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グッドバイブス ミッドナイトラクザ
グッドバイブス ミッドナイトラクザ
by 倉園佳三
こんばんは、ただいま8月31日水曜日の2時29分ですね。
昨日ですかね、日付でいうともう一昨日になるんですが、月曜日にですね
私の身内が集中治療室に運ばれたという連絡がありましてね。
そしてその病院の先生が言うには、今日中にご家族の方を集めてくださいということだったんで
私と上さんとね、慌てて
都内の病院なんですけども、南大阪、私の住んでいる八王子からはね、結構その交通の便が悪くて
京王線に乗り、その後モノレールに乗り、それからまた西武線かなんかに乗り換えて
その駅から歩いて15分みたいなね、長旅をしてきたんですけども
おかげさまでその身内はね、まだ症候状態なんですが
私が見る限り顔色が良くてね、まだ血行が良くて
肌の艶も良くて、何というのかな、よし頑張ってるぞというかね
治そう、治そうとしているその感じが伝わってきたんでね
よしよし、これは行けるんじゃないかと思って
まあ思いというか、しっかりと休んで回復してくださいという思いをね
たっぷり送って帰ってきたんですけども
先週から今週にかけて、私は結構予定が詰め詰めでしてね
前回お伝えしたようにその土日は大きな2つのイベントが入ってまして
今週もそのワンオンワンのセッションあたりを中心にね
ビッシリと埋まっているんだけど、たまたまその月曜日だけスッと空いてるというね
実際には予定が2つ入ってたんですが
両方とも気のおけない私の仲間との約束でしてね
メール1本でちょっとリスケしてくれないかなと言うんで全然OKですよみたいなやつがたまたま2つ入っていてね
やっぱりこのお客さんを招いてイベントをやるというやつはね
これを中心にするっていうのはなかなかできないんですよね
本当にだからなんだろうこの巡り合わせはっていうね
もし1日前後にずれているだけで私はすぐに駆けつけることはできなかったっていうね
本当にぽっかり空いたこの月曜日に
まあこれ幸いなんて言っちゃいけないんですけどもね
いけたという意味ではね本当に運良くその日に当たったっていう不思議な感覚なんですが
実はその前のね同日のイベントの前に
03:00
本当は金曜日にもですね
グッドワイプスラクザライブというのが本当に入ってたんですよ
私のラクザシリーズの第1弾で弾き語りとトークでお届けするっていうね
イベントなんですがこれが入っていたんですが
まあいろいろ世の中の状況とかね
その会場の都合でちょっと開催できなくなったっていうのが
1週間ぐらい前かなもうちょい前かな10日ぐらい前に判明しまして
それであのまだたまたまお客さんのエントリーがゼロだったんで
なんかしれっと売り切れにして静かに中止にしたんですけどね告知もせずに
これももともとその金曜日のイベントが最初に決まっていて
その後に土曜日の知恵さん日曜日のエフタさんのイベントっていうのが後から入ってきたんだけども
なんとなくそのブッキングする時に金同日いけんじゃないのみたいなね
割とこう楽観的な読みで全部okにしたんですけど
実際にその土日のイベントをやってみるとですね
これ金曜日あったらアウトだったっていうことがよくわかりまして
というのもその今回のその土日のイベントっていうのはね
私があんまりお会いしたことがない方がねたくさん来ていただくようなイベントでして
good vibesの話もねおそらく私から直接なんかセミナーとか
勉強会とかで聞いたことがない方々だと思うんですよね
なのでやっぱりちょっといつもよりは丁寧にじっくりとお伝えしないとならない部分があって
スライドを珍しくしっかりと作ったんですよね両方ともね
そのスライドを作るのがいつやろうかなっていうのはあったんですけど
なんとなくそのイベントが近づきその雰囲気がなんとなく肌でわかり
お客さんの名簿みたいなものがねある程度確定して人数もわかったあたり
ここで行きたいなあというのが前からありましてね
まさにジャジンワークなんですけども
でも前日の早い時間に始めればおそらく焦るようなことはないだろうと
そういう読みでねやってきっちりとできたんですけども
これに金曜日のライブがあったらちょっと厳しかったなって感じがしますね
時間的にもそうなんですけど
なんせライブなんでねギターとアンプを自分で持ち運ぶんですね電車で
これがさすがにこの寒暦の体には応えるという
もうちょっと前から応えてましたけどね
この体力面とかも考えるとなんかこの金曜日が中止になったという流れはね
私にとって決して悪くなかったなあという
そういうことがこの月曜日の身内の検討続きましてね
なんかなんだろうなこの流れが悪くないなというこの感覚を
久々にまた味わうことができてねこの話をちょっと今日はしたいなと
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で私はその以前の私というかね
こんな感じではなかったんですよ
もっとねなんか何をやっても裏目に出るというかねついていない
なんで今こういうことが起こるのみたいな出来事の方が多かった感じがするんですよ
ところが2011年ぐらいかな後半ぐらいに
グッドバイブスの本を書き始めてこの取り組みも同時に始めてね
実験みたいなものなんですけどね
自分でこの今私が喋っているグッドバイブスの考えとかね
発想を地で生きてみるというこれをやり始めてから
なんか知らないけどこういう流れが悪くない流れがねやってくるようになりまして
これ一見こういう話をするとちょっとオカルトチックな部分もあるんだけどね
実は私はそうは思ってないその辺もちょっとお話ししたいと思うんですけど
要は何をしたかというと自分ですね私それと他の人とこの世界
世界というのはなんだろうなもっと分かりやすく具体的に環境といってもいいかもしれませんね
私を取り巻く環境とこの3つが私の人生を成り立たせている3要素なんですね
一人じゃ生きていけませんから私と他の人と環境というね
環境は例えば一番大きく捉えれば地球なんですけどね
もっとその周りに宇宙っていうのがあるんだけどそこは僕らはその感じとして感じることができないんでね
地球という一つの大きな星がありその上に今度は日本という国がありね
そして東京八王子南大沢みたいなこれ全部環境なんですよね
それからもっともっと自分の近くに寄せてくるとこの家と部屋っていうね
この感じこれがなければ何もできない生きていくことはできない
だから環境も私の人生を成り立たせる大事な要素
この自分と他の人と環境を無条件で信頼するというこの取り組みをやってきたんですね
だから今では何が起きてもね
例えばライブが金曜日中止になりました
それ以前の私2011年の私だったら多分ここでかなりがっかりするんですよね
なんだよこれってみたいなね
そして今で言うと例えばそのコロナの感染拡大みたいなものを恨んでみたりね
そういうことを多分してたんですね
そして自分の不運さを呪うみたいなねこれをやってたんだけど
この3つね自分と他の人とこの世界を無条件に信頼するということができるとですね
結果としてですよ
何かあるなっていう予感がまずするんですよ
そういうことなの
ここで私はほうそうきたかっていうようにしてるんですよ
ほうそうきたかっていうのはね
私の予想の範疇を超えているということなんですね
これを私は本当のことを何も知らないという言葉で表してるんだけども
09:02
僕らが知らないことっていうのは少なくとも4つあるんですね
本当のことを何も知らない
一つは自分についてです
これはこの番組でもよくお話ししますけど
私は何がやりたいんだろう私は何が好きなんだろう
何をしているのが幸せなんだろう答えがないんですよ
自分について何も知らない
それから他の人がね他の人が何を考えどんな気持ちになっているか
これもわからない
これを予想しようと私たちはするんですけどもね
超能力者でもない限りこれは無理な話です
そして同じく超能力者でない限り未来に何が起こるかわからない
3つ目ですね
4つ目がある出来事がどんな結果を自分にもたらすかの因果関係
これはもうお手上げですよね
下手するとこれはもう人生が終わるまでわからなかったりする
1個のねこの出来事が私に何をもたらすんだ
ってもう人生が終わる直前まで本当は答えが出ない
この4つがわからないとしたらね
例えばライブが中止になるっていうその出来事に遭遇した時に
本当はがっかりできないはずなんですよ
まあこれ理屈の上ではね感覚的にはがっかりしますよ
でも本当にその因果関係未来に何が起こるかわからなければ
このライブの中止というのが私に何をもたらすっていうか
何をもたらすのかはその時点では全く不明なんですよ
だからそうきたかで受けるしかないんですね
ここでなんか不運だながっかりだな
失望だなというのが以前の私だったんですけども
これをやめたんですね
何か意味があるだろうと
そしてそれはおそらくこの3者ね
自分と他の人とこの世界を無条件に信頼してるんであれば
悪くはないだろうなと
その行き先はね
これを僕はなんか意識的に取り組みとしてやってきましてね
そうすると何が起こるかというと
私はその世界を信頼してますんで残念に思わないんですよ
残念に思わなければいわゆる負の心象
心の像私が頭の中で作り出す現実とは違う
私の心の中にある一つの映像みたいなものを作り出さなくなるんですね
そうするとこれが不思議なことに
私の見る世界はいい流れになっているなっていう
こんな風に見ることができるっていう
私の見る世界この景色が変わるっていうことです
正確に言えば変わっているんじゃないんですよ
世界は最初からそのままあるんですよ
そこに残念だ失望だこれは不運だついてないという意味をつけずに
そういう心象を作り出さずに見ることができるようになるということですね
この意味でこの話は多分オカルトではないだろうなという風に
私は認識しているわけですね
12:01
今日はこの信頼というこの話をしてみようかなと思います
自分と他の人とこの世界を信頼するって
信頼って何よっていうねこれやっぱ疑問が大きく湧くところ
私もこの取り組みを始めてね
信頼するってなんだろうなっていう
問いかけを自分で何度も何度もした感じがしますね
これあの簡単に言うと
さっきは無条件に信頼するという風に言ったんだけど
本当は信頼に無条件というその枕言葉をつける必要はないと思っています
というのも条件付きの信頼というのは存在しないんですね
ここがちょっとややこしいとこなんだけど
信頼によく似ている言葉にその期待と信用っていうのがあるんですよ
期待と信用ね
これあの例えばね上司に自分がこの3つね
信頼期待それから信用ね
これを言われた時にどんなフィーリングがするかというのを
これをねシミュレーションしてみると
よくこの3つの違いが分かるんですね
例えばお前には期待してるぞって言われた
頑張ってくれよお前には本当に期待してるからなって
僕は個人的にあんまりいい気持ちがしないですよね
なんかプレッシャーかかる感じ
どちらかっていうとね
なぜそうなるかというとね
おそらく上司の頭の中にはもうすでに理想の像っていうのがあるんですよ
こいつはこういうことをしてこうやってこういう仕事をして
このぐらいの活躍はしてくれるだろうってこれがあるんですよね
これを彼が言ってるんですよ期待という言葉でね
当然ですが私がそれとは違う行動をし
彼が思うような結果を出せなかった場合は
彼はお前に期待したんだけど裏切られてよって
言うか思うかどっちかのはずなんですね
だから期待というのは何ていうのかな
すでにある理想の像というのがあり
それをお前にやって欲しいと思っているよという
そういう宣言なんですよね
だから無条件どころか条件バリバリにあるんですよ
もう一つは信用ねこれも上司から言われたとします
クラザの俺はお前を信用してるからなってなんか怪しいですよね
金は盗むなよみたいな感じしません
お前のことを信用してるからなっていうね
もうなんか信用してナサオの恐れや不安を
なんとか抑えようとして口に出してる感じがしますよね
信用というのはこれはディールなんですよ
よくあるじゃないですか余信みたいなね
この企業にどのぐらいのお金を貸していいんだろうかとかね
個人でもいいんですけども
その会社なり個人なりの経済力を
例えば融資する先が見てね元か融資元が見て
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このぐらい稼いでるんだったら
じゃあ30万までだったらお貸しできますよみたいな
これが信用なんですよ
これはですね完全にその条件どころか
もうきっちりとその何ていうのかな
査定が下される世界なので
私の経済力が上がればもっと貸してもらえるお金が増えるし
今の経済力よりも下がった場合はね
下手したら一銭も貸しませんよっていうことが起こり得る
これが信用ですねだからなんか気持ち悪いんですよ
クラウドのお前のことを信用してるぞって言われるとね
いずれにしても相手の期待だろうね
相手がその思うところの査定の条件なりを満たさない限り
期待にも信用にも応えられない
そして2つは簡単に裏切られるっていうね
そういうものなんですね
これに対して最後の信頼ですね
僕が思うに信頼というのはこの2つとは全く違うなという感じがしてるんです
これは時間軸がないんですよ
多分お前のことを信頼するぞと言ったら
途中で例えばその人が期待に反した行動をしたりね
自分が思うような上司が思うような結果を出さなかったとしても
その先をしっかりとまだ見るというね
なるほど今回ダメだったか
大丈夫信頼してるから次は何とかしようぜ
じゃあ次行こうっていうこれが信頼じゃないかなと僕は思うんですよね
言うならばその信頼に賞味期限はないということですね
一旦信頼すると決めたら終わりなく永遠に信頼し続ける
これが信頼そういうふうにしておかないと
ここに期限だの終わりだの条件をつけると
言葉の遊びのような感じもしますけど
やっぱり期待か信用に変わってしまうということですね
僕らはこんなふうに信頼を捉えてもいないだろうし
そんなふうに人を信頼するなんてありえないという
多分そんな感覚は当然あると思うんですよね
でもねやっぱり自分は信頼したいじゃないですか
100分譲って人は無理だけどって
僕は少なくとも自分を信頼して何かをしたいなとは思うわけですよ
なぜかというとね
例えばここで自分の親をちょっとイメージしてほしいんですね
その親が私が何歳でもいいんだけど
ちょっと若い頃の方がいいかな
ティーネイジャー中学生ぐらいかな
その時に中学生ぐらいになると
いろんなことを自分でやりたくなるじゃないですか
こういうこともやってみたい
ああいうこともやってみたいっていうね
場合によっては何だろう
一人で一人旅に出たいみたいな
あんまないのかな最近はそういうの
僕もあんまり好きじゃないんで
そういうことはしないと思うんだけど
例えばそういうことをやってみたいと思った時にね
自分のその親が私を信頼してくれてる方がいいのか
18:04
元気に動けるのかね
それとも心配してくれてる方がいいのか
この問いなんですよ
これは何か多分だけど一目瞭然な感じがするんですよね
ずっとずっとお前のことが心配なんだよ
ずっとお前のことが心配なんだよって言われながら
僕は生きていきたいか
それとも信頼してるよと一言言って
何かやりたいって言ったらやってみればいいんじゃないって
このどちらがいいかって考えた時に
おそらく僕はもう信頼一本ですよね
こっちしか多分ないと思うんです
そしてさらにそのどちらかの自分って
どんな感じになってるかなっていうのも
ちょっと想像してみると面白くて
当然だけど信頼してるよって言われて
やってみればって言われてる自分は
なんかちょっと自信がある感じがしますよね
やっていいんだなと
そうか信頼してもらえてるんだ
つまり私はこれをやっていいんだなっていうね
私を肯定できる感じがします
でもこの反対にね
心配だよもう心配なんだよ
やめてくれよって
そういうことしないでくれよと
おとなしく家にいてみたいな感じ
学校から帰ったらまっすぐ帰って
うちにいればいいんだからっていう
こういう感じにもし私が育てられたとしたら
多分だけどそのなんか
親の思いと私のこの自覚というのは
ほぼほぼ同期するんじゃないかって感じがするんですね
そうかそうだよな
俺はまだまだいろんなことがなんか足りないできない
だからとてもじゃないけど
この安心して信頼なんかしちゃダメな危ないんだよな
そうかそうかじゃあいつもいつも
自分のことを心配していた方がいいんだ
みたいな感じになるんじゃないかっていうね
そういうイメージを持ちます
これをじゃあ自分自身にやったとしたら
どうなんだってことなんですよ
多分だけど同じことが起きるはずなんですね
私が私を心配する
私が私を信頼する
これはどう考えても後者の方がいいわけですよ
でさっき言ったように
その信頼をするためには条件をつけたらダメなんですね
つけた瞬間に基本的には
信頼というのは不可能になるんですよ
その通りに答えられないから僕らはね
とするとここでもう無条件の信頼という
あるかないかよくわからない
多分聞いてらっしゃる方は
そんなもんあるかよっていう
思っている方も少なくないと思うんですが
あるなしを言ってもしょうがないんですよ
信頼するしかないんだから
そして信頼が無条件であるとすればね
これはもう僕の意思ということになるんですよ
期待と信用は意思ではないんですね
意思が関係ないんですよ
逆に言うと意思を発揮しなくていいような
仕組みになってるんですよ
僕がただただ期待すると宣言し
その後は相手の行動結果に応じて
21:00
それを引っ込めればいいというね
基本的に決まりますから信用も期待もね
意思はゼロでいいんですね
ところがこの信頼だけは
意思に頼るしかないんですよ
無条件だからね
そして条件をつけた瞬間に
信頼ができなくなるとすれば
もう残る選択肢は1個しかないんですよ
信頼するというしかないんですよ
そしてこれを自分に向ける方がいい
ということであれば
やっぱり私はこの信頼無条件というのをね
確信してみたいなと思うわけです
これがおそらく私が
グッドバイブスを書き始めてからやっていた
取り組みなんだろうと思いますね
これを妨げる要因というのは
もう無数にあるのはわかります
まずねやっぱりそう簡単に
自分や他の人を信じていいのかと
なんかやっぱバカっぽい感じがしますよね
そんなだから騙されるんだよみたいなね
どちらかというとあらゆることに
まず疑念を持つというかね
この疑うという姿勢の方が
クレバーな感じがしますよね
だからやっぱりすぐに信じずに
疑ってかかりなさいと
教わってきた感じがやっぱりするんですよね
あらゆる分野でね
でもその分かるんだけども
僕が言っているこの信頼というのはね
前の番組でもお話ししましたけど
私たちの本性は愛であるという
その存在のところを信頼するという話なんですよ
片っぽのその偽りの自分ね
恐れや不安を抱くとおかしなことをする自分というのは
当然ですけども
なんか隙があれば人を騙そうと思うし
下手したら詐欺まかいのことをやることもあるでしょう
そこを信じるという話とはちょっと違うんですよ
だから例えば私は今
自分と他の人とこの世界を無条件で信頼すると
そういう捉えをやってますと
ちなみに例えばこの間も来たんですけど
シンガポールから英語のメールが来ましたね
Your Podcast Channelがランクインしてると
なんかのカテゴリーで6位とかになってる
Congratulationsと書いてあって
カルロスとかって名前なんだけど
私に任せればもっと上位に行ける
見たらここに連絡してくれって
そんなメールに俺は返信しませんよ
これはもうどう考えても怪しいなってわかる
この怪しい感覚がなくなったりはしないんですよ
それと僕が言うこの自分と他の人と
この世界を信頼するって話はね
恐らく全然違うんじゃないかなと思います
だからなんか分かんないですけど
中学生ぐらいの時に同級生だった
もうなんかそれこそ40年も連絡を取ってない知り合いがね
私のとこにこうやってきてね
ちょっと借金の保証人になってくれって
なるわけがないってそんなものにね
こういうことは心配しなくて大丈夫なんですよ
24:01
まあまあそれをやってるのは
恐らく偽りの自分だろうしね
いくらその無条件で信頼すると言っても
そういう世界とこっちの世界は全然違うんですよね
フィッシングのメールバンバンクリックするような
そんな真似はしません
だからここは本当は警戒しなくても
いいとこなんですけどね
まあでもその疑念を持つ方が賢いよっていう
その感覚は僕らの中に根強くありますから
この話を受け入れるのがどれだけ難しいかというのは
よくわかります
だからこれはねやっぱ恐らくね
やってみるしかないんですよ
やってみてどんな損をするかってね
どんな酷い目に遭うかっていうのを自分で
まあどうだろうねそのその1回でも
その目に遭いたくないっていうのはちょっと厳しいんだけども
ちょっと試しにやってみて
自分と他の人とこの世界を無条件に信頼したら
何が起こるのかってね
騙されまくるのか
何かを失いまくるのか
それともさっき僕が言ったようにね
別の景色がそれも悪くない景色が見えるのかっていうのをね
これも試してみるしかないんですよね
机の上で議論しても
多分この話は堂々巡り終わるでしょうね
信頼は無条件ですよ
いやそんな危険なことはできない
いやいややってみたら必ずいいことが起こる
いやいやそのやること自体が危険だ
みたいなことでぐるぐる回るしかなくなるんですよね
なんかね1つね
まあそのなんだろうな
信頼してみようっていう
なんていうのかな
思うきっかけになるかちょっと分からないんだけど
1つだけ僕が発見したことがあってね
この自分と他の人
これ2つ取ってみると
この信頼の量っていうのはね
必ず同じになるんですね
自分を信じている分だけ
他の人を信じることができる
信頼できる
他の人を信頼している
その分だけ自分を信頼できるってことです
なぜかというと
これが一つ意識なんですよ
僕ら
僕とあなたは一つなんですね
同じ存在として僕らは見るんですよ
人はすんごい信頼できるんだけど
自分はからっきしなんてことは多分ありえない
その反対もそうです
私自身はものすごい信頼してるんだけど
他の人間は一切信頼しない
いやこれもないですね
この自分と他の人がね
全く違う生き物であれば
そういうことも起こり得るんだけども
これがやっぱ1つだからなんですよ
同じ生き物なんですね
同じ存在なんです
だから私の中のこの部分が
信頼できないなって思うところは
他の人の中に同じものを見る
全く同じように
この僕以外の人のこの部分が信頼できない
と思ったものは
必ず自分の中にもそれを見ることになるんです
だからこの一点をとってもね
なんか僕は
これ疑念を持とうと思えば
いくらでも持てますから
27:00
じゃあ一生あれか
なんかその人が信頼できない分
自分も信頼できないという状態で
過ごす方がいいのかなって考えた時にね
まあ少々のね
危険を予感したとしても
試してみる価値はあるんじゃないかと
私は思うんですね
しかもこれね
あのさっき言ったようにこの意思なのでね
やめって思ったら一瞬にしてやめられるんですよ
やべやべこんな危ない危ない
全然無理無理って思ったら
この瞬間にはい終わり
もう信頼はなしですって言ってやめられるんで
実はそんなにリスクが大きいとも
実私は思わない
やってみて
ひどいことばっかり起こるようであれば
即座にやめればいい
悪くねえな
なんか信頼いいじゃん
ってなるんだったら続ければいいっていうね
だからなんかこの
決める必要がそもそもあるのかなっていうのも
ありますわね
信頼しないと決めることに
どういうメリットがあるのかなっていうのも
ちょっと私は疑問に思うわけです
まあこれが自分と他の人ね
で残る世界は
なんかもっともっとシンプルでね
本性が愛である
私たちの存在っていうのがあって
で世界というのは
この私たちを生み出したものでもあるわけですね
宇宙というね
この環境が
その私たちをどう扱おうとしているか
っていうこの問いなんですよ
まあこれはわからない
一生答えが出ないことなんでしょう
ただ私は
この問いをポンと立てた瞬間に
いやいや
そんなひどく扱わないだろうな
って感じが持てるんですよね
ここはなんかこう
人よりも割と僕の中では
簡単に信じられるというかね
こんな感じで
まあなんつーのかな
その人を信じちゃいけない
疑い疑念を持つ方が賢い
みたいな教えの反対側を行くわけだから
確かにその
心のなんつーのかな
ベクトルとしてはなかなか持っていきにくい
感じなんですけどもね
そこはまあだからトライなんですよ
これをまあ10年ぐらい
続けているんですけどね
3つのうちのね
どこから始めても同じ
だと思いますなぜならば
1つだから
そしてどれか1つを信頼できれば
その他の2つは
ついてくるのでね
さっき言ったようにこの信頼の量は
等しくなるんですよ
この3つのどれかだけを信頼せずに
いるっていうのはまあ不可能ね
1つなのでね自分と他の人と
この世界は同じなんですよ
だから
なんかこれはもう人によるでしょう
お客にもよるでしょう
なんかさすがに自分から行くのは
無理だよっていうんであれば
他の人から信頼する
っていうのを始めればいい
無条件にね信頼してみて
何が起こるかなっていうね
だから
世界がいいなって環境なら
いけるなってこれは
なんか僕は知り合いの中にね
木が大好き樹木が大好きとかね
あと生き物が大好きっていう人を
たくさん知っているのでこういう方は
30:00
もしかしたら
自分と他の人の前にこの私を
取り囲む環境を信じてみようっていう
これでもいいかもしれないね
あるいはやるんだったら
自分が一番やりやすいっていうんであれば
私を無条件に信頼する
という風に
意思を発揮してみてね
一体どんなことが起こるのかっていうのを
試してみればいい
どこから入ってもいいんだと思います
あるいは3つ同時に行ってみようっていうのも
ありでしょうね
ポイントはですね
キーワードが2つありまして
感謝とリスペクトなんですよ
この3者に対して
感謝とリスペクトを
忘れないようにすると
何かが起こるたびに感謝とリスペクト
感謝とリスペクト
なかなかこれ言えねえな感謝とリスペクト
っていうのをこう
瞬時に発揮するようにするわけですね
だからさっき私が
そのなんだ
ライブが中止になったというね
これはまあここに他の人と環境というのが
入ってくるんだけど
そこでまず放送来たか
っていうわけです
放送来たかなるほど
どういうところにこれで私を連れて行ってくれるの
感謝とリスペクト
っていうのをまず先に
発しておくわけですね
そして日にちが経ってみると
おー土曜日
このイベントの前に金曜日いなくてよかった
っていう
その答え合わせみたいな日が来るわけ
そこでもう一度ありがとう
中止になってありがとうと
なんか変な言い方ですけどね
本当はやったほうがよかったのかもしれないんだけど
気持ち的には
でも多分これは正解だな
ありがとうとそしてその流れを
リスペクトする
ありがとう
リスペクト
月曜日を迎え予定がないときに
この知らせが来た
いけるじゃん感謝とリスペクトだよね
こんな感じで暮らしていくわけですね
もちろん
自分も忘れてはいけないですよね
どんなに小さなことでも
なんか大したことじゃないな
と思うことでも
何かするたびにおっしゃいいじゃんお前
最高だよと
リスペクトだねって
ありがとねできたねと
そんな感じでこう
自分を捉えてあげるっていうね
そうしておいて無条件に信頼してあげる
まあなんかそのさっきのね
親が子供を見るような目でね
まあだって親が子供を
信頼するって
やっぱあんまり根拠がない感じがするじゃないですか
それでいいと思うんですよね
なんかこの辺のあたりに
多分僕は心理が隠されてるんじゃないか
という予感がいつもしてるんだよね
この理由とか根拠
っていうのはどうも僕らが後付けで
つけてる感じがする
なんかあるんですよ僕らはね
この人もういいや信頼しちゃおう
みたいなね
その感覚っていうのはきっと持っててる
一度や二度はきっと発揮したことが
あるんじゃないかなっていうね
これをいつもいつも自分に向けて
おくという
この三つをね
好きなところから始めるというのが
33:00
私のおすすめですね
これをね
こういう話はだいたいそのなんかこう
モラルとかさ道徳的に
とられがちなんだけども
目的はなんだってことなんですよ
別にいい人になるために
やってんじゃないんでね
なんかこうこの人はこう
得が高いなとかね
そんな風に思われるためにやってるんじゃないんですよ
一番最初に
私が言ったようにあらゆる
自分に起こることね
あらゆる自分が出会う人
そして私がこれから
向き合うことになる
いろんな環境ですね
何が起こるかわからないですよこれからもね
その全てに対して
そうきたかと
その景色が決して悪い景色ではなく
不運な景色ではなくね
なんか私に失望をもたらすだけではなく
ここからでも
なんとかなるんだよね
もしくはこの流れって
下手したら悪い流れじゃないかもしれないよね
僕はこれが
ありのままの現実なんじゃないかと思ってるわけです
私たちの心象をかぶせていないね
なんとかなる
現実ならなんとかなるというのは
こういうことを私は言ってるんだけども
今こうやって私がね
60年生きて来られた
ということは
たぶんなんとかなる現実があってくれたからなんですね
これを僕らは
毎回毎回いろんな心象を
ここにかぶせてね
ひどいなだめだな
ついてないなと思いながら
生きてきたんだけども
ここで自分と他の人と
この世界を信頼するというね
この意志を発揮すると
もしかしたら
このありのままの現実というのを
見せてもらいながらね
よくいけるんじゃないかと
このためにやってるんですね
そうそう
だから最初の話に戻りますけど
私はその月曜日に
神さんと
身内のね
眠っているICUに
入りながら
そこでも私と
この人と
それを取り巻く病院なのかな
もしくはその人の回復力なのかな
そういうものを信頼して
よっしゃ
信頼するよと言って
帰ってくることができたという
そういうお話になるわけですね
何度か
この後もね
この信頼については
たびたびお話したいなと
思ってます
予定ツメツメはね
今も続いていまして
今週末の金曜日に
ひらめいて動く
フリースタイル仕事術
開催します
金曜日の19時から
オンラインで
私の手応えとしては
かなり良くてですね
最初の初回講義は
こんな感じだろうと
予想していた通りだったんですが
その後翌週のね
1時間ずつのZoomのレビュー
これが楽しいですね
どうでしたか
36:00
やりたいと思ったことができましたか
みたいなね
どうでしたか
みたいなことを
話すことができるんですよね
なのでこれ
3回ものにして良かったなと
2週間に分けてね
金曜日と火曜日木曜日
過目は自由参加なので
都合が悪ければ
パスしていただいても構わないんですが
これもねそうやって考えてみると
自分と他の人と
この世界を信頼して
フリースタイルでいくっていう
良かったらぜひご参加ください
そんな感じで
なんか少し寒くなってきてますけどね
風などひかれぬように
今日も良い一日を
お過ごしください
ありがとうございます