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グッドバイブス ミッドナイト楽座 by 倉園佳三
こんばんは ただいま8月29日月曜日の2時53分ですね
実は今日はね2時過ぎぐらい2時10分ぐらいからこの収録を始められて 早い早くていいなと思ってたんですけど
なんと今もう6テイク7テイクぐらいかなテイク7ぐらいまで行ってまして 40分くらいウジウジウジウジ喋っては止め喋っては止めとね
いやもうこれ絶対いいからもう止めないでいこうみたいな自分がいるんですよこっち側にね だけどもう一人の自分があのその私のGO!GO!行け行け!
っていうこの応援を無視してですね 指がパチッとスペースキーを押してしまいましていやダメもう1回みたいなね
これはもう間違いなく欲が出てるんですよ 18回目にしてなんか私のこの番組に対する思い出がねどんどん強くなり
いやーポッドキャスト楽しいなぁとそして聞いてますよみたいな方がねじわじわとこう 少しずつですけども増えていってる
この流れにねちょっとこう調子に乗りましてなんか もっと良くしてやろうもっと良くしてやろうみたいなね
別にそんなことを考えなくてもいいのにそういう欲がバンバン出てまして それが出れば出るほどこの止める回数が増えていくっていうね
まあこれも悪くないんですけどね良くしようと思うこの思いは受け入れてあげようと思うんですが やりすぎじゃダメですねやっぱね
対外にしとけよみたいなところがやっぱりないと いや多分だけどもだんだんだんだんやるのが辛くなるでしょうきっとね
で自分の中のなんつーの敷地って言うんですかね どんどんどんどん完璧主義の方にも動いていった上にあるとんどんどんどんその敷地が上がって
いって 重くなっていってでいつしか楽しくなくなり止めたくなくなる止め止めたくなると
でその間に何かこう ほっときゃいいものをいろんな風に加工してしまってね
形を整えるところばかりを考えるようになり だんだん中身もつまらなくなるみたいなことにならないようにやっぱりね
対外にしとけみたいなところは忘れずにいきたいと今思っているところです このテイクはもう止めずに行こうと今心に誓いました
今週末は私にとってで楽しみなイベントが2連発というね とてもハッピーなあの週末だったんですけどね
というのも 両方ともそれなりの長い期間続けていくようなイベントの初日だったんですね
そして両方とも私がピンでやるのではなくて 片方が
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濱田知恵さんというねあの ポッドキャストの恋愛を一つ一つ学び直すいっぱい飲みは知恵とぞのみたいなあの
番組のパートナーの恋愛コンサルタント歴14年以上という 知恵さんとお届けする心の通うコミュニケーショントレーニングかな
でもう一個が エフタさんとこの番組でも何度か告知させていただいたね
自分を緩め自分を解きほぐす 執筆教室かな1ヶ月コースみたいなやつ
これは1ヶ月なんですよ でこちらはエフタさんと一緒にやると両方ともそのコラボレーションという意味で
私は一人でやるよりもこちらの方がやっぱ楽しいなぁとねこれは今日の話にもつながる ところなんですけどね
お二人ともですね私に持っていない素晴らしいものをたくさん持っていらっしゃる 中山もなんていうかなぁこうやれば一緒に仕事をすればするほどね
あーここのこういう部分って僕にはないなぁっていうね なんだろう私がう
得たくて得られなかったものなのかもしれませんねそれはね 捨ててはいないと思うんだけどこういうことがこういうものが自分の中にもあってほしいなぁ
と思いつつそれをこう a 王という努力ももしかしたらしたかもしれないんだけど なんかそれでもやっぱりこの年になってもね
得られず自前になっているもの 知恵さんと知恵さんも持っているしエフタさんもたくさんお持ちですね
2人と一緒にこう仕事をしていると 何座の瞬間瞬間に大
すごいなぁなるほどねみたいなところをたくさん感じるんですけどそれをこの土日でね イベントを開催しながらリアルタイムにこう感じて私は幸せだなというふうに
思いましたそれから参加していただいた方もねどちらの プログラムも素晴らしい方ばかりでね
そのあれなんですよねその知恵さんの作った告知文もエフタさんの作った告知文も なんかねこう
一般的にそのわかりやすいこれが得られるよこういう得するよとかね これをやるとなんかもう人間関係バッチリとかね恋人できまくりとかね
本出しまくりですよとかねブログ書いたらもうアクセスサッとみたいなことは一切書いて ないんですよ
そういう売り文句はねもうちょっとねフォワーっとしてるんですよね なんか自分を癒せますよとかね
なんかパートナーの間がとてもハッピーになりますよみたいなね それで来るかなぁみたいなとこはおそらく私も知恵さんもエフタさんもちょっとは
心配してたと思うんだけども 蓋を開けたらねそこに共感してくださる方がバッと集まっていただいて両方ともほぼほぼ店員
満席だったんですねほとんどすべての方とお話ししましたけどね 皆さん本当に何かなんていうのからまあ一言で言うとピュアーというかね
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心のまっすぐな方たちが集まっていただいたのかなぁと そんな合わせてどんぐらいかな8時間ぐらいは多分両方で時間をそこに費やしたと思うん
ですけどねおかげさまでそんな方たちと一緒に素晴らしいパートナーと素晴らしい お客さんと一緒に過ごせましたんでね私は今はとても元気ですね
確かにちょっと体はね少し高疲労感に包まれている感じはするんだけど それもなんか楽しいこう海水浴に行った帰りみたいな感じかな
うん まだまだこの心は元気みたいなそんな感じです
面白いことにこの2つのイベントを通して実は同じキーワードがとても重要だったな ということに気づいたんですね
コミュニケーショントレーニングの方はこれは前の以前の音そのいわゆるコミュトレの頃から 最初にする話というのはもう決まっていまして
これはもう絶対に欠かせないコミュニケーションやね 第ステップ1
80億この世界にいますわね80億人 日本だけでも1億2000万人くらいかないると思うんだけどその人たちが全て違う個性を
持っている違いと個性か 全ての人が違いと自分とは異なるね違いと個性を持っているというこの部分を
しっかりと認識しておくということが重要なんですね これが第一歩になるんですが
どういうことかというと僕らはその自分の暮らしているこの生活範囲といういいのかな 半径何メートルかに
自分と異質な存在がいることがものすごく怖いんですね それが同じ人間であっても何か自分と違うということを感じた瞬間にエイリアン
異星人怪物モンスターあるいは鬼みたいなね なんか自分と違う生き物のように感じてしまうんですね
まあ実際これ表現でもありますね あの人全然も私とは違う生き物だからとかね
そういうふうに言いたくなるぐらいやっぱり怖いんですよ まあわかりますよね
自分の生活圏にねそのエイリアン異星人モンスター怪物がいたら身の危険をやっぱり感じ ざるを得ないですもんね
でもこれをやるとですね必ずコミュニケーションは最初は怖いというところから始めなければ ならないんですね
怖さを克服するというところから始めなくてはならなくて もしくはそういう人たちとは距離を置くというね
一つなんか大きなこう条件をつけなくちゃいけない コミュニケーションをうまくするというよりはそのコミュニケーションから危険を排除するという
そういう発想になりがちなんですよね でこれがじゃあその執筆講座と同関係があるかというとものすごく実は裏腹に
関係してるんですよ 執筆というのは基本的には表現なんですね表現というのはえっと自分を当然ですけど私を
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表現することなんですね 例えばその表現する内容が本当に情報に特化しているようなものであっても例えば
ハウツー的なものであってももしくは会社の何というのかなこうレポートだったりね 報告書みたいなものだとしてもここに必ず自分が
にじみ出るんですよ意図せずともね 意識しなくてもやっぱり人が作る以上必ず私という何かがそこににじみ出てしまうんですね
これがおそらくこのにじみ出ていくものが違いと個性なんですよ まあよく表現というとオリジナリティを出したいとかね個性をもっと強く出したいとかって
言うじゃないですか だからまあ僕らはそのまあ会社の報告書報告書とか別にして執筆
例えばブログであろうとその本であろうと人に何かを文章で見せるという時にはこの ことは必ず意識しているはずなんですよ
なんかやっぱり自分がやっているなりの違いを出したい個性を出したいというね でもこれよく考えてほしいんだけどもし自分の周りにいる人たちの違いと個性が恐れ
不安と結びついているとしますよね そうするとどうなるかというと自分が何かを出そうとした時にこれ
他の人たちと違っているっていう感覚がするものを出せなくなっちゃうんですよ怖くて ちょっとややこしく感じるかもしれないんだけど反対を思い浮かべればわかりやすくなります
もし私がですね私の周りにいるまあ80億人とはありませんけどもあらゆるすべての人の違いと個性を受け入れるというねもうこれ寛容さと呼んでもいいと思うんだけどその寛容さを持っているとしたら
僕は彼らと違って全然構わないんだっていう自分に対しての寛容さも持てるはずなんですよ ですよねだって他の人たちが自分と違ってても構わないって言うんであれば
当然自分も他の人と違っていて構わないってことになるなりますよね でもこれここに恐れや不安を抱く他の人たちが違っていることが怖いと思った瞬間に私が他の
人たちと違っていることも怖くなるんですよ だってそうしたらもし僕が他の人たちと違ったら彼らに僕はエイリアンモンスターと見られるかも
しれないっていうふうに当然思うじゃないですか これを僕はグッドワイプスでは鏡の法則と呼んでるんですけどね
そうするともし僕が多くの人に対して違いと個性に不寛容寛容でなかったない状態で 自分の文章で何かを表現しようとした時にこれは出していいんだろうか
ここまでやっちゃっていいんだろうかここまでやるとなんかものすごく違うものになら ないかっていう恐れや不安を当然抱くんですよ
そしておそらく多くのその表現をしたことがある人ね文章を書いたり漫画を書いたりね 映像を撮ったりしたした経験のある人は
この不安というのは多分一度は一度や二度じゃない なんか何度もきっとかすかにでも感じているはずですよ
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これでいいんだろうかこれ出しちゃっていいんだろうか 多分僕がそのポッドキャストの収録を止めてしまうのももしかしたらそうなのかもしれないね
この話は受け入れられないかもしれないなぜか 他の人たちと私が何かが違っているかな
だから実はねこの違いと個性を受け入れるかどうかが僕らの表現を自由にしてくれるかどうかと完全にリンクしてるんですよ
理想はね私が何を出しても それを受け取ってくれる人たちはその違いを喜んでくれる面白がってくれるっていうこの感覚を持ってた
持てたら最高なんですよ だからあの一度売れたりヒットしたりする人はこれを自動的に持てますよね
あ大丈夫なんだねこれってこれやっちゃってもいいんだねって なんか結構アクション派手だけど全然受けてるから ok みたいなね
でもその実績がない人はこの動きってなんか変に思われないだろうかとかね この表現ってなんかあの変わってるねって思われすぎないだろうかとかっていうやっぱり
恐怖を抱かざるを得ないわけね つまり表現者というのは僕はですよ
もし本当に自分の持っているその他の人たちとは違う 唯一のオリジナリティをオリジナリティを出したいんであれば最初に自分以外の他の人の個性と
違いを完全に受け入れておくっていうことが重要だと思ってるんですね これは理想の話ですよ
僕もそれができてるかって言ったら多分それはきっとできてないでしょ でもできればできるほど私は自由になるやっぱ自由キーワードは自由なんですよね
いらないものを突破していくと自由になれるっていう そういう意味でコミュニケーションも全く同じなんですよ
もし私がすべての周りにいる人たちの違いと個性を に対して寛容さを持てたらこれ全然 ok だよっていうふうにできたらもうその瞬間に
その人たちと話すことは全く怖くなくなるんですね 何が来ようとそうなんだあなたはそうなのねっていうふうにこうそのもうまるで
その違いと個性を楽しめるかのようにね 見つけたよ面白いね
こうなった時にコミュニケーションのハードルの多分90%ぐらいはぼっと消え去ってしまうんですよ まあこれができないからわざわざそのコミュニケーションのステップ1にね
この80億の違いと個性を受け入れておきましょうという項目を入れているわけです けれどもねこれはとても重要なポイントなんですね
実際私がそのさっきねいい時間を過ごせましたと言えたのは 私はその知恵さんとエフとさんという2人のね私とは全く異なる個性
そして違いを持っているこの2人に対しておそらくなんだけど 100%僕は寛容に慣れている自信はあるんですね
相手はわからないんですけどねカズロさんの恋とか嫌だなと思われている可能性はなく はないんだけど僕はそこをほぼ完璧に受け入れられているんで
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何をしてくれても構わないんですよ それよりもその彼らの持っている違いと僕の個性が一緒に組み合わさるコラボレーションすることの方に
なんか喜びを感じられているからまあうまくいってるんですね だからこのコミュニケーションにしても表現にしても
違いと個性というこのキーワードが非常に重要だっていうことがね この2日を通してわかりましてね
じゃあどうすればいいかってことなんですけどね やっぱりねまずはその僕らがどんなプロセスを経てこの自分とは違う人自分とは異なる
個性に対してこんなに不寛容になってしまったのかっていうこのなんかねこう 流れというのがねプロセスみたいなのがやっぱりあるような気がするんですね
簡単に言うと私はクラゾノですでイメージとしてはクラゾノ国の王様なんですよ で独裁者かな私しかいませんからね
ここはそのクラゾノ国はクラゾノ王が仕切ってるんですよ 当然その国である以上独立国である以上憲法のようなものが必要ですよね
クラゾノ法典がそこに定められているんです これはおそらくだけども幼い頃から親のしつけ
教育そして学校先生 部活の監督とかねなんかこう自分が大きく影響を受けた人たちの教えみたいなものがこう積み
重なってできていて これに加えてまあ自分が読んだ本とかね影響を受けた映画とかね
あとまあセミナーとかもあるでしょうねそういうところから得たこれがいいかな こうやるとうまくいくかなとかね
こうやるとなんとなく安全に過ごせるかなみたいなものがこう積み重なって多分できている 一冊の法典なんでしょうね
何百条とかあるんだと思うんですけどもねでその下に小小さな項目もあってね こういうことをこういう時にはこうしなきゃならない
こういうシチュエーションではこのような言動はすべきではないとかね こういう時にこう動かなければとても困ったことになるみたいなことがこう書かれている
わけですよ これを自分のために自分の国の中で運営している分には構わないんだけど
自分の周りに人が現れるとなんか僕らはその自分ではない別の人たちが クラゾル国の住人だって勘違いしちゃうんですよね
住人であるからお前俺のテリトリーに入ってきたんだからね クラゾル国の住人なんだよもうその時点でと
まあ旅行者でもいいよとでも旅行でもここの国に来たらここの法律は守ってよっつって 自分の法典をその人たちに当てはめるんですよね
そうすると当然ですけどもねそのまあ例えば 知恵さんとエフタさんというのが私の近くに来たとしましょうよね
でも彼らはえっと僕の国の法典とは違う エフタ国の法典知恵国の法典というのを彼らの環境の中でえっと作っているわけですよ
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しかも彼らはクラゾル国の住人ではないので僕の法典に従う必要は本当はないのね だけどなぜか僕は
彼らが自分の法典と違う振る舞いをすると腹が立つんですよ 正確に言うとね腹が立つということはその前に必ず恐れや不安を感じている
ってことなんですね 僕らのその負の感情行き通り怒りねそういうものっていうのは一瞬にしてパッと沸き上がるんで
実はその前に恐れや不安を感じているってことで気づかないことが多いんだけども はっきり言ってその起こるためにはね
怖い怖さっていうのはやっぱり必要なんですよ 僕らは怖くない時には起こることもできないんですね
だからやっぱりこの法典を踏みにじる奴が僕のテリトリーに入って僕の王国に入って きたっていうこの感覚がまず怖い
怖いから自分の身を守らなくちゃいけないということで起こるんですねそこでね腹が立つんですね そして彼らを排除したくなる
簡単に言うと嫌いになっていくってことですね この人と一緒に何かをするのは嫌だっていう感覚になっていく
これが次第に異星人怪物鬼のようにその自分の法典を守らない人が見えてくるわけですね まさにこれは心象なんですよ
まあこれが自分の素直な感覚じゃないかっていうねそういう意見も当然あると思うんですが じゃあ僕はここでその法典ってなんだっていう風に問いかけてみたいんですね
自分に対してねこの法典って えっとお前が完全にアグリーして持っているものなものなのかっていう風に聞くとね
僕はねこの手放したいものがいっぱいあるんですよ 改正したいものがいっぱいある
確かに誰かが教えてくれたんでしょうもう記憶にないですけどね でもなんか自分の失敗から学んだこともきっとあるでしょう
でもこの何百条ってあるこの法律の中には 僕が本当は持っていたくないものとかもあったりするわけ
それこれを僕は内なる指導者と呼んでいたりするんだけどね つまりその親だの教師だの部活の監督だのね
最初に就職した会社の上司みたいなすごく尊敬している人みたいなのが 幻影のようにして心の中に住んでるんですよ
これが内なる指導者でそれも一人一人住んでるんじゃなくて一塊になってですね なんかもうこう
サイボーグのようにいろんな人が組み合わさってキメラって言うんですかね 頭がライオンで尻尾がヘビみたいなそんななんかこう
組み合わさったものが一体になって内なる指導者みたいなのを形作ってですね これ完全に幻影なんですけどもね
心の中に住んでるんですよでこれが僕が何か間違ったこと その彼らにとって間違ったことをしようとするとやめろっていう声が聞こえてくる
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それによって僕は行動をその躊躇したりやめたりする じゃあ本当はどっちなんだって言った時に僕はゴーしたいっていうふうに思うこともあるん
ですね これはあれですねその本当にやりたいことを見つける方法という回で話した話にちょっと似てますよね
ちゃんとしなきゃいけないこれをやらなきゃいけないみたいなことをたくさん自分に 貸せば貸すほどこの心の奥底にいるこれがやりたいっていうことが出てこなくなるっていう
これのこれをこれを阻害しているもう一つの要因が内なる指導者なんですよ でこれが方展とイコールになってるんですね
こんなものは私の個性でもなんでもないんですよ オリジナリティでもなんでもないんですよ
それは多分だけど自分を守るために生きている鎧でしかないんですね 鎧は私ではないんですよ
うんだからこの鎧は脱いでいいんですよ 脱いだ後にこの方展がなくなった後に私というものがポッと出てくる
そんな感覚を僕は持っているというのもこの10年ぐらいですね やっぱ私はこのできるだけこの方展をゼロにしたいと本当に本気で思ったんですね
ゼロにしたらどうなるんだ簡単に言うと一切の正しさを手放したら 私は生きていけなくなるのか
何にも感じなくなるのか 感情がなくなってしまうのか
全然そんなことはなかったです ちゃんとそその鎧を剥がした後に自分というのがしっかりといてくれてそいつはいろんな
ことを感じてくれます その鎧がない方展がない自分の方がより
感受性豊かに解像度がとても高くなっていろんなことを敏感に感じられるようになります だからこの正しさの方展というのをどのぐらい
手放すことができるか 手放さなくてもいいんだけども自分にとってこれは必要だと思うのは持ってて
いいんだけどもこれを人に当てはめるっていうのはやっぱちょっと理不尽ですよ 全く違った環境で全く違った
教えを受けてね 育ってきた人たちが全然違う本を読み全く違う映画を見て
僕が行かないようなセミナーに通った人たちとこの方展が一致するはずがない 少なくとも自分にそれを適用するのはいいけども人にこれをこのこの方展で
人を裁くのはやめようっていう そんな感じは僕はそんなに難しくなく持てるんじゃないかなと思うわけですね
まずはねここその完璧にこれをやるのは無理ですよ でもできるだけ意識してね
あ今なんかこの人の行動言動に僕は今違和感を感じてちょっと腹が立ちそうになっている イライラしそうになっているというこの瞬間にね
あそれって彼が何か明らかに間違ったことをしたってことか いやちょっと待てとそれとも俺の方展に書かれていることに反したのかどっちなんだっていう
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この問いかけをねそこでするんですね でそうすると面白いことに
あれっていうなんかあれっていう自分が現れてくれるんですよ これを何かね習慣にするといいんじゃないかなと私は思いますね僕も10年間
ぐらいずっとこのトライを今している最中です なかなかあの上達はしてきてるなと思います
で次にもう一つ重要なのはこれは緑のグッドバイブスご機嫌な仕事の本にも書き ましたけれども
個性と違いというのはねまあ個性でいいから私たちの個性というのはでこと僕の 組み合わせでできているというこの部分がすごく重要だと思います
一般的にはこの僕を凹んでる方ですね凹んでる方を欠点という呼び 出てる方を長所長所って呼ぶんですよ
これがまずねとても大きな問題だなと僕は思っています まあしょうがないんですけどねどうやってその長所と短所っていうのを決めてるか
というとこれは完全に社会の価値観なんですよ社会的な価値観 世の中で生きていく上でこの僕があると困るよとかね人に迷惑をかけるよ
逆にこのでこはとても有利に働くよ これがあると多分たくさんお金が稼げるよ
地位と名声も得られるよみたいな多分そういう基準ででこと僕が見られてるんですね これは仕方ないんですよね
ここはそのそれに従わざるを得ない場面もたくさんある まあ従わざるを得ない場面の方が多いでしょ
例えば時計を全く気にしないみたいな人は僕の周りにいっぱいいるんですよ これは社会的に見たらボコですよ
やっぱ遅刻多いし約束とか忘れてすっぽかしたりすることもあるしね でもねこのボコの裏側には必ずでこがあるんですよ
ボコとでこはセットなのでね どういうでこかっていうとねまあわかりやすく言うならばどんな場面でも焦らないとかね
それからまあ私がよくグッドバイブスで言うとこの今ここにあるということを 普通の人よりは平気でできてしまう
時間が気にしてませんからね時間という概念がなければないほど 今ここということにバッと自分の全エネルギーを注ぎ込むことができるわけですね
まあだからこういう人がその世の中で生きていく上ではねやっぱりその 他の人のその要望に合わせてなるべく遅刻をしないとかね
約束を忘れないような工夫をするとかそういう努力はました方がいいと思うんですね でもねこれとじゃあ私の個性ってなんだんだってこう自分に向き
合うときね 全く多分ここに社会的な価値のいわゆる長所短所みたいな見方を僕は入れなくていいと思うん
ですよ それを放っておいていいとは言ってませんさっき言ったようにそこの
僕がね現現代の社会で生きる上で何か問題があるんであれば自覚したんであれば そこはまあ少しずつこう
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なんていうのかなこう直すって言いじゃなくてまあそうそれが行動として現れないような 工夫をするということですよ
音を直す必要がない全く直す必要はない でもその社会から離れて私の個性はなんだっていう自分に向き合うときに
でこと僕は長所と短所というふうな見方をするんではなくて 私の個性を形取っているまあ素敵なハーモニーなんだっていうふうに見ておく
これが重要ですね なんかこれはあの前に話した価値マックスの価値とはなんだっていう話で似てますよね
築地に行けばマグロの方が3枚より価値が高いこれが社会的な価値ですよ 商業的な価値ですよね
でも海で泳いでいるさんまとマグロはどちらが価値が高いかは僕らの判断では決められない これと同じですよね
これをねだから僕は自分自身を見つめるときには使っていいと思ってるんですよ そうしないとどこまでもどこまでも社会的な価値に引きずりで引きずられながら
私のこれは短所なんだっていうふうに見なきゃいけない 他の人もそうですね自分が他の人を見るときもこれは
まあ社会的に見たら問題ありの個性なんだけどもでもこのこの人っていうねそこの社会から ちょっとそこを外してあげてこの人一人を見たときにこの僕はこのでこと一つのセット
なんだっていうこの見方ができたらね もうまさに海で泳いでいるさんまの価値と同じように天然の価値としてその僕とで
こう見ることができたら見事なハーモニーだってことがわかるんですよ そして同時にねなるほど人は一人では完璧な姿になることはないんだなということがわかるん
ですね ぼことで子はセットですから僕をもし元に戻そうとすればおそらくでこの方もぶっとへ
込んでいくはずですよまあそんなことは多分できないと思うんだけどね でこと僕があるのが個性だとすれば完璧な形でないことがラッキーだってこと
なんですよ じゃあこので僕はどうするのかここが重要なんですよ
自分で完璧な姿になれないんだったら他の人に埋めてもらうんですよ これが私が言うコラボレーションであり私たちは決して一人では生きていけないということの
本質な気がするんですね そもそも一つのチームね同じでこぼこのセットまあこれもありえないんですがもしいたと
したらいらないんですよ一人もいらない1人いればいいんですよ 同じ個性を持った一つの個性を持っている人は一人でいいんです
そこに違う個性を持った人が現れて互いのでこと僕を埋め合うからチームというもの が機能するんですね
これを忘れちゃいけないなって思います なんかそのさっき言ってね自分の方転に従って方転を守らない人をバサバサ切り捨てて
いくと その人たちは異質なエイリアンだモンスターだと言って距離を置いていくとするとね
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おそらくだけども何か似たようなでここを持った人しか多分自分の周りに集まらない と思うんですよ
私もかつて編集長になったばかりの時はね 面接でその人を選ぶ権利というのをねいただいたのでね
面接をして最初に取った人たちはみんな自分みたいな人ばかりでした なんかやっぱこう似てる奴は何か好きになっちゃうんですよね
こいついいものを持ってんじゃんっていうのは何か自分が持っているものと同じようなもの なんですよ
そうするとねどうなるかっていうとなんか私みたいな人ばかりがこう集まっちゃうのね 全く機能しないんですよ
同じでこと僕が集まるようなチームっていうのは全く機能しないんですよね 同じ弱点を抱えているそしてできることはみんな同じっていうね
そこで私はまあ1年ぐらいしてから気がつきましてねそれからというものはいかに私と 違っている人を選ぶかっていうのに専念していましたね
だからなんかこう昔だったらこいつなんだよって思うような人が来ると嬉しくなって たんですよ
こいつ無口だわ全然喋れない面接なんだからもうちょっと喋ろうよみたいな人にすごい興味を持って深く聞いてましたね
なんで喋んないのみたいなことを聞いたこともあるかもしれない その方がやっぱりいいチームってのはできるんですねこれなんですよ
おそらくねその意味ではねいわゆる恋人とかパートナーとかね長く一緒に暮らすような人も 本当はね僕らやっぱりこう自分に似た人を探しがちなんだけどもね
マッチングアプリとかもそうじゃないですか近い人が来るわけよね 実はそうじゃないなぁと思ってんですよ
例えばねなんか苦手な虫が一匹ポンと出てきた時に同じだと2人とももう逃げるしか ないですよ
保険需要部しかないみたいなでも全然大丈夫だよつってポッともうもうそれこそ手でティッシュで ポッと掴んで外にピッと逃がしてあげられるような自分とは全く違う
そのでこと僕を持っている人の方がおそらくうまくいくんだろうなと思います つまりね自分にとってまあいろんな意味で仕事のパートナーでもその一緒に暮らす
いわゆる生活のパートナーでもね 同じ共通点があるということよりもこのでこと僕の違いがあるということの方が実は
大切なんだってことがわかるとね いろんなことが変わってくるように思うんです
例えば僕らはその自分の母社会的に言う 弱みですね弱点これを隠そうとしますよね人に見せないようにしようとする
例えば何かわからないことがあって同様同僚に質問しなきゃいけない時もバカだと思わ れたくないとかね
こいつこんなことも知らなかったのって思われたら嫌だとか思って躊躇したりする これは弱みを見せたくないという心ですよね
でもあれちょっと待てよとこの僕を埋めてくれるのは俺じゃなくて他の人でいいんだ よねって思えた時に実はこの弱みというのはオープンにしておいた方がいいって
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ことがわかりますよねカミングアウトした方がいいんですよ まあどいついうかつのはちょっと微妙ですけどね
なんか機会があるたびにやーぐすいませんせばねちょっと私はねだいたいこう手が遅く てとかね
なかなかその期限を守らないことが多いんですよねとかね あとこういう分野はなかなか今まで勉強してこなくて知識が足りなくてみたいなことを
先に言っといたほうがいいってことなんですよ そうするとああそういう人なのねって周りの人も思う
でおそらく他の人たちもみんなそういうものの一つや二つは持ってますからそんなの カミングアウトされたところで驚きはしない
正直な人だなって思うぐらいですよそうしておけばね 何かその自分のこの仕事においてもしくはこの生活においてこの僕を埋めなきゃ
なんないなって埋めてもらわなきゃなんないなっていう時におそらくわかってる 人が周りにいて大それやるよみたいな感じでおそらく手を差し伸べるんじゃないか
差し伸べてもらう確率が高くなるんじゃないかと思いますね でそういう経験を詰めばね
なるほどとじゃあこの人の僕は私の凸で埋められるな みたいなこともおそらく見えてくるはずなんですよ
これが私は人が複数いる意味チームでいる意味 コラボレーションをする理由だというふうに思っているわけですね
だからまずはその私の中で 他の人の個性とね自分との違いを違いに対して不寛容になっている
最大の原因はねこの私が幼い頃から培ってきた作り上げてきた クラザノックの方典でありそして他の人にその方典を使って
正しいとか間違ってるとかっていう判断をしているこのメカニズムにあるんだっていう これをねしっかりと認識して
なるほどと少なくとも私にこれを適用するのはいいけど 他の人に適用するのはやっぱり不審だよねっていうふうに思えればこの瞬間に
まずその違いと個性というのがあるあっていいんだっていうふうに多分思えるはず ですね少しはね
その方典をガチガチに守っている状態よりは少しは寛容になるでしょう その次に私は一人では完璧な姿になれない
まあこれなれと言われるんですけどね まあ無理な相談だと私は思いますだからこのデコとボコ
簡単に言うとあれですよねジグソーパズルのピースみたいなもんですよ 片方が飛び出てある部分が凹んでてそれがみんな違う形になっていて
なんとなくそこのボコのところにはまる人と一緒に仕事をしたり 一緒に生活をしたりするこの2つのセットで今私は目の前の問題を解決したりね
何か一つのものを作ろうとしていると これで私は随分と他の人の違いと個性に寛容になれるんじゃないか
もっと言うとですねその寛容さなんてものを飛び越えてね 違う人来てみたいなそんな感じになれるんじゃないかなと思います
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まあ実際この世界にはねそのようにして出来上がった素晴らしい コンビとかっていうのは結構いますよね
例えば古くはビートルズのレノンマッカートニー 全く違う個性を持った2人
片方はなんか若い頃から難しいコード進行とかいっぱい覚えてね 結構メロディーも凝って作るいわゆる音楽寄りのね
ポールマッカートニーというのがいて そして片方でそういうものにはあまり興味がなくてやっぱりずっとなんか
スリーコードのロックンロールとかブルースとかそういうものが体に染み付いた ジョンネロンというのがいる
この2人が組み合わさることによってあの60年代の名曲の数々が生まれるわけですね まあ聞き込んでる人にもここはジョンのメロディーだここはポールになったみたいなことがこう分かっ
たりもする 日本にも私はおそらくご本人に聞いてみなきゃわからないとこもあるんですけど
あのジブリのね宮崎駿監督と鈴木プロデューサーから あの2人の組み合わせっていうのはまさに本当に正反対に近いようなコンビなんじゃないかなとそして
あの2人がいたからあのジブリの名作が生まれてきた おそらくですねこの仕事のつながりがなければジョンとポールって多分本当に人間的にはきっと
仲良くなれる2人じゃない感じがするんですよ もしかしたら鈴木プロデューサーと宮崎監督もそうなのかもしれない
そこを見てないんですよね きっとそうではなくてこのボコとデコの組み合わせがたまんないじゃんやばいじゃん
まあでもこいつなんかこう癖が強いんだよねみたいな 癖が強すぎるみたいなとこはきっとあるんでしょそしてムカついたり怒ったり生き
取ったりするんでしょ でもそれを超えるこのデコボコの組み合わせの方がやっぱすごいよねっていうことが
分かった時にね まあそこは関与になっておいていいでしょみたいな置いといていいでしょみたいなことが
おそらくできるようになるんだなと思いますね でこれが
この感じになればなるほどおそらくコミュニケーションというのは本当に空気を吸うように 自然にできるようになる
だから当然ですけども
自分とは違う他の人たちのねこの個性をしっかりと 関与に受け止められるようになれば自分もこの私を出していいんだなっていうふうに安心して思える
ようになる なんかいいこと本当はいいことづくめなんですよ
まあだからだけどね僕らが持っている方典であったりとかそれから幼い頃に経験した なんか人と人との間の猫嫌な思い出だとかそういうものが
ものすごく邪魔してこれが簡単でないってのはよくわかりますよ ただ僕は目指す方向はこちらにしたいなぁと思うし少なくとも私が手掛ける
コミュニケーショントレーニングとか執筆講座ではですね この人たちは異質なモンスターエリアになっただから距離を置こうとかね
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私のこの部分は なるべく出さないでおく方が安全だろうなぁとかっていうねそういう防御策じゃなくて
違いと個性ウェルカムだよねっていう方向に 持っていきたいなとは思っていますね
今日はこんな感じで皆さんいい1日をお過ごしください ありがとうございます
ん