは「心を戦場に変えない」ことにあります。番組でお知らせした第九期 書き上げ塾の詳細はこちら→ https://goodvibes.work/kakiage/

サマリー

彼は「平安」とは、平和で安心な心の状態を指すと言っています。そして、その状態を保つためには、自分の心から恐れや不安を排除し、愛を抱くことが重要だそうです。また、外部の状況と関係なく、心の洗浄と修正力を発揮することで、いつでも心を平安に保つことができると説明しています。過去の経験が怖さを生み出し、攻撃をすることで恐怖が生まれることを忘れずに、平安を保つためのトライをすることが重要だと言っています。過去の経験を無意識に持ち込まずに、相手や出来事と向き合う勇気を持つことが必要であり、攻撃をすれば必ず恐怖が訪れることを認識することで敵意を持たずにいられるそうです。彼は、戦場を作っていることに気づき、修正力で安全な場所に戻って留まる力を鍛えることで心を平安に保つ方法について話しています。このエピソードでは、気づき力と修正力と留める力を磨くことで、いつでも心を平安に保つ方法を紹介しています。

目次

平安の定義と守り方
グッドバイブス ミッドナイト楽座 by 倉園佳三
こんばんは、ただいま8月4日金曜日の午前2時40分です。
今日はですね、この番組でおそらく最も多く私がね、発しているキーワードというか、その一つの平安というね、これについてお話ししたいなと思っています。
そもそもね、平安とは何か、そしてこれをね、保つにはどうすればいいかっていう、そんなお話をね、できればなと、今日平安に来ましたのでね、今日は平安デイということで、平安についてお話しします。
まずですね、この平安とは何か、これもあんまりこの番組でね、平安とはこういうことだよ、みたいなことをね、お話ししてこなかったような気がするんだけど、
まあね、読んで字のごとくなのでね、それほどその説明を必要とするような言葉ではない感じもしているんですが、
まあもうちょっとね、厳密に、このグッドバイブスの文脈における平安とは何か、
要はこれ、漢字、まずはね、漢字を見ると平と安ですから、おそらくこれは平和と安心なんじゃないかなというふうに僕は見ているわけですね。
安は安全もあるかなという感じがするんだけど、どちらかというとね、これは後でお話ししますが、心の話なので安心としておきましょうか。
平安とは平和で安心ということね。
まあ漢字からもこのような意味は読み取れると思います。
これをですね、ちなみに英語でこの訳すとどうなるかというと、この平和も安心もそして平安も全部ピースで言い表すことができるわけですね。
まあ安心になるとピースオブマインドみたいな言い方もしますね。
これはちなみにね、私のグッドバイブスの公式ウェブの一つのキャッチフレーズにも使っていますね。
ウェブの結構目立つところにfor peace of mindというふうに書いてあります。
まあこれは平安な心のためにというね、そんなメッセージなんですけどもね。
つまり平安とは平和安心そしてピースこのようなところを組み合わせてみるとね、私は戦場ではなく、戦場っていうのは戦場ですね、戦う場所ということ。
私は戦場ではなく安全な場所にいるという確信かなという、そんな感じがするんですね。
じゃあこの安全な場所と戦場、戦場と安全な場所、何が違っているか。
これはもう深く考えるまでもなくとてもシンプルですよね。
この一方のね、戦場の方はおそらく一人以上の攻撃や防御を必要とする敵がいますよね。
これを戦場と呼ぶ。
そして安全な場所というのはこの反対。
そういう攻撃や防御を必要とする敵がゼロであるということですね。
一人でもいれば多分戦場になります。
でもゼロだったら安全な場所になりますね。
これが僕はなんかね、この平安にぴったりな解釈じゃないかなと思ってるんですね。
これを自分がその場所にいるときにどう感じているかっていうふうに見ると、
この2つの違いはね、周りの人々に恐れや不安を抱いているか、
それとも愛しているか、この違いじゃないかっていうふうにね、
こんなふうに言い換えることもできるわけですね。
これが私にとっての平安の定義なんですね。
要は第一弾として、私は戦場ではなく安全な場所にいるというこの確信。
そしてそれはもう少し踏み込んでいくと、
私の周りに攻撃や防御を必要とする敵がいないということですね。
皆無であるということ。
そしてこれをですね、そこにいる私の心から表すならば、
言い換えるならば、周りの人々に恐れや不安ではなく愛を抱いていると。
これらがね、私にとってのこの平安なわけですね。
心の洗浄と修正力
ここでですね、ちょっとこの紛らわしいというかね、誤解しやすいポイントがあるんですが、
要はこれはですね、心の状態であって、自分の外にある状況ではないということなんですね。
要は、私の周りに例えば敵がいる、いないっていうのは、私の心がそう見なしているかどうかなんですね。
現実として私に敵がいるかどうかを言っているわけではないということ。
私がどのようにそれを見ているかというこの心の方を言っているわけですね。
だからこれはつまりですね、外の状況がどうであるかと、
心の平安、僕の心の平安というのは関係ないということでもあるわけですね。
もう少し具体的に、その自分の前に誰が現れて、どのような言動をしてもね、
例えばそのビジネスがうまくいかない時でも、それから何か大きな失敗をしてね、
それによって評価が下がったとしても、あるいはこの大切な人間関係が壊れたとしてもね、
私が平安にとどまるというこの意志を発揮しさえすればですね、
私の平安は失われることはないということを言っているわけですね。
周りの状況、外にある状況ではないということね、これが重要なポイントなんですね。
割とここがその誤解されやすいというか、
外が平安であるか、私の心が平安であるか、これは全く別物だということ。
ここをしっかりとね、押さえておきたいんですね。
というか、そもそもね、もしこの外の状況と私の心が完璧にリンクしているのであればね、
この平安を保つという話は、僕らは空を飛べるんだよって言っているのと同じぐらい無意味になりますからね、
このできないことを一生懸命解いているみたいな話になります。
だから多分私はこの意味でね、
グッドバイブスご機嫌な仕事、この緑の本で、
何と書いてあるかちょっとあんまり覚えてないんですけど、
たぶんグッドバイブス、つまりいい漢字ですね。
つまりこれは私にとっての心の平安なんだけども、
これは自給自足できるというふうに書いたんですね。
要はこれは外の状況によって、私の心の平安は失われることがないという、そういう意味です。
なぜそうなのかというとね、ここがとても大切なポイントなんだけども、
私はこの平安な心というのはね、僕らの一部だというふうに見ているわけです。
逆に言うと、僕らは平安そのものであると言ってもいいわけですね。
つまり、I have peace of mindではなくて、
I am peaceということですね。
私は平安そのものであるということ。
だからこの平安である自分はね、
外の状況がどうであっても平安を保てるということ。
これはですね、自分を別の何かに変えなければという、そういう条件がついているんですけどもね、
これが先ほどね、平安に留まるという意思を発揮しさえすればと言ったところと同じ意味なんですが、
この平安である自分は、私を別の何かに変えようというこの自分の意思ね、
これを発揮しなければ、外の状況がどうであってもI am peaceなわけだから平安を保てるという、
外部状況と心の平安
こういう認識なんですね。
だから外の状況と私の心が平安であるかどうかは関係ない。
なぜならば私はもともと平安そのものであるからです。
これが一応本来の自分ということなんですけどもね。
じゃあその別の何かに変えないというのはどういうことかっていうと、
これが心を洗浄にしなければいいという、そういう意味です。
具体的にはですね、僕の周りに日々現れる人ですね、
それから出来事、これを自分の敵と見なして、さっき言った攻撃や防御ですね、
それからもしくはその両方、攻撃と防御は基本的には両方同じことになるんですけどもね、
これを繰り出すのをやめればいいということ。
そうすれば心は洗浄にならないんですね。
私がこの心を洗浄に変えてしまうと、その瞬間に平安は失われていくと、当たり前のことですよね。
そしてこの洗浄というのは外にあるわけじゃなくて、私の心が洗浄になっているかどうかということですね。
これは繰り返しますけども、私が人や出来事を自分の敵と見なしてね、
攻撃や防御を繰り出そうとした瞬間に心は洗浄に変わるということね。
これは外の状況と関係ないんですね。私の心の中の話なんですよ。
だから敵を見なし、攻撃や防御、これを繰り出すのをやめればいいということですね。
もちろんここでそんなことできるのかっていう大きな疑問が浮かぶと思うんですが、
私もこの取り組みをもう10年以上続けていまして、基本的にはできるというふうに断言したいと思っています。
これはまず順番からいくと、なぜ敵と見なしたくなるのか、この人や出来事をね。
これはとてもシンプルにその対象が怖いからじゃないかと思うんですね。
でももし私の本質が平安であるとしたら、何かを怖いと見る必要はないんですね。
もしそこに何か問題があったとしても、それは修正可能な間違いか、
もしくは対処が必要なバグのようなもの、そのように見ることができるわけで。
この怖いという、まあ危険なものかな、危険なものと見るか、
それとも私が修正できる、私が対処できる、そういう問題と見るか、この分かれ目があるんですよね。
この分かれ目は面白いことに、この私に修正や対処ができるかっていうこの判断なんですよ。
ここがニワトリと卵というかね、クルクルクルクルループするんですけどもね。
私に、自分にね、その問題が修正対処できないと感じた瞬間に、僕はそれを怖いと見るということなんですね。
だから怖いと見なければ、それは自分に修正や対処ができる問題として扱えるということ、
ここに怖さを持ち込む必要がなくなるということね、ここが回っているところがややこしいんですよ。
そしてさらに回りますよ。さらに回るんだけど、面白いことに、この平安な自分であればそれができるんですね。
つまり修正もしくは対処、これができるということなんですよ。
だからこれは結論としてね、ニワトリと卵になってしまうので、怖いから始まるんですけども、
なるべくこの平安を保つトライをしながらね、自分の本質がまさに平安であるこのアイアムピースというのはね、
これを思い出すということがとても大切になってくるわけですね。
なるべくこれを思い出すようなトライを重ねながら、そうすると自然にこの対処できる、修正できるというこの認識がついていくのでね、
要は何が起こったとしても、私はこれに淡々と対処すればいいんだよね、修正すればいいんだよねっていうこの認識、この判断さえできるようになれば、
基本的に先ほどね、私が外の状況と関係ないという中でね、挙げた様々なこと、ミスしたり失敗したりとかね、
誰か、私の周りにいる人がね、何かおかしな言動をしたとか、そういうことを怖いと見る必要がなくなるということです。
これが第一段階ですね。
過去の経験と恐怖
なぜ敵と見出したくなるのか。
その対処が怖いから。
じゃあなぜ怖いと思うのか。
それは私に修正や対処ができないという判断によるわけですね。
でも平安な自分ならそれができるんですよ。
だからここくるくる回ってますね。
本当にぐるぐるぐるぐるループするんだけども、どこかでぷっとこのループから抜け出して、自分の本質が平安である、I am peace、これを思い出す。
ここがこのループから抜け出す、つまり怖い、相手を怖く怖いとね、対象を怖いと見ないための必須条件になってくるわけですね。
でもね、これは何度も繰り返せますが、ループしてるので、今の説明だけではね、とてもじゃないけどその怖いという感覚は解消しないと思うんですね。
これはもう本当、ある意味正しいと思います。
でもね、でも不可能ではないんですね。
で、私はこの平安を保つその第一段階、この怖いというね、この感覚、つまりこれは適当見なさないためのね、一つの方法なんだけども、ここにはね、二つやり方があると思ってます。
一つはですね、僕らがその対象を怖いと見る時の一番最大の要因っていうのかな、これは過去の経験ですね。
これはいつもお話ししているように、僕らはすでにいろんなね、その怖い目、痛い目に遭ってきているわけです。
で、当然この時、自分の本質が平安であるとかね、私は平安そのものであるとか、アイアムピースな自分というのは出てきてくれていないので、対象できなかった、修正できなかったというこの記憶が残っているわけですね。
これが怖いわけですよ。
これはですね、心象なんですけどもね、なぜかというと目の前にあることではなくて、その類似の記憶を見て僕らは怖がっているのでね、これはいつもお話ししているように、僕らがそのこれからね、今日からこのこの番組、今聞いてくださっているこの瞬間、ここから皆さんがね、出会うことは過去に起こったことと必ず何かが異なっているわけです。
完全に同じ出来事っていうのはこの世界ではね、二度と起こらないようになっているのね。
これは前にいつか、結構前にお話したんだけど、白い紙にね、フリーハンドで5本の線を書いてみればわかります。
そうすると全く同じ直線は1個も書けないということがわかります。
これは多分何百何千書いても同じだと思いますね。
書けば書くほど違う線がその自分の手から生まれてくる。
これが僕らが生きている世界の法則なんですね。
雲にしても波にしても風にしてもね、二度と同じことは繰り返されないと。
でも僕らはこの過去の記憶によってまるで同じことがまた繰り返されて、そして対処できなかった、修正できなかった、とても辛かったというこの記憶がね、同じように繰り返されるんじゃないかと思っているわけですね。
これが過去の経験。
僕らの恐怖を生んでいる多分最大の要因ですね。
実は目の前のことを見ているのではなくて、僕らはいつも過去を見ている。
どんな過去か、二度と出会いたくない過去を見ているということ。
だからこれは怖いに決まってますよね。
だからこの平安を保つトライをするのであればですね、やっぱりこの一番最初にできるだけこの過去の経験を白紙にして、まだ出会ってないものとしてね、これから何か人とか出来事に向き合うしかないんですね。
要は後ろではなくて目の前を凝視するということです。
これは当然ですけども少し勇気が必要になりますよね。
これはこの番組で何度もお伝えした私の敗者とかね、それから蛇はまだこの私はトライをしてませんね。
白紙にして蛇に出会うことはまだしていません。
だからこのようなね、私が言うとこの地雷とか弱点みたいなものが僕らの中に多々あるわけですよ。
これはですね、できるだけ白紙にして人や出来事に向き合うという、これが一つの方法ですね。
この怖さから逃れるというかな、怖さを解消するための一つの方法。
そして2つ目、これがですね、攻撃をすれば必ず恐怖は訪れるという事実を忘れないことです。
これも単純な仕組みなんですけどもね、僕が攻撃を繰り出しておいて、あるいはこれはね行動ではなくて攻撃的なことを考えるも実は同じなんですね。
こいつに何か一心報いたいなっていうこういう考えですね。
これをやっておいて相手からの反撃を恐れずにいられる人っていうのは多分いないはずです。
要はですね、もうこの瞬間僕が攻撃を繰り出すか、もしくは攻撃的なことを考えたこの瞬間に僕らの心の中でね、もうバトルが始まっているということですね。
喧嘩が始まっているということ、つまり戦いが始まっているってことなんですよ。
僕がゴングを鳴らしていると言ってもいいかもしれない。
これはビビりますよね。
かなりの実力差がない限り、このねバトル、喧嘩、争いの中で平安でいられる人はいません。
そしてこれは心の中でこの喧嘩が始まっているのでね、実際にそのさっき言った外の状況とは関係ないんですね。
私の心の中にもうバトルが始まっている。
だから怖いんです。
だからもう怖いなと感じた時点で、すでに私の心をね、もう僕が自分自身で戦場にしている可能性があるということ。
この時にね、一つ厄介なのは、僕らの中にですね、攻撃の中には正当なものと不当なものがあるというこういう信念があるんですよ。
いやいや、攻撃の中にはね、ちゃんとした理由があって、これは正当な攻撃だ、正当防衛とか言いますよね。
それと明らかに不当なものがあるというね、こういう信念。
でも今日のね、平安という文脈、平安を保つという文脈においては、
このあらゆる攻撃、不当であろうと正当であろうと、これは同じように恐れや不安をもたらすんですよ。
だからここにおいてはね、その正当か不当かみたいな区別は、攻撃に対する区別は全く意味がないということですね。
これはですね、落ち着いて考えればわかるんですが、正当か不当かを決めているのは誰かということですね。
もちろん本当のことを何も知らない自分であるはずです。
そのように受け入れてね、一切の攻撃を手放すということ。
これをやればですね、怖いという感覚からは僕は随分と逃れられると思いますね。
とにかく一つ目は過去の経験なんですよ。
これはイリュージョンなのでね、心象なのでないものと思って大丈夫です。
だけど少し勇気がいります。
もうすでに僕らの脳裏にね、びっしりと焼き付いているんで、
それがおそらく瞬時に体と体の反応になって現れるでしょうね。
これは特に対人関係が苦手という方に関してはね、
もうちょっと相手が声を荒げたり、それから不機嫌な表情をしたりね、
それから辛辣の言葉を投げかけたという、こういう言動、
それを目撃したり聞いたりした瞬間に、
おそらく反射神経というかね、反応のようにブワンとこの恐れが全身を包むでしょうね。
過去の経験を白紙にする
そしてその瞬間にこいつは敵だというふうに僕らは認識して、
心の中が戦場に変わるんですけどもね、
これをこの平安を保つというトライの中でクリアしたいなと、
ここもね、本当に意思ですよ。
そのように思うんであれば、これは過去にある記憶だよということを
しっかりと自分に教え込むということですね。
これは本当にね、教えるという表現がぴったりな気がしますね。
だからおそらく一度や二度のトライではそううまくいかないでしょう。
前にね、確かプールに入れない水を怖がる子供のように扱うみたいな話をしたと思うんですが、
それももしかしたら参考になるかもしれませんね。
とにかくですね、これを怖いと思っているのは過去の記憶なんだということを
何度も何度も自分に教えてあげるということ。
だからそうですね、ここは本当にゲーム感覚であえてね、
これ苦手なパターンだと思ったら試してみるということですね。
いや、今回は怖くないかもしれんよということを自分に言い聞かせながらね、
やっぱ怖かったねっていうのも全然あり。
私はちなみにね、以前番組でもお話しましたが、
これで歯医者の恐怖は克服できたんですね。
これは何歳からかな、もう5、6歳から続いた、
それこそ本当に55、6年間僕が抱え続けていた恐怖なんですよ。
かなり大きな恐怖ですね。
これを何とかしましたね。
何度も何度も失敗しながら、このグッドバイブスの本を書いて、
その後もね、4、5年かかって何とかしてここを白紙にできたっていう感じです。
しかもこの話はね、私にとっての歯医者もそうだったんですけども、
この平安を保つというこのテーマとは関係なく、
こういうものが人生から1つ、2つ消えてくれるととても楽になるのでね、
なんていうのかな、ちょっと自由を得たようなそんな感じになりますんでね、
僕もすごくいいなという感じがしましたね。
攻撃と恐怖
怖くないっていいことだなっていうね。
というのも繰り返しますけどもね、
僕らが怖がっているのは過去の経験なのでね、
これは心象イリュージョン。
だから本当は実際には怖くないことだったりするわけ。
ここをね、やっぱりこの条件反射のようにね、
もう体がビリッと反応してしまうというのが消えていくというのはね、
悪くないと思います。
なのでここは1つね、その気になったらいいと思うんですが、
過去の経験白紙にする。
そして少し勇気を持ってね、
いや怖くないかもしれんやんって言って自分に教えていくというそんな感じ。
で2番目が、攻撃をしたら必ず恐怖は落とされる。
ここはもう逃れられないのでね、
自分で最初にね、戦場にしていないかということをね、
なんで怖いか、それはもう自分が攻撃したからなんじゃないかということをね、
これをしっかりと観察しておくということですね。
このようにすれば順番からいくと怖いという感覚が薄れていくというかね、
なくなっていくがベストなんですけどもね、薄れていくでもいいと思います。
そうするとこの敵と見なさなくて済む。
そうすると攻撃や防御が必要になくなる。
そうすると、しつこいですけども、私の心を戦場にしないで済む。
そうすると私の本来、I am peaceというね、
気づき力の重要性
本来私は平安そのものであるというこの自分に戻れるということ。
そうすれば、なおさらなおさら自分の周りで起こっている望ましくない出来事だとか、
これはきついなと思う出来事が確実にこの修正可能な間違い、
もしくは対処が必要なバグ、このように見ることができる。
これは怖くないわけですね。
私は淡々と対処すればいい。
そして平安な自分であれば必ずそれができるというね、
ここはさっきのループが好循環に変わっていくわけですね。
そして最後にですね、このように平安というものを捉えて、
そしてこのような捉えをしていくとですね、
一つ大切なポイントに気づきますよね。
要は、だとしたら、僕は平安を守ろうとしてはいけないということです。
もしですね、僕が人や出来事に対してね、
今これによって俺の平安が脅かされているぞ、
何とかしないとまずいぞって感じたらどうなるかってことなんですね。
間違いなくその対象を僕は適当見出しますね。
そして攻撃か防御、もしくはその両方を繰り出したくなるでしょう。
この瞬間に僕の心は戦場と化してね、
安全な場所の条件であるこの恐れや不安がないというね、
つまり愛していますというこの心が完全に消え失せますよね。
だからこういうふうに自分の平安を守ろうとしたときね、
やばい、今平安が脅かされているというふうに感じたときは、
即座にですね、私がこの心を戦場に変えなければ、
ここは安全なままに保たれるというふうに自分に言い聞かせるということですね。
具体的には繰り返しますけども、
攻撃も防御もせずに愛で心を満たしておくということ。
この愛で心を満たすというのもね、
あまり難しく考えずにね、そんなことできるのかみたいなことをあまり考えずにですね、
先ほど恐れや不安がなければ僕らは愛そのものであるというお話をしたんだけどもね、
これは要はI am peaceと同じくI am loveということですね。
恐れや不安がなければ僕らは愛そのものであるということ、
これは私は平安そのものであると多分同義なんですね。
その自分であればこのどちらも兼ね備えているということ、
そのように思い出せばね、うまくいくと思います。
だから恐れや不安のない心を意識するだけでもいいと思いますね。
愛で心を満たすの反対、つまり恐れや不安のない心、
これを意識するだけでもいいかもしれません。
ちなみにですね、この愛で心を満たすについてはですね、
以前はよく鎌倉とかね、年に2度やるグッドバイブスザマヘの合宿、
それから攻撃のないコミュニケーションを出したときによくやってたコミュニケーショントレーニング、
コミートレってやつですね。
これでよくこのワークをやってたんですね。
とっても単純というかシンプルなワークなんだけども、
参加された方が2人1組になるんですね。
当然その多くの場合初対面なんですよ。
何度か顔を合わせたぐらいだけど喋ったことないぐらいの感じ、
もしくは本当にその日初めて会うという初対面の2人、これがペアになりましてね、
最初5分ずつそれぞれの自己紹介みたいなことや近況報告みたいなことを話し合うわけです。
当然だけどもちょっとギクシャクするんですよ。
嫌だな、こういうの苦手だなみたいな方も少なくない。
でも一応頑張って5分話してくださいと。
それをやってどうでしたかというような感想を伺うんですね。
そうするとやっぱりちょっと緊張しましたとか話しにくそうでした。
相手にも聞くわけですね。
あなたのパートナー、ペアの方はどんな感じでしたか。
少しやっぱりちょっと緊張されてましたかねみたいなそんな感想を聞いた後に、
もう一度同じことをやってもらうんです。
ただしその時聞く方も話す方もどちらも心の中で相手を愛していますという風な思いというかね、
それを抱いておいてくださいという5分ですから何とかそれを保ってくださいというような感じでお願いをするわけね。
これは一応皆さん本当に真剣にやってくださるんですよ。
僕も同時にどなたかね一人余った方とかと組んでやってるんですけども、
愛していますという風に念じながらですね、まさにこの念じるように話したり聞いたりするわけですね。
そうすると面白いことにね場の雰囲気がまず一瞬でグワンと変わるんですよ。
全員が相手のことを愛してますという風にね心にこの抱いているわけだから、
フワッとなりますよねやっぱね。
これはあの錯覚かもしれないんだけども僕は何度もこれをやっているんですけどもね、
やるたんびにこの愛してますが始まった瞬間にブワンとこの場のね、
何て言うんですかね、温度じゃないんだけど何かがこうフワッと温かくなったようなそんな感じがする。
そして面白いことにこの会場にその話し声がね響き渡りますわね。
例えばそうだな10組とかねそのぐらいの人数でやっているとしたらまさにこの20人分ぐらいの声がねガヤガヤガヤっと聞こえてくるわけですよ。
それぞれの会話は聞き取れずにこう一つの音のような感じでガヤガヤってこと聞こえてくるんだけど、
このボリュームがスッと一つ上がるんですね。
1ランクか2ランクぐらい、2段階ぐらい上がる感じがします。
つまりみんな声が出てるってことなんですよ。
そして話が弾む。
修正力の磨き方
私が5分って言うと多くの方がもう終わりですか、もっと話したいですねっていうような感想を述べてくださるんですね。
そしてどうでしたかというふうに伺うと、
全然前より安心して話せたというその和社の方はねそのように感想を言ってくれて、
そしてそれを聞き役立った方はですね話が面白くなったとかもっと聞いていたいと思うようになった。
これは愛してますと言って興味を持ってるからですよね。
そのような変化が起こるわけ。
だからこの愛していますと心で念じるというのは非常に強力なのでね。
先ほどのね攻撃も防御もせずに愛で心を満たしておくのね。
この愛で心を満たしておくの具体的なやり方としてね。
もう単純に愛してますと心で念じる。
これをですね今までだったら危険だ怖いな敵だ攻撃だっていうこういうことを繰り広げていた相手にやるということなんですね。
だからまあこのトライはですねスカッとねはい平安できましたみたいには絶対になりません。
ここはもうそのようにならないということは断言しておきます。
おそらくですね最初はあ戦場作ってんな俺っていうねこれに気づくことここから多分始まるんだと思います。
留まり力の鍛え方
ここに気づけるかどうかっていうね。
もしくは気づきたいと思うかどうかで気づいたらですね一つちょっとコツのようなことをお伝えしたいんだけども。
まずですね自分の体をその地上に残しておくんですね。
戦場かもしれないこの地上に残しておいてこの本体である心というのかなこれをその戦場から離脱させるんですね。
そしてちょっとだけ空に登って上から静かにその様子を眺めるみたいな感じをイメージしてみてください。
元々このねえっとなぜ私はアイアムピースアイアムラブなのかというと僕らの本体が形のない心だからなんですね。
ここは傷つかない壊れることがない攻撃されることがないこれをまあ本来の自分というのは知っているのでね。
やべ今戦場作ったぞと思ったらえっとこれは本当は心で作ってるんですけども多分僕らは目の前の状況が戦場だというふうに見ているのでね。
まあそのようにその誤解しているのでえっとまあ体はそこに置いておこうと戦いの中にちょっと置いておこうとね。
でも心である俺はスーッと上に登ってその様子を上から眺めるよっていうこんな感じね。
でそうするとえっとああ確かにこれはね私が戦場と思わなければ安全な場所だな全然安全な場所だなっていうような感じに見ることができると思います。
これをやってみてください。
まあ戦場を上から眺めてみるっていうことですね。
あのねなんていうかなこの客観視とかそういうんじゃないんですね。
えっと心は大丈夫だぞっていうそれを認識するためのやり方みたいな感じですね。
戦場の真っ只中に心を置いてしまうとこの心がそのまま戦場になってしまうんでね。
まさにこのちょっと上昇するような感じで少し空に登って上から眺めるそんな感じですね。
だから最初にね戦場を作ってるっていう風に気づいたら何とか踏ん張ってさっきのこの上空にねクーッと登っていって心を安全な場所に変えていくみたいな感じですね。
このようにイメージしてください。
まさにこの少しずつ修正を繰り返すような感じで戦場と安全な場所をこの行ったり来たりしながらなんとなく平安になったなって思ったらそこに留まるようにまあ勤めるわけですね。
なのでこのトライの間は諦めないことが大切なんですよ。
もう自分を戦場に置き去りにするんではなくてねできるだけこのクッと上に登って安全な場所をということを確認するということね。
まあ要はこれは怖いか恐れや不安を抱いているかそうではないかそして愛してますというねこの余裕というかな余白を自分の心の中に持てるかどうかというトライになりますね。
だから諦めないことが大切なんです。
諦めてしまうともうこの戦場にね自分を放り出してしまうのでね。
だからこれをあえてその技術風にこう表すならば気づき力ですよね。
つまり自分が攻撃していることそして戦場を作り出したというこれに気づく気づき力ですね。
これをまず一つ目に持ちそして修正力ですね。
戦場を作ったとわかってもそこからねなんとかこの上に登って安全な場所に帰っていくという修正力。
それから3番目が留まり力ですね。
平安になったらそこに留まるように努めるこの気づき力修正力留まり力この3つが鍛えられていく感じですね。
鍛えるという言葉あまり好きではないんですがあえてですねこれを何度も何度も繰り返しながらトライするという意味を込めてね。
鍛えるという風に今日は言っておこうかなと思います。
そしてこれはですね結構時間がかかる取り組みだと思いますね。
気づき力と修正力と留める力の重要性
先ほどお話したその自分の中にある弱点みたいなものも克服していかなくちゃいけないしね。
過去の記憶過去の経験ですね。
そしてその攻撃をしている戦場を作り出しているということに気づくということも大切だしそこまで行っておきながら修正するというね。
この意志を発揮するつまり愛してますに変えるというねやっぱりそれなりにね時間のかかる取り組みだと思います。
ただしその代わりねこれができた暁にはですね多分その人生の景色が一変するぐらいの報酬というかねメリットはあると思いますのでね。
ゆっくりとこの時間をかけて取り組んでみてください。
でえっとですね来月から9月の10日から始まるかき上げ塾の第9期ですね。
これがおかげさまでですねほぼもう定員になりまして後空席が2つかなになりました。
でこれもですねもう9期ということもあっていろいろ私と佐々木さんと矢部聖子さんでアップデートを重ねてきましてね。
金風車さんとのコラボとかねえっとかき上げ塾生が書き上げた本が金風車さんから発売されるとか。
それからジャジンワークねいつもやっているジャジンワークこれのですね無料クッポンが6枚付いているとかね。
つまり毎月1回このジャジンワークで執筆ができるとかそれからリアルの講義でやっているそのリアルタイムのライティングワークとかね。
そういうものがどんどん充実してきていますのでまだ1月ありますからね始まるまでによかったらご検討ください。
平安を保つ方法
じゃあ今日はですねそうだな平安を保つこれがテーマなんですけどもね。
まずはアイアンピースですね私はそもそも平安そのものであるという。
だから外の状況がどうであろうと私の平安が失われることはね本来ないんだっていうこの確信を持ちながらですね。
今私は心の中を戦場に変えていないかっていうね。
ここから初めて確かにやってるなっていうのに気づいたらですねちょっとこの空に上昇させて心ですね。
そして愛していますと心に念じながらね平安を取り戻していい1日をお過ごしください。
ありがとうございます。
37:05

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